泣き虫提督と水面に立つ小さな波   作:鈴索

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過去編 さいご そもそもの話

「出掛けてくる。もしかしたら、一日開けるかもしれん」

 身の丈にぴたりと合う上衣を纏い、中折れ帽を胸に手置く老人が、居間のソファに腰掛ける老婦人に廊下から呼びかけた。

 邸は小さな山中にあるために、開け放たれた窓から草木の香りをたたえる風が流れ、日射を分けた木漏れ日は、陰気臭さを感じさせない光度で室内を穏やかに充たしていた。

「どうしたの、急に?」

 婦人は読みかけの本を畳んで、驚いた様子で訊ねた。

「友人から手紙が来たのさ」

 老人は懐からその手紙を取り出して、広いテーブルの上に置いた。婦人はちらと全体を見て、読むことはしなかった。

「……だいぶ、時間が経っていないかしら?」

「まぁ、二週間くらいは最近の内に入るだろう。何か急ぎの用事ができたようだから、向かおうと思ってな」

 夫は帽子を被った。彼女の意志はどうあれ行くつもりは変わらず、外出することを伝えに来ただけらしい。妻もそれを察して、ゆっくり頷いた。

「気をつけて、いってらっしゃい」

「うむ。行ってくる」

 それぎり、顔を合わせるのはよして、老人は再び廊下に戻り、自宅を出ていった。

 

 〇

 

 車でかれこれ数時間ほど。

 恐ろしいほど人気の少ない道路をすいすいと走っていくと、さほどの苦労はなしに海の見える都市までやって来た。彼の友人が住んでいる場所、横須賀である。

「前よりは、片付いたかね……」

 車を走らせながら、辺りの景色を見渡す。

 上部だけ無惨に壊れたビル群や所々がぼこぼこ凹んだ道路、道端に積み残るがれきの類。どうやら片付けている人間かまだ稼働している自動機械でもいるようだ。

 この都市に限らず、老人の若かりし頃に起こった空襲の被害を受けたおよそすべての街は、どこも似たような有様となっていた。

 役目を失った信号が健気に色を変える交差点を右に曲がってやがて細い路地に入り、立ち並ぶ住宅の列の中の一つを見つけ、門前に車を停めた。

 その一軒家は形状が保たれており、雨風をしのぐという家の機能をしっかり果たしていた。

 周りの建物は屋根が陥没していたり基礎がのぞくほど崩れたものなどもあるから、この家の無事は不幸中の幸いであったといえるだろう。そんなことを思いながら、老人は車両を降りてカギを掛けた。

 外に出た途端、遠くで金槌を打つ音が微かに耳に届く。

「工事か?」

 そうであるとしたら、何をつくっているのか気になるところであったが、関心は一先ずよそにやって、老人は門に提げられた呼び鈴を鳴らした。

「うーい」

 黄金の元気よい鈴の音を聞きつけ、家の中から男が扉を開けて出てきた。よく日焼けした、いかにも活発そうな男性である。老人と年の差はないようだが、髪の白さは龍馬の方が際立った。かといって、どちらも年齢にしては大いに若々しい。

「お、久しぶりだな。龍馬」

「元気そうで何よりだ、(まさる)

 二人、互いの名を呼び合い、達者を喜び合った。

「どれ、飯でも食っていくか?」

「腹は減っとらんから、それは遠慮しておこう。それよりも、手紙にあった話とやらを聞かせてくれないか?」

「手紙?話?……あぁ、そういやそうだった」

 送った本人が忘れるほど重要度の低い事柄と知って、龍馬は一気に肩の力が抜けた。

「急な要件だとあったが」

「いや、もう別に気にならなくなったからな。ま、そのことも含めてちと散歩しようや」

「分かった」

「車は……そこに止めておいたままでいいだろ」

「そう言うなら、そうしておこう」

 相変わらずどこかでかんかんと金音が響くなか、二人は路地を歩き始める。

「息子さんは、どうだね?」

「九州へとんで相変わらず修行一辺倒だとよ。まったく実助のやつ……」

呆れたように答えそれ以上話すのも億劫なのか、勝は話を露骨に転換してきた。

「そっちの孫は?」

 聞かれて、龍馬はちょっと唸りながら言った。

「いい子だ……が、ちと臆病に育ってしまった。あまり口出し出来ることではないんだがね」

「お前さんも大変なようだな。ま、今の世でも親子関係の難しさというのは変わらんのかね」

 気が付けば、二人は海の見える場所まで来ていたが、そこで龍馬は目をみはった。

「……!」

 彼の視線の向かう先、海辺の縁に一群の建造物が佇んでいた。赤レンガの贅沢な洋館と、その奥には面白いほど角ばった形状の工場が二つ並んでいた。そのどれもが新しさゆえに清潔であった。

