「入るぞ」
「はいー、どぞ」
鎮守府敷地の隅っこに位置する営舎。工廠に半ば隠れた海が覗く医務室に、提督がやって来た。
清潔感の保たれた部屋に四つのベッドが振り分けられ、内に病衣姿の少女が二人。漣と響である。
「その、遅くなってすまん。怪我は大丈夫か?」
「問題ないよ。ところで……」
少々肩身の狭そうな提督に響が微笑み、次いで提督が抱えていたものに目を向けた。
「そのコ、持ってきちゃったんですか」
そのコとは、いつぞやに響が執務室に持ち込んできたペンギンのぬいぐるみだった。
「いや、寝るのに便利かなと」
「本当のところは?」
「執務中にこちらをちらちら見ているような気がしてとても怖い」
涙目でそう語る彼に、漣は呆れながら、
「そんな、ヌイグルミが動くとかある訳ないですよ。ねー、響ちゃん?」
当然の言説に同意を求めたが、響はゆるゆると首を振った。
「それ、動くよ」
「「……は?」」
思わず二人の間抜けた声が被る。
彼女はそれにも構わず、淡々と事の次第を述べた。
「工廠を漁っていたら偶然見つけてね。面白そうだから持ってきたんだけど、司令官は寝ていた」
「それで居座っていたのか……」
なんとなく、提督はペンギンと顔を合わせてみた。するとそれも意思を持って見つめ返しているようで、途端にぞわぞわと総毛立つ思いを味わった。そして、無言でベッドの間の小さな棚にそっと座らせる。
「不思議なこともあるもんですねぇ……」
震える提督を余所に、漣はのんきに呟いて、彼(彼女?)を撫でるのだった。
「やわらけぇ……」
「ま、ままま、まぁともかく、艤装の修理もあるから、今日1日はゆっくり休んでくれ」
「了解」
「それと、そろそろ昼食が……」
と言いかけたところで、医務室の戸が開かれ、
「お昼ご飯、持ってきました」
「入るわねー」
神通と雷が、出来たての美味しそうな料理をお盆に載せて入ってきて、最後に霞が戸を閉めた。
「はい、漣のぶん」
「さんくす!」
漣が雷から食事を受け取り、神通も響に渡す。
「響ちゃんも」
「Спасибо」
「え?」
唐突な彼女の謎めいた発言に、神通が目を丸くした。
「今、なんて……」
これには響も戸惑ったように答える。
「ありがとう、と言ったつもりだったんだけど……」
「まぁ、そんなことは気にせず早速頂いちゃいましょ!」
「あ、ああ」
空気を読んだのか読んでいないのか、いまいち判別しかねる漣の言葉に押されて、一旦考えるのを止める。
「じゃ、私たちも後で」
頃合を見て、霞がペンギンを極力視界に入れぬようにしつつ言った。
「また様子を見に来るから、食べ終わったらそのままにしてて」
二人が促されて医療室を後にし、霞もいざ帰ろうとした時、ぼけっと突っ立ったままの提督を発見して、呼びつけた。
「ほら、あんたも戻りなさいよ」
「ん、しかし、二人の様子がしんぱ……」
「そんな、目にクマつくって、どうせ徹夜で仕事してたんでしょ?」
「う、む」
「提督のアンタまでぶっ倒れたらどうすんの!ちょっとは考えなさいこのク……ごほんごほん」
図星で言葉が詰まる彼に霞が追い討ちをかけそうになったが、以前、同様の発言をした際に無言で大泣きされたことを思い出して、寸でのところで暴言は控えた。
「とにかく、あんたも休みなさいったら」
「はい……」
こうして、提督もすごすごと退散することになった。
再び二人だけになった医務室で、漣が口元に広がる笑みを隠しきれず、響もそんな彼女を最初不思議そうに見ていたが、つられて笑うのだった。
○
時は経ってすっかり夜。
天井の薄明かりの下で、様子を見に来ていた神通はゆっくりと舟を漕いでいた。漣はぼんやりと外を見つめ、響は笠御馳走という妙な名前の本を熱心に読んでいた。
「響ちゃん」
ふと漣に呼び止められて、響は頁を捲る手を止めた。
「なんだい?」
聞くと、漣が割かし真剣な眼差しで響を見つめた。桃色の髪をおろしているため、いつもと違った印象も受ける。
「昔のこと、思い出した?」
直球の質問に響は驚いたが、首肯した。
「ほんの少し、だけどね」
「もしかして、お昼に言ってた言葉もその一つだったり?」
「なるほど……そうかもしれない」
感心する響に、漣は続ける。
「なんかね、私もちょっぴり思い出したの」
「君も?」
「なんか、はっきりとした記憶じゃなくて、悲しいとか悔しいとか、そんな感じ。もやもやした負のオーラみたいな」
「……それが、もしかしたらぼくたちの過去に繋がっているのだろうか」
「そこら辺は、私もなんとも言えませんなぁ……」
静かな部屋の中に、奇妙な沈黙が混ざった。ここから何を話せばいいのか。
考えあぐねた末に、響が先に口を開いた。
「いずれにせよ、深海棲艦を倒すことには変わりないさ」
「ま、それもそか」
「……そろそろ、寝ようか」
「うん」
二人はシーツに潜り込む。
その際、漣がペンギンのぬいぐるみを取って、抱き締めた。
響は少し物欲しそうに見たが、諦めて小さく言った。
「おやすみ」
「おやすみー」
少女達はそっと目を
○
「もしもし」
『孫か。どうしたこんな夜更けに』
「だいぶ気になることがありまして」
意味ありげに言う提督に、老人は問い返す。
『気になること?』
「艦娘について、です」
沈黙に促され、提督は一つ息を吸って訊ねた。
「艦娘の正体について、何か知っていますか?」
うーむ、と唸る声がして、
『……一応、知っているとは言えるが、今はまだ教えられん』
「何故?」
『どうしても憶測にならざるを得ないからじゃ。下手に言うとお前さんを混乱させかねん』
しばし無言が続いたが、これでは納得しないだろうと気付いたのか、老人はもう一つ付け加えた。
『とにかく、鎮守府正面海域の安全だけは確保しなさい。それが終わったら、情報を渡そう』
妙に回りくどい言い方だったが、
「……分かりました。じゃあ、また」
『達者でな』
提督は渋々了承して、電話を切った。
と同時に、色濃い疲労に引きずられて、瞳を閉じるのであった。