人間と異形と狂気の狭間   作:sterl

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炎の宴

 ガラス越しに飛行機が空へ飛ぶ。広い屋内には少なくない活気が渦巻き、ティナ・スプラウトを現実から引き離す。

 

 ティナは一人、空港にいた。聖天子の暗殺に失敗したのは三日前の事。再度の挑戦もアイノに止められ、そうなるとティナにはもうどうすることもできない。マスター、プロフェッサーランドより帰還の指令が一昨日下った。

 

 思い出す。暗殺に失敗したあの夜。いつの間に気を失ったのか、目覚めた時には日は昇っていて、アイノに優しく膝枕をされていた。記憶は曖昧だったが、それでも右半身をごっそりと抉られたように失い、血の海を形成していくアイノの姿は嫌でも記憶にこびりついていた。ティナの心配に、アイノは問題ないと答えた。

 

 あの夜の事を、ティナはよく覚えていなかった。正確には、傷つき倒れるアイノを最後に記憶が途切れている。何があったのか、アイノに訊いても知らない方がいいと返されるのみ。

 

 あの時、確かに聖天子を撃ったはずだった。シェンフィールドのセンサーで聖天子を捉え、撃ち抜いたはずだった。だが結果として当たらなかった。当たったことにならなかった。直後にタイヤへ狙いを変えたが、当たらなかった。

 

 アイノにこの事を話せば、狙らわれた対象に攻撃が当たらなくなる、ある種のジャミングがあのリムジンに掛けられていたのだと言う。答えは得られたが、理解はできなかった。できるはずもなかった。

 

 

「はぁ」

 

 

 口を突いてため息が零れる。ふと握っていたスマートフォンに目を落とせば、そこにあるのはアイノの名前。ボタン一つでいつでも電話を掛けられる状態だった。

 

 指がボタンへ伸び、引っ込む。別れは済ませたではないか。昨日も一昨日も、一生の思い出に残る楽しい時間を共に過ごせたのだ。暗殺者にとって、充分過ぎる幸せだろう。そう、自分に言い聞かせた。

 

 今後、東京エリアに来るのかもわからない。いや、まず来ることはないだろう。プロフェッサーはアイノの存在を知っている以上、無闇な接触は避けようとするはず。となれば、アイノに顔を覚えられている私が東京エリアに派遣される道理は無い。

 

 元の生活に戻るだけだ。暗殺者としてのティナ・スプラウトに戻るだけなのだ。

 

 ……ふと、ティナを現実に引き戻す音がある。着信音だ。淡い期待を込めてスマートフォンの画面に目を戻すと、映っていたのはプロフェッサーの文字。若干落ち込みながらも電話に出る。

 

 開口一番。ティナが言葉を発する前に、ランドの声がティナの耳を刺す。

 

 

『東京エリアに待機しろ。理由はニュースを見ればわかる。合流するまで待っ――』

 

 

 爆音。早口の声を遮る音に、ただ事ではないと察する。

 

 

『チッ、クソが。聞こえてるな? とにかく、現状最も安全なのは東京エリアだ。移動手段が確保でき次第すぐに向かう』

 

 

 一方的に切られた電話を前に、一瞬放心する。しかし言われたことを思い出し、すぐに検索エンジンを立ち上げた。プロフェッサーがいるはずのワシントンエリアの情報を探る。そして、それはすぐにヒットした。

 

 それはSNSに投稿された1枚の写真だった。投稿日時は今日、たったの10分前。添えられたコメントは「oh my god」。ティナはすぐさま写真を拡大する。

 

 その写真はスマートフォンを用いて取られたのだろう。縦長の写真は画面にピッタリと収まる。手ブレはしていたが、情報を見て取るのに申し分ない。

 

 パッと目につくのは赤色だった。画面を埋め尽くす炎。燃えているのは壊れた街並み。焼夷手榴弾が4桁あっても足りないような範囲が赤く染め上げられている。

 

 そして画面中央に映されたソレ。空の闇を食うように膨らんだ炎。一見すると炎の海の一部分に過ぎないが、ソレに類するものに接していたからか、ティナは気付いた。気付いてしまった。

