レイラはプリベット通りを走り去っていくナイト・バスの後姿を眺めながら、深いため息を吐いた。
「……置いていかれた」
杖腕を上げれば来てくれることは分かっているが、レイラはすぐにはそうしなかった。
(まあ、先に行くように仕向けたのはわたしだけども)
じっと動かず、すぐ近くの公園の一角を見つめた。茂みの隙間に、何かがいた。黒く、大きい生き物が、じっとこちらを見つめている。暗がりに浮かぶ黄色い二つの目玉。やがて、ゆっくりとそれは暗がりから出てきた。
その姿を見て、レイラは張っていた緊張を解いた。出てきたソレは、黒い毛並みの犬だった。通常よりは少し大きく、どことなく狼にも見えそうな顔つきだった。
「ん、おいで」
レイラはしゃがんで、犬を手招きした。野生の犬は危険だと分かっているが、目の前の犬は大丈夫だと直感が告げていた。黒犬は招かれるままに、足早にレイラの下に駆けてきた。
顎を撫でてやれば、嬉しそうに尻尾を大きく振る黒犬。首を触ってみるが、首輪はつけられておらず、やはり野良犬なのだろうかとも思うが、その瞳はどこか理知的だった。
満足に餌を食べていないのだろうか、黒犬の体はいささかやせ細っていた。
「よーしよし、はは、大きい割には人懐こくておとなしいな」
「何をやっているんだ、レイ」
突然背後からかけられた声に、レイラはびくりと肩を撥ねさせた。
印象深い声は聴き間違えるはずも無く、慣れ親しんだ人物の物だとすぐに判断できた。ゆっくりと振り返っていれば、レイラと同じようにトランクを引きながらこちらに歩んでくる人が見えた。空が暗くなってもよく判る銀髪を揺らしながら現れたのは、アルフレッドだ。
「濡れてるじゃないか、いくら夏だからといって、そのままでは風邪をひく」
「驚いたな、どうしてこっちに来たんだい?」
気にしていないと言わんばかりに振る舞うレイラにため息を吐きながら、アルフレッドはタオルを取り出してレイラの髪を拭いた。
「そだ、このカーディガン新品なんだ。変じゃないか?」
おずおずと訊ねたレイラの顔から視線を下へ向けるアルフレッド。その拍子に水に濡れて肌に張り付いたシャツの胸元に目が言ってしまったが、すぐに視線をえんじ色のカーディガンへと向けた。
「似合ってる。けど風邪をひく前に脱げ」
「はいはい」
満足そうに頬を緩めながらカーディガンを脱いだレイラに、アルフレッドは自身が着ていた上着を羽織らせると、トランクを路の脇に立て、アルフレッドはレイラの隣にしゃがんだ。
「王と女王が、ここに行けと言ってきてな。要は、お前の迎えによこされたってわけだ」
「ぁ…………あの二人が、か。何か裏があるのではと疑ってしまうよ」
アルフレッドは犬を恐る恐る撫でてみながら、コクリと頷いた。
「ああ、とびきりのがある。けどここでは誰が見ているか分からないから、場所を移そう」
「分かった。……そうだ、アルフレッド。犬が食べられそうなものを持ってないか? 腹を空かせてそうだから、何かあげたい」
「ああ、なぜか王に持たされた木の実があったから、それをやろう。多分これを見越していたんだろうしな」
そう言ってアルフレッドが小さな袋からいくつかの木の実を取り出すと、それを黒犬に食わせてやった。食べ終わったのを見ると、アルフレッドは立ち上がる。レイラもそれに倣って立ち上がり、アルフレッドの肩に手を置いた。
「行先の希望はあるか?」
「んー、漏れ鍋に行ってくれ。ハリーと待ち合わせをしてるんだ」
頷いたアルフレッドが、辺りを見回し、人目が無いことを確認する。
「それじゃあ犬、元気でな」
アルフレッドの魔法で移動する前に、レイラが黒犬にそう声を掛ければ、黒犬は尻尾を振りながらひと鳴きを返した。パチン、パチンと指を鳴らす音が聞こえる。
そうして次の瞬間には、レイラとアルフレッドはプリベット通りから消え、漏れ鍋近くの路地裏に現れていた。
二人が漏れ鍋に入ろうとしたところで、ちょうど店のドアが開き、初老の男性が出てきた。
