For Honor:Another   作:祈Sui

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第一章・騎士/第一話〈誓いの騎士〉

‐Prologue‐

 

始まりが何だったのか、知っている者はもう残っていない。

伝えられている僅かな断片を信じ繋ぎ合わせたとすれば、それは大規模な地殻変動と、それに伴い発生した気候の変化だっただろう。

しかし、いつもそうであるように、なぜそうなったか、などという事は、後の学者たちの玩具にすぎず。その時を生きている者達にとっては何の意味も持たない。気候変動による不作から起きた飢饉。そこから発生し、燃え上がった戦火が千年続いていた。飢えと死。それだけが、今生きている者達が思いを巡らせられる唯一のモノだった。

 

‐誓いの騎士‐

 

湿った土を、蹄鉄を打った蹄が蹴り上げて、後方へと散らしていく。全身に馬鎧を纏い。その上に完全武装した私を乗せた愛馬の息は荒く乱れている。兜は随分前に脱ぎ捨てていた。顔には汗が滲み、滴っている。戦場の汚れもそのままに、私は長大なポール・アックスを握りしめ、馬を急かした。馬はそれに応えるように命を削って走る。まるで長年共に戦場をかけてきた私の焦りを読み取っているかのようだった。

丘の上にようやくたどり着いたとき、馬は口から泡を吹き、倒れた。私は馬上から投げ出されながらも転がるように着地し立ち上がる。馬は死んでいた。だが、それを悼んでいる時間は無い。重い鎧を引き摺るように走り出す。夕陽を背景に、それに負けじと立ち上る赤。それは蛇の舌のように、ぬらぬらと揺れ、その先で黒煙へと変わる。丘を登り切った時、燃えている村が見えた。現実にはならぬように願っていた想像が、今、目の前で起こっていた。崩れ落ちそうになる体を強引に持ち上げて、私は叫んだ。ポール・アックスを抱え、村への斜面を駆け下りる。まだ間に合うはずだ。絶望の中で、そう言い聞かせた。

 

***

 

騎士の領域、アッシュフェルドには七人の君主が存在し、覇権を争っていた。

だが、今やアポリヨン率いるブラックストーンリージョンが抜きんでている。同盟を結び、前後からブラックストーンに抵抗を続けていた二人の君主の片方が死に、勢いを増したブラックストーンの猛攻によって、もう片方の君主ハーヴィス・ドーベニーに残されたのは、僅かな手勢とウェストホールド城だけになっていた。もはや陥落は時間の問題であったが、それでもハーヴィスは抗戦を命じた。ブラックストーンに恭順するという事は、すなわち君主の死を意味していたからだ。例外は無い。今まで三人の君主の首が飛んだ。ハーヴィスは残された四人の君主の一人。そう、そもそもアポリヨンは君主ではなかった。遥か古の君主たちがそうだったように、己の力によって、君主の地位を獲得したのだ。そして今やどの君主もなしえなかった騎士世界の頂点に立とうとしている。

偉大なる賢王と呼ばれた父から血によってその座を受け継いだ不出来なハーヴィスは、一瞬でも自らの命を保つ為に、どれだけの犠牲を出しても良いと考えているらしい。この城に残っているのは、行くあての無い者。ブラックストーンに寝返ることも、ハーヴィスに反旗を翻す気さえない者ばかりだった。もっとも、慎重なハーヴィスは自らの周りを信頼のおける騎士の集団、親衛隊と呼ぶ者達で固めており、近づくことも叶わない。親衛隊と言えば聞こえはいいが、実際のところは御しやすく自らに従順な若者たち、ドーベニーと言う名と富に群がるおべっか使い共。賢王の時代から仕えていた重臣たちは冷遇され、勝ち目のない戦いに送り出され、誰も戻らなかった。老騎士達は、自らの死によって、ハーヴィスが、己の愚かしさを悟る事を願ったがその命は無駄に散った。

