東方世界に転生する話   作:madao01

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第2話

よく、こんなことを言う人がいる。

 

「どうしようもなく取り乱した時こそ、まずは心を落ち着かせて周りを見よう」

 

成程、確かに焦っているときはなにかと周りが見えていないことが多い。そして、それを自覚してなんとか冷静さを取り戻すと、意外と直面していた問題が然程大きいものではなかった、というのは往々にして生起している。

予想外のことが起こると、大抵は頭がパニックに陥って正常な判断が下せないものである。

しかし、パニックになるとどうしようか、という思考に行き着くことすら儘ならないことも、起こる時はある。

 

それは、人智の範疇をとうに越して、見えている景色がまるで幻影か何かかと咀嚼しようとしてしまう程には。

 

パニック、という言葉も烏滸がましいのか。

思考回路が、パタリと止まったこの状態は、いわゆる思考停止。

上島光は、自分の身に一体何が起きたのか、何故ここにいるのかという現状把握が一切出来ない状態に陥っていた。

 

まるでSFのようだ。

道を間違えたか。それはない、目を降り切んばかりに走りはしたが、変なところで曲がった記憶はない。確りと家に向かって全力疾走していた。

だがどうだ。

見える範囲全てが木に覆われているではないか。

残念なことに、光の実家の付近は都市開発が進んだせいか、森という森はすでに消滅していた。あったとしても、それは小ぢんまりとした庭のようなものだ。

こんな場所は、近所にはなかった筈なのだ。

 

木と木の隙間から、少しだけ月明かりが差し込む。

今日は運が良いのか、満月だったようで腕の長さ以上の視界は確保出来ていた。

しかし、これでは勿論動けるはずがない。

子供の頃に野山を駆け擦り回っていたならば、多少の無理をしたのだろうが。

生憎と光にはそのような経験は無い。

夜の森を歩き回ろうとする肝据わりも無かった。

そんな光に出来ることは、その場を離れないことだった。

下手に動けば、それこそどうにもならない事態に陥るかもしれない。

未だにはっきりしない思考回路で、漸く行き着いた結論だ。それ以外の選択肢は、浮かばなかった。

 

ズボンが汚れることも厭わず、その場に座り込む。

冷えた土が若干の水分を含んでいたせいか、尻のあたりが湿ってきた。

普段なら気持ちが悪いとその場を離れるものだが、今まで全力疾走して体力を消耗したからか、どうしようもない現象に巻き込まれてしまったという諦念からなのか、その場を動こうとする気力は一切湧かなかった。

 

丁度座ったところの後ろに、凭れ掛かれるほどの太さの木があった。

光は遠慮なく凭れ掛かった。

 

風に揺られてワサワサと木擦れの音がする。

夜空は、まだ枝に付いてる無数の葉に覆われていて、眺めることは叶わなかった。

 

思考能力が、徐々に戻ってくる。

 

どうすれば良いのだろうか。

 

このままじっとしていれば、一晩だけなら越せるだろう。

だかその後は。

食料は持ってない。

それより、この場でこのまま目を瞑っても良いのか。

野犬に襲われる危険性もあるだろう。

というより、ここは何処なんだ。

本当に住んでいた街の近くなのか。

待っていて助けは来るのか。

 

どうにもならないではないか。

 

思考能力か回復しても、良いことは無かった。

逆に心配事が無数に顔を出してきた。

際限ない負のスパイラルは、心をいとも簡単に蝕んだ。

蝕まれた結果、残ったのは諦念だった。

 

ー俺一人でどうにか出来る事態は、とうの間に越しているー

 

格闘や護身術を習った経験は皆無、そもそも喧嘩をした記憶もない。

誰かを殴った記憶すらない。

そんな人間がこの場で身を守れるか。

サバイバルなんて、まず知識がないから出来る筈がない。

 

誰かの救助を待つしかないのだった。

 

 

蟋蟀なのか、それとも鈴虫か。

兎に角、耳に入ってくるのは、夜の帳に喜び勇んで鳴いている虫の声のみ。

時折、風が吹いた。

 

当然、誰かが助けにくる気配は無い。

こんな不気味な森、一体誰が喜んで歩き回るか。

そんな人間は、大体はロクでもない者だ。

オカルト好きでも好んでやったりしないだろう。

実際、幽霊の一体や二体出てきても何ら違和感が無いくらいの、闇夜。

月が傾いてからは、灯りがなくなってしまったので、夜目しか頼れるものはない。

 

