魔銃使いは迷宮を駆ける   作:魔法少女()

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第一七一話

 三十階層を走破しようと、大階段を駆け抜けるさ中、ベルを捕獲せんと迫る戦闘娼婦(バーベラ)の動きが変化した。

 ベルが駆け抜けようとした廊下の先に無数の悍婦達が立ち塞がる。そして、横道には僅か二人だけが配置されている。

 自然と人数の少ない、突破が容易な方を選択し、速攻魔法の爆風を以てして強行突破を図った。

 それが、誘導されていると気付いた彼は、咄嗟の判断で壁を魔法で破壊し、誘導から逃れる。壁の向こうに非戦闘員の娼婦が居たら、と戸惑いながら放たれた魔法。

 ベルが抱いた戸惑いはただの杞憂と終わり、宮殿中央の吹き抜け沿いの廊下に足を踏み入れた瞬間、大声が響き渡る。

 

「見つけたよォ!」

 

 音の衝撃と共に、大銀塊が迫る。

 凄まじい質量にて空気を切り裂きながら迫る大刃────戦斧をベルは咄嗟に回避した。

 着弾と同時にベルがつい数舜前に居た空間、廊下を構築する壁や床、手摺を悉く破壊し尽くし、更に階下の四階層までもを貫き止まった。

 最も恐れていた対象が遂に顔を見せたと、恐ろしい攻撃に寒気を感じながら確信する。

 

「フリュネさん……」

 

 遥か上階の廊下の手摺を踏み締めて立つ巨女。

 【男殺し(アンドロクトノス)】の二つ名を与えられた、第一級冒険者は分厚い唇を吊り上げる。

 そのすぐ傍に控える長髪の女傑、アイシャの姿も見える。

 

「アタイが恋しくて、戻ってきたのかぁいッ。感激じゃないかァ~!?」

 

 他の団員に用意させた大戦斧を受け取りながら、フリュネはベルを見下ろした。

 彼女を相手に時間稼ぎをしなくてはいけない。脳裏に浮かぶミリア、ミコト、そして春姫の顔を思い浮かべたベルが構えるのと同時。

 巨女は手摺をへしゃげ蹴り抜き、上階からベルの階層へと跳躍した。

 

「────っ!」

「いま行くよおおおっ!!」

 

 圧倒的な格上との戦闘。否、戦闘ではない。

 防戦一方、一撃一撃が致命傷を超えて即死と呼んでも差し支えない一撃必殺の嵐。

 近距離から放たれた速攻魔法(ファイアボルト)ですら、見てから回避する能力(ステイタス)差。

 決死の覚悟を以て挑んだソレは、余りにも呆気なく終わりを告げた。

 

 

 

 フリュネの攻撃を防御して吹き飛ばされて二転、三転する視界。

 通路の先の大広間の扉に激突し、粉砕しながら中央に投げ出されながらも立ち上がったベルは、視界に映った光景に絶句した。

 

「よくやったよ、あんたは……」

 

 鉢型装飾の成された荘厳な柱と窓が並ぶ広間。

 抜き身の大朴刀を担いだ女傑が、大階段の上から淡々と告げる。

 四方を埋め尽くす戦闘娼婦(バーベラ)達が、警戒する様にベルに武器を向けていた。

 

「アイシャさん……っ」

 

 しまった、と焦燥を抱き呼吸を乱したベルは、綺麗に自身の思考を導き誘導を完遂して見せた女傑への恐れと、同時に感心を抱きながらも打開の思考を巡らす。

 間も無く、砕き壊れた扉の残骸を踏み締めてフリュネが広間に足を踏み入れる。

 

「ゲゲゲゲッ、ようやく楽しめるってモノだよぉ。今度は逃がさないからねぇ~」

 

 巨女から向けられる粘着く様な貪欲な視線に、ベルが過去の記憶(トラウマ)が蘇りかけた、その時。

 

「下がれ、お前達」

 

 圧を感じさせる女性の声が、頭上よりアマゾネス達に投じられた。

 場に居る全ての者が驚愕しながら視線を向けた先、大階段の奥から絶世の美貌を持つ女神が煙管を片手に下りてくる。人を破滅に追いやる毒華を彷彿させる甘い香りを身に纏った、その肢体に深紅(ルベライト)の瞳は釘付けになる。

 見る者を惑わせる、『美の神』イシュタルは愉快そうに紫煙を吐きながらベルを見下ろした。

 

「ど、どういう事だぁい、イシュタル様ぁ!? いきなりしゃしゃり出てきてぇ!?」

 

 背後に二人の従者を連れて唐突に現れた主神に、フリュネが怒声を響かせた。

 憤怒で顔を真っ赤に染め上げるアマゾネスの長の姿に、イシュタルは一瞥する。

 

