そして霖之助が大分空気な話。
盛大に石段を駆け上がる。神社に辿り着いた博麗の巫女は、そこで掃き掃除をしていたチャイナ服の女性と道士服の女性二人に向かって声を張り上げた。
一体何ぞや、とその二人――紅美鈴と茨木華扇は博麗の巫女である博麗飲子に視線を向けたが、彼女が持っているものを見てその表情を変えた。
猫である。黒猫を抱きかかえた飲子は、期待の眼差しで二人を見詰めていた。どう考えても次に彼女が放つ言葉は分かる。そう判断した二人は、ならば自分達が返す言葉は一つしか無いと揃って頷いた。
「この猫飼っても――」
『駄目』
言い切るまでもなくばっさりと切り捨てられた飲子は、驚愕の表情を浮かべて二人を見詰める。何でどうして、そう言いながら一歩踏み出した。
そんなもの決まっていると美鈴は溜息を吐きながら首を横に振る。責任持って面倒を見るなんて出来ないでしょう。そう言うと同意を求めるように華扇に視線を向けた。そうそう、と頷く華扇を見て、飲子は更に表情を険しくさせた。
「そんなこともないもん! 私がしっかりと面倒見るよ!」
「口では何とでも言えるわ」
「この間の騒動があったばかりですし、ねぇ」
華扇は強めに、美鈴はやんわりと否定する。どうあっても首を縦に振ってくれそうにない二人を睨みつつ、飲子はケチ、と叫んだ。だったら他の人に聞くから、と視線を巡らせるが、こういう時に限って他の面々は神社にいなかったりする。
「……うう、世間は冷たい」
「自業自得です。日頃の行いよ」
「そうですね。そこは華扇の言う通りです」
追加のダメ出しを食らった飲子は、今度こそがくりと崩れ落ちた。その拍子に猫は彼女の手の中から離れ、そして目の前にちょこんと座る。
ごめんね、と飲子は猫に謝る。君をここに住まわせてあげられなくてごめん。そう言って申し訳なさそうに頭を下げた。
「……何だか私達が悪者みたいね」
「あはは、確かにそうですねぇ」
気にするなといった感じで彼女の手に前足を乗せる猫を見ながら、少々バツの悪い様子でお互いに顔を見合わせる。かといって、ここでやっぱり飼っていいというのは少し違う気がするし。そんなことを思いながら猫と飲子のやりとりを見やる。
「ごめんね、橙」
「名前もう付けてるの!?」
「ホント、気が早いなぁ……」
やれやれ、と呆れたような二人の溜息が神社の境内に木霊した。
神社横の博麗の住処。そこに集まった六人の前で飲子は猫を掲げて力説した。勿論猫の可愛さをである。飼うことによってどうだの、そういう説得系統の話は一切しなかった。
当然、そんな話で首を縦に振るような連中であったならばもう少し彼女は普通の性格をしているわけで。とはいえ、一般的であってもこの場合は許可を出さないであろうことを考えると案外普通なのかもしれない。
「さて、じゃあこの猫をどうしましょうか?」
ツンツンと猫を突きながら幽香がそう述べる。その顔は相変わらずの笑顔であり、どういう答えを出すのか窺うことは出来ない。ただ、飲子はからかわれるだろうということだけは確かであった。
その言葉にまず反応を見せたのは最初に話を持ちかけられた美鈴と華扇。やっぱり飲子が猫を飼うのは無理ですと二人揃って同じ答えを述べた。
それに同意するように、まあ確かに博麗だしね、と頷いたのは霖之助。命蓮は何かを述べることはなかったが、表情を見る限り飲子の味方ではなさそうであった。
そして最後の一人はというと。
「んー。いいんじゃない?」
え、と美鈴と華扇がその言葉を発した人物、ルーミアへと視線を向けた。お前は何を言っているんだと言わんばかりの表情で、というか直接そう彼女に述べると、ケラケラと笑いながらだってさ、と続ける。
「どうせ私達が面倒見るじゃん」
「あ」
