魔銃使いは迷宮を駆ける   作:魔法少女()

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第一六七話

 石材の軋る音色と共に、ベルが地下通路の石造りの扉を押し開ける。

 隙間から差し込む赤い光に目を細め、久々に感じる屋外の空気の気配に重苦しい気分がほんのわずかにだが回復した、気がする。

 

「やっと出れた……」

 

 ベルが呟きながらも周囲を見回して、人影が無い事を確認すると上から手を差し出してきた。

 

「ミリア、春姫さんも」

 

 ベルの手を掴み、地上に引き上げてもらう。

 場所は裏路地の一角。見上げた空は建物の形に切り取られ、茜色に染まっていた。

 時刻は既に夕方。ヴェルフやリリが無事であるのなら、既に【ガネーシャ・ファミリア】や【ロキ・ファミリア】が動いていても良い筈なのだが、抗争(ドンパチ)の気配は無い。

 周囲の娼館は使用されていないのか、外壁が僅かに剥がれ落ち、劣化しているのが見て取れた。……この場所は女神イシュタルが滅ぼした他の美の女神達が仕切っていた一帯だろう。

 半分廃墟化した娼館に囲まれながら、ベルが声を出した。

 

「本当にありがとうございます、春姫さん。ここまで連れてきてくれて……」

「私からも感謝するわ。本当にありがとう」

 

 あのままフリュネに弄ばれていたら、と考えるだけで背筋がぞっとする。物理的に背中がじくじくと痛むが……。

 石畳に溶け込んでいる扉を閉めつつ、耳を澄ましてみるが見事に静寂に包まれていた。ガネーシャ様やロキは動いていない? ヘスティア様はどうしているのだろうか。もしかして、俺が他派閥に伝えるのを控える様にお願いしたから、黙っている可能性……いや、なんで襲撃を受けたんだ? …………今、考える事ではないか。

 

(わたくし)がやりたかっただけでございます。お気になさる必要はございません。それよりも、早くここからお逃げになってください」

「でも……」

「ミコト様の事も、必ず(わたくし)がなんとかしてみせますので」

 

 ベルが春姫を見て迷う様な言動を繰り返している。もしかして、ベルも違和感は抱いているのだろう。

 ミコトの事もそうだが、まずは此処から脱出しないといけない。

 ガネーシャ様が動いていないのはギルドに足止め喰らってる可能性があるが、ロキの方は動いていてもおかしくはない……もしかして、ヴェルフ達が無事では無かったか? それとも、襲撃者が誰か判別できていなかったか。

 どちらにせよ、今すぐこの娼館街から抜け出して連絡を取らなくては。今の戦力で春姫を救うのは難しい。だが、ガネーシャ派閥やロキ派閥の助力を得れば────今ならイシュタル派が仕掛けてきたという理由で大手を振って動ける。

 

「春姫さんっ、やっぱりこのままじゃあ、貴方が……」

 

 真っ直ぐな瞳で、その奥に困惑と焦燥を混ぜ込んだ色を宿し、少年が説得する様に言葉を続けようとして、上手く言葉が出てこずに尻すぼみとなって途切れた。

 ベルが訴えかけてくるように此方に視線を向けてくる。なんとか春姫さんを連れて行きたいという意思を感じるが────無理だろう。春姫の首に付いているのが、ただの装飾品(アクセサリー)だとは思えない。

 

「……クラネル様、これを見てください」

 

 何となく、察してはいた。春姫が自らの首に付けられた黒い首輪(チョウカー)を示して申し訳なさそうに言葉を紡ぐのを見て、確信に至る。

 

「これは(わたくし)の居場所を伝える、魔道具(マジックアイテム)……見えない鎖に繋がれた『首輪』にございます」

「えっ……?」

(わたくし)の行き先は常にイシュタル様達に筒抜けなのです。歓楽街から一歩でも外に出れば音を立てて鳴り響き、首を焼いて身動きを封じ、追手の方々が駆けつけてくるでしょう」

 

 ────想像以上だった。

 首を、焼く? 一定範囲から出た場合に警報が鳴る。までは想像していたが、まさか身動きを封じる為だけに首を焼く機構まで取り付けられているなんて、惨い。

 それほどまでに、春姫に逃げられるのを、奪われるのを警戒しているのか、イシュタルは。

 

