第27話「占領」
ダーム等地上人の奇襲により、あっという間に占領されてしまったTK-18支部では、今彼らによる占領作業が進められていた。例えば、捕虜の整理や、基地内に残存して、なにやら怪しい動きをしている伏兵がいないか確認するため、人数の照らし合わせ、そして主要機能の引き継ぎなどだ。特に後者は極めて重要である。せっかく乗っ取れたのに、使い方がわからないのなら元も子もないわけで、当然ではあるのだが。
そんな中、本館1階奥、真っ暗なサイエンスチームの研究室で一人、密かに動いている人物の影があった。
「…奴らはまだ本館の玄関前にいるはず…。とはいえ、データが盗まれているのなら、この基地の抱えている職員の人数、館内の構造は全て把握されている。時間の猶予は少ないわね…。」
ぶつぶつと独り言を唱えながら、机の下を四つん這いに歩くこの人物は、サイエンスチーム内ではイクタの右腕であるエンドウだった。
「でも、仇となるのはその人数よ。たった二人なら、私という一人の職員が足りないことに気がつくのにかなりの時間がかかるはず。市街地に残っている隊員もカウントしなかればならないしね。充分に、間に合ってくれるわ。」
そのようなことを呟いているうちに、彼女はイクタのデスクにたどり着いた。素早くパソコンの電源を入れる。
「…電源が入らない。さっきの攻撃で、どこかの回線がやられた…?でも、予備があるわ。」
今度は、予備電源のスイッチを入れる。すると、ちゃんと起動してくれたことが確認できた。エンドウは慣れた手つきで、素早く作業を進めていく。
「チーフのパソコンは、非常時には基地内全ての科学に関するデータを1分で一つのファイルに圧縮し、本部に自動転送できるというマスターアクションが可能。そう易々と、奴らにデータを渡すわけにいくもんですか。」
エンターキーを力強く弾き、無事に本部への転送が完了したことを確かめたが、まだ安心はできない。この戦いで得た敵の情報を文章化し、それも本部へと送らなければ、この支部の負けは無意味なものとなってしまう。今動けるのは彼女だけなのだ。見つかれば殺されるかもしれないという大きなリスクを背負ってはいるが、同時に、今後への大きな望みも、彼女の背中に託されていた。素早いタイピングで、瞬間的に報告書を作り上げていく。
「…チーフならきっと、これを読んですぐに対策を練ってくれる。書けるだけ、細かい情報をー」
暗く音のない部屋の中、彼女は背から冷や汗を流しながらも、集中した面持ちで速く、そして確実に文章を書き上げていた。
「おい、あんまりチンタラもしてられねぇだろ。基地の中に、まだ何人か残ってるかもしれねぇし、壊滅させたわけでもないから、ネットの回線も残ってる。他の基地に通信されている可能性もあるし、まずは内部の確認に当たった方がいいんじゃねぇか?」
玄関前に並べられた隊員や職員の数を数えていたダームの脇で、キュリがそう言った。
「まぁ、それはそうですが、ローレン殿の予知を覚えておいでですか?どのみち、彼らは奪還にきます。おそらくおっしゃる通り、今この瞬間にも、残っている何名かが本部に我々の情報を吹き込んでいる可能性はある。エレメントや怪獣兵器など重要機密も、何らかの形で我々の手から遠ざけようとはしているでしょう。それを行わないほど、彼らはバカではない。」
「わかってるのなら、何でー」
「しかしながら、残っているのはむしろ好都合ですぞ。たとえ科学データが全て消えようとも、オリジナルデータは必ずどこかに保存されていることでしょう。全てを本部に移し替えでもしたら、今度は本部が危機状態に陥った時、逃げ場がなくなる。それに、データや情報の取り扱いという仕事を任される人物は、必ず重要なポストの人間です。故に、機密情報も持ち合わせていることでしょう。人質や尋問相手としてはこの上のない素材。焦る必要はないのです。」
ダームは冷静に、そのように分析しているようだった。流石に長生きしているだけのことはある。
「…さてと。あと41名足りませんが…。キュリ殿、死体の数は調べてくれましたかな?」
「あぁ。24体転がってた。間違いはないぜ。」
「うーむ、流石に戦闘上手な方々です。あれだけの数の怪獣が暴れたというのに、24名しか死者を出していない。全く、驚かされますのぉ。…つまり残るは17名。さて、その方々は何処へ?」
ダームは支部長に顔をグイッと近づけ、そう訊ねた。異人化している状態であるため、かなりの迫力がある。
「…市街地で活動している。」
「17名も?…まぁ、大きな街のようですし、それくらいの数で誘導するというのもわからなくはないですが。」