「聞こえなかったか、フリュネ、下がれと私は言った」

 

 『逆らうな』と言う神意の含まれた言葉を放ちながらも、紫水晶(アメジスト)を思わせる瞳には何の感慨も浮かんでいない。

 フリュネの避けた唇が引き攣り、真っ赤だった顔色が元に戻っていく。

 他では目にする事のない、巨女の怯んだ表情にベルが視線を奪われていると、突然、荘厳な窓の一つが砕け散り、広間に誰かが飛び込んできた。

 

「くるくるーっすちゃっ! レーネちゃん登ぉ場ぉ~!!」

 

 自らの口から効果音を放ちつつ、人を二人担いだアマゾネスが割れた硝子を踏み締めて皆の注目を集めた。

 

「……レーネかぁ! 身勝手に人質を連れて行ってアタイらに迷惑をかけた役立たずがぁ、どんな顔で此処に来やがったぁ!」

 

 主神の言葉に怯んでいたとは思えない程の変わり身で、フリュネが顔を先より赤く染め上げて怒声を響かせた。

 その声にアマゾネス達は眉を顰め、女神は不愉快そうに瞳を細める。そのさ中、ベルは突然現れたレーネが担ぐ二人の人物を見て凍り付いていた。

 

「はいは~い、イシュタル様にお届けモノですぅ~。捕獲に成功したので報告ぅに上がりましたぁ~」

 

 素っ頓狂な調子で担いでいた一人の小人族を下ろし、背中を押した。

 拘束らしい拘束は何一つされていないにも関わらず、俯きがちに一歩前に出たその人物は、ベルが最もよく知る人物でもあった。

 淡い金髪は血に汚れ、ボロボロになったローブ姿の小人族。

 

「嘘だ……ミリア、なんでっ」

 

 ────ベルが囮になる事で逃走するはずだった、ミリア・ノースリスが其処に居た。

 

「ほぅ、流石だなレーネ」

「どこぞの役立たずなヒキガエルとは違いますから」

「誰の事を言ってるんだい、アンタが人質を連れていかなきゃ、アタイ等だってこんな苦労は────」

 

 黙れ、と言う主神の一喝にフリュネが口を閉ざす。しかし先とは違い真っ赤な顔はそのままで、レーネを鋭く睨みつけている。

 睨まれているレーネと言えば、ふわりと柔らかな笑みを浮かべ、ベルを見た。

 その優しさを含む笑みを前に、少年はただ立ち尽くす。

 人質という単語の意味、そしてレーネが担いでいるもう一人の人物。【ヘスティア・ファミリア】に改宗(コンバージョン)し、助力してくれたエルフの青年、エリウッドの姿を見て嫌な想像が駆け抜ける。

 何故、ミリアがこんなにあっさりと捕まってしまったのか。その疑問の答えが目の前にあった。

 

「ミリア・ノースリス、此方へ来い」

 

 女神が告げるがままに、ミリアが広間の中央に歩み出す。

 悔し気に引き結ばれた口元のまま、彼女は顔を上げてフリュネを憎悪の瞳で射抜く。

 アマゾネス達が静かに道を空け、導かれる様にして抵抗らしい抵抗を見せないミリアがベルの横に立ち、呟く。

 

「ごめん、失敗した。人質を取られてる」

 

 残り二人も何処かで捕まってる、と小さく呟かれ、ベルは一瞬で大量の冷や汗をかいて硬直した。

 

「レーネ、本当に良くやった。来い」

 

 ミリアに続き、エリウッドを担いだままのレーネが主神の元へ足を運ぼうとし、アマゾネス達の雰囲気が変わる。

 先の様にただ静かに道を空けるのではなく、あからさまな舌打ちや、道を完全に開けずに肩をぶつける等の嫌がらせをし始めたのだ。

 その様子にベルが違和感を覚えるも、主神はアマゾネス達からのレーネに対する扱いに何も言わず、レーネ自身は気にした様子もなく鼻歌混じりに人垣を通り抜けてきた。

 僅かに刻まれた無数の切り傷が、アマゾネス達が意図的にレーネに刃先を掠らせた事を察しさせる。

 

「【リトル・ルーキー】も【魔銃使い】も確保できたし。後は儀式するだけだねぇ」

「………………」

 

 イシュタルの立つ大階段の一段目の前でレーネが笑みを浮かべる。

 対する美の神は、レーネを鋭く睨みつけて口を開いた。

 

「人質を勝手に持って行ったそうだな」

「勝手にじゃないよぅ、ちゃんと許可は貰ったって」

 

 何処か浮ついた様な、張り詰める空気を弛緩させるようなふわふわとしたレーネの口調に、ベルが調子を乱される。ミリアの方は表情を消し、イシュタルを睨んでいた。

 

