For Honor:Another   作:祈Sui

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第三章・侍/第二話〈‐狼達‐〉

‐狼達‐

 

遠く、世界を両断するかのようにそそり立つ峰。それに張り付くように巨大な要塞が見える。ブラックストーン要塞。都市機能をも備えたそれは我々の都に匹敵するほどの巨大要塞だった。ブラックストーンの本拠地、アポリヨンの居城。

北からは既に、ヴァイキング達が攻撃を開始していた。遥か西方には、小さく騎士達の旗も見える。そこに私たちも向かう。要塞は三方から囲まれ、そして、混戦となるだろう。全ての勢力は、味方では無く敵対しているのだから・・・

 

***

 

斬りかかる騎士の甲手の隙間へと滑り込ませた刃が、その腕を跳ね飛ばす。絶叫を上げる騎士の首を刎ね、押し倒すように前進。機会を窺っていた別の騎士の胸部から心臓を刺し貫く。引き抜いた刀身で、突き出された片手剣を絡めとり、返す刀で切り裂こうとしたその暗殺者の首を、後方から差し出された薙刀が刎ねた。薙刀はそのまま弧を描き、横にいた騎士の胴体を裂く、同時に紅葉は前へと大きく踏み出し、騎士の体を蹴り飛ばす。そして流れるように後方へと突き出された薙刀の石突が、背後から迫る騎士の顎を強打。紅葉は身体を廻し、斬り上げた刃で、騎士の腋の下から首筋までを切断した。紅葉が構えを解き、何かを問いかけるように此方を見る。

俺は構えを解かないまま言う。

「詰めが甘い。暗殺者を屠ったついでの斬撃は致命傷には程遠い」

一人の騎士が、まだ生きていた。蹴り飛ばされ、倒れていた騎士が立ち上がろうとしたが痙攣し、再び倒れる。

「刀身には神経毒を、情報を得るためには生存者が必要でしょう?」

俺は黙って刀身を拭い。鞘に納めた。紅葉は確かに強かった。並みの相手ならば圧倒できるほどの腕だ。それを褒めはしなかったが・・・

俺達は既にいくつかの砦を落としていた。騎士達の統率は取れておらず、攻略は容易だった。おそらくブラックストーン要塞において、既に戦いが始まっているのだろう。

そんな中、こんなところに俺達がいるのには訳があった。亜由の軍勢は大名家とはいえ寡兵だ。正面からブラックストーン要塞を攻略する事は難しい。他の大名家と足並みをそろえれば可能であったが、そうすれば手柄は最大勢力である鬼山のものとなる。よって、ヴァイキング、騎士、侍の軍勢全てを利用する必要があった。全ての軍勢を陽動として使い、ブラックストーン要塞に侵入。誰よりも先にアポリヨンの首を取る。そこで亜由は本隊を二つに分けた。他の大名家と足並みをそろえる本隊と、アポリヨンの首を取る為の攻撃部隊だ。

北からはヴァイキング、東からは侍。西からは騎士の軍勢がブラックストーン要塞へ向かっていると聞いていた。どの勢力もが避けた南側。それはブラックストーン要塞にあって大軍で攻めるには向かない天然の要害となっているからだ。

だが、だからこそ南方からの攻略を図った。他を出し抜くにはそれしかない。ブラックストーン要塞ほどの巨大要塞には有るはずだ。脱出用の坑道が・・・

俺は紅葉と共にその道を探っていたが結果は芳しくない。

帰還した俺達を大熊が迎えた。

「首尾は?」

「捕虜が一人、だが、今回もあまり期待できないだろう」

今まで、砦を落とすついでに捉えた騎士どもを尋問したが、たいした情報は得られなかった。

「どうする。これ以上手間取るわけにはいかぬ」

大熊は苛立たしそうに言う。だが、妙案を思いつくわけではない。大熊は強い侍ではあったが、策を練るという面ではからっきしであった。だが、幸いなことに、自らそれを理解し、他者に意見を求めるだけの分別がある。俺の事は今でもあまり気に入らぬようだが、こうして今後の行動について話しあえていた。

「もう打つ手がないとなれば、急ぎ本体と合流し、正攻法で行くしかないな。亜由は何と?」

「亜由様だ」

大熊はいちいち訂正を入れるが俺は無視する。

「・・・城壁の外縁が落ちるまでは、まだしばらくかかるだろうと」

「三陣営の攻勢を受けても耐えるとは、流石に騎士世界最大の要塞ですね」

感心したような紅葉の声に大熊が釘をさす。

「感心している場合ではない」

紅葉は申し訳なさそうに口を噤んだ。

「まぁ、三陣営が共闘しているわけではないからな。むしろ足を引っ張り合っているのが時間を稼ぎ出しているといったところか」

「確かに、そのように亜由様も書いておられたが、何故解る」

「敵の敵は味方と言うわけにはいかない。三者はお互いに憎み合っている。よって要塞への攻撃と合わせて、他陣営への攻撃と防御が行われている筈だ」

大熊が唸っている中、放っていた斥候が駆け込んでくる。

「申し上げます。遠方に騎士の軍勢が現れました」

「ブラックストーンか?」

大熊が問う。

「旗は掲げられておらず不明」

「増援?それとも要塞が攻撃されている隙にこの砦を奪いに来た別の騎士勢力か?」

「兵数は?」

「確認できる限り、我らとほぼ同数」

「この砦を落とすには十分。援軍と称して奇襲をかければ、さらに容易ではあるが、一つの勢力としてみれば少ない。そしてそのような勢力が、混乱に乗じこの南方の地を抑える事にあまり意味はない」

「ならば?」

「恐らく騎士にも亜由と同じような事を考える者がいたのだろう。彼らに会おう。こちら側からの侵入経路を知っている筈だ」

 

***

 

ストーンに要塞への攻撃を任せ、私は選りすぐった騎士達と共に、要塞の南方に向かっていた。要塞の南方は天然の要害であった。だが道が無いわけではない。

ホールデン・クロスとマーシーがアポリヨンを暗殺すると言ってきたが失敗した場合に備え、私たちはもう一つの手として、忘れ去られた脱出用の坑道から要塞内部へと侵入しようとしていた。ホールデン・クロスをどこまで信用していいのか、正直言って未だに迷っている。だが、これが罠だとして、我らとヴァイキング、そして侍を敵にまわしてなお、それを覆す手があるとも思えなかった。ならば、ホールデン・クロスは保身の為にアポリヨンを裏切るか?。そう自らに問えば、否と感じる。ホールデン・クロスは、ハーヴィスのような男ではない。

遠くに、砦が見え、私は思考を打ち切る。ブラックストーン要塞は、東西へ走る巨大な山脈を利用して作られた巨大な要塞都市だ。要塞は北を向いており、南は騎士世界最高峰が覆う。切り立つ崖のような峰故に要塞の南方は天然の要害であるが、同時に要塞側からの南方への視界を妨げていた。

しかし、一つだけ懸念があった。それがこの南方に位置する砦だ。古代の都市遺構を利用し作られたその砦は大きな砦ではないが、ここからは、峰へと至る原がすべて見通せてしまう。背後から奇襲を受けるか、狼煙を上げられてしまえば策そのものが頓挫しかねない。私たちはその前に、砦を強襲するつもりだった。

斥候によれば砦は静まり返っている。

要塞への攻撃で放棄されたのか、それを確かめるために砦へと近づく。古い遺跡の崩れかけた石柱が乱立する向こう側で、砦の門は開かれていた。

不意に人影が現れる。だが、騎士では無い。

騎士達が一斉に防御陣形をとる。防壁の上、石柱の後ろ、木々の間から、侍たちが姿を見せた。見事な練度だ。我々に気付かれる事なく包囲している。彼らは待っていたのだろう。我々が来るのを・・・侍の数は、確認できるだけで、我々とほぼ同数。隠れているのならば、それ以上の数が存在する事になる。侍たちの包囲網の中から、最初に姿を見せた侍が、こちらへ向かって歩んでくる。

