―――人付き合いは疲れる。それを“彼”が悟ったのは、案外小さい頃であった。
轟々と音を立て、滝壺へ止めどない水が流し込まれる光景。
矮躯に対し、自然の力強さを感じさせる滝の様子に、何度も見た景色ではあるものの、少年は圧巻されたようにホゥと息を吐いた。
肌を撫でる風が心地よい。この切り立った断崖の傍へ来るまでに上がった体温を、潤った風が攫って行ってくれるような感覚だ。
慣れた感覚
されども、決して飽きはしない。
これもまた、少年が他人との関わりから逃げるようにして、この滝の近くに訪れている理由の一つであった。
少年は優しかったのだ。
どのような相手でも、言葉を選び、決して傷つかないように語る程度の配慮は、小さいながらも有していた。その分、少ない語彙で何とかやりくりしようと、他人よりも喋る速度が遅くなってしまうものの、それについては些細な問題である。
しかし、その無意識の内に行ってしまう無償の優しさに、彼は疲れてしまったのだ。
人付き合いはどうしても疲れてしまう。
いっそのこと、自然界に住まう動物たちと暮らした方が楽なのではないか。そう悟ってしまうほどに。
だから彼は、両親にさえ距離をいて、この滝の近くに入り浸っていた。
家庭に不満がある訳ではない。只、独りが好きだった。
一方両親は、独りで居ようとする少年に理解を示し、学校に居る時間以外はこうして自由に過ごすことを許している。
『好きに生きなさい。でも、偶には帰ってきてね?』
優しい微笑みを浮かべ、母はそう言った。
『シライトは大人びてるからなあ。まぁ、母さんに余り心配はかけさせるなよ?』
困ったような笑みを浮かべ、父もそう言った。
ある程度の自由、そして自立を認めてくれた両親に感謝の意を有し、現在少年は此処に立っている。
食料調達の為だ。
滝壺は底が抉れている為、激流に攫われてきた川虫などを求め、多くの川魚が集まっている。イワナやヤマメ辺りが釣れれば万々歳だろうか。もし釣れれば、食卓が賑わうというもの。
少年はフスーッと深呼吸してから、手製の釣り竿から餌を付けた糸を垂らし、釣りに勤しむ。
波紋が刻まれる水面に、巻き上がる霧が付き、細かな雫が点々と出来上がる釣り糸。
冷えた空気を吸い込み、火照った体を内側から冷やす少年は、長く伸びた濡羽色の髪の陰から覗く瞳、その眼光を鋭くした。
傍から見れば、真剣に釣りに勤しむ少年にしか見えない光景が出来上がる。
だが、一つ“異常”があるとすれば、彼が立っている場所が波紋の打たれる水面の上だということだろうか。
まるで其処にだけ透明なガラス板があるかのように、微動だにせず水面の真上に佇む様は、まさに自然と一体化しているかの如き光景。暫くすれば、自然に同化している彼を木とでも間違ったのか、小鳥が2、3羽飛来し、彼の肩に留まったではないか。
―――動かざること山の如し。
訪れたのは先程であるにも拘わらず、少年はまるで、遥か昔より其処に鎮座していた存在のようだった。
半開きの目。
普段なら、そろそろ乾燥して瞬きせざるを得ない生理的現象に見舞われることだったろうが、ここは湿気の多い場だ。半開き程度ならば、延々と瞳を開け続けていられる。
こうしてジッとしていることが、彼は好きだった。
何を為すにも、静かにしていられる方法を彼は選ぶ。
例えば勉学。他人が、暗記すべき文章を紙に書き写すとするならば、彼は文章を延々と凝視し、頭の中で反芻して覚える。見た上で書く―――それが暗記をするのに効率のいい方法だとしても、だ。
そして、それはあまねく“術”の礎となるエネルギー―――『チャクラ』に関する修行も然り。
同年代の忍者学校に通う少年少女たちが、素早く印を結び、口から火や水、風などを出す一方で、少年は『のんびりして覚えられる術はないかなー……』と考える人間だった。
