愛しの青   作:はるのいと

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第二十一章「人生最高の夜」

 12時10分 社食。

 

「めっちゃ楽しかったなあ……」

 

「あっそ、そりゃようござんしたね」

 

 私は目の前でうっとり顔を浮かべている有紀を、冷めた目で見つめた。最近、男が出来たこの親友は、週末開けのたびにおのろけ話を披露する。正直いって、そのての話はシングル女にとっては、不愉快以外のなにものでもないのだ。

 

 早いもので嘘つき青からの手紙を読んだあの日から、2年が経過していた。本日をもって、私もとうとう悪夢の30代に突入である。因みに料理教室のおかげで、その腕まえはいまやかなりのものになっていた。

 

 だが相変わらず食べさせる男はいない……はっきりいってこれは忌々(ゆゆ)しき問題である。加えてこないだ実家の両親からは、見合い話を切り出された。やんわりと断っといたが、奴らは諦めていないようだ。四面楚歌――ったくどっかに、いい男でも落っこちてないかなあ……私は心の中で呟くと、溜め息交じりで昼食を続けた。

 

 

 

 17時30分。本日も無事に仕事を終えると、いつものようにロッカーで着替えを始めた。ちょうどその時だった、スマートフォンが着信を告げてきた。液晶画面には見慣れた番号――。

 

「なんか用?」

 

「つれないなあ……誕生日おめでとう」

 

「めでたくなんていわよっ!」

 

「はははっ。まあ、そうだろうな。因みに今年も相変わらずシングルか?」

 

「うっさい、余計なお世話よっ!」

 

「相手がいないなら、付き合うぜ」

 

 篤志はおどけるようにいってきた。因みにこの男とぼんくら女の見合いは、見事破談に終わった。原因はぼんくら女が、篤志を捨てて本命に走ったからだ。

 悲劇のお見合い相手――ぼんくら女の父親である専務は、篤志に手厚く謝罪してきたそうだ。ようするにこれは、上司にひとつ貸しを作ったということになる。野郎の出世コースをひた走るという当初の目的は、結果的には成功した。ったく相変わらず悪運の強い男である。

 

「アホか、男なんて両手に余るほどいるわよ」

 

「そうか、それは残念だ」

 

「っていうか、あんたも私なんか誘ってないで、そろそろ他の女でも探したら?」

 

「こっちはどっかの三十路と違って、そこまで焦る必要はなんいんでね」

 

「今度、三十路っていったらグーで殴るわよ」

 

「おお、怖い」

 

「そんじゃ、もう切るわよ……それと一応、ありがとう」

 

「ああ。それじゃ、その(・・)()たちによろしくな」

 

 なにが ”よろしくな” よっ! 心の中でそう叫びながら、私は電話を切った。すると途端に強烈な虚しさが襲ってきた。30女の見栄丸出しの嘘……。

 だがいわずにはいられなかった。それになにが悲しくて、元カレと誕生日を祝わなきゃならないのよ。私は溜め息を漏らしながら、着替えを再開した。

 

 会社を出ると、相変わらずの寒さが私を襲ってきた。このまま帰るのもなんだなあ……KARUで一杯飲んでくかあ。私はそう思いつつ、行きつけのBARへと足を向けた 。

 

 

 

 ほんの一杯のつもりが……今日が私の誕生日だと知ると、KARUのマスターはシャンパンを1本サービスしてくれた。まあ、残すのも悪いしなあ……というわけで全部一人で飲んだ。

 すきっ腹にシャンパン750mlとカクテル2杯――ベロ酔いとまではいかないが、かなりいい気分である。腕時計に目を向けると、時刻は21時45分を示していた。明日も仕事だし、そろそろ帰るか……。

 

 会計を済ませて外に出ると、さっきのような寒さは感じなかった。アルコールという名の毛皮が、私を寒さから守ってくれているのだろう。

 作田奈々・30歳。自分でいうのもなんだが、結構な詩人です。そういえばあの子と出会ったのも、たしかこんな日だったあ……私はそう思いつつ、青と出会ったネオン輝く銀座通りに足を向けた。

 

 

 

