「哨戒中の〈ガルム小隊〉から通信! 漂流船を見つけたって」
どうする、と操舵席からウタがライドを振り返った。
隊長であるエンビが戻らず動くに動けない実働1番組〈ハーティ小隊〉に代わり、2番組〈ガルム小隊〉が警戒にあたって
月面基地からここまで慣性に従って流れてきたようで、どうにも人の手で操縦されている雰囲気ではないという。(ブリッジを破砕したときと同じ挙動だ——という元宇宙海賊の報告には、ぞっとしないが何とも説得力がある)
船体に
モニタに拡大して照合をかければファリド家の紋章と一致する。
「エイハブ・ウェーブの固有周波数も〈ヴァナルガンド〉で間違いないよ」
今しがた解析も済んだ。偽装の可能性は限りなくゼロである。
だが、ウタの表情は冴えない。ハーフビーク級戦艦〈ヴァナルガンド〉が漂流できる宙域ということは、この〈ルーナ・ドロップ〉の中でもある程度デブリが晴れているということだ。迂闊に接近すればアリアドネの監視網に捕捉され、ギャラルホルンに〈セイズ〉の位置が割れてしまう。
「……今度こそ罠かな」と不安そうにライドを振り返った。
「まだ何とも言えねえな」
二度あることは三度あると言うが、ジュリエッタ・ジュリスはあのまま帰投したようだし、発信器のたぐいを仕込んだようすもなかった。腹芸の苦手そうな印象通り、実直な女であるらしい。
だが、そういった性質は汚い大人に利用されやすい。
罠かもしれない。……となれば、罠かどうかが判明するまで、アルミリアに〈ヴァナルガンド〉を発見したことを知られてはならない。場合によっては撃墜も視野にいれなければならないからだ。
「ヒルメとトロウを調査に行かせる。〈ガルム小隊〉を迎えによこしてくれ」
「
▼
〈ガルム・ロディ〉が差し伸べた手のひらから、甲板へとトロウが降り立つ。宙域を漂うハーフビーク級戦艦は、静かに慣性に流されているようだった。
船体にファリド家の紋章を戴く〈ヴァナルガンド〉。マクギリス・ファリドの形見として、依頼主アルミリア・ボードウィンがずっと欲しがっていたものだ。契約書面上は既にモンターク商会が買い取っているはずの代物でもある。未亡人として夫の面影を追う女主人のためにも、できれば無傷で確保したい。
ヒルメも続いて飛び降りると、非常用のエアロックをこじあけ艦内へと侵入する。
長い廊下をふたつのライトが這い回ったが——、人の気配はないようだった。
『このまま内部の確認にあたる』とヒルメがインカムごしに〈ガルム小隊〉へ伝える。
日ごろスポッターをつとめるヒルメのヘルメットには小型カメラをマウントできる機構があり、今回は命綱代わりにケーブルを取り付けた。さすがに映像はざらざらと劣化するものの〈ガルム・ロディ〉のシステムを中継すればLCSで〈セイズ〉のブリッジまで届けることが可能だ。
「頼んだ」と、ブリッジからライドが応答した。
モニタごしにトロウが頷く。目配せをすると低重力が頼りなく発生させられているばかりの暗闇へ、銃を構えて踏み出した。
慎重に気配を探りつつ、しんと静まり返る廊下を抜ける。誰もいない居住ブロック、談話室のバーカウンターは空。酒瓶どころかグラスひとつ見当たらない。荒らされたような痕跡もない。闇の中に沈むビリヤード台も、ずいぶん長い間使われていないようだった。食堂、管制室、倉庫、それからハンガーをのぞき込み、医務室を見渡して、たどりついたのは広すぎるブリッジだ。
やはり誰もいないことを確認すると、ヒルメはおもむろにコンソールパネルに触れる。眠りについていただけらしい管制システムが起動し、〈ガルム・ロディ〉から〈セイズ〉につながる。
およそクリアな通信が可能になった。
