波に揺られる豪華客船のデッキで、流樹は片手にシャンパンを飲みながら溜息を漏らす。
カンピオーネということで刺さる恐怖と畏怖の視線から始まり。次は、王の権力と影響力を欲した欲丸出しの魔術師の挨拶。
やってくる人の大半は、やれ、家の娘を御付きにとか、やれ、娘は出来のいい魔女でして、ぜひとも従者に、とか、自分の娘を傍に置かせようとしてくる人ばかりだ。
ヴォバン侯爵ともドニとも違うタイプだと分かったことで、少しでもお零れをもらおうと思ったんだろう。
「流石に、カンピオーネになる前だったら気づかなかっただろうけど、今は分かっちゃうしな」
カンピオーネには本能とも野生の勘というべきものが例外なく備わっている。それは、戦闘以外にも、賭け事や人と話す時にも作用する。つまり、いくら作り笑いをしても、いくら雰囲気を誤魔化しても、にじみ出る欲深さは悟られる、というわけであり、その相手を数時間もしていた流樹からすれば、少し位一人になる時間が欲しかった。
「長いものには巻かれろってことかね」
グラスを傾けてシャンパンを全て口に流し込む。空っぽになったグラス越しに空に輝く月を覗き見る。
グラスに反射して月明かりは歪み、月が二つにも見えた。
「そういや、ゆっくり空の見上げるなんて久しぶりだな」
まつろわぬアヌビスとまつろわぬケツアルコトルを殺したことでカンピオーネとなり、次はまつろわぬ玉藻前、そして同じカンピオーネである、サルバトーレ・ドニとの決闘から、数日後にはヴォバン侯爵との戦い。決着は着かず、不完全燃焼で終わった。
別に終わったことをグチグチと言うつもりはない。そのうち、戦う機会なんてやってくるだろう。ただ、忙しかった。学校、勉強、テスト、命を賭けた殺し合い、決闘、依頼。一年と経たずに何度死にかけたことか。
「マジで、サポートを頼める従者を一人でも、探したほうがいいのか?」
波の音だけが聞こえる中で、カツカツとヒールが床と当たる硬い音が僅かに聞こえてきた。
「ん?」
上を向いていた顔を正面へと戻すと、そこには、雪のように白い肌に銀髪で水色のワンピース型のドレスを着た少女がこっちに向かって歩いていた。
「やっと見つけましたよ。命の恩人様」
目の前で止まり。
背筋をピンと伸ばして、ドレスの端を指で摘まみ上げて、軽く頭を下げる。
「一度会った際には挨拶をする事が出来なかったので、改めてさせて頂きます。ロシアの魔術結社《
正直言おう。知らん奴だ。
いや、もしかしたら見たかもしれない、もしかしたら包帯を巻いたかもしれないが、何十人といるなかで、一人一人の顔を覚える余裕なんて無かった。
「正直言って覚えてない。だから、初めましてでいいよ」
首筋を掻き、目を逸らしながら、正直に覚えてないことをファルナに伝えると、ファルナは嫌な顔をせずに、頷いた。
「はい!月宮流樹様。早速なのですが、私を従者にする気はありませんか?」
いい笑顔と元気な返事と一緒に返ってきたのは、さっき、自分が口にしたことを聞いてんじゃないかと思えるような言葉だった。
「従者って、メイド的な意味?それともカンピオーネの戦闘の補助って意味?」
「個人的には後者が望ましいですが、前者でも可です。それが、私がヴォバン侯爵に連れて行かれてる間に、結社の私の立ち位置が、もう後輩に奪われてまして。見事に放逐された状態なんです。それに、助けて頂いた時に、月宮流樹様に一目ぼれしまして」
頬を赤く染めながらクネクネしているファルナ。
聞く限りでは、不運な奴だ。
生贄になって帰ってきてみれば、後輩に立場を奪われて、結社に居続ける事はできず厄介払いされたわけか。
「ヴォバン侯爵が生贄に欲しがる奴を結社の奴らが、そんな簡単に捨てるのかよ」
「いえ、私。正確には私の血筋はある呪いがありまして」
「呪い?」
「三代前の当主が悪魔と取引して魔術の才能と引き換えに、自分より魔術で優れた者としか交わっても子が出来ない、というアホな呪いを与えられまして。結社としては、私で終わるかもしれない家よりも、続く家の子に経験を積ませたかったのでしょう。代わりに私は一目惚れした月宮流樹様の所で従者になって、出来れば子供も授かって暮らしたいところです」
腰に手を当ててピースをしながら、結構暗い話を軽くしてくれたものだ。
呪いと後継ぎか。
「確かに、アホな呪いだな」
そしてこの子は結構、アホな子だ。ことの重要性を理解していない。
「お試し期間ということで1ヶ月位お願いしようかな。魔術に関しては俺は疎いから」
「それでは、お願いね。未来の旦なぁ~!?」
ファルナが話してい最中にグラリ、と大きくなる豪華客船が横に揺れる。
「おっと!」
揺れによって傾く体を脚に力を入れて立て直しながら、柵から上半身を乗り出し海面を見る。
この豪華客船が浮かんでいる海域はこの時期、荒れることなく静かだ。だからこそ、豪華客船はこの海域を選んだ。つまり、海面が荒れる何かがあったか、何かが居るかのどちらかだろう。
一般的には、前者が正解で解決するものだが、乗っているのは、魔術の関係者とカンピオーネ。この場は後者と見るべきだ。
そして、それは的中していた。
海面に居たのは、いや、あったのは足。
先端は槍の穂先のように細く徐々に太さを増し、直線の吸盤が足にある。それは、タコかイカのどちらかの足であり、海で大型の船を襲えるほどの巨大な生物といえば、ゲームやアニメ、映画の題材にすら用いられる有名な海の怪物━━クラーケンだ。