魔銃使いは迷宮を駆ける   作:魔法少女()

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第一七二話

 金銀が使われた(サークル)、耳飾り、首飾り等、装飾品と僅かな布地が褐色の肌を隠してはいるが、胸や臍、腰や腿など大部分が露出している。編み込まれた黒髪は深い色合いから紫にも見え、妖艶な雰囲気を作り出している。

 身体の何処か一部でも見てしまえば『魅了』されてしまうのではないかと、理性が警鐘を鳴らし続ける程の美貌を前に、ベルは頬を熱くしながらも歯を食い縛り身構える。

 

「さて、こうして会うのは二度目になるか。最初に目にした時はあの女神(おんな)の趣味を疑ったものだが……なるほど、撤回しよう。いい面構えをしている」

 

 思考を蝕む程の美貌を前にベルは無意識に喉が鳴る。その様子を女神は面白そうに眺め、笑った。

 自らの意思に反して激しく脈動を繰り返す心臓の鼓動を感じながら、ベルは声を絞り出した。

 

「……何で、ダンジョンで僕たちを襲ったんですか」

 

 その答えは既に知っている。しかし時間稼ぎの意味も兼ねて問いかけると、ベルの思うよりあっさりと女神は答えた。

 

「ベル・クラネル。戦争遊戯(ウォーゲーム)で名の知れたお前には、私もそれなりに興味は抱いていた……後は気に食わない女神(おんな)への当てつけさ」

 

 まるで唾を付ける様に、ベルに紫煙を吐き掛けた彼女は続ける。

 

「ミリア・ノースリスの方はずっと前からだ。あの女神(おんな)がわざわざ二つ名を付けてやるほどに気に入っているらしい小人。それだけなら手を出す気なんぞなかったさ────だが、戦争遊戯(ウォーゲーム)で見せた『魂の変質』と『強力無比な魔法』。あれを見て、気が変わった」

 

 残忍さと嗜虐心を混ぜ込んだ様な表情がその美貌を歪め、酷く歪でいて恐怖を駆り立てる程の美しさがベルの動揺を誘う。

 

「その魂を封じ強大無比な魔法の発動装置として道具にする。当然、使うならば砕く必要があるわけだが────気に食わない女神(おんな)の目の前で殺生石(たましい)を砕いてやったら、どんな反応が見られるだろうなぁ?」

 

 お気に入りの魂を砕かれた挙句、それの持つ魔法がフレイヤの派閥を喰い散らかす。想像するだけで体の芯が熱くなると、女神は体を震わせた。

 言葉の意味を噛み砕き、理解するより前に女神は不敵な笑みを浮かべて告げる。

 

「喜べ。お前を『魅了』して、私のモノにしてやる」

 

 凄む事で更に増した色香に加え、その宣言に動揺したベルが一歩分後ずさる。

 女神の宣言に恐怖と困惑を感じながらも、今が交渉の機会(チャンス)だと自身に言い聞かせる。

 二人の従者に見張られながら、間合いを残して『美の神』との正対を続ける。

 

「……聞かせて、ください」

「ん?」

「どうして、春姫さんを犠牲にするんですか?」

 

 家族(ミリア)を犠牲にしようとしている事、それは到底許せる行為ではない。しかし同時にイシュタルは自身の眷属である春姫を犠牲にしようとしている。それはベルには到底理解できない行為だった。

 腹を括っての質問に、女神は大声で笑った。

 

「ははははっ!? この私を前にして他の女の話が出来るのか、貴様!」

「こっ、答えてください!?」

 

 煙管を咥えて笑うイシュタルに、ベルは声を荒げた。

 肩を揺らす女神は益々気に入ったと、機嫌良く話始める。

 歓楽街に売り払われた、春姫はそう語った。しかし女神が言うには、物好きの豪商達の慰み者になりかけていた所を、自分が無理矢理買い取ったのだという。

 その事実に、ベルがうろたえる。

 そんな彼の様子を楽し気に見やりながら、旨そうに煙管を吸った女神はベルに答えを告げた。

 

「私が拾った命だ……親のために子は尽くすものだろう?」

「そんな……!?」

「それになぁ、ベル・クラネル? 私は春姫を殺そう等と思ってはいない。あの女神を倒せば、あいつの魂は返してやる。少しの間借りるだけだ」

 

