レイラはひとり、ホグワーツの中庭に来ていた。空を遮るものが無く、深々と降る雪が積もっていた。ベンチに積もった雪を払い、膝を抱えて座った。自然と涙が出た。よくないことばかりが頭に浮かんでくる。
箒のプレゼントをシリウスと考えたのはわたしだ。メッセージは何も残すべきではないと、シリウスにそう提案したのもわたしだ。ハリーを喜ばせようとした結果、さらに落ち込ませることとなってしまった。プレゼントを贈ることばかり考えて、箒が届いた後のことを考慮できていなかった。自分の浅慮さに怒りさえ湧いてくる。
「弟を悲しませるなんて、お姉ちゃん失格だな」
積もる雪を払い除ける気さえ起きず、レイラは膝を抱えたまま寒さも気にせずにじっとしていた。
寒さを感じた。体感的なのか精神的なものなのかは分からなかったが、レイラは膝を抱える力をいっそう強める。クリスマス休暇中、そして雪の降る日ということもあって周囲に人気はない。ひとりになりたいレイラとしては誰にも会わずありがたいが、思い出したくないことを思い出してしまう。
ハロウィンの夜。部屋から出ていく父、自分と弟に愛を囁き続け最期まで抵抗した母。甲高い嘲笑と、緑色の閃光。残ったものは忌まわしい呪と、最愛の弟。
「そうだ……」
わたしに残されたものは、呪と両親の愛。そしてなにより、ハリーがいる。だから、ここで座り込んで、腐っているわけにはいかない。今わたしには、やらなければならないことがあるから。
蹲っている暇があるなら、立ち上がらなければならない。
ふと、レイラは自身の周りだけ雪が降っていないことに気が付いた。頭上を見れば透明な傘が浮かんでいた。それが「ワンダブレラ(杖傘)」だとすぐに理解した。杖の持ち手はレイラが振り返ったことで、レイラの背後から隣へと移動した。
「まったく、いつからいたんだ」
「さっきだ」
レイラの質問に対して、杖を掲げるアルフレッドは不愛想に言葉を返した。肩の端に雪が付着しており、耳と鼻が赤く染まっていることから、さっき来たというのは嘘なのだろうとレイラは当たりを付けた。
膝を抱えたままのレイラにアルフレッドは自分の首に巻いてていたマフラーを外し、レイラに掛ける。
「こんなところに長時間いるなんて、風邪をひきたいのか?」
温もりを持ったままのマフラーに顔を埋めながら、隣に座る青年を見やる。そっと手を伸ばして、アルフレッドの肩についていた雪を払う。はっとした様子で驚いているアルフレッドに、ゆるりと口角を上げる。
「君こそ、風邪をひくぞ」
レイラが近いほうの肩の雪を払えば、アルフレッドは反対側の雪をすぐに払いのける。
降りしきっていた雪はいつの間にか止み、アルフレッドは「ワンダブレラ」を解いた。杖を仕舞って開いた手で、アルフレッドはレイラの頭に付いた雪を払い、そのまま頭を撫でた。レイラは何も言わずにそれを受け入れた。強くもなければ弱すぎもしない具合で撫でられる心地に、レイラは目を細めた。
「お前が何も言わないということは、俺が関わる必要が無いことなのかもしれない」
静かな空の下で、アルフレッドの声ははっきりと聞こえてくる。怒っているわけではない、声を張っているわけではない。優しい声音はまるで風に乗るようにレイラの耳に届く。
「でも、少しくらいはレイの力になれると思っている。だから、もう少しくらい、頼ってくれ」
いつもそうだ。アルフレッドはいつも、静かに寄り添っていてくれる。ほんの少しでも、気持ちが後ろ向きになった時には、黙って側にいてくれる。手を引くことはしないけれど、わたしが自分で立ち上がるのを待っていてくれる。
昔なら、自分一人でも立ち上がっただろう。こんな風に、ちょっとしたことでへこたれたりはしなかった。でも、今は違う。きっとそれは、頼れる人がいるからだろう。それが目の前の青年だと思うと妙に気恥しく、レイラはよりいっそうマフラーに顔を埋めた。温もりの残る、銀と緑色のマフラーからは緑の匂いがした。
「うん……」
新学期が始まる前の日には休暇で家に戻っていた生徒たちが帰ってきていた。それでもレイラの生活には変わりがなく、この日はスネイプ先生に頼まれて脱狼薬を調合し、ルーピン先生に運びに行くことになっていた。クリスマス休暇中は頼まれることが無かったので、おそらくは症状が強めに出ていたのだろうと、レイラは推測していた。調合自体はスネイプ先生が見守る形で口出しはせず、レイラが一人で作り上げた。最後に薬の出来具合を確認したスネイプ先生は満足げに頷いたのだった。完成した脱狼薬を運ぶときには、地下牢教室の外で待っていたアルフレッドと一緒だった。