ちょっと前に、そうだ携帯だと思い付いてポケットをまさぐったが、何故かどのポケットにも入ってなかった。

走っていた時に落としてしまったのだろう。全くの不運だ、酷く落胆した。

 

この時ばかりは、鳥目ではなかった自分の眼に感謝した。

だから何かが起きる訳でもないが。

 

多分の話、いやもうほぼ確定の話だが、このまま飢えて死んでしまうだろう。

少しくらい抵抗したい。そこらへんの野獣でも狩ってやろうぞ。

だが、今は夜中だから出来るわけが無いし、獰猛な野獣に素手で対抗なんて、アホか命知らずなアホがすることだ。

 

今思えば、中々短い人生だった。

でも、大学に行かずに良い職場に巡り会えたし、そこからは不自由しない生活も送れた。

ただ唯一の心残りは、異性との関係が無かったことだが、今となっては過ぎたこと。

 

まあ良いや、取り敢えず眠くなった。

目を瞑って、野犬に察知されても、気付ける自信はない。

そうなった場合、間違いなく喰われるだろう。

 

だが、結局死ぬなら問題ないか。

 

そう結論付けて、光はゆっくり目を閉じた。

 

 

ゆっくりと瞼が上がっていくのを、寝惚けた頭が片隅で認識した。

隙間から光が差し込んで、眩しさを覚えつつゆっくり意識が覚醒する。

程なくして、自分が座った状態、そして木に凭れ掛かっていることが判明した。

薄暗いが、木と木の隙間から僅かながら日光が降り注いでいた。

漸く、朝になったことに気付く。

 

どうやら、野犬の類いは現れなかったらしい。

一応、何処か怪我をしていないか身体の隅々を探ってみたが、衣服に血が滲んで固まったような感触はしなかった。

 

今日一日は、まだ生きられる。

 

「……はははっ…」

 

何故だか、笑いがこぼれた。

見渡す限りの木。何処か開けた場所に出られそうな出口は、見当たらない。

 

朝にはなった。

しかし、鬱蒼と木が生い茂って右も左も分からないこの森に、助けが来ようとは全く想像が出来ない。

 

生き延びる為の選択肢は、サバイバルまがいのことをするか、自力で脱出するか。

 

しかし、昨夜でサバイバルの線は消している。

なら、残ったのは、自力で見付ける。

 

寝る前、結局死ぬから、とかいう諦念に囚われたが、一晩明かすと嘘のように気持ちが晴れた。

色々な問題に直面している。

そのどれ一つだって解決の方法が見つからない。

だが、座り込んでしまえば、もうそれで終わってしまう。

なら、足掻きたいと、思ったのだ。

 

脚に力を込めて、立ち上がる。

昨日の疲れは、奇跡なのか残っていない。

そして、異常事態に神経がおかしくなったのか、空腹も感じない。

 

一歩ずつ、歩き出す。

 

 

ザクザクと、土を踏み締める音が木に反射して反響する。

時折落ち木を踏んだ音が辺りに劈いた。

あてもなく、ただ一歩一歩進んだ。

相変わらず出口なるものは視界には無い。

もしかしたら、同じところをグルグル回っている可能性も考えられるが、生憎とそれを証明できる道具類は手持ちに無い。

というより、完全に手持ち無沙汰なので、どうしようもないのだが。

 

だが、それでも歩いた。

1より小さい、それこそ殆ど0に近い確率だったとしても、森から脱出出来る可能性が有る限り、歩こうと光は決めていた。

いつの間にか、空腹を感じるようになっていて、時折腹も鳴った。

やはり昨日の疲労が残っていたか、両膝が痛くなってきた。

 

それでも、奇跡を信じて。

何もせず死ぬくらいなら、生きたいと願っていた。

 

 

 

皮肉なことに。

 

時には報われない苦行も存在するのだ。

 

 

 

体躯は光の三回りは大きいだろうか。

全身が黒い体毛に覆われて。

血走った双眸は光を捉えていて。

半開きの口は不揃い牙が羅列していた。

 

熊という単語では形容できないモノが、そこにいた。

いたというよりかは、視界に入った。

何だと確認したら、それで最後。 

 

化け物を見て、光の思考は再び停止した。

 

 

 

 

 


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