枝の細い白色の木。名前は、なんだっただろうか。
昔々のこと、三人の兄弟が曲がりくねった寂しい道を、夕暮れ時に歩いていました。
ある所で、泳いで渡ることのできない危険な川を見つけました。優秀な魔法使いであった三人は杖を振り、あっという間に川に橋をかけてしまいました。意気揚々と橋を渡る三人を、恨みがましい目で見つめる『死』がいました。川に入っていれば、その魂を得られたからでした。目の前を通る優秀な魔法使いたちの魂を欲した『死』は、橋の真ん中にその姿を現しました。
死から逃げおおせた三人の智慧を褒め、褒美をそれぞれにくれると言ったのです。
一番上の兄は戦闘好きだったので、誰にも負けない強い杖を求め、「ニワトコの杖」を授かりました。
二番目の兄は傲慢で、自分たちを褒めた『死』を辱めてやりたいと考え、死者を呼び戻す力を求めて「蘇りの石」を授かりました。
三番目の弟は謙虚で賢く、『死』から逃げられる守りを求め、「透明マント」を授かりました。
程なくして『死』は一番上の兄と二番目の兄の魂を我がものにしました。しかし三番目の弟だけは、彼の死の間際になるまで見つけられませんでした。
そして彼は老い、己の死期を悟ります。二人いた子供のうち、長男にマントを譲り、『死』を古い友人として迎え、自らの意思でこの世を去りました。
「これが、秘宝の家系。八〇〇年にも及ぶ、ペベレル家の血筋の出発点」
消えゆく体を気にもとめず、イリア――シルウィア――は淡々と語った。
「それじゃあ、三つの秘宝はすべて本物で、わたしは本当にペベレルの……」
「ええ。あまり言いたくはないですが、私はあなたの大叔母みたいのものですね。なんだか歳をとったように聞こえていやですが」
ぱん。とひとつシルウィアは手を叩いた。
「さて、そろそろ修正が効かなくなりそうなので。そろそろ足を踏み出しましょうか」
「……そうだね」
「私が合図したら、真っ直ぐに、最初の五十三歩は走ってください。後は歩いて大丈夫です」
「ん、わかった。シルウィアを信じる」
レイラがそう言えば、シルウィアは嬉しそうに口角を緩ませた。
「ありがとうございます。種を明かしてしまえば、サラザールの老害が過去と未来のヴィジョンを視ていたとのことで、その遺伝ですね。たまには役に立ちます」
「それは、すごいことなのでは?」
「どうでしょうね……さて、では行ってください。ほら!」
シルウィアはそう言うと、指で進むべき道を指し示した。するとその方向へと地面に光の粒が置かれ、微かに明滅していた。
「それでは、さよならですレイラ。縁が合ったら、また会いましょう」
「うん。ありがとう、シルウィア。さよなら」
それきり、レイラは振り返らず、真っ直ぐに森の奥へと足を進めた。
残ったシルウィアは、ひとり地面を見つめていた。
「あの子を、お願いします」
独りごちたはずなのに、その声に応えるかのように微かな風が、辺りの草木を撫でる。それを受けて、シルウィアはくすりと微笑み、夜空を見上げた。
「……お父さん、お母さん。お兄ちゃん。今、行きます」
透明になりかけていた体が、空気に溶けるように消えた。後に残ったのは、なんの変哲もない一本の木の枝だけだった。
レイラは言われた通りに五十三歩走って、それから歩いた。暗い森の中であったが、月明かりが行先を照らしていた。水面に月が浮かぶ、大きな湖だった。近づくにつれて、肌寒さが増していった。
夜は冷えるけれど、それでもここまでじゃない。シルウィアは真っ直ぐにと言った。なら、私が行くべき場所はあの湖なんだろう。
レイラが目的地を定めたその時だった。すぐ脇の草むらを、何かがかき分ける音が聞こえた。レイラは杖を抜いて、音の出処へと目を凝らした。そしてすぐに、杖を下ろした。
安堵した。望んでいたわけではないが、自分が一人ではないと安心した。
音が止んで、草むらから現れたのはアルフレッドだった。息を切らして、頬には木の枝で切ったのか、細い切り傷ができていた。アルフレッドはレイラの姿を見て一瞬驚き、そしてすぐにその華奢な体を抱きしめた。
突然のことに面食らったレイラだったが、ゆっくりとアルフレッドの背中に手を回した。
「……よかった」
「ああ、うん。生きてるよ」
その言葉に、抱きしめる腕の力が一層増した。
心配させてしまったことに負い目を感じるレイラだが、力強く抱きしめられていることが、たまらなく嬉しかった。
「君も、無事でよかった。ハリーは? ルーピン先生に襲われてないか?」
「大丈夫だ。犬に変身したシリウス・ブラックが引き付けていった。お前の弟はそれを追って森に入っていってしまったが」