 

 炎の中に鎮座する炎。

 ソレは生きているのだと。

 

 

 

 

 

 ●

 

 

 

 

 

 疾走するワゴン車。駆ける大地は炎の中。瓦礫が跋扈する道を右へ左へ避け進む。ハンドルを握る男はスマートフォンをポケットに仕舞うと、深くため息をついた。

 

 

「大都市が前触れもなく大絶滅だって? 冗談じゃない」

 

 

 ワゴン車を運転する男、エイン・ランドは悪態をついた。冗談じゃない。そう、冗談ではないのだ。ワシントンエリアは前触れもなく表れた炎によって大絶滅した。瞬く間にインフラは崩壊し、万が一に備え用意していた脱出経路も使い物にならなくなった。当然だ。想定していたのは人やガストレアからの逃走で、神の襲来など想定するはずもなかったのだから。

 

 シェルターに逃げ込むことも考えたが、相手はモノリスすら溶かす炎を発する太陽だ。逃げ切れてもシェルターごと焼き殺されるのは目に見えている。

 

 

「クソ。ああ、確かに気付くべきだったとも」

 

 

 後悔の自問自答を繰り返す。

 

 つい先日、東京エリアに派遣したティナが遭遇した存在。アイノ・クラフトはティナのスマートフォンから私に電話を掛けてきた。

 

 アイノの言葉は非常に端的なものだった。クトゥルフ神話について調べてくれと。便利屋じゃないぞと思いながら渋々理由を聞き返せば、東京エリアはナイアルラトテップに事実上支配されているらしい。なぜそんなことを知り得たのか聞けば、本人から聞いたのだと。クトゥルフ神話のこともナイアルラトテップが調べるよう促したそうだ。

 

 バカらしいと思って断ったのが間違いだった。アイノは紛れもなく事実を述べただけで、冗談でも騙されている訳でもなかった。そもそもガストレアというバカらしい存在が跋扈するこの世界で、なぜ二例目が無いなどと言い切れたのか。

 

 どこかの誰かが空想の手順を辿り、神の招来を成功させてしまうことだって、決してありえない話ではないのだ。

 

 ガンッと、何かがぶつかる音がする。小さく目を向ければ、長い金髪が風に(なび)くのが見えた。

 

 

「この先は瓦礫に塞がれてるわ。回り道して」

 

 

 窓から顔を覗かせる赤目の少女の言葉を聞き入れ、ランドはハンドルを切る。少女は車体を蹴ってワゴン車の進む先へ走った。

 

 護衛として置いていたのがスピード型のイニシエーターでなかったのが恨めしい。彼女の走る速さは平均的な車より少し速い程度。瓦礫を跳び越えて行けるとはいえ、安全性を鑑みれば彼女に背負われるよりこのワゴン車の方がよい。

 

 そうは思っていたが……。

 

 

「駄目。こっちも塞がってるわ」

 

「アイリーン。私を運べるな?」

 

「……わかった」

 

 

 瓦礫があまりにも多い。このまま回り道を繰り返していつの間にかUターンしていましたなど笑い話では済まされない。

 

 アイリーンが屋根の上に退()いたのを見てドアを開く。伸ばされた手にすかさず捕まって車の外へ身を投げ出す。あっという間に引き上げられたと思えば背負われ、足下で慣性のまま走るワゴン車の屋根が陥没した。

 

 加速、そして落下。むせ返る熱気の中、瓦礫をものともせずに駆け抜けていく。燃える家屋が後ろに流れ、橙色の輝きに照らされたモノリスがすぐそこに見える。その先は夜の闇。モノリス外の研究所まで逃げてしまえば後はどうとでもなる。

 

 ふと背後を振り返れば、炎の邪神は遥か遠く。攻撃の手を止め、踊る火を侍らせて佇んでいた。

 

 逃げきった。そう思った。

 

 

「プロフェッサー、あれは?」

 

 