「市街地で活動しているのは、今日休暇を取っていた非番の隊員なのだ。非常時だから、一度に休暇を取らせる人数は減らさなければならない。だから、20名弱しかいなかった、ともとれる。」
支部長の隣に立っていた、司令官が代わりに答えた。
「なるほど、納得はできます。それに非番となれば、制服を着ていない者もいるでしょう。市民と共に避難しているとしたら、数えようがありませんね。仕方がない。その方達は一旦放置です。キュリ殿、私はここで怪獣を静かにさせておきますので、基地内をお願いします。異常がなさそうでしたら、そこの支部長さんを連れて、マスター権利の操作方や、パスコードなど必要なものを教えていただきましょう。」
「オッケー。んじゃ、行ってくるぜ。」
キュリはダームに従い、駆け足で建物内へと足を踏み入れにゆく。エンドウが発見されるのも時間の問題だろう。
「…彼女、大丈夫なのですかね…。」
ダームが自分たちの元から少し離れ、怪獣たちのところへ向かったのを確認し、情報局長が支部長に対し、小声でそう言った。
「イクタが信頼を置いている人物だ。それに、自らこの仕事を引き受けてくれたのだ、それなりの覚悟と慎重性は持ち合わせているだろう。…とはいえ心配ではあるな。」
投降する際、イクタや本部への情報伝達の役割を自ら買って出たのがエンドウだった。サイエンスチームの事や、基地内のコンピュータに関する知識などが豊富な彼女が引き受けてくれた事は大いに助かるのではあるが、支部長として、一職員に全てを押し付ける形になってしまったことに責任を感じているらしく、彼女の身を案じているようだった。
「奴が最後の望みとはいえ、仕事に熱中するあまり逃げ遅れては元も子もない。最低限の情報が伝わればいいのだ。欲張らず見切りをつけ、上手く切り抜け無事に逃げ延びて欲しいが…。」
司令官も、心配で仕方がないようだ。
「…そうだな。彼女を信じよう。」
何もできない彼らは、一人の科学者に全てを託さざるを得なかった。そして、その情報を受け取ったもう一人の科学者であり、最強の戦士、イクタとエレメントの一刻でも早い到着を祈るばかりだ。
本部基地に到着し、急いで本館の司令部へと向かうイクタたち。CH地区の基地だけでなく、TK-18支部までやられたというのだから、本部の職員たちは大慌ての様子だ。この短期間でふたつの基地が負けたという事実は、それほどまでに重くのしかかっていた。縦横無尽にせっせこと駆け回るスタッフたちの間をくぐり抜け、いつもは玄関から数十秒も歩けばたどり着く目的地に到達するのに、3分もかけてしまった。
「イクタだ!今戻った!」
司令室に入るなり、そう叫ぶイクタ。
「ご苦労。先の戦いでは見事な活躍だった。」
珍しく司令室にその身を構えていた本部長が出迎えた。彼が本部長室ではなく、IRIS軍事の頭脳部である本部司令室にいるということは、それだけ切羽詰まっている戦況であるとも言えよう。「どうも。それより、TK-18支部だ。近況報告は上がってるのか!?」
「焦るな。たった今、救援要請を受けた航空編隊が付近上空に到達。送られてきたのがこの画像だ。」
天井のモニターに、写真が映し出された。白い煙をもくもくとあげる本館と、その周囲には何十もの怪獣が写り込んでいる。拡大すると、建物の周辺に何名かの人間が整列されているのも確認できる。
「我々はこの画像から、TK-18支部は壊滅したのではなく、占領されたのだと判断した。」
「…だろうな。…だが何人かは戦死しただろう。俺の部下たちも無事ならいいんだが…。」
イイヅカたちの安否が気になるようだ。
「しかし、随分と早い到着だな。TK-18支部から援軍要請を受けてまだ1時間もかかってないだろう?最寄りの関連施設からでも、早くて2時間はかかるはずだが。」
「たまたま、近くをパトロール中の部隊があったからな。だが、これでは近づけない。怪獣の数が多すぎる。あの数を統制できる能力を持った地上人もいる事だろうし、TK-18支部の軍事能力も敵のものだ。迂闊に攻めては、被害はさらに拡大する。」
「…だが、放置していれば直に次に被害を受ける地区も出てくる。あの規模の支部でもあっという間にやられたんだ。ここだって、まんまと侵入されて情報が盗まれてる。もう地下に安全な支部なんてないぜ。最低でも、奴らを地下から追い出さなければ話は始まらない。」
イクタと本部長は、向かい合いながら揃って腕を組んだ。奪還計画を組もうにも、情報も戦力も不足している。中途半端な規模で挑んでも、本部長の危惧している事態を招くだけだ。