闇の魔術に対する防衛術の教室に隣接するルーピン先生の部屋へ向かっていたところ、二人はハーマイオニーに出くわした。ファイアボルトのことをマグゴナガル先生に告げてからというもの、ハーマイオニーは寮の談話室にいることはなく、図書室にこもりきりになった。談話室にいて口論をするよりは、ハリーとロンの寄り付かない図書室で勉強に勤しんだ方が生産的だと考えたのだ。加えて、二人とは顔を合わせにくいという思いがあり、こちらの方が大きな割合を占めていた。レイラもそれを理解していたので、休暇が明けるまではなるべく図書室には近づかなかった。その一方で必要な本があれば、ハーマイオニーに見つからずに図書室を利用することは可能だったし、実際に一度としてハーマイオニーは気がつかなかった。なのでしっかりと正面からハーマイオニーと会うのは、久々のことだった。
「やあハーマイオニー、今日も寒いね」
安全のためとはいえ友人の弟から、友達から箒を取り上げたと負い目を感じているハーマイオニーは俯きがちで、しかし目の前のレイラに対して知らぬふりすることもできずにいた。箒が届いたときに、ハリーとロンの身の安全を守ろうと、急ぎ足で箒と二人を引き離すことを考えた。その結果十分な説明を行わず、友人と反目しあうことになったことは、ハーマイオニー自身望んだことではなかった。ハリーとロンは、分かりやすく態度で怒りを示した。けれどレイラはそうではなかった。食事の際に見かけることはあっても、彼女の目はハーマイオニーを見ることはなかった。隣に座るルークと話すか、黙って料理を口に運ぶばかりで、まるで微塵も気にしていないようだった。そのほかの時間にレイラの姿を探したが、図書館では見かけず、たまに廊下で見かけて追いかけたときには、すぐに見失ってしまった。久々に向かい合う級友に、しかしハーマイオニーはうまく言葉が出てこなかった。気まずそうにそろりとレイラに視線を向けるが、すぐに逸らしてしまう。そんなハーマイオニーを見て、レイラは口角をわずかに上げた。ハーマイオニーはなんと言って話しかけたら良いのか考え、その度に言葉が浮かんでは消えていく。ふと、レイラが手にしていたゴブレットが気になった。
「そ、それは何?」
気まずさを隠そうとしながらハーマイオニーが視線を向けるのは、煙立つ不思議な液体が入ったゴブレットだった。
「ああ、これかい?」
レイラはゴブレットを掲げて見せながら、ずいとハーマイオニーによく見えるようにと突き出した。ハーマイオニーはゴブレットの中身を見て、苦そうな色だと顔を顰めた。しかし見た目とは裏腹に、匂いは甘い香りがした。魔法を知らないマグルの家から来ているとはいえ、ハーマイオニーはすでに三年をホグワーツで過ごそうとしている。そんな自分が飲んだこともないものとなると、魔法薬だろうかと考える。しかし自分が学んだ物の中に、今目の前にあるものと特徴が一致するものはない。
そんな風にして首を傾げるハーマイオニーの様子が面白いのか、レイラは空いていた方の手で口元を抑えて笑みを浮かべる。
「ヒントをあげるよ。これにはオニユリが入っているんだ。甘い香りがするだろう? これはオニユリの香りが強く出ているんだよ。もし分かったら、答え合わせをしよう」
ヒントを与えられて考え込みかけたハーマイオニーの横を颯爽と通り過ぎるレイラに、ハーマイオニーははまりかけていた思考の海から上がり、その背を呼び止める。箒の事を謝るなら、今だと思った。
「あの、私……」
「ハリーの箒の事なら、気にしなくていいよ」
自分の言おうと思っていたことを、先んじて封じられてハーマイオニーは目を瞬かせる。
「君がハリーの身を案じてくれたことは分かるし、あの対応は間違ってはいない」
正しくはないけど。と、心の中で独り言つレイラに気付くことは無く、ハーマイオニーは顔を再び俯かせる。
「今は喧嘩中みたいだけど、これからもあの子の事を気に掛けてくれると嬉しいよ」
それだけ言うと、レイラは満足げな顔をして去って行った。
レイラはアルフレッドと並び歩く。背後にハーマイオニーがいないことを確認すると、アルフレッドはレイラの持つゴブレットに目線を落とした。それから、長く伸びた赤い髪を揺らして歩くレイラの横顔を見た。
「レイ、実は気にしているんだろう?」
「んー、なんでだい?」
小首を傾げながら、目元と口元を蠱惑的に緩める。アルフレッドはレイラから視線を外し、レイラの先程の言葉を思い出していた。