「確かに」
「いやちょっと待って」
そこで納得しちゃうのはどうなのか。自分にとっていい方向に進んでいるはずの空気をぶち壊してまで物申してしまうのは博麗の巫女の性か。はたまた完全に駄目な子供扱いされていることへのツッコミか。ひょっとしたら両方なのかもしれない。
ともあれ、飲子のその言葉にどうしたのとルーミアは首を傾げた。
「別にホントのことでしょ?」
「違うもん! 私が面倒見るもん!」
「自分勝手に博麗の巫女の仕事を放り出しちゃうようなのが猫の面倒見れるんだ。そーなんだー」
「……み、見れるもん」
「ふーん」
約束出来る? とルーミアは問い掛ける。勿論、と飲子は彼女に叫ぶ。
そのやり取りを見ていた幽香は、なら決まりね、と残りの四人に視線を向けた。その動きの意図に気付いたのか、しょうがないと皆揃って肩を竦める。
それが飼ってもいいという返答だということを理解した飲子はやったーと飛び上がった。これからよろしくね橙、と猫を抱きかかえてクルクルと回る。
そんな彼女を、幽香はとても優しい笑顔で見詰める。その表情のまま、そういうわけだからよろしくお願いするわと背後に声を掛けた。
「……そう言われてもだな」
「丁度いいじゃない。貴女確か自分用の式を探してたでしょ」
「いや、流石にただの猫を使うのは」
「何言ってるのよ」
あれ、化け猫よ。そう言って彼女は飲子の抱えている猫を指差す。へ、と素っ頓狂な声を上げた背後の人影――八雲藍は、猫をじっと見てああ本当だと頷いた。
案外皆気付かないのね、と幽香はクスクスと笑う。この場で気が付いているのは自分以外に誰がいるのやら。そんなことを思いながら周りの顔を見渡した。
「まあ、どっちでも構いはしないかしら。貴女のとこに行くか行かないか、そっちの方が重要だものね」
「いやだからそう言われても」
「この間インコが言ってたわよ。お母さんに叱られたみたいだって。母親ならちゃんと責任取らなきゃいけないでしょう?」
「誰が母親だ誰が」
そう言いつつも、藍はしょうがないかと頭を垂れた。どのみち飲子がちゃんと面倒を見られれば自分の出番はない。そう考えて視線を飲子に動かす。
「橙!」
「にゃー」
「ちぇぇん!」
「にゃぁー」
「ちぇぇぇぇん!」
「にゃぁぁー!」
あ、これは駄目かもしれない。手の掛かる子供が二人に増えたような錯覚を味わいながら、藍は痛む頭をそっと押さえた。
結論から述べると、駄目であった。ほら見たことかと苦い顔を浮かべる四人と、予想通りと笑う幽香。あーあ、と肩を竦めるルーミア。
そして、泣きべそをかきながら橙に謝っている飲子の姿がそこにあった。
「ごめんね橙。私が不甲斐ないばっかりに……」
「流石に三日連続でご飯あげ忘れるのはどうなのかと」
限りなく正論なルーミアの言葉に為す術もなく崩れ落ちる飲子。本当に不甲斐ないわねぇと笑う幽香に反論することも出来ず、彼女は言われるがままになっている。
それがつまらなかったのか、幽香は軽く溜息を吐くと、まあどっちみち藍が引き取りに来るのは夕方だから、精々今日一日思い出でも作っておきなさいと声を掛けた。普段煽るかからかうだけで投げっぱなしの彼女から思わぬ言葉が出たことで思わず飲子は顔を上げたが、そこに見えるのは普段と変わらぬ微笑。それで少しだけ眉を顰めたが、しかしその言葉に乗らないという選択肢は彼女の中にはない。
分かった、ありがとう。そう言うと、橙を肩に乗せてその頭をそっと撫でた。ちょっと出掛けてくる。そう叫ぶと彼女は神社から文字通りすっ飛んでいく。色々一緒に見て回ろう。そんな言葉が見えなくなる直前に聞こえてきた。
「良かったんですか?」
そう問い掛けた華扇に幽香は何のことかしらと返す。その返答で納得したのか、華扇はまあ、それでいいならいいんですけどと頬を掻いた。
