北の大地から遥かに離れた、かつて東京と呼ばれていた地域の端っこ。緑の他はほんの少しの住宅ばかりといった田舎に横たわる、なだらかで小さな山の頂上に、一人の男が佇んでいた。糊のきいたワイシャツと鼠色のチョッキ、細身のズボンといった洋装を着こなし、覇気はないがまだ若い。ひげは剃っていた。
「半次郎さーん」
木々から聞こえる小鳥のさえずりとふもとに広がる田んぼの景色を楽しむ彼の元へ、明るい声が届いて、その姿が現れた。
浮世離れした鮮やかな桃色の髪を二つにまとめた、黒い制服にぱっちりした丸い瞳の少女。
「ん、漣」
半次郎は振り向き、やって来た漣を笑顔で迎え入れた。
「ここにいたんですか」
「うん、休憩がてら少し運動をね。そういえば、授業は慣れたかい?」
「ずっと机に座っているのはタイクツですけど、お勉強自体は新鮮で楽しいですよ。
漣が、うりうりと肘で半次郎の腹をつつく。彼は怯むことなく、穏やかに答える。
「僕も、君と居られて毎日が楽しい」
いじってやろうという気分に思わぬところから反撃をもらった漣は、さっと紅くなって、そっぽを向いた。
「……ずいぶん、人慣れしましたネ」
「提督業で鍛えられたからね」
再会のあと、半次郎たちは冬の来る前に彼の故郷へ移ることを決めて、鎮守府に別れを告げ、越してきたのであった。折口家の屋敷は全員を引き入れてちょうど具合が良いというほどに広大であり、田んぼと自動機械も元気であったため、ひとまず住む場所と食事に困ることはなかった。
そこで、龍馬の提案から半次郎が学校の教師の職を引き受け、少女たちも生徒として、お互い学校に通っていたのであった。
春のぽかぽかした陽気を放つ、お天道様をちょっとうかがいながら、彼女はまた訊ねた。
「他の鎮守府は、どうなってるんです?」
「彼らもじきにここへ来るそうだ。大きな引っ越しになるだろうから、僕たちも手伝いで忙しくなるぞ」
「ドンとこい!」
「頼もしいな。もっとも、普通の女の子なんだから無茶はしないように」
「はーい」
そう。彼女たちはもう艦娘ではなく、ありのままの少女だ。縛られた過去から解放されたぶん、艦の力を失ったことで、力仕事など出来なくなったことも増えた。
しかし、そうであるからこそ、漣は自分が人間になれたという実感をひとしおに味わっていた。
「……ふふ」
「どうした?」
溢れる想いから、彼女の顔に思わず笑みがこぼれた。半次郎は小さく首を傾げる。
「あなたに会えて、ホントに良かったなぁ、と」
「漣……」
また、込み上げてくる。ふれあう肌のように、名付けようのない温かな感情がじんわりと心の内を撫でていく。
隣立つ二人は、その顔を見合わせた。
見つめるだけで想いは伝えられたけれど、物足りないからやっぱり言葉にしてしまおう。
「愛してます、半次郎さん」
のどかな風が吹き抜け、ぽつり、と彼の流した一粒の雫が運ばれて。
「僕も、愛している。漣」
遠く、海の静かな水面に、小さなさざなみを立てた。
題の通り、『泣き虫提督と水面に立つ小さな波』これにて完結となります。
ここまでお付き合い頂けた方、本当にお疲れ様でした。
あるいは一部をお読みになった方でも、楽しんで頂けたのであれば幸いです。
私がこのお話を書き終えられたのは、9割9分9厘読者の方々がくださったモチベーションによるものです。
本当にありがとうございました!
機会がありましたら、また次のお話でお会いしましょう。
それでは。