そして我々と、侍達とのちょうど三分の二ほどの距離で立ち止まり声を上げる。

「敵対するつもりはない。少なくとも今は、・・・指揮官と話がしたい」

身構える騎士達を制しながら、私は前へと進んだ。侍が腰に差した刀の間合いの二歩、私の間合いの一歩外側まで、それは、私にも敵対の意思はないという事を示す為であり、また侍特有の刀術に対応する為の距離。

侍は私を見て言った。

「簡潔にいこう。情報が欲しい」

「情報?」

「こちら側から、要塞へとつながる坑道。知っている筈だ。お前たちはその為にこの砦に来たのだろう?」

私は考える。この侍に知らないというのは通じないだろう。我々の行動を推測している。そして、状況はこちらに不利。取り囲んだ侍たちは、我々への脅しであり、まさに喉元へ突き付けられた刃だ。目の前の侍に誠意があるとすれば、それは彼が、戦いが始まれば、真っ先に死線となる場所にただ一人で立っているという事であろう。

だが、素直に情報を渡すわけにもいかない。いくつものリージョンの支配を受けて増改築を繰り返したブラックストーン要塞への侵入経路。歴代の君主が作ったいくつもの脱出用の坑道は、支配者の移り変わりと共に幾つかは忘れ去られ、幾つかは使えなくなったが、まだ現存している物もあった。ホールデン・クロスを通じマーシーがその情報をもたらした。要塞内部へ直接つながる通路。いかに要塞が難攻不落でも、内と外の両側から攻められれば、あっけなく落ちる。

「そちらに道を教えてしまえば、我らの策が成り立たなくなる可能性がある」

私は嘘を選ばなかった。アポリヨンが警戒してしまえば全て終わる。

「それに、これは騎士世界の不始末。我らが終わらせる。どうか退いて欲しい」

「それはできない。解っている筈だ。騎士よ。既に問題は騎士領を超えている。アポリヨンが都へと侵攻し、帝を弑した以上。侍が退くことは無い」

それは解りきっていた。ヴァイキングとて退かぬだろう。

「始まってしまった戦争を早期に終結させるためには、一刻も早くアポリオンを殺す必要がある。全軍とまではいかぬとしても、退かせるのだ。アポリヨンの死を持って、故に道を教えよ」

「断ると言ったら?」

侍は黙って、刀の柄に手をかけた。

「戦うと?」

問いかけながら柄を握り直す。場が緊張する。

「目的は同じ。だが、もはや猶予がない。ならば刃で語ろう。他の者に手は出させぬ。俺とお前、勝ったほうがアポリヨンの討伐へ向かうのだ。理に適っているだろう?アポリヨンを殺す為にはより強き者が相応しい」

酷く単純な解決策だ。だが、彼の言うようにもはや時は無い。

「・・・わかった」

私は後ろにいる騎士達に向かって叫ぶ

「聞いた通りだ。手を出すな」

「しかしそれでは」

騎士の一人が声を上げる。全てを言いはしなかったがその危惧は理解できる。だが、私の下に居るのは大半がアイアンリージョンの騎士達だ。彼らは私よりも、ストーンの方に近しい。

「その時は、ストーンと合流し、その指示を受けろ。・・・侍よ、一つだけ誓え。私が勝っても、そなたが勝っても残った兵には手を出さぬと」

「ああ、侍の誇りにかけて誓おう」

侍は叫び、そしてゆっくりと刀を抜いた。私もそれに応じるように剣を構える。

「いくぞ」

侍はそう言って、一歩を踏み出した。

 

***

 

「馬鹿な」

そう言って、走り出そうとした紅葉の前に立ちふさがる。

「どいてください。彼は交渉をすると言ったのです。戦うなどとは」

「ならん。お前が動けば、全ての兵が動く」

「しかし」

食い下がる紅葉を跳ねつける

「戦闘が始まればそれがむしろ奴の命を危うくするぞ」

騎士達は、我々よりも、奴に近い場所にいる。いや、奴自身がそれを選んでいた。黙った紅葉のかわりに、中央で誓い合う二人の声が響く。交渉を任せろと言ったから任せると言った。確かに言った。だが、こんなことをするとは・・・。奴は侍の誇りにかけてと言ったのだ。奴が、それを大切にしているとは思えない。その言葉は、私に対する言葉だ。亜由様の配下の侍として恥じぬ行いをと考える。私の行動を制限するための・・・それが何よりも忌々しい。

亜由様がどれだけ目をかけていようと、やはりあの者を好きになれない。

 

***

 

斬撃を受け止める。瞬時の跳躍が二歩分の距離を埋めた。

そのまま押し合いへと持ち込もうとする私の剣から、逃げるように刀身が戻っていく

ぶつかり合う相手を失った剣を、咄嗟に前へと跳ね上げる。

侍は身をひねるようにして僅か数ミリの差で剣を回避。私は空を切った剣を地面に突き立てる。地を這うような姿勢から放たれた薙ぎが私の剣に阻まれて、甲高い音を立てた。私は踏み出しながら突き立てた剣を持ち直し、斬り上げる。侍は大きく後退。さらに追撃をかけようと前に出た私に応じるのは、突き。

それは、かつて戦ったアデマーの突きよりもさらに速い。侍たちの使う、刀という独特な武器。その僅かに弧を描く細身かつ軽量の刀身は、超高速の突きと斬撃を両立させる。身を低く下げ回避しながら、肩からぶつかっていく。

私のタックルに合わせ、侍は、軽く肩をあてそのまま乗り越えるように回転。背後に回った侍の斬撃を予想して、そのまま、前方へと転がる。風切り音を聞きながら、振り向きざまに剣を振るう。返された侍の刃と、私の剣が拮抗。押し合いへとは持ち込もうとせず、そのまま後退。引き戻していた剣を突きだす。

私の後退に合わせ、前進していた侍は刀を掲げ、その突きの軌道を逸らす。そのまま斬撃へ移ろうとする侍に、私は膝を突き出した。前進していた侍が超反応。腕で防御すると同時に、後方へ跳躍しようとするが、その身体を私の膝蹴りが捉える。

感触は軽い。蹴り足をそのまま前へと踏み出し、追撃。

侍は刀で受けるが、その態勢は万全ではない。さらに押し込んだ剣は、刀を押し切り、侍の頬を微かに切り裂く。僅かな血が、宙を舞い。その滴を切断しながら、強引に放たれた斬撃を剣で受ける。

後退し仕切り直しを図る侍を追い。剣を振り上げる。侍の後退と、私の前進はほぼ等間隔。侍は、構えを上段に移しながらさらに後退。私の斬り上げをギリギリで躱した。そしてその膝はたわめられている。ならば来る。

私は大きく振り抜くとみせかけて、強引に刃を返し右上部から斜めへ斬り下ろす。

斬撃を放つために前進する侍を確実に捉える剣線は空を切った。

大きく踏み出すと見せた行動はフェイント。剣が届く直前に侍は急静止し、構えは中段に変化。応じようとする剣先に重圧。剣が地面へと叩きつけられ停止。踏み出された侍の右足が剣の平を踏みつけ地面に固定したのだ。

咄嗟に剣を押し、侍を転倒させようとした私の喉元に切先が当てられる。首筋を汗が伝う。動くことができない。侍が、柄に添えた手を僅かにでも押し込めば、私は死ぬ。

僅かな膠着のあと、刀の切先はゆっくりと私の喉元から離れ、固定されていた剣が解放される。侍は一歩下がり、私から目を逸らすことなく静かに刀を収めた。

辺りには静寂。私は、剣を下ろしたまま一歩下がった。

勝敗は決していた。

 

