ゆっくりと、まぶたを開けるレイラ。
「…………は?」
気づけば木漏れ日が差す森の中にいた。体が水に浸かっている感触に驚き、ゆっくりと寝そべった体勢のまま視線を下に向ける。かなり大きな泉に浸かる自分の体が見て取れた。不思議と冷たさはなく、それどころか安らかに眠れそうなほどに心地が良い。
——ああ、気持ちいいな。
不意に、レイラの頭が乗っていた場所の近くで、誰かが身じろぎする音が聞こえた。そして木漏れ日を遮って、何者かがレイラの顔を覗き込んだ。
「ん、起きたか」
「……アルフレッド?」
最後に会った時よりも伸びた銀髪に、綺麗な翡翠の瞳。アルフレッドがそこにいた。そして彼は、とても穏やかに笑いかけた。
「心配したぞ、レイ」
泉に浸かっていた重たい体を起こして、ゆっくりと辺りを見回す。背中を支えてくれるアルフレッドにお礼を言いながら、レイラはぐるりと辺りを見る。自身の浸かる泉は驚くほどに透き通っていて、浮かぶ葉っぱがまるで宙に浮いているようだ。泉の周りは一面が木々に覆われていて、人工物を見かけることができない。
「ここはどこだ?」
アルフレッドは少し気まずそうに頬を掻くと、短く息を吐いた。
「ティル・ナ・ノーグ、妖精たちの楽園だ」
アルフレッドが手を差し出し、水に浸かるレイラを立たせてタオルを手渡す。レイラはタオルを受け取って髪を拭き、着ていたワンピースは拭いてもどうにもならないと放置したが、問題はすぐに解決した。
木々の隙間を縫うようにして飛んできた妖精たちがレイラの周りを飛び回り、その中の赤い髪の妖精がワンピースに触れるとフワリと暖かい風が吹き、水気を飛ばしてくれた。「ありがとう」とお礼を述べれば、妖精は嬉しそうにクルクルと飛び回った。
ゆっくりと森の奥へと歩いていくアルフレッドを追いかけるレイラは、歩いていくにつれ、そこが不思議な地であることに気づいていく。見るからに巨大な樹木が至る所に根を生やし、苔が生えている。自分の寿命では遥かに足りない年月を経ているであろうことが理解できる。その他、見たことのない植物が多い中、りんごの木が多く見られる場所も歩いた。そして、それらの植物の周りには数多くの妖精が飛び、こちらを見て手を振ったり、興味深そうに見てきたりしていた。
「そだ、助かったよ」
「何かあれば連絡しろと言ったのは俺だ、気にするな」
どこかムスっとした様子のアルフレッドの顔を、腰を屈めて覗き込んで笑うレイラ。そんな二人の耳に、女性の声が進む先から聞こえてきた。
「あなた? どこへ行ったの、そろそろ枝の……あら?」
現れたのは、腰まで伸びた艶のある髪を揺らし、妖艶に微笑む絶世の美女だった。
女性はレイラに近づき、ぺたぺたと体のあちこちを触る。
「目が覚めたのね。……うん、うん。後遺症も残ってないみたいだし、連れてきてもらって良かったわ」
「……え?」
そこでレイラは、自分の体に残ったままだった痛みが消えていることに気がついた。それどころか、絶好調と言っても良い状態だった。
「女王、あの人はどこへ?」
女王。そう呼ばれた女性は、深くため息をついた。
「見つからないわ。またどこかへ散歩でもしに行ったのでしょうけど、困ったものね」
「女王?」
「ああ、この人はティル・ノ・ナーグの女王。妖精王オーベロンの妻、ティターニアだ」
一瞬、アルフレッドがなんと言ったのか理解することができなかった。その驚きを察したのか、妖精の女王は愉快げに笑う。
「ふふ、人の子の驚いた顔はいつみてもかわいいわね」
ティターニアがレイラにホグワーツでの生活を聞いて、それに答えていく。そうやって話していると、いくつもの大きな木にたくさんの穴が空いている場所に出た。アルフレッドに聞けば、空いた穴は窓で、ここでは木を家にしているのだという。集落のさらに奥には、開けた場所があり、多くの巨木の根が盛り上がり、あたりを円形に囲んでいる。
ティターニアはそのうちの一つの根に腰掛け、レイラとアルフレッドは立ったまま女王と視線を交わした。
「死の呪文をその身で受けて、あの程度で済んで良かったわね」
「死の呪文?」
聞き慣れない呪文に、レイラは首をかしげる。
「魔法使いたちは許されざる呪文と言って忌避するものよ。生き物に当てれば即死させるものだけど……」
「即死……?」
