「酷く臭うんです」
「汗臭さや泥臭さ、焦げ臭さだとか、そういった類いの臭いが混じり合っているだけじゃない」
「濃い……血肉と汚物の臭い。
「でたらめに混ぜ合わせた薬品なんて生やさしい物じゃない。長い時、そして冒涜を積み重ね、穢れ尽くした呪物より酷い香り」
「どれ程浴びて、どれ程染み入ればこれほどの醜悪を
「……」
晴れ渡った空の下、虫や鳥獣のさざめきの中、寄せてはかえす波の
こちらの出方を伺っているのだろう。女はゆっくりと歩み始める。警戒の対象だろう己には近づく事なく、遠ざかる事もなく、回り込むように足を運ぶ。
「そんな
「無闇に人を襲うつもりがないのであれば、人間との関わりを持ちたいのであれば、最低限、抑える事をお勧めします」
死角へと入った女は、静かに返答を待っていた。
言葉を失う。
どれだけ殺したか……
そう問われると、少し困る。
正確には不明だが、記憶している数だけでも答えるべきか……それを大まかに告げるべきか、詳細に伝えるべきか思案する傍ら……
"臭い"
それについて……他者から正当だろう評価、予想だにしない衝撃に打ちのめされてしまった。
……失念していた。この盗賊の装束は未強化の物の中で1番着込んでいたはず。
思えば、これまで一度も手入れした事がなかった。
これまで出会ってきた者たちは何も言ってくれなかった。それどころか気にする素振りすら見せなかったが、おそらく皆、大なり小なり同じような旅路を送ってきたために配慮したのだろう……だが、これは……思いのほか堪える。
事実、今まで身分の高い者に汚らわしいと言われた事は少なからずあった。人を超えた嗅覚を持つ
だがしかし、あれは人や不死の匂いそのものに対しての発言であったはずだ。かの優しき王の苦言は人間嫌いを拗らせていたために出たものでもあった。
そう認識したからこそだろう。おそらく、その時は特に何も感じず流してしまったように思う。
何故だろうか。振り返ってみると中々に心苦しい。
とっさに、無駄な"土下座"や"命乞い"と共に許しを乞おうとする体を押さえつけ、女へ向き直り一礼と共に謝罪する。
「……申し訳ない。自分自身の臭いなど気にした事もなかった……少し待ってくれ」
「……」
表情こそ変わらないものの、物言いたげな雰囲気を漂わせる女に一言入れ、全力で思考を働かせ己が内で持ち物を探る。
臭いを抑えるには、どうする?
これだ。
ファロスの仮面
多量の水を涙のように流し体を水浸しにするかの面であれば、汚れを洗い流し臭いを薄めるには丁度良いのではないか?
だが、水だけで清められるだろうか……聖水はどうだろう?汚れだけでなく穢れまでどうにかできそうな雰囲気はある。
ともかく、身を清めるに有用そうな聖水瓶を揃え臭気の根源だろう装備品を身体ごと洗浄する事に決めた。
しかし、臭いという観点から振り返ってみると中々に多種多様な汚物に塗れてきたものだと、内心
闇や呪いにも散々あてられた装備でもあるから、その辺りも気を使った方がいいかもしれない。
ある時期までは聖水など、生者すら焼く物騒な投擲兵器としか認識していなかったが……いつからだろう、時の流れの中で変質し、亡者とその性質を宿した者のみを焼くようになった。以降は、その水飛沫に清涼感すら感じるようになったものだ。
これまで清める手段として扱う事などなかったが、もしかすると、己が感知出来なかっただけで臭い消しの効果まで兼ね備えているかもしれない。
そうであれば、ありがたいものだ。
聖水瓶を手元に出す準備を整えた。
ドレスの女が注視する中、試しに瓶を一つ、頭上で砕く。
程よい清涼感が頭から足まで染み渡る。左腕が痛む。
続けて二つ割ってみせる。
焼かれる腕からじゅうじゅうと不穏な音が鳴るが、明確なダメージはない。特に支障はないだろう。
聖水瓶の消費はひとまず3つに留め、仕上げにファロスの仮面を被る。
頭に装着した面は頭部を起点に多量の水を垂れ流し、即座に聖水の名残ごと体表面を洗い流す。
ここまですれば、あるいは……
「どうだろう、臭うだろうか」
さあ、どうしたと両腕を広げ問う。体を包み込む爽やかな清涼感がそうさせるのか、何故か根拠のない自信が湧き立った。
それに対し、青いドレスの女は目を丸くし静かに驚く。
まさか、好き好んで臭気を纏っていたとでも思われたのだろうか?