 ミリアはどうなるんだ!? とベルは心の中で叫んだ。

 目の前の女神の語りから、きっとミリアの魂は返す事無く砕き壊すのだと朧げに理解して身を震わせながら必死に堪える。

 ミリアだけではない、春姫の魂を封じた『殺生石』の欠片が、【フレイヤ・ファミリア】と言う最強の派閥との戦闘のさ中に失われない保証など、どこにもない。

 全てが終わった後、複雑な事情を抱えながらも優しいベルの家族も、優しい微笑みを浮かべた春姫も、どちらもきっともう帰ってこない。

 湧き上がる激情を押し留め、ベルはただイシュタルを睨み付けた。

 

「言っておくが……春姫は私が手を下さずとも、他の誰かの手によって同じ運命を辿る。ミリア・ノースリスの方も同様だろう……あれらが秘める『力』はそういうモノだ」

「……!」

「『恩恵』を与え、あの娘の【ステイタス】を拝んだ時の私の気持ち……わかるか?」

 

 女神の言葉に僅かな熱が帯びる。その瞳の奥に燻る何かを感じながらも、ベルはただ歯を食い縛っていた。

 

「震えたぞ、この『力』をもってすればあの気に食わない女神(おんな)を引きずり下ろすのも可能だと!?」

 

 イシュタルが執拗に口にする『気に食わない女神』────都市最強派閥の美神の事だ。

 春姫の『力』は彼の派閥を倒せる程に強力で、万人を引き付けてしまう代物だとでもいうのか。それは、ミリアも同様の『力』を持つ事を意味している。

 あの春姫は神の予想を裏切る『可能性』を持っていたと、女神は燻る炎を燃やし語る。

 

「春姫は私の切札だ! フレイヤを奈落に突き落としてやる!!」

 

 奥底に燻る炎の正体が、嫉妬と憎悪に基づく真っ黒な代物だと遅れて気付いたベルが、声を飛ばす。

 

「どうしてそこまで【フレイヤ・ファミリア】を……!?」

「どうして、だと!? 全てが気に食わんからだ!?」

 

 眦を裂き、怒りの形相を浮かべた女神(イシュタル)が吠える様に、嫉妬を爆発させる。

 

「私を差し置いて男どもはあの女を最も美しいと称えやがる、ふざけるな!? あのメス豚のどこが私の美貌を上回る!? 男どもの目は節穴か!?」

 

 『下界の人間』では理解しきれぬ超越存在(デウスエア)の激情。それを目の当たりにしたベルが仰け反る。二人の従者すらもたじろぐ程のそれ。

 

「……で、でもっ!? それに春姫さんを利用していいわけが……ミリアなんか少しも関係無いじゃないですか……!?」

 

 意思に反して屈しそうになる膝をとどめながら、ベルは訴える。

 それは余りにも身勝手だという少年に、女神は激情を納めて微笑みを浮かべて応えた。

 

「失敬な。私が血も涙も無い神だったら、春姫を『魅了』しつくしてとうに人形にしているさ。私の命令だけを聞く、忠実な女狐にね」

「それは……」

「私は私なりの慈悲で、あの哀れな娘を可愛がってきてやったぞ?」

 

 掌の上で煙管を回すその姿に、ベルは問いを続ける。

 

「じゃあミリアは、ミリアはどうして!?」

「……はぁ────あの女神(おんな)に気に入られている。それ以外に理由が必要か?」

 

 そも、私の前に立つお前もそうだろう。と女神(イシュタル)は首を傾げた。

 その尊厳を無視した発言に、相手が神であるという事を忘れ、ベルは感情を爆発させた。

 

「そんなの、そんなのおかしい……!? ただ気に入られただけで、殺されなくちゃいけないだなんて!?」

「何をそんなに荒ぶる────そも、地上の人間(こども)は神に目を付けられない事を祈りながら過ごすものだろう? ただ運が悪かっただけでは無いか」

 

 津波、洪水、地震────天災に遭い命を落とすのと変わりない。神が関わる『神災』に巻き込まれた不幸を嘆くならまだしも、神に盾突くなど愚かだ。と女神(イシュタル)は無知な子供の癇癪と切り捨てる。

 神と人の価値観の相違。

 『下界の人間』の意思も尊厳も、命すらも軽視した 超越存在(デウスエア)である女神の思考に、ベルは途方もない衝撃を受けた。

 『下界の人間(こども)』であるベルと、目の前の超越存在(デウスエア)であるイシュタルには埋められない差がある。それが思考の差に繋がっている。

 ────目の前の女神とは理解し合えない。

 