「厳しいな。せめてフレロビがいれば…。」
イクタはそう呟いた時だった。彼の背後に、突然、ふと人の気配を感じたのだ。
「呼んだかな?」
振り向くと、そこにはフレロビが立っていた。
「フレロビ!!お前、どこにいたのだ!一応謹慎の身分なんだぞ!」
本部長が怒鳴りつける。
「まぁまぁ、敵の能力で辺境に飛ばされたんだ。見逃してくださいよ。むしろ、迅速な状況把握能力と帰還能力を褒めて欲しいくらいです。」
「……まぁいい。帰ってきて早々に悪いが、次の任務だ。イクタとともに、TK-18支部を取り返しに行ってもらう。」
「ちょっと待ってくれ。俺とフレロビだけじゃ心許ない。今動かせる最大限の戦力を使うべきだ。地上人の弱点は人数が少なすぎる事。怪獣も人間もあの場所に固まっているのだから、どうせなら全力で叩くべきだ。欲を言えば、奴ら地上人の命もいただきたいしね。一人でも殺すことができれば、戦況は一気に揺らぐ。ここに全力を注ぐべきだ。」
イクタはそう主張した。
「…だが、その隙に本部が狙われても困る。敵には瞬間移動の能力もあるんだぞ。」
「もちろん最低限の防衛能力は残しておくべきだが、敵だってせっかく手に入れた地下拠点だ。簡単には逃げださないはず。…そして一つだけ、事前に許可をもらいたいことがある。」
「何かね?」
「必要と判断した時、俺とエレメントで支部ごと、奴らをぶっ飛ばすかもしれないってことだ。」
イクタの言葉に、司令室が一瞬静かになる。本部長はしばらく腕を組んだ後、ようやく口を開いた。
「必要と判断した場合に限り許そう。基地は再建できるが、奴らに殺された市民の命は還らんからな。それで奴らを葬り去れるというのなら、惜しむことはない。ただし、その場合は確実に仕留めろ。逃したら承知せんぞ。」
本部長は、意外にも許可を下した。この戦いに勝てれば、将来的に人類文明は地上に復帰できるかもしれないのだ。そのための足かせとなってくれるのならば、もう地下の施設は惜しくないのだろう。それに、彼の言う通り、これまでに地上によって奪われた命、そして放っておけばこれからも奪われるであろうそれは、蘇らせることなどできないのだから、地下人類の事実上のトップとしては、当然の判断とも取れる。
「了解。部隊の編成は慎重にしつつも、3日以内には終わらせたい。地下世界の未来をかけた戦いになるだろうし、俺も腕がなるぜ。」
パンっと右腕の拳と左の手のひらを合わせるイクタ。
その時だった。司令部のコンピュータに、TK-18支部からデータのようなものが転送されてきたのは。
「…!本部長!TK-18支部より何らかのデータを受信!書類のようなものです!」
「何…?もしかしたら情報を伝えようと動いてくれたのかもしれん、直ちに解凍し…」
「待て!敵から送られてきたものだと仮定したら!?開いた瞬間ウィルスに感染して、この司令部のコンピュータまで敵の手に落ちる可能性もある!迂闊に触るな!」
本部長の声を遮るほどの大声で、イクタが慌てて制止する。これ以上の漏洩は許されない。
「そ、そうだな。私としたことが…。」
「でも、本部長の言う通り味方からものだったら、解凍しないと彼らの努力が水の泡だ。迅速に判断する必要があるが、その材料がない…。」
『イクタ!君のコンピュータにも同タイミングで送信の痕跡があるようだぞ!』
エレメントがそう言った。イクタはエレメントミキサーを非常時の端末としても活用できるように、自身のコンピュータと一部機能を連動させていた。それにより、エレメントが送信を確認することができたのだ。
「…俺のコンピュータへ接続できるのはエンドウだけだ。信頼価値がある。」
「だが、そのエンドウって奴が敵に脅され、それに従い送信したのだとしたら?それだけでは信頼できないよ。」
今度はフレロビが口を挟んだ。疑うための根拠ならいくらでも湧いてくるのが悲しい現状である。
「それもそうだが…。それにしては早すぎる。基地占領が開始されてから、まだ間もない。敵が最初に行うのは捕虜の整理だ。データの宝の山である研究室の優先度は確かに高い方ではあるが、まだそこに手をつけれる段階ではないはず。それに、俺のコンピュータは操作が複雑だ。そんな面倒な手間をかけて、わざわざそこから本部に書類を飛ばしてくる可能性は低いはずだ。」
イクタはそう反論した。
「ふむ、説得力はあるけど、それでも敵の罠である可能性は0ではないんだろう?……でもまぁ、ここは信じるしかないっしょ。送信できたってことは、送信者は敵の手から逃れ、常に背後に気を使いながら必死の思いで届けてくれってことだ。敵も、人数が合わないことに今頃気づいているかもしれない。捜索に入ってるかもしれない。命の危険を顧みない、決死の覚悟を讃えよう。無論、これも僕の妄想での話だがね。」