「オニユリを入れた魔法薬なんて、まずないだろう。あったとしてもそれは、今お前が持っているものには該当しない」
淡々と己の考えを述べたアルフレッドを見て、レイラは楽しそうに口元を歪めた。その様子を見ても気にした素振りをすることもなく、アルフレッドは言葉を続けた。
「グレンジャーは本を読み漁ってお前の見せたものを探すだろうが、それは見つからないだろう。その薬は、お前がアレンジして調合した脱狼薬なんだからな」
レイラはいやいやと手を振って否定した。
「ちょっとばかしうっかりしてただけだ、そんな意図はないよ」
アルフレッドはそれ以上言及はせず、黙ってレイラの隣を歩いた。彼自身気になっただけで、レイラが是というならそれまでだった。
ルーピン先生の部屋前まで来て、レイラは二回戸を叩いた。
「こんにちは先生。ポッターです」
ややあって中からルーピン先生の返事が聞こえてきた。
「……どうぞ」
聞こえてきた声は、先生が随分とやつれ果てている印象をレイラとアルフレッドに与えた。静かにドアを開ければ、ルーピン先生は新学期の準備をしているらしく、机の上にはいくつかの教材が開かれていた。
「やあレイラ、アルフレッド」
上級生用の教材から顔を上げてルーピン先生は、クリスマス前よりも目の下のくまがいっそう濃くなっていた。ここ数日ろくに眠れていないのだろう。その上、顔にはひっかき傷が新たにできていた。疲れていながらもにこやかに自分たちを迎えてくれたルーピン先生の机に、レイラは煙の立つゴブレットを静かに置いた。
「はい、今日の分の薬です」
すっかり当たり前に差し出されるようになった特別な薬と、それを置いてくれた存在に苦笑しながら、ルーピン先生は薬をほんの少し口に入れた。先生は最初、不思議そうな顔をしてゴブレットの中身を見つめた。そして恐る恐る、再度口を付けた。口に含んだ薬液をゆっくりと嚥下すると、困惑した様子で口を開いた。
「苦みが無いんだけれど、砂糖か何かが入っているのかい? でもそれだと効果が――」
「大丈夫です。スネイプ先生のお墨付きですから」
自分が調合した魔法薬を指差して、やり切ったという表情を浮かべる。
「何度も試行錯誤をして、その薬を甘くできないかと工夫したんです。オニユリの葉を取って蒸したものが入っています。それのおかげで薬効を失わず、なおかつ甘さを出すことに成功したんですただ、オニユリの利尿効果も出てしまいましたが、あまり気にしなくて大丈夫です」
説明を聞き終えたルーピン先生は、信じられないと言わんばかりにレイラを見ていた。それもそのはず。レイラがアレンジした魔法薬は本来、大人の魔法使いでも調合が難しいものだ。それを完璧に作り上げるどころか、効果を失わずに手を加えてみせたという。薬液を飲んだルーピン自身、効果は確かに実感できていた。そして、今まで嫌っていたゴブレットの中身の苦さは消え、ほのかな甘みがあった。
「そうかユリか……」
「ええ、赤いユリです」
「……リリーは、魔法薬学の天才だった。どうやら君はお母さんの血を、色濃く受け継いでいるようだね」
在りし日の友人の姿を、目の前の少女を通してみるルーピン先生は悲しげで、しかしどこか嬉しそうであった。
レイラは持ち歩いているハンドバックを取り出し、元気爆発薬と傷に効く塗り薬をルーピン先生に渡した。
「あまり無理をしないでくださいね。塗り薬は朝と夜に塗ってください。それでは」
お礼を言う間もなく立ち去ろうとするレイラを、ルーピンは呼び止めた。
「ありがとう。大事に使わせてもらうよ。それから、休暇が明けたらハリーに守護霊の呪文を教えようと思うんだけど、よければ一緒にどうかな?」
「もちろん、よろこんで」
即答したレイラは、ちらりと隣にいるアルフレッドを見た。アルフレッドは無言でうなずいた。
「先生、俺も同席してもいいでしょうか」
「わたしに守護霊の呪文を教えてくれたのは彼なんです。もしよければ」
ルーピン先生は困り顔をするどころか、にこやかに了承した。
「いいとも。来週の木曜日の夜八時から、魔法史の教室で行う予定だ。スネイプ先生には、私から話を通しておくよ」
先生の自室から退出したレイラとアルフレッドはスリザリン寮へと戻る道を歩く途中、レイラはハリーと受ける特別授業に胸を躍らせ、上機嫌に音色を口ずさむのだった。
夜。期待を胸に、レイラは瞼を下ろした。
ユリは本当に薬用で存在します。服用したことはありませんが、漢方にあるようです。