「……っ!! だったら! だったらなんでレーネさんにあんな事をッ!?」

 

 家族(ミリア)が犠牲となる理由は、『神災』に巻き込まれたもの。

 春姫が犠牲となる理由は、女神の『神意』によるもの。

 ────では、レーネ・キュリオと言う女戦士(アマゾネス)への行き過ぎた罰は何なのか。

 死すら命じられ、女神の傀儡に堕とされている理由。

 時間を稼ぐといった思考から外れ、ただ理由を問うたベルに、女神はせせら笑った。

 

「言っただろう。アレは私の眷属だが、アレはそう思っていない。未だにウェヌスを崇拝する異端者だ。異端の者には相応の扱いというものがある。ベル・クラネル。お前とてそれぐらいは理解しているだろう?」

 

 交渉にすらならない。神の思考を微塵も揺らす事が出来ない。

 呆然とする少年に対し、イシュタルは唇に添えていた煙管を離した。

 

子供(おまえ)の我儘と、(わたし)の真理ではいつまで経っても平行線だ。もとより、付き合う気は無い」

 

 目を細めたイシュタルは、まるで蛇を思わせる様な瞳でベルを真正面から捕え────身に着けていた衣類を脱ぎ始めた。

 

「ほあぁっ!?」

 

 それまでの張り詰めた空気が途切れ、艶めかしい布が擦れる音が響く。

 一瞬で茹で上がった様に顔を赤くしたベルが奇声を上げる。

 

「えっ、えっ、ええええっ!?」

「うぶなやつめ。主神(ヘスティア)は何も教えていないのか……って、ああ、あいつは処女神だったな」

「なななななっ、なんで服をっ!?」

 

 女神(イシュタル)を直視しない様にベルが咄嗟に目を閉じて顔を伏せる。

 

「目を開けろ。私を見ろ」

「ででででっ、出来ませんんっ!?」

「人質がどうなっても良いのだな?」

「────ッッッ!?」

 

 女神(イシュタル)の問いかけにベルが顔を上げると、僅かな衣料を脱ぎ捨てて全裸となった女神の姿が飛び込んでくる。そのすぐ傍では、青年従者が無言で『青の閃光弾』を手にしていた。

 意図に反する事をするとどうなるのか、それを察したベルは顔を赤くし、青くし、著しく取り乱す。

 

「言っただろう。私の()()にしてやると」

 

 『美の神』である美しさ、『性の神』としての色香。『下界の人間』には過ぎた刺激が、瑞々しい褐色の肌から放たれる。

 全身という全身が燃え上がる様に赤く染まるベルに、イシュタルは艶然と微笑む。

 

「骨の髄が溶けるまで────『魅了』してやる」

 

 そして、身も心も全てを奪い尽くしてやると嗜虐的な色をその瞳に宿した。

 真っ赤から真っ青になったベルに、女神は緩やかに手招きをした。

 

「────こい」

 

 どれほど厳しい修行を積み、悟りを開いた者であったとしても、この女神の誘いは拒絶できないだろう。

 脳髄を溶かし、理性を蒸発させ、雄を獣に変貌させる『魅了』が込められたこの誘い。現にベルの背後に居た獣人従者は鼻息荒く目を充血させて女神を見つめている。

 イシュタルの傍に立つタンムズですら僅かに身動ぎする程の、壮絶な『魅了』。

 それを前にしたベルは、ほんの少し躊躇う。しかし、タンムズが手にしている『青い閃光弾』を見て諦めた様にイシュタルへと歩み寄った。

 一歩、また一歩と近づく度に咽返る程の色香が漂う事にベルが奥歯を噛み締める。

 手を伸ばせば届く距離にまでベルが辿り着く頃には、ベルの顔は赤く染まっていた。

 

「…………どうした、来ないのか? 胸でも尻でも、今なら好きにできるぞ」

 

 自ら貪るのではなく、ベルの方から貪らせる事で女神(フレイヤ)に対して優越感を抱こうとしていたイシュタルは己の豊満な胸をベルに差し向け、その瞳を覗き込んで────動きを止めた。

 

「待て」

 

 今まさに理性が蒸発し、目の前の子供が獣欲のままに自らを貪る雄になると確信していたイシュタルは、けれども少年の瞳に宿る葛藤が自身の想像するものと違う事に気付いてしまった。

