色濃い暗闇に、一筋、細い光が差し込んだ。光は大きくなったが、すぐにぬっと現れた漣の影に遮られた。
彼女は側頭で縛った二房の髪を揺らしながら、微かな音と共に入り込む。
狭苦しい部屋には膨らんだ布団が一つ、生き物のように浮き沈みしていた。実際、生き物……もとい提督がぐっすり眠っているわけであるが、漣はそこへそっと近づく。
そして、不健康そうな顔つきに似合わぬ良好な睡眠状態を確認すると、戸口に向けてGOサインを送った。
ホールからそれを確認した響は、髪を一つにまとめて制服の下に突っ込むといった格好で、音もなく滑り込んだ。
その様子を心配そうに神通が見守る。
侵入した二人は、提督をそのまま布団でぐるぐる巻きにして、ひょいと持ち上げた。
一見非常に闇の深そうな現場だが、実際は、少女二人がむさい男を持ち上げている、というなんともいえない絵面であった。
「あの……やっぱり、止めた方が……」
神通の静止も彼女らの耳に届くことなく、彼は隣部屋にせっせと運ばれるのであった。
○
響が片手で引き戸を開けると、簡素な作りの脱衣所に入る。更にもう一枚戸を開けて、目的の部屋に着いた。
清潔な淡色の壁に耐水仕様の高級な木造床。
浴槽は男一人が入るに十分な大きさで、しかし今はその用をなしていなかった。
「ん……お?」
提督はここまで来てやっと目を覚ました。
寝ぼけている内にも二人はテキパキと作業を進め、そっと床に彼を横たえると、さっと布団を剥がした。
「……寒っ!」
「おはよーございます」
「っ、漣?」
急な寒気。自室ではなく浴室にいること。なぜか響と漣と、戸越に神通がいること。
「……夢か」
「残念ながら現実です。よっこらせ」
「うぉっ!?」
事態に混乱している彼を余所に、漣はその身体を軽々と持ち上げ、あらかじめ用意してあった少し幅広の椅子に座らせる。間髪入れずに響が長い白のシーツを首に巻き付けた。
「苦しくないかい?」
「ん?あぁ、大丈夫……って、そういう問題ではなく」
一連の動作でなんとなく予想がついたが、それでも確認せずにいられなくなる。
「まさか、散髪か?」
「大アタリ!」
「待て待て待て」
思わず立ち上がろうとするも響にガッチリ肩を掴まれ、腕の先が上がるだけだった。
「提督として、その身だしなみはどうかと思われるということで、ご主人様の髪をチョキチョキすることに決定しました」
「……俺の意見は?」
「反対しそうなので却下で」
「議論の余地すらないとは……」
嘆く提督に、漣が理容用ハサミをちらつかせる。
「さ、大人しく観念してください」
「くっ……」
いざ切りかからんとしたそのとき、
「ま、待ってください!」
「ひょ?」
あまりに見かねた神通が飛び出してきて、漣の前に割り込んだ。
「やっぱり、いけないと思います」
「ここまできたら、退く訳にはいきませんよ」
両者、微かに火花を散らす。
提督はどうしたのかと腰を上げかけたが、やはり響が止める。
「どうしてもというのなら、神通さんでもタダじゃおきませんよ……」
漣はハサミを危険にならない場所に置いてから、ファイティングポーズを取った。矢先、その動きが停止する。
「わ、わたしも、それなら……」
「ちょっ、タンマタンマ、やっぱり一旦落ち着きましょう神通さん!」
漣の慌てたのも当然のことで、なんと彼女14cm単装砲を構えていた。漣や響のそれとは違い腕部に取り付けるタイプであるため、二人はついぞ気付かなかったのだ。
「どうしてもというのなら、撃ちます……!」
「ストップ、ストッープ!ご主人様もいるんですからっ」
漸く何かこのままでは危ないと悟った提督は、絞った声を掛ける。
「神通」
「……はい」
彼女はゆっくりと振り向くが、砲は構えたまま。
もの凄まじい緊張に心労しつつも、彼はなんとか言葉を発した。
「実は、ちょうど髪を切ろうと思っていたんだ。その、ありがとうな……でも、大丈夫だ」
「提督……」
ホロリ涙を流すのをきっちり見届けて、神通は静かに砲を下ろした。一同、ほっと安堵の息をつく。
「じゃあ、気を取り直して、いっきますねー」
「け、怪我しませんように……」
提督は覚悟して目を瞑った。
○
結果として、漣の腕前は見事なものだった。
彼の見るからに鬱陶しかった長い髪はきちんと短く揃えられ、不精ヒゲは丁寧に剃られていた。
「お疲れ様でした。もう、目を開けても大丈夫ですよ?」
「いや……まだ髪が目に入る可能性がある」
「さっきちゃんと洗ったじゃないですか」
「とにかく、君たちは先に部屋を出て、朝食を食べてきなさい。俺は遅れると伝えておいてくれ」
「えっ、あ、はい」
三人は押し出されるように浴室を出た。
「さて……」
「司令官」
「うわっ!」
いなくなったかと思い目を開けようとしたとき、戸口からいきなり響が顔を出した。
「道具は片付けておくから、そのままで」
「わ、分かった」
咄嗟にシーツで顔を覆った提督を不思議そうに見やってから、彼女はその場を後にした。
残された提督は、やっと緊張を解いて目を開けた。
「はぁ……」
そして、すっかり短くなった前髪をつまみながらぼやくのであった。
「どうするかな…これ」