ハリー・ポッターと不死鳥の姉   作:駆華野 志想之介

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初夏の候、読者の皆様からは平素より格段のご厚情を賜り、厚くお礼申し上げます。
さて、活動報告でも申しましたように、三週間の(なぜか期間が伸びた)研修がありましたがこうして無事に帰ってまいりました。
つきましてはまた細々と書いていく所存ですので、どうぞよろしくお願いいたします。



復帰と約束

 クィディッチの試合中に夥しい数の吸魂鬼の襲撃を受けたハリーは、体の中を引き裂かれるような痛みを感じていた。そしてあの声が、ホグワーツ特急の中でも聞こえた声がまた、聞こえてきた。誰かの叫ぶ声が……女の人の叫び声だ。少し、自分の姉の声に似ているかもしれない。

 

「子どもたちだけは、二人だけは、どうか!」

「どけ、馬鹿な女め! ……さあ、俺様の邪魔をするでない」

 

 白い靄がぐるぐるとハリーの頭の中を渦巻き、痺れさせた。

 ……いったい僕は何をしているんだ? あの女の人を助けないと……あの女の人は殺されてしまう……死んでしまう。

 ハリーは落ちていった。冷たい靄の中を、下へ下へと落ちていく。

 

「子どもたちだけは! お願い……助けて……」

 

 甲高い笑い声が響く女の人の悲鳴が聞こえる。女の人の悲鳴が聞こえる。ハリーは底の知れない暗闇に落ちていくが、誰かが落ちるハリーの腕を掴んだ。細く華奢な腕だったが、力強くハリーを引っ張り上げる。引かれるままにハリーはどんどん浮上し、やがて――。

 

 

 

「地面が柔らかくてラッキーだった」

「死んじゃったかと思ったわ」

「それなのに眼鏡さえ割れなかった」

 

 ハリーの耳に囁き声が聞こえてきた。でも何を言っているのか全く分からない。いったい自分はどこにいるのか、どうやってここに来たのか、その前はいったい何をしていたのか、一切わからない。ただ、全身が冷たい水に浸かったかのように寒かった。

 

「こんな怖いもの、これまで見たことないよ」

 

 怖い……一番怖いもの……フードを被った黒い姿……冷たい……。

 ハリーは目をパチッと開けた。辺りを見回すと、どうやら医務室に横たわっているようだった。グリフィンドールのクィディッチ選手が頭のてっぺんから足の先まで泥まみれでベッドの周りに集まっていた。ロンとハーマイオニーも、今しがたプールから出てきたばかりのような姿でそこにいた。

 

「ハリー! 気分はどうだ?」

 

 泥まみれの真っ青な顔でフレッドが声を掛けた。

 ハリーの記憶が早回しのように戻ってきた。稲妻……死神犬……スニッチ……そして吸魂鬼……叫び声、後何か忘れているような気がしたが、ハリーはそれ以上思い出せなかった。

 

「どうなったの?」

 

 ハリーは勢いよく起き上がりかけたが、すぐ傍に立っていた生徒がハリーの肩を抑えて止めた。見れば、長く伸びた深みのある赤毛や、着ている服もどっぷりと濡らしたレイラだった。

 

「あと少しくらいは、おとなしく寝ていなさい」

「……君、落ちたんだよ」

 

 フレッドが答えた。

 

「ものすごく高いところから」

「みんな、あなたが死んだかと思ったわ」

 

 チームメイトのアリシアが震えながら言った。ハーマイオニーが小さく「ひくっ」と声を上げた。目が真っ赤に充血していた。そのハーマイオニーの隣には、大きな布で何かを包んだロンが立っていて、気まずそうにハリーに近づいた。

 

「あの……君のニンバスなんだけど、落ちたときに風で飛ばされて……それで……」

「そう、ぶつかったのよ――ああ、ハリー――あの暴れ柳にぶつかったのよ」

 

 ハーマイオニーが言いにくそうに言った。

 ハリーはざわっとした。暴れ柳は校庭の真ん中にぽつりと一本だけ立っている凶暴な木だ。

 ゆっくりと、ロンは持っていた包みを広げた。粉々になった木の切れ端が、小枝が、散らばり出た。ハリーのあの忠実な、そしてついに敗北して散った、ニンバスの亡骸がそこにあった。

 