 前を見る。闇の中、視界の中央に光があった。違う、あれは火だ。生きた火ならば問題ない。動きは遅く私の足でも振り切れる。

 

 

「無視していい」

 

 しかし火はなぜあんなところにいるのか。索敵役だとしたら厄介だ。

 

 宙に佇む火に接近し、距離を開けて通り過ぎる。浮遊感。気付けば私は宙に投げ出され、慣性に従って地面に叩き付けられていた。

 

 

「何をしているアイリーン!」

 

 

 怒りを込めて背後を見る。そこにアイリーンの姿は無く、代わりに炎があった。否、アイリーンの姿はあった。下半身を炎に呑み込まれ、辛うじて外に出た上半身が炙られ服が煙を上げていた。

 

 

「ぇ……ぁ?」

 

 

 アイリーンは何が起きているのか理解できていない様子で下半身を包む炎に触れる。一瞬にして皮膚が破けて燃え縮れ、新たな皮膚を火に晒す。火傷と再生を繰り返して、炭化した皮膚が剥がれ落ちる。

 

 

「あ――」

 

 

 発するはずだった悲鳴は封じられた。瞬きの刹那に炎の中に吸い込まれ、一人の少女は命を散らす。

 

 逃げなければ。死ぬ。殺される。

 

 気が付けば脱兎の如く駆け出していた。死を予感するのはいつ以来か。10年前すら必死になって走ることはなかった。どんな時も余裕を持っていた。つい先程までもそうだ。都市が滅びながらも、自分は生き残るという確信があった。そうだ。何を慌てている。私は生きる。生き残るのだ。

 

 背後を振り返る。遠ざかっていく炎は動く素振りを見せない。火には人を食うなど不可能であるはず。無論全てが未知ゆえに断ずることはできない。だが、生きる炎に関するものに、人を食うものなど……。

 

 

Yomagn'tho(イオマント)か」

 

 

 次元の影より出でる悪意。生きる炎が不完全な儀式によって招来されたのなら存在しているのも納得できる。むしろいて当然だ。星々より宴に来たりて貪るもの。なるほど、今の状況にピッタリ符合する。

 

 しかし、であるなら腑に落ちないことが一つある。なぜ私を追わないのか。未知の嗜好でもあるのか。それとも未だに舌鼓を打っているのか。まあよい。既に木々の影に隠れて見えない以上、今は研究所への到着が先だ。

 

 入口のゲートはモノリスから――イオマントから最も遠いものを選んだ。ガストレアと遭遇する危険性もあるが、ワシントンエリアがあの有り様だ。目を奪われているに違いない。

 

 隠された門を設定された手順に従って開く。地面に開いた穴に取り付けられている梯子に捕まり、無機質な金属によって囲われた空洞へと降りる。壁に埋め込まれたパネルにパスワードを打ち込み、エンター。継ぎ目の無かった壁に線が走り、ゆっくりと開いていく。

 

 

「プロフェッサー! 無事でしたか!」

 

 

 ゲートが開くのを検知していたのだろう、薄暗い通路で息を切らした研究員が出迎えた。動きを止めずに通り過ぎ、振り向くことなく問う。

 

 

「被害状況は」

 

「第一から第三ゲートは焼失したため封鎖し放棄。偵察用ドローンが2機焼失。他被害はありません」

 

 

 ゲートが使い物にならなくなったのは痛いが、予想の範疇だ。脱出用のジェット機が無事ならいい。

 

 

「脱出の用意をしろ。この研究所は放棄、日本に渡る」

 

 

 ゲートが閉じる音。荒い呼吸音。返事はない。

 

 

「どうした――」

 

 

 振り返り、目に入ったのは光。目の眩む暖色が通路を照らす。研究員の姿はなく、炎の光が揺れ動く。

 

 理解することも後悔する間もなかった。

 

 

「■■、■■■■!」

 

 

 炎は花開き、そして嗤った。

 




Tips

アイリーン・スペンサー

 設定資料が無いから勝手に想像した。もし原作の続きが出た時に間違っていた場合が怖いから死んでもらった。原作まだかなぁ。
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