無論、そのような心意気で覚えられる術などない。
だが、彼には心意気はあった。只、動きたくはないだけで。
そんなこんなで今に至る彼は、とどのつまり、チャクラのコントロールに長けているという才能を見出すに至った。
天賦の才があった訳ではない。地道に、マイペースに修行した結果、精緻なチャクラコントロールを可能とするに至ったのである。本人は、そのことを余り自覚はしていないが。
長くなったが、こうして彼が水面に立って釣りをしているのは、長年の修行の賜物ということだ。
自然と一体化し、自然の力を感じ取りながら、自然と集まる動物たち―――小鳥や、いつの間にか手首に登っていた小さい蛞蝓と戯れ(傍からはそう見えないが)、少年は悠々自適な生活を―――……。
「みゃあ゛あ゛ああああ!!?」
「ッ……!?」
突如、丸太と見間違うような少女が、激流に呑まれるようにして滝壺に落ちてきた。
派手な水柱を上げる少女。数秒後には、丸太と見間違うに至った体を露わにし、ゲホゲホと咳き込みながら水面に浮上してきた。
鮮やかな木の葉を思わせる黄緑色の髪。
健康的な樹木を思わせる褐色の肌。
そして……
「う゛ぇえ―――っほ!! え゛ほッ!! うぅ~、酷い目にあったっす~……ん?」
「! あ……えっと……」
「お? お? お~~~!? こんなところに人が!!」
自分と同年代と思しき少女は、濡れた体を気にもせず、太陽を思わせるオレンジ色の瞳を燦々と輝かせ、依然水面上に佇む少年に、バタフライで泳ぎ寄ってきた。
そして、状況を呑み込めない少年の前をふよふよと漂い、ニカッと白い歯を見せてほほ笑み、手を差し伸べてこう言い放つ。
「あっし、フウって言うっす! 友達になろうよ!」
「……え」
巻き上がった飛沫は、太陽に照らされて、煌々とした虹の架け橋を二人の間にかけている。
これが、滝隠れの里に住まう少年と少女の出会いだった。
***
「……これ……お茶、どうぞ」
「うぅ~、ありがたいっす……」
「……熱いから気を付けて」
「いやぁ、体冷えてる時はこのくらいアツアツのを……あちゅい!?」
(言ったのに……)
湯呑に口をつけ、一気に口へ流れ込む熱い茶に身悶える少女・フウを見遣り、少年は呆れたように髪の陰の瞳を細める。
邂逅は、余りにも唐突であった。
まさか、『親方! 滝の上から女の子が!』という出会いを想像する人間が居るだろうか? いや、居ない。少年も例外に漏れず、滝壺に落ちて数秒で友達申請をしてきたフウを前に、状況を呑み込めずに居た。
しかし、あのまま自分と同年代の年端も行かないフウをずぶ濡れのままにはできないと、滝近くに建造した小屋へ招き入れ、淹れたての茶を差し出したのだ。
結果、フウの舌は火傷する結果になったが。
「……ちょっと冷ますっす」
「……うん……それがいいよ」
犬のように舌を出し、ハーッハーッと涙目で息をするフウを前に、少年は慣れた様子で囲炉裏の火を熾す。
赤々と燃える日を前に、ずぶ濡れになったことで冷えた体を温めるフウ。
彼女は、茶を吐息で冷ましつつ、音を立てて茶を啜った。いや、垂れてきた鼻水を啜ったのかもしれない。
どちらにせよ、彼女の一挙一動が『寒い』と訴えている為、少年は自然と囲炉裏の火をより大きく熾す。
「ふぅ~……冷えた体に染み渡るっす。でも、ちょっと温まってきたら欠伸が……ふぁ……はくしょん!!」
(……くしゃみだ)
欠伸をするかと思いきや、勢いがいいくしゃみをしてみせたフウは、『うぅ~』と呻きながら鼻の下を指で擦る。
―――色々と忙しい子だ。
それが、少年のフウへ抱いた印象だ。
良い言葉に言い換えれば、“天真爛漫”が合うのかもしれない。