「これが、お前の話したかったことか」

 しゃがれ声で確認する龍馬に、なんでもない風で勝は首肯した。

「ずっと、とんてんかんと音が鳴っていてな。あんまり長く聞こえるもんだから、何かと気になって行ったらこんなでかいもんがおっ建ってたってワケさ」

「それで?」

「何してるのかと気になったけど、ゴタゴタが起こったら面倒だからさ。交渉の上手いお前さんを呼びたかったんだ」

「お前……」

要するに、興味深いけど面倒は嫌なので、この土地に関係ない赤の他人に内情を探らせるという算段だった。

 そんないけしゃあしゃあとした旧友を見て、龍馬は大きな溜め息をついた。しかし、せっかく来たのであれば行かなければタダの無駄足になるし、彼自身その建造物と主が気になっていた。

「少し、待っていろ」

「え?あぁ、おう」

内心受けてくれるかは五分五分と見積もっていた勝は、龍馬の思った以上に真剣な面持ちに少々拍子抜けしながら、彼の背中を見送った。

 

 〇

 

幅広い格子の門は閉まっていたが、龍馬はわきの塀を老いを見せない身軽さで飛び越え、謎の建物群の敷地に入った。

海吹く風に衣を揺らして工場に向かううち、金槌の音は都市にいたときよりさらに大きくなっていた。

  人の気配はなく、通用口も空いていた。

 問答無用で中に入ると、様々な機械がせかせか動き、金属やら何やらを加工していた。どうやら本当に工場らしい。

目的を忘れてしばしその様子を眺めていると、安全帽を被った妙なセーラー服の女性が、施設のあちこちを巡って、機械の上や灰色の硬い床ををちょこちょこと走り回る、人間の頭ほどしかない文字通りの小人に命令を出していた。

ぎょっとしているとそのうちの一人が気が付いてか、豆粒のような軍手を脱ぎ、女性の足首をちょんとつついて来訪者を告げた。

 女性が振り向いて、顔が見合う。

 大人びているが龍馬に比べれば娘同然の若さであり、驚きの表情で丸眼鏡をかけ直しながら、彼の元へ寄ってきた。

「あの、どちら様でしょう」

龍馬はまったく堂々と自分の名を告げた。

「折口龍馬という。……あなたがこの建物を造った方か」

 今度は龍馬が訊ねる。女性はというと彼の態度を咎めるわけでもなく、にこやかに答えた。

「私は大淀と申します。この工廠と外の鎮守府は、ここの妖精さんたちが造ってくれました」

「妖精……」

老人はおとぎ話めいた存在が、幻視ではなく明らかに実在していることを知らされ、凄い動揺を隠して小さく呟いた。それは彼女に聞こえなかったようで、大淀は彼の訪問の理由を考え、言った。

「もしかして、作業音で睡眠の邪魔をしていますか……?」

「いや、もう気にならなくなったそうだから、それは構わん。しかし、こんなものを造って一体何を?」

「それは、黒い(ふね)を倒すためです」

「なんだと?」

”黒い艦”という言葉に、龍馬は大袈裟なほど反応した。大淀は大きな声に少しびっくりしたが、訂正も何もしなかった。

 彼の若かりし頃に度々あった空襲。それは、海に浮かぶ黒い艦によるものだと、そこから虫のようなものが空に飛んでいって爆弾を落としたのだと、生き残った者が証言していた。被害の回数が増えるにつれ、どうやらそれは本当らしいということも分かった。

 しかし、抵抗の力も薄い当時(現在もであるが)の人類にとっては撃退どころか傷付けることもできず、もはや一種の災害と認めて諦めていた。だから、彼女が突飛なことを言っていると龍馬が疑うのも無理はなかった。