私がまだ、此処にいるのは信頼されているからでは無く、最後の盾とするためだ。まさに今この時の為に私はこの城に残り、先達を見送り続けてきた。

当然、城に籠る騎士たちの士気は低い。ただ死を待つ愚か者。誰の目にも、生を諦めた空虚な色が浮かんでいる。私も同じようなものなのかもしれない。

だが、たとえ負けると解っていても退くことはできない。愚かな君主だとしても、私はウォーデンだ。神の御下へと逝ってしまったあの偉大な賢王から、今、胸元に提げられたタリスマンを授かった時に誓いを立てた。どんな敵にも退かず、領土と、そしてなによりも民の為。平和を守る為に戦うと、死を前にした賢王の最後の願い。それに私は頷いたのだ。この城には賢王との思い出があり、戦火から逃れようと駆け込んだ民がおり、そして、この城の背後にもまた人々の暮らしがある。退くわけにはいかなかった。

「城壁へ奴らを近づけるな」

叫びながら城壁へ向かい走る。

尖塔を抜け、開けた視界の中、城壁の下に広がるのは、ブラックストーンの強大な軍勢。投石機に、巨大な破城槌が向かっているのが見える。城門が開かれれば終わりだ。

黒い塊が視界に映る。衝撃、城壁が大きく揺さぶられる。投石器から射出された岩が城壁を直撃したのだ。咄嗟に壁に手を当てていなければ転倒していた。砕け散る石レンガの欠片を、手を翳して防いだ。城壁の上にいた騎士の何人かが、衝撃で城内へと落とされたのだろう。悲鳴が尾を引くように流れていく。急ぎ城内を見下ろせばもはや動かなくなった騎士たちの姿。崩れてきた瓦礫に埋もれている騎士の生存は絶望的だ。

「くそっ」

城内の惨状から目を離し、まだ生きている負傷兵を下がらせる。投石機のもたらした被害と眼下に迫る軍勢に、騎士たちの攻撃が鈍る。

「射掛け続けろ」

鼓舞しても無駄だと知りながらも指示を飛ばす。城壁にかけられた梯子から、敵の騎士が登ってくる。西を守れば東が、東を守れば西が手薄になる。手が足りない。ハーヴィスは何をしている。御自慢の騎士たちは・・・

登ってきた何人かの騎士を倒し、最後の一人を梯子ごと落としてから違和感に気付くひっきりなしに飛んできていた投石の音が止んでいる。数瞬後、代わりに響いたのは城門の扉が叩かれる音だった。

「門が!」

騎士たちが急ぎ扉を抑えるが、再び聞こえた衝撃音と共に、吹っ飛ばされる。扉が軋む、木製の表面はひび割れ、木屑が散る。そして、突き入れられた巨大な槌によって閂が折られ、扉が破られた。

騎士たちの間から、絶望の呻きが漏れ、怖気づいたように後ずさりを始める。立ち込める土煙の中から、黒と黄で塗られた鎧を纏う騎士たちがなだれ込む。

「防御陣形!盾を構えろ!」

何人かの騎士たちがその指示に従って防御陣形を組もうとするが、大半の者は恐慌状態に陥り指示を聞いていない。完全に統制が取れていたとしても、城門が破られた時点で、既に勝敗は決している。今、私がしようとしている事は、兵の死を、僅かに遅らせる。ただ、それだけの虚しい抵抗だった。だが僅かに踏みとどまった少数の騎士たちでは、時間稼ぎの防御陣形すら形成できていない。このままでは虐殺が起きる。逃げる騎士たちを押しのけ前に出、剣を構えた。だからどうなるというわけでもない。こんなものはもはやウォーデンとしての矜持だ。前方全てに敵の壁。数瞬後に訪れる自らの死を想う・・・。

だが敵の騎士たちは、剣こそ構えていたが、斬りかかっては来なかった。困惑した私たちを残し、黒と黄の壁が揺れる。騎士たちの壁をかき分けて一人の偉丈夫が姿を見せた。体躯に見合った大型の鎧。両肩には、精緻な獅子のレリーフ。手には、長大なポール・アックス。その騎士が一歩踏み出すたびに、胸元につけられた巨大な鎖が音を立てて揺れる。噂に聞いた通りだ。ホールデン・クロス。アポリヨン率いるブラックストーンリージョンの副官。

