俺は最近、因縁があるらしい『ダイニングバー星雲』の扉を開けた。
大学の教室ぐらいの店内には、テーブルが所狭しと並べられていて何とも貧乏臭い。そんな雰囲気を醸成しているのは客の上品とはいえない会話、煙草の煙、酒が入ったグラスの奏でる音である。
正直この店に、こんなにも客が入る要素を見言い出せないのであるが、時たま寄るダイニングバー星雲はいつも、この様に満員である。最近の出来事――あまり思い出したくもない”悪魔払い”の事件の時も、ここは客でいっぱいであったはずだ。
そんな、あまりお近づきになりたくない場所に何故、俺が居るのか。それは最近、我が支倉市第十三号施設に引越ししてきたマキシマム善人二号と一号の奇妙な繋がりに答えを求めることができよう。つまり、あのツラヌイから受けたと思われる依頼を――いつもの様に記憶はまったくないが――報告するために此処を訪れたのである。
ドアを閉め、振り返ると奥のほうで、やはりというべきか貫井未早が全身で喜びを表現する犬の様にブンブンと、そりゃもう遠くに居る自分に音が聞こえそうな勢いで腕を振って自身をアピールしていた。
もう、この場で180度ターンして帰りたいところであるが、そうもいくまい。何より今の財政危機と空腹の両方を解決するために、ここダイニングバー星雲を俺は待ち合わせ場所として指定したのだ。
「もう先輩、なんでそう嫌そうな顔をするんですかー」
「だから、そういう動物的な感情表現はやめろ、恥ずかしい。霊長類なら、もっと慎ましく文化的に表現しなさい」
「なんですかー、素直な心は美徳だって松下幸之助も言ってましたよ」
ブーブー、文句を垂れるツラヌイを無視し、メニューを出して晩御飯の選定にはいる。今夜はいつもの様にクラブサンド一択なんて悲しいチョイスではない。懐の心配をせずに食べられる食事こそが真に文化的な、最低限度の食事と言えるのではないだろうか。
――そうである。今日、場所をここに選んだのは先の依頼の報酬として飯をおごってもらうためであったのだ。そこ、後輩の女の子におごってもらう男の人って……なんて言わない。
フォアグラを頼もうとして、さすがにそれはと自重している間に隣のツラヌイはメニューから迷いなくフォアグラを注文していた。
既にテーブル上には粗方片付いた食器が存在しているというのに、である。それも一人分というには少し無理のある量であるのだ。
「でも流石、先輩ですよ! この間からまったく日が経って無いじゃないですか、もうしかしてアレですか、秘密の情報網なんてあったりしちゃいますかっ?」
「な訳あるか。……ま、あれだ、神様が俺の日頃の行いを見ていてくださったんだろうな」
「何か意味深ですね。あ、すみません! ジャンボオムライスも追加で」
さすがは金満少女。食べたいものは食べる、という現代っ子の我慢ならない様子は傍から見てて気持ちよくなるほどの散財ぶりであった。まぁ、その散財のおこぼれにあずかっている俺であるのだけれど。
「で、早速ですが」
「待て、給料は前払いだ。というよりお腹がペコペコで話す気力も出ない」
「分かりましたよ、はい、ひもじい先輩に施しです」
ちょうど先に注文した料理が到着した所であった。ツラヌイはジャンボオムライスをこちらの方に押し出す。
――施し? これは正当な働きに対しての報酬だっ! ひもじい先輩だなんて、そんな事言われて黙ってられるか!