『メーデー、聞こえるか。とりあえずドアは全部開けてきたけど誰もいなかった。念のためメカニックよこして艦内に生体反応がないか点検してほしい』
『それとMSデッキに〈ガンダム・バエル〉があった。ざっと見た限り異常はなさそうだ』
推進剤も装填されており、双剣も添えられていた。だがコクピットブロックがごっそり取り除かれているので、このままでは起動もままならないだろう。両翼の電磁砲が撃てる状態にあるかどうかも判然としない。
『それから——、』とトロウが珍しく言いよどむ。
ちらりとヒルメを見遣って、頷く。
『カーゴブロックに「アルフレッド」のコンテナが積まれてる』
通信ごしに全員が息を呑んだ。エンビの
「……縁起でもねえな」
どうにか絞り出したライドの声も、喉で掠れてうわずっている。
唯一未確認のそれを、これから調査に行くと宣言したヒルメの声も緊張に尖っていた。
ふたたび銃を構え、大型貨物を積載するカーゴブロックまでたどり着くと、MS用コンテナの扉を入念に点検する。頷き合って、入り口から侵入。
すると、——機体の膝許に
不穏な予感に背中を冷たい汗が這う。
『……おれらで確認する』
「ああ、気をつけろよ」
精神的な攻撃だろうが、ここで焦って駆けすがって、爆発物や毒ガスにやられることも考えられる。……とにかく、何が仕込まれているかわからない。慎重に近づいたトロウが、黒々と不透明な遺体袋のファスナーに手をかける。
ゆっくりと引き下ろせば、そこには。
『——っ! う そだろ ……ッ!』
鋭く息を呑んだのは、そこにある面影が見知った茶髪だったせいだ。もともと短かった髪はさらにざんばらに刈り取られ、頭皮にはナイフの刃がかすめた切り傷が、凝固した血液のかたちで残されている。頬には殴られた痣。乾いてこびりついた血液、体液。あちこちに残って黒ずむ注射針の痕。
暴力の痕跡も明らかに、静かに目を閉じている。
エンビ。——動揺でふるえそうになる手をぐっと握り、冷静さをかき集めるようにファスナーを下げれば、着衣はなく、胸元には血文字のメッセージがナイフで刻み入れられていた。
”
その文字列を目にした瞬間に、トロウはみずからの識字能力を呪った。ああ、と、ヒルメが取りこぼす。かつりと一歩後ずさる足音、取り落とされたハンディライトが転がり落ちて、明後日の方角を照らす。
おそらくアリアンロッドに捕らえられ、尋問を受けたのだろう。何があったかは想像に難くない。
それでも、エンビは何も白状しなかったのだろう。使われた薬剤は自白剤か、覚醒剤か、どんな劇物だったのかはわからない。わかるのはただ、長時間かけて痛めつけられた傷の深さだけだ。
肋骨は折られ、脚には三発もの銃創がある。うちひとつは刃物によって抉られ、広げられている。
何も語らないなら死んでも同じだとばかりに、殺されたのだろう。
全身傷だらけになって、こんな形で帰ってきた。
『うぁああああぁああああああ あああ ぁああ あああああああ————!!』
トロウの慟哭がスピーカーをびりびりと割る。〈ガルム・ロディ〉のコクピットも、〈セイズ〉のブリッジも、血を吐くように悲痛な叫びに耳を塞ぐことはできなかった。
ヒルメが崩れるように膝をつく。がくりとくずおれて、ヘルメットのバイザーの内側に涙が落ちた。
おれのせいだ、と嘆く言葉も出てこない。
諜報任務に就くとき、エンビはいつも毒と酸を持ち歩いていた。捕まるようなヘマはしないが、万が一のことがあったときには仲間の居場所を吐いてしまう前に死ねるようにと。いつも即効性の致死毒を持ち歩いていた。足がつかないよう顔面を焼けるだけの強い酸も。
エンビが常に携帯していたはずのふたつの小瓶は、今はヒルメの私室に置きっぱなしだ。
——現状維持を選んでいいのはお前じゃないんだぜ、ヒルメ。