***

 

「あれのどこが交渉だというのです?」

砦へと戻ると紅葉が詰め寄ってきた。表情は面で良く分からないが、なんとなく怒っているような気がする。

無茶をしたように思ったのだろう。釈明を試みる。

「他に手っ取り早く済ませる方法が無かった。しかし、あの騎士はなかなかやる。おかげで勘が取り戻せた」

「それは、良かったですね」

紅葉の声は怒りから呆れていると言った風に変わった。

「とにかく道は分かった。要塞へ向かうぞ」

大熊も不機嫌だ。

先ほどの宣言が気に入らなかったのだろう

だが、結果として、道が分かったのだから、良いと思うのだが

そう、労いの言葉一つあっても良いぐらいには・・・

 

***

 

「覚えているか?ブラックストーンの旗を上げた時の事を」

眼下で繰り広げられる戦いを見つめながら、アポリヨンが口を開いた。

「結局、私の下に残ったのは、お前だけになってしまったなホールデン」

黙っている私に視線を移し、アポリヨンは退屈そうに鼻を鳴らし、言葉をつづけた。

「今なお、私の下で戦う忠実な者達。だが、彼らは退屈だ。狼ならば牙を剥くべきなのだ。自らが頂点に立つために・・・そういう意味では私から離反した者。彼らが率いるリージョン。それこそが真に私に忠を尽くしているとも言える」

そう言って薄く笑ったアポリヨンに向け私は問うていた。

「戦い続け世界に戦乱を巻き起こした。これから何をする」

私の言葉に、アポリヨンは興味をひかれたようだ。

「何を?目的など無い。教えてやりたくなるじゃないか、酷く美しいものがそこにある事を、命の本当の姿を、誰もが牙を剥き、そして、その血と死の上にのみ命は輝く」

「お前は・・・やはり狂っている」

「何をいまさら」

アポリヨンの笑い声と共に背後からマーシーが跳びかかる。

その双剣が届くよりも前に、アポリヨンが伸ばした手がその細い首を掴んで宙に固定した。

厚い鎧の隙間、薄い肌の下に流れる血管を僅かに削る事さえできたのなら、アポリヨンは死ぬ。気道を塞がれたマーシーが必死で毒の塗られた短剣を振るう。

しかしその前に、アポリヨンの鋭いナイフのような籠手の指先が細い首を易々と切り裂いた。短剣は鎧の上を滑り、マーシーの口から苦鳴が漏れる。噴き出す血を浴びながらもさらに強められた握力がマーシーの頸骨をへし折り、マーシーは絶命した。

「暗殺者ごときで私を殺せると思ったのか?なぜ、お前も同時に斬りかかってこなかった?」

アポリヨンは死んだマーシーから手を離しながら、こちらを見た。床に落ちたマーシーの身体が音を立てる。

「ホールデン・クロス。お前はいつも遅いのだ。いまさら何を躊躇っている。あれから、どれだけの村を見捨てた?私と、お前とで成したのだ。この世界にかつてない戦火をもたらした。いつか平和が訪れるとでも思っていたか?私の心が変わると?変えられるとでも?お前の娘は狼では無かった。哀れな羊だった。だから死んだ。私が見つけた時、既に死に向かっていた。アイツが最後に言った言葉を教えてやろう」

「・・・やめろ」

「刺されて、玩ばれて、痛みに涙を流しながら、失血によって遠ざかる意識の最後に言った言葉は」

「やめろぉおおおお」

大きく振ったポール・アックスは、難なく受け止められた

嘲笑うようなアポリヨンの声に娘の声が重なる。

〈お父さん助けて・・・〉

息絶える娘の幻影が浮かんだ。私はこの娘を救ってやりたかった。あの日救えなかった娘の代わりに、その結果がこれだ。私は与えてしまったのだ。この娘に、世界を焼き尽くす機会を・・・あの日抱きしめた自分の娘に、今まで見捨ててきた村々の見たことも無い娘が重なったような気がした。誰もが助けを求めていた。そして、一人として救えなかった。血を流しながら、涙を浮かべ、必死に助けを求める娘たちを救う者は現れず。ただ、目から光を失った娘たちとそこから流れ出た血が世界を覆っていた。その幻影を振り払うように、ポール・アックスを振るう。そして死んだ娘を切り裂く、私が殺した。振り抜かれる途中で、アポリヨンの大剣がポール・アックスを受け止める。

「いいぞ、ホールデン。ずっと待っていた。始めよう。狼たちが集うこの場所で、世界を輝きで満たすために、神を降ろすために」

引き戻したポール・アックスを、何度も繰り出す。その度に娘の腕が、首が飛ぶ。思い出が溢れては、血に塗れていく。大剣とポール・アックスがぶつかり合う金属音と共に、娘の声が、笑みが、温もりが爆ぜる。零れそうになる涙で、視界が滲んでいく。

アポリヨンの背後に広がった草原で、娘がまっすぐにこちらを見つめながら言った。

〈私だけじゃなくて、お母さんも、友達も、村のみんなも守ってくれなくちゃダメ〉

一瞬動きが鈍った。振るわれた大剣を受け止めるが、押し切られる。その刃が、肩を深く刻む。その苦痛に呻き声が洩れた。

「この程度なのか?ホールデン。ならば怒りすら生ぬるい」

アポリヨンの蹴りが、顎を揺らし、握っていたポール・アックスを取りこぼした。

視界が揺れている。こんなところに至ってまで、アポリヨンを殺すことを躊躇った。その凶悪な兜の下にある、醜悪な顔の、元の姿をいまになっても思い出す。それが、取り繕った姿だったのだとしても、化け物のような今が、本来の姿だったとしても

その横には、こちらを見て微笑む娘の幻影がまとわりついている。楽しそうに駆けて行く二人のその幻影が、私を縛った。室内に溢れた娘達は、アポリヨンが引き起こす戦乱に泣いていた。アポリヨンの向こう側に立つ娘は、友達を殺さないでと懇願していた。どこにでも娘がいた。アポリヨンが引き起こした戦火に包まれた騎士の農村に、ヴァイキングの漁村に、侍の山村に、娘は、何度も死んだ。剣で刺され、火に巻かれ、ぶつかり合う兵士たちの間で、押しつぶされて死んだ。助けを求める声が怨嗟のように響き。そして、もう残っていない村のひと達を守ってと言う。だが、もうポール・アックスは床に落ちている。私は負けた。娘の願いを叶えてやれず。何度も娘を殺しながら、娘の言葉を守ろうとした。叶うならば、娘の口から答えを聞きたかった。

けれど、それももういい。答えを得られぬまま、死ぬ事が今は、救いに思える。

娘の為と言い、死を振り撒き続けた。間違いだらけの生の果て。けれど少なくとも私はもうこの先を見なくても済むのだ。私は娘のところへは行けぬだろう。娘は私を許してくれないだろう。それでも・・・