なんて言葉を飲み込んで俺は無言でスプーンを手に取る。
背に腹は代えられぬのだ。特に、お腹と背中がくっつきそうな今の状況では。
男のプライドを犠牲にして頂いたオムライスはしょっぱい味がした――こともなく、普通にケチャップの味がした。
ジャンボというだけあって、それ一個でかなりの満腹感を得た俺は目の前のツラヌイの無言の圧力に押される形で口を拭い、開いた。
「クレについて、だったよな」
「はい、モヨ子ちゃんからの依頼です。……先輩、モヨ子ちゃんのこと覚えています?」
「いや? 知らん」
そんな返答に、ですよねーと、どこか遠い目をしながらツラヌイは頷いた。
「アリカ先輩が三年の時の一年ですよ。ほら、とんでもない美少女が入学してきた!って話題になったの知りませんか? 知らないんでしょうね!」
首を傾げ、この世の中でかなり信用ならない部類に入る自身の記憶を探る。そもそも同級生の顔や名前さえ危ういのと言うのに他学年の事情なんて、この頭が保持している訳がない。
早々に記憶さらいを諦めた俺は、ツラヌイに向き直った。
「私の後輩が、彼女から頼まれたんですよ。そして後輩から私に、って感じです」
「なるほど、事情はなんとなく分かった。……しかし、お前はいつから探偵の真似事なんか始めたんだ?」
「やだなー、違いますよ。私はただ先輩と外の世界との窓口をかってでただけで」
「なるほど、俺にムチャぶりする算段だったと」
てへっと頬に手をあて上目遣いにこちらを見る彼女に、俺はため息を吐いた。
「はあ……今回はすぐ奇跡的に、超自然的に、見つかったから良いものを…… 次はないぞ」
「はーい」
分かったのか分かってないのか、良い声で返事を返したツラヌイに頭が痛い。
手持ち無沙汰に手元のコーラをストローでかき回しながら、ツラヌイは依頼の詳細を口にした。
「その後輩が言うには、モヨ子ちゃんのお兄さんが突然失踪したので探してくれ、って話でした」
「失踪?」
「はい、モヨ子ちゃんとお兄さんは大変、仲が良かったそうでして。高校を卒業して、大学受験が始まる……という頃にお兄さんが突然消えた、と」
「そんなの警察の仕事だろう。親御さんが黙ってないんじゃないか」
「ああ、その親御さんが言うには『兄は遠くに就職した』との一点張りだそうで。モヨ子ちゃんが携帯で連絡しても、すでに解約済み。お兄さんの友達に聞いても、知らない、と八方塞がりみたいです」
「……」
俺はツラヌイから話された内容と今、把握している情報を突き合わせる。
――なんとなく事の次第について想像はつくが……そうなると、彼女に本当のコトを話していいもんか、迷うな。
「どうしたんですか、そんな神妙な顔をして」
「ああ、結論から言うとクレは俺と同じな事件に巻き込まれたか、巻き込んだか、したっぽいな」
「ああー」
ツラヌイは、その言葉だけで大体を察したのか間延びした声を上げた。
続いて少し考えた後、むむむ、と何かに気付いた様子を見せる。
「例のアレ関係という事は、この県か病院ってことですよね。どこにいらっしゃるんですか?」
「うちのご近所さん」
「あら、お近く」
「なあ、やっぱり彼女にクレの事を教えるのは止めにしないか? どうもややこしい事情のようだし。マトさんに何言われるか分からんし」
「……すみません、先輩」
「ん?」
「もうモヨ子ちゃんにお兄さんが見つかった、と言っちゃいました」
俺は今日、フォアグラを頼むことを決意した。
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ブウウ―――――ンンンン―――ンン……
…ブウ―――――ンンン…
……ブウ―ンッ…
「朝ごはんをおごって貰えるなんて、自分はいい兄貴を持ちました」
「まだ、その事引っ張んてんのか」
時刻は午前九時。
もう社会は動き出していて、今から起きだす人は朝寝坊と呼ばれるんだろう。そんな時間に、俺たち二人は朝ごはんを、洒落た喫茶店で食べようとしていた。
というのも、今日はここいら周辺の地理や危険ポイントなどを隣にいる好青年――呉一郎にレクチャーする予定であったのだ。あの時の出会いから、そこそこ交流を保っていた俺たちであったが、つい二三日前にトマトちゃんから俺は重大な指令を承ったのだった。いわく、クレをここらへんで使えるようにしろ、と。