「おや、これはこれは。ちょうど君に会えるとは、私も運がいいな」
「あなたは……」
そこにいたのは、コーネリウス・ファッジ魔法大臣だった。同時に、レイラがヘドウィグに手紙を運んでもらった人物でもある。
「君からの手紙は受け取ったよ。シェフィールドの南でミス・マージョリー・ダーズリーを魔法事故巻戻し局の人員が発見し、記憶処理などを受けさせた後、家に帰した。実害がなかったということで、君はもちろん、ハリーへの罰は無しだ。ここではなんだから、中へ。部屋を用意させてある」
漏れ鍋の中へと招き入れるように、大臣は体を逸らす。そこで初めてアルフレッドに気づいたのか、「おや」と目を丸くした。
それに気が付いたアルフレッドが、丁寧にお辞儀した。
「お初にお目にかかります、コーネリウス・ファッジ魔法大臣。アルフレッド・ルークです」
「ルークとな……」
「なにか?」
「いや、はは。珍しい苗字だと思ったまでさ。君がレイラに付いていてくれたのか。……漏れ鍋に泊まるのかい? それは、ううむ。いやいや、なんでもないとも。さあ、入って」
なにやら一人で困り顔をし始めた大臣を訝しみながらも、二人は漏れ鍋へと入り、一階に荷物を預けると、大臣に連れられるままに広い部屋へと入った。
大部屋の中央に置かれた机を挟んで、大臣はレイラとアルフレッドへと顔を向けていた。二言三言会話をした後、大臣がハッとした様子で立ち上がった。
「ハリーはどこだね?」
ようやく気がついたのかとレイラは呆れたが、おくびにも出さなかった。
「ハリーならナイト・バスでここに向かっていますよ。もうしばらくすれば到着するでしょう」
「ナイト・バスか、それなら、大丈夫だろう」
「大臣?」
挙動不審な大臣へとレイラが声を掛ければ、大臣は肩を跳ねさせた。明らかに何か隠し事があるような様子で、「ああ、いや」と口ごもってしまう。震える手で紅茶を一口飲んだ大臣は、机の後ろにある窓を向き、レイラとアルフレッドから顔を背けた。
「なんでもない。……あー、殺人犯がうろついているだろう? もしもハリーが襲われでもしないかと心配でね」
嘘ではない、とレイラは判断した。隠し事があるのは明白だが、大臣がハリーを心配する気持ちに嘘はなさそうだった。
「殺人犯といえば、マグルのニュースで報道されていたシリウス・ブラックですか?」
レイラの問いに、またしても大臣がピクリと反応した。そしてなぜか、彼女の隣にいるアルフレッドまでもが、その言葉に反応を示していた。顔を真っ青にした大臣は、早口に言葉を発した。
「いや、まだだ。しかしアズカバンの看守たちは怒り心頭で、すぐにでも捕まえて見せるだろう。さあ、部屋を君とハリーの分が運良く取れているよ。トムが案内してくれるから、行きなさい。ああそれと、ここにいる間の料金は心配しなくていい。その代わりと言ってはなんだが、出歩くのはダイアゴン横丁だけにしてくれ。それから、あまり夜遅くまで出歩かずに、暗くなる前には戻ってきておくれ」
大臣がそう言い終わるのと、漏れ鍋の店主であるトムが部屋に入ってくるのはほぼ同時だった。レイラはまだ聞きたいことがあったが、これ以上は話すつもりのなさそうな大臣を見て諦めることにした。
部屋を後にして、狭い廊下を歩き、トムはレイラを一番角の部屋へと案内した。
「さあレイラさん、こちらのお部屋になります。荷物は既に運んであります」
部屋には寝心地の良さそうな大きなベッドと、磨き上げた樫の木製の家具が置かれ、暖炉の火が元気よく燃えていた。
「ありがとうトムさん」
「店主、俺も泊まりたいのだが、部屋は空いているか?」
アルフレッドがそう問えば、トムは驚いて、それから困ったように頭を掻いた。
「すまないが部屋はもう空いてなくてね。ポッターさんがたの部屋が、空いていた最後の部屋なんだ」
「……そうか」
気落ちした様子のアルフレッドをちらりと見て、レイラは何事かを閃いた。
「それなら、この部屋に泊まりなよ。トムさん、料金は追加で払った方がいいですか?」