「…もし罠だった時は、その時だ。お前ら二人で敵を叩けばいいだけのこと。そうだろう?」
本部長は、少し笑みを浮かべながらそう言った。
「もちろん。最も、僕だけでも十分だとは思いますが。」
「ほざけ。大口叩いておいて足引っ張ったらお前もぶっ飛ばすからな。」
「…確かに、エレメントの力は認めざるを得ないよ。だがそれはあくまで、『エレメントの力』の話だけどね。君も調子に乗りすぎないことだ。」
睨み合う二人。だがその睨みあいは以前のような緊迫感はなく、どこか冗談めいた雰囲気も感じ取れた。
「では、解凍を頼む。」
本部長がそう指示を下す。
「了解。」
コンピュータの前に座っていたスタッフが、慣れた手つきでファイルを開いて行く。圧縮されていたためわからなかったのだが、開いてみると膨大な量のデータが表示された。
「…これは非常用転送システムか。間違いない、味方からのものだ。」
イクタはそう断言した。エンドウがやってくれたのだ、と心の中でガッツポーズを決める。
「敵にデータを渡さないため、根本から転送するとは、やるね。」
「もちろん、マスターデータは別に、支部内に隠してはある。ま、敵がそれを見つける頃には、俺らの準備も完了しているさ。見ろ、あの書類を開いてくれ。」
大スクリーンにモニターとして映し出された別のファイルの中の、一つの書類を指差すイクタ。スタッフがそれに従い開封すると、文章化された先ほどの戦いのログが現れた。
「この戦いの記録まである。これで、敵の規模や戦術も把握できる。3日と言わない。これだけわかっていれば、24時間で作戦を整えることができる。」
「やはり、TK-18支部は優秀だ。あの状況下で、ここまで動けるスタッフがいるとはな。全く脱帽ものだ。」
本部長は鼻を鳴らして感心している様子だ。
「さて、私とパットン司令、そしてここにいる皆で緊急作戦の立案会議を開く!何度も言うが、これは我々の未来をかけた戦いになる。IRIS60年の歴史の中で培った全ての力を注ぎ込む!全ては地下世界の平和のために!そして地上に返り咲くために!必ず勝つ!死ぬ気で取り組め!」
本部長が大声でハッパをかけた。
「おお!!」
その場にいた全員が、それに応えて叫んだ。かつてない盛り上がりっぷりだ。落ち込んでいた戦意を回復させるだけでなく、過去最高の水準までに引き上げるのだから、この男は非常に優れた長といえよう。
「熱くなってきたじゃねーか。待ってろよみんな、必ず救い出す!」
「いいねえ、こういうの。眠ってた甲斐があるってもんだ。」
二大戦力も、それぞれに闘志を燃やしていた。史上最大規模の戦闘の火蓋が切って落とされようとしている。
TK-18支部本館内を、念入りに探索して行く一つの影。そう、キュリである。内部構造の間取り図は既に彼女の手の中にある。彼女は真っ先に非常電源装置の場所に向かい、基地内のあらゆる機能を復旧させた。フクハラ支部長が投降する際に電源を落としていたため、真っ暗闇だった館内も、いつもの明るさを取り戻した。これで、捜索も捗る。
「さて、コソコソとしているネズミを捕まえなきゃな。」
迅速かつ丁寧に、あらゆる箇所に目を凝らしながら進んで行く。どこからも、人の気配は感じ取れない。
「…やはり、この研究室ってところが一番怪しいな。爺さんが言ってた、重要なポストの人間ってのも、そこに隠れて作業をしているかもしれない。そいつをひっとらえてローレンの前に突き出せば、私も褒められるだろうなぁ。」
ニタニタと不気味ににやけながら、歩みを進めて行く。間も無く研究室へとたどり着くと、電源が復旧したため自動ドアも稼働しており、そのままあっさりと室内に侵入することができた。照明のスイッチを入れ、部屋を照らし出す。
「……いねぇな。」
机の下、天井、大装置の裏側。様々な死角に顔を突っ込むが、それらしき人物の姿は見当たらない。
「爺さんの思い過ごしか?全員、外に出たってことかな。」
警戒しながらも、奥へ奥へと確実に侵入して行く。死角がある都度、そこを確認していくが、やはり見当たらない。ここにはいないのだろうか。
「でもなぁ。大事な科学データなんだろ?こんな無用心に置き去りにするかねぇ…。私だったら、そうはしないけどな…。」
その時だった。彼女の背後で、コトッという小さな音がした。咄嗟に振り向き、身構える。
「誰かそこにいるのか!?」
呼びかけるが、返答はない。何かがデスクから落ちたのだろうか。それとも、人かー?
