「……さま。……ご主人様!」
「んお……」
漣の呼ぶ声で、執務机に突っ伏していた提督は目を覚ました。執務室は暖房が利いていて、丁度眠くなるような生温い風が巡っていた。
提督は目を擦って、大きく伸びをする。やがて視界にはっきりと桃色の髪の少女が映った。
「正式な初勤務の日なのに早速おねむするのはどうかと思います。や、確かにぽかぽかしてて心地良いですけど」
「……君も右頬が赤いようだが、大方そこのソファでぐっすりしてたんじゃないか?」
提督の返しに漣は咄嗟に頬を触ったが、直後自分の失敗に気付く。
「あ」
「図星みたいだな」
「手強いぜ……」
漣は呻き、提督は満足げに笑った。少女は後ろ手に拳を握ってこっそり仕返しを誓う。
仕切り直しとばかりに、漣はソファに戻って少々乱暴に腰を下ろし、再び提督を見た。
彼はというと、窓から母港を見下ろして、照らす陽光に目を細めている。
「ご主人様」
「どうした?」
「何というか……その軍服、驚くほど似合ってませんネ」
「うるさいやい」
当てつけでもなく本心からの同情めいた発言に、提督の瞳がキラリと濡れた。
と、そんなやり取りを交わしていた所にドアを叩く音が控えめに響く。
「どうぞ」
提督の声が届いた後に、静かにドアが開かれた。
「失礼します」
そして、一礼と共に大淀が中に入って来た。何やら膨らんだ幅広の封筒を小脇に抱えている。
「提督が行うべき職務について、大まかではありますが纏めてみました。どうぞ」
「おお、ありがとうございます」
提督は封筒を受け取って、その重さに戦慄を覚えた。中をちらと覗くと、びっしりと文字のひしめく書類が家電の取扱説明書のごとく束になっていた。
そっと封を戻して大淀の顔を見るも、彼女はにっこり笑みを返すばかり。
「是非ご一読下さい」
「……」
「ご一読下さいね」
「……はい」
大事なことを二度も言われては、提督も首を縦に振る他なかった。
それを見届けた大淀は、一呼吸置いて話題を変える。
「それと、今日は提督に建造を行って頂こうかと」
「建造?」
大淀の発した聞き慣れぬ言葉に提督が疑問を返す。すると、横合いから漣が答えた。
「そのままの意味です。造るんですよ、艦娘を」
何でもないように言ってのけた彼女に、提督は椅子から転げ落ちそうになる。
「造るって、君たち艦娘とは一体何者なんだ……?」
ずり落ちた軍帽を被り直しながら提督は訊ねた。
「それは……とても難しい質問です。提督も、自分自身が一体何者かと聞かれたら困惑されるのではないでしょうか」
「む……まぁ、そうですが」
大淀の至極真っ当な発言に、提督も言葉が詰まる。
「とりあえず、ご主人様は人間で、私たちは艦娘であるって認識だけでいいんじゃないですか。今はメンドウなので細かいことは抜きで」
「ううむ……」
提督は尚何か言いたげに唸ったが、諦めて疑念を頭の隅へ追いやった。
「とにかく、やってみようか。その、建造とやら」
「承知しました。では、こちらの書類を」
大淀から新たに一枚の紙を渡された。視線を向けると、建造申請書と記されていた。
注意書きが米粒のように細かく書かれていたが、目立つのは4箇所の空欄だった。
提督はざっと説明を読んで顔を上げる。
「つまり、資材を投入することで工廠側が艦娘を造……呼び出してくれるということですか」
「はい。但し、ご利用は計画的に」
「分かりました」
話のひと段落が着くと、漣が真っすぐ手を挙げて提案する。
「どうせなら工廠の見学も行きませんか?」
「そうだな。挨拶も兼ねて、だ」
着任初日、提督は精神的疲労を訴え、その日は鎮守府案内だけを終えて一日を終えたのであった。
「大淀さんはどうしますか?」
「私はまだ少しお仕事が残っているので鎮守府でお留守番しています。では、失礼しました」
大淀はもう一度礼をして先に部屋から退出した。
厚い扉の閉まる重い音が響いて、二人は顔を見合わせる。
「じゃあ、行くか」
