愛しの青   作:はるのいと

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第十六章「小さな恋のメロディ」

 トントントン、という小気味のいい包丁の音で目が覚めた。キッチンからは食欲をそそる、お味噌汁のいい香りが漂ってくる。眼鏡、眼鏡と……ぼんやりとした視界のまま、ベット脇の相棒に手を伸ばした。

 

 時計に目を向けると、時刻は10時15分を示している。休日ならではの、ちょっと遅い起床というやつだ。低血圧の私はしばらくベッドの上でぼんやりとしていた。すると我が作田家の自称性奴隷兼、名シェフがキッチンから顔を覗かせてくる。

 

「おはよう」

 

「おはよう……いい匂い」

 

「今日はね、和定食だよ。ほら、早くシャワー浴びといで」

 

「へーい」

 

 ボサボサ頭をかき上げると、私は眠気眼でバスルームへと向かった。毎朝、美味しい食事が用意されているこの生活……しかも作ってくれているのは、誰もが認めるであろう美少年ときたもんだ。

 

 いやはやなんとも、これはバチが当たるなあ……いや、もう当たってるか。恐らく川崎のオッサンは、近日中に予告通り私を追い詰めるだろう。そうなったら最悪の場合、会社はクビ。博多の両親は奔放な娘を勘当――というわけで、実家には戻れない。

 そうなると頼れるのは弟ぐらい……いいや、それはどう考えても無謀です。なぜならあいつほど、ちゃらんぽらんで頼りがいのない男はいないからだ。

 

 早くも万策尽きた――八方塞がりとはまさにこのことである。っていうか最初から策なんてなんだけどね……まあ、くよくよ考えてもしょうがない。 ♪~ケーセラーセラー、なるようになるさ~♪ 私は呑気にもそんな鼻歌を口ずさみながら、休日の朝シャンを堪能した。

 

 

 

「いやっ、美味しそうっ!」

 

 バスルームから出ると、テーブルの上にはすでに朝食が並んでいた。本日のメニューは脂の乗った鮭の切り身に、ふっくらとした出汁巻き玉子。小鉢には海苔と納豆に加え、キュウリの浅漬けまである。

 

 そして炊き立てのご飯に、赤だしのお味噌汁。因みに具のほうはなめこと豆腐だ。完璧だわ……流石、我が作田家の名料理番。これぞ日本の朝食よっ! それじゃあ、冷めてもなんだし――。

 

「頂きまーすっ!」

 

「召し上がれー」

 

 青はそういって、いつものように微笑んだ。青が作った朝食は、相変わらずとても美味しかった。そんなわけで、必然とご飯のおかわりが欲しくなる。

 まずいなあ……朝から炭水化物の摂り過ぎだ。でも朝はがっつり食べておいた方がいいのよねえ……心の中でおかわりの誘惑と戦っていると、青が私の顔を覗きこんできた。

 

「昨日は外デートだったから、今日はお家デートにしようよ」

 

「お家デート?」

 

「うん。映画とか見ながら、お菓子食べてイチャイチャすんの。どう?」

 

「イチャイチャって、あんた……」

 

「ねえ、いいでしょ? せっかくDVDも借りてきたんだし」

 

 昨日の帰りの道中、青は突然ツタヤに寄りたりといいだした。そういえばお菓子や、ジュース類も沢山買ってたなあ……なるほど、こういう魂胆があったわけだ。相変わらず小賢しいやつである。

 でもまあ、イチャイチャはともかくとして映画でも見ながら家でまったりか……うん、それも悪くないわね。私はそう思いつつ、上目づかいでおねだり中の自称性奴隷に顔を向けた。

 

「分った。じゃあ、今日はお家で映画の日ね」

 

「やったーっ!」

 

 

 

「ねえ、もう嫌だよ。そのシリーズ見るの……」

 

「なんでよ、面白いじゃない」

 

 私が手にしていたDVDを見つめながら、青はげんなりとした顔をつくった。因みに私がデッキにセットしようとしていたのは、『仁義なき戦い・広島死闘篇』である。

 時刻は17時20。私たちはかれこれ6時間以上、映画鑑賞していた。といっても見たのは、すべて『仁義なき戦い』シリーズである。まあ、この子が顔をしかめるのも当然といえば当然だわね。

 

「それじゃあ、次は青のおすすめでいいわよ」

 