ホールデン・クロスは、騎士たちの先頭に出ると、ポール・アックスの石突を地面に突き立て、場内を見回して叫んだ。

「ドーベニー、何処にいる?」

獅子の咆哮のようなその声。

「出て来い。ドーベニー」

だが、城内は静まり返っていた。誰も返すべき言葉を持たない。怖れ、それもあるが、答えなど、誰一人として知らないからだ。

「ドーベニー」

ホールデン・クロスはいらだったようにもう一度吠えた。

「無駄だ」

応える声があった。冷え切った女の声。聞いた者の、心の臓を掴み凍て付かせるような。

ホールデン・クロスが振り返ると、騎士たちの壁が割れていた。皆畏れているのだ。その女を、味方の騎士達ですら・・・。黒い鎧に外套を纏ったその女は割れた騎士たちの間を、悠然と歩んできた。アポリヨン。見たのは初めてだが、一目見ればその異様さに気付く、隣に立つホールデン・クロスをも超える威圧感。だが、何がそこまで感じさせるのか言葉にすることは難しい。一見すれば、体格は華奢にすら見える、しかし、その声、立ち居振る舞い。それら全てによって、まるで捕食者の前に何も持たずに立っているかのような感覚を与えられる。鎧に付いた数多の傷と、その腰に提げられた鈍い輝きを放つ大剣が、単なる飾りではないことを主張していた。

「奴は逃げた」

退屈そうに、アポリヨンは言った。

「ならば、すぐに追撃を」

「及ばん」

「しかし」

「どうせ臆病者だ。それよりも、もっと面白そうな奴がいるじゃないか」

アポリヨンは、値踏みするように此方を窺っていた。

「ウォーデン、ウォーデンか・・・未だそのような者がいるとは、さて、お前の主は逃げ、城は既に落ちている。立ち塞がれば死だ。さて、どうする?」

「民と此処にいる兵たちの処遇は?」

それを聞いたアポリヨンは、数瞬沈黙した後、吹きだすように笑った。

「ウォーデンの誓いか、このような状況に陥っても手放さぬか、いいぞ、気に入った。この城も、領土も民もどうしようが私の考え一つだ。だが、お前を見込んで特別に提案をしてやろう」

アポリヨンが何を笑っているのか分からない。違和感。実際のところ、この城や、領土、民に欠片も興味が無いように思えた。

「提案?」

「そうだ、お前が、私の用意した騎士と戦い勝利したならば、我々はこの城の騎士たちも領民も全て許し、引き上げよう。ただし、お前をブラックストーンに招き入れるのと引き換えに」

味方の騎士と決闘をさせ、勝利すれば引き上げ、仲間に引き入れるなど、聞いたことも無い。

「なぜだ」

「未だに誓いなどを立て、律儀に守っている。お前に興味があるからだ。だが、私は、信念だけを持つ者に用はない。答えは・・・聞くまでも無いな?。アデマー」

その声と共に、一人の騎士が歩み出た。粗野な印象の騎士だった。だがその姿に隙は無く、周りの騎士の声や態度から、アデマーと呼ばれたその騎士が、相当の手練れである事が分かる。ブラックストーンの騎士達が下がり空間をつくる。進み出たアデマーが剣を構えた。私もそれに応じる。

私の剣先はアデマーの喉元に、アデマーの剣先は私の喉元を指していた。じりじりと間合いを詰める。その一瞬は永遠のように感じられ、互いの距離は果てしなく遠くなる。早くなる鼓動。浅く息を吐き、大きく踏み出す。それにアデマーが応えた。先に振るわれたのは、アデマーの剣。私はそれを剣で受け、強く押し返す。甲高い金属音。アデマーが押し負け後退、体勢が崩れる。追撃を加えようとさらに踏み込みながら剣を振り降ろす。アデマーは身をひねりながら回避。さらなる追撃の為、斜め下から斬りあげようとする動きの途中、咄嗟に剣を縦に構え盾とする。その刃を打ち付けるアデマーの剣。僅かに角度をつけていた刃によって流され、その上で悲鳴をあげるように疾駆した刃は、私の身体の側面を抜けた。

アデマーは辛うじて回避したと見せかけ、身をひねり、突きを放ってきたのだ。なんという邪剣。突き出された剣を巻き上げるように弧を描かせた斬撃を、アデマーは、剣から片手を離し大きく引くことで、巻き上げられることを防ぎ、同時に無防備になった身体を後方へ跳躍する事で守った。