「それにさぁ、ちゃんと【魔銃使い】を捕まえてきたんだからぁ。文句言われる筋合いは無いよね? どこぞのヒキガエルみたいに宮殿(ホーム)ぶっ壊しまくった訳でも無いしぃ?」

 

 煽る様にフリュネに長し目を向け、それに反応した巨女が口を開くより先に主神に睨まれ口を閉ざす。

 イシュタルは面倒そうに髪をかき上げ、獣人の従者に指示を出した。

 

「人質を受け取れ」

「はっ」

 

 大階段の上から素早く駆け下りてきた獣人の従者が、レーネが担いでいたエリウッドを受け取り、彼女から離れて距離を取った。

 この隙に逃げるべきかとベルが思案し、人質が後二人居るという情報に動けずにいた時だ。

 

「やれ」

 

 たった一言、女神が何の感慨も無く放った言葉の意味を、ベルやミリアが理解するより前に、レーネの頭をフリュネが掴んだ。

 間合いを一瞬で詰め、笑みを浮かべた褐色少女の頭を掴んだ巨女は、無造作に彼女の頭部を大階段に叩き付ける。鈍い強打の音が響いた。

 仲間の筈の少女に暴行を加えるという信じられない行為に、ベルが驚愕の表情を浮かべる間にも、二度目には床に、三度目には頭を引っ掴んだまま全身を床に叩き付けると言った凄惨な暴行が続けられる。

 

「な、何をしてるんですか!?」

「何をしてるか、か……フリュネ、やめろ」

 

 耐えきれずに放たれたベルの言葉に、イシュタルが目を細めて指示を出すと、巨女は無造作にレーネの頭を放した。

 

「下がれ」

「チッ、物足りないったらありゃあしないよ」

 

 去り際にレーネの腹を踏みつけ、潰れた蛙を思わせる声が彼女の口から響くのを聞いたフリュネは、機嫌を良くしたのかほんのりと愉悦の表情を浮かべて列に戻っていく。

 

「な、大丈夫ですか!」

 

 大階段前、ベル達とイシュタルの間に投げ出されたままのレーネに駆け寄り、ベルが容態を確認すると、レーネが彼の手を払い除けて立ち上がった。

 切れた額からどくどくと血を流し、折れた鼻があらぬ方向を剥き、折れた歯を吐き捨てたレーネは、顔の半分を血に染め上げながらもイシュタルを見上げた。

 女神はその姿を一瞥すると、レーネの傍に駆け寄ったベルに視線を向けて口を開いた。

 

「ベル・クラネル。お前は『何をしている』と口にしたな」

「…………っ、そうです! どうしてこんな事をするんですか!」

 

 ミリアの逃走を妨害し捕獲し、更には人質を連れ歩いているベルにとっては敵側の人間だ。

 しかし、【イシュタル・ファミリア】の戦闘員であるはずのレーネと言う少女に対し行われた暴行行為は、見過ごせるものではなかった。

 

「私が、自身の眷属に罰を与えるのに文句でもあるのか?」

 

 少年の放つ異議主張に対し、女神はただ当たり前のことを述べる様に告げた。

 何様の積りだ、とイシュタルはベルの言葉を一蹴すると、レーネに視線を向ける。

 

「さて、貴様の所に預けた戦闘娼婦(バーベラ)が、幾人か裏切り我が派閥に損害を齎した。何か知っているなら答えろ」

「知らないけどぉ?」

 

 主神から放たれた圧を含む質問に、レーネは口の中に溜まった血を吐き捨てて、感情を雲に隠す様にふわふわとした言動で煙に巻こうとする。

 イシュタルが目を細めた。

 

「レーネ、もう一度嬲られたいか」

「…………いや、本当に知らない」

 

 『虚偽は許さない』と言う神意の込められた圧ある言葉に、今度は真面目な表情で答えを返し────イシュタルは「やれ」と呟いた。

 止める間もなく、フリュネの握り拳がレーネの背中を打ち、床に叩き伏せられると同時にその背を巨女の足が踏み付ける。床が捲れ上がり、冗談な程に飛び散る破片にベルが目を見開いいた。

 二度の踏みつけ(ストンプ)を喰らい、完全に半身が床にめり込んだレーネは、それでも震えながら立ち上がってイシュタルを見上げた。

 

「私は、『答えろ』と言ったんだ」

「知ら……ない事は……答え、られない……」

 

 襤褸雑巾の様になっているレーネを、イシュタルは大階段の上から見下す。

 耐えきれずに、ベルがイシュタルの視線を遮る様にレーネとの間に身を割り込ませた。

 

「……どういう積りだ?」

「や、やり過ぎですよ。こんなの……この人が、死んでしまう。仲間でしょう!?」

 

