魔法薬学の授業から数日後、レイラの気分は落ちていた。他人が見てわかるほどではなかったが、側にいたアルフレッドはその様を見て、ニヒルに笑っていた。
少し前に、談話室の掲示板に貼られていたお知らせを読んでからこうなったのだが、ほかの一年生の大半は息巻く中、レイラだけは肩を落としていた。
その内容は、『飛行訓練は木曜日に始まります。グリフィンドールとスリザリンとの合同授業です』とのことだった。箒に乗ったことのないレイラは、自分には運動神経がないから、箒から落ちるのではと考えていた。
「いいんだ、箒に乗らなくたって生きていける。だからわたしを置いて行きなよ」
レイラは大広間で昼食をとりながら、隣に座ったアルフレッドに愚痴をこぼしていた。
スリザリンの席ではマルフォイがいつも箒に乗った時の自慢話をしていた。そしてこの日も、マグルの乗ったヘリコプターを危うく躱したところで話が終わる。それを頬杖をついて眺めていたレイラは、話を全く信じようとはしていなかった。そもそも、魔法界で名家だと聞いているマルフォイの家の側に、マグルのヘリコプターが来るはずはないだろう。箒に乗れることは本当だろうけど、それだけだ。
「体調が悪いわけでもないんだ、大人しく出ろ」
「……まあ、わたしはどうせわけもわからず飛んで星になるんだ。笑ってくれ」
「…………落ちる前には拾ってやる」
「んー、よろしくー」
大広間では、ハーマイオニーが本で仕入れた知識を話しまくり、ネビルがそれを必死に聞いている。ハーマイオニーの話にしがみついたからと言って、本番で箒にしがみつくことができるのは限らないが。
その後、ふくろう便がネビルに思い出し玉という透明なガラス玉に届けた。忘れたことがあると、玉の中に赤い煙が出るというものだ。それをマルフォイが面白そうに眺めていた。
その日の午後三時半、初めての飛行訓練を受けるため、スリザリンとグリフィンドールの一年生は正面階段から校庭へと急いだ。よく晴れており、風は少しある程度だ。足元の芝生が、風に吹かれてサワサワと揺れていた。
マダム・フーチが来た。白髪を短く切り、鷹のような黄色の目をしている。
「さあ、皆さん早く箒の右側に立ってください」
みんな弾かれたように箒へと駆けていく。スリザリンとグリフィンドールが向かい合うように立った。レイラの目の前にはハーマイオニーが並んだ。
レイラは自分の箒を見下ろす。古ぼけており、小枝が何本もあらぬ方向に飛び出している。
「右手を箒の上に突き出して。そして、『上がれ!』と言いなさい」
みんなが「上がれ!」と叫ぶなか、レイラはまわりをじっと見ていた。一度で箒が上がったのは、ハリー、マルフォイ、アルフレッド、シェーマスだけだった。ネビルが「上がれ」と言っても箒は聞いていないようにピクリともせず、ハーマイオニーの箒は何度言ってもコロリコロリと転がって、まるで嫌がっているようだった。しかめっ面のハーマイオニーが、自分の目の前にいる人物が一度も「上がれ!」と言ってないことに気づき、声をかけた。
「レイラ、あなたはやらないのかしら?」
呼ばれた本人は、あたりを眺めていたまま自分の箒のことを忘れていたようで、ハッとした。
「いけない、忘れてたよ」
そしておもむろに右手を出して「上がれ」と優しく言う。すると箒はフワリと浮いてレイラの手に収まった。
それを見ていたハーマイオニーはどうしてできるの? と言うような顔をする。
「動物に言うように、やさしく言ってごらん。きっと浮いてくれるよ」
ハーマイオニーが訝しげに、しかしちゃんと「上がれ」と優しげに言った。すると箒はヒュッと手元に上がった。ハーマイオニーはレイラを褒めそやし、お礼を言った。
「さあ、わたしが笛を吹いたら、地面を強く蹴ってください。箒はぐらつかないように押さえ、二メートルくらい浮上して、それから少し前屈みになって降りてきます。……ではいきますよ、……一、二の…………」
ところが、ネビルは緊張と怖気から、一人だけ地上に置いていかれたくなかったと思い、先生の唇が笛に触れる前に思い切り地面を蹴ってしまった。