「気付かれてしまえば、ここにもきっと、すぐに誰かが追ってきます」

 

 だから早く逃げて、と。気丈な微笑みを浮かべた彼女は言った。

 

(わたくし)はここまでです」

「そん、な……」

 

 呆然としたベルの呟き。そして、気丈に微笑む春姫の表情。

 胸がギチギチと音を立てる程に締め付けられ、息が出来なくなる。もっと、もっと早くに気付いて、もっと強引な手段でも何でもいいから春姫をここから連れ出せていれば────いや、まだだ。

 まだ終わってない。春姫は絶望に暮れてはいても、命までは失っていない。直ぐに脱出し、ロキやガネーシャ様の派閥の協力を得れば、彼女を救う事が出来る。

 

「ベル、行きましょう。今は引くしか無いです」

「でもっ」

 

 ベルの手を引いてこの場をいち早く立ち去ろうとするが、恐ろしい想像に行き付いたのかベルはぎゅっと拳を握ってその場から動こうとしない。否、動けなくなっていた。

 

「っ……クラネル様、さぁ早くっ」

 

 春姫も急き立てようとして、カタンッと、半分廃墟化していた娼館の外壁の一部が崩れ落ちて音を立てた。その音の出処に視線を向け、顔を上げると人影が一つ。

 

「ベル殿ッ、ミリア殿ッ!!」

 

 切迫した声を放ちながら娼館の屋根から飛び降りてくるミコトの姿があった。

 すわ敵かと警戒していた俺は思わず息を吐き、険しい表情を浮かべたミコトの様子に嫌な予感を感じた。むしろ、合流できたことを喜ぶべき場面だと言うのに、舌の根が痺れるような、重たい嫌な予感。

 

「ミコトさん!?」

 

 服装が随分と変わり、何故か膝上丈しか無い若干卑猥な着物に身を包んでいる事に意識を向けて嫌な予感を無視する。

 そんな俺を他所に、まるで春姫が俺達と共に居る事を確信していた様に、彼女は同郷の幼馴染を見据えた。

 

「ミコト様……」

「春姫殿、聞きたい事があります」

「……何でしょうか」

 

 喜びの再会、等と言う雰囲気ではない。

 余裕が微塵も無い絞り出す様なミコトの問いに、春姫が表情を、感情を消した無機質な声で応える。

 

「……『殺生石』」

「ッ!!」

 

 春姫の変化は、余りにも劇的だった。

 肩を震わせ、目を見開き、俯いて黙り込んでしまう。

 『殺生石』、その単語に聞き覚えがあった。『狐人の妖術の効果を上げる』と言う代物だったはずで……本当にそうだろうか? 何か見落としていないだろうか。

 ふと湧き上がる疑問は、先ほど感じた嫌な予感と交じり合って思考をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。

 春姫の様子を見たミコトは、今にも泣きだしそうな表情を浮かべ、何のことかわからず置き去りになっているベルが交互に春姫とミコトを見た。

 

「馬鹿なっ、嘘だと言ってください! 貴女が犠牲になるなんて!?」

 

 ミコトの悲痛な問いかけに、春姫は俯いたまま沈黙して何も否定しようとしない。

 名を呼び、詰め寄ろうとして────聞き覚えの無い声が響いた。

 

「──やっぱり、そういう事かい」

 

 弾かれた様に魔法の詠唱を行おうとして、突然目の前に現れた黒髪をなびかせる女戦士に瞠目するのと同時。

 

「【ショットガンマ────ごひゅっ!?」

 

 喉に向けて放たれた手刀による突き。的確極まりない詠唱妨害に魔法は発動すら許されずに咽込み、詠唱を封じられた。

 そうしている間にも、呆然としていたベルと、突然の出来事に反応出来ないミコトの目の前から、女戦士は春姫を掻っ攫って娼館の屋根の上に飛び上がった。

 

「全く、いつから面識があったんだか……」

 

 現れたのは、左手に大朴刀を持った【麗傑(アンティアネイラ)】、Lv.4に届きうると噂されるLv.3のアマゾネス。

 愚痴を口にしながらも、彼女は春姫の頭を胸に抱き寄せている。

 

「アイシャさん……っ!」

 

 抵抗されぬ様にと鍛える事を禁じられていても不思議ではない、故に春姫はLv.1だろう事は想像に易い。故に、格上のアイシャ・ベルカに抱き込まれた彼女は動きを封じられて逃げられない。

 逃がさない様に春姫を抑え込んでいる────だが、彼女はまるで春姫を守っているかのようにも見えた。

 

「知っちまったようだね、私達の計画を」

「っ……それじゃあ」

 

 詳細については不明だが、春姫を犠牲にして何かを成そうとしているのはわかった。

 屋根の上、茜色に染まる空を背景に女戦士は見下す様に此方を見下ろしてくる。まるで、奪えるものなら奪ってみろとでも言いたげに大朴刀の切っ先を此方に向けながら────待て、なんで彼女は初撃で俺を仕留めなかった?