・・・もう疲れた。

アポリヨンの持つ大剣の鈍い輝きが、首の横に当てられる。

「ホールデン。お前も羊なのか?」

それは、酷く落胆したような問いだった。

「お前の娘と同じように・・・私の母や、姉のように」

いつものように冷たい声。それなのに何故かその声が哀しく聞こえた。

その醜悪な兜の暗い穴の向こうにいるいつかの少女が、ただ独り残されて途方に暮れたように・・・

それは私の感傷だったのかもしれない。だが、もしそれが、私の感傷でなかったとしても、私には救えない。

「・・・そうだ」

私は答えた。

「そうか」

アポリヨンのその言葉は、いつもと同じ、ただ冷たいだけのモノに感じられた。

そして私は、また娘を裏切った。彼女を見捨て、自分だけが救われるために、黒く汚れた天使は、その大剣を構え、私は目を瞑った。

雄叫びが聞こえた。荒々しい足音が、近づいてくる。私が目を開けると、アポリヨンは既に視線を移していた。部屋へ飛び込んできた。一人のヴァイキングへ

ヴァイキングは、再度の雄叫びと共に跳躍。同時に、二本の斧を振り回す。それを受け流しながらアポリヨンが後退。

「ハハハハハ、ヴァイキングか、思ったよりも早かったな。そうだ、こうでなければ」

ヴァイキングが、圧倒的な手数で、アポリヨンを押し込んでゆく、そして二人は部屋を抜けていく、私に興味を失ったように去っていくその姿に、声を上げていた。

「待ってくれ、私を、私を殺してくれ」

それに応えは無く、アポリヨンは、こちらを見る事もしなかった。誰もいない戦場の中に私は残された。自らの罪を清算する機会も、死と言う救いも与えられなかった。ただ、罰だけが下された。

 

***

 

坑道を抜けてみれば、そこは要塞の中ほどだった。

下方の至る所から煙が上がり、北の門は既に破られ、ヴァイキングたちが乗り込んできている。想定していたよりも事態は進行していた。このままアポリヨンを目指し、そして倒したとしてもヴァイキングたちに要塞を抑えられてしまっては本隊へと繋がる退路が閉ざされてしまう。

「東の門を開けにゆく必要があるな。どうする?」

大熊は長年の経験からそれを感じたのだろう。俺は大熊の言葉に頷く。

「俺がアポリヨンの首を取りに行く。お前は門の確保を」

「解った。ならば、どれだけか兵を割こう。といってもこの状況ではそれほどそちらに割く事もできぬが」

「構わない。多数の兵を連れていっても身動きがとりにくいだけだ。それにアポリヨンは刀千を倒すほどの猛者だ。半端な腕では悪戯に死者を増やしかねない。一人か二人で良い。失敗した時は侍の軍勢でもって数で潰せ」

大熊は頷きながら、考え始める。

「それなら、私が」

そこへ紅葉が声を上げた。

「お前は・・・」

否定しようとする俺の言葉を遮って紅葉が言う。

「私の薙刀ならば、貴方の刀が苦手とする距離でも対応できます」

返す言葉が浮かばない。紅葉の言葉は正しい。そして紅葉は俺や大熊に及ばないまでも部隊の中では五指に入るほどの実力を持っている。適任だった。それなのになぜ迷うのか、女だから?それとも俺が紅葉に未だ幼き日の面影を見ているからだろうか?だが、なんにせよ深く考えている時間は無かった。

「・・・好きにしろ」

俺は何とも言えない引っかかりを無視してそう言った。

「はい。そうします」

はずむような声で紅葉が言い。走り出した俺の後に、続く。

「こちらを片付けてすぐに向かう」

大熊がそう叫んだが、状況から考えれば、それは難しいだろう。

階段を上がれば、ブラックストーンの騎士が迎え撃とうと飛び出してくる。俺の刃が騎士を切り刻み。その攻撃と攻撃の間を紅葉の薙刀が埋める。伏せるように下げた俺の背の上を、紅葉の薙刀が風切り音と共に抜けてゆく。弧を描く斬撃は前方の騎士をまとめて薙ぎ倒す。

引き戻される薙刀と入れ替わるように前進。現れた騎士を刺し貫いて、さらに前進する。俺と紅葉の刃によって騎士の血と肉が踊る。

気が付けば、俺は笑んでいた。いままで体感した事の無い高揚。軍勢の中で戦ったことは何度もあったが、これほどの一体感は得られなかった。紅葉の腕は良いが、腕だけならば、紅葉以上の者と刃を並べた事もある。だが、このような事はできなかった。紅葉は巧みなのだ。完璧に俺の動きに合わせてくる。

俺が欲しい場所に薙刀が差し出され、俺が攻撃にでれば、その邪魔にならぬように引き、次の攻撃と防御へ備えている。俺の刀が苦手とする距離や、多数の敵には、紅葉が大きく前へ踏み出し、薙刀の長さを生かした突きと広い範囲攻撃が繰り出される。それで倒せなかったとしても、紅葉が乱した敵陣には、俺の刀が容易に突き立ち貪る。もっと、もっと前へ。心臓は跳ね、心が身体を置き去りにするように進む。

紅葉が軽く笑う

「貴方とこのように刃を連ねることができるとは、あの頃は思いもしませんでした」

はずむようなその声。

「そうか」

「ええ、だから嬉しいです」

俺も笑う。

「ならば、これからは共に戦うのも良いだろう」

「はい!」

紅葉は薙刀を繰り出しながら、思い切りよく答えた。

「私、もっと強くなりますから。貴方に負けないぐらい」

今でも十分に力に成っているが、それではまだ、納得できないのだろう。もしも、本当に、俺と並ぶほどの力を紅葉が手に入れたなら、その時は俺たちに敵う者など居なくなるだろう。藤清がたどり着いたその先の境地も夢ではない。

「・・・だから、私から目を逸らさないでくださいね」

「ああ」

紅葉が恥ずかしそうに付け加えた言葉に俺は笑いながら答えた。

 

***

 

階段を上がり、要塞の上層部へと踏み込む。既に先走ったヴァイキングが、ブラックストーンの騎士達と戦いを始めていた。その両者を強引に振り払うように突っ切る。

最上階へと続く議場の床でマーシーが息絶えていた。近くには、ポール・アックスが転がり、視線を動かすとホールデン・クロスが座り込んでいる。その身体には、深い傷。だが、致命傷では無い。うつろな目が、こちらを見据えた。

「・・・ウォーデン、私を殺せ。私を」

譫言のように呟くホールデン・クロスを無視し、追随してきていた騎士に手当てを命じる。ホールデン・クロスに振り払われ、戸惑う騎士がこちらを窺う。

「死による逃避など許されない。お前を殺してなどやらん」

私の言葉を聞くとホールデン・クロスは項垂れた。自ら死ぬことができず。他者による救済を求める者を救う気はない。生に苦しみを抱いているのならば尚の事。その罪を受け続けねばならない。自らが振り撒いた血を、自らに突き立った刃を、その痛みを・・・。じきに開けさせに行った西の門からストーン率いる本隊が此処に至るだろう。だから、私は前に向かう。

一時でも早く、この戦いを終わらせるために・・・

 

***

 

駆けあがった先の部屋に黒い鎧を纏った女が立っていた。

ゆっくりとこちらを向いた兜。開けられた無数の穴の向こうから、それがこちらを見ている事が分かる。全身を怖気がはしった。こいつがアポリヨンだ。それ以外にはあり得ない。そう理解する。俺は既に刀を構えている。それでも、その隙だらけに見える女に斬りかかることができない。

「侍か、お前は、あの侍達よりも強いのか?」

その冷たい声を聞き、横で紅葉が薙刀を構える。アポリオンの大剣の先には、既に息絶えたヴァイキングの身体がぶら下がっていた。女にして、恐るべき膂力。立っていたバルコニーの縁でアポリヨンが大剣を傾けると突き刺さっていたヴァイキングが、重力に引かれて、遥か下方へと落ちてゆく。

「試してやろう」

そう言いながらアポリヨンが正対する。

床を蹴り、全力で斬りかかった俺の刀身を、アポリヨンが受け止める。その身体を揺るがすことすらできない。押し合いは拮抗。先ほどの高揚など、すっかり冷えている。俺はアポリヨンを侮っていた事を痛感した。

