「暇だ……」
日の照って仄かに暖かい昼下がり。提督は椅子に全身を預けてぼやいた。日頃忙しすぎるというのも問題であるが、何もなくても張り合いがないという非常に贅沢な悩み。
しかし、人間そう感じてしまう事もあるから仕方なし。
ぼうっと天井を見つめていると、外の陽気と室内の温度が相まって彼の瞼は自然と重くなり、溶けるように睡眠に入り込んでしまった。
○
さてしばらくして。執務室の戸が叩かれた。叩音は何回か断続的に続いたが、なんの音沙汰もないので、扉がおもむろに開かれた。
「入るよ」
そう断って、響が執務室に足を踏み入れる。その両手には、置けば自分の身の丈程はあるだろう大きさのペンギンめいたぬいぐるみを抱えていた。
彼女はそれを来客用のソファに横たえて、漸く提督が寝ていることを察した。
「奇妙な寝方だな……」
ふつう机に突っ伏すところ、今の彼は、腕を組み胸を反らすといった状態で、そう思うのも無理はなかった。
主が寝ている以上出直そうかと思った響だったが、どうにも彼の空いたスペースが気になった。つまりは膝の上。
なんとなく座ってみたい。
「起こしてしまったら、素直に謝ろう」
ということで、彼女はそっと提督の元に近付くと、慎重にその膝の上へ乗っかった。
一瞬、体が動いたが、どうやら眠りは解けなかったようだ。
「おぉ」
初めて提督の側から執務室を眺めある種の感動を覚えたが、
「……」
それも一時のことで、すぐにまた見慣れた光景へと戻ってしまった。
あいにく話し相手もおらず、ソファの上のペンギンが焦点の合わない視線を寄越すも、ぬいぐるみに喋る口はない。
後ろを振り返ると、帽子を目深に下げた提督がやはりぐうぐうと寝息を立てていた。
「ボクも、眠ろうか……」
じんわりと伝わる体温にほだされた響は、うつらうつらと舟を漕ぐと、机を枕に眠りに落ちた。
○
それから程なく、またノックの音が鳴る。
だが二人は眠り込んでいるので、前回と同じように控え目に扉が開いた。
「失礼しま、す……」
入って来たのは神通だった。
こちらに目を向ける妙なぬいぐるみを一瞥して歩み寄ると、二人がおやすみ中であることに気付く。
腕の隙間から安らかに眠る響に微笑んで、
「これでは、起こしてしまうのは良くありませんね」
そう結論づけてから、体の冷えぬよう、上着掛けから一枚の清潔な毛布を引き下ろした。
そして、毛布の柔らかい感触に顔を埋めたい欲を抑えつつ、響の背中から提督の肩にかけて広げた。
と、また戸を叩く音。
「あら」
今度は神通が起きているので、代わりに招き入れてあげた。
「司令官、遊びに来た……わ」
雷が意気も揚々に入ろうとしたが、神通が口元に人差し指を当てていることに気付いて、慌てて声の調子を落とした。良く分からない状況に困惑している彼女に、神通は小さな声で付け加える。
「提督と響ちゃんが眠っているんです」
「なるほど……」
理由に納得して、手持ち無沙汰となってしまったので、ぬいぐるみの向いのソファに、神通と一緒に腰を下ろした。
そして、眠りこける青年と少女を何気なくみやる。
「なんだか、とっても穏やかね」
「そうね……」
それで会話が途切れて、再び辺りが沈黙する。
そんな中、ふと雷が訊ねた。
「神通さんは、覚えてる?゛昔゛のこと」
゛昔゛とは、とりもなおさず艦としての記憶のことだった。それを理解した上で、彼女は首を振った。
「私も、そうなの」
言うと、響をちらと見て、溜め息をつく。
「なんか、他人のような気がしないのよねぇ」
「……制服が、同じだから?」
雷の言葉に、神通が辛うじて思い付いた共通点を挙げる。
これに対して、ちょっと唸って、
「それもあるけど……姉妹って言うのかしら。見た目は全然違うんだけど」
また深い息を吐いた。
「思い出そうとしても、まるで海の底にあるみたいに手が届かないの。無理に考えようとすると、凄く息苦しくなっちゃう」
そんな風にもどかしく思う雷に感じる事があってか、神通は優しく諭した。
「戻らないものは仕方ありません。待っていれば、その内にひょっこり思い出すかも」
「だから、焦らないようにゆっくり……ね?」
「……分かったわ」
滲み出る気持ちに当てられてか、雷は素直に頷いた。
「ふわぁ……私も眠くなってきちゃった」
「じゃあ、私たちもここで少しお休みしましょうか」
「うん……」
答えるや否や、雷の頭がこてりと神通の肩にもたれかかった。神通も、雷に寄り添うようにして静かに瞳を閉じた。
○
続いてやって来たのは、霞だった。
皆がのんきに眠っている光景と緩やかな空気に、普段から張っている気も抜ける。
「呆れた」
と言いつつ、ソファの上に寝そべる妙ちきなペンギンが目についた。
そのペンギン、もといぬいぐるみは深々とした真っ黒な目で霞を見つめていた。
「か、可愛い……」
さっと周囲を見回して、起きている人間の気配がないことを確認してから、ぎゅっとぬいぐるみに抱き着いた。
「……ふかふか」
生地の心地よさに、我知らず頬擦りしていると、突然背後から声がする。
「ほう……」
「ぎにゃあっ!?」
恐る恐る顔を向けると、戸口の隙間から漣が堪えきれずににやにや笑いを浮かべていた。
「いやー、良いものを見てしまいましたなぁ」
紅潮していく彼女の頬を見納めに、漣はパタリと扉を閉じて廊下をすたこらと駆けていった。
「……あっ、ちょ、待ちなさいよアンタ!」
その後を、霞が猛然と追い掛けていくのであった。
そんな一日。