 喉の痛みから詠唱どころか、問いかける事も出来ずに彼女を見上げていると、ベルが声を張り上げた。

 

「どういうことなんですかっ、春姫さんが犠牲になるって……一体!?」

「……全て主神(イシュタル)様の御心のままに、ってことさ。この春姫と────」

 

 神のまにまに、仰せのままに。そう言いながらもどこか不満を抱いているかのような雰囲気の女戦士の視線が此方を捉えた。真っ直ぐ、俺を見て、彼女は目を細めて哀れむ様に呟く。

 

「そこの【魔銃使い】を使って、敵対派閥(フレイヤ・ファミリア)を滅ぼす」

 

 ────は……?

 あまりにも意味不明な彼女の発言に、ベルもミコトも、抜け出そうともがいていた春姫ですらも動きを止めた。

 俺を、使って? 使()()()

 困惑が全てを覆い隠して硬直する中、アイシャは計画を話し始めた。

 ──俺と、春姫の魂を『殺生石』という魔道具(マジックアイテム)に封じ込め。

 ──『妖術』とまで謳われる狐人(ルナール)の魔法を行使できる破片を量産して。

 ──その力をもって、美神(イシュタル)様が目の敵にしている【フレイヤ・ファミリア】を壊滅させる。

 都市の頂点に君臨する女神フレイヤを目の敵にしているのは知識としては知っていた。けれど、それを成せる程のモノは……いや、春姫の魔法だけじゃない。

 俺の、魔法も? …………戦争、遊戯、あの時か、あの時、美神(イシュタル)は俺に目を付けて────待て、だがどうして? 『殺生石』とは何だっ!?

 俺の知る効果と違う。否、俺の知る効果が()()()()()()のかっ!?

 

「ミリアを、使う…………?」

 

 馬鹿じゃねぇの。俺に手を出すって事は【フレイヤ・ファミリア】以前に、【ロキ・ファミリア】や【ガネーシャ・ファミリア】を敵に回す事になるんだぞ。

 いくらなんでも大言壮語が過ぎる。

 春姫の持つ『力』がどんなものかはわからないが、俺の魔法に関しても使用法次第で使い道はあるがそれは決定打としては……十分か。遠距離砲撃を連発されたらキツい、とフィンも冗談交じりに語っていたぐらいだ。

 

「全てだ、敵対した派閥は全て……滅ぼす。それが美神(イシュタル)様の神託さ」

 

 ────ぶっ飛んでる。

 とても、とてもではないが正気とは思えない。もしや、それほどまでに春姫の『力』は凄いモノなのか?

 

「で、でもっ、春姫さんの『力』ってのは、その人は……!?」

「ただの無能な娼婦とでも言う積りかい? ダンジョンで返り討ちにあったのをもう忘れたのか。あんたを打ちのめしたあの『力』こそ春姫の『妖術』だ」

 

 返り討ちにした? 誰が、誰を? アイシャ・ベルカが、ベル・クラネルを?

 ベルとミコトが喉を震わせて硬直し、ぼそりと呟きを零す。

 

「あの、光が……」

付与魔法(エンチャント)っ」

「けほっ、その、付与魔法(エンチャント)って、何」

 

 喉の痛みが僅かに引いて何とか呟いた俺の言葉を拾い上げたのは、ベルでもミコトでも無く、敵対者(アイシャ)だった。

 

「『階位昇華(レベルブースト)』、それが春姫の『妖術』さ」

 

