大筋では変わっていませんが、よければご再読ください。
失礼致しました、と声をかけ、理事長室から退出する。
「まさか睦月さんが理事長代理をしているなんて、思ってもみませんでした」
「本人も言っていた通り、あの方はもしも学園で問題が発覚した際に備えた、尻尾切りのための人員なのです。勿論、教師や織女さんの護衛としても十分に仕事をこなしていますが。ただ、個人的には人前で煙草を吸うのは辞めてもらいたいところです」
「まあ、女性で煙草を嗜む方もゼロではありませんから」
既に陽が落ちかけた夕暮れ時。予定通り放課後の学院へと連れられ、まず案内されたのは理事長室だった。その先では、思いもよらない人物と再会することとなった。
高宮睦月。風早のグループ企業の一つである警護会社に所属するボディガードであり、かつて護身術を学んでいた時にお世話になった人である。僕と同じく彼も何故か女装していたが、女学院という環境が男性教師すらも排斥するためなのだろう。
睦月さんの女装姿は、男性と疑う余地のない程完成されたものだった。けれど、その姿に少しの違和感を覚えてしまうのは男性姿を知っているせいだろうか。直視していると、どこかおかしさを感じて噴き出しそうになってしまった。
「……鏡子さんから見て、私ってちゃんと女性に見えています?」
ならば自分は?と思い、男としての姿を知っている相手に尋ねる。声色は女性らしく高めを意識し、仕草も男の気配が出ないように注意を向ける。表情に薄い笑みを浮かべると、鏡子さんは真面目な表情で頷いた。
「ええ、どこから見ても淑女ですよ。安心するといいのです」
「そうですか。ありがとうございます」
気を抜くのはともかく、無闇に不安に思う必要はないという事だろう。ほっと息を吐く。
「とりあえず、用事としてはこれで終わりなのです。編入は明日からですが、この後密さんの入る寮で歓迎会が待っています。校内を軽く見回ったら、寮に来てください。寮の場所はわかりますか?」
「わかりました。場所も大丈夫だと思います」
「何か問題があれば電話を下さい。それと、今は試験準備期間ということもあり、どこも人は少ないのです。くれぐれも、人気のない所で獣欲に負けて理性を開放したりしないように」
「しませんよっ!!」
鏡子さんの茶化すような言葉を最後に、彼女を見送る。
足音が遠く消えると、途端に静寂が耳に押し寄せる。
騒ぐ生徒の声もなく、自分だけがこの空間にいるんじゃないかという錯覚に襲われる。
「立ち止まっていても時間の無駄か。とりあえず、歩き回ってみよう」
カツン、と足音を廊下に響かせて、当て所もなく歩き出した。
校舎を一通り回ったところで、昇降口から中庭へ出る。
ざあ、と心地よい風が吹き込んでくる。青い草木の匂いが、校舎に染み込んでいた"女性の空間の香り"とでも言うべき匂いを上書きする。
軽く頭を振り、周囲に視線を向けてみると、女生徒の姿を見つけた。
「────」
彼女は後姿からでも見て取れる、長く美しい金髪をサイドテールにまとめ、マリア像の前で熱心に祈りを捧げていた。試験準備期間という学生が忙しくなる時期でも祈りを欠かさないとは、敬虔な信者なのだろう。その姿がどこか神秘的で、言葉に出来ない存在感の強さを感じさせる。
その後ろ姿に何故か既視感を感じながらも、邪魔するのも悪いだろうと思い、音を立てないようにしてその場を去ることにする。
幸いにも、祈り続ける彼女には気付かれずに済んだらしかった。
離れるようにと足を向けた先では、また別の女生徒と遭遇した。こちらの女生徒にも、僕の存在は気づかれていないらしい。それというのも、彼女は中庭の東屋ですやすやと寝息を立てていたからだ。
スマホで時刻を確認する。段々と日の落ちる時間は遅くなってきているが、そろそろ夜の帳が下り始める頃だ。午睡を楽しんでいる彼女には悪いが、起こした方がいいだろう。鏡子さんに保証された女性らしさを意識して、眠り姫に声をかける。