 理性を繋ぎ止めようとしているのではない。獣欲を抑え込もうとしているのでもない。咽返る色香に脳髄まで溶かされている者の反応ではない。

 目の前の少年は、ベル・クラネルの視線はタンムズが持つ『青い閃光弾』に注がれていた。

 

「──────」

 

 女神の思考が完全に停止する。

 普通であれば、どんな者もイシュタルが魅惑した時点で既に『魅了』されているはずなのだ。

 『美の神』の前では、美貌が、香りが、吐息が、その全てが五感を刺激してあっという間に万人を虜にしてしまう。本来ならば体を重ねるまでも無く、イシュタルがその気になった時点で終わりだ。

 美神を前にしてただの『下界の人間』風情が抵抗出来る筈無い。

 しかし、目の前の少年は女神ではなく、その脳裏に人質の姿を思い浮かべる程の余裕がある。獣欲のままに美神を貪る雄に堕ちていない。

 

「何故コイツは『魅了』されない!?」

 

 ベルからすれば突然の女神の憤激。タンムズと獣人従者は女神の怒気に当てられ怯む。

 美神の『魅了』はモンスターの『毒』や『麻痺』といった状態異常とは一線を画す。『耐異常(アビリティ)』を持っていたとて防げる代物ではない。

 美の神としての矜持を深く傷つける出来事に、イシュタルは目の前の少年をキッと睨み付けた。

 

「服を脱げ」

「ええっ」

「服を脱いで背中を見せろ!!」

 

 ぎょっとした表情を浮かべたベルは、目の前の美神ではなく見張りとして立っているタンムズの持つ『青い閃光弾』を見やってから身を強張らせながら服を脱ぎ始める。

 ベルが行ったその一連の動作こそ、美神ではなく人質を気にするその仕草こそが女神の怒りを買う行為だと理解していない。

 イシュタルに背を向けたベルが、目の前から裸体が消えた事に安堵した様に吐息を零し────イシュタルの表情が憤怒に染まる。もはや美神ではなく鬼神と言っても差し支えない程の表情となった女神は、けれどもそれらを堪えてタンムズに命じた。

 

「『開錠薬(ステイタスシーフ)』を寄越せ!」

「はっ」

 

 素早くベルの背中に『(ロック)』にて隠されている【ステイタス】を暴く為の非合法の道具を使用し、手順を踏んで開錠(ピッキング)を行う。

 何をされているのかわからずとも、何か良からぬ事をされているとベルは察するが、抵抗した際に払う代償の事を考え、大人しく拳を握り耐える。

 まだかまだかと、待ちきれない様子で開錠(ピッキング)を待つイシュタルは、過去にあった似た出来事を思い出していた。

 

 

 

 

 

 ────美の神だけが集まってお茶会しましょう。

 そんな招待状を送ってきたのは天界でも有名な美を司る神、ウェヌス。

 下界に下りてきて暫く、フレイヤの急成長に僅かながらの嫉妬心を抱き始めていた頃の話だ。

 集まったのは『美神』だけ。近い未来、イシュタルが滅ぼし天界へと送還した女神達が一同に会していた。

 

「────でねぇ、レーネちゃんが可愛くてねぇ~。手をぎゅって、ぎゅーってしてくれてね」

「あら、ウェヌスの所の団長に出来た子だったかしら」

「そうそう、凄く可愛いんだよぉ~」

 

 庭園に設けられた会場。

 その中央で主催者であるウェヌスが理性を溶かした様に『レーネちゃんが可愛い』と、団長だった女戦士(アマゾネス)が産み落とした子供の話を繰り返していた。

 生まれたばかりの赤ん坊に違い等無いだろうに、とイシュタルは内心で吐き捨て、ウェヌスの話を聞いている女神を見ていた。

 ウェヌスの傍で話し込んでいるのは、銀色の髪を揺らす美神(フレイヤ)。彼女はウェヌスの話を聞いては相槌を打ち、時折質問を投げかけて、とこの茶会を楽しんでいる様子が伺える。

 

「やっぱ一番可愛いのはレーネちゃんだよね!」

「あら、私の所のミアも負けてないわ」

「わっちの眷属(こども)の方が可愛いに決まっておろう?」

 

 美神達が自身の眷属自慢を始めた頃、フレイヤの様子の確認を目的に参加していたイシュタルにもその矛先が向けられる。

 

