営舎の医務室。外はしとしとと雨が降っており、太陽は見えない。
数日かけて怪我を回復した漣は、病衣から新品同様に縫い付けた制服に着替え、桃色の髪を二つに纏めていた。
「入りますね」
「どぞー」
漣の声に反応して引き戸が開かれ、そっと神通が顔を出した。
「漣ちゃん、提督から招集がかかってます」
「分かりました……っとと」
もう一方を結わえつつ小走りで医務室を出て、神通と並び、鎮守府へ繋がる連絡通路を渡っていく。
海をのぞく窓を雨滴が叩き、静寂の中に奇妙なリズムを刻んでいた。
「……ごめんなさい、漣ちゃん」
歩く中、ふと俯きがちに神通が言った。
「ど、どうしたんですか、急に?」
謝られているのに自分が悪いことをしたような気分になって、漣は我知らずのけぞる。
「いつも無茶な戦いばかりさせてしまって……」
その一言で、何でもないと分かってホッと胸を撫で下ろした。
「そんなの、ぜんぜん気にすることじゃありませんって。むしろ、そんなに心配されると私も困っちゃいます」
「そ、そう……かしら?」
「はい。それに、みんなお見舞いに来てくれるから退屈することもないですし。ご主人様に至っては、こっちから突っぱねないと帰ってくれない位で」
言って、前髪を人差し指でくるくると絡める漣を、神通は不思議そうに見遣った。
「まだ、熱、残ってますか?」
「え?」
言われて、漣はぺたぺたと自分の頬に掌をひっつける。体温がほんのりと、内側から温かく感じられた。
「気のせいですよ。あっそうそう」
「私、また昔のことが分かったんです」
「本当?」
「はい。船団護衛の任務とか輸送任務とか、やってました。この鎮守府に居ない艦の娘と」
神通が相槌を打って、
「実は、私も、皆も、ちょっとずつ思い出してきてるんです」
「ありゃ、そうでしたか」
特別驚きもせず、漣はその事実を受け入れた。
「多分、深海棲艦との戦いそのものが、私たちの過去を取り戻すきっかけなのかもしれません」
「成るほど」
神通の推測を聞きながら、頭に浮かんだ素朴な疑問が彼女の口をついて出る。
「……なんで、
その問いに、神通はごくごく自然に
「それは、私たちが……」
と言いかけた所で、言葉が止まった。
「私たちが?」
「……なんでしょう?」
聞き返すと、いかにも答えを出しそうな雰囲気から小首を傾げられ、漣はもろにずっこけた。
「やっぱそこですよねぇ」
と脱力して、気が付けば執務室前。
「ともかく、まずは提督のお話を聞きましょうか」
「そうですね」
謎はするりと心を離れ、二人は執務室へ入った。
〇
執務室には既にメンバーが集まっていた。
提督はぼさぼさの髪と無精ヒゲでいつものごとく椅子に腰掛けており、漣は初めて会った頃をなんとなく思い出した。
「さて揃ったな。早速だが、今日は君達に伝えることがある」
以前にもこんな状況があったが、中身は丘へのピクニックの提案でまったく重大事というものではなかった。今回もその例に漏れぬだろうと、どこか油断の気が艦娘の間に漂う。
「前回の作戦、改めて、お疲れ様。皆の尽力のおかげで、我が鎮守府の役目は終わった」
全員が、その言葉に違和感を覚えた。というより、嫌な予感である。
「つまり?」
「つまり、解散……」
言った瞬間、過たずに空気が殺気立ち、提督は冷や汗を垂らしながら慌てて付け加えた。
「……の予定だったが。もし君たちにまだ深海棲艦と戦う意志があるならば、新たな作戦を実行する、と上層部が言っていた」
彼女たちの険しい表情がちょっぴり和らいだ。提督も深呼吸して、言った。
「戦う、か?」
「「それは」」
「「勿論」」
「「です」」
提督の思いに反する満場一致の「はい」に、大きな溜め息が出た。
「そもそも、前から何度もそう言ってるじゃない」
と呆れながら言うのは雷。
「この国の安全圏は守られたんだ。もう数少ない住民に被害が及ぶような事もない。戦わなくていいんだぞ?」
必死の説得を行うも、霞が首を振った。
「悪いけど、そういう訳にもいかないみたいなの」
「ボクたちの秘密は、彼らが握っている。それを知るまで、退くことはできない」
響にも反論された提督は、頭を掻きながら考えた。
彼女達を本位に考えるなら、深海棲艦の打倒に協力すべきである。それは、自分が誰かを死なせてしまうかもしれないリスクを再び抱える事でもあったが、それよりも、何よりも。
「……ならば、俺から一つ、条件を出させてもらう」
「条件、ですか?」
鬼怒が聞いて、彼は頷いた。
「あぁ。それは、深海棲艦を倒す以外に、自分のやりたいことを見つけることだ」
「随分ふわふわしてますネ……」
漣の戸惑いに、提督は譲らず強気に答える。
「曖昧でも、なんでもだ。君たちがどうしても戦わなければならないとしても、戦うことだけが生きることではない筈だ」
「はぁ」
彼の熱意があんまり腑に落ちない様子で、漣は息をついた。
「ということで、それぞれしっかり考えておくように。時間がかかっても構わないから。以上」
こうして、半ば追い出されるように召集は終わった。
〇
しっとり冷たい夜。雲が空を覆い、小雨が広がっていた。そんな時分に、漣はひっそりとした廊下を一人歩いていた。
「やりたいことってなんだろう」
と考えるもサッパリ見当つかないので、いっそ課した本人に相談しようと決めた故であったが、中々踏ん切りがつかず夜になってしまった次第である。
明かりは既に消えていたが、執務室の方は点いていた。
戸を叩いてしばらくしても反応がないので、漣はあえてこっそり扉を開ける。
どうやら提督は電話しているようだった。ノックが聞こえない訳である。
「おじいさん。任務は完了しました。それと、彼女たちは……戦うと言いました」
『ご苦労様。……そうか』
ほんの少し間が空いて、思い出したように老人が言った。
『情報……だったな』
「はい」
老人は一息ついて、
『太平洋戦争、だ』
「は?」
突然発された単語に、提督は思わず聞き返した。とっさに学生時代の記憶を辿る。
「授業でやりましたっけ?」
『うむ。あの時は、古い歴史の出来事の一つとして通過してしまったが』
『都市部の図書館に行けば、それに関する書物やデータが残っているだろう』
「……わかりました。探してみます」
『回りくどいやり方ですまんの。答えが出ること、待っておるぞ。ではな』
「また」
通話が切れて、提督は静かに受話器を置いた。
「明日、車で行くか……」
そう呟いたのを聞いてから、漣はほんのちょっと開いたドアを彼に悟られぬよう閉じた。
「都市部……ってことは、外だよね」
そして、当初の目的はどこへやら、怪しい笑みを浮かべて踵を返したのであった。