六月が近づくと、空には雲一つなく、蒸し暑い日が続くようになった。少し前までは、生徒たちは校庭を散歩したり、芝生に腰を下ろして談笑しながら、冷たいカボチャジュースを飲むとか、チェスに興じてみたりなど思い思いのことをしていた。
しかし今はそうはいかない。試験が迫っていたのだ。普段活発に外に出ていく生徒であろうとも、城の中に籠って試験勉強に明け暮れる日々だった。スリザリンにいるレイラの耳にまで届いてきた噂によれば、ウィーズリーの双子でさえ勉強しているという。上級生になると、O・W・L試験や、N・E・W・T試験で好成績を収めなければならないというのだから、殺気立つ生徒が少なくない。
レイラはといえば、基本的にスリザリンの談話室から出ることはなかった。夏場でも制服は長袖のシャツとタイツ姿を崩さない彼女からすれば、地下にある寮が涼しく、図書館などへは気晴らし以外で行く気にはなれなかった。そのため、レイラのいる談話室にはアルフレッドやダフネ、ドラコ、アステリアが集まって、丸テーブルを一つ占拠していた。
教科書を捲る音や、羽ペンが紙の上を滑る音がする中で、レイラは『呪文学』の授業内容をまとめていた羊皮紙へと向いていた顔を上げ、談話室の壁に掛かっている時計を見た。間もなく昼食の時間となる頃合いだった。レイラは試験前から用意していたスケジュール帳を開き、予定を確認すると静かに席を立った。
隣に座っていたアルフレッドとダフネがどうかしたのかと顔を上げるので、レイラはテーブルに置いていたソレを手に取って二人に見せた。それは『言語研究 マーピープルと楽しいお喋り』と書かれた一冊の本だった。レイラは本を返してくるとジェスチャーし、持っていた羽ペンを置いた。
「大広間で会おう」
そうしてレイラは早足で談話室を出て行った。
地下室からホグワーツの一階へと伸びる階段を上るにつれて、蒸し暑さが増してきた。元からの体力のなさも相まって、レイラは図書室にたどり着くまでにへとへとになってしまった。
次の角を曲がれば図書室への扉が見える、というところで、レイラは曲がり角の向こうから来た人物とぶつかってしまった。
「――!?」
「きゃあっ」
しかも相手はかなり急いでいたのか、ぶつかった際の衝撃がすさまじかった。おかげでレイラは尻餅をついてしまった。相手は大量の教科書を抱えていたようで、衝撃でよろけた相手はばさばさと教科書を床へ落してしまった。
「いたた……うん? 君は」
「あら、あなた」
視線をぶつかった人物に向けてみれば、それはレイラの知る生徒だった。
「ハーマイオニーじゃないか」
「レイラじゃない」
ハーマイオニーも相手が誰だか気が付いたようで、どこか安堵した様子だ。レイラとしてもその気持ちはわからないでもない。この忙しい時期に、自分の寮と仲の悪いスリザリン生にぶつかってしまっては、ハーマイオニーでなくとも焦るだろう。
「ごめんねハーマイオニー、前をよく見てなかったよ」
そう言ってレイラは床に落ちたハーマイオニーの教科書を拾い始めた。
「う、ううん。私の方こそ、急いでいてよく見ていなかったわ。その、ごめんなさい。痛かったでしょ?」
「うん。でも急ぐ気持ちは分かるから、いいよ」
レイラがそう告げれば、ハーマイオニーは何とも言えない表情をしていた。流石に素直に伝えすぎただろうかと思ったレイラだが、彼女は後悔はしていなかった。なにせ、痛いことは大の嫌いである。今だって、ほんの少し涙目になっているのだから。
それでも、自分の不注意であった部分は否めないので、ハーマイオニーが教科書を拾うのを手伝う。
「えーっと、『数占い』に『変身術』、『呪文学』、『古代ルーン語』……おや?」
教科書の表紙を手で払いながら、レイラは違和感を覚えた。どの教科も試験科目ではあるのだが、日程が被っている。『数占い』も『変身術』は月曜の九時からの試験であるが、なぜわざわざ二つも教科書を持ち歩くのだろうか? 自分が選択している科目しか試験は受けられないのに、わざわざ別の教科まで勉強する必要はない。ふと、ハーマイオニーが首から下げている、金色に輝く小さな時計が目に付いた。