 その解答に思わず眉を顰める。

 どれほどの効果があるのかわからない。レベルを一階位上げる程度なら、足りない。

 【男殺し(アンドロクトノス)】フリュネ・ジャミールの能力(ステイタス)はLv.5。一階位上げてもLv.6だ、とてもではないが都市最強のLv.7には届かない。

 他のLv.3の戦闘娼婦(バーベラ)がほぼLv.3ばかり、唯一【麗傑(アンティアネイラ)】がLv.3の最上位ではあるが、それでもLv.4の集団にしかなり得ない。

 第一級冒険者の人数だけで、片手の指では足りない【フレイヤ・ファミリア】を下すのは出来ないはずだが。

 

「アンタの『力』もあるだろう?」

 

 ────それか、それも含めてか。

 透明状態(インビジビリティ)での奇襲。

 超遠距離砲撃(アンチマテリアル)による巨塔の砲撃。

 そのどちらか一つでも手に入れられれば、勝利は揺るがない。そう言ってアイシャは鼻で笑う。

 狙われた原因が、俺にある。思わず歯噛みした。

 『殺生石』の効果を誤認していなければ、この事に気付く事ができたかもしれない。

 極東の代物だから、もしかしたら神タケミカヅチ辺りは知っていたかもしれない。ヘスティア様に相談した時に、【タケミカヅチ・ファミリア】にこっそり伝える事を控える様にお願いしなければよかったかもしれない。

 ────神タケミカヅチの生真面目な性格上、もし春姫を救う手立てが無い状態を知れば……。

 ああ、神タケミカヅチなら動く。彼の神はその優しさと勇猛さゆえに、イシュタルに直接交渉に行きかねない。そうなれば、秘密を知っている極小派閥の主神に対して大派閥の主神はどう出るのか。

 必ず、情報の出処を探ろうとする。そしてあの武神は絶対に口を割らない。そうなれば美神は拘束するだろう。拷問してでも聞き出そうとするに決まっている。

 そうなれば桜花達は救出に向かう。例え敵う事が無いと知りつつも、主神の救出に向かう。そして、【タケミカヅチ・ファミリア】が危機的状況に陥りかねない。

 ミコトは、絶対にソレを見捨てられない。だからミコトは動くだろう────そんな事になれば、【イシュタル・ファミリア】はヘスティア側から攻撃されたと大々的に声を上げ、此方を批難して猛攻を開始する。

 ロキやガネーシャは動けない。ヘスティア側から攻撃したと大々的に言われてしまえば、彼の大派閥は己が派閥の名声故に動けない。

 ────俺の想像しうる()()が、タケミカヅチへの連絡を渋る要因であり、それが原因で……。

 

「アイシャさん、お願いします!? (わたくし)はどうなっても良いっ、ですがクラネル様、ミコト様、ノースリス様は見逃してあげてください!?」

 

 響いた春姫の叫びに現実に引き戻される。

 この場においても、春姫は己が命よりも、俺達を優先した。彼女のその言葉が響き、俺の胸に炎が灯った。彼女だけは、春姫だけは救わなくてはいけない。

 ああそうだ、今は原因の追究よりも成すべき事がある。此処からの脱出、そしてロキやガネーシャの助力を得ての抗争。春姫の奪取と、計画の粉砕だ。

 

「無理さ。もう既に手遅れだよ、私達は手を出しちまったのさ、後戻りなんてできやしない。……イシュタル様が、生かして帰す気がない」

 

 既に【ヘスティア・ファミリア】を襲撃してしまった。

 この状態で俺達を逃がしてしまえばどうなるのか、そんな事誰にだって理解できるだろう。だから、春姫の懇願をアイシャは一蹴した。

 大朴刀の切っ先は、ずっと此方を向いたままで────ふと、疑問を覚えた。

 初撃、完璧な奇襲を仕掛けたアイシャは、何故饒舌に語る? 『生きて帰す気は無い』と言う宣言の積り、にしてはおかしい。

 嘘の情報か? それにしては整合性が取れている。イシュタルの行動に対して辻褄の合った計画だ。それに、彼女は俺達に何かを求めている。何だ、何を求めている?