だが、そのような性格の者は、彼にとって苦手な人物に分類される。
(早く帰ってもらいたい……でも、追い出すのはアレだし……)
水に濡れ、寒さで身を震わせる少女を追い出す。流石に、そのような鬼畜の所業をする少年ではない。
ならば、手っ取り早く面倒を看てあげて、彼女が帰路へつけるぐらいの状態まで戻してあげよう。
そう考えていたからこそ、わざわざ秘密基地同然だった小屋にまで招き入れ、こうして共に囲炉裏を囲んでいたのだ。
「……大丈夫?」
「ん? あぁ、もう割と温まってきたっす! びしょ濡れで、外を歩くに忍びない感じからは……ん、忍びない? 忍びない、忍びない……は! もう忍びなくないっす! 忍びだけに!」
「……えと……その……君って忍びだったの?」
「は!? そもそもその前提を言ってなかったっすね!」
困った笑みを浮かべる少年に、今世紀最大と思えてしまうドヤ顔を浮かべていたフウは、しまったと言わんばかりに声を上げる。
しかし、やってしまったという顔もつかの間、少年に借りて羽織っていたタオルを脱ぎ去り、元のローライズな服装を露わにした彼女は、グッと胸を張ってみせた。
「ふふふッ、何を隠そう! あっしが滝隠れの里の忍びこと、フウっす! ……まだ下忍にもなってないっすけど」
「……そうなんだ」
「夢は世界の皆と仲良くなることっす!」
「……そ、そうなんだ」
「だからフウと友達になろうよ!」
声高々に色々宣言するや否や、囲炉裏の向かい側に座っていた少年に駆け寄り、頭を垂れて右手を差し出すフウ。
やや押され気味の少年。
なにやら“友達”という存在に対して、不自然な程までの執着を見せている少女を前に、数秒思案する。
―――友達になろうよ!
―――いいえ、嫌です。
そんなやり取りをする者が果たして居るだろうか? よほどひねくれている子供でなければ、純情から言い放たれる友達申請を断れるハズもない。
「う、うん……いいよ」
だからこそ、少年は己の本心に関係なく、申出に対して首を縦に振った。
「ホントっすか!? ひゃっほ~い!」
「っ……!?」
するとどうだろうか。頭垂れていたフウの顔に笑顔が咲き誇り、小屋が揺れるほどに華奢な体が跳ねまわり始めるではないか。
そして一通り小屋の中を跳ねまわった後に、ぜぇぜぇと息を荒くするフウは、上気した頬を浮かべたままズイっと顔を少年の眼前に迫らせる。
「あっし、今まで屋敷の中ばっかりに居て、里の子と友達になる機会がほとんどなかったんす……」
「う、うん……」
「唯一いつも一緒に居る子も、あっしに全然心を開かず友達って認めてくれなくて。それで寂しくて……でも、ようやく友達第一号ができたっす! これはあっしの人生においての快挙っすよ!」
「うぅん……」
終始気おされる少年。
そんな彼を前に、フウは再びハッと何かに気が付くように、あっと声を上げた。
「そう言えば……名前聞いてなかったっすね! 名前、教えてほしいっす!」
迫真の表情での肉迫。
荒い鼻息が、少年の前髪をそっと揺らす。
「えと……シ……」
「シ?」
「シライト……」
「ほ~! シライトって言うんすか! じゃあ、早速遊ぼうよ!」
「……え?」
「トランプ!? すごろく!? ……ってああ、家に置いてきちゃって今無いっす。あ、ちょうど水場の近くっすし、水切りしようよ!」
「え、ちょ……」
「やっほ~やっほ~! やっほほいのほ~い!」
「いだだだだっ……!」
ハイテンションなフウに手を引かれ、半ば強制的に外へ連れ出される少年・シライトは、裸足のまま外へ出向くことになってしまった。
―――この時、追加されたフウへの印象。
―――それは、『少々強引』だ。
***
(……結局あの子はなんだったんだろう?)