「ネビル・ロングボトム、どこへ行くのです。今すぐ戻ってらっしゃい!」
先生の大声をよそに、ネビルはヒューッと飛んでいった。箒に振り回され声にならない悲鳴をあげるネビルは顔を真っ青にして、箒にしがみついていた手を離してしまった。
地面に落ちる直前で校舎の突起に引っかかったことで大事には至らなかったが、それでも手首を折る怪我をした。
フーチ先生がネビルを医務室に連れて行くために起き上がらせる。
「医務室に行く間、誰も動いてはいけません。箒にも乗らないこと。さもなくば、クディッチの『ク』の字を言う前に、ホグワーツから出ていってもらいます」
涙でグチャグチャの顔をしたネビルは手首を押さえ、先生に抱きかかえられるようにして歩いていった。
二人の声が届かないところまでいった途端、マルフォイは大声で笑い出した。
「あいつの顔を見たか? あの大間抜けの」
マルフォイの取り巻きと他数人が囃し立てる。マルフォイは数歩歩いて草むらの中から何かを拾い出した。
「ロングボトムがこの玉を見ていれば、箒の飛び方を思い出せただろうに」
マルフォイが高々と掲げると、『思い出し玉』はキラキラと陽に輝いた。
「返せよ、マルフォイ」
「やだね、ロングボトムが後で取りに来れるところに置いておくよ」
「こっちに渡せったら!」
ハリーは強い口調で言った。マルフォイはヒラリと箒に乗って、飛び上がった。樫の木のこずえと同じ高さまで舞い上がり、そこに浮いたまま呼び掛けた。
「ここまで取りに来いよ、ポッター」
ハリーは箒を掴んだ。それと同時にレイラも箒を掴んでいた。なにせ、マルフォイは「ポッター」と呼んだのだ。そこでレイラは、少し懲らしめてやろうかという思いで箒を掴んだのだ。もちろん、呼びかけがハリーに対してであることは判っている。
「僕が行く」
ハリーは短くそう言うと箒にまたがった。レイラは目を丸くしたが、すぐにふわりと微笑んだ。そこにハーマイオニーが止めに入る。
「ダメよ! 先生に言われたでしょう。それに、飛び方も知らないくせに」
「――ふふ」
レイラは思わず笑みを零し、ハーマイオニーがレイラを睨んだ。
「どうした、レイ」
アルフレッドの問いに、レイラは愉快気に口角を上げた。レイラは箒に乗ったことはないし、その記憶もない。ハリーもそうだろう。しかし、レイラにはハリーが飛べるだろうという確信があった。その証明は、校内にあったトロフィー室の中にあった。日曜日に校内を一人気ままに探検していたレイラはそこで偶然あるものを見つけた。ジェームズ・ポッターという名前が、クディッチ・カップの一つに刻まれていたのだ。レイラとハリーの父の名前が、そこにはあった。今度、ハリーにも教えてあげなくてはと、レイラは思った。
今まさに飛ぼうとしているハリーに近づくと、レイラはハリーの目をじっと見つめた。自分と同じ母譲りの緑の目を。
「できるよ、ハリー。父さんの子だもの。……さあ」
その言葉に後押しされるようにハリーは地面を蹴り、急上昇した。歓声がグリフィンドール生から上がる。レイラはほてほてと後ろ向きに歩き、アルフレッドの隣に戻った。
「やっぱり飛べた。父さんのおかげだな」
「レイの父親、か」
「うん。グリフィンドール生で、シーカーをやっていたみたいだ」
ほかのスリザリン生に聞かれないように、二人は小声で話していた。
見上げる先では、ハリーに追い詰められたマルフォイが、思い出し玉を空中高く放り投げ、稲妻のように地面に戻ってきた。ハリーは前かがみになって箒の柄を下に向けた。次の瞬間、ハリーは一直線に降下し、みるみるスピードを上げた。パーバティやラベンダーが悲鳴を上げる。ハリーは地面スレスレのところで玉を掴んだ。間一髪でハリーは箒を引き上げ、水平に立て直し、草の上を駆けるようにして着陸した。グリフィンドール生がハリーを歓声で出迎える。
「ハリー・ポッター……!」
マクゴナガル先生が走ってきた。ハリーを見やると、得意げだった顔がみるみるうちに青くなっていった。
「まさか――こんなことはホグワーツで一度も……」
マクゴナガル先生は言葉を出すのがやっとという様子で、眼鏡が激しく光っている。レイラはハリーとマクゴナガル先生の間に立ち、ハリーをかばうようにわずかに手を広げた。