「イシュタルの所はどう? 確かフリュネって子がいなかったっけ? もしくはアイシャちゃん?」

「……何を馬鹿な事を────私が一番美しいに決まっているだろう」

 

 すり寄ってきたウェヌスに、『下界の人間』如きが己の美貌に敵う筈もないと吐き捨て、拒絶する様に追い払う。

 ウェヌスやフレイヤ、他の美神達がほんの僅かに表情を険しくしてイシュタルから距離をとり、再度誰の眷属(こども)が可愛いかと言う話題に華を咲かせる。

 ────次に開かれた茶会に、イシュタルは呼ばれなかった。

 

「何故、私を呼ばなかった!?」

「えぇ~、だって美神が集まる中で『私が一番美しい』なんて言ったら喧嘩になってしまうのよ?」

 

 イシュタルって空気読めないでしょう? だから呼ばなかったのと、ウェヌスは隠す事無く告げた。

 それはもう包み隠す事もせず、率直に、ド直球に、もはや取り繕うとかそんなモノではない程にあっさりと、女神(イシュタル)の言動を批難した。

 彼女はその言葉に大いに苛立たせ、【ウェヌス・ファミリア】との敵対を確定的なモノへとかえた。

 

 

 

 ウェヌスが溺愛する眷属達。その内の一人の獣人の少年を魅了した。

 それはイシュタル派と他の女神達の対立が激化し始めた頃の話だ。

 

「それで、どんな気分だ? なあ、ウェヌス?」

 

 【ウェヌス・ファミリア】の本拠。その女神の寝所にて、イシュタルはウェヌスを押し倒していた。

 首に手をかけ、馬乗りになり締めあげる。苦し気に藻掻く彼女の表情を見ながら、イシュタルは自らに尻尾を振るウェヌスの眷属だった獣人の少年に長し目を送る。

 その横でまだ終わらないのか、と詰まらなそうにフリュネが歯ぎしりをしている。外ではアイシャが戦闘娼婦(バーベラ)を率いて包囲網を敷いている事だろう。

 

「ほら見た事か、貴様が溺愛したその眷属(こども)は私に尻尾を振るう。お前が今まさに殺されそうになっているというのに、獣の様に私だけを見ている────お前の『魅了』が私に劣る証拠だ」

 

 今まさに死にゆくウェヌスを嘲笑う。

 自らが他の『美神』に勝っている証明を見せつけながら、イシュタルは体重をかけ彼女の首を折った。

 致命傷を与えられた女神の肉体が死ぬまいと『神の力(アルカナム)』を発動させる。

 この下界で何より美しい光の輝きを放つ女神の屍を見下ろし、イシュタルは指を鳴らした。

 下界の規則(ルール)に抵触し、『下界』という名の遊戯盤(ゲーム)に敗北した女神は、轟音と共に逆流する大瀑布の様な光の柱を生み出し、天界へと『送還』された。

 己の勝利を噛み締め、無様な敗北を喫したウェヌスに対し哄笑を送っていると────寝所の扉が開かれる。

 

「ウェヌス様っ!?」

「なっ────イシュタルっ、フリュネまでっ!?」

 

 【ウェヌス・ファミリア】を代表する親子。団長である母親と、その娘は恩恵の効果を失った体で、主神を殺したイシュタルを見つけた。

 それを遮る様に、フリュネが前に出る。

 

「今までの借りを返す時が来たねぇ」

「っ!? レーネェッ、皆を逃がしなさいっ!?」

「お母さんっ、でもっ!?」

 

 フリュネの姿を見た途端、母親の方はフリュネに飛び掛かり、娘に命令を下す。

 恩恵が消え、ただの一般人程度の身体能力にまで落ちた彼女の抵抗等、あってないようなものだ。即座にフリュネに捕まり────嗜虐的な笑みを浮かべたフリュネの手によって、拷問の様に手足を潰されていく。

 呆然としていた娘の方は、歯を食い縛ると即座に部屋を出て行く。

 下の階から、主神の死に動揺したウェヌスの眷属達が次々に戦闘娼婦(バーベラ)の手にかかる悲鳴と怒号が広がる。

 元ウェヌスの眷属達の鎮圧には十分も掛からなかった。

 

 

 

「殺してやるっ!! おまえ、絶対にィィィッ!!」

 