 目の前で無抵抗のまま暴行を加えられる姿に、いくら『罰』でもやり過ぎだと主張する少年。

 対する女神は、その言葉を鼻で嗤った。

 

「勘違いをするな、ソレは私の眷属だ。だがソイツはそうは思っていない」

「────えっ?」

「私は私成りに、私に尽くす眷属には相応の褒美を与えている。アイシャや……気に食わんがフリュネもそうだ」

 

 しかし、と女神は眼光鋭くベルを、ベルの背後でふらふらと揺れるレーネを睨んだ。

 

「私を敬わない処か、邪魔する事しか考えていない者に温情等与えんよ」

「それは、どういう……」

「レーネ」

 

 美の神は、目の前の少年を無視して揺れる体でなんとか立っている女戦士に声をかける。

 身を震わせるのと同時、レーネはベルの腕を掴んで押しのけると、女神の前に立った。

 

「お前は何処の派閥に所属している?」

「【イシュタル・ファミリア】」

「お前は誰の世話になっている?」

「女神イシュタル」

「では────敬愛する神の名を言ってみろ」

 

 忌々しいものを見る様に、僅かながらに黒い炎をその紫水晶(アメジスト)の瞳に揺らした女神が、レーネに問う。

 その質問に対し、レーネ・キュリオと言う少女は、襤褸雑巾の様な怪我をしているとは思えない様な、美しい笑みを浮かべて声を張り上げた。

 

「────ウェヌス様!」

 

 知らぬ神の名がその口から飛び出した事にベルが驚愕するさ中、イシュタルが怒声を響かせる。

 

「未だにウェヌスの名を口にするか!」

「私が、この世界で唯一敬愛しているのは、女神ウェヌス。ウェヌス様だけ」

 

 怒髪天を突く、そう言わんばかりに一瞬で表情を怒りに染め上げたイシュタルが、煙管をレーネに向けた。

 

「もう良い。儀式が終わったら死ねと命じていたが、気が変わった、今すぐ死ね」

 

 いくら主神とはいえ、眷属に死を命じるという信じられない言葉にベルが動けずにいる間に、レーネは自らの両手で己の首を締め上げ始める。

 

「えっ!? や、やめてくださいっ、何をして!?」

 

 最も傍に居たベルが、自らの首を絞め上げ、己を殺そうとしはじめたレーネを止めようとするも、とてもではないがその力に適いそうにない。

 血で染まった褐色の肌が、徐々に青褪めていく。それ以前に、凄まじい力で締め上げられた首が折れるのではないかと言う恐ろしい想像にベルがどうにかしないと、と止めようとし────アイシャの声が響いた。

 

「イシュタル様、どうか止めてくれませんか」

「どうした、アイシャ。私に逆らうか?」

 

 鋭い眼光で睨みつけられ、アイシャの手が震え出す。女神に逆らう様な発言をしながらも、アイシャはそうではないと首を横に振って、今まさに自らの首を圧し折り自害しようとしているレーネを一瞥して口を開いた。

 

「ソイツは確かに信用ならない。だが、外の警備に人が足りない。儀式が終わるまでは生かしておくべきだと思う」

 

 此処で殺すのは無駄が過ぎる。そう告げると、女神はほんの少し考えこむ。

 その間にも、限界を迎えようとしているレーネが膝を突き、僅かな痙攣と共に意識を失いかけ────イシュタルが告げた。

 

「止まれ」

「げっ、げほっ……」

 

 ぜぇぜぇと、乱れた呼吸を繰り返しながら震えていたレーネが、近くに居たベルに青い表情のまま笑いかけ、ミリアの横を指さした。

 戻れ、と言外に告げるとレーネは頬を叩いて立ち上がる。

 

「ごほっ、げほっ……ぜぇ、死ぬかと思った」

 

 自らの手で締め上げた事で首に付いた痛々しい跡の痕跡がありながら、ついさっき本当に死にかけたというのに即座に普段通りとも呼べる態度に戻るレーネの姿に、アマゾネス達が恐ろしいものを見た様に引いた。

 

「……レーネ、お前は歓楽街の警戒に当たれ」

「はぁ~い」

 

 痛めつけられた本人が気にした様子も無い事に、ベルも信じられないといった視線を向け、ミリアは目を細めてレーネの首に付いた跡を見ていた。

 同情とも、畏怖ともつかない視線に晒されていたレーネは、片手をぴょんっと可愛らしく上げるとイシュタルを見上げて笑みを浮かべた。

 

「【魔銃使い】を捕まえてきたご褒美が欲しいなぁ~」

 

 瞬間、イシュタルが絶対零度の如き空気を纏い、レーネを睨んだ。

 