「先生、話を――」
「安心なさい、悪いようにはしません」
マクゴナガル先生はレイラの耳元でそっとささやくと、「ミスター・ポッター、一緒にいらっしゃい」と言って、大股で城に向かって歩き出し、何も聞いていないハリーはトボトボと付いていった。
ロンやハーマイオニーが不安げな表情でそれを見守る中、レイラだけは微笑んでいた。
マルフォイはこれでハリーが退学になるだろうと喜んでいたが、レイラにはとてもそうは思えなかった。先ほどのマクゴナガル先生の顔は、怒っているでも、悲しんでいるようでもなかった。もっと純粋に、喜んでいるようだった。戻ってきたフーチ先生のもと、授業は何事もなかったように進んだ。レイラは初めて箒に乗ったが、落ちることはなく、乗り方について褒められるほどだった。
飛行訓練の授業が終わってみんなが城に戻る中、レイラとアルフレッドは、トボトボ歩くロンを励ましていた。連れていかれたハリーのことを心配しているようだ。
「どうしよう、ハリーが退学になっちゃうよ……」
「きっと平気だよ、マクゴナガル先生はグリフィンドールの寮監だよ? きっといいようにしてくれる」
「あのマクゴナガルが?」
三人が夕食を取るために大広間に向かうと、そこにはすでにハリーが来ていて、ロンを待っていたようだった。
「まさか」
レイラたちはハリーから、彼がマクゴナガル先生にグラウンドから連れていかれた後のことを聞いた。他の人に聞かれるのはまだまずいということで、四人は小声でひそひそとはなした。
「シーカーだって? だけど一年生は絶対ダメだと……なら、君は最年少の寮代表選手だよ。ここ何年来かな……」
「……百年ぶりだって。ウッドがそう言ってたよ」
大興奮しながら話すハリーとロンを見ていて、レイラは自分たちがここにいたらまずいかと思い始めた。隠し玉と言える一年生シーカーの投入を、ほかの寮生が聞くのはまずいだろう。さっさと自寮のテーブルに戻ろうかというところで、ロンの兄の双子がホールに入ってきた、ハリーを見つけると足早にやってきた。それからこちらを見て若干気まずそうな表情をしたので、レイラは自分が、ハリーがシーカーに選ばれたことは知っていると明かした。それに気を良くした双子の片方、ジョージが低い声で言った。
「すごいな、ウッドから聞いたよ。僕たちも選手で、二人ともビーターだ」
「今年のクディッチカップはいただきだぜ。あー……スリザリンのレイラには悪いけど」
すまなそうに述べるフレッドに、しかしレイラは構わないと手を振った。
「わたしはハリーが頑張っているところが見られればそれで充分だよ。きっとスリザリンは、寮杯を逃しちゃうだろうけどね」
このことは試合までの秘密にしておくね、と言い残して、レイラはアルフレッドとともにスリザリンのテーブルに向かった。そこではマルフォイが鼻を高くしていた。
「これでポッターは退学だ、まさか一週間と少しで学校を去るやつがいるとはね」
アルフレッドはマルフォイから少し離れた席に座ったが、レイラは静かにマルフォイの背後に立った。そしてにっこりと微笑んで声を掛ける。
「わたしがなんだって、マルフォイ?」
突然背後から声を掛けられたマルフォイは、食べようとしていたチョコレートをのどに詰まらせてしまう。それを見て、レイラは呆れながらその背をポンポンと叩く。なんとかチョコレートを飲み込んだマルフォイは、涙目になりながらも背後にいるレイラを振り返った。
「脅かさないでくれ、危ないだろう」
「ごめんごめん。……それで、わたしがなんだって? 確か、退学になるとか」
レイラの言葉に、マルフォイは顔を青くして否定した。
「違う! 君の事ではなく、あのポッターの…………あ」
そこでマルフォイは、自分がハリーのことをポッターと言っていたことに気づいた。そして今自分の目の前にいる彼女もポッターであると。マルフォイは難しい顔をして、レイラと、グリフィンドール席にいるハリーを見比べた。
「あー、うん。君の事ではないんだ、レイラ。あっちのポッターの事だ」
「そっか。それなら、まあいいかな」