謎の少女・フウとの邂逅から数日後、シライトはいつものように里の入り口に当たる滝の近くで、釣りをしていた。
しかし、ふとした瞬間のあの少女の顔が脳裏を過る。
以前、フウに無理やり連れ出され、遊びに付き合わせられかけた訳なのだが、その時里からやって来た数人の忍びに彼女は連れていかれてしまったのだ。
『遊びたいっすー!』と喚く少女であったが、大の大人に力で敵う訳もなく、フウはそのまま引きずられる形で里の中へ引きずり込まれていった。
(……僕と……真逆だ)
魚が餌に食いつき、釣り糸がピンと張る。
だがシライトは、フウのことで頭が一杯だった。
閉鎖的な性格で、他人との関わりを避けて、自由に悠々自適な時間を過ごす自分。
開放的な性格で、友達と一緒に遊びたいのに、何かに縛られている彼女。
対照的な少女の姿、そして自分へ向けてくれた純朴な笑顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
―――あの子は一体、今どこで何をしているのだろうか。
「ジャジャジャジャーン!」
「……?」
ふと、頭上から響いてくる少女の声。
決して聞き慣れたとは言えないが、印象強いその声を思い出すのに、そう時間は必要なかった。
徐に滝の上を見上げれば、断崖のちょっとした出っ張りの上に、たった今考えていた少女が仁王立ちしているではないか。
「遊びに来たっすよ~!」
「あ……うん」
「今そっちに―――」
フウの言葉に、茫然と頷きかけたシライト。
一方、了承の言葉に笑みを咲かせ、軽快な動きで出っ張りを下り次いで行くフウであったが、崖の中腹辺りでツルッと足を滑らせた。
「あ」
「あ……にゃあ゛あ゛あああ!!? ぼびゃん!!!」
落ちる体。派手に巻き上がる水柱。デジャヴだ。
名状し難い気持ちを抱いたシライトは、何とも言えない顔のまま、たった今フウが落水した場所へ、水面に波紋を刻みながら歩み寄っていく。
そして、ちょうど彼女が落ちた当たりに辿り着くや否や、おでこに髪を張り付かせ、鉄砲魚の如く水を口から噴き出しながら、フウが水面に浮上してきた。
「……大丈夫?」
「ぴゅ~~~……はははっ、またやっちゃったっす☆」
「……えっと……また小屋に来る?」
「ふっふっふ、遠慮なく!」
キメ顔で言うことなのだろうか?
やけに決まった雰囲気を漂わせる少女を前に、シライトは釣り竿を肩に担ぎ、引きつった笑みを浮かべるのであった。
***
二度目のフウの訪問。
前回とは違い、既に友達認定をもらった彼女の挙動は遠慮がなくなっていた。具体的に言えば、小屋の主であるシライトよりも早く畳の上に上がり、堂々と胡坐で座る程度に。
些細と言えば些細。
だが、問題なのは彼女がずぶ濡れなコトだ。水も滴るカワイイ子。髪や指先から雫を滴らせる姿は非常に絵になるが、その所為で小屋の畳に水が零れるのは忍びない。
「あの……これで体拭いて」
「ん? お~、ありがたいっす!」
「ううん……別に……」
受け取ったタオルで豪快に髪の毛を拭き始めるフウ。
その豪快さは、どこか水に濡れた後、体を震わせる犬を彷彿とさせた。
―――嗚呼、そう言えば犬っぽい。
じゃれたくて仕方がない子犬。
脳内で、そんな子犬とフウの姿が重なるのを幻視する。
閑話休題。
「シライト! 何して遊ぶっすか!?」
(切り替えが早い……)
髪の水気がある程度取れるや否や、フウは燦々と輝かせる瞳を浮かべ、シライトに近寄る。
こうグイグイ来る人間が、彼は苦手だ。嫌いという訳ではない。だが、出来る限りマイペースに過ごしていきたい彼にとって、全てを巻き込み駆け抜けていく旋風を思わせるフウの性格は、致命的に相性が悪かったとでも言おうか。
本心を言えば、早々にお引き取りを願いたい。