恐る恐る、音のした方へと引き返していく。万が一だが、自身を討つために、敢えて待ち伏せをしていたという線もある。それが頭をよぎり、彼女にも緊張が走る。
「……。」
しばらくの間、音という音がない、無音の時間が訪れ、その場を支配した。心臓の鼓動の音が数百メートル先にですら聞こえるのではないか、そう思うほどの静寂だ。その緊張感に耐えきれなかったのか、彼女は思い切り、その場にあったデスクを蹴り上げた。
「うらぁ!」
デスクは設置してあったパソコンを宙に放り投げながら、ドクンっと僅かに浮き上がった。
「いってー…。」
つま先の当たりどころが悪かったのか、一人で悶絶するキュリ。その痛みも虚しく、その後も反応はなかった。何かの聞き間違いか、本当に物が落ちただけだったようだ。
「…ちょっと神経質になりすぎたかな…。」
そう思いながらも、次は先ほどとは異なる異変を感じた。密室で空調も動いておらず、少し息苦しかったこの部屋に、わずかに風を感じたのだ。
「…まさか…!」
彼女は慌てて、風のきた方向へとダッシュする。そこには、非常口があり、ついさっきに、開閉されたのであろう痕跡が残っていた。わずかではあるが、隙間が生まれていたのだ。
「…まだ近いはずだ!」
バンッとドアを開け放ち、周囲を見渡す。だが、人の影はない。完全にやられた。逃げられたようだ。
「くっそー!またしくじった!!」
キーッとその場で地団駄を踏み続ける。何度かそうした後、諦めたのか部屋の中へと戻っていった。そしてその様子を、影からのぞき見る一人の人間がいた。
「…ひとまずは助かったわ…。単純思考回路タイプの子でよかった…。」
そうほっと胸をなでおろしたのはエンドウであった。
「まぁ、ここに来るだろうとは思ってたわ。でも簡単には逃げられない。だから、少し頭を使ったのよ。」
彼女が作業を終えたタイミングで、基地内のあらゆる機能が復旧したのを、メインコンピュータの稼働で気がつくことができたようだ。時間がないと判断した彼女は、近くにあった、職員用の灰皿を、室内奥付近のデスク直下に配置されていた、非常口近くにまで伸びている細いコードの上に設置。キュリがそのエリアに足を踏み入れ、数秒経った後に、非常口周辺に身を隠していたエンドウがそのコード引っ張り、灰皿を動かした。その物音に気を取られている間に…と計画していたのだが、好都合なことに、キュリ自らさらに大きな物音を立ててくれた。突然のことに心臓が飛び出るほど驚きはしたものの、おかげさまで扉を開く音を誤魔化すこともできた。あとは慌てず、出口付近の物陰に隠れ、やり過ごすだけである。
「運が良かっただけ、かもしれないわね。あの爺さんの方が来ていたら、逃げられなかったかもしれない。我ながら、危険な賭けだったわ…。」
エンドウはとりあえず、オニヤマ等リーガライザーが勤めているKG-4エリアの施設を目指すことにした。まだ奴らの目が行き届いていない今の内に、何か動ける乗り物を見つけ出さなければならない。姿勢を低くしながら、基地の裏側へと小走りに進んで行く。無事に振り切ることができればいいのだがー
「なんですと?逃げられた、と。」
館内の捜索を終え、戻って来たキュリの言葉に少し目を丸くする表情を見せたダーム。
「すまん……。」
「…まぁ、逃げられたものはしょうがない。相手はこの地区の地理にも詳しいでしょう。上手いこと隠れながら、今でも逃走しているに違いない。となると発見は困難。そちらに労力を向けるのは無駄でしょう。今やれることはしなければ。」
ダームはすぐに切り替えると、整列された捕虜となった隊員やスタッフたちに、大きな声で呼びかけた。
「みなさん。お待たせいたしました。こちらの作業が終わりましたので、今から指示に従って動いてもらいます。」
そう言うと、まずは支部長や司令官、局長を中へと入れてゆく。彼らの力なしでは、この基地の能力を最大限に使うことはできないからだ。
「キュリ殿、ここにいる隊員たちを、ローレン殿の元へ連れていってください。」
「あいよ。」
ダームが首脳陣と共に館内へ消えていったあと、キュリは残っていた人数を見渡しながら腕を組んだ。