 マダム・ポンフリー、ハリーが週末いっぱい、病室で安静にしているべきだと言い張った。ハリーは抵抗もせず文句も言わなかった。しかし、マダム・ポンフリーがハリーのニンバス2000の残骸を捨てることだけは承知しなかった。自分が愚かしいとは思いつつも、親友の一人を失ったような気持ちから、どうしても捨てる気にはならなかった。

 見舞客が次々にやってきた。みんなハリーを慰めようと一生懸命だった。ハグリッドやグリフィンドールの選手たち、ジニーが来てくれた。ロンとハーマイオニーは夜以外つきっきりで、ハリーのベッドの傍にいた。しかし、誰が何と言おうと、ハリーはふさぎ込んだままだった。皆にはハリーを悩ませていたことのせいぜい半分しかわかっていなかった。

 ハリーは先日のクィディッチの試合で箒から落下する前に、死神犬を見ていた。プリベット通りで見た後は「夜の騎士(ナイト)バス」に轢かれそうになり、今度は箒から落ちて地面と熱烈なキスをするところだった。

 死神犬は、本当に自分が死ぬまで取り憑くのだろうか? これからずっと、犬の姿におびえながら生きていかなければならないのだろうか?

 その上吸魂鬼がいる。吸魂鬼の事を考えるだけでハリーは吐き気がして、自尊心が傷ついた。吸魂鬼は恐ろしいとみんなが言う。しかし、吸魂鬼に近寄るたびに気を失ったりするのはハリーだけだ。……母親の死ぬ間際の声が頭の中で鳴り響くのはハリーだけだ。

 夜、眠れないまま横になって、月光が病室の天井に映るのを見つめていると、ハリーは何度も何度も、母親の声が聞こえた。吸魂鬼がハリーに近づいた時に、母の最期の声を聴いたのだ。そして、ヴォルデモートが母親を殺すときの笑い声を……。ハリーはまどろんでは目覚め、目覚めてはまたまどろんだ。腐った、じめっとした手や、恐怖に凍り付いたような哀願をする夢にうなされ、飛び起きた。

 起き上がったハリーの目に飛び込んできたのは、哀願をする母親と同じ髪だった。しかし目の前の髪の毛は母親の髪よりも長い。水で濡らしたタオルを手に持ったレイラだった。

 

「あぁ……起きたね。ひどくうなされていたよ」

 

 レイラからタオルが差し出され、ハリーは汗をかいていた顔を拭く。不快感が消え、さっぱりとしたハリーは、そこではたと気が付いた。

 

「レイラ、なんでここにいるんだ! とっくに消灯時間は過ぎてるよ!」

 

 声を抑えつつもハリーは早口でまくし立てた。しかしレイラは気にした様子もなく、グラスに水を注いでいた。ハリーはグラスを受け取りながら、もしかしたらと考えていた。もしかしたら、レイラなら自分の気持ちを分かってくれるのではないだろうか。レイラも、自分と同じように吸魂鬼と相対した時に母親の死ぬ間際の声が聞こえたり、気を失ったりするのではないだろうか。

 けれどハリーはその考えを否定した。レイラはまだ吸魂鬼に近づいたことが無い。だからきっと、自分の気持ちなんてわかるはずは無い。母親の最後の声も、ヴォルデモートの笑い声も、自分だけが知っていればいい。無理に話す必要はない。

 ハリーはそう決意していると、だんだんと眠くなってきた。悩みを打ち明けられずとも、家族が側にいると安心するのだろうか。なんだか今度は、ちゃんと眠れそうな気がする。視界の端で、赤い髪が揺れる。

 

「かぜがふけば、ゆりかごゆれる。おおえだおれたら、ゆりかごおちる…………おやすみハリー。今度は良い夢を」

 

 穏やかな寝息を立て始めたハリーにブランケットを掛けてやり、レイラは静かに病室を出て行った。

 

 

 

 月曜日になって、ハリーは学校のざわめきの中に戻った。ドラコ・マルフォイがハリーが箒から落ちたことを笑ってきたのは、ある意味で救いだった。マルフォイに対して怒っていれば、その間だけでも吸魂鬼の事を忘れることができた。月曜日の午後の授業は「闇の魔術に対する防衛術」の授業だった。また前回のようにスネイプが教えていたら病欠しようかと考えていたハリーだったが、それは杞憂に終わった。