しかし、つい先日友達第一号となった相手に、無残に遊びの申出を断られたら彼女はどれだけ寂しい思いをするだろうか。
そう考えただけで、シライトの頭から遊びを断るという選択肢は消え失せた。
「じゃあ……釣りでも……」
「釣りっすか!? あっし、釣りするの初めてっす! なに釣りっすか!? 川釣り? 渓流釣り? それともまさか、海釣りに!?」
「……海は……流石に……ちょっと無理があるかな。その……距離的な問題で」
滝隠れの里から海まで、どれだけの距離があると思っているのだろうか。
呆れを超え、何かを悟ったように微笑むシライトは、小屋の中に立てかけてあった手製の釣り竿を手にし、フウと共に外へ出る。
(……背中に刺さる期待の視線が……重い)
何事もないかのような表情のシライトだが、内心、背後でワクワクと体を上下に弾ませるフウの様子、そして彼女の視線に、これまで感じたことのないプレッシャーを覚えていた。
(多分……釣れなかったら……あの子落ち込む)
会って二度目。だが、反応の予測はついた。ついてしまった。
うら若き女の子を悲しませるのは忍びない。シライトは忍びではないが。
「……まあ……とりあえず、これ持って……」
「ひゃっほー! これを水に向かって投げればいいんすね!?」
「うん……あとは……ひたすらに待つ」
「オッケーっす!」
しかし、釣りとは忍ぶことと同義。
釣れる前提の釣り堀とは違うのだから、一先ず釣り糸を垂らさないことには始まらない。
そう考えたシライトから竿を受け取ったフウは、すぐさま勢いよく竿を振るった。その辺りに落ちている木の枝に糸を括り付けるというちゃっちな作りの竿ではあるが、これまでに何度もイワナや鮎を釣り上げた実績の竿だ。多少雑に扱われたとしても折れない……ハズなのだ。
「いつ釣れるっすかね!? いつ釣れるっすかね!?」
「……時と場合による。すぐに釣れる時もあるし……小一時間釣れないこともあったりするから……」
軽快なサイドステップを刻むフウを前に、座禅を組んでいたシライトは端的に事実を述べる。異常に軽快なサイドステップが気になって仕方がないが、『落ち着きがないのだろう』、そう納得するだけに留まっておくことにした。
一方でフウはと言えば、途端にサイドステップを止め、げんなりとした表情でその場に座り込んだではないか。
「はぁ~……釣りって意外と忍耐なんすね」
「……うん……残念ながら。でも……それが釣りの醍醐味っても言うし……」
「それもそうっすね。じゃあ、待ちがてら、おしゃべりしよう!」
「……え……あ……うん」
秋空の如く移り気。
シライトとは違い、ジッとしているのが苦手なのだろう。目に見えて燥いでるフウは、竿を片手に携えたまま、少し大きめの石の上で仙人のような佇まいのシライトに駆け寄る。
「早速っすけど、一つ聞きたいことがあるっす」
「……うん?」
「シライトは忍になる予定はあるっすか?」
「……ううん、ないけど……」
ドキドキとしながら待っていた少女の顔に、あからさまな絶望が浮かぶ。
なんなのだろう。自分が忍にならないという事実が、それまで他人に不都合を与えてしまうのだろうか。シライトは、只々困惑することしかできない。
「そんなにチャクラコントロール上手いのにっすか?」
「……あ……うん」
「ふーん、てっきり忍になるとばかり……。あ! そう言えばこの前、あっしが忍目指してることは言ったっすよね?」
「……そう、なんだ……君ならきっと良い忍になれると思うよ……多分」
「お? そっすか!? イヤイヤ、見る目あるっすね~!」
世辞とも分からず、ドヤ顔を浮かべるフウ。
(と言うか……忍者学校に通うなら見かけないハズだ……)
こんなにも特徴的な外見、一度は見たら忘れないだろう。それでも記憶を掘り下げて心当たりがないと思えば、通う学校がそもそも別なようだ。
(……アレ?)