「大熊を呼びに行け」

機会を窺っていた紅葉にそう叫ぶ。

「私も共に」

「二人では危うい。大熊の力がいる」

反論にそう叫び返しながら、後方へ下がる。目の前を大剣が過ぎ去り。突き出した刀は受け止められる。

「いそげ!」

俺の言葉に。紅葉は躊躇いつつ。

「すぐ戻ります」

そう言って、駆けていった。

「娘を逃がしたか、賢明な判断だな」

アポリヨンが嗤う。俺は答えない。

紅葉と二人で挑めば、あるいは勝てるかもしれない。だが、危険すぎると俺の経験が訴えていた。大熊がそろえば勝てるだろうが、こちらも無傷とはいかぬだろう。特に力で一段劣る紅葉は、もっとも危うい。自らと互角、あるいはそれ以上の相手と戦う場合は、先ほどまでの様にはいかない。一瞬の遅れや迷い選択の誤りが死に直結する。俺は、相手の力を探るために、距離をとりながら刃を交えた。

一撃で決められぬと感じ、長期戦になる事を覚悟したなら。此方の手の内を晒さぬように相手の手の内を理解しなければならない。好む太刀筋や、癖。また刃を交えるうちに感じられるそれが、相手の詐術ではないかという事も・・・

一度退くと同時に、斬り降ろされる大剣を、回り込むように回避しながら、放った斬撃は引き戻された大剣が受け止める。押し返そうとするその力に抗う事なく後退。更に一歩後退し、追撃の大剣をギリギリで躱しながら、一歩前に出る。最上段からの斬り下ろし。アポリヨンはそれを、後方へ跳躍する事で躱す。

そのまま、繰り出されるだろう大剣に合わせ、俺は斬り下ろしを中断。さらに一歩踏み出して突きへと変化させる。アポリヨンは回避。それを予測して、すぐに引き戻した突きを、最小限の動きで再び斬撃へ、振りかぶられていた大剣の力が最大になる前に刀を合わせ押す。アポリヨンが押し返し、刃が止まる。圧倒的不利な体勢であっても、その剛力でアポリヨンは強引に帳尻を合わせてくる。

「アポリヨン!」

突然放たれたその叫びに、俺とアポリヨンは互いに距離をとった。

姿を見せたのはあの騎士と、それに従う四人の騎士。

「ウォーデン、やはり来たな。私が見込んだ通りだ」

ウォーデンと呼ばれた騎士が猛進。放たれる斬撃を、大剣が止める。ウォーデンに付き従っていた騎士達も前進。俺は後退し、様子を窺う。

「お前を殺し、戦いを終わらせる」

拮抗する刃を押しながら、口にされたウォーデンの言葉にアポリヨンが笑う。ウォーデンの左右へと周り込み放たれる騎士の剣。逃がさぬように、さらに押さえつけようとしたウォーデンの腹部へ、アポリヨンの右足が叩き込まれ。強引にウォーデンを引き離す。

僅かに速く迫っていた剣を弾きながら、大剣は弧を描く様に一閃。振り下ろしていた剣がアポリヨンに届く前に騎士の首が宙を舞う。倒れていく騎士の身体の後ろから、差し出された別の騎士の突きをアポリヨンが躱し、同時に放たれていた大剣の突きが、その騎士の腹部を刺し貫く、瞬時に引き抜かれた大剣の柄が、別の方向から迫っていた騎士の剣を受け止め、アポリヨンは強引に前進。その騎士の身体を引き寄せながら回転。ウォーデンと、剣を弾かれたのち態勢を取り戻し、再度剣を振り下ろそうとしていた騎士の前につかんだ騎士の身体を押し出す。

ウォーデンが、振り下ろそうとしていた剣を急停止。止まれなかった騎士の剣が、盾にされた騎士の首元から身体に深く突きささる。その傷が致命傷となり、斬られた騎士は、呻き声と共に血を噴出させながら倒れていく

仲間を屠ってしまった騎士が、悲痛な声を漏らし、慌てて後退しようとするが鎧に深く噛みこんだ刃は抜けず、倒れていく騎士の身体と共に転倒する。必死で立ち上がろうとする騎士の首を刎ねながら回転した大剣が、ウォーデンが突き出していた剣を受け止め、押しのける。追撃の上段斬りをウォーデンは転がるように回避。即座に立ち上がり構え直す。アポリヨンのさらなる追撃を、ウォーデンが受け止め、剣が悲鳴を上げる。

剣を交えたまま、アポリヨンが口を開く

「私を倒し戦いを終わらせると言ったな?だが、今や騎士、ヴァイキング、侍。誰もが憎み合い。殺し合っている。私を倒したとて、戦いは終わらない。私は燻っていた火を、ただ大きく育てただけだ。私が行動を起こさなかったとしても、誰かが同じことをしただろう。平和とは、豊かさがもたらす一時の欺瞞に過ぎない。窮すれば殺し合う。一つのパンの為に、一滴の水の為に。それが変えようもない人の本性だからだ」

言葉とともにアポリヨンの剣圧は増し、ウォーデンが押されていく

「それでもなお、手を取りあおうと腕を伸ばす愚か者は、返答の刃によって淘汰されるだろう。膨大な死、嘆きと絶望の上にのみ人は生きている。生きるとはつまり・・・」

アポリヨンが、ウォーデンに語り掛けている途中で、俺は疾走。アポリヨンに向け、突きを放つ。

それを読んでいたアポリヨンは大きく後退。アポリヨンの剣圧から逃れたウォーデンが、驚きと共にこちらを見る。

「俺が欲しいのは、こいつの首だ。お前は要らんのだろう?」

ウォーデン達騎士が欲しているのはアポリヨンの死だ。ならば、俺達の目的は両立できる。アポリヨンが周りの騎士を皆殺しにした今ならば共闘が可能となる。俺の声を聞き、意味を察したウォーデンが頷く。

「そうか、それもいいだろう」

アポリヨンが笑いながら前進する。

振るわれた大剣をウォーデンが受け、大きく後退する。その側面から、アポリヨンに向かって刀を突きだす。アポリヨンはそれに対応する。刀身は、大剣の表面を哭きながら滑っていく。伸びきった俺の腕を切断しようとした大剣を、差し出されたウォーデンの剣が受け止め。俺は、身をひねりながら刀を薙ぐ。アポリヨンは、軽く後退し、回避。振り下ろされるウォーデンの剣を受け止め、そのままいなした。

体勢を崩されたウォーデンが転倒。ウォーデンへの追撃を防ぐために繰り出した斬撃を大剣が受け止め。押し返される。立ち上がったウォーデンの背後からの振り上げを、軽く横へ移動する事で躱し、それを読んで放った俺の突きは、身体を僅かに下げる事で無効化された。即席の連携には限度がある。だが、これほどとは・・・

追撃の一閃を、大剣が受け止める。押し合い離れた刀が再び大剣とぶつかり合う。

押し合ったまま、首筋を狙って軌道変化させた刀身にアポリヨンが後退。離れたアポリヨンにウォーデンが斬りかかる。アポリヨンはそれを受け止め、押し返す。跳ね上がったウォーデンの剣は、すぐさま返され、アポリヨンの攻撃を防ぐ。叫び声と共に、押し込まれるウォーデンの剣を受けて、それを受け流すように移動したアポリヨンに突きを放とうとすると剣線を柱が塞ぐ、アポリヨンは戦いながら瞬時に計算している。二対一という不利を、立ち回りで補っているのだ。

ただ、剣が強いと言うだけでは無い。アポリヨンは、狡猾だ。

柱を回り込むように、放った俺の突きを、アポリヨンが避け。ウォーデンの追撃は身をひねりながら躱し、そのまま大剣の薙ぎ払いへと移る。踏み込んでいた俺とウォーデンが瞬時に刀身を防御へと変える。刀身を強い衝撃が襲い、身体が押され滑るように後退。俺はそのまま、一度距離を取り、ウォーデンは一歩踏み出した。俺はアポリヨンの背後に回り込もうと動く。