「もしもし、そちらの方。もう日も暮れる時間ですから、そろそろ起きられては如何ですか?」
「うぅん……」
声に反応してか、腕枕に隠れていた彼女の顔が露わになる。
一目見て、美人である。いや、佳人と評した方が適切だろうか。その美貌には、どこか儚げな印象を抱かせる。寝癖をそのままにしたようなボサボサの長髪だが、手入れはきちんとされているようだ。
そんなことが理解できるようになったのも訓練の賜なのだから、この一か月は無駄ではなかったと改めて思う。そして、無防備な女性の寝顔を観察していることに自己嫌悪する。
「ふわぁ……あれ? こんにちは」
「こ、こんにちは。ご気分が悪いんですか?」
顔を上げた彼女に、動揺から少しどもりながらも挨拶を返す。
こちらの質問に首を傾げていた彼女だが、寝起きながらもじっとこちらを観察するかのような視線に居心地の悪さを感じる。もしや、女装がばれているのではと不安になる。だが彼女は何かに納得したらしく、小さく声を漏らすと、ふんわり微笑んだ。
「初めまして、仲邑茉理です。気分は悪くないです」
「ええっと、初めまして、結城密と申します。調子を崩して眠られていたのかと思ったので、何事もないなら何よりです」
「ううん、わたしお昼寝が好きでよくしてるんだ。でも、今日は少し寝過ごしちゃったみたい」
「そうでしたか。段々暖かくなっていますが、もう夕暮れも近い時間ですし、身体を冷やさないように気を付けて下さいね」
「うん。ありがとう」
奇妙な会話のペースに翻弄されそうになるが、どうやら先程は自分の記憶を探っていただけのようだ。言葉の通り体調は良好なようで、楽しげな表情と声色をしている。
「あんまり見かけたことがないと思うんだけど、もしかして背の高い一年生?」
「いえ、三年です。明日からの編入になりますから、見覚えがなくて当然だと思います」
「そうなんだ~。じゃあ、密さんは同級生なんだね」
いきなりの名前呼びに多少面食らう。この距離感の近さは、学院全体の空気なのか、それとも彼女特有のものなのだろうか。穏やかな雰囲気と合わせて、何だか自分の内面に入り込まれるような感覚がある。
名前呼びに対して名字で返す訳にもいかず、少しつっかえながらも会話を続ける。
「茉理さん、も三年生なんですね。なら、もしかしたら同じクラスになるかもしれませんね」
「ううん、どうかな? 密さんはたぶん私とは違うクラスだと思う。クラスの子が、他のクラスに転入生が来るって噂してたから」
「私の事、噂になってるんですか?」
「わたしはあんまり噂に詳しくないんだけどね。やっぱり転入生って珍しいからみんな興味があるんだと思うよ」
「そうですね。私自身、こんな時期の転入生なら興味が湧くと思いますから」
「そうだね~」
にこやかに微笑むだけで、茉理さんは事情を尋ねようとしない。正直な話、詮索されても答えに窮するのでありがたい。彼女はやはり距離感の取り方が特殊なのだろう。
ここで言う答えに窮するとは、カバーストーリーとしても碌なものが思いつかなかったため、お茶を濁すようなものしか用意できていないからだ。まさか本当の事情を話す訳にもいかないし。
「それでは、私はそろそろ帰りますね。茉理さんは徒歩ですか?」
「ううん、迎えが来てくれるから平気だよ。だから、密さんとはここでお別れだね」
「わかりました。それでは失礼します」
「うん、またね」
手を振って見送ってくれる彼女に別れを告げ、校門へと足早に向かう。
茉理さんとの会話が弾んだせいか、思ったよりも遅くなってしまった。スマホを確認すると、鏡子さんから迷子になっていないかというメールが届いていた。
返信の文面を打ちながら、いつの間にか緊張が解けていたことを自覚する。茉理さんとの会話で自信が得られたおかげだろうか。
きっと、明日からも大丈夫だ。寮へと向かう足は軽かった。