「…いやぁ、多いわ。この人数を同時に動かしたら、私も疲れるしな…。どうしよっかなー。」
しばらく考え込んだあと、何かを思いついたのか、彼女はパチンと指を鳴らした。それを合図に、止まっていた怪獣のうちの一体が、咆哮をあげた。
『グオォォォォォォォ!!』
「爺さんが異人化を解いてるってことは、こいつらももうアクティブってことだしな。私の合図一つでも、動いてくれるわ。」
『ガァァァァァァ!!』
『ゴォォォォォォ!!』
一体が目覚めたのを引き金に、次第に怒号の輪が広がって行く。そしてついに、ほぼ全ての怪獣が目を覚ました。
「んじゃ、この中を生き残った奴だけ連れて行くとするかな。」
キュリは不敵に笑った。
「ちょっとイライラしてるし、ストレス解消のためのいい余興になってくれることを期待するよ。健闘を祈るぜ。」
「う、うわぁぁぁ!!」
突然ことにパニックに陥る隊員たち。武装解除はしていないため、戦おうと思えば戦えなくはないのだが、彼らの戦意はとっくに失われている。顔を真っ青に染め、その場に崩れ落ちる者もいた。
「卑怯な…。」
キッとキュリを睨みつけるのは、イクタ隊所属のイイヅカ隊員だ。
「どうする…これは流石に…。」
ホソカワ隊員が、怪獣の顔を見上げたまま、ジリジリと後ずさりしながらそう訊ねる。
「…俺たちはあのイクタ隊長の部下なんだ。部下である俺たちが、簡単にくたばってしまったら隊長の顔に泥を塗ることになるぞ。逃げ延びるしかない…!」
キョウヤマの言葉に、一同が頷いた。
「けどどうするの?そんな易々と逃げさせてくれるわけないじゃない。」
アヤべの疑問は最もだった。この数の怪獣が再び暴れ出すのだ。生存者だけを連れて行くと言ってはいたが、このままでは間違いなく全滅する。
「…俺に考えがある。従って欲しい。」
このメンツの中では最も頭の切れるサクライがそう呟いた。
「…わかった。お前の判断を信じてやるぜ。」
「ありがとう。作戦はこうだ…。」
サクライが、小隊のメンバーに小さな円陣を組ませ、小声で耳打ちする。
「……本当にそれがお前の考えた最良の案か?」
ホソカワが険しい表情でそう訊ねる。他の隊員たちも、驚愕の顔を浮かべていた。
「あぁ。これ以上のものはないはずだ。覚悟を決めて欲しい。ここで全員死ぬのか、一部でも生き延びるのか。それが、戦争ってもんだろ。」
そう言うサクライこそ、立案者にも関わらず、まだ腹を括れていない様子だった。申し訳なさそうな顔で、周囲の小隊外の隊員たちを見つめている。
「…考えている暇はないぞ。やるしかない。来い!」
先導を切ったのはイイヅカだった。
「…くそっ!もうどうにでもなれ!」
覚悟は決まっていないようだが、もう半ばやけくその状態で、彼らは走り出した。怪獣をアイリスリボルバーで牽制しつつ、攻撃をかわしながら進んで行く。
「ほう。まだ元気なやつがいるじゃないか。」
キュリは楽しそうにそう言った。彼らが戦うために動き出したため、それに刺激され怪獣の動きも活発になる。闇雲に光線やエネルギー弾を吐き出す暴れん坊もおり、それら攻撃が動けない隊員の近くにも着弾してゆく。
「走ってください!」
戦闘不能の先輩隊員たちを、そう鼓舞して行くイクタ隊。だが、彼らに動き出す気配はない。
「イイヅカ!もうこの人たちは動けないんだ!」
サクライがそう叫ぶ。先輩とはいえ、立つこともできない隊員に構って巻き添えを食らうわけにもいかないのだ。怪獣たちも、ちょこまかと走り回る隊員を狙うよりは、静止している的を狙う方が楽だと判断したのか、次第にイイヅカたちを無視してそちらへと向かい始めた。
「…サクライ!これでいいのか!?本当に!?」
ホソカワは以前疑問を抱いている様子だった。
「いいんだ!いいから走れ!」
彼らを残して全滅するまでには、そう時間はかからなかった。ものの数分で、生存者は彼ら5人だけとなってしまったのだ。
「おい地上人!5人なら少ない方だろう!これでも、まだ減らすか!?」
サクライがキュリ目掛けてそう叫んだ。
「…こいつは驚いたぜ。」
キャハハ、と笑いながら、彼女はそう言った。
「賢いな、お前ら。自分たちが捕虜となり生き残るため、怪獣たちを誘導するとは。…いいだろう。威勢のいい方が、ショボーンとしているやつよりは捕虜としての価値もある。お前らを連れてってやる。」
