翌日。一晩まで続いた雨は止んだが、路面は露に濡れている。
そんな朝の鎮守府入り口には灰色のかっちりしたジープが停まり、提督がドアの前で上衣の襟を掻き合わせていた。
「事情は先ほど話した通りです」
迎えに立つ大淀が頷く。
「分かりました。その間、鎮守府のことはお任せ下さい」
「お願いします。では……」
「あ、提督」
「はい?」
ロックを開けようとした所を、呼び止められて振り返った。と、大淀は手に持っていた包みを差し出す。
「伊良湖さんから、お弁当を預かっていたんです」
「あぁ、どうも」
提督は照れくさそうに受け取って、改めて車に乗り込んだ。ウィンドウを下げて顔を出し、
「行ってきます」
「お気をつけて」
エンジンが掛かり、ジープはのろのろと走り出して門を抜けていった。
○
日が昇る頃合いにも、提督はのんびり走らせていた。窓の外は見るたび田畑や山が望み、行き交う車ましてや人もないが、本人の慎重さゆえに過度なスピードは出していなかった。
「~♪」
車内の暖房で温まりながら気分良く鼻唄なんて歌っていると、
「それ、なんて曲ですか?」
「うおぁわっ!?」
何の前触れもなく後部座席から漣がひょっこり顔を出した。
仰天した提督はハンドル操作を誤って大きく蛇行し、危うく車道から落ちかけたが、寸での所で立て直すとブレーキを踏んだ。
「ど、どうして君が?」
やつれ顔で深呼吸しながら訊ねると、漣はあんまり反省していない様子で答える。
「いやー、昨日、ご主人様がお出かけすることをちょろっと耳にしまして。『やりたいこと』を探す手助けにならないかなと思って」
「あとは、大淀さんの部屋に忍……げふんげふん、、寄って車の鍵を一個借りてから、ここで待機してました」
「き、昨日の夜から……?」
最早怒る気にもならない提督に、漣は首を縦に振った。
「はい、それでつい寝ちゃって、さっき起きたところです」
「……」
こめかみを揉みながらどうしたものかと考えたあげく、提督は言った。
「今さら引き返すのも面倒だから、一緒についてきなさい」
「はーい」
彼女は元気に返事をして、器用に助手席へ飛び移った。ちらと横を見ると、無邪気な笑顔を浮かべている。
提督は痛む胃を押さえて、再び発進した。
○
田園地帯を抜けるとちらほらと住宅が景色に混じり、やがてビル群の並ぶ完全な都市に入った。
建物によっては倒壊したり焼けているものもあって、瓦礫で道を塞がれることもあったが、ジープは順調に目的地へ向かっていた。
「だいぶ、寂れてますね」
漣の一言に、提督が首を向けずに反応した。
「深海棲艦の残した
それを聞いて、漣は
「こんな大きな街まで……」
「対抗手段がまるで無かったらしいから、無理もない。ちなみに、狙われたのはここのような都市部だけだったみたいだ」
「そうなんですか?」
「教えてもらった話ではね」
話の途中、街並をぼんやり眺めていた漣が驚きの声を上げた。歩道を老齢の男性が歩いていたのだ。
「ご主人様、人がいますよ!」
提督は困り気味に言った。
「そりゃ、いるさ」
「ご主人様と伊良湖さん以外で、初めて見ました」
「そう言われてもな……」
無造作に、漣が男に向けて手を振った。男も気付いたのか、足を止めて小さく手を振り返してくれた。
「良い人っぽいですね」
「争う必要もない時代だからな。今は……今も、お互い助け合わなきゃ生きていかれないんだ」
「はぁ」
話半分で相槌を打っていると、車がゆるやかに速度を落とした。提督はエンジンを止め、鍵を抜いた。
「着いたぞ」
「結構かかりましたね」
「その為に早く出たのさ」
二人は一緒に車を降りて軽く体を伸ばすと、ドアの鍵を閉めたことを確認し、階段を一段ずつ上る。細い長方形のような建物が多かった中でも、目前の施設は違って独特な形状をとっていた。
「大きいですねぇ」
「そうだな」
見上げて感嘆する漣に、提督が頷いた。
「さて、開いて……いるな。良かった……」
どこからかまだ電力が通っているのか、自動ドアがちゃんと機能して二人を出迎えた。
「行こうか」
「はい」
恐る恐る足を踏み入れると、本の敷き詰められた書棚がずらり揃う空間が広がっていた。ポツポツと点る暖色の照明と窓から差し込む日光で、館内は比較的明るい。しかも至って清潔で、時々人の手が入っているのかもしれないと思われるほどである。
「探してる本、見つかるんですか?」
「あぁ。それは……」
漣の疑問に、提督は言いかけながら、付近に佇む筐体に近付いた。すると、ディスプレイがパッと光に溢れた。彼は特に動じずポチポチと画面を弄り、漣はそれを横で興味深げに見つめた。しばらくして、操作する手が止まる。
「分かった」
「分かったんですか!?」
すたこらと館内を歩いていく提督と、謎の機械を交互に見やりつつ、慌てて提督の後をついていく。あちこちを行ったり来たりして、遂にある書棚の列に辿り着いた。提督は本棚から気になる冊子を1冊ずつ吟味して引っこ抜いていく。
「そういえば、ご主人様は何の本を探しに来たんでしたっけ?」
「聞いてたんじゃないのか」
「寝てる間に、キレイサッパリ」
「……太平洋戦争、だ」
「あー……」
どことなく空気が張り詰めた。ちょっぴり後悔しつつ、それでも漣は聞いてみる。
「それまた、どうして?」
提督が本から目を離して、漣の顔を見た。我知らず彼女は唾を飲んだ。
「艦娘の正体を見つける為だ。話を聞くに、君達は自分の存在する理由を求めているんじゃないかと思って。それで戦わなくてはいけないのなら、俺は俺なりの方法で納得できるような答えを探そう と思ったんだ」
「えっと、ちょい誤解してるトコが」
「え?」
思わず聞き返した。漣は必死に言葉を紡いでいく。
「確かに、ご主人様の言うように、生きる理由を探してもいるんですが……」
「多分、そんなことも関係なくなっちゃう位に、私達と深海棲艦は繋がってるんだと思うんです。なんつーか、宿命的な」
「宿命……」
提督はほんの一瞬 何かを掴みかけたような気がしたが、閃きは去ってしまった。
「でも、戦えば、やっぱり君たちは傷付く」
本を床に置いて、しゃがみ込む。そこには、いつもの伏し目がちな彼ははおらず、純粋に誰かを慮る提督という人の素顔があった。漣はちょっぴり苦しそうに、ゆるゆるとかぶりを振った。
「それでも、です」
「漣……」
「勿論、ご主人様が一緒に探してくれるなら、とっても心強いですよ!」
それは、少女の真摯な言葉だった。
「……もう、なんで泣くんですか」
「あれ?」
気付くと、提督の瞳から止めどなく涙が溢れていた。ただただ無性に。
「すまん」
コートの裾で必死に顔を拭う提督に、漣がいたずらっぽく言う。
「そんなに泣いてたら、泣き虫提督って呼ばれちゃいますよ?」
まだ嗚咽を引き摺ったまま、提督は片腕で本を抱えてくるりと踵を返した。
「この気持ちを失うくらいなら、俺は泣き虫のままでいい」
「へ、今なんて?」
「……なんでもない」
「えぇっ良いじゃないですか、ちょっとくらい。ねぇ、ご主人様ってば」
とぼとぼと歩く提督を、漣は追いかけるのだった。