さすがに「ハリー」と名前を呼ぶのは憚られるのだろう。からかうのもこれまでかと、レイラはアルフレッドの隣に座った。それと入れ替わるようにして、マルフォイはグリフィンドール席へと行き、ハリーに喧嘩を売りに行ってしまった。彼らが言い合いをしているさまを見て、アルフレッドがため息をつく。
「なんでマルフォイはポッターを敵視しているんだ?」
「ああ、君もそう呼ぶんだ。そうだな……マルフォイなりに仲よくしようとしたみたいだけど、やり方が合わないハリーが拒絶。みたいな感じか?」
拒絶というよりは、馬が合わなかっただけかもしれないけど。とレイラは思うだけで口にはしなかった。
「そりが合わなかったか」
「そゆこと」
二人の視線の先ではクラッブとゴイルを連れたマルフォイは、ハリーとロン相手に得意げな顔をして、ハリーに決闘の申し込みをしていた。
「いいのか?」
「なにがだい?」
「ポッターとマルフォイの決闘の事だ。止めないのか」
「ああ、うん。わたしはハリーの背中は押すけど、引き留めることはしないんだ」
問いかけたアルフレッドに、レイラは心からの微笑みを向けた。それはとても美しく、可憐に映ったことだろう。
その後レイラは、アルフレッドに魔法使いの決闘ではどのようなことをするのかを聞くことにした。
夜の十一時半前。人がいなくなったスリザリンの談話室で、パジャマ姿のレイラは一人、翌日の魔法薬学の授業内容の確認をしていた。マルフォイが決闘は今夜行うと言っていたので、気になって眠らずにいたのだ。しかし三十分を過ぎてもマルフォイが談話室を通る気配がないので、レイラは不審に思っていた。その時、男子の部屋へ続く階段から、アルフレッドとマルフォイが降りてきた。
「マルフォイ、だいぶ遅い時間だけど、決闘に遅れるよ?」
レイラがそう問いかければ、マルフォイはにやりと笑った。
「あれは嘘さ。これでポッターが先生に見つかれば、退学の後押しとなって、明日の朝には荷物をまとめているだろうね」
それを聞いたレイラは、急いで女子部屋に戻った。物音を立てないように、読んでいた教科書をベッドの上に置き、ガウンを取り出す。
ガウンを着たレイラが談話室に戻って、寮の入り口から出て行こうとする様を見てマルフォイは目を丸くした。
「どこへ行く気だいレイラ」
呼び止められた彼女は、チラリとマルフォイとアルフレッドを振り返って、なんでもないように言った。
「ハリーたちを見てくる。先生に見つかるまで、君を待ってるのも可哀想だ」
「君はスリザリンに選ばれたんだ。グリフィンドールのやつとつるむべきじゃない」
「……おい、マルフォイ」
反論しようとしたアルフレッドを手で制し、レイラはコツコツとマルフォイに詰め寄る。同じ目線でニッコリと笑うレイラにたじろいで後ろに下がるマルフォイだが、ガクンと前方に引き寄せられる。
レイラはマルフォイの服の襟を掴んで引き寄せ、その目を覗き込む。
「マルフォイ、君は家族が大事か?」
静かな気迫に気圧され、マルフォイはゴクリと生唾を飲み込む。「ん?」とレイラがさらに笑みを深めれば、マルフォイは早口でまくし立てた。
「あ、ああ……大事だとも。……そうだ。父上も母上も、僕の尊敬する、愛する人だ」
言葉を述べるうちに冷静さを取り戻していったマルフォイは、しっかりとした目つきでレイラを見据える。両親の愛を受けて育ったマルフォイにとって、レイラの質問はむしろ彼を落ち着かせるものだった。
レイラはその言葉を聞いて、ふわりと微笑んで、掴んでいた手を離す。そして後ろに一歩下がり、手を後ろ手に組んだ。
「わたしには、ハリーしか家族がいない。この十一年、二人で生きてきた。……だから、ハリーがわたしの元を離れるまでは、わたしはハリーの味方でいる」
レイラはサッと身を翻して、談話室への入り口を通って外へ出て行く。アルフレッドがそれを追い、マルフォイは一人ポツンと立っていた。
少しして、マルフォイは一人呟いた。
「それでも……」
フォイは両親に愛されて育った男の子。現段階では両親を敬愛?していて、侮辱されることを何よりも嫌う〜って解釈をしています。