 両腕と両足を圧し折られ、芋虫の様に無様に転がるレーネ・キュリオを見下ろしていた。

 フリュネが彼女の母親だった躯を人形の様に彼女の前に放り投げ、序にアイシャを睨み付ける。

 

「なぁにしてるんだァ、アイシャァッ!!」

「フリュネが別館を倒壊させた所為だ。あの所為で何人も戦闘員が巻き込まれて手数が足りなかったんだろうが」

「巻き込まれた不細工共が悪いんじゃないかぁ」

「仲間が何処に居るかぐらい把握しとけよヒキガエル!?」

 

 言い訳じゃない、事実だ、とイシュタルの背後で言い争いを続ける眷属達を一睨みして黙らせ、目の前に転がるレーネを見下ろし、イシュタルはゆっくりと彼女に歩み寄った。

 

「レーネ・キュリオだな。ウェヌスのお気に入りだったか」

「死ねッッ!? 死ねぇぇっっ!!」

 

 這いずってでも殺してやる。憎悪に染まり、あらん限りの絶叫を上げ続けるレーネに、イシュタルは呆れと感心を混ぜ込んだ表情を浮かべた。

 天界へと送還した女神のお気に入り────己の『魅了』でコイツも奪ってやろう。天界からその様子を見たウェヌスがどんな表情を浮かべるのかを想像し、優越感に浸ったイシュタルは彼女を『魅了』しようと行動を起こす。

 行動を起こした、そう、『魅了』しようとした。

 

 その日、イシュタルはその娘を『魅了』出来なかった。

 ただ憎悪の限り叫び続ける彼女を『魅了』出来なかった。

 感情が憎悪一色に染まっているから、日を改めれば完全に『魅了』出来る。そう自分に言い聞かせ、イシュタルはレーネ・キュリオを捕獲して連れ帰った。

 

 一週間後、レーネ・キュリオは未だに『殺してやる』と叫び続けていた。

 一ヶ月後、レーネ・キュリオは未だに『死ね』と叫び続けていた。

 三ヶ月後、レーネ・キュリオはようやく口を閉ざした。

 

 半年間、フリュネの『拷問』とイシュタルの『魅了』を続けて、ようやくレーネは命令に逆らわなくなった。

 一年かけて『魅了(ちょうきょう)』し、生き残り復讐を誓う元ウェヌスの眷属達を殺す様に命令した。レーネは見事全員、一人残らず仕留めてきた。

 あれから数年────未だに彼女は女神ウェヌスを崇拝している。

 

 

 

 

 

 一分も掛からずに少年の背には、隠匿されているはずの【神聖文字(ヒエロクリフ)】が姿を現した。

 同時に、タンムズを押し退けたイシュタルがベルの【ステイタス】に目を走らせる。

 そして、言葉を失った。

 

「なっ────」

 

 幸運(アビリティ)速攻魔法(ファイアボルト)等、気になる点はいくつも散見される。

 だが、その中で女神の視線を奪い、脳裏の全てを埋め尽くしたのは一つの情報(スキル)

 【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)

 成長速度に影響を与える未確認の『レアスキル』。

 だが、それ以上にそのスキルから読み取れる少年の本質────正体。

 

 【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)】の副次効果────ベル・クラネルには『魅了』が効かない。

 

 美の女神として、()()だけは認められない。

 ()()だけは許せない。()()だけは駄目だ。

 長い時間をかけ調教すれば、ベル・クラネルもまた、レーネ・キュリオの様に屈服するだろう。しかし、奪えない。その心を奪う事が出来ない。

 その魂まで影響を与える美神の圧倒的支配力の効果を齎す筈の『魅了』が通じない。

 

 ────イシュタルは美の女神として、己の『魅了』が通用しない存在が許せない。

 

「タンムズ、こいつを────」

 

 殺せ、そう命じかけた所でイシュタルは踏み止まる。

 この『想い』を向けられている対象は誰だ、と。

 

「……そうか、そういう事か────ミリア・ノースリスか」

「ひいいいいいっ!?」

 

 何が起きているのか理解できていないベルが、ゾクリとした悪寒と共に思わず振り返り、悲鳴を上げて腰を抜かす。傍にいたタンムズや、獣人従者は完全に凍り付き、目の前の美神を畏れる。

 

「おい、お前」

「はっ」

「今すぐミリア・ノースリスを使って儀式を実行しろ」

 