不意に視界の端にうつる影。室内へ攻城兵器の投石が直撃した。轟音と粉塵。室内は大きく揺さぶられ、誰もがその場で自らの身体を支える。その揺れが収まると同時に、動き出したウォーデンの頭上から天井が崩落。巻き込まれると見たアポリヨンが大きく後退。真下にいたウォーデンだけが、状況の判断が遅れた。俺は疾走。ウォーデンの鎧を蹴り飛ばして後方へ跳躍。ウォーデンの姿が降り注ぐ瓦礫の向こう側へと消える。死んではいないだろう。だが、崩落によって出来上がった壁がウォーデンの復帰を阻む。

「存外甘いな」

襲い掛かる大剣を受け止めながら、崩落した瓦礫の坂を、上層へと後退する。

瓦礫が散乱し、ほぼ押しつぶされた部屋では、俺の機動力と速度が死ぬ。その場所に留まれば、アポリヨンの剛剣は圧倒的有利になるにもかかわらず、迷う事なく俺を追ってくる。だが、それは無知だからではない。そのほうが愉しいとでも思っているのだろう。狂人だ。

アポリヨンの大剣を避け、大きく後退。たどり着いたのは、要塞の屋上、尖塔は既に失われ、広い広場のようになっていた。坂の下からアポリヨンがゆっくりと姿を現す。

「ここが、最終局面だ」

今にも笑いだしそうな声で、アポリヨンが告げる。俺は刀を構え直し、息を吐いた。ここで決まるのだ。どちらかの死が・・・

勢いよく踏み出し、放った上段からの斬撃は、陽動。下方から跳ね上がる刀身を、アポリヨンの大剣が難なく受け止めて見せる。押し合いには応じず後退。俺を追って放たれる大剣を刀身で受け流す。刀身の表面を、悲鳴を上げながら大剣が滑っていく、俺はそのまま強引に前へ踏み出し斬りつける。刀身はアポリヨンの甲冑を切り裂くも、最小限の振りによる斬撃では、甲冑相手に致命傷を与えられない。そのまま前へ抜け、立ち位置を入れ替え、振り向きざまに放った斬撃が一瞬拮抗する。アポリヨンの剛力に押される刀身を引き戻す。大剣はそのまま振り切られ、生まれた隙に連撃の突きを放つ。アポリヨンは一つ目を躱し、二つ目を大剣で絡めた。再び距離をとろうとする俺にアポリオンが急接近。絡められたままの刀身を大剣が巻き上げる。その動きに対応しようとした腕は僅かに間に合わない。刀が大きく弾かれ、宙を舞った。斬り返された大剣を強引に躱す。その動きを予想していたように、アポリヨンが回し蹴りを放つ。後方への回避は間に合わない。徒手になった腕を、その足の前に構え防御。崩れた体勢では衝撃が殺しきれずそのまま弾き飛ばされる。頭部と四肢を守るために、身体を丸めた。身体を打つ高質の感覚と共に、視界が廻る。床を視認しつつ四肢で掴み、滑る身体を強引に止めた。アポリヨンの蹴りを両腕で辛うじて防げたことで、内臓への損傷は感じられない。まだ戦える。だが、今追撃されれば終わる。俺の目は刀を求める。右前方。一歩半のところに、それを見つけた。折れてはいない。

そのまま跳躍する。

視界の端にアポリヨンの大剣が迫るのが見える。

足りない。伸ばした身体が両断される光景が浮かぶ。

「破ァッ」

叫び声と共にアポリヨンの側面から薙刀が突き出された。長いその柄を利用した。完全な奇襲。アポリヨンは大剣でそれを受ける間もなく、身体を捻ることで躱す。俺はそれを視界の端で捉えながら、刀の柄へと手を伸ばす。僅かな距離を異様に遠く感じる。紅葉の突きは、執拗にアポリヨンを追っていく、首の鎖帷子を弾き飛ばし、鎧の表面を削り、籠手の隙間に差し込まれ、膝鎧を切り裂いた。だが、それはアポリヨンの体にまでは届いていない。体勢を立て直したアポリヨンの大剣を、紅葉は薙刀の柄で受け止めた。俺の腕が、ようやく刀の柄を握る。薙刀の柄が、悲鳴を上げる。

紅葉が辛うじて、大剣を押し戻し、上段からの突きを放とうとする。

脳裏にこの後の光景が浮かんだ。

「やめろ!」

叫ぶ前に床を蹴っている。だが伸ばした手は紅葉の背に届かない。前にある紅葉の体を引き戻せない。紅葉の薙刀が、アポリヨンの体へ届く前に、アポリヨンの大剣が紅葉の身体を下から突き上げていた。紅葉の口から苦鳴が洩れる。

一瞬がまるで永遠のように伸びきった中、その華奢な体に突き立っていく大剣をなすすべもなく見つめていた。身体を突き抜けた切っ先から、飛び散った鮮血が宙を舞い。僅かに俺の顔に付着。時間の流れが急速に戻る。紅葉の心臓は、辛うじて両断されずにあったが、突き立てられた大剣が必殺の一撃であると経験が理解させた。

心臓を外れているのが紅葉の苦痛を引き延ばすための故意である事も・・・

斬りかかった刀身を、紅葉の身体から強引に抜かれた大剣が迎えた。紅葉の身体からは、血しぶきが上がり、身体は硬質な石の床へと倒れていく。だが、もはやそれを振り向くことはしない。俺にできる事は無い。冷酷だと罵られようと。ただ、己の刀を振るう、いつもそうだったように。激情は不要だ。それは剣を鈍らせる。

ただ、冷ややかに、相手の死のみを目指して刀身を奔らせる。

 

***

 

目の前に見える背が、私から離れていく

あの日から必死で追いかけた。その背から受ける懐かしい安心感。

触れられそうだったその背が、今はまた遠くにあって、敵わないなと思う。でも、それが憧れた背で、それが前に在る事を望んだのに、気が付けばその背へと向かって手を伸ばしている。

心とは裏腹に、いや、本当は側に居て欲しい。そしてこの手を握っていてもらいたい。

私が死んでしまう瞬間まで・・・

そんな自分の不甲斐なさを笑う、駄目だな。ちっとも変わってない。

もう、笑みなど作れていないだろう、口からもれたのは、乾いた咳と、纏わりつくような血液だった。力は流れ続け、冷たさを感じる。

本当は、かっこよく助けてあげる筈だったのに、そして彼にまた背負ってもらって

なんなら私が背負ってあげても良い。彼はきっと嫌がる。だからなおのこと。

それから黙った彼に私は口を開くのだ。あの時は分からず、気付いてからも言わなかった言葉をのせて・・・

でも、それがもう叶わないことは分かっている。

零れそうになる涙を押し止める。あの時よりも成長した私を見てもらいたいから

震える視界の中心に必死で彼を捉えながら願う、どうかもう少しだけ見ていられる、よう・・・に・・・

 

***

 

ぶつかり合った刃の向こう側で、アポリヨンは、楽しそうに笑う。

「冷静だな。だが、それでこそ、私の前に立つに相応しい。ホールデン・クロスの迷いとも、ウォーデンのしがらみとも、ヴァイキングたちの怨念とも。そして侍達の忠義とも違う。その自由な剣こそが何より相応しい。今、私たちは等しいのだ。ただ死を振り撒く剣、ただそれだけのモノ!」

