泣き虫提督と水面に立つ小さな波   作:鈴索

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過去編その3 出立

 日も春めく陽気のこの頃。半次郎は一人、成長した今の体には少々手狭な机に座って、教卓に立つ龍馬と相対していた。

「いよいよ、だ」

 白髭の中から重い口を開いて、龍馬は言った。

 半次郎は老人の顔をちらと見て、窓の外に逸らし、また戻す。

「俺も、遠くへ行くんですか」

 そして、緊張した面持ちで訊ねる。龍馬は髭を撫でつつひょいと答えた。

「ホッカイドウだ」

「......ずっと気になってたんですが、そんなところで何をするんです?」

 教わった地理を思い出しつつ、彼は言った。

「深海棲艦からこの国の海を守るため、各地に造られた鎮守府に留まって働いてもらうのだ」

「皆も、その、鎮守府へ行ったんですか」

「うむ。京介はヨコスカ、鳴はクレ、そして遼がマイヅルへ向かった。そしてもう一つ、私の旧友の息子にサセボに勤めてもらっている」

「……」

 半次郎はしばし考え込んだ。この学校を卒業する今に当たって、自分の頭の中の疑問を総ざらいしていた。

 結局、聞きたいことは一つに収まった。

「どうして俺は、もう半年授業を?」

 続けさせられたのか。その声には、単純に問う気持ちと同時にそこはかとない恨みの感じがあった。

 龍馬は多少の申し訳なさと共に理由を説いていく。

「それは、この仕事を行うにあたって、共にする仲間がおるからだ」

「仲間?」

「艦娘という、少女たちだ」

 全く知らない単語が出てきて、半次郎は余計に混乱する。もしやこの老人はボケたのではとすら思った。

「お前さんにもう少し長く居てもらったのはな、彼女らと上手く付き合っていけるかどうか、私が不安に思ったからだ」

「......じゃあ、艦娘って、どんな人たちなんです?」

 おごそかに、龍馬は首を振った。

「それは、答えられん。お前さん自身の目で見てもらいたい。まぁ、ここで言っても忘れてしまうのだろうが」

「はぁ」

 どうにものらりくらりとした言い方で半次郎には納得しかねたが、彼の頑固な性分をよく理解していたのでそれ以上は何も言わないことにした。

「とにかく、あまり先入観を与えたくないのだ。すまんが、話はこれで終わりとする」

 それを機に、半次郎は立ち上がった。そこへ龍馬が歩み寄って、手を差し出す。

「私は老いが来てしまった。だから、身勝手なことだが……彼女たちを、頼む」

 彼はちょっと躊躇(ためら)ってから、その骨の形浮き出る強張った手を握り返した。

 未知に対する不安は大いにあった。だが、一人で初めて遠くへ旅をするというのは、それに勝る魅力だった。

 そして、この際艦娘とやらについては着いてから考えれば良いだろうという結論に至ったのだ。

 龍馬は半次郎の瞳を見据えた。彼は怯まなかった。

 小さな意志の大きな決断、半次郎の運命を導いた日のことである。

 

 ○

 

 (きた)る朝、半次郎は折り目のない白の軍服を丁寧に畳んで鞄に詰め、ほか忘れ物がないかを確認して立ち上がる。

 長年暮らしてきた自分の部屋ともお別れで、戸口に立って、感慨の念と共にしばし眺める。ちょっとの、或いは永遠の別れとなるかもしれないのだ。

 そう思うと、急に自分の命が惜しくなったような、情けなく寂しい気分に囚われたが、すぐに部屋から踵を返して強引に弱気を振り払った。

 そして、段差の高い階段をゆっくりと降りて、こっそり玄関に立った。チヨと母の顔まで見たら、余計に行きづらくなると思ったからだった。

 しかしその思惑は成功には至らず。靴を履いていると、微かな音を聞き分けて、奥からチヨが割烹着のまま慌てて出てきた。

 傍らには、重みのある音を鳴らす精巧な杖をついてつかつかと歩く、頬に皺が刻まれた小柄な婦人がいた。

 半次郎は動揺を隠して立ち上がり、二人に振り向く。

「チヨさん、母さん」

「もう、時間なのですか……?」

 チヨが震える声で言った。

「うん......行かなきゃ」

「半次郎、さん......っ」

 半次郎はきっぱりと答えた。だが、出なければならぬが、今のまま彼女を放っておく訳にもいかない。

 チヨの泣き出してしまったのを見て、どうにも困ってしまった。ともすれば自分も泣いてしまいそうだった。

 そこへ、涙を拭う千代の腕に、半次郎の母がそっと手を置き、息子の前に歩み出る。

 母は優しさの滲む細い瞳で見つめ、静かに言った。

「この子は任せて、気をつけて行ってらっしゃいな。半次郎や」

「必ず、帰ってくるんだよ」

「......はい」

 半次郎は頷いた。彼女も頷き返す。

迷いを捨てて、扉を開けた。

 こうして、半次郎は今の提督の道に続くのだった。

 

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