「何?」

 

 陽気な声で、場の空気を凍り付かせるような台詞を放ったレーネに対し、アマゾネス達は今度こそ死んだな、と化け物を見る目を向ける。

 フリュネですら『恐ろしいもの』を見る様な視線を向ける中、アイシャだけが目を細めてレーネの考えを見透かさんとし────理解できない、と首を横に振った。

 

「褒美だと?」

「うんうん、そのエルフの男の子、私の頂戴?」

 

 レーネが指差したのは、獣人の従者が抱えている意識の無いエリウッド。

 人質として確保されている彼を寄越せと、そう言った瞬間、フリュネの大喝が放たれる。

 

「ふざけるんじゃないよ!」

「ふざけてないよぉー、ぶーぶー」

 

 ふざけている様な態度で巨女の大喝を受け流し、イシュタルに視線を向けると、レーネは笑って口を開く。

 

「他の子が勝手にそのエルフ君を()()()()()してたけど、私は摘まみ食いしなかったよ? で、最近はイシュタル様の命令で忙しくてからっきしだし、我慢の限界なんだよねぇ」

 

 それに、死ぬなら満足して死にたい。そう告げてレーネが強請る。

 イシュタルは不愉快そうに眉を顰め、渋々といった様子で頷いた。

 

「良いだろう。そのエルフはくれてやる」

「やったぜ!」

 

 その場で跳ねて喜びを表現し、レーネは獣人の従者からエリウッドを受け取る。

 即座に身を翻して割れた窓から外に飛び出して行こうとする彼女を、イシュタルが引き留めた。

 

「待て」

「……えっと、私これから帰ってこの子に薬飲ませなきゃなんだよ? ちゃんと警戒はするから、元気になったこの子と色々したいんだけどなぁ」

 

 エリウッドが何をされるのか想像し、ベルが僅かに青褪める。ミリアはレーネの頭の回転が想像以上に早かった事に感心した様に小さく吐息を零す。

 アイシャは何か企んでいるなと感づきつつも、それを指摘する事無く黙り込み。フリュネはそんなひょろいエルフでは楽しめないだろうが、レーネにはお似合いだと嘲笑する。

 イシュタルはほんの少し考え込むと、徐にレーネの腰のポーチを指さした。

 

「それは何が入っている」

「んー? ()()()()()だけど?」

 

 渋る事も無く、腰のポーチから取り出した三つの閃光弾を指し示すレーネ。イシュタルはそれを見ると目を細め、口元に笑みを浮かべた。

 

「アイシャ、フリュネ、レーネの閃光弾を受け取れ」

「えっ?」

 

 困惑気味にレーネが顔を引き攣らせる中、命令通りにアイシャとフリュネがレーネの手から奪い去っていく。何を命じる気だと身構える中、イシュタルは告げた。

 

「その青い閃光弾が打ち上げられた場合、一つ毎に人質を一人殺せ」

「えっ!?」

 

 驚愕して言葉を失うレーネ、ベルも目を見開き、ミリアが舌打ちを零した。

 成り行きを見守る様にしていたミリアは、ここにきて作戦の雲行きが怪しくなったことに気付く。

 青い閃光弾が打ち上げられたら殺せ、とレーネが命じられた以上。彼女は『青い閃光弾』を合図として人質を確実に殺そうとするだろう。

 

 レーネ・キュリオはイシュタルの命令を拒めない。それが例え『自害しろ』という命令であったとしても、彼女は拒む様な動作を挟む事無く己の首を絞め上げ自殺を図った。

 目の前で行われたそれを見る限り、嘘ではない。

 だが、それには一つ欠点があった。欠点、それはイシュタルが直接命じる必要がある事だ。

 

 レーネ曰く、イシュタルは絶対に自分を儀式場には近づかせない。

 腹に色々抱え持つレーネを、重要な場所には近づかせないのは想像に易い。だからこそ、重要ではあっても、時間切れになれば不要になる人質の傍に配置されるだろう。

 当然、イシュタルの傍に居る訳がない。だからこそ、絶好の機会となりえる筈だった。

 

 直接の命令は、逆らえない。だが、直接命令されなければ抵抗は出来る。

 人質を逃がすな、と命じられている以上、逃がす事は出来ない。だが、人質が逃げない限りはレーネは人質に一切手を出す気は無い。故に、レーネの元に人質が居る間は安全だ。

 イシュタルの命令が無い限り────その前提が覆る。

 

 誰かが青い閃光弾を上げた瞬間、レーネは命令を実行してしまう。

 命令伝達速度が遅い事を利用しようとしていた、レーネとミリアの作戦が瓦解した。

 

「うぅー、わかったよ。はぁ……ヤだなぁ」

 