アポリヨンは、狂乱したように叫ぶ。

甲高い金属音を上げながら。剣と刀が重なる。アポリヨンの大剣を受け流しながら、斬り返す。刀身は横へと移動したアポリヨンの甲冑。紅葉が刻んだ裂け目をさらに深く裂いたが皮膚を浅く斬るにとどまる。アポリヨンの血が僅かに散る。想定よりもはやい速度で戻ってきた大剣を躱す。具足の袖が斬り飛ばされる。

「くはっ、くははははは、愉しい。愉しいなぁ侍」

アポリヨンが笑っている。高速の剣技の応酬に、金属音が何度も響く。その度に、血の滴が飛ぶ。

「美しい。この音こそが、神の産声、そして断末魔だ」

狂人の言葉など無視する。応酬の最後、大きくぶつかり合った刃は拮抗。拮抗したその刃を強く押し、同時に跳ねるように後退する。アポリヨンは僅かに下がったが、隙と呼べるほどのものでは無い。即座に態勢を整え、大剣が動く、斬り上げられる大剣を躱しながら、さらに飛びのく。膝をたわめながら納刀。床を強く蹴り、前進しながら刀身を再び解き放つ。

鞘を捻り、放たれる剣線を斜め上に向かう斬撃へと変えた。鞘の中から切先まで抜けた刀身は、最速を伴って奔る。

対するアポリヨンは、大剣を大きく引き、そのまま突きへと移る。剣速は此方が上、なれど、アポリヨンの大剣をもはや躱すことはできない。

躱そうとすれば、首を飛ばす剣線が維持できない。そしてアポリヨンは、大剣を左手一本で維持すると、右腕を首の横に掲げた。

アポリヨンは右腕を捨てたのだ。その右腕に到達した刀身が、甲手ごと右腕を斬り飛ばし、そして稼ぎ出した一瞬で、アポリヨンは、身体を下げ俺の刀を回避した。敗北を悟るも同時に突き立つと思った大剣の感触は訪れなかった。疑問に思う間もないまま。俺は刃を返し、アポリヨンの首に振り下ろす。アポリヨンの首が胴から離れ宙を舞う寸前。

「ヤ、ルじャないか」

確かに、そう女が笑うのを聞いた。

首は跳ね上がり、断面から吹いた血が兜を濡らした。アポリヨンの左手と、大剣は床に向かって垂れていた。大剣を左手一本で支え切れなかったのではない。アポリヨンにはそれを可能にするだけの膂力があった。最後の瞬間、アポリヨンは痙攣したように見えた。その症状は紅葉の薙刀を受け神経毒に侵された騎士とよく似ている。だが、紅葉の刃はアポリヨンには届いていなかった。鎧を削っただけだ。紅葉の神経毒は、血管にまで到達しなければ効果を発揮しない。

理由に気付いた俺の口からもれたのは、乾いた笑い声だった。

紅葉は薙刀を大剣とは合わせなかった。薙刀が破壊されるのを避けているのだと思っていたが違う。ただ、アポリヨンの体に傷を負わせることだけを考え、そして俺が狙うであろう甲冑の隙間に神経毒の刃を刻んだ。自分では倒せないとしても、アポリヨンの鎧に僅かに付着した毒を、俺の刀が血管まで押し込むのを見越して・・・

致命傷となったアポリヨンの突きを紅葉は防ぐことができた。それをしなかったのは、薙刀の神経毒を、大剣に付着させないための。ただ、それだけの・・・

〈今度は私が貴方を守ってあげます〉

そう言って笑った紅葉の顔が浮かぶ。未だ続く戦場の喧噪を何処か遠くに感じる。

倒れた紅葉の周囲には、その身体から溢れた血が広がり、既に僅かな痙攣すら失われていた。歩み寄り、膝をついた。持ち上げた手首は脈を伝えてこない。俺は紅葉の上体を膝に乗せ、顔を覆っていた面を外した。

血に汚れた面の下には、幼き日の面影を残しながら成長した顔。

長い年月を経て、再び見つめたその顔は、あの時のように表情を変える事も口を開くことも無かった。籠手を捨てるように外し、その顔にかかった乱れ髪を指でそっと取り払い、見開かれていた瞼を下ろす。

潤んでいた紅葉の瞳から、一筋の涙が伝う。俺はそれに触れ、それから、指の背でその頬を撫でた。指先の熱は、すぐに奪われて消えてゆく。俺は、何度も口を開こうとして、そしてその度に迷った。

「・・・綺麗になった、な」

躊躇いの後。震える声が絞り出したのは、あの時と変わらず冴えない言葉だった。

 

***

 

要塞の最上へとたどり着いたとき。中央に広がる血だまりの中で、あの侍は死した女の身体を抱き上げていて、近くには、頭部を失ったアポリヨンの体が倒れていた。何があったかは、聞かずともわかった。

反対側の階段から、侍たちの軍勢が現れる。率いるのは、鬼の面をつけた大男。

侍たちも、状況を理解し、そして刀を構えた。同時に、私の後ろにいる騎士達も剣を構えたのだろう。甲冑の鳴る音が聞こえる。大男が、侍の軍勢を止め。私が騎士達を抑える。向かい合い刃を向ける二つの軍勢の中心で、ただあの侍だけが、まるで別の世界にいるようだった。侍は、騎士はおろか味方の訪れにも顔を上げることは無かった。

鬼の面をつけた大男が口を開く

「すまぬ。軍勢を整えるのに手間取った。紅葉を引き留めることができなかった」

それは、謝罪の言葉だった。それに応える声は、異様なほど静かな物だった。

「お前に非は無い。俺の力が足りなかっただけの事」

そして侍は片手をあげ、その指が、石煉瓦の先を示すように動く、その先にあるのはアポリヨンの首。

「目的の首だ。持っていけ」

侍の言葉に、大男が黙って頷きゆっくりと歩を進める。侍たちは、大男の移動に合わせこちらを用心深く伺う。前に出ようとする騎士達を私は手で制止し続けた。私たちにとって、その首は必要ではない。できる事ならばもう血は流したくはなかった。大男は首を拾い上げ、ゆっくりと後退しながら侍に聞いた。

「お前は?」

「・・・帰るさ」

何の感情もないような声がそれに答え、あの侍は自らの刀をゆっくりとした所作で、血糊を落とし鞘に納めた後。膝に乗せていた女の遺体を、丁寧に抱えながら立ち上がった。抱えられた腕からもれる女の頭部は、重力に引かれて垂れている。侍自身の血と、アポリヨンの血、そして女の体から流れた血で、鎧は赤く染まっていた。

我らに何の関心も示さず、躊躇なく踵を返したその侍を、侍の軍勢が、迎え入れる。

何人かの侍が、女の遺体を運ぶことを手伝おうとしたが、結局彼らが手を出すことはなかった。いや、できなかったのだろう。目の前に立つその姿に圧倒されたのだ。怒りを見せているわけでもなく、刀身が鞘へと納められていても、それでもなお、彼らはただ見ているしかなかった。彼らの誰もが、彼を畏れただろう。悠然と歩いていく彼に、我らが反応できなかったように、私は、声をかける事もできずただ立ち尽くしていた。侍たちの軍勢が立ち去るまで、ただそこに立っていた。

 

***

 

遠くに、未だ火の手の上がる要塞があった。

君主のいなくなった要塞で、戦いはまだ続いているのだろう。だが、もはやここまでは、その音は聞こえない。ただ、俺は淡々と歩いている。

剣の才を見込まれて侍にまでなって、主を殺して、ずいぶん遠くまで来たような気がする。静まり返った世界で秋を感じさせる風が頬を撫でた。あの時もこんな風が吹いていて、背中には、あの時よりも重くなった身体。落としてしまわないように身体に括った紅葉は、あの時とは違い酷く冷たかった。それにあの時は、もっと騒がしかった。人と喋る事なんて滅多になかったからうまく返せない俺を無視するように紅葉は話した。不意にその会話の一端を思い出す。

