『……ああ、どうやら本物の”バケモノ”らしいな。予知者には二重盲検法もどきも効かんとみえる』
『二人の医師もご苦労。つまらん事に付きあわせてしまったな、後で説明はする』
そんな若い女の声が診療室に響く。呉以外の医師二人は戸惑った様子を見せたが、その後の行動を同じ声に促され、診療室を移動することになった。何故なら、彼らがこの後、会う予定であった上司である『戸馬的』という名前を出されたからだ。
坂井は『戸馬的』という女性について知っていることを思い出しながら、白い廊下を二人と連れ立って歩いた。彼女は悪魔憑きを保護する組織の監察官であり、クールな美人である。
――といった情報は実はどうでも良くて、坂井が聞いた話の重心は、かなりその後であったのだった。曰く、傍若無人、完璧超人。彼女の所属する組織には『霊柩課』という何とも言えないあだ名がついているのだが、まさしく、その名通り、ある少女を棺桶に入れて引っ張ってきたことが彼女の名を少なくとも病院内では有名にしていた。
その少女は担当した医師に聞いたところによると、間違ってミキサーに落ちたような状態で病院に担ぎ込まれ、間違ってそのまま生き残ってしまった、といった状況であったらしい。実際、病院では彼女の棺桶が用意されていたという話だ。
その後の彼女が『オリガ最恐』となったことも、戸馬的と言う名を知らしめた原因の一つなのであろう。
三人が着いた場所は、先の診療室とあまり変わらないように見える部屋であった。しかし、外面が似ているというだけで、その監察官御用達の診療室――通称、拷問部屋は中に入ると様相が一変する。
中には診療室にあったような資料棚やら椅子、ベットなどのごちゃごちゃしたモノは一切置かれていない。代わりに、妙に広く感じる部屋の中央に――坂井はその妙な感覚の原因を部屋中央に居座る戸馬に求めたのだが――申し訳程度の机と椅子が置かれている。それらは、よく刑事ドラマなどで取り調べ室として見るセットのようであった。
そのセットの向こう側に、スーツを着た美人は座っていた。あまりにも綺麗な美人というのは近寄りがたく感じるというが、戸馬的はまさしくそれであると坂井は感じる。
「キヌイ医師とサカイ医師、だったか。先も言ったが、つまらんことに付きあわせて悪かったな。一応、説明はしよう」
彼女は椅子に座り、腕を組んだままそう切り出した。
この部屋には、彼女の対面に用意されている椅子以外にモノがない。必然、坂井たちは扉近くに立ったまま、彼女の説明を聞くこととなった。
「そこの”バケモノ”の能力だという――未来予知の検証の為に君たちを呼んだというのは、その通りだ。しかし、まぁ、そいつが本当に”未来を予知”をしているか、という所に物言いがついてな。その確認の為、君たちに出張ってもらったわけだ」
「物言い、ですか?」
ドクターロマンの疑問に、戸馬はそうだと頷きながら説明を続ける。
「君たちの前の医師は、そこのカルテに書いているように”バケモノ”の妄想を未来予知と断定したが――実はそうでは無いのではないか、という意見があがった。その医師は勿論”予知”だという、それの話を書き留めておいて後で確認していた訳だ。そして彼の書き留めておいたモノと現実に起きた出来事が一致していた、とされているから未来予知だと判断した。
だが、コイツら”悪魔憑き”を、その様な常識で測るなんて出来んのだ。それだけではコイツが本当に”未来予知”したとまでは言えん」
「……そうなんですか?」
坂井は、顎で呉を方を指しながら言う戸馬の言葉に首を傾げた。
「ああ、今の話では全く断定出来ん。一つの可能性は、コイツが対面する個人に何らかの影響を及ぼした可能性がある。例えば催眠術だとか、それこそ精神を操るだとかでもいいが……何らかの操作をして、その医者が未来予知だと確信させればいいわけだからな。そうまでして自身の能力が”未来予知”だと錯覚させる、動機までは健常な私には分からんが。
最初はいつもの悪魔憑きの世迷言だとして、あまりコイツに注意を払ってなかったんだよ。だから診断に第三者を介在させる、なんて面倒な事はしなかったんだが……」
それまで、そこに人間が存在していないかのように振る舞っていた戸馬は、その時、初めて呉の方に視線を向けた。
それは呉を――悪魔憑きを人間扱いしていない、という戸馬のスタンスから滲み出たように坂井は感じた。
「なるほど、それで『二重盲検法もどき』と」
「ある種の先入観を排除した状態で確認したかったからな。それの斜め上をいく結果はさすがに予想してなかったよ」
斜め上の結果――というのは呉が戸馬の監視を知っていたということであろう。確かに、そこまでいくと精神を操るだとかでは説明がつかない。それこそ驚異的な洞察力――未来を予知するレベルの――が必要になるだろう。