 獣人従者に素早く指示を出すと、一瞬呆けて獣人が聞き返す。

 

「は……まだ時間ではありませんが」

「黙れっ、私は今すぐ実行しろと言ったんだ!!」

「っ!? わっ、わかりました。即座に儀式の実行をサミラに命じてきますっ!!」

 

 神がその全身全霊を向けて放つ嫉妬と憎悪。神の権能を『下界の人間』に踏み躙られたと感情の激発を起こしたイシュタルの大喝に、獣人従者が尻尾を丸めて逃げる様に儀式場に向かっていく。

 それに驚いたベルがイシュタルに向き直り口を開こうとし────その目に射抜かれて体を強張らせた。

 

「ベル・クラネル。褒めてやる……お前で二人目だよ、私の『魅了』が効かない人間(ガキ)は……」

 

 もはや人に向けるものではない圧を伴う視線。それだけで押し潰されそうな神威にベルの膝が折れる。

 このままでは不味い、と抗おうにも両手両膝を突いて床に伏せない様に抵抗するので精一杯。

 横に居るタンムズですら完全に硬直して動けない中、イシュタルは壮絶な笑みを浮かべ、神の権能を、美の女神の矜持を踏み躙り穢した異端者に告げた。

 

「貴様の愛おしい女の魂を、貴様の前で砕いてくやる」

 

 全身から血の気が引き、震えあがったベルがなんとか顔を上げて女神を見やる。

 嫉妬、憎悪、更に憤怒、これでもかと壮絶で醜い感情の色を宿したイシュタルの表情は、吐き気を覚える程に美しかった。

 打つ手無しか、このまま不完全な状態でミリアの儀式が実行されてしまうのか。そんな焦燥ですら女神の威圧の前に露と消え、意識が薄れ始める。

 息をする事が出来ない。呼吸を忘れ、視界の端が黒ずんでいく。このまま、窒息死してしまうのではないかとベルが危惧し始めた所で────カランッと広間に何かが投げ込まれた。

 

「何だ────」

 

 耳を劈く甲高い爆発音。視界を埋め尽くす白色。

 投げ込まれた閃光弾がイシュタルとタンムズ、そしてベルの視界を白く焼き尽くした。

 ベルはイシュタルの威圧が消えて突然瞳の奥に釘を刺しこまれた様な激痛を覚えて目を押さえて蹲る。キィィーンッと甲高い耳鳴りによって聴覚も失って何が起きているのかわからない。

 

「──────ッッ!!」

「────ッ!!」

 

 視覚と聴覚が失われているベルは、ふと腕を掴まれたのに気付いて慌てて振り払おうとするも、強引に抱き上げられてしまう。

 担がれる様に運ばれる中、何が起きているのかわからずに恐慌(パニック)を起こして手足を振り乱す中、徐々に戻る視界に廊下の風景を捕える。

 

「な、何が起きて……」

「────ッ! ────ッ!!」

「────、──ッ!!」

 

 そこでベルは気付いた。

 自身を担いで走る女戦士(アマゾネス)の存在に。

 そんな彼女の周りを囲んで走っているのは、戦闘娼婦(バーベラ)らしき女達。

 下手に暴れると人質に危害が及ぶかもしれないと、暴れるのを止め成り行きに身を任せる他無いとベルが歯を食い縛る。

 廊下を駆け抜ける彼女たちの前に、戦闘娼婦(バーベラ)が現れる。剣や槍、武装をベルに向けて何かを叫んでいた。

 このまま殺されるのかとベルが担がれたまま歯噛みしていると────突然、仲間割れが起きた。

 

「えっ!?」

 

 ベルを担ぐ女戦士(アマゾネス)を狙い、戦闘娼婦(バーベラ)が斬りかかってくるのを、周囲の戦闘娼婦(バーベラ)が防ぎ、斬り返す。

 瞬く間に乱戦になった戦闘娼婦(バーベラ)達に呆気に取られる中、担いでいた女は近くの部屋の扉を蹴破って侵入し、ベルの体を放り投げた。

 

「──え──? ──ネル、聞こえてるっ!?」

「って、え? あ、貴方たちはっ!?」

「儀式を妨害してっ! 今すぐっ!!」

 

 少年の目の前に居るのは、間違いなく【イシュタル・ファミリア】の眷属である戦闘娼婦(バーベラ)だ。しかし、突然の仲間割れに加え、目の前の女性は『儀式を妨害して』と叫んでくる。