使える、の解釈に俺は大分戸惑ったもんだが、クレに聞いてみると「自分を便利な道具として使いたい、ってことでしょうね」なんてあっさり言い放ちやがった。
俺は、どうやらこのマキシマム善人二号の認識を改めないといけないようである。
それが何故、朝食につながるかという話であるが、これから周辺の案内をする前にあるイベントをこなさないといけないからだ。
それは呉モヨ子の件である。
今からでも面倒臭い事が起きそうで頭が重い。そんな俺の気持ちが伝染してか、クレの好青年っぽさも今日は勢いがないように思える。
――唯一の救いは、この記憶が夜になれば消えることであるが……
態々この時間に、ただ見るだけだ、と呉モヨ子、ツラヌイ両人に念を押したにも拘らず、そんな小市民な願いは叶わなさそうな確信がある俺であった。
割りと趣味の良い喫茶店マリオンは、申し訳ないことに市営住宅の真向かいに位置する。
平均メニュー800円と、いつもはあまり利用できない価格であるが、今日の会計は全てツラヌイ持ちであるからして別に俺の財布がダメージを受ける訳ではない。
カランカラン、と鈴の音を鳴らしながら重そうな扉を開けると、美味しそうなコーヒーの香りが鼻をくすぐり、『ダイニングバー星雲』とは大違いの雰囲気であった。
案内された先の大きめのテーブル、三人がけの余裕ある場所に二人は座る。
その際、俺は素早く辺りを見回してみたが二人は確認できなかった。
おかしい――と違和感を感じながらも、クレと今日の予定について話し合うこと数分。頼んでいたモノが来た所で、事件は起きた。
カラン、と先に聞いた音がなると自然と二人の顔は扉の方に向いた。ちょうど話が一息ついた所で、この朝のゆっくりした時間が流れるリラックスした空間の中、新たなる刺激に反応してしまったのだろう。
ま、その時には俺はすでに覚悟完了していた訳だが。
「お兄さまぁぁああ――!」
まさか絶叫してくるとは思わなかった。
ゆっくりした時間が急に時速200kmぐらいに加速するような絶叫とともに、その扉から侵入した女は、長い濡羽色した髪を後ろに置き去りにしてクレの方向に突進する。
その瞬間、ガタっと立ち上がった音が隣から聞こえたと隣を見るにクレは勢いよく立ち上がっていた。
走り突っ込んでくる女の勢いに、俺は完全に飲まれて体が動かなくなっていたようである。別に、妹に似てたとかではない。
瞬く間に二人の距離は縮まる。
僅かにクレが前に出る。それを見た、モヨ子は満面の笑みを浮かべた。その微笑み浮かべた様子は、確かに目の覚めるような美少女であった。
手を広げて、モヨ子が抱擁しようとする――
次の瞬間だった。
ふらりとクレが右足を少し引くと、
コンタクトの瞬間にひざを合わせたのだ。
鈍く痛そうな音がした。
どこかの漫画を見ているような完璧なカウンターは綺麗に腹辺りに直撃し、モヨ子の顔を苦痛に歪ませながらダウンさせたのだった。しかし、ある程度の情?は持ち合わせているようでクレは崩れゆくモヨ子を抱え、ゆっくりと床に下ろした。
完全に事態に追いつけていなかった俺は、その頃にやっと二人の元に寄る。
モヨ子は、当たり前であるが苦しそうに顔を歪めていた。人外が近くにいると、こんな常識的な反応だけでもどこか安心感を覚えるのが不思議だ。
改めて彼女――呉モヨ子の顔を見ると、なるほど確かに息を呑むほどの美少女であった。いかんせん、先の恐慌をきたした彼女の様子を見ると、その目に映る美少女そのままには受け取れないのであるが。
黒曜石を思わせる彼女の目は、クレの顔だけを一心に見つめていた。
対して、チラリと見たクレの顔は能面のように無表情だった。
「……うう、お兄さま――あたしです、お兄さまの許嫁のモヨ子です…… お兄さま、なぜあたしの前から急に……」
苦しそうに手を震わせながら、モヨ子はクレの顔に手をやろうとする。
途切れ途切れの呼吸が、痛々しかった。
「お兄さまとご一緒になる前の晩に……なぜ…なぜっ! なぜ、そのような顔を、返事を返してくれぬのですか……、ああ、お兄さま! お兄さまぁ……」
最後の言葉がで力尽きたのだろう。その言葉を最後に差し伸べていた手が倒れ、ペタっと床を叩く音がした。