泣き虫提督と水面に立つ小さな波   作:鈴索

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31話 帰還

 清らかな太陽が世界を照らし出す。その眩しさに海は輝き、みなが目を細める。

 深い深い安堵。ほんの少しの戦いの熱も消えた。

「お疲れ」

 海域の中央、傍に控えていた武蔵が大和をねぎらった。大和は柔らかい笑みで頷く。その体は実体を失いはじめ、存在そのものが薄れかかっていた。

「む……」

 武蔵も、自らの異変に気付いた。開いた手のひらから、雪のように水の粒が、ほろほろと空に舞い上がっていた。

「もう、時間が来てしまったみたいですね」

「えーっ、もっとテートクとティータイムしたかったのにぃ!」

「仕方がないですよ。金剛姉さま」

 残念がる声に、たしなめる声。ほかの艦娘にも同様の現象が起こっているようだった。

「お疲れさま、瑞鶴」

「翔鶴姉こそ。……うん、満足しちゃった」

「……不幸だわ。もう消えてしまうなんて」

「でも、いいのよ、山城。だって、こんなに空が青いのですから」

 深海棲艦はいなくなった。だから、艦娘もその役目を終えたことになる。もともとこの世にあらざるものであった彼女たちは、不完全であるがゆえに現世にいられたのだ。分かたれた魂が繋がった今、自らをここに留める楔はなくなってしまった。

『……まだ、残っている艦娘に告ぐ』

 武蔵は、消えゆくなか、無線をかけた。

『力のある限り、帰路を進め。そして、お前たちの提督に、勝利を報せるように』

 言い終えると、傍らの相棒にそっと目配せした。大和は何も言わず、ただ微笑んで、その目を見つめ返した。

 まもなく、二人の姿は見えなくなった。

 淡く煌めく水面が、そよそよと揺れていた。

 

 

「やっと、終わったのね……」

 曙が呟いた。その体を、淡く水の泡がのぼっている。

「短い間だけど、会えて良かったよ」

「うん……本当に」

 朧と潮も、消えていく。漣だけ、まだ、実体を伴っていた。

「皆、行っちゃうの?」

 置いていかれてしまうかもしれないと、つい不安になって、訊ねた。

 三人は顔を見合わせたのち、代表して曙がそっけなく答えた。

「心配しなくても一緒よ。でも、もしかしたら、あんたにはまだやることがあるんじゃないの?」

「あ」

 そうだ。先ほど武蔵が言っていたではないか。

 体が動くのであれば、行かなければならない。提督に会って、伝えるのだ。

「その様子だと、終わってないみたい、だね。もう一仕事、頑張れ」

 朧が小さく拳を握った。つられて、漣も真似をする。

 気合を入れるための、ガッツポーズ。

 ふと、おーい、と遠くから誰かに呼びかけられた。振り向くと、ムロランの皆が集まっていた。

 深呼吸する。長く息を吐いたあと、漣はぴしゃりと頬を叩き、潤みそうになる目を開けて、三人に向きなおる。

「行ってくるね」

 各々が頷いた。ちょっと見つめあって、踵を返した彼女の背を、なびく桃の髪を。姉妹は見送って、その姿を隠した。

 

 

「全員、揃いましたね」

 快い風が吹くなか、漣の到着を認めて、大淀は呟いた。

 その体ははっきりした色を失いつつあったが、隣の明石にも同様の状態にあった。

「大淀さん、明石さん、体……」

 漣が言いかけるのを、明石はやんわりと抑えて、言葉を継いだ。

「いやぁ、久しぶりに働きすぎちゃったみたい」

「そういうことです」

 戸惑う艦隊に、二人は困ったように笑った。

 そこに後悔はなく、あるのは成し遂げたという気持ちがほとんどだった。

「どれくらいの猶予があるかは分かりませんから、とにかく一直線に帰港してください。私たちは先に還っています」

 残された者たちは首を縦に振った。改めて、意思が引き締められる。

「補給も忘れないようにね。頼んだよ」

「「はい」」

 返事が、空へ伸びていく。

 みなは主機の出力を上げた。二人との距離がどんどん離れていく。

 白い飛沫を打つ航跡を眺めて、明石は溜め息をついた。

「行かなきゃ駄目かぁ。とっても楽しかったんだけど」

 落胆する友人の頬を、大淀が細い指でちょんと突っついた。

「どしたの?」

 訝しげにみやる明石に、彼女はいたずらっぽく笑った。

「実はね、明石……」

 

 ○

 