それに続くように命蓮が彼女に声を掛ける。そういえば、と問い掛ける。
「あの猫、化け猫だったな」
「あら、今頃気付いたの?」
「鈍いものでな。しかし、そうなると」
あの姿は本来のものなのだろうか。そんな呟きに答えるかのように、ルーミアがどうだろうね、と呟き返した。
ま、どっちみち。そう言いながら彼女はくるりと回る。何か面白そうなものを見付けたような笑みを浮かべ、そして飲子達が向かっていった方向に視線を向けた。
「帰ってくれば分かるんじゃないかなー」
「……お前も食えない奴だな」
「そりゃそうだよ。だって私は」
食う奴だからね。そう言って彼女は口角を上げた。
人里を周り、妖怪の山の麓を眺め、魔法の森の入り口を案内し。そして次はどうしようかとふらふらしていた彼女が辿り着いた場所がここであった。
霧の湖。この間船幽霊の残留思念を祓った場所である。既に前回の禍々しさは無くなっており、ふよふよと妖精が辺りを飛び回っているのが確認出来た。
そんな場所を飲子は橙を連れて歩く。やっぱり広く見えるなぁ、などと肩に乗っている橙に話し掛けながら、のんびりと足を進めている。
「あれ?」
その途中、何か見慣れない者を見付けた。門らしきものがだだっ広い空間にポツンと建っている。何かの館の一部であろうそれは、今現在はその役目を果たすことなく佇んでいた。
門の位置から予想すると、館はこの広い空間を全て使う程度の大きさがあると思われた。もっとも、あくまで予想でありその館は存在しない以上考えても仕方ないことであるが。
ともあれ、飲子はその紅い門を眺めつつその場を後にしようと足を踏み出した。どうせなら湖の真ん中行ってみようか。そんなことを橙に提案する。
「ちょーっと待った! ここはあたいのナワバリ、勝手に通ってもらっちゃ困る!」
と、その時である。そんな叫びと共に一体の妖精が彼女の前に飛び出してきた。氷の羽らしきものが背中に浮かび、頭の大きなリボンが自己主張をしている。そんな割と目立つ格好の妖精は、ここを通るには通行料が必要だと胸を張った。
「ん? ひょっとしてこの門ってあんたの?」
「あたいが用意したわけじゃないけど、あたいが最初に見付けたから、まあそんな感じ」
というわけで通りたいなら通行料を出せ。そう言って指を突き付ける妖精を見て、飲子はううむと首を捻る。出す気はさらさら無いが、ではここで引き返すかというとそれも少し違う気がする。
まあいいか。そんな結論を出した彼女は、じゃあ通らずに帰ると踵を返した。
「ちょっと! 何で帰るのよ!」
「何でって、そりゃ通行料払うのが嫌だからに決まってるじゃん」
「ケチだなぁ。ま、博麗の巫女だししょうがないか」
ピタリと飲子の動きが止まった。今何つった、そう言いながら再び妖精の方へと振り向く。
明らかに雰囲気の変わった彼女に気付くことなく、妖精は高笑いを上げながら胸を張った。博麗の巫女はケチで弱虫だ。そんな子供の悪口のようなものを言いながらチョロチョロと辺りを飛び回った。
無論、普通の分別ある博麗の巫女ならばこの程度の悪口で怒り出すことはない。が、博麗飲子はその程度で怒り出すくらいに子供で未熟者であった。誤解なきように言うが、彼女の実際の年齢はもう少し上である。つまりは余計に駄目である。
「よーし妖精、そこに直れ。一発ぶん殴ってやる」
「やーだね。殴りたきゃ無理矢理やってみな」
言葉と同時に妖精が氷の塊を飛ばしてくる。一発一発の威力はそう高くなさそうであったが、その量が問題であった。避ける隙間がないほど無数に放ったそれは、そのまま飲子に叩き込まれる。無防備にそれを食らった彼女の体はぐらりと揺れたが、しかしそれだけで倒れることなく体勢を立て直した。