 銀座通りは相変わらず、待ち合わせやカップルたちで溢れている。このあたりは幸せな人ばかりだ。少しはおすそ分けしてほしいもんだわ……。

 私は溜め息交じりで手近なベンチに腰を下ろした。そして酔いに任せて、幾分重くなった瞼を閉じてゆく。すると隣に誰かが腰を下ろしてくる気配を感じた。

 

 ベンチは他にも沢山あるのに、なぜにわざわざお隣に? ナンパだろうか……あり得なくもないが、可能性は低い。なぜなら私は生まれてこのかた、ナンパされたことがないからだ。

 

 因みに電車通勤にも関わらず、痴漢被害も皆無です。これは親友の有紀にも話していない。っていうか誰にもいってない。このことは墓場まで持っていく所存だ。そんなことをあれこれ考えていると、隣の誰かさんが話しかけてきた。

 

「あんたみたいな良かおなごが、こげんとこで寝とったら危かよ」

 

 発音がめちゃめちゃな博多弁。だけどその声はあの頃と変わらず、とても綺麗に澄んでいた。

 

「誰が寝とるって? あいにく、うちはいまナンパ待ちたい」

 

「おおっ! そいは都合ばよか。こっちもあんたを、ナンパしようち思っとったところなんや」

 

「悪かばってん、うちはガキには興味はなかとよ」

 

「……もうガキじゃないよ。18歳は立派な大人っ! 結婚(・・)だって出来るんだから」

 

「結婚って……そういう発想がガキだっていってんのよ」

 

 私は小さく微笑むと、ゆっくりと瞼を開いた。すると隣にはあの頃よりも、男らしくなった青の姿があった。

 

「久しぶり。ちょっと縮んだんじゃない?」

 

「バカ、あんたがデカくなったのよ」

 

「元気だった?」

 

「まあ、それなりにね。そっちは?」

 

「まあ、僕もそれなりに」

 

 青はそういうと、静かに私を見据えてきた。色素の薄い栗色の瞳が、宝石のように輝いている。そう、あの頃となにも変わらずに……。

 

「それで本日のご用件は?」

 

「分ってるでしょ」

 

「さあ? 全然分りません」

 

「手紙に書いたあの賭け覚えてる?」

 

「ええ、覚えてるわよ」

 

「あれねえ……どうやら僕の勝ちみたいだよ」

 

 青は得意げな表情で見つめてきた。

 

「ったく、あんたもしつこい子ねえ……」

 

「一途っていってよ」

 

「あのねえ、いっとくけど私は今日で30歳になったの」

 

「知ってるよ」

 

「女30。色々な意見はあるけれど、一般的には結構、崖っぷちの待ったなしなのよ」

 

「知ってるよ」

 

「未来のない恋愛で、時間を無駄にしてる暇は私にはないの」

 

「知ってるよ」

 

「知ってるよ、知ってるよってねえ……あんた本当に分ってんの?」

 

「分ってる。だからこれが僕の覚悟の証――」

 

 青はそういうと、ポケットからA3サイズほどの用紙を取り出した。そしてなにくわぬ顔で、それを私に差し出してくる。ええと、これは俗にいう婚姻届というやつですなあ……ええっ、婚姻届っ!

 夫の欄にはすでに小鳥遊葵と書かれている。私はハッとして顔を上げると、目の前の元性奴隷に目を向けた……めっ、めっちゃニコニコしてるし。

 

「あ、あのさあ……こ、これってマジ?」

 

「超マジ」

 

「超マジって……あんたまだ18でしょ?」

 

「だから?」

 

「だからって……あ、あの厄介なお父さんのことはどうすんのよ」

 

「♪ ケーセラ~セラ~、なるようになるさあ~ ♪」

 

「いやいや、ならないでしょ」

 

「大丈夫。絶対、僕がなんとかするっ!」

 

「なんとかするって……」

 

「だからあの手紙の約束通り、今日は奈々の本音を聞かせて」

 

 私の本音って……いきなりの急展開で頭がぼーっとする。っていうかこれは単純にお酒のせいか……今頃になってボディーブローのように効いてきたわ。

 やっぱりシャンパンって、なんっていうか魅惑的なお酒なのね……いやいや、いまはそんなことどうでもいいのよっ! プロポーズ、これはもろにプロポーズよっ!