「なら、きっとこの先にいる」
アルフレッドはレイラを離し、彼女の視線の先、大きな湖へと顔を向けた。そこではたと、レイラへと顔を向け直した。
「レイ……服が裂けている部分があるのに、どこも怪我をしてなさそうに見えるが?」
「ん、服までは気にしてなかったな。大丈夫、傷はどこにもないよ。
ほら。と、レイラはくるりと回ってみせる。暗がりで視界が悪かったが、アルフレッドの目にはレイラの足に増えていた傷跡がしっかりと見えていた。
それが見えてしまったためにアルフレッドはゆるゆると座り込み、それから長いため息を吐いた。
「お前は……いや、俺はいつも間に合わないんだな」
「うん?」
アルフレッドの発言を疑問に思ったレイラだったが、すぐに得心がいった。
「あはぁ、気にしなくていーよ。君がこうして来てくれた、それだけで嬉しいよ」
わしゃわしゃと蹲ったままのアルフレッドの頭を撫でる。気恥ずかしさからレイラの手を自分の手でやんわりと止め、すぐに立ち上がった。
「レパロ 直れ」
アルフレッドは杖を振るってレイラの破れていた衣服を治すと、着ていたコートを彼女の肩にかけてやる。
「冷えるだろうから、城に戻るまで羽織っていろ」
「うん? ……うん、ありがとー」
「なんだ?」
「んーん、べつになんでも」
レイラが湖に向けて歩き出すと、アルフレッドは何も聞かずに隣を歩いた。レイラはもったいないからと、肩にかけていたアルフレッドのコートに袖を通すが、思いの外大きく、腕が袖口から出切らなかった。おお、考えたこともなかったけど、二年前に比べて成長しているんだな。
段々と湖が近づくにつれて、寒さが増してきているようだった。ぶるりと震えたレイラは、湖の反対側に人影を見た。ぼろぼろの衣服を纏い、ふらふらと歩くシリウス・ブラックだった。
「おそらく怪我をしている、治してやらないと——」
「ん、ハリーも来たね」
今まさに倒れ込んだシリウスを追いかけて、木々の隙間からハリーが飛び出してきた。
その時だった。辺り一面を急速に冷気が包み、湖の水が凍り始める。周囲を見回すレイラとアルフレッドの頭上を、幾つもの影が過ぎ去った。
「——ッ、吸魂鬼か!?」
慌てた様子でアルフレッドが杖を構える。吸魂鬼たちは真っ直ぐシリウスとハリーのもとへと向かっていた。それを防ぐための
「レイ?」
訝しむアルフレッドに、レイラはハリーから視線を外さずに言った。
「見なよ。ハリーが守護霊を呼ぼうとしてる。ここで手を出したら、あの子の成長の妨げになる気がするんだ」
「……わかった。お前のやりたいようにやれ」
「うん、ありがと」
そして、二人の見つめる先で、ハリーは必死に守護霊の呪文を唱えた。
『エクスペクト・パトローナム! 守護霊よ来たれ!』
ハリーの構えた杖先から、銀色の光が飛び出し盾を形成した。出来上がった盾は大きく、今まさに迫り来ていた吸魂鬼達の先頭にいた者を弾き、盾としての役割を果たした。
しかし、それも最初のうちだけだった。吸魂鬼達は守護霊の呪文で盾を張り続けているハリーを狙い、盾の無い背後からハリーを襲った。それを皮切りに銀色の盾はみるみる小さくなっていき、ついにシリウスへと吸魂鬼の手が伸びた。ハリーは必死にシリウスに手を伸ばすも、力なく地面に倒れ込んでしまう。
アルフレッドは、隣に立つ同い年の少女が前に進み出る気配を静かに感じ取っていた。ふわりと背中を押すような風が吹き、レイラの髪を靡かせる。
「頑張ったねハリー、大丈夫だよ。目が覚める頃には、きっと終わっているから」
呪文を発する前から、レイラの杖を中心にして、銀色の光が微かに瞬き始めていた。その光景にアルフレッドは思わず目を細めた。光自体が眩しかったのでは無い。銀色の光によって儚くも優麗に透き通った深赤の髪と、その隙間から覗く緑の瞳に、彼は目を奪われていた。
静かに、そして穏やかな声でレイラは呪文を唱えた。
「
あまりにも眩しい銀色の光が、湖を覆い尽くした。
吸魂鬼達が何事かと光の発生源たるレイラの方向を向いた時にはすでに光が収まり、代わりに銀の牡鹿が湖の上に屹立していた。牡鹿が一歩ハリーへ向けて踏み出した時、それは起こった。
牡鹿を中心に再び銀色の光が周囲を照らした。二度目の光の波は、呆然と牡鹿を見ていた吸魂鬼達の悉くを、触れたそばから弾き飛ばして行った。それを見ていち早く逃げようとした吸魂鬼も、光に追いつかれ、湖から追い出されていく。夥しいほどの数の吸魂鬼が、たった一人の少女が放った守護霊の呪文によって一掃されていた。
光が収束した後には、横たわるハリーとシリウスがいるだけで、湖は風によって水面を揺らしているだけだった。