〈侍でもないのに、剣の腕なんて、とよく言われる〉

そうぼやいた俺の言葉に

〈そうかな?私は凄いしカッコいいと思うよ〉

はずむような声で紅葉は言った。

「ああ、そうか」

気が付けば俺の足は止まっていた。

俺が剣の腕を磨いたのは、こんなところにまで来たのは・・・

口からは自嘲気味な笑みがこぼれる。

「ずいぶん、遠回りをしてしまった。・・・なぁ、紅葉?」

その言葉は誰にも聞かれる事なく、ただ大気の中に溶けていった。気の利いた言葉は、今になっても何一つ浮かばない。けれど、もっと言葉にすればよかったと思う。どれだけ気の利かない言葉でも、それが散々な結果を生んだとしても・・・

それは答えが得られなくなった今だからこそ思う。都合のいい話だ。

それでも、もしも今、返事が得られるのなら、きっと、陳腐な言葉を口にしただろう。

俺は紅葉をそっと背負い直して、そして止まっていた足を前へと踏み出した。

 

***

 

大熊が、アポリヨンの首を持って合流するのと同時に、私は撤退を開始した。

同時に、ウォーデン率いるアイアンリージョンが退き始めた。ヴァイキング達もアポリヨンの死を知れば、いずれ退くだろう。要塞では未だに抵抗を続けるブラックストーンの残党と、いくつかのリージョン。鬼山とそれと競うように前に出た藍蛇の軍勢達。未だ、状況を把握していないヴァイキングたちが争っていた。

私が、アポリオンの首と共に都へと帰還した事で、新しき帝が開いた御前会議において、大名の序列は大きく変化した。鬼山と藍蛇は、互いへの対抗意識から最後までもはや無くなった武功に拘り、戦闘を継続させた。結果その兵力を大きく消耗。加えて会議への遅参により、その序列は最下層まで落ちた。

騎士は、新しく誕生した君主、ウォーデンの下で秩序の回復に追われる事となり

ヴァイキングは、新しい首長の下、崩壊してしまった理想国家再建の為に力を尽くしているらしい。だが、元々大規模な気候変動によってもたらされた不安定な世界にアポリヨンによって、振り撒かれた死と憎しみが加わった事で、三つの勢力は、食糧や領土をめぐり、争い続ける事になった。

 

‐epilogue‐

 

生き残ったホールデン・クロスが、私達の下に加わることは無かった。罪の意識を抱えながら、その生が終わる瞬間まで彷徨うのだろうとそう思う。幸せになる事も休むことも、彼は自らに許すことは無さそうだった。問い続けるつもりだとホールデン・クロスは言ったが、答えが与えられる事は無い。そんなものは存在しないからだ。

だが、引き留める事はしなかった。

あの戦いから数年が経っても未だ小規模の戦いは続いていた。

その最中、我々は集った。

私は騎士世界の代表として、侍からは亜由が、ヴァイキングからはスティガンドルが・・・彼を見て思う。彼は知らないのかもしれない。私があの日彼らの要塞へと進攻し、グズムンドゥルと対峙したことを、或いは知っていて、それでも何も言わないのかもしれない。今すぐにでもその前に頭を垂れ、私は謝罪したかった。彼が望むのなら、この命を投げ出してしまいたかった。だが、それが何になるというのだろう。あの日、彼らの国に攻め込んだ事実が無くなるわけではない。死んだ者が戻ってくるわけでもない。ならばその謝罪は、結局私を救済するためのものでしかない。ホールデン・クロスが望んだように・・・そして私はそれを許さなかった。

いつか、騎士世界を継ぐ者が現れて、私の存在が不要になった時。私はどうするだろうか?彼が、私を殺すために私の前に立ったとしたら・・・確かなのは、私に突き立っている剣は、生きている限り傷口を抉り続ける事と、今は騎士世界の統治者として在らねばならぬ事だ。

夜の帳の下、赤く燃える火に照らされた小さな部屋で、我々は向かい合った。和平の為の会談。だが、これで世界に平和が訪れることは無いだろう。平和は理想だが、理想は何処まで行っても理想に過ぎない。百年さえも生きられぬ我々の行為は、百年を超えた先までも左右し、アポリオンが死んでも、あの大戦がもたらしたものは、未だこの世に生を受けぬ者達さえ巻き込むだろう。

「我らは和平の為に集った。だが結局のところは武力を保つしかない。それが争いを生むとしてもアポリオンのような暴力を何のためらいも無く振るう事が出来る存在に、対抗できるのは暴力だけだからだ」

亜由の言葉にスティガンドルが吐き捨てるように言う。

「皮肉だ」

まだ若いヴァイキングの首長は、理解していてもなお、それを口にせずにはいられないのだろう。しかし亜由の言う通り、言葉は意味を成さなかった。それがどれだけ皮肉でも。私は、ホールデン・クロスから、アポリヨンの出自を聞いていた。アポリオンと言う存在自体が、時代が生んだ化け物であって、もしも世界が、神話にあるような楽園であれば、アポリヨンはただの女として一生を終えたかもしれない。だが世界はそのようにできていない。それはこれからも変わらない。

「侍たちは、新しい帝の下で私がまとめよう。なれど、それも末端までは及ばず、欲を抱きし者が現れれば簡単に瓦解する。それは、騎士やヴァイキングとて同じはずだ」

亜由の言葉に、私は頷きスティガンドルが答える。

「我らのこの和平の意思も、いつまで繋げられるかは分からない。そしてそれができなかったとき、再び戦乱が訪れると?」

「そうだ。拮抗する武力による抑止か、圧倒的武力による支配、どちらかによってしか平和という幻想は現れず。その幻想もまさしくうわべだけの幻想であるか一時の物でしかない。恒久的な平和など人には築けない」

「ならば、憎しみ、剣を突き付けながら、それでも相手の存在を許容する。そんな平和をと?」

「ああ、我らが今、こうして話あえているのも、拮抗するだけの武力が有るからだ。その向かい合う槍衾の背後にだけ一時の安寧が生まれる」

亜由の言葉にスティガンドルが鼻を鳴らす。私は口を開く

「ならば剣を持って平和を」

結局それしかないのだ。

そして短い会談は終わった。

いつか忘れ去られ、記録にも残らない会談になるかもしれないが、それでも無意味ではなかった。そう思いたい。帰り際、私は亜由を呼び止めた。

「アポリヨンを倒したあの侍は?」

亜由の護衛のなかにあの侍の姿は無かった。

「ああ、あいつか」

亜由は困ったように笑った。

「望めば、大名にもしてやれたのだがな。富も領土も要らぬと、今は、故郷の近くの庵を作り暮らしている。望むものに剣を教えながら・・・結局のところあいつにはそれしかないのだろう。不器用な奴だ」

亜由の言葉は夜風の中に消えていった。

「そうか」

私はそう言って、亜由と別れた。その後ろを大男が歩む。

ただ一度、刃を交え、ただ一度共に戦っただけだったが、あの侍らしいと思った。彼らに背を向け、ストーンの連れてきた馬に乗る。そして私は騎士領への道を進んだ。

世界から、争いが無くなることは無いだろう、神が楽園を下ろすことも。それでも、世界は続いていく、人の思いなど容易く押し流して、静かな夜には、そこでどれだけ血が流れたのかも知らぬ虫たちの音が響き、空には、膨大な数の星が瞬く、人の命が、その中の、目に見えないほど小さき星のくだらない輝きに等しいのだとしても、私は、祈る。もはや神などにではなく、今を生きている人と、これから生まれくる未だ見ぬ命、そして私が見る事の出来ない命に・・・

                                   fin


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