しかし、ふと覚える違和感。小骨が喉に引っかかるような感覚を覚えながらも、その正体を掴むことができないシライトは、思考を別の方向へ向ける。
彼が通っているのは、言わば普通の子女が通う学校。要するに、一般教養を学ぶどこにでもあるような場所だ。
対して、忍者学校はその名の通り、この世界で跋扈する仕事とも言うべき忍びを育て上げる為の教育機関。滝隠れの忍者学校は、木ノ葉と比べてしまえば明らかに見劣りしてしまう規模ではあるが、かつては優秀な上忍を輩出したとのことで、歴史自体は長いらしい。
「……忍びになる勉強は楽しい?」
「ん~、どうなんすかね? 術の勉強だったりは楽しいっすけど、用語を覚えたりするのは大変っす……」
「……そっか……学校楽しい?」
「へ? ガッコー? あっし、ガッコー通ってないっすよ?」
「……え」
驚愕の事実に、シライトの瞳は大きく見開かれた。
―――そう言えば、自分のことを『友達第一号』って言ってたっけ……
これほどまでに明るい少女が学校に通っているとして、つい先日までほとんど接点のなかったシライトが、果たして友達第一号となれるだろうか。否、不可能だ。
大衆の面前で極度に緊張したり、学校ではすさまじく性格が悪いと言うのであれば話は別だが、彼女のような天真爛漫な少女に、友達ができないハズがない。
違和感の正体はこれだったのだ。
「あっし、屋敷の中で里の忍びの人に色々教えてもらってるっす! 勉強も忍術も。後はそうっすねぇ……体術もっす! 他には生け花とかもするんすけど、どうも性に合わないと言うか……」
「……お嬢様なの?」
「うん?」
「……ううん……なんでもない。差支えはない……と思う」
「そっすか!」
ニカッと笑うフウを前に、シライトは一つ予想を立てた。
里内の情勢に疎い―――興味がないと言った方が正しいが―――シライトではあるものの、籠の中の鳥同然に扱われているのだと仮定すれば、明るい性格にも拘わらず友人が極端に少ない事に理由がつく。
品があるとは言えない。ただ、年相応と言えば話はつく。
要するに、フウは里の良家のお嬢様なのではないだろうか。依然、いざ遊ぼうとした時に、わざわざ里の忍びが迎えに来たのも、重要な人物であるからこそ、引っ張ってでも連れて行ったと考えることもできる。
―――ただ、空気のようにフワッとした友人関係を築く上では、なんの支障もない。
不本意な形で友人にはなってしまったが、適度な距離で付き合っていく分には、踏み込んだ情報も不用意な詮索も必要ない。
(他に友達ができてくれればいいんだけど……)
早々に、彼女に別の友人を作ってもらい、そっちに気を向けて欲しいトコロだ。
などと、シライトが考えている時だった。
「お!? これは……引いてるっす!」
クンッ、と揺れる竿先。
同時にピンと糸が張り詰め、途端に水面に垂れていた糸が暴れ始める。よく水面に目を凝らせば、澄み渡った水の中を、一つの魚影が元気よく泳ぎ回っているではないか。
「ひゃっほ~! これは大物っすよ!」
目に見えてテンションが上昇するフウは、辺りの林に響きわたるほどの甲高い声を上げ、かかった魚を引き上げようと、腕に力を込めた!