剣による防御をおこなわない見切りの剣。恐ろしいまでのセンスだ。一度でも見誤れば、死に直結する。アデマーはそれをまるで楽しむかのようにやってのける。後退したアデマーは、肩に据えるように剣を構え直す。突きの構え。

アデマーは突きを主体にしていた。戦い方こそ異様であるが、その選択は合理的だ。全身を甲冑に覆われた騎士同士の戦いでは、斬撃は、鎧の隙間を狙わなければ効果は見込めない。だが突きならば、切っ先は、鋼の鎧をも貫通し肉に突き立つ。

だからこそ私は前に出た。ここで臆し距離をとれば、突きの威力は完全な物となり、選択肢も最大化する。放たれるアデマーの突きを、紙一重で躱す。鎖帷子の一部が弾け飛ぶ。そのまま強襲。こちらのタックルをアデマーは、横ステップで回避。それを予測して、即座に剣を薙ぐ。これにステップでは対応できなかったアデマーが、剣で受け、逆にこちらの剣を絡めとろうとする。解っていた事だが、アデマーは単なる突き一辺倒の騎士では無い。それを強引に押すことで、拮抗させる。さらに押し込む。交差した剣は、ゆっくりとアデマーの方へと動く。単純な膂力では私の方が勝っている。だが、ここからだ。押し込む力を利用して、アデマーは私の体勢を崩し一撃を狙うだろう。アデマーが、剣を逸らす。同時に私は前転。私の身体のすぐ上で風切り音。立ち上がり剣を構えようとする私に、アデマーの突き。正確に、兜と甲冑の隙間を狙ってきたそれを、首をひねる事で躱す。鎖帷子を切り裂き、刃が、私の首を掠める。同時に、斜め下から突き出した私の剣が、アデマーの首へと到達する。アデマーもまた首をひねる事で躱す。そして速度を優先させたことで圧の乏しい剣ではアデマーの鎖帷子を切り裂けない。仕切り直しを確信したアデマーの眼が兜の面越しに見えた。  

だが、そんな事はさせない。密着状態からさらに前へ、体を回転させながら、アデマーの首筋に当てた剣を振り切った。ゼロだったエネルギーを身体の動きによって生み出し、強引に剣圧へと変換したのだ。アデマーの鎖帷子はねじ切られ、その首は深く切り裂かれた。噴出する血と共に、アデマーの身体が倒れていく。自らの首に手を当てれば、アデマーが最後に放なった突きによってできた傷口から、血が垂れている。もう数ミリ、アデマーの剣先がずれていれば、私が致命傷を負って敗北していただろう。

城内は沈黙に包まれていた。アデマーは倒したが、それによって、ブラックストーンの騎士達がどう動くか、攻撃が再開されれば、もはや死ぬ他はない。誰もが戸惑い、立ちすくむ中、女の笑い声が響いた。アポリヨンが肩を震わせて笑っていた。

「ああ、素晴らしい。素晴らしいぞウォーデン。約束を果たそう。そして、ようこそブラックストーンへ」

それだけ言って、アポリヨンは踵を返した。ブラックストーンの騎士達全てが、それに従った。ホールデン・クロスだけが、こちらを見ていた。

「行くぞ、ついてこい」

ホールデン・クロスはそう言った。そして私はブラックストーンの騎士となった。

城門をくぐった後、一度だけ振り返って仰ぎ見た城は、何処か見慣れ無い城のように思えた。人生の大半が、そこにあった。これが、亡き賢王への忠誠となるのか裏切りとなるのかは分からなかった。ただ、私は失ったのだ。胸元で揺れる誓い。それ以外の全てを・・・

 

***

 

ブラックストーンの膨大な騎士達、その先頭を進むアポリヨンの馬に、私は自らの馬を寄せた。

「試す必要が?」

「無かったと?私はそうは思わん。力無き者など不要だ」

アポリヨンのそっけない返答に言葉を重ねる。

「アデマーは優秀な騎士だった」

「ならば、もっと優秀な騎士が手に入ったという事。加えて、もしもあの場所で、私が条件を提示しなければ?アデマーと言う勇猛な騎士との決闘で幕を引かなければどうなったと思う?」