「いいえ、一部屋の値段は変わりませんし、お食事も大丈夫です」
「おい……」
断ろうとするアルフレッドを無視して、レイラとトムは話を進めていく。結局強く言い出せなかったアルフレッドは流されてしまった。後に残ったのは、ふてくされた顔でソファに座り込むアルフレッドと、それを笑って眺めるレイラだった。
「何を考えているんだお前は……」
「ホグワーツでも同じ寮で生活してるし、今更気にすることでもないだろうに。それから、君に聞きたいことがあってね」
アルフレッドが座るソファの向かいに、椅子を置いて座るレイラ。
「分かっている。ブラックのことだろう? 実はやつのことで、王からの伝言がある。半信半疑だが、あの人は真実はなかなか口にしないが、だからといって嘘はつかない」
「一体なんの話だい?」
アルフレッドは両手の指を組み、視線をそこに向ける。そして一つ一つ言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いていった。
「まず、前提として伝えておかなければならない。これを先に話さないと、お前がいますぐにでも飛び出しかねないからな。そして、この事は他人に話してはいけないらしい」
ちらりと、アルフレッドの目がレイラを見る。その目は、レイラの身を案じて、守ろうとするようなもののように感じられた。
「伝言の一番重要な部分はこうだ。『ブラックは、白だ』」
「ブラックが白? なにかの比喩……いや」
「そう、そのままの意味だ。シリウス・ブラックが白。つまりは無実、という事だ」
アルフレッドは持ち物の中から、今日の日付が書かれた新聞を取り出した。そこには大見出しで、シリウス・ブラックがアズカバンの牢獄から脱獄したことが書かれていた。もつれた長い髪の、頬のこけた男が静かに佇んでいた。暗い影のような目は、落ち窪んだ顔の中でただ一箇所、目だけが生きているようだった。
場所は漏れ鍋から移り、常若の国。一際大きな木の枝に、いつもと変わらぬ様子で、妖精王オーベロンは腰掛けていた。——否、変わらぬというには語弊があった。人外の王は楽しそうに、心底愉しそうに、ここではないどこかに目を向けていた。
そして隣には、呆れ顔の妖精女王がいるのだった。
「また今年も、枝の子はあなたのせいで苦労を……本当に、あなたの性根さえ腐ってなければ……」
「いーいじゃない。人に明かしてはならない、相談することも憚られる事実を胸に秘めて一人で事に当たる。ああぁ、もう。今からどんな事になるのかを考えるだけで堪らないよ。……そ、れ、に。アルフレッドが知っているだけ、僕にも優しさがあるってもんさ」
ティターニアはため息を吐く。趣味に没頭する夫の幼稚な様に、呆れていたのだった。しかし、彼の行動は、全てを非難できるものでもなかった。
「早い段階から、枝の子に真実を伝える事には賛成よ。あの子、下手をしたらブラックを殺しかねないから」
彼らは知っている。レイラ・ポッターという少女の危うさを。そして、ティターニアは知っているからこそ、黙ってオーベロンの好きにさせたのである。
「本当に、勇ましい子。……そうだわ、オーベロン。あなたの下世話なお節介はどうなっているの?」
オーベロンはキョトンとして、それから、とても嬉しそうに口角を上げてみせた。
最近は乾燥して静電気が多く発生します。私は毛布に包まりながら、コードのイヤホンで音楽を聴くのですが、発生した静電気がコードを伝い、耳でバチリときます。とても不快です。
そうそう、今回の話の中で暖炉が使われています。夏にです、ええ。イギリスは北国で、夏の夜は冷えるようです。そのため、たとえ夏であろうと暖炉に薪をくべ、火を焚くのですね。
今回は好きなシチュエーションを二つ突っ込んでみました。昔読んでいた少女漫画の影響を受けてます。というか、指が勝手に……
最近はめっきり冷え込んできていますから、皆さま体調にはお気をつけくださいね。
それではまた、次のお話で。