泣き虫提督と水面に立つ小さな波   作:鈴索

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27話 鬼とながれ

「演習結果の纏めは……これでよし。海域攻略の報告書は、もう送っていたな。後は艤装の整備、開発、資材消費の管理云々……」

「提督」

「わっ、大淀さん」

 曇りなき快晴の日。海から地続きにコントラストを描いて冴え渡る空は、思わず外に出て仰ぎたくなる清々しさなのだが、生憎提督は仕事に追われていた。

 それこそ、大淀の来訪にも気付かなかったくらいである。

「どうしました?」

 彼は額から垂れる汗を手巾(ハンカチ)で拭いながら訊ねる。就任時からは考えられぬほど、大気が暖かくなっていた。

「例の改造の申請書が来ました。こちらは、鬼怒さんのものですね」

「そうか、鬼怒もですか」

 提督はペンを置いて、用紙を受け取った。

 改めて要項を追っていると、机の端を占めるダイヤル式の古めかしい電話がけたたましく響いた。

 自分が居ては具合が悪いだろうと自然足を摺る彼女を目で引き留めて、受話器を取る。

「もしもし」

『半次郎か。龍馬だ』

「おじいさん、おはようございます」

『うむ、おはよう。先日の北方泊地攻略の報告書、確かに受け取った。ご苦労様』

「どうも」

 老人がちょっと沈黙する。何かあると悟った提督はじっと言葉を待った。

『……これで、残るは一海域だけだ。そしておそらく、深海棲艦の勢力全てがそこに集っているだろう』

「総力戦、ですか」

 ちらっと隣の大淀を見遣る。彼女は目を閉じて、真っすぐに立っていた。

『……あぁ。それで、連絡だ。今日から二週間以内に全資材と艦娘達を連れて、共に横須賀へ向かいなさい』

 龍馬の言ったことをメモをさっと書き取りながら、呟いた。

「ヨコスカ……」

『よろしく頼んだぞ。何か不明なことがあればまた聞いてくれ。ではな』

「はい」

 その短い要件を伝えて、電話は切られた。提督は受話器をそっと戻して、傍らの大淀に向く。

「今日から二週間以内に、ヨコスカへ向かえと。全員で、それと資材も合わせて」

 ことの次第そのままを話すと、彼女が眼鏡を掛け直して言うには、

「輸送船の建造が必要ですね。他にも、やることが沢山あります」

「ですよねぇ……」

 嘆く溜め息の出る提督に、大淀は反対にはきはきと元気づいていた。

「とにかく、鬼怒さんと改造の件を決着させてください。直近の用事は私が代わりに行っておきます」

「ありがとうございます。では」

 時間をもらった礼を述べて席を立つと、提督は足早に執務室を出た。

 そうして、一人残った大淀は、開けた窓に吹く爽やかな風を受けながらどこか遠くを見つめるのだった。

 

 〇

 

 最近は度々訪問することになった営舎へ、今日も提督は向かう。

 工廠の金具の音色を横に戸口をくぐって玄関に入り、目前の階段をえっちらおっちら上っていく。

 二階の手すりにもたれて一息つくと、今度は左右に伸びる廊下を進んでいく。鬼怒の部屋は右手の一番奥にあった。

 さていない場合はどうしようかと危惧していたところ、その本人が廊下の窓を開け、縁に肘をついて外の景色をぼんやり眺めていた。安堵して、提督は彼女を呼ぶ。

「鬼怒」

「んお、提督?」

 未だまどろみから覚めぬ様子で、彼女は振り向いた。紅い髪が微かに耳元で揺れる。

 それで、ぼうっとしているのかと思っていたら、途端口を開いてこう言った。

「そうだ。ちょっと、一緒に散歩しない?」

「さ、散歩?」

 提督は予想外の提案にうろたえた。仕事の合間ではあるが、常々彼女たちの頼みをなるべく受け入れることにしていた彼は、迷った末に首肯した。

「分かった。けれど、近い場所で頼むぞ」

「ヤッタ!」

 無邪気に喜ぶ鬼怒は窓から勢い離れると、

「こっちこっち」

 と言うなり、階段をトントンと降りていってしまった。

 提督はついさっき上った階段をまたすぐ降りることに妙な落胆を感じつつ、遅れぬようについていくのだった。

 

 〇

 

 お日様の下を、青年と少女は歩く。アスファルトにこつこつと靴音を鳴らしながら、その足先は鎮守府の外へ出た。

 向かう所ををなんとなく察しつつ、話をどう切り出したものかと考えあぐむ提督に、鬼怒が脈絡なく言った。

「提督。この前の音楽、凄かったよ」

「それは、どうも」

 褒められることに慣れない提督が戸惑っているのを他所に、彼女はその日を思い出すように提督の演奏の真似をする。

「指がこうやって動いてさ、腕をこう、こう……!」

「……なんだか恥ずかしいので止めてくれ」

「そう?まぁとにかく、人間てこんなにフクザツな動きができるんだなって思ってさ」

 言葉が途切れて、ちょっとの間沈黙の歩みが続く。木々を分け入り、茂みを踏んで。

「……鬼怒ね、艦娘になれて本当に良かったと思ってるんだ。皆みたいな優しい人たちに会えたし、動く身体があるってとっても新鮮で楽しいんだ」

 そうだ。艦娘は元々艦だったのである。少なくとも、今はその記憶を取り戻している。

「……」

 生きるということが、何かとてつもなく尊いものであるように、ふと提督に感ぜられた。それは、彼女たちが居なかったら、永遠に悟れないことかもしれなかった。

 丘のふもとに出た。巡る思いに提督は立ち止まり、鬼怒はくるくると回りながら愉快に斜面を駆ける。

 そして、途中でぴたりと足を止めて、彼に振り向いた。目が合った。

「だから、鬼怒は他ならぬイマを……えーと、そう、謳歌する!それが、わたしのやりたいこと」

「もう、叶ってるんだ」

「鬼怒……」

 提督は、見上げたまま、一歩を踏み出した。

 今をこれ以上ないものだと思う誰かがいる。それだけで、嬉しくて、ほんの少し寂しかった。

 鬼怒は微笑みを湛えて頂上で待っていた。最後の歩みに、手が差し伸べられる。彼はその手を握って、引っ張り上げてもらった。

「おつかれー」

「ありがとう」

 丘に根付く一つ樹の下、二人は遥か広がる大洋を見渡す。いつも傍にある海。

 ややあって、彼は本来の用事を思い出した。

「君に、改造の提案が来ているんだが」

「ほんと!?受ける受ける」

「あれ、そう……」

 のんきな陽気にしんみりした雰囲気はどこかへふっと去ってしまったが、まぁいいかと提督は満ちた思いで佇むのであった。

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