その言葉に、私は返す言葉を失う。

戦いは終わらなかっただろう。アデマーと言う一目置かれていた騎士を出したことで、兵たちは大人しく従ったのだ。アポリヨンは、畏怖されていたが、それだけでは今や、騎士世界一の規模に膨れ上がった軍団を統率することはできない。

「・・・それに、あいつが、いつまでウォーデンの誓いにしがみ付いていられるか、愉しみだとは思わないか?」

言葉には、加虐的な響きがあった。その問いかけには答えず。僅かに速度を落とした私を気にすることも無く、アポリヨンを乗せた馬は、ゆっくりと歩んでいった。

 

***

 

「ああああああああああ」

床下へ続く扉が開かれ、見知らぬ男が顔をのぞかせた時。父が叫ぶのを初めて聞いた。

私や姉の頭を良く撫でてくれた細い指は、冷たい金属の柄を握りしめ、叫び声と共にその背は離れていった。不格好な構えで突き出された護身用の剣。ろくに手入れもされていなかったその切先は、男の着ていた鎧を貫いたように見えた。

けれど、それだけだった。剣は、鎧に穴をあけたが、それ以上動くことは無かった。

その返答のように繰り出された剣が、父の胸元から差し込まれ、その背から生える。

苦痛に呻きながらも父の手は、握った剣を必死に押し込もうと震えていた。

それが、父の最後の動きだった。

剣が引き抜かれた事で、支えを失った父の身体は、階下へと転げ落ち、男の鎧に僅かに突き立っていた剣も重力に引かれ、石の段上で一度だけ跳ねた後、滑るように転がった。姉は悲鳴を上げ、私たちは母の震える体に強く抱き寄せられた。私は、母の身体から抜け出そうとしていた。床に転がっている剣を手に取らなければならないと思った。

横一線に振るわれた男の剣が、母の背を深く削り、姉の首を切り開いた。姉の悲鳴は、喉が切り裂かれた事によって声を失い、空気の抜けるような音に変わった。剣に手を伸ばすために身を低くしていた私だけが、傷一つ負う事なく生きていた。

母が力を無くしても、姉の首から噴き出した血が、私の手を汚しても、私は何も感じ無かった。ただ、床に落ちている剣の、錆びついた中に見える輝きだけが私の目を捉えていた。母の身体の下から転がり出た私が、剣を拾い上げたのを見て男は嗤った。

男はわざとらしく、剣を振りかぶった。私が、手にした剣で、それを防ごうとすると思ったのだろう。私はそのまま踏み込んで、鎧が覆っていない喉元へと剣を突き出した。

「あっ」

男の目が驚愕に見開かれ、その口からは、間抜けな声が漏れた。男は何が起こったのか分からないという顔。私にもわからなかった。ただ、今まで感じた事の無い熱い何かが、体中を駆けまわるのを感じていた。男の首から剣を引き抜くとその喉からは血が降り注ぎ、身体は力を失って崩れ落ちた。私はそれをたまらなく愉しいと思った。今までしたどんな遊びよりもずっと愉しかった。

狭い地下室は、母と姉、父と見知らぬ男の死体で埋まり、四人から流れ出た血が、混ざりあって広がっていた。階段の上から僅かに差し込む光が照らすその赤は、それぞれが別の身体から流れ出て、それでいて見分けがつかない同じ色をしている。倒れている身体も同じだと思った。違う姿、違う声、違う気持ちを持っていた筈の誰もが、今や皆同じ、物言わぬ肉になっていた。握っている剣に、差し込んだ光が当たり、その表面を伝うねっとりとした血の赤が輝いたとき、私は母が眠る前に読み聞かせた聖書、そこに登場する聖人たちが体験した奇跡を感じ、天啓を知った。私は階段を上がった。光差す天使の梯子を・・・

 

***

 

 天蓋付きの寝台を医師や聖職者そして従者と臣下達が囲っていた。誰もがその顔に悲痛な表情を浮かべている。寝台に臥せるのは、髪や髭も白くなり、やつれた王だった。

王はまさに死に瀕していた。かつて、あれほど大きく見えた。その面影はもはや無く、寝台がやたら大きく見える。本来ならば安静にしていなければならないが、王がそれを望み。もはや手の打ちようが無くなった医師達がそれを認めた。そして、決して広いとは言えぬこの寝室に、誰もが集ったのだ。