「ど、どうしたの?」
ハーマイオニーが疑問を投げかけた時にはすでに、レイラの中で答えは出ていた。
「なんでもないよ。ほら、これで最後。それじゃあ、またね」
だからこそレイラは何も言わないことにした。立ち上がったレイラは、スカートの後ろを叩くと図書室に向かって歩き出した。
「ふあ……ぁ」
気怠さから出た欠伸を噛み殺しながら、レイラは図書室で本を返し、大広間へと向かった。ふと窓を見れば、晴れた空に大きな雲が流れていた。
試験が始まり、週明けのホグワーツ城内は異様な静けさに包まれていた。月曜日の昼食時、三年生の多くは「変身術」の教室から血の気の失せた様子で出てきては、結果を比べ合ったり、試験の課題が難しすぎたと嘆いていたりした。ティーポットを陸亀に変えるという課題があり、レイラが試験を終えた時には、ハーマイオニーは自分のが海亀に見えたと不平を漏らし、側にいたロンが食って掛かっていた。
どうやらハーマイオニーが買っている猫のクルックシャンクスがロンのペットのネズミを食べてしまったらしい。まあ、猫だしな。ネズミくらい食べるだろう。
兎にも角にも、レイラは受けている授業の試験はつつがなく終えていき、最後の『占い学』の試験も問題なく終えた。水晶玉をトレローニー先生と一緒に覗き込むといった試験だったが、相変わらず一本の赤い糸が見えるだけだった。
「おつかれ」
「ああ、お互いにな」
校庭の芝生に腰を下ろして休むレイラとアルフレッドは、一週間ぶりとなるゆっくりとしたひと時に目を細めた。寝転がってみれば、土と草の匂いが強く感じられた。いつもなら小さな妖精たちがお菓子をねだってくるのだが、生憎と今は城の周りに吸魂鬼が蔓延っているいるために、皆どこかへと行ってしまっている。寂しさはあるが、この静かな時も良いと思えてくる。今年はその時間もあと少しなのだと思うと、惜しい限りだ。ダーズリーの家に帰ってしまえば、フクロウ便で手紙を送ることさえもできなくなる。
「……なあ、レイ」
隣に腰を下ろしていたアルフレッドが口を開いた時だった。暴れ柳のすぐ側から、数人の大声が聞こえてきた。
深いため息をついたアルフレッドが声の出所に視線を向けるのに倣って、レイラは起き上がって暴れ柳の方へと向く。視界に映ったのは、何かを追いかけるロンと、そのロンを追いかけるハリーとハーマイオニーの姿だった。
「ハリーたちは何をしてるんだ、あれ?」
「さあな。遊ぶにしても、暴れ柳の側では危険だろう」
「んー? ロンが何か捕まえたみたいだな。あれは……鼠だ。食われたと思ってたんだけど」
「どうやら生きていたらしい――」
突然、アルフレッドが言葉を詰まらせた。
「――!?」
同時に、レイラも目の前の光景に息を呑んだ。
ハリーの背後に、いつの間にか黒犬に変身したシリウスが佇んでいた。
「何をする気だ、パッドフット!」
跳ね起きたレイラが制止の声を上げるが、シリウスには届かなかった。呆然とするレイラとアルフレッドの視線の先で、犬に変身したシリウスはロンの足を口で咥えると、やすやすと暴れ柳の根の下へと引きずって消えた。
「な、なにをしてるんだあのバカ犬!」
「気でも狂ったのか……」
唖然とする二人だが、ロンを連れていかれたハリーとハーマイオニーはなんとかして暴れ柳の下に見える穴へと潜り込もうとしていた。けれど侵入者を迎撃せんと暴れ柳が幾つもの枝をしならせ、振るい、近付くことさへ困難だった。
見かねたレイラはトネリコの杖を取り出す。
「エイビス 鳥よ」
杖先から一羽の小鳥が生み出されるや否や、それは猛スピードで羽ばたき、暴れ柳の幹を打った。それによって動きの収まった暴れ柳の下を、ハリーとハーマイオニーはこれ幸いと通っていった。
「アルフレッド、わたしたちも行こう。シリウスがどうしてとち狂ったことをしたのか知らないが、今ハリーと会わせるのはまずい」
アルフレッドがレイラからの提案に頷くと、二人は暴れ柳へと向けて歩を進めた。
いよいよ次回から物語は佳境へ。
くりっく? くらっく!