もし、未来予知が本当でなくても、その驚異的な洞察力で同じようなことが出来ればそれは”未来予知”とっていいのではないか――
「ま、そういう訳だ、ご苦労だったな。これからはこの監察官、戸馬的がこれを引き継ぐ。帰っていいぞ」
もう用済みだとばかりに手をふる彼女は悔しいが、その態度が『戸馬的』にはとても似合っている。
二人が部屋から出ようとした時、ドクターロマンが何か思いついた様子で振り返る。そして、とぼけた声で戸馬に質問を投げかけた。
「そういえば……呉君は何故、D棟収容予定だったんですか? 確かにアゴニスト異常症として安定はしていますが、そう危険には思えないんですが」
「ふむ、そうだな、聞きたいかね?」
ニヤリ、戸馬は笑って――とても楽しそうに彼の前任者の顛末を話した。
「先任の医者だが止めときゃいいのに、そこのバケモノに自身の未来を聞いて絶望して首をくくったよ――どうだい、これでも危険でないと言えるかね? キヌイ医師、君は運がいい、命拾いをしたよ」
二人は話を聞いた後それぞれ微妙な顔をして部屋から出ていった。ドクターロマンはただ自身の患者が監察官に取られた風に感じた様子であり、坂井の場合は自身が実験のあて馬であったことに嫌悪感を感じた様子から、両者は全く違う理由に寄ってのようであったが。
最後に坂井が扉を閉めると、この部屋には二人しか存在しないことになる。
瞬間、戸馬は呉の顔を横から綺麗に殴り抜いた。
バキッと痛そうな音が部屋に響く。ストレート、振りぬいたそれは呉の身体を漫画のように吹っ飛ばしたが、殴った張本人である戸馬は倒れる呉には目も向けないで、何事もなかったのように先から座る椅子へと戻ったのだった。
「これからお前を担当する監察官の戸馬的だ。私は名前を間違えられるのが好きではない。以後、気をつけるように」
殴られた呉は、頬に手を当てながら呆けた様子であった。戸馬は手招きをして目の前の椅子に座るようにジェスチャーする。
おずおずと呉は戸馬の前に座った。
少しビビった小動物臭い動きであった。
「……監察官、ですか?」
「ああ、お前らのようなバケモノが善良な国民に危害を与えないように監督するのが仕事だ」
「はぁ…… なるほど、監察官の戸馬的さん」
「白々しいな、呉一郎。診療室での会話を聞いて、キヌイ医師に未来を知らせるの踏みとどまったから少しは素直に自身の在り方について反省したのかと期待したんだが……お前を買い被り過ぎていたようだ」
「……」
「まあいい。お前さんが真人間に戻ることなんていうのは、この病院が期待することでもないし、目的でもない。それよりもだ、呉一郎。お前は運がいい、すぐに退院できるかもしれんぞ」
そういうと呉は少しばかり、その目を見開いた様子を見せた。
そんな彼の姿を見ても、戸馬は彼がその通り驚いているとは確信できなかった。何ともやりにくいものだ――と彼女は心のなかで舌打ちした。
「お前なら既に知ってるかもしれないが、この後、お前さえ同意すればここからお前を出してやることができる。勿論、ここへの入院によって、オリガの優秀なカウンセリングのお陰で社会復帰できるまで回復した、という体で進めるがな。だから外に出ても他県へ移動はできないが、この監獄にいるよかはマシだろう?」
「ありがたいことですが……何故、そんなことを態々?」
「別にお前の為ではないさ。このオリガも設立から10年程経つ――その間に完治とは言わなくても、治療に成果がないというのは反対派にとっては格好の反撃材料になるんでな。ああ、ここで言う反対派っていうのは、お前たちのような”悪魔憑き”に国民の血税を投ずるのに反対する、真っ当な人達のことだ」
「しかし、ここの退院には奉仕活動とやらが必要だと聞きましたけど」
「確かに普通だとそうだが、お前の場合は”オリガの優秀なカウンセリングのお陰で”、”速やかに退院した”、サンプルとして必要なんだ。それと、別に奉仕活動をしなくてもいいという訳でもないぞ」
「……?」
「別に奉仕活動は、誰にでも、どこでも、できるだろう? 呉一郎?」
そういって戸馬的は、とても楽しそうに笑うのだった。
「っふふ、戸馬的さん、ホント想像していた通りの人だ!」
「それは、お前の気持ち悪い妄想の話かい?」
「ええ、あなた方の言う”未来予知”の話ですけどね。その中でも、あなた程強烈なネタキャラは居なくて……ふふ、流石に人間最強?だけはあるのか、何とも威圧感がスゴイ凄い」
「……お前、さっきと雰囲気が違うんじゃないか?」