が、
―――ブチッ。
張り詰めた糸が千切れる音が、虚しく響き渡った。
二人の『あ』という呆気にとられた声も、近くの滝の轟音に呑み込まれ、一層の空虚感を辺りに漂わせる。
(……案外……脆かった……)
遠い場所を見遣る瞳を浮かべるシライトは、気付かぬ間に釣り糸へ訪れていた寿命を、たった今悟ったのだった。
思い返してみれば、今まで自分は釣り針に食いついた魚を引き上げる際、ほとんど抵抗していない時を見計らっていた。
しかし、フウは魚との真っ向勝負に臨んだ。その釣りスタイルの違いが、糸が千切れてしまうという結果に出たのだろう。
何とも言えぬ空気が、二人の間に流れる。
すると、軋む扉の如く鈍い動きで振り返ってきたフウが、釣り竿を肩に担いでシライトへ肉迫した。
それこそ、互いの鼻先がくっつくのではないかと思うほどに。
「シライトォ!!」
「ひッ……!?」
不意の怒声に身を強張らせるシライト。
魚一匹釣りあげられぬ程にボロイ竿を渡したことへの非難だろうか。
そう身構えるシライトであったが、次の瞬間に彼が目にしたのは、涙目で合掌するフウの姿であった。
「ごめん!! 釣り竿、壊しちゃったっす~~!!」
「え……あ……そう、だね……」
「許してほしいっす! この通りっすから~~~!!」
だが、シライトの予想から大きく外れ、フウは涙を流しながら謝罪の言葉を口にし始める。
「ごの釣り竿、直すっすがら~~~!!」
「う、うん……でも……そんな泣かなくても大丈夫だから。割と……適当に作ったものだから……別に直さなくても大丈夫だし……」
「う゛ぅ~、ありがどォ~! 器がデカいっすね……ぐすんッ」
必死な様子のフウに、一時理解が追い付かなかったものの、友達第一号の所有物を壊し、その上で絶交でもされたのであれば、彼女の様子も理解できるというものだ。
泣きじゃくる美少女ほど、見るに堪えないモノはない。
そう考えて選び、投げかけた言葉から、結果として彼女の中の自分のイメージが『器が大きい』となってしまったようだ。
(……アレ……なんか、嫌な予感が……)
この時、シライトは虫の知らせを感じた。
そしてそれは、後日明らかになる―――。
***
とある晴れた日。
「あっしが来たっすよー!」
(……今日は……最初からずぶ濡れだ……)
滝の裏の洞窟から出てきたフウが、水をひたひたと体から迸らせながら、釣りに勤しむシライトの下へ駆け寄って来た。
どこから出てきたのかと問いたくなる瞬間であったが、彼女曰く、『あっし位になれば、里の秘密の抜け道の一つや二つ知ってるっすよ!』とのことだ。
その抜け道がというものが、里内の湖に素潜りし、滝裏の洞窟に続く水路を通る手順を踏まなければならないらしく、現在の水も滴るイイ少女状態に至っている。
「シライト! 今日は頑丈な釣り糸を持ってきたっす!」
そう豪語するフウ。
すると彼女は、両手の人差し指を合わせ、
「ふんぬぬぬ……ふにゃあ゛あああ!!!」
と、謎の雄叫びを上げ、そのまま両腕を勢いよく広げた。
―――すると、なんということでしょう。指の腹を繋ぐ、一本の糸が現れたではないですか。
「ジャジャジャジャーン! これが、あっしが勝手に友達と呼んでいる子から教えてもらった、チャクラを練り合わせて作った糸っす!」
「……そう、なんだ……」
少女の前の、堂々とした糸引き。
何故か、卑猥に思ってしまったシライトなのであった。
そして、今度はとある雨の日。
「ふはははッ! 子供は風の子元気の子! 雨くらいであっしを止められると思ったら大間違いっす! へっくちっ!」
「……風邪……引いちゃうから……小屋入っていいよ」
「お言葉に甘えるっす……ズビッ」
言わずもがな、びしょ濡れのフウが滝の上から下り降りてきた。
何故なのだろうか。会う度に、自分に会いに来る少女は濡れているような気がする。
自分は水遁など扱えないのだが……そのような現実逃避気味な考えをして、小屋へ少女を招き入れたシライトは、一夜干しした鮎を焼き、わざわざ雨の日に訪れてくれた少女をもてなした。
「旨いっす! あっし、こんな旨い干物食べたことないっす!」