 不承不承といった様子で頷き、先までの元気を失って撃沈した様子のレーネが窓の淵に足をかけ、広間の中央で呆然としている二人に微笑んだ。

 

「じゃあね」

 

 元気で、と呟くと同時に、レーネ・キュリオは三十階の高さから身を投げた。

 

「お前達全員、『ミリア・ノースリス』を連れて『殺生石』の儀式に向かえ。今度こそ必ず成功させろ。失敗は許さん。それと、ミリア・ノースリスが暴れた場合は青の閃光弾を上げろ」

 

 刃向かう事を許さない神意を含む命令に、戦闘娼婦(バーベラ)達は怯んだ様に一斉に動き出す。

 流れに沿い、アイシャが数人のアマゾネスにミリアを連れさせて歩み出すのをベルが止めようとし、イシュタルの言葉に身を強張らせる。

 

「ベル・クラネル。当たり前だが、逆らうならば青の閃光弾を打ち上げるぞ?」

 

 一つ打ち上げられるたびに、人質が一人殺される。

 レーネは『死ね』と命じられたとしても即座に実行しようとした。故に、『殺せ』と言う命令も必ず実行する事が想像に易い。

 それはつまり、ベルもミリアも、どちらも抵抗する事を完全に封じられた事を意味する。

 

「ミリアっ」

「……ベル、チャンスはあるはずよ」

 

 腕を掴まれ、連れて行かれるミリアを、ベルはただ歯を食い縛って見送る事しか出来ない。

 フリュネがこれ見よがしに大きな舌打ちをして去るのを最後に、アマゾネス達の完全撤退が完了する。

 ただ黙ってそれを見ていたベルは、静かにイシュタルに向き直った。

 青年従者(タンムズ)を傍に控えさせ、獣人従者がベルを逃がさぬ様に入口側に立つ。

 三対一、神は戦力に数えられない為、実際には二対一。しかし、ベルは前後に立つ従者の戦闘力がどれほどのものか知らない。加えて、下手に抵抗すれば閃光弾による合図で人質の命が危ぶまれる。

 危機的状況に立たされ、ベルは拳を強く握り締めた。

 

「よく来たな、女神(ヘスティア)の眷属よ。囮とはいえ単身で乗り込むとは、思った以上に気概がある────だが、判断を誤ったな。全員で逃げていれば、まだ勝ちの目はあったモノを」

 

 ベルの蛮勇に評価を下し、全てを見透かす様な瞳を細めてイシュタルは問う。

 

「ここに未練を引き摺る娼婦(おんな)でも居たか?」

 

 行き過ぎた『美』を持つ女神を前にし、ベルは静かに床に視線を落として歯を食い縛る。

 

 

 

 

 

 『古代』の遺跡、聖塔(ジグラット)に酷似している別館。

 『女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)』の宮殿の裏手に隣接する様に建てられた別館と、宮殿を繋ぐ空中廊下を歩く春姫は、夜空に浮かぶ星々と、遠目には既に満ちている様に見える黄金の月を見ていた。

 

「急げっ、春姫!」

「はいっ」

 

 護衛として付けられていた三人の戦闘娼婦に急かされ、春姫は歩み出す。

 地上四十階層に設けられた空中廊下は、屋根は無く、胸壁があるのみで強い風が吹き付けている。

 春姫が空中廊下の繋がる先に視線を向ければ、別館屋上に広がる荘厳な空中庭園が見えた。中心部に設けられた月嘆石(ルナティックライト)によって作り上げられた儀式場は、既に青白い光を放ち、まるで春姫を手招きしているかのような錯覚に陥らせる。

 表情を消し、俯いた春姫は黙って進む。

 自らが早く其処に辿り付けば、誰かが救われるとでも言う様に足を早める。

 

「おかしなやつ……」

 

 少女を急かしていた戦闘娼婦(バーベラ)達は、彼女を不気味そうに見ていた。

 破滅を前にしても何も言いださない。ともすれば全てを諦めている少女の姿に、彼女達はとあるアマゾネスの姿を重ね、首を横に振った。

 

「流石にレーネ程じゃないか」

「だね」

 

 女神に『死ね』と命じられても動じない、理解不可能な精神性を持つ元別派閥に所属していた女戦士。

 イシュタルの魅了でぐちゃぐちゃにされてもなお、『ウェヌス様を敬愛してる』と凝りもせずに主神に告げて『罰』を受ける彼女に比べれば、目の前の全てを諦めた少女は苛立ちの対象でしかない。

 春姫を先頭に歩む彼女達は、警戒心も無く雑談に興じる。

 

「レーネの奴、何を考えてるんだか」

「まだ復讐でもする気なんじゃない? 確か母親をフリュネに殺されてたし」

「あー、イシュタル様の傍に居る獣人の従者、レーネの派閥裏切ってイシュタル様にすり寄ってたよね。ソイツも復讐対象じゃない?」

 