 

眷属(ファミリア)をっ……家族を見殺しにするんですか!?」

「…………」

「戦いの道具にして、使い捨てにして!?」

 

 ベルが放った糾弾に、アイシャさんが仮面を被った。本心を隠す様に、冷徹な表情で、凍り付く様な瞳で、此方を見下ろしてくる。

 

「敵対派閥とケリがつけば、『殺生石』の中身は春姫に返すとイシュタル様は約束している」

「そのような口約束、叶う筈がないではないですか!! それにミリア殿はどうなるのです!?」

 

 アイシャの、慰めの様な反論にミコトが盛大に噛み付いた。

 『殺生石』の中には魂が収まっていて、それが無くなったり、粉砕されたりしたらどうなるのか。想像に易い、きっと元には戻らない。

 そして、【フレイヤ・ファミリア】だけではない、都市の派閥全てに喧嘩を売る様な真似をしようとしているのだ、その抗争は、想像も絶する程に酷いモノになるだろう。欠片全てが無事で済むとは思えない。

 

「貴女はっ!! ……それで良いんですか?」

 

 勢い衰え、最後には震える声でベルが問いかける。

 対するアイシャの顔から、仮面が崩れ落ちた。

 

「…………お前達は、何もわかっていない」

 

 春姫がやめてと、お願いしますと縋り付くのを抑え込み、アイシャは困窮した様に呟く。

 

「女神の嫉妬ほど、面倒で厄介なものはない」

 

 知ってる。

 神話で語られる神々の逸話、その中でもとりわけ多いのが『女神の嫉妬』、そして『神の怒り』か。

 理不尽で、不条理な、天災にも等しい、神々の感情。

 

「その嫉妬だけで、下界の有り様を歪めちまう。人の運命だって狂わせるし、戦争だって起こす、私達の主神が抱えてるのはそーいうもんだ」

 

 美神が抱える、黒々とした業火。全てを焼き尽くすまで────否、焼き尽くして尚永遠に燃え尽きる事の無い歪な炎。

 ぞんざいな口調ながら、まるでその業火に焼かれた事があるかの様な……ああ、そういえば。

 過去、一度『殺生石』は【イシュタル・ファミリア】に運び込まれている。だが、儀式は行われなかった。そして、()()()()()()()()()()()()()

 

「説得なんて無駄さ、私達はイシュタル様に逆らえない」

 

 彼女の眼を見て、何処か懐かしさと恐怖と、そして焼け付く様な怒りを覚えた。

 ────鏡に映るその色合いの瞳を、幾度となく目にした記憶がある。

 その瞳を以てして、アイシャは此方を睨みつける。

 

「馬鹿な娼婦の話をしてやる。いつも辛気臭い狐人(ルナール)の小娘が、そいつは反吐が出るほど気に食わなかった。いくら世話してやっても全てを諦めた様に笑いやがる」

 

 まるで、他人事の様に、その時の苛立ちを吐き出す。

 

「嫌気が差したその馬鹿な娼婦は、過去に運び込まれたとある『殺生石(いし)』を八つ当たりして、ブチ壊した」

 

 うそ、と腕の中で懇願していた春姫が言葉を失ってアイシャを見上げる。

 そうか、そういう事だったのか……彼女は、【麗傑(アンティアネイラ)】はかつて、過去に……。

 全てを吐き出す様に、アイシャ・ベルカの慟哭を思わせる言葉は止まらない。その『馬鹿な娼婦』の至らない行動を心底罵倒にする様に、怒りを滲ませながら空気を震わせた。

 

「すぐにその娼婦のやった事はバレた。クソッタレなヒキガエルに散々ボロクソにされた後、主神の手で頭がおかしくなるほど……『魅了』された」

 

 ああ、そうだ、その目を俺は知っている。

 いつもいつも、鏡に自身の姿を映す度、俺はその目を見てきた。

 怒りを燃やしながら、その奥に隠しきる事の出来ない恐怖を抱いた、洗脳されきった瞳。

 

「主神の命に背けば手足が勝手に震えるぐらい。殺生石(いし)を壊そうとすれば立てなくなるぐらい、擦り込まれるぐらいドロッドロされてね。……その娼婦は、もうイシュタル様の命令に逆らえない」

 

 ────かた、と大朴刀の切っ先が揺れる。

 春姫を抱く右腕は、アイシャの意思に反する様に狐人(ルナール)の少女を抱き込んで離さない。

 ああ、彼女もまた、被害者なのか。春姫を救おうとして、失敗して堕とされた女傑。

 尊厳を穢され、洗脳の限りを尽くされ、抗う意思をすり潰された、過去の俺を思わせる女性だった。

 

「あの事件があってもう戦闘娼婦(バーベラ)は一枚岩だ。戦いを最初から望んでる奴もいれば、イシュタル様を恐れている奴も居る。もう戦いは止められない」

 