「……お気に召したなら……嬉しい」
ホカホカとしたフウの笑みが、シライトの脳裏に強く焼き付いた瞬間だった。
更には、とある紅葉舞う日。
「チャクラの糸を用いたあっしの業……その名も、“
「す……すと……り……?」
「“巣戸輪具夫麗巣派井田亜米尾井”っす!!」
(……二回聞いても……聞き取れない)
依然用いたチャクラの糸なる代物を扱い、巷で人気の“用々”という玩具を参考にした業を見せるフウを前に、シライトは呆気にとられる。
何やら、印のように複雑に組み合わせられた手と糸の間で、グルグルと回り続ける穴の開いた貨幣。
シュール。その一言が合う。
「フフンッ……♪」
フウのドヤ顔も合わさり、シュール具合はより一層強まっていることも追記しておこう。
そして更には、しんしんと降り注ぐ粉雪に、滝隠れの周りに映える林が白化粧された日にも。
(なんか……翅を生やしてきた……)
すっかり季節は冬。にも拘わらず、相も変わらずローライズな服装のフウは、腰の辺りから七色に煌めく透き通った翅を羽ばたかせ、滝の流れに沿うように降りてきた。
色々と聞きたい所はあるが、あれも“術”とやらなのだろう。
『どうっすか!?』と良い笑顔で聞いてくるフウに対し、『凄いね』とだけ答えたシライトは、寒さを我慢している様子の彼女を、そのまま小屋へ招き入れ、茶を振舞うこととなった。
「……えっと……他に友達居ないの?」
「ギクゥッ! そ、そそそそ、そんなことないっす」
週一ペースでやって来るフウ相手に放たれた、『もしや』と考えたシライトの問い。
ビクンと肩を跳ねさせる彼女の姿を見れば、彼女の交友関係を推し量れるというものだ。
「……意外と……友達少ないの?」
「ふぅ、それほどでも」
「あの……褒めてはいないことは……ご理解の上で?」
「……あっし、勿論里の皆と仲良くなりたいっす!」
「う、うん?」
「でも、誰と友達になろうか目移りしている間にも、設けられた自由時間は減っていくっす!」
「う……うん」
凄まじい剣幕で顔を寄せてくるフウに、気の弱いシライトはタジタジだ。
しかし、フウが憤るも束の間、シュンと悲しそうな顔になって、両手をシライトの肩に置くではないか。
「……ウンウン悩んでる内に、結局はココに来ちゃうんすよねぇ~。やっぱり、友達第一号は特別な感じするっすもん!」
「……そっか」
―――この時、少しばかり嬉しく思ってしまったのは何故なのだろう?
「何事も、友達と一緒にやるのは楽しさ倍増! 一人で遊んでも楽しくないっす。一人で食べ物食べても、全然旨くないっす」
―――この時、じんわりと胸の内が温まる想いをしたのは何故なのだろう?
「やっぱ、こうして友達と居るのがイイんすよ。こうして、二人の思い出が積み重なっていく感覚が、あっしにとって特別楽しくて……んでもって、こう……嬉しくもあるんすよ!」
―――この時、彼女が“優しくしてあげなければならない”存在から、“優しくしてあげたい”存在に変わったのは何故なのだろう?
「んんっ、自分でも何を言いたいかよく分からなくなってきたっすけど、要するにシライトは、あっしの大事な友達ってことっす!」
―――解は明確。それは『友達』だからだ。
彼女は、自分のことを友達と思ってくれている。子供が友達と遊びたいと望むのに、なんの不自然があるだろうか。
彼女の瞳は真っすぐだった。
彼女の瞳は純粋だった。
故に、気付かぬ間に惹かれてしまっていたのかもしれない。
「……そっか」
「そうなんすよ~」
「……じゃあ、偶には里の中で遊ぼうか」
「え?」
「……他の子と、友達になれるかもしれないから」
「そそそ、それは! 願ってもないことっすよ! 早速行くっす! ゴーゴー! ハリーアップ!!」
「いだだだだっ……!」
瞳を輝かせ、シライトの肩を叩いて急かすフウは、そのまま腰から翅を生やして里の中へ入る道へ向かって飛び立っていく。
二人が駆けていく背後では、すっかり雪が止んでいた。
同時に、天に浮かぶ雲の合間から覗く光によって、虹もかかっていたのだが、今の彼らは虹よりも眩しいモノを求めていたコトは、言うまでもないだろう。