 一本道で見晴らしも良く、潜む場所なんて存在しない空中廊下。故に、警戒心は緩く、橋の下に張り付き潜んでいた少女の存在に気付く事は無かった。

 

「この儀式終わったらあの気持ち悪い奴も死ぬんだろ?」

「みたいだね、春姫ともども、見てると苛々するからさっさと────なっ!?」

 

 まず一人。橋の下から伸びた鎖分銅が絡み付き、一人が空中廊下から引き落とされる。

 瞬時に残る二人が橋の下を覗き込んで警戒した時だった。静かにその背後に降り立ったミコトが、片腕を掴んで華麗な投げ技を披露し、反対側に投げ落とした。

 

「お、お前っ!?」

 

 残る一人が長剣を構えると同時、ミコトは対応すべく紅刀を抜こうとし────風の流れに気付いて身を伏せる。

 横殴りの激しい強風が吹き抜ける。ようやく異変に気付いた春姫がよろめく程の、目の前のミコトに気を取られていた戦闘娼婦(バーベラ)が胸壁に寄りかかってしまう程の。

 先んじてその強風に対し対応していたミコトが、即座に立ち上がって残る一人の顎を蹴り抜く。対応が遅れた最後の一人が空中廊下から落ちていくのを見送り、ミコトは春姫に駆け寄り、腕を掴んだ。

 

「春姫殿、ようやく見つけました!」

「どうして、此処に……」

「貴女を連れ出す為に」

 

 唖然とする少女の問いに、間髪入れずに答え、春姫の腕を引いて連れて行こうとするミコト。

 

「ここから逃げましょう。春姫殿、さぁ早く」

 

 下の階より響いていたベルの抵抗の音が途絶え、更に加えて外壁に張り付いている間に一人の女戦士(アマゾネス)が金髪の小人族と、エルフの男を抱えて三十階の広間に入っていったのを見ていたミコトは、既に時間が無い事を理解していた。

 故に、早く彼女を此処から連れ出さねばと手を引き────春姫がその場に踏みとどまった事でつんのめって止まった。

 

「春姫殿?」

「ミコト様……(わたくし)のことはいいですから、早く一人でお逃げください」

 

 今度は、ミコトが唖然とする番だった。春姫はミコトの手を優しく振り払う。

 

「何故きてしまったのですか、ミコト様……クラネル様も。(わたくし)が貴女方を脅かすと、わかったのではなかったのですか?」

「それは違う!」

 

 数時間前、路地裏で春姫の前から逃げた理由は、決してそのような理由ではない。

 仲間の一人が、ミリア・ノースリスと言う少女が、己の身を鑑みる事無く行動を起こす事を想っての躊躇い。決して春姫を重荷に感じた訳ではない、とミコトが告げようとし────弾丸(まほう)に射抜かれた。

 

「────えっ」

「ぐっ!?」

 

 側頭部を僅かに弾丸(まほう)が掠め、遅れてミコトにとって聞き覚えのある甲高い銃声の音が響く。

 その魔法は、彼女の良く知る人物が習得していたソレであり、それが自身を害する等、ミコトにはとてもではないが想像できなかった。

 続く銃声が、ミコトの肩を掠める。僅かに掠った事で着物の肩を血せ染めながら、ミコトは慌てて胸壁に身を隠す。

 呆然としていた春姫が、身を屈めたミコトに駆け寄ろうとし、胸壁に弾丸(まほう)が着弾した音に怯んで下がってしまう。

 

『────居たぞっ! 捕まえろぉ!!』

 

 一本道を駆けてくる戦闘娼婦(バーベラ)達。

 ミコトが驚愕しながらも銃弾が飛来する方向に視線を向け────宮殿の窓から、空中廊下に狙いを定めている小人族(パルゥム)の姿に、信じられないと絶句する。

 瞬間、小人族の指先に灯る魔法円が輝き、ミコトの傍の胸壁に魔弾が着弾し、破片を散らす。

 まさかの裏切りにミコトがどうするか迷い、春姫の手を掴もうとし────伸ばされた手をミリアが放つ魔弾が撃ち抜く。

 

「ぐっ!? ミリア殿、どうしてっ!?」

「ミコト様っ」

 

 明らかな異常事態。最も信頼できるであろう仲間からの狙撃を喰らい、ミコトは咄嗟に空中廊下から身を投げ、撤退せざるを得ない状況に追い込まれた。

 落ちていくミコトに対し、ミリアが無数の魔弾を放つも、どれも掠めもせずにミコトの傍を空気を引き裂く音を響かせ飛んでいくのみ。

 