「って、あ、橙! ちぇぇぇぇん!」
氷の礫が頭に当たってぐったりしている肩の猫を見て飲子は顔を青褪める。どうやら気絶しているらしく、彼女の呼びかけに全く答えない。
妖精はそんな飲子を見て今がチャンスと手にスイカ程度の大きさの氷の塊を作り出し、頭にぶつけてやると振りかぶった。
「もらった!」
投げられた氷球は真っ直ぐに飲子の頭に飛んで行く。彼女がそれに気付いた時にはもう遅い、既に回避出来る距離ではなくなっていた。
が、別にだからどうしたとその氷球を額で受け止める。硬いものがぶつかり合う音が盛大に聞こえ、そしてぱっくりと綺麗に割れた。飲子の額ではなく、氷球がである。彼女の顔には傷ひとつ付いていなかった。
「今それどころじゃない! 邪魔すんな!」
真っ二つになった氷の弾の破片を掴み取ると投げ返す。予想外の反撃に遭った妖精は、その破片が頭に当たってそのまま墜落していった。覚えてろ、という三流悪役のような捨て台詞が聞こえてきたが、飲子はそれを聞き流した。
そんなことより橙だ。揺すっても目覚める気配のない猫を見て、どうしようかと彼女は思考を巡らせる。こんな時の博麗の技じゃないのか。そんなことを思いつつ、自分の身に付けた技術の中で使えそうな治療術を片っ端から思い出しそれを橙へと施してく。
段々と派手さが増していき、いささかやり過ぎではないかと思われるそれを全て行う頃には、先程倒された妖精も含めた多数のギャラリーに囲まれていることと相成るのであった。
「で、その結果がこれ、と」
橙を引き取りにやってきた藍は少し呆れたようにそう述べた。その横では幽香とルーミアが肩を震わせて笑っており、そのまた隣では華扇と美鈴はどこか困ったように頬を掻き、更に隣ではもう知らんと別の作業をする霖之助と命蓮の姿があった。
藍の目の前では正座で座る飲子。そして。
「あ、あの。藍、様? 飲子を責めないで下さい! 私を治療しようとして必死にやってくれたんです!」
見事に人型になった橙の姿がそこにあった。化け猫であることを証明するような二股の尻尾と猫の耳が、彼女を守ろうと必死であることを示すように揺れている。
はぁ、と藍は溜息を吐く。どのみちこれではここに置いておくわけにはいかんか。そう呟くと、飲子の隣の少女の名を呼んだ。
「急に化け猫として成長を遂げた今のお前では、不自由なく生活するのは難しい。かといって、ここではその為の術を身に付ける事は出来ん」
元々の約束でもあったが、私のところに来い。そう言うと藍は橙に向かって手を差し出す。橙はその手を暫し眺め、そして視線を隣に移した。その目は、彼女に許可を取っているように見えて。
「うん。行ってきな橙。私は大丈夫だからさ」
だから彼女はそう言って笑った。本当は離れたくないけれど、それを奥底に仕舞いこんで笑顔を見せた。それが分かったから、橙もこくりと頷くと笑みを浮かべた。ありがとう、そう述べて藍の方へと向き直った。
「じゃあ、お願いします藍様」
「ああ、こちらこそよろしく頼む」
藍の手を取った橙は立ち上がる。行ってきます、と飲子に告げ、藍と共に博麗神社を後にした。行ってらっしゃい、とそんな彼女の背に言葉を返し、飲子はいつまでもその方向を見詰めていた。
「らしくないわよ。そんな顔」
「……別に、いいじゃん」
「別に会えないわけじゃないのに」
「そりゃそうだけど……」
「子供ねぇ」
「子供だー」
「人がちょっとしんみりしてたらこれだよもう! うっさいわお前ら!」
がー、と吠える飲子を見て、幽香とルーミアはそうそうこうでなくては、とこっそりほくそ笑むのであった。
ちぇぇぇぇん、って言いたかっただけちゃうんかと錯覚する。