いや、気持ちは分からなくもない。
バンホルトから友好の証として、あまり好ましくない臭い──穢れた瘴気や糞、充満する呪いとはまた異なるそれ──を放つ装備を手渡された時には思わず眉を
戦友とすら呼んでくれた気の良い友であったが、くれた装備は妙な匂いをできる限り記憶したくなかったがためにそう着用することはなかった。
友であっても許容しがたいのだ。初対面の彼女の反応も臭いに対してのものだとすれば、正しい物だと受け止める他あるまい。
「え、えぇ?……そ、そうね」
「……」
「……」
「……やはり駄目か」
女はどこか困惑した面持ちで固まっていた。
沈黙、自然が奏でる音と、ぱしゃりぱしゃりと己から発せられる流水の音だけが耳に響く。
何故だ。
いや、理解できなくはない。
ドラングレイグの地で目指す事になった不死の超越、王冠を巡る旅の最中、初めてファロスの仮面を被った者と出会った時、何故だろうか、近寄りがたいものを感じたものだ。
発汗も無しにずぶ濡れになり、常時体から流水を垂れ流し続ける様はある種異様に映るだろう。
そもそも言い回しもまずかったかもしれない。聖水の感触と大量消費はドラングレイグ以来であったためか、つい、当時と同様の
……まだ臭っているだけかもしれない。
もう一度聖水瓶の使用を試み「待っ、お待ちください」ようとするが、女に静止をかけられる。
「その……匂いは、確かに……落ちたように感じます……「!」生理的でない気配まで薄れて、代わりに何か……不思議な焦げ臭さが増しているような気もしますけれど……」
「つまり、焦げ臭さ以外は問題ないと」
「え……はい。少なくとも最低限は」
「……そうか」
どうやら成功したようだ。
初の試みであったが、過程はともかく結果的には確かな成功を収める事ができた。
またひとつ、未知を己が物とした歓喜を噛み締め我が身を震わせる。
"両手歓喜"!
女は再び硬直した。
バンホルト
月光のように、蒼く輝く刀身を持つ大剣を振るう戦士。
気に入ったのだろう防具を長く身に付け続けたせいか、すこし臭う。
他者の手助けを行う傍ら、蒼の大剣の真の力を見出すために修練と旅を重ねたという。
主人同様特別な才を持たない剣は、しかし、彼にとっての伝説であった。
その妄執は、ドラングレイグの
逃亡騎士
不名誉な逃亡騎士団。
惨めな逃避の末、散り散りにはぐれたのだろう。
ロスリックの地では野垂れ死んだ者、追いはぎに身をやつした者が見られる。
身に纏うボロ布の内、隠された金彫の意匠と黒金の甲冑からはかつての栄誉が窺えるだろう。
ただ追手に、恐ろしい苦痛と死に怯えるなら、少しでも楽な余生を送りたいなら、
だが、彼らは最後まで手放さなかった
土下座
土下座。
許しを乞うジェスチャー。
ロードランの時代から途絶える事なく受け継がれてきた誠意ある謝罪の形の1つ。
命乞い
体全体を使い大げさに許しを乞うジェスチャー。
土下座より気持ち発生の早さに優れ、大振りであるために伝わりやすさで勝る、可能性がある。
降伏や謝罪の際には若干のアドバンテージを得られるだろう。
ファロスの仮面
目から涙を流し続ける仮面。
身に付けた者はずぶ濡れになる。
水に濡れる事で火に強く雷に弱くなる。
体表の油や毒液を洗い流す事も可能。
また、どれだけ水浸しになろうとも仮面を外せば水気は瞬時に消え失せる。
どこから来て、どこへ行ったのだろう
聖水瓶
亡者の類いのみを焼く、神性を持つとされる清らかな水を込めた瓶。
癒しの水とまで呼ばれていたらしきそれは、不死人の亡者だけでなく、不死の肉を摂取したとみられる一部の呪いに蝕まれた獣などをも害する。
亡者に効果を持つのではなく、亡者の根源である
かつては、癒しの水の名とは相反する
それは神の悪意なのだろうか
どうだろう
どうだろう、見えるだろうか?
さあ、どうした
両の手を広げ相手を迎える堂々とした歓迎、または挑発に用いられるジェスチャー。
過剰なフレンドリーさと堅さを併せ持ち、妙なわざとらしさ、胡散臭さが滲み出る。
発汗
"激しい発汗"の名で知られる、多量の汗を放つよう身体に働きかける呪術。
混沌の魔女ではなく人間が編み出したという。
それは原初の呪術とは異なるあり方を持ち、体内で炎を作用させる呪術の基礎となったとされる
炎の力を取り込み、内なる力を活性化させる形で発動する。
この汗は炎を和らげ、だが水とは異なり雷をよく通す性質を持たない。
両手歓喜
体全体を使い喜びを表すジェスチャー。
足から手まで余す事なく力をみなぎらせ、勢いよく縦に伸びる。
準備運動代わりに扱う者もいるかもしれない。
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激しい発汗
見てくれが悪いためか、ドラングレイグでは見苦しい術として扱われていた
汗を出しきった末に放置すれば、おそらく体臭にも相応に影響を与える…かもしれない
呪術の火の性質か、
しかし、脱水症状のような行動に悪影響を及ぼす体の異常は一切引き起こされることはない
小人は生物として、現実のものとは根本的に異なるのだろう
???
汚れ
穢れ
芳醇な香りの中、満ち溢れる醜く邪な気、死の気配
死に触れる機会の多い者から見ても、常軌を逸している
正しい者は、それを良しとしまい
正しく、しかし寄り添える者がいたとして
おぞましいものを受け容れるものは、より醜悪なおぞましいものに他ならない
であれば、目の前のそれは──