 

 どうする? ねえ、どうすんの? 奈々っ! 私の次の言葉を、青は固唾を飲んで待っている。ど、どうしよう……。取りあえず、この重苦しい沈黙は耐えられない。なんでもいいから、しゃべんなきゃ……。

 

「あ、あのさあ、まえから思ってたんだけど……」

 

「うん、なに?」

 

 青は緊張した様子で、生唾を飲み込んだ。そして期待を膨らませた大きなおめめが、何度も瞬きをしている。そんな彼を見つめながら、私はおもむろに口を開いた。

 

「そのカーボーイハット……全然似合ってないよ」

 

 私のこの発言に、青は当然のごとく無表情のまま固まった。すると暫しの沈黙が二人の間に流れだす。そして見つめ合う30女と元性奴隷。程なくして自分の失言に気付いた私は、この真冬にも関わらず、薄っすらとかいた額の汗を拭いながら口を開いた。

 

「す、すまん……いきなりの急展開に、ちょっとテンパった」

 

「気持ちは分るけどさあ……それじゃ、仕切り直しね」

 

 青は溜め息交じりでいうと、もう一度真剣な眼差しを向けてきた。どうやら私も腹を括らねばならないようだ。

 瞼を閉じて深呼吸を一つ。余計なことは考えるな、大事なのは自分自身の素直な気持ちだ……数十秒後、私は静かに瞼を開いた。そしてゆっくりと、青に視線を合せてゆく。

 

「どしても私じゃなきゃダメなの?」

 

「うん」

 

「……マザコン」

 

「マザコンっていうほど、年は離れてないじゃん」

 

「諦める気は?」

 

「さらさらない」

 

「早やっ」

 

「奈々こそ、もう諦めたほうがいいんじゃない? じゃなきゃ最悪の場合、僕はあなたのストーカーになっちゃうよ」

 

 呆れた脅し文句。ったく相変わらず無茶苦茶なんだから……でもまあ、この子のいう通りね。よしっ! 宴もたけなわ、それでは清水の舞台から飛び降りるとしますか――。

 

「ストカーは流石に困るわねえ……それじゃ、しょうがないから謹んで申し出をお受けしますわ」

 

 私の答えに青は瞳に涙を溜めながら微笑んだ。これじゃ、男女の立場がまるっきり逆でしょうが……でもしょうがないか、だって相手は年下の男の子だもんね。私は心の中で呟く――。

 

 ちょうどその時だった、青がスローモーションで私に近づいてきた。まあ、当然こうなるでしょうね……私はゆっくりと瞼を閉じてゆく。

 重なる柔らかい唇の感触――行き交う人々のからかう声が鼓膜に届く。気にしない、気にしない。一休さんの精神でいこう。それにしても三十路にして人生初の路チュー……流石にテレます。

 

 暫くすると、重なっていた青の唇が静かに離れた。私はゆっくりと瞼を開く。色素の薄い綺麗な瞳。きめの細かい色白な肌。私よりも長くてくりんとカールしたまつ毛。私だけの天使は、照れくさそうに微笑んでいた。ったく腹立つくらい可愛いわ……あっ、や、やばい――。

 

「ひっく、ひっく――」

 

 作田奈々・30歳。ずぼらで飯食いな私はまたもやこの天使に、ときめいてしまったようだ。全くもって本当に懲りない女です。

 ほんの数年前までは、自分には平凡な人生がお似合いだと思っていた。だがあの日、3年物の男にフラれ、私は一人の天使を拾った。

 

 自由奔放で天真爛漫。私の生活は、もうひっちゃかめっちゃか。でもその一方で、彼には身も心も本当に癒された。あの日の出会いがなければ、正直いまの私はなかっただろう。

 

 そう考えると人との出会い、そして人生とはかくも不思議なものだ……などど偉そうに人生訓を述べる三十路女。それはそうと、青は私が料理の腕を上げたのを知らない。はっきりいって、いまではやつを凌ぐ腕前になっているはずだ。

 

 という訳でようやく ”ビストロ奈々” の開店である。初めてのお客はこの頼りない未来の旦那様に決定だ。30歳になった途端に肉欲系女子になった私は、心の中でそう呟きながら、目の前で微笑む性奴隷(・・・)の唇を、雌ライオンのごとくおもいっきり塞いでやった。

      

                                

                                「愛しの青」完

                                                     

                                 

 

 

 


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