——あの緑の閃光が死の呪文だったのなら、やはりペンダントが守ってくれたのか。
レイラは首にかけていたペンダントを摘まみ上げる。
「あぁ、それね。あなたを浸からせた泉に百年置き、陽と月の光を吸収した特殊な石よ」
「百年? あの、とても大事なものだったのでは」
するとティターニアはコロコロと笑った。まったく、なんでもないというように。
「気にすることないわ、たかが百年だもの。……まあ、ただの人には長い時間かもしれないわね」
「そうそう、僕たち妖精の中でも力の強い者たちは数千年を生きる。だから、百年なんてあっという間さ」
「うん?」
「あ」
この場の三人のものではない声が、レイラの後ろから聞こえて来た。白いトガを纏った、美しい容姿の男性。近寄りがたさはなく、浮かべた笑みは親しみを感じさせる。男性はズイ、とレイラに顔を近づける。
「嗚呼、その瞳の美しきはあらゆる至宝に勝る。真なるは色ではなく、その奥にこそ、か。ティル・ノ・ナーグへようこそ、枝の子」
「ええと?」
男性はわざとらしく驚いたように目を丸くさせ、優雅にお辞儀をした。
「おおっと、自己紹介がまだだったね。オーベロンだよ、レイラ・ポッター。君のことはよく聞いてる。うちの子と仲良くやってくれてるらしいじゃないか」
「うちの子……? もしかしてアルフレッドの、いや……でもそれは」
「ああ、それはねぇ」
「……王」
アルフレッドが重いため息を吐いた。ムスッとして、頭を掻く。
——『うちの子』というのは何かの比喩? それとも本当に妖精王たちの子なのか。
王と女王は愉快そうに笑っていて、明らかにこの状態を楽しんでいた。
「失礼します」
アルフレッドは無愛想にそう言うと、レイラの腕を掴んで広間の外へと歩き出す。ズンズンと不機嫌さを出しながら歩いて行くアルフレッドに腕を掴まれたまま、レイラは彼の隣に並んで早足で歩く。いつもより早い歩く速度は、今まで彼が自分の歩幅に合わせてくれていたのだと理解して、レイラは口元を緩めた。そのことにも気づかずに、アルフレッドは歩き続け、二つの巨木が隣り合う場所で手を離した。そしてドカリと木の根に座り、それならってレイラは隣の木の根の間に腰を下ろす。
そのまま、二人は黙りこくっていた。木々の間を風が通り、髪を揺らす。陽はすでに傾いており、妖精たちがどこかへと飛んで行く。そうしてしばらくした後、アルフレッドがゆっくりと口を開いて、閉じる。なんと言えばいいのか、と悩んでいるように見える。やがて、決心がついたのか、ポツリと零した。
「昔、『例のあの人』が勢力を拡大させていた時に、死喰い人という集団がいた」
アルフレッドは手を組み、ゆっくりと、言い聞かせるように語る。
「『あの人』の純血以外を排除するという思想に賛同し、闇の魔術に精通した奴らだ。当時、大勢の魔法使いが殺された」
——ああ。
レイラは聡く、その話の結末がおぼろげながら見えてきた。なにより、アルフレッドの悲痛そうな顔がそれを物語っているように思えた。
「トラバースという男がある夜、マーリン・マッキノン一家を皆殺しにした。一家と言っても、母親と子どもだけの家庭だったがな」
「なに?」
——親だけを殺された子が生きていて、それがアルフレッドというわけではなかった。早合点しすぎたな。
アルフレッドは視線を手に落とした。そこに映るのは、怒りと、罪悪感だ。
「だが、マーリンの子供は生きている。この妖精の国で」
「でも君、さっき殺されたって」
レイラの問いに、アルフレッドは重く頷いた。
「『妖精の取り替え子』という風習がある。妖精が自分の赤子を、人間の赤子とすり替えるものだ。マーリン一家が殺される直前に、子供が取り替えられていた」
アルフレッドは立ち上がって、陽の光に目を伏せる。その顔は影になり、表情を見ることができない。
「本来死ぬはずだった子が生き、生きていた妖精が死んだ。そういう運命だったと言われればそれまでだが、俺にはそう思えない」
レイラは思わず立ち上がり、アルフレッドは顔だけを動かしてレイラを見た。
「こうして生き残ったのが、俺なんだよ。何をするでもなく、ズルズルと生きてきた。最近は、生きてない方が良かったのではと思うようになった。誰かが掴むはずだった幸せを奪ってまで……な」
またすぐに顔を正面に戻したアルフレッドの肩に手を、膝裏を足を置き、力強く地面に引き倒した。