キュリは瞬間的に、自分と隊員たちを空間移動させ、本館内の一室へと連れ出した。
「…地上に行くんじゃないのか?」
イイヅカが、警戒心を強め、身構えながらそう言った。
「無茶言うな。私も今日は疲れてるんだ。連れてくなら休んでからだよ。あーそれと、だからと言って変な気を起こすなよ?今度はもう、囮に使える駒はいないんだからよ。」
外に目を向けると、獲物を見失った怪獣たちは次第におとなしくなり、まるで遊び相手を探し回っているかのように、視線を地へと向けたまま、のっしりと歩き始めていた。
「なんということを…。」
その様子の一部始終を司令室から眺めていた支部長が嘆きの声をあげた。
「貴様ぁ…!約束が違う!」
司令官は顔を真っ赤にして、ダームの胸ぐらを掴み上げた。
「まぁまぁ。確かに私は命の保証を致しましたが、彼女は別です。」
「そんな屁理屈が通用するとでも思っているのかぁ!これ以上私たちの部下をー」
「通用、しますよ!」
怒鳴り上げる司令官を突き放し、珍しく声のボリュームをあげるダーム。
「いいですか、再確認しましょう。あなたたちは負けた。私たちが勝った。地球文明史上、勝者が絶対正義なんですよ。まぁ、抵抗するのは許しましょう。あなた方敗者にもそのくらいの権利はある。ただし、それならば私たちもまた、本気で鎮圧する。どちらがお互いにとって得なのか、冷静に考えてくださいよ。」
「司令……気持ちはわかるが耐えてくれ。もうわずかな数にはなってしまったが、捕虜に取られている隊員を人質として扱うことだって、相手には可能なのだ。」
支部長も怒りや屈辱といった感情を押し殺した様子で、いつもの冷静を装い、司令をそう宥めた。彼もまた悔しさに震えているのだということを感じ取った司令官は、すぐにおとなしくすることにした。
「…わかり…ました…。」
「さて、と。ご協力願いたい。軍事機能の使用方法が、イマイチわからないのでね。しかし進んだ科学ですなぁ。私のようなジジイには、複雑で良くわかりませぬ。」
ダームはおどけた顔でそう言った。わざと、こちらの心情を煽るためにやっているのであろうか。このままでは、感情的になりやすい司令官がまたいつ暴走するかわからない。それに、用が済んだら殺されてもおかしくはないのだ。いや、これだけのポストの人間なのだから、人質としての利用価値も高いかな。どちらにせよ、行き着く先は暗い未来だ。支部長はここまでイメージした後、考えるのをやめた。
それから26時間が経過していた。本部司令部では、作戦の立案こそ迅速な会議対応により大詰めを迎えていたものの、肝心の戦力がまだ整っていなかった。ここにきて、整備不良の機体が2機も出てきたのだ。
「…困ったな。こういうこともたまにはあるのだが…タイミングが悪すぎる。」
本部長も腕を組んで唸ることしかできない。
「…たった2機です。先に、他の部隊を向かわせれば良いのでは?エレメントにフレロビがいるのならば、さほど大した問題では…。」
役員の一人がそう発言した。
「いや、大した問題になる。確かに怪獣の掃討は俺たちの仕事だが、館内に強行突入するケースもあるし、その際の歩兵戦力もできる限り輸送したい。一般の戦闘機にも、機体のパフォーマンスが低下しない範囲で載せれるだけの人員を搭載したいからな。」
イクタが反論する。確かに輸送機代わりに使うというのならば、2機でも結構な差になる。
「彼の言う通りだ。まずは周囲の怪獣を二人で相手してもらう。数を減らし、怪獣戦力がこちらに向かなくなったのを確認し、航空部隊で基地を空襲。自動砲台を備えてるとはいえ、何機かは奴らが自ら破壊しているはずだ。最高火力は発揮できないだろう。」
「エレメントたちが戦っている間はどうするのです?上空待機はきついでしょう。待っている間に撃墜されるのも困るし、搭載している人員も地上に下ろさなければ、最小限にとどめるといえど、本来定員オーバーなんです。僅かな機動力の低下が致命傷にだってなりうる。」
その意見はもっともだった。
「しかし、ならばどうすればいい。TK-18支部の近くに、何か拠点でもあるのか?あるのなら、確かにもっと手際のいい作戦が組めるがー」