「────っ!」

 

 本気でミコトを殺す気なら、既に眉間を撃ち抜かれ死んでいる事を知っていた彼女は、落ちるさ中にミリアの傍に【男殺し(アンドロクトノス)】が控えているのを見て目を見開く。

 

「何が起きているのかわかりませんが────これはっ!?」

 

 ミリアの裏切り。しかし、何か事情があるのだろうと歯を食い縛り、ミコトは途中で鎖分銅を使う事でミリアの射線から逃れ、建物の影から儀式場を見上げ、悔し気に袋から一発の閃光弾を取り出す。

 

「ベル殿……っ!!」

 

 ────赤い光玉がひゅるひゅると上空に昇って行った。

 

 

 

 

 

「で、これで満足?」

 

 赤い閃光弾が昇っていくのを見て、ミリアは魔法を解いて後ろの巨女に問いかけた。

 

「ちゃんと殺しなよぉ? それとも、この閃光弾を上げて欲しいのかぁ?」

 

 青の閃光弾を手に、ミリアに脅しをかけてミコトを撃退させたフリュネは、嘲笑を浮かべながら煽る様に顔を近づける。

 

「やめろ。春姫はあの通り確保できたんだ。それにこれ以上煽るな」

「うるさいんだよぉ。アイシャはレーネの奴も庇った上に、この小娘まで庇うつもりかぁ? やはり裏切る積りじゃぁないだろうねぇ?」

「はぁ?」

 

 眉間に青筋を浮かべたアイシャが、舌打ちを零してミリアの背を見た。

 

 丁度窓の外で春姫の護衛につけた戦闘娼婦(バーベラ)を見つけ、空中廊下を見てみれば、其処には鼠の一匹が春姫を相手に詰め寄っているのが丁度見えたのだ。

 『魔剣』で撃退しようにも、距離が遠すぎて春姫に当たりかねない。故に『魔剣』を持つアマゾネスが何人か駆け上がっていくさ中、フリュネが良い事を思いついた、と発言した。

 此処からミリアに『狙撃』させれば良い、とフリュネが言い出し、ミリアが反抗するも人質を盾にされ、彼女は直ぐに折れた。

 

「お前なら一発で殺せただろぉ、なんで殺さなかったァ?」

「………………」

「だんまりかぁ」

 

 狙撃で殺せ、と命じられたにも関わらず。何発撃っても当たる気配が無く、落ちていく鼠を撃たせても一発も命中が無い。それに怒りを覚えたフリュネが閃光弾を上げようとするのを、アイシャは止めていた。

 

「【魔銃使い】に不必要な拷問しやがったフリュネの所為だろ、確かに最初の一発は良い線いってたんだ。いい加減にしろ」

 

 アイシャは憎悪で濁り切ったミリアの目を見て、僅かに目を細めて空中廊下で確保されて連れて行かれる春姫に視線を向けた。

 

「……ほら、さっさと【魔銃使い】を連れていくよ」

 

 もし、人質という盾を失った時。この小人がどんな暴れ方をするのかを想像し、赤い閃光弾を見たアイシャは更に深い溜息を零した。

 

「アイシャ、どうしたの?」

「いや……赤の閃光弾はレーネの呼び戻しの合図だったはずだ」

 

 妹分のアマゾネスの問いに答え、アイシャは静かにレーネに同情した。

 きっとあの赤い閃光弾を見て、レーネはすっ飛ぶ様にイシュタルの元へ訪れるのだろう。ご機嫌斜めの女神の前にもう一度姿を現した結果、彼女がどうなるのかを想像し、天を仰ぐ。

 一応は貴重な戦力。しかし、とてつもなく機嫌の悪い主神の前にのこのこと出て行ったレーネがどうなるのか。想像は安い。

 

「あぁ、くそ……せっかく助けてやったのに。レーネの奴、死んだな」

 

 先の苦労が水の泡になった事を知って愚痴を零し、直ぐに自嘲を零した。

 

「ま、あそこで死ぬか、そのあと死ぬかの違いか」

 

 どうあれ、【イシュタル・ファミリア】に明日は来ないのだから。




 そういえば、(ロック)の話なんですが。

 原作だと、8巻『第二章 パルゥムの求婚』にてリリが話題に出した事でようやく『(ロック)』をかけるって感じでしたが。
 本作だと原作5巻の『アンダーリゾート』の水浴びの辺りで『(ロック)』かけちゃってるんです。

 あの時はこの辺りでイシュタルに『ステイタスが覗き見られる』っていうイベントあってどうしようかな、とか考えてたんですが……
 アニメ版描写だと『開錠薬(ステイタスシーフ)』使って強制的に見てるんですよね。本作も同じ感じで良いやって思いました(小並感)

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