 徹底的な蹂躙は見せしめでもあったのだろう。

 他の者達に見せつけ、恐怖を埋め込み、お前達もこうなりたくないのなら恭順しろ、と。

 それ以降、春姫を犠牲にして成り立つ戦いに異議を唱える者は居なくなった。

 

「そこに、ミリア・ノースリス、お前も組み込まれた。運が、悪かったね」

 

 全て、イシュタル様が思うがままに。恨むなら、美神を恨んでくれ、と。

 彼女の口から放たれた言葉が、衝撃的で、そして────蹂躙され尽くして尚、女傑は春姫を救わんとしているのを理解した。

 

「お前達は、あの女神の恐ろしさをわかっちゃいない」

 

 そう断言し、此方を見下ろす。

 屋根の上、何かに怯える様に震えだした春姫が、それでもか細く懇願している。

 

「お願い、します。どうか────」

「春姫、やめな」

 

 優しく、愛しむ様に春姫を胸に抱いて目を細め、そのままアイシャは此方に視線を向けてくる。

 彼女の優し気な双眸は、此方に向けられた途端に刃の様に鋭い光を宿した。

 

「この春姫の身に何が起こるかわかっただろう。何故奪いに来ない、何を迷ってるんだ?」

 

 彼女の指摘に、ベルとミコトが身を震わせる。

 彼女が、アイシャが求めるものは、きっと春姫を救ってくれる人だ。自分では無理だったから、今はもう従順に従う手駒でしかないから、他の誰かに求めてる。

 だから、だろうか、春姫だけではない。あの女傑も、あの狂う程の場から救い出してあげたい、だなんて高慢な考えを抱いてしまったのは────だが、方法は無くはない。

 イシュタルを、彼の美神を、滅ぼせば良い。そうすれば、皆が解放される。

 その為にも、()()()()()()()()()

 

「それ、は……」

 

 ベルとミコトの視線が此方に向いた。

 俺の返答は一つだ。

 

「私達は、【イシュタル・ファミリア】に襲撃を受けました。故に、反撃を行えます」

 

 ベルが、ミコトが、その場で構え────アイシャが鼻で嗤った。

 

「……やっぱり駄目だね。お前達に、お前にはこの子を渡せない。ベル・クラネル」

 

 目の前の女戦士は春姫を抱きながら、ベルを名指しした。

 

「ただの同情ならやめときな。虫唾が走るよ」

「違う、僕は同情してるんじゃ────」

「なら、あんたにこの子を救えるって? 私にはそうは見えない。あんたじゃ任せられない」

 

 ベルの反論は、アイシャの放つ眼光の前に遮られ、潰える。

 容赦のない視線であり、同時に春姫を確実に救えるだけの“何か”があるかどうか試す様な、視線。

 

「単純な力の事を言ってるんじゃない。あんたには覚悟が足りない」

「っ……!?」

 

 ふと、横から見上げたベルの瞳には、未だに迷いがあった。

 ちらりと此方を見て、ベルは悔やむ様に歯を食い縛る。ミコトも同じ様に俺を見て、歯噛みしていた。

 

「この春姫と駆け落ちして、心中でもしてやれるなんていう覚悟がね」

 

 何を迷っている。救わなくてはいけない人が居る。

 目の前の二人は、()()()()()()()()()()。なのに、ベルは、ミコトは何を迷っているんだ。

 

「お前は、()()()()()()()()()

 

 何故、迷う必要があるのかがわからない。何を迷う、此方が攻撃を受けた、反撃の機会だ。

 絶好のチャンスだと言うのに、ベルは歯を食い縛って動かない。

 

「やっぱり、お前達には任せられない」

 

 落胆と軽蔑の交じり合った女傑の声が落ちてくる。

 そして、彼女の視線は此方に向けられた。

 

「ミリア・ノースリス、お前は頭が回るが……それだけだ、それじゃあ、そんなんじゃあ駄目なんだよ」

「何を、此処から逃走してロキやガネーシャの助力を受ければ、儀式前の貴女達ならなんとでもなるわ」

 

 儀式を終えた後は手が付けられない。それに、俺が逃げさえすれば、どうとでもなる。

 既に手を出してしまったのだ。手遅れだ、イシュタル派はロキ派、ガネーシャ派を敵に回したも同然。()()()()()()()()()()()