「ほいさっさ!」
提督は立ち上がると椅子に引っ掛けていたコートを羽織り、漣はその隣を歩いて二人も執務室を後にするのであった。
〇
若干の風が強く吹き付けるが、日差しの温かい午前。
提督と漣は鎮守府から徒歩数分もしない近場にある、かまぼこ形の白塗りの建物の前に来ていた。一見、倉庫と勘違いしてしまうような外観である。
唯一の出入口となる巨大なシャッターは口を開けており、中では金属音が喧しく響きありとあらゆる資材がコンテナに詰まれ、警告色で塗られたクレーンがあちこちで忙しなく動くといった光景が目まぐるしく広がっていた。
午前というのに日光は差さず、代わりに電灯が工廠全体を照らしていた。
「これはまた……すごいな」
「そうですねー」
提督は独特の雰囲気に居住まいを正すが、漣は特に気にした風でもない。
「すみません!」
とりまず誰かを呼ぼうと、けたたましい作業音に負けぬよう有らん限りの声を出す。
すると、幸いにもぴたりと音が止み、作業場の奥からのそりと人影が現れた。
その人物はつい先ほどまで何か仕事をしていたのか、物々しい保護面に作業用の汚れたエプロンを身に着けていた。端々に見える服装は大淀のものと似たセーラー服で、保護面越しでも分かる漣と似た桃色の長い髪に、この人物も艦娘であるとなんとなく察せられる。
「あ、もしかしてあなたが提督ですか?」
保護面を外すと、快活な笑顔を見せる溌剌とした女性がそこにあった。
「どもー、明石さん」
「おっ、おはよう。漣ちゃん」
どうやら顔見知りのようで、二人は気心知れた様子で挨拶を交わした後、明石はすぐに提督に向き直る。
「工作艦”明石”です。工廠の事務に関してはお任せください」
「どうも、よろしくお願いします」
「こちらこそ!」
二人は互いにお辞儀した。そこへ、ふと提督の足元を奇妙なものが通り過ぎる。
例えるなら人……であるが、その体型はあまりに小さくまるで人形である。
そんな小人が安全帽と作業服を着込み、鋼材を担いでせっせと作業場に消えていった。
「……なんですか。あれ」
思わず唖然となって聞く提督に、明石は笑顔で答えた。
「妖精さんです。何かと私達を手助けしてくれる頼れる存在ですよ」
「はぁ……」
提督はそれ以上突っ込まないようにした。艦娘の上にさらに謎の存在が現れては、理解しようにも頭が追い付かない。
「ご主人様」
半ば放心状態にあった提督の袖をちょんと漣がつまむ。
そのおかげで提督は我に返り、もう一つの用事を思い出した。平静になるため一つ咳払いをして、
「建造を頼みたいのですが」
「勿論大丈夫ですよ。申請書は大淀が持ってくるんですか?」
「いや、こちらにあります」
「あ、どうも」
提督は予め記入しておいた建造申請書を明石に手渡す。彼女はじっくりと眺めてふんふんと頷く。
「では、すぐ取り掛かりましょう」
明石は通りすがった妖精を呼び止め申請書を見せると、二言三言何やら言葉を交わし、妖精はすぐに作業場の奥へ退いていった。そして間もなく、トンテンカンと金属の打ち合う音やら何やらが再び響き始める。
「えっと、予想では二日掛かるみたいです」
「二、日?」
長いのか遅いのか、提督は混乱する。そもそもそんなに正確に分かるのか。
しかし先に決心した以上、余計な詮索はせずにおいた。
「そ、それでは二日後」
「はい。それでは私も作業に取り掛かるので、これで」
言うと、明石はまた保護面を被り直し礼をして、慌ただしく奥へ引き返した。
「またねー、明石さん」
漣が手を振り、明石も直前に手を振り返す。提督も会釈をした後、二人は踵を返して工廠から抜け出た。
ある種異様な熱気は跡形もなく消え去り、冴えた空と海が出迎える。
一陣吹いた風が冷たくも心地良く体を撫でた。
「いやぁ、誰が来るか楽しみですねぇ」
「……うぅむ」
漣の屈託ない笑顔と期待に、提督は肯定とも否定とも取れない頷きを見せて鎮守府へ戻るのであった。