「やったーっ! でもその前に、晩御飯作らなくちゃ」

 

「あっ、そうね。それ大事っ!」

 

 私はそういって、キッチンへ向かう名シェフをみつめた。それにしても青が料理を作ってる間、私はすることがない。流石に一人で仁義なきの続きを見るものなんだし……。

 夕飯が出来るまで、軽くシャワー浴びてビールでも飲もうかなあ……作田奈々・28歳。ズボラにして、相変わらずの酒飲みであった。

 

 

 

 シャワーを浴び終えてバスルームから出ると、にんにくの良い香り漂ってきた。濡れ髪をバスタオルで覆いながら、パジャマ代わりのスウェットに着替える。キッチンに行くと、青が器用にフライパンを煽っていた。

 

 いつみても、上手いもんねえ……逆立ちしても私には無理な芸当だわ。そんなことを思いつつ、冷蔵庫に手を伸ばし冷えた缶ビールを取り出した。髪の毛をドライヤーで乾かしながら、ビールをごくり――いまのような寒い時期には、暖房で温められた部屋で飲むビールは最高である。

 

 二本目のビールが空になったころ、テーブルの上には美味しそうな料理たちが並んでいた。本日のメニューは、スパニッシュオムレツに魚介のパエリア。ミニトマトとマッシュルームのアヒージョと、残り物のハモンセラーノ。

 わずか一時間足らずで……っていうかこれはビールなんぞ飲んでいる場合ではない。ワインよ、これはワインの飲まねばっ!

 

 

 

 

 美味しい食事と、ワインで身も心も大満足なアラサー女。二人で食器を片づけたあとは、スナック菓子を片手に映画鑑賞の続きが行われた。今度は青がご推薦の『小さな恋のメロディ』という作品だ。随分と昔の映画でかなりの名作らしいが、私は見たことがなかった。

 

 物語の舞台はロンドン。公立小学校に通う内気な少年ダニエル。そんな彼が同じ学校に通う、メロディという少女に一目ぼれをした。二人は急速に惹かれあい、11歳ながら周りに ”結婚します” 宣言する。

 

 当然ながら彼等の両親は大反対。だが二人らは諦めなかった。クラスメイトや友人の手を借りて、二人は子供たちだけの結婚式を行う。そこへ彼等の両親や、学校の教師たちが現れる。二人を引き離さそうとする大人と抵抗する子供たち――辺りは大混乱だ。

 そんな中、二人は友人の手引によりトロッコに乗ってあてもなく旅立ってゆく。物語はそこでエンディングを迎えた。

 

「どうだった?」

 

「……面白かった」

 

 青の問いかけに、私はエンドロールをぼんやりと見つめながら答えた。純粋ゆえに恐れを知らない二人の恋……彼等はその後、どうなったんだろう。

 まあ、親なり警察なりにご御厄介になって結局は強制送還だろうなあ……私がそんな身もふたもなことに考えを巡らせていると、青が独りいのように呟いた。

 

「ねえ、僕らもあの二人みたいにどっか遠くへ行こうか……」

 

 珍しくマジな表情……正直、ドキッとした。そしてそれが出来れば、どんなに良いかとも思った。でも私はあの二人みたいに若くもないし、純粋でもない。だから――。

 

「なにバカなこといってんのよ」

 

「はははっ、そうだよね」

 

 青は屈託なく笑い声をあげる。その表情はいつもの天真爛漫な彼に戻っていた。

 

 

 

 ピピピッ、ピピピッ――スマホのアラームで目が覚めた。時刻は7時30分。いつものように、ぼんやりとした視界で眼鏡に手を伸ばす。ベッドから体を起こしながら、欠伸をしつつゆっくりと体を伸ばした。

 うーん、まだ眠い……あれ、青は? キッチンに目を向けると、彼の姿はなかった。いつもなら朝食の準備をしているはずなのに……コンビニでも行ってんのかなあ。私はそう思いつつ、トイレへと向かった。

 

 

 

 時刻は8時10分。身支度を済ますと、いつものように会社へと向かう。青は依然として戻ってきてはいなかったが、朝食はちゃんと用意されていた。流石は作田家の料理番、その辺りは抜かりがない。

 それにしても、あいつどこに行ったんだろう……まあ、どうせ私が仕事から帰ってくる頃には戻ってるだろうけど。私はそう思いつつ、地下鉄の駅へと歩みを進めた。


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