「どうやって、そして、どうして戦うのだ」

「少々、お待ちください」

 次々と疑問の湧く龍馬にどう説明したものかと考えた大淀は、ちょっと断りを入れて一旦その場を離れた。

 苛立つでもなく、ただ困惑の色を隠せないでいると、ほどなくして彼女が戻ってきた……重厚な装備をその身に携えて。

 老人はあんぐりと口を開けてしまった。

 彼女の背中には、艦船の一部をどうにか人間サイズにごまかしたような鉄塊を背負っていた。他にも、右肩の分厚いカタパルトに体の各所に装甲や武装を装備している。

 そのどれもが、人間というシルエットから彼女をどこかへ引き離していた。

「あなたの問いに対する答えが、今の私です」

 苦もなく平然と立つ彼女は、静かに言った。

「私は……おそらく、以前に”大淀という艦”の存在であったと認識しています。仮に、人間と区別して……そうですね、艦娘(かんむす)とでも呼称しましょうか」

「君が、人間ではない?」

「はい。証拠は、とりあえず今の姿で納得していただければ。……それと、黒い艦を倒す理由については、残念ながら、分かりません。しかし、彼らを倒さなければならないことと、私たちが彼らに対抗する力を持っていることは事実です」

「むぅ」

 龍馬は髭をさすった。確かに大淀の装備はどう見ても対人間のものには見えず、なんとなく超常的な力も感じる。だが、理由もないあやふやな状態で黒い艦と戦うというのは見過ごせなかった。

「本気で、そう思っているのか?」

 念を押して確かめる老人に、大淀は迷うことなく肯定した。

「勿論です」

「……では、手伝えることはないかね」

「協力して下さるんですか!」

「あ、あぁ」

 大淀の理知的な顔が子どもっぽい喜びに輝いた。龍馬は後じさりしながら頷く。

「それでは、折口さんにほとんど手の足りていない提督の職務を……」

「それはもしや、指揮系統を任せるということか?」

「そうなります」

 話の端々から、どうやら彼女の仲間がまだまだいるらしく、彼女自身戦う側の者であるようだから、いずれ施設を統括し命令を出す人材が必要であることは確からしい。

 龍馬はちと黙った。己の(よわい)では、そんな大任を続けられるかどうか分からなかった。まだまだ死ぬつもりはなくとも、いつ何がきっかけでこの世を去るかも知れない。

 ふと、脳内で一つの考えが閃いた。

「……戦うには拠点が必要だろう。ここもその一つだと思うが」

 彼の察しの良さに驚きながら大淀は地図をポケットから取り出し、開いて指で位置を指し示してみせた。

「端から佐世保、呉、舞鶴、そしてここ横須賀ですね。先の三地点はまだ建築に取り掛かっておりません」

「時間はどれくらいかかるかね?」

 ますます本格的であると思いながら、次の質問を出す。

「全国への展開はあと一、二年ほどでしょうか」

「ふむ……」

 思案の末、彼は結論を出した。

「よし。そちらが鎮守府とやらを造る間に、私が提督となる人物を育てよう」

「ほ、本当ですか?」

「うむ」

「ありがとうございます……!」

「私は年でそう遠くまでは動けんが、心あたりはある。ただし、教育に必要な期間として三年はもらいたい」

「承知しました。朗報、お待ちしております」

 幾分か落ち着きを取り戻したあと条件を呑み、彼女はお辞儀をした。

「そうと決まればぐずぐずしている暇はあるまい。今日は帰らせてもらうぞ」

「はい。お気をつけて」

 妙な約束を取り交わしてしまったなと思いつつも、龍馬は工廠を去った。

 

「おう、時間かかったな。どうだった?」

「すまん。これからもっと騒がしくなるかもしれん」

「え?」

 友の意味深な発言に思わず聞き返すが、彼は無視して言った。

「お前の息子さんと話せないか?」

 

 〇

 

 どうしてあのことを引き受けたのだろうかと、今でも不思議に思う。無意識に黒い艦に対しての復讐の念があったのか、あるいは老いてすることがなくなってしまった自分のある種の光明だったのかもしれない。そうすると、これはただ己のための行動なのかもしれない。

 それでも、やると決めたなら曲げることはしない。

 ……導いてやれるだろうか。それより、彼らはどんな反応をするだろう。

 

 渦巻く思いをぴしゃりと鎮めて胸にしまい込み、龍馬は教室の扉を開いた。

 

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