 ルーピン先生は復帰していた。本当に病気だったようで、くたびれたローブが前よりもだらりと垂れ下がり、目の下に隈ができていた。それでも、生徒が席につくと、先生はみんなに微笑みかけた。

 ヒンキーパンクを扱った授業が終わった後、ルーピン先生はハリーを呼び止めた。

 

「話があるんだ」

 

 ハリーは戻って、ルーピン先生が「ヒンキーパンク(おいでおいで妖精)」を入れた箱を布で覆うのを眺めていた。

 

「試合の事を聞いたよ」

 

 ルーピン先生は机のほうに戻り、本をカバンに詰め込み始めた。

 

「箒の事は残念だったね、修理することはできないのかい?」

「いいえ、暴れ柳が粉々にしてしまいました」

 

 ルーピン先生は残念そうにため息をついた。

 

「あの暴れ柳は、私がホグワーツに入学した年に植えられたんだ。皆で幹に触れられるかどうか遊んだものだ。仕舞には生徒が一人、危うく片目を失いかけたものだから、あの木に近づくことは禁止されてしまった。箒などひとたまりもないだろう」

「先生は吸魂鬼の事もお聞きになりましたか?」

 

 ハリーは言いにくそうに、それだけ言った。

 

 ルーピン先生はちらっとハリーを見た。

 

「ああ、聞いたよ。ダンブルドア校長があんなに怒ったのは誰も見たことが無いと思うね。吸魂鬼たちは日増しに落ち着かなくなっていたんだ。……学校の敷地内に入れないことに腹を立ててね。……たぶん君は、連中が原因で落ちたんだろうね?」

「はい」

 

 そう答えた後、ハリーは少し迷ったが、我慢できない質問が口から飛び出した。

 

「いったいどうして? どうして吸魂鬼は僕だけにあんなに……僕が――」

「弱いかどうかは全く関係ない」

 

 ルーピン先生は、まるでハリーの心を見透かしたかのようにぴしゃりと言い切った。

 

「吸魂鬼が他の誰よりも君に影響を与えるのは、君の過去に、誰も経験したことのない恐怖があるからだ」

 

 冬の陽光が教室を横切り、ルーピン先生の白髪とまだ若い顔に刻まれた皴を照らした。

 

「吸魂鬼は地上の生物の中でも最も忌まわしい生物の一種だ。最も暗く、最も穢れた場所にはびこり、凋落と絶望の中に栄え、平和や希望、幸福を周りの空気から吸い取ってしまう。マグルでさえ、吸魂鬼の姿を見ることはできなくとも、近づくだけで楽しい気分も幸福な思い出も、ひと欠片も残さずに吸い取られてしまう。やろうと思えば、連中は相手を貪り続け、しまいには吸魂鬼と同じ状態にしてしまうことができる。心に最悪の経験だけしか残らない状態だ。俗にいうキスという行為だ。そしてハリー、君の最悪の経験はひどいものだった。君のような目に遭えば、どんな人間でも箒から落ちても不思議じゃない」

「あいつらがそばに来ると――」

 

 ハリーは喉を詰まらせ、ルーピン先生の机を見つめながら返した。

 

「ヴォルデモートが僕のかあさんを殺した時の声が聞こえるんです」

 

 ルーピン先生は急に腕を伸ばし、ハリーの肩をしっかりと掴むかのような素振りをしたが、思い直したように手を引っ込めた。沈黙が漂った。

 

「どうやって戦ったらいいのか、教えてください。先生は汽車で追い払ったでしょう?」

「あの夜は一人だったからだよ……しかし、吸魂鬼は君に特別の関心を抱いたようだから、教えてあげるべきかな。だが、来学期まで待たないといけないよ。休暇が入る前にやっておかなければならないことが山ほどあってね。まったく私は、都合の悪いときに病気にかかってしまったよ。それに、君自身も今は休まなくては」

 

 ルーピン先生は少し考えるそぶりを見せてから、ハリーに提案した。

 

「もしよければ、レイラも一緒に連れてくると良い。きっと君の助けになるはずだ」

 

 それを聞いて、ハリーはあまりいい気がしなかった。しかしルーピン先生の手前、頷くことにした。




少しリハビリもかねてハリーの内面を書いてみたりしました。人の内面描くのって楽しいです。ドロドロしてると猶良い。
ではまた、次話でお会いしましょう。
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