 状況を理解できないベルに対し、短髪のアマゾネスは少年に素早く上着を着せた。言い分を聞く事も無く一方的にベルの腰のベルトにポーチや魔剣等を括り付けていく。

 目を白黒させて驚愕していたベルに対し、アマゾネスは無造作に窓を指さす。

 

「外壁よじ登って行って。早くっ!!」

「えっ、あっ、でも人質がっ」

 

 彼女達が何者なのか、何故仲間割れを起こしているのか。理解するには時間が足りない。

 

「人質は貴方の仲間が回収したっ、胸の大きな子供みたいな女神と、武術に通じた男神、それからその眷属達にねっ」

「えっ、貴女達は何者なんですかっ!?」

 

 ベルが問いかけるのと同時、廊下から血塗れのアマゾネスが吹き飛んできて部屋に転がる。

 夥しい量の出血をしており、今すぐ治療しなくては命が危うい。そう感じる程の負傷をした悍婦は即座に起き上がると、部屋に飛び込んできた別の戦闘娼婦(バーベラ)に掴みかかり、もみ合いになる。

 

「た、助けなきゃっ」

「馬鹿言ってんじゃない! 貴方が助けるべきは貴方の仲間でしょうっ!?」

 

 ベルが動こうとするより前に、アマゾネスに腕を掴まれ、強引に窓際に立たされた。

 

「こっちは良い、さっさといけぇえっ!!」

「行かせないよっ、クソ放せっ!?」

 

 もみ合いになりながらも叫ぶ女戦士と、ベルを捕まえようとする戦闘娼婦(バーベラ)

 飛び散る血を見て青褪めたベルは、けれども強引に窓の外に追いやられる。

 

「ああもう、私達は【イシュタル・ファミリア】を裏切った裏切り者だよっ。レーネの部下! ほらさっさと行って!!」

 

 簡単な説明と共にベルを窓の外に追いやり、窓を閉める。

 外壁の突起にしがみ付いて驚愕していたベルは、彼女の立場を薄らと理解した。

 イシュタルが『裏切り者が出た』と言っていたが、彼女たちの事だったのかと────次の瞬間、胸を剣で貫かれたアマゾネスが窓を突き破って落ちていった。

 

「────っ!?」

「捕まえたぁっ!!」

 

 手を伸ばそうとしたベルの横をすり抜け、落ちていくアマゾネスに気を取られた所で、戦闘娼婦(バーベラ)が身を乗り出してベルの腕を掴んだ。

 驚愕したベルが振り解こうとした所で、戦闘娼婦(バーベラ)が苦し気に呻き、力が抜ける。何が起きたのかと驚くベルを他所に、その悍婦は部屋に引きずり込まれ、先のもつれ合っていたアマゾネスが顔を出してベルを見つけて舌打ちを零す。

 

「行けって……言ってるだろ……」

 

 口の端から血を零した彼女は、宮殿の別館────儀式場を指さしてベルを睨み付けた。




 イシュタルは美の女神として己の『魅了』が通じない相手の存在を許せない。
 …………フレイヤ様だったら楽しそうに笑うんでしょうねぇ。

 『魅了』が通じないなら、ぶっ殺すイシュタル様。
 『魅了』が通じないなら、興味が出て試練を課すフレイヤ様。

 どっちもどっちだな(錯乱)




 ベル君の救援(?)にはレーネの部下である裏切り者が来ましたね。彼女らは……まあ、戦力的に戦闘娼婦(バーベラ)と同等、なおかつ人数も少数なので生存は絶望的でしょう。

 ちなみに、ミコトと出会ったアマゾネスが『裏切り者は5~6人しか居ない』って言ってましたが……あれ、嘘じゃないです。が、事実とは違います。

 レーネの部下全員が裏切ってます。
 パーティ単位でわけられていて、『自分達のパーティしか裏切ってない』と全ての班が思い込んでるだけです。

 例えA班の1人が捕まって女神に魅了&拷問で情報吐かされても、『自分の班だけ裏切った事』しか知らないので、A班だけが殲滅されて、残りの班は無事で済む。
 つまり神相手の情報戦です。知らなければ『嘘』にはならないですからね。

 ……当然、裏切り者同士、互いに裏切ったかどうかわからないので出会い頭に潰し合い確定。
 一人捕まったら全員裏切り者とバレて殲滅されるよりマシっていう。

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