本部長がそう言いかけた時だった。
「…いや、ある。あるではないか。イクタ、KG-4地区の施設に滑走路はあったかな。」
「…あぁ!あるぜ。IRISの施設間は距離が離れていることが多いからな。メインの移動手段は自ずと航空機になる。だから、関連施設は規模の大小に差こそあれど、滑走路はある!」
「…よし!では決まりだ。航空部隊は私からの出動命令があるまではそこで待機。その間に、陸上部隊はトラックなどに乗り込み、陸からTK-18エリアを目指せ。市民は避難しきっているから、道はガラ空きだ。全速で飛ばせ。……一旦着陸する場所があるのならば、動けない2機に載せるはずだった戦力を他の機体に分散しても大丈夫だろう。空襲作戦に参加する航空機が減ることになるが、それでもなんとかなるかね?」
「それなら、俺らからの援護で補える。ギリギリにはなるだろうが、なんとかなる。」
「うむ。では総員、直ちに出発せよ!」
本部長の命令により、隊員たちが一斉に立ち上がった。作戦参加隊員数は400人を超え、導入される最新鋭の戦闘機、アイリスバードマーク2は28機と、かつてない規模の大部隊となっている。これだけの数をたった24時間と少しで集められるのだから、本部の軍事力は侮れない。
「正直僕にすら勝てない奴が、あれだけの怪獣に勝てるとは思えんが、まあ僕もいることだし、心配するな。」
司令室の外へと並んで走るフレロビとイクタ。フレロビは茶化すようにそう言ったが、この状況下だ。イクタにも、いちいち過剰に反応している余裕はなかった。
「あぁそうか。お前も心配しなくていーぜ。余計なお世話だ。」
「だといいけどな。」
そのような会話をしているうちに、航空機の格納庫へとたどり着いていた。二人はそれぞれに、既にエンジンが温まっている機体に乗り込むと、すぐに発進準備を整える。
「じゃ、イクタ発進!」
「同じくフレロビ、発進。」
彼らの乗るアイリスバードマーク2がほぼ同時に基地を飛び立つ。それぞれは毎秒ごとにグングンと加速し、あっという間に最高速度に到達した。その後ろから、次々に他の隊員の乗る機体たちが追うように飛び出してきている。イクタ、フレロビの二人は直接基地へ。その他はKGエリアの臨時拠点へと、作戦遂行の為、各々の目的地へと一直線に向かうのだ。
数時間後、イクタフレロビの両名は目的地周辺の上空へと侵入した。そこで速度を落とし、自動運転に切り替えると、イクタは腰に据えられていたエレメントミキサーを左腕に装着し、エレメントと息を合わせる。
「行くぞ。」
『うむ。』
「ケミスト!エレメントーーー!!」
『シェア!!』
真白き光がイクタを、アイリスバード諸共まるで繭のように包み込み、次第に上へ上へと膨張し始めた。光の塊の成長はしばらくした後止まったが、その中には先ほどとは違い、巨大な人影が確認できる。そしてその人影は思い切り、光を振り払った。粒子となり、キラキラと輝きながら飛散する繭の欠片の中から姿を現したのは、きらめく赤と銀の二色が織り混ざった、光の巨人、ウルトラマンエレメントだった。ゆっくりと、前かがみで着地する際にエレメントの舞い上げた砂塵や瓦礫は、無人となり自動運行をしている機体付近にまで到達していた。自身にも降り注ぐ埃を気にもせず、エレメントは顔を上げ、怪獣たちを睨み付けながら、戦闘態勢の構えを取る。
『ジャッ!』
『ハァァァァァ!!』
その左隣で、異人化しつつ巨大化を果たしたフレロビ。二人の巨大生物が肩を並べるこの光景の前には、如何なる存在ですらも無力になってしまいそうな、それほどまでの威圧感を覚える。
2体は怪獣たちが蠢くその戦場に、大きな土埃を舞い上げながら、着地する。衝撃を和らげるために、深く腰を落としながらも、その両腕はすでに戦闘態勢へいつでも入れる、という角度に曲げられていた。
「…きましたね。」
ニヤッと不敵な笑みを浮かべるのはダーム。まるで、この時を待っていた、とでも言わんばかりの表情だ。
『…ジェア!!』
エレメント、異人態フレロビの両名は、すぐに怪獣軍団めがけて駆け出した。地下史上最大規模になることが予想される決戦の火蓋は、こうして切り落とされたのだ。
続く