「はい、どうも、この”本の俺の設定”がなんかブレているみたいで。これからは、ある程度のブレも許容されるみたいですし。あのですね、さっきの診療室で『これで合格ですか、トマトさん?』なんてカッコつけて言ってましたけど、あれ言わなかったら詰みでしたからね? あそこでああ言わないと、戸馬さんボクを見捨ててD棟にブチ込んでたでしょ? それで二度目の人生早くもジエンドですから」
「まぁ、そうかもしれんな」
そう言って、再び戸馬の右ストレートが呉の右頬に突き刺さった。
「ブゲぇ――いてぇ、マジ痛いです戸馬さん! 流石、最恐キャラ! あの妹さんを倒しただけあるなぁ」
「案外、気持ち悪いんだな、お前」
フンっと鼻を鳴らした戸馬は立ち上がり、呉に背を向けながら出ていこうとする。
「物分りだけはいいらしいが、まぁ問題だけは起こすなよ。私はお前の監督官で、何かあればお前をD棟に入院させることができるのを忘れるな」
「ワァオ、マトさんマジ鬼畜」
扉に手をかけ出ていこうとした、その時――戸馬は呉に言わなければならない事を伝える為に――口を開いた。
「それとお前の両親、親族はお前の受け入れを拒否したから施設の方になる。ああ、住む所は心配するな、ボロい福祉アパートだったかに入れるだろうし、多少なら給金がでる」
「――はい」
戸馬は、そんな真面目な呉の返事を背中に聞きながら、チラリと呉の方を見たの後悔した。
はい、とだけ応えた呉は歳相応の――傷ついた男の子の顔をしていたからだ。
************
『ピンポーン』
「はい、はい」
玄関のチャイムがなる。それに応える。ドカッと右から壁ドンが聞こえる。
この流れは随分と懐かしいモノであった。この第十三号福祉施設住宅には、金無い、危険度Sという誰得な住民しかいないことは周知の事実であるので、セールスマンや泣く子も黙るNHK集金の人もこないのだ。
俺は自慢じゃないが友達が少ない。我が愛しき妹さんに腕を食われ、社会からドロップアウトしてからは、それに拍車がかかっている。何が言いたいかというと、こんな遅くにうちを訪ねてくるような人に覚えはない、ということだ。
ガチャっと立て付けの悪いドアを開けると、そこには真面目そうな青年がたっていた。
こんにちは、と礼儀正しく頭を下げる彼に釣られて、こちらこそとオジキを返す――なんだ、このコントみたいな状況は。
「あ、マトさんから聞いてると思いますけど、この度此処に引っ越してきた呉一郎と言います。宜しくです」
「ああ、丁寧にどうも。石杖所在です」
「ええ、知ってます」
ん?と彼の返答に思うところがあった思考を中断したのは、先より数段アップした壁ドンであった。この古ぼけたマンションは壁が薄いらしく、まあうるさいと隣さんは直ぐにご立腹するのである。なにより、このマンションの住民に壁ドンされている事実だけでビビる。
「まぁ、立ち話もなんだから上がっていってくれ、何もだせないが」
「そう、ですか……じゃあ、失礼します」
中に入った青年は、周りをキョロキョロと見回して、うわーと何故か薄く声を出しながら感嘆している。好奇心の塊のような、その様子に俺はあのマキシム善人を思い出した。
何も無いながら、コーヒーを入れてもてなしの心を表現するに、クレはありがとうございます、と言いながらズズッと啜った。
はぁ、と男二人が息をつく。
野郎二人だと、いつもの部屋が小さく感じた。
「で、すまんが、俺はマトちゃんから何も聞いてない」
「ええっ! ――あ、あれじゃないですか、昼に聞いていたとか」
ぬぅ、ぬかった、その可能性を忘れていた。
というか、なんでこのクレという男は初対面のはずなのに俺の記憶の事を知っているのだろうか? いや、マトちゃんから聞いたんだろうけど――と監察官のプライバシーポリシーを思いながらメモ帳をめくると、そこには確かに呉一郎の名前が書いてあった。
『 !呉一郎! →ツラヌイからの依頼、妹の呉モヨ子が探している! 早急に!』
嫌な予感しかしない。特に妹の部分とか。
「つかぬ事を聞くが……妹さんとかいらっしゃる?」
「はい、居ますが……それが?」
不審げな顔をするクレに、メモ帳の依頼がジャストミートだと当たりをつけた俺は違和感を覚える。クレが来たのは唯のマトちゃん絡みの……マトちゃん絡み?
「マトちゃん絡みというと、新しい監督官さんとか?」
「何言ってるんですか、自分はアリカさんと同じ退院組ですよ」
「ああ、そっち」
となると、今回のご挨拶とこの昼の胡散臭い件は無関係?
もし無関係だとしたら……どんだけご都合主義的展開なんだ、これ。
「マトさんに、まずは先輩のアリカさんに、ご挨拶しとけと言われまして」
「えー、マトちゃん、俺がそんな柄じゃないの知っているのに」
「舎弟になってこい、と言われました」
「マトちゃん、ホント止めてくれ……」
メモ帳に書かれた不吉な依頼は置いといて……俺は目の前のマキシマム善人二号の目の輝きの対処に困るのだった。