王は一人ずつ寝台の側に呼び寄せては、震える指で手を握り、言葉を交わしていた。鬼とさえ呼ばれた老将が泣き崩れ。王は、それを見て微笑む。老将の涙に、従者たちが耐えられなくなって咽び泣く。誰もが王の生を望んでいた。だが、そこに息子であるハーヴィスの姿は無かった。

それを責める者達もいたが、王を前にしてそれを口にする者はいなかった。ハーヴィスは恐れたのだ。絶対的な父の死を前にそれを受け止めるだけの器を、ハーヴィスは持っていなかった。このような時であっても、自らの供回りを連れて享楽にふけっているのだろう。いや、このような時だからこそ・・・。

王が健やかなる時にあり得なかった光景が、今起きるとは思っていなかった。だが、今にも、寝室の扉を開けてハーヴィスが駆けつけてくるのではないか・・・それは私の望みだった。扉が開くことは無く、私は王に呼ばれた。前のものと入れ替わり、私は王の寝台へと近づく、王は私を見て微笑む。私の手を取ろうとする王の手を、こちらからそっと握りしめる。

「それを授けた時の事を、今もよく覚えている」

王は、私の首から下がるタリスマンを見て言った。

「私も、忘れたことはありません」

「ウォーデン。そなたはまさにそう呼ばれるにふさわしい。・・・そなたが、息子であったなら、何度そう思ったか、我が息子は・・・不出来だ」

口を開こうとした私を、王が制する。

「良い、何も言うな。ただ聞いてもらえないか」

私が頷くと、王は続けた。

「だが、思えば、私がそうしてしまったのだろう。誕生と共に母を失った息子に、私はただ与えるだけのことをしてしまった。私は、愛情を教えてやれなかった。ただ、与えられる事だけを教えてしまったのだ。君主として修めておくべき事柄を学ぶ機会すら奪ってしまった。あれを立派な王にするという。妻の最後の願いすら。私は叶えてやれなかった。こんな私のどこが、どこが賢王なものか・・・」

王のその嘆きに、私は答えることができなかった。王は、ただ守りたかったのだ。愛する妃が残した、たった一人の息子を・・・数秒の沈黙があり。そして王は私の手を握る力を強めて言った。

「我が家など、もはやどうなっても構わん。ただ、民とその平穏だけは、守らねばならぬ」

「私は平和の為に戦うと誓いました。その気持ちは今も変わっていません」

そう言って私が力強く頷くと王は微笑んだ。

「ありがとう。そなたはこれからを生きる者だ。だからそなたに未来を託したい。此処に集った誰にもこれは任せられぬ。・・・皆、老いてしまったからな」

室内をゆっくりと眺めやる王の顔には寂し気なものがうつり、私は王が最後に、寝室の扉に目を止めたことに事に気付いた。私に気付かれたことに気付くと、王は力無く笑った。

「起こり得ぬと解っていても、あの子を待ってしまう。今にもここにやってきて、私の手を取ってくれぬかと、私は謝り、その謝罪を受け入れたあの子が、立派な王として立たぬかと・・・そんな事はあり得ぬ。あり得ぬのにな・・・」

その言葉を聞き、やはり王がそれを望んでいた事を知った。だが、今、この寝室を飛び出し、ハーヴィスを殴りつけて引き摺ってきても、それは違うのだ。王の最後の願いを叶えてやれるのは一人だけ。ハーヴィスの自由意思による行動だけなのだ。寝台から離れても、私は願った。願い続けた。

そして、王が目を閉じ、その息が止まっても、扉が開かれることは無かった。

 

***

 

村の広場に立てば、見渡す限り村は燃えていて、辺りには死体が散らばっている。半分は彼らが、彼らは私がそうした。ただ、私一人が、息をしていた。

最後の一人から受けた剣。それが生んだ顔を斜めに走る剣傷から血が滴っている。水の張られたままの桶を覗き込むと、炎に照らされてぼやけた醜い顔が見えた。顎を伝い落ちた血の滴が、水鏡の中で嗤う醜悪な顔を赤く染めていく。それを見て私は嗤った。

私は今生まれたのだ。新しい名前が必要だった。私を表すに相応しい名前が・・・。

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