 

「ああ、お前の言う通りさ。もう戦いは止められない

 

 呆れた様な、そんな視線が降り注ぐ。

 何か、見落としているのか。彼女の落胆と、諦めの色に思わず眉を顰める。

 広い裏路地に差し込む茜色の中、抱いた違和感の正体を突き止めるべく感覚を研ぎ澄ませた。

 

『────いたぞ、こっちだ!!」

 

 静寂を破るアマゾネスの大声が響く。

 目を向いてベルとミコトを見て腕を掴む。

 

「今は逃げましょう」

 

 全力で二人の手を引くのと同時、春姫の声が響き渡った。

 

「────ミコト様、ノースリス様、逃げてッ!?」

 

 ああ、今この瞬間に置いても、貴女は此方の心配をするのか。どれだけ優しいのか、自らの命が失われるかもしれないこの時に置いて尚、彼女は逃がす為に時間を稼ごうとしている。

 そして、Lv.1の春姫の力なんて即座に振り解けるはずのアイシャは、むしろ動き出そうとする自身を制し、春姫を傷付けない様に、俺達を逃がす様に堪えている。

 

「ベル殿ッ!?」

 

 立ち尽くすベルの腕を、ミコトも掴んで三人で走り出す。

 戦闘娼婦(バーベラ)の一団が姿を現す中、酷い汗を掻きながら堪えるアイシャと目が合った。

 申し訳なさそうに、何かを謝罪する様に、彼女の瞳は酷く憔悴した色を宿していた。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 逃がすな、追え! と騒がしく駆け抜けていく戦闘娼婦(バーベラ)達。

 路地裏の横道へと消えた三人を追う仲間の姿を見送り、アイシャは体の力を抜いた。

 

「……いい加減にしな、このアンポンタン」

 

 う~う~と左腕にしがみ付いていた春姫の頭を、アイシャは片手で叩く。

 小さく悲鳴を零した春姫を軽く引き剥がし、ベル達が去って行った方向を見つめる。

 夕暮れの光に目を細めながら、彼女は落胆と絶望を込めて呟いた。

 

「もう、戦いは止められないよ」

 

 

 

 

 

 

 崩れかけた屋根の上、慌ただしく逃げ出した三人を追う者達を見下ろし、酒瓶の中身を煽った女戦士は静かに立ち上がる。

 腰に吊り下げた鞭を手に取り、茜色に染まる娼館街を見回して、へらりと笑った。

 

「ねえ、女神様。私は今日も自由に生きるよ。だからね、もう少しだけ、もう少しだけ、待っててね」

 

 手にした空になった酒瓶を放り投げ、鞭を振るう。

 甲高い音色と共に砕けた破片が降り注ぎ、彼女の周囲をキラキラと舞い散る。

 

「皆も、もう少しだけでいいから、待っててよ。もうすぐ()()()()からさ」

 

 レーネは空を見上げて両腕を大きく広げた。

 

「大丈夫。今度は上手く行く」

 

 気紛れに、気ままに、風に流される雲の様に、自由に生きよう。

 自らが崇めた美神様が告げた、神託の通りに。

 

「さぁて、武装の準備しなきゃ。ヒキガエルの顔面の皮剥いでやる~…………あっ、そうだったそうだった、ミリア・ノースリスを捕まえなきゃいけないんだったっけ? うん、大丈夫、忘れてないよ~」

 

 かつてイシュタルに滅ぼされた派閥の娼館の屋根の上、レーネは雲の様に軽い笑みを零した。




 自らの大事なモノが危険に晒される可能性が1%でもあるならば、その選択肢を除外して行動した結果、致命的な状況に陥る間抜けが居るらしい。
 ミリア・ノースリスっていうオリ主なんですけどね(目反らし)



 フリュネの行動を制限も出来ずに色々と問題起こしても放置するイシュタルの行動原理がよくわかんないでち。
 ちゃんと手綱を握っていれば問題にならなかったはずなんですが、なんで放置してるんですか、あの美神。



 レーネは別に死なせる積りは無かったけど、死亡フラグ立ってるって思われてるらしい。
 ……ぶっちゃけ事が済んだらしれっと『藍色の女神』の眷属になってへらへら笑ってる様なキャラのイメージだったけど、どうしようかねぇ。
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