 艦隊は無言で海路を突き進む。疲労は色濃く残っていたが、へこたれるわけにはいかなかった。

 しかし運命は否応なしにやって来る。言ってしまえば、それはすべてのものに当てはまる理であり、かろうじて消えなかった彼女たちもまた、例外ではなく。

 最も中枢海域に近い、第三泊地と名付けられた陸地。

「あっ」

 艦隊が戦闘で消費したぶんの補給を終えて、まもなく出発しようとしたときに、鬼怒が声を上げた。

 隊列をほどいて、見ると、彼女の身体は少しずつ薄らいでいた。

「ここまでみたい」

 言って、鬼怒は、どうしたものか分からず、頭の後ろを手持ちぶさたに掻いた。

「鬼怒さん……」

 漣も何を言うべきか分からずに、ただ名前だけが口から零れた。

「行って、しまうのですか?」

「はい。……でも、しんみりしたのはあんまり好きじゃないから、キッパリ、サッパリと別れようと思います」

 短く悩んだ末、そう結論付けると、明るくパッと笑って、紅い髪の少女は敬礼で締めた。

「さらば!」

 手を伸ばしたときには、鬼怒の姿はどこにもなくなってしまった。

 ただ、浮き上がった泡が、シャボン玉のように、滑らかな虹色を見せていた。

「……行こう」

 しばらく、礼を返して響が静かに言った。

 待つことはできない。

 それぞれの思いを胸に、彼女たちは再び前進する。

 

 

 一行は中枢海域を離脱し、徐々に北東へと舵を取った。

 速度を緩めることなく、休むこともなく。

 黙々と海を渡るうち、第二の泊地が視界に映った。

「補給しましょう」

 神通の提案に、みんなが頷く……かと思いきや、雷と霞が首を振らなかった。理由は明白で、気付けば二人の体も現実に保つことが困難になっていた。

「私たち、ここが限界みたい」

「まったく不服なんだけれど、仕方ないわね」

 霞が短く息をつく。閉じた瞳は、開けようとしなかった。

「霞ちゃん、雷ちゃん……」

 次々と行ってしまう仲間たちに、心が挫けそうになって、泣かぬと決めた思いが揺らぐ。

 そんな漣の腕を、雷ははっしと掴んだ。包むように優しく、しかし厳然たる表情で、彼女は言った。

「泣かないで、漣。泣くのは、きちんと提督に報告してからね」

「うん……!」

「響も。頼んだわよ」

「任された」

 響がとんと胸を叩いた。見守っていた神通の頬には、一筋涙が伝っていた。

「……出発しましょう」

 彼女の言葉を機に、海面を浮かぶ主機が唸る。目的地には、まだ少し遠い。

「じゃあねー!」

 雷は大きく、霞はささやかに手を振って、三人のあとを送った。向こうの振り返す手が見なくなるまで。

「無理、しなくてもよかったのに」

「……うるさい」

 穏やかに見つめた先で、気の強かった少女は、必死に涙を堪えていた。そんな彼女を、栗色の髪の少女がそっと抱き寄せて、銀に艶めく髪に手をまわした。

 静かな泣き声が、深い青のなかに溶けていった。

 

 

 手慣れた補給を済まして次に向かった場所は、ヨコスカも目の端に近い、北方の第一泊地。それが、もうすぐ目前に現れる頃に、異変があらわれた。

 旗艦を務めていた神通も、存在が消えかけていたのだ。泡沫が空に浮かび、実体は少しずつ透けていく。

 進行が止まる様子は、なかった。

「神通さんまで……」

 漣が、主機を停止させた。神通は申し訳なさそうに、後ろについていた二人に手を伸ばして、その頬にふれた。

「ごめんなさい。私も、ここで最後みたい」

「神通……」

 響が、神通の手を取って、彼女の温もりを名残惜しそうに受け、瞼を閉じた。

「あとのこと、お願いします」

 気弱いようで、とても意志の強い言葉で、彼女たちの゛内゛の背中を押すと、優しい笑みを浮かべて、神通の姿はすぐに見えなくなってしまった。

 どうやら、とっくに限界が来ていたらしい。それでもなお、二人をここまで引っ張ってきたのだ。

「……」

 響は傍らに立つ、漣の手を握る。彼女も握り返して、二人は移動を再開した。

 握ったその白い手も微かに解けていたことに、気付かずに。

 

 

 第一泊地。ここを過ぎれば、鎮守府はもう一息というところまで、漣と響は頑張っていた。

 浜辺で、妖精さんたちがわずかな数だが出迎えてくれた。二人は艤装を降ろし、燃料を投入する蓋を開けた。相談の結果、あとは妖精さんにお願いして、長旅で疲労した体を一旦休めることに決めた。