「ッ!! ……なに、をっ」
そうして引き倒したアルフレッドの腹に、レイラは勢いをつけて腰を下ろした。衝撃にゴホゴホと咳き込むアルフレッドの頬に、そっと手を添える。赤い目が、翡翠の目を射抜く。その状態を知っていたアルフレッドは、レイラが怒っていることを理解した。何に対してかは、分かっていないが。
「君、バカだろ」
「……は?」
突然にバカと言われて、アルフレッドはうまく言葉が返せなかった。そこに畳み掛けるように、レイラが言葉を乗せていく。
「君の話は『もしも』だろう? そんなたらればの話をしたってどうにもならないじゃないか…………それに」
レイラはアルフレッドの腹から退き、地面に手を付く形でその顔を覗き込んだ。
「君が生きていなければ、わたしは死んで、ここにいなかった。君がわたしを救ったんだ。だから、君が死んでいた方が良かったなんてことは、絶対にない」
「それでも……」
反論しようとしたアルフレッドの口に、白い指が押し当てられる。
「思いたいなら思えばいい。でも、いつか君が生きていて良かったと思ってくれることを、わたしが願うくらいはいいだろう? だって、君はわたしの——」
「——そろそろ夕食よ、そこまでになさい」
突如背後から聞こえた声に、バッと音を立てるほどの勢いで二人はそこへ視線を向けた。巨木の後ろには、いつからそこにいたのかティターニアが立っていた。
二人はゆっくりと顔を見合わせて、それからどちらともなく笑った。その様を見て、ティターニアは嬉しげだ。
「ところで、どうして押し倒してるのかしら?」
「……あー、ちょっとムカついて」
「…………」
「うふふ」
地面に伏して木々の隙間から空を見上げるアルフレッドに、レイラは手を差し出す。その手を取ってゆっくりと起き上がった顔は、どうしたらいいのかわからないような表現になっていた。
「君は、わたしの前からいなくなるなよ」
勝手に死ぬなと、釘を刺す。
アルフレッドは力無く笑った。
「ああ、そうだな」
用意されていた料理は、料理の得意な妖精が腕によりをかけて作ってくれたのだとか。その味は未体験で、しかしとても美味しいものだった。肉類は出せないそうだが、普段からあまり食べないレイラにはちょうどよかった。一段高い場所に座る王たちは静かに食事を取っていたが、そのほかの妖精達は自由にしていた。
妖精と聞くと、普段見る小さな子たちしかいないと思っていたレイラだが、人間くらいの大きさの者も当たり前のようにいた。人目のある場所に主だって行くのは小さい子たちだけで、それ以外、話したりできる妖精たちは基本的に引きこもっているのだとか。その徹底振りたるや、魔法界の書物にも記されていない程だとか。
「ところでアルフレッド」
「どうした」
レイラは少し歯切れ悪く、ええと、その。と繰り返した後、ちょいちょいと自分の耳を指で指した。アルフレッドはその仕草にハッとした。
「あー、これか」
アルフレッドも自分の耳に触れて、次いで王と女王を見た。
「ここに人間が長くいるとな、次第に体が変わっていくんだよ」
「それって……」
「劇的に変わるわけじゃない……妖精に近づくと言うのが一番だな。寿命なんかが顕著で、人の数倍は生きることもあるらしいが……おい?」
「へー、すごいな」
ペタペタと、身を乗り出してアルフレッドの耳に触れる。アルフレッド自身、この話をすれば人に気味悪がられると思って打ち明けたことなどない。いざ話をして、レイラがどのような反応を見せるのかは分からない。しかし彼女があからさまな拒絶をすることはないと信じてもいたが、この反応は予想外であった。
レイラからしてみれば、アルフレッドが何であるかなど大した問題ではない。むしろ友人の耳が尖っていて興味深いという感情の方が強かっただけだ。
「まさか、わたしが気にするとでも? あはは、君は気にしすぎだな」
「……かなわないな」
そっぽを向いて飲んだ豆のスープは、塩の味がした。
妖精に関しての知識がある方からすると違和感があるかもしれませんが、あまり設定を凝らないように緩く書きました。
アルフレッドの出自はもうすぐ引っ張りたいなーって思ってましたが、勝手に……笑
そして割とすらすら教えてくれるアルフレッド。
キャラの葛藤が足りなかったかもしれません。今後の課題です。