泣き虫提督と水面に立つ小さな波   作:鈴索

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番外編その3 武人提督と群れ集う雲

「ふっ!」

 木と木がぶつかり合い音が弾ける。それは、男と少女の剣戟だった。

 男はよく日焼けした、皺の深まり始めた年の割には精悍な顔つきと頑強な体格をしており、少女の方はというと、彼と同じ清潔な道着を身に着け、輝かしい銀髪を長く揺らめかせていた。

 つりがちな凛とした赤みある橙色の瞳には微かな焦りと苛立ちが見える。

 一方男は撃ち合いの緊張にあってもなお涼しげであり、彼女の薙刀が打ち出す攻撃を尽くかわし、伸びた腕を咎めるように(はた)く。

「私の言ったことを覚えているかね、叢雲(むらくも)君」

 にっちもさっちもいかなくなっている少女……叢雲を、優しく諭すように男は言った。彼女は喋る猶予を見つけるのも難しい。

「なに、よっ」

人間(わたし)の打突では艦娘(きみ)は傷つかない。ゆえに、怖れることもない」

「それは戦いに必要な意気だが、それだけでは足りない。向こう見ずの火は己の身をも焦がしてしまう」

「……」

 その言葉で僅かに気を取られた瞬間、男のしなる竹刀が、叢雲の切り揃えた前髪の下のおでこを突いた。

「っ!」

 勢い間合いから外れ、息を整えつつ更に一歩引く。(したた)かな一撃だったが痣も痕も、そこにはなかった。

 そして頭を巡らせ、答えを探る。たった一つ、閃いた。

「水……」

 男はいかにもと頷き、

「そう、水の心だ。在るがままの全てを受け入れ、注意し、状況を的確に見定める精神……それを併せ持つことで」

 今度は脈絡なく小手を狙う。

 蛇の這うような摩訶不思議の一撃だったが、叢雲は見事にそれを凌いだ。

「道は、切り開ける」

 そして、目の醒める気分の中ごくごく冷静に向かい合い、澄んだ赤橙が真っ直ぐ捉える。

 彼は満足そうに唸りを上げた。

「さぁ、五分耐久だ。全ての攻撃を受け切ってみなさい」

「上等!」

 

 ○

 

 日本の南方に位置するある鎮守府。

 天気もようよう暑くなるこの時分、敷地の端にある特別増設された小さな武道館の、開け放たれた窓という窓と戸口から、絶えず快音が空に響いていた。

 凪いだ海に人はおらず、営舎の一室から外を眺めていた少女もとい艦娘が二人。

 垂れた耳のようにはね、片方を丁寧に編んだ髪が映える青い瞳の゛時雨゛と、同じ黒のセーラーを着、此方は縦に癖のついた柔らかなクリームの毛の、赤い目をした゛夕立゛である。

「やってるね」

 ふと、時雨が言った。隣の夕立も人懐っこい仕草で頷く。

「今日はいちだんと激しいっぽい。叢雲ちゃん、大丈夫かな?」

「どうだろう……」

 無邪気な心配に、つと頬を掻いた。

「ね、見に行こーよ」

「良いけど、準備は終わったのかい?」

 大人びた少女が訝し気な目で問い、どこか幼げな少女は途端に真顔で沈黙し。

「だいじょぶ」

 ちょっと間が空いて、そう答えた。不自然さはこの際気にしないことにして、時雨はベッドから立ち上がる。

「じゃあ、行ってみようか。夜までまだまだ時間もあることだし……タオルも、ついでに持っていってあげよう」

「れっつごー!」

 短針が右に緩く下っていく中、二人は出掛けるのだった。

 

 

 距離はさほど遠くもないので、すぐに目的地に着いた。

 横合いの空いた戸口からひょっこり顔を出して覗き込む。

 だが、男と叢雲の打ち合いは苛烈なもので、彼らの気付く様子はまだない。

 間合いの差などものともしない男の振りに際どく応じながら、叢雲は返す刀で反撃していく。

 鍛練にしてはもの凄まじい圧に、時雨は思わず唾を呑み、夕立も鈍感ながら感嘆の息を漏らした。

 果たして無限に続くかと思われた戟の応酬であったが、ある一瞬でぴたりと男の動きが止まった。勢い余った叢雲の薙ぎが彼の胴を撃つ。

「入ったな」

 彼女の成長に、男はにこやかに微笑んだ。

「時間切れだからノーカンよ」

 少々不満そうに、叢雲は薙刀を下ろす。かかる髪を振って払い、袖で汗を拭う。

「一本は、一本」

「そこまで言うのなら……ま、そういうことにしておくか」

「テートクさん、叢雲ちゃん、お疲れさまっぽい!」

 堪え切れずに、夕立がぱっと靴を脱いで駆けてきた。

「あっ、夕立」

 時雨もあとにならって入る。

「おや、ぽいぽい君に時雨君。こんにちは」

「こんにちは。時間があったので、来てみました」

「あたしは夕立っぽい!」

「なるほど」

 どっちに答えたのか分からないが、提督はもっともらしく相槌を打った。

「どうだ、君達も鍛錬するかね?」

「えーと」

 時雨が目を逸らしている内に、夕立が脱兎のごとく逃げ出した。

「どうやら元気なようだね……はっはっは、待ちたまえぽいぽい君」

「だーかーら、夕立っぽいー!」

 すかさず提督が彼女の後を追いかける。ともすれば海面も渡るような勢いでみるみる距離を詰めていく。

「まったく、どんな体力してんのよあいつ……」

 苦笑いで見送る時雨の傍へ、一試合終えた叢雲がのろのろと寄ってぼやいた。

「叢雲、お疲れ様。はい、タオル」

「ん、ありがと。……妖精さんの積み荷は終わった?」

「もうちょっとみたいだ」

「そう」

「……気が、引き締まるね」

 先ほどの穏やかさから一転、厳しい顔つきで時雨は呟いた。

「ここまで来たら、腹を括る他ないでしょ。それに、私たちに何かあっても、あいつだったらなんとかしちゃいそうだし」

 叢雲の冗談に、少し緊張も解けてかくすりと笑った。

「確かに」

 のびる白雲がたおやかに、重なって流れていた。

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