「っ」

 響が、さらさらとした砂を素足で踏んで、転がり、仰向けに大の字になる。漣は、手近な岩のふちに背を預けて、体育座りでうとうとしていた。

「……皆、戻ってしまったね」

「うん」

「あそこは、どんな場所だったっけ」

 もといた場所。ここではないどこか。今の疲れた頭では思考がおぼつかない。いや、はっきりしていても、多分、分からないけれど。

「寂しかった、と思う。……でも」

「でも?」

 言葉を切った彼女に、響はその先を促す。焦らせるというよりは、手助けするみたいに。

 自然と、口をついて出た。

「もう、一人じゃないから。誰も、そこに居なくても、みんなとの思い出が、ちゃんと残っているから」

「だから、大丈夫」

 言い聞かせるような答え。響はじっと空を見上げて、

「そうか……」

 ふいに、満ち足りた笑みを含んで、パッと立ち上がった。船を漕いでいる彼女のもとへ、歩み寄る。指が砂をかく音が、寄せては返す波のあいだに聞こえた。

「また、会えるよ」

 重たげな瞼に舟を漕いでいる漣に微笑みかけると、響は自分の白い帽子を、桃の髪に被せた。ふわりとしたその感触を受け、こくこく漣は眠りについてしまった。

 彼女の眠ったのを見届けると、響はくるりと背を向けて、風のなかに消えた。

 

 〇

 

 目が覚めた時には、響はいなくなっていた。慌てて泊地を駆け巡っても、やはりどこにもいなかった。行ってしまったのだ。今に至って、眠る前のやりとりが、走馬燈のごとく思い出された。

 ぺたんと尻餅をついたまま、しばらく彼女は茫然としていた。

 ふと、スカートの裾をつつく感覚がある。我に返ると、整備を終えた妖精さんが知らせに来てくれたのであった。

「……行かなきゃ」

 伝えなければならない。それよりもなによりもただ、提督に、会いたい。会って、その顔を見たい。

 漣は立ち上がった。それだけが、彼女を繋ぎとめていた。

 艤装を背負い、主機を履き込む。砂浜をずしずしと歩いて、陸と海の境、波のふちへ浸かる。

 主機が高らかに飛沫を上げ、漣は泊地を離れた。残った島には、誰の姿もなかった。

 

 〇

 

 長い時間を一人で行く。目の前には果てしない海が広がるのみであり、主だった違いは昼と夜くらい。もはや現かあちらなのかも定かではなくなってくる。

 深海棲艦という脅威からも切り離されたいま、漣はただ気力のみで動いていた。

 

 やがて、時は訪れる。

 一日、一日を超えて繰り返した、何度めかの朝のこと。

 

 見えた。鎮守府が。

 鈍った感覚が瞬く間に叩き起こされ、漣は全速で近付く。埠頭に立つ人があった。チヨだ。

 チヨさーんっ。

 長らく喋らなかったからか、自分の声は上手く出なかったが、代わりに大きく手を振った。その手は、かすかに日光に透けはじめていた。

 気付いた彼女も、ようよう手を振り返す。

 とうとう、着いたのだ。

 波止場に入り、主機を停止させ、漣ははしごを勢いのぼって、埠頭にあがった。

 実に、長い、長い、旅であった。

「お疲れさま。よく、帰って来たわね」

 チヨは屈んで、漣の手を取った。他のみながどうしたかは、あえて聞かなかった。

「私、伝えに行きます。だからっ」

 絡まった思考で、思い付いたことを端から話す。チヨはそれでも彼女の必死を悟って、アスファルトから引っ張り上げ、立たせてあげた。

「歩ける?」

 ウンと頷いて、漣はチヨの隣をついていく。

 久しぶりの鎮守府。小ぢんまりした工廠も、裏手の丘も、長く暮らしてきた営舎も。

 そのすべてが五感のうちに漂ってきて、目まぐるしいまま、チヨに促されて鎮守府の扉を抜けた。

 変わらない、天井の高いホール。ちょっと汚れたかもしれない、紅い絨毯。豪華だけれど、寂しげな照明。

 階段を上る途中、チヨは言った。

「提督様はね、あなたたちのことが心配で、ずぅっと寝ずにいたみたいだったから、私が無理やり寝かせておいたの」

「だから、はやくあなたの口から伝えてあげて」

「……はい!」

 分かっている。分かっている。また傾きかける意識を保って遂に、漣は目的の場所に辿り着いた。

 見慣れた、両開きの落ち着いた木の扉。執務室に、あの人に繋がるとびら。

「私は、待っているから」

 そう残し、先導のチヨは扉の傍に静かに立った。

 漣は一つ、二つ、深呼吸する。

 

 把っ手に、手をかけた。

 

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