月面基地に到着する二、三日前のことだった。厨房を担当し、羊の肉を調理したエンビは、
——家族の無事を願うなら、ちゃんとケジメをつけてこい。
あのとき、エンビがみずから汚れ役を買って出たのに。なのにヒルメは毒物をキッチンに置いていくのは物騒だからとリスクヘッジを言い訳に小瓶を回収して、そのままにしていた。
ヒルメが致死毒の小瓶をエンビに返していれば、拷問が長引くようなことはなかっただろう。
鉄華団という居場所を失い、戦う生き方を全否定され、未来を奪われた同胞が心配だった、だからヒルメは『強硬派』につき、ライドのもとへ集って〈マーナガルム隊〉で仕事をすると決めたのに。
それなのに、ヒルメの優柔不断が兄弟をこうまで苦しめた。
エンビを殺したのはおれだという後悔が、臓腑の底から迫り上がってくる。
いつか『本当の居場所』にたどり着けたなら、家族みんなが飢えることのない食事があるはずだった。みんな交代でゆっくり眠れるはずだった。寝ている間に死ぬことも、殺されることもない。夜が明ければ全員が生きて朝を迎えられるような、平穏な日々があると信じていた。
威張り散らした大人に殴られたりしない、海賊やギャラルホルンの営業妨害もない。そんなあたたかい場所が世界のどこかにあるのだという、見果てぬ夢をどうか捨てずにいたかったのに。
イーサンの拳がコンソールパネルを打ち付ける。ウタが茫然と涙を落とし、そんな……とくちびるをふるわせた。
遺体袋に取りすがって号泣するトロウの叫び、ハウリングの残響が、鼓膜も心臓も鋭く突き刺してくる。
「何かあったのですかっ?」
〈セイズ〉のブリッジの扉が開く。駆け込もうとするアルミリアは、無作法な手によってはね除けられた。
「入ってくるな!!」
唐突な怒鳴り声に怯む。思わず廊下に尻餅をついてしまったアルミリアが見上げても、ライドの手によって遮られたブリッジの中は見えない。
「 ライド、さん……?」
ふりあおいでも、ライドの目線はメインモニタに釘付けのまま、アルミリアを振り返ろうとはしない。赤毛に隠された目許は見えず、表情は読めない。ただブリッジじゅうのスピーカーが音割れを起こして嘆き悲しんでいる。響いてくるトロウの慟哭から、心臓が止まりそうな焦燥が迫ってくるばかりだ。
おろおろと顔色をなくすアルミリアを、ようやくライドが省みた。しかし、どうにか「すいません」と詫びたひとみは焦点が定まっていない。
何かを振り切るように、首をふる。
ひとすじの涙が蒼白な頬を伝い落ちた。
「……あいつも男だ。多分、あんたには見られたくない」
ふるえる声をぐっと飲み込み、ライドはああと嘆息する。何かを振り払うようにふたたび、首を振った。
察しのいいアルミリアは立ち上がることを諦めて、両手を祈りの形に握った。でも祈ったところでもう遅い。罪悪感が涙をあふれさせ、青く大きなひとみに溜まった熱いしずくは、目を伏せただけでまつげに砕かれて頬を濡らす。
アルミリアのまなうらに蘇るのは、赤いMSの膝許で団子状になって眠っていた三人組の姿だ。警戒心が強く、不眠症がちだったエンビ。無事の帰還を喜び合った兄弟三人で、落ちるように眠ってしまった格納庫。あたたかな眠りから彼らを呼び覚ましてしまいたくなくて、踏み込めなかった領域だった。
彼なら任せても大丈夫だからと頼ってきた、これが結果だ。ただ諜報向きの外見であっただけなのに、たったひとりで地球へ月へ、危険な場所へと送り出す仕事を任せ続けた。
エンビ単独の作戦が当たり前になっていなければ、こんな悲劇は起きなかった。
ああ、どうして、どうしてひとりで行かせてしまったのだろう。
瓦礫になった家族の肖像は、なおも手ひどく砕かれていく。