魔銃使いは迷宮を駆ける   作:魔法少女()

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第一七七話

 高階のバルコニー。

 今まさに爆華を咲かせ業火に包まれる歓楽街を目にした淫都の王であるイシュタルは叫んでいた。

 

「早く防衛線を構築しろ! フリュネは何をしている!?」

「フリュネは未だに到着しておりません。今いる人員のみで防衛線の構築は済ませていますが、何分裏切り者のせいで混乱が────」

「私は()()()()と言っているのだぞ!?」

 

 男性団員の報告に感情的に叫び返しつつも、女神はこの状況を知った瞬間を思い浮かべて目元を釣り上げた。

 

 ────呼んでも居ないのにレーネが戻ってきた。

 赤の閃光弾が上がった場合、即座にイシュタルの元へ足を運ぶ様に命令を受けていた彼女は、自派閥が上げたものではない信号を目にして女神の元へ馳せ参じた。

 命じても居ないのに足を運んだレーネに対し、イシュタルは激怒する。時悪くベル・クラネルに逃走されて不機嫌な状態であった事もあり、彼女を処分しようかと本気で悩んでいた時だ。

 

『────【フレイヤ・ファミリア】が歓楽街を包囲してるけど、ヤバくない?』

 

 彼女の放った一言。

 その言葉に嘘が無い事に戦慄したイシュタルは、即座に歓楽街を一望できる高階のバルコニーに足を運んで、今の状況を知る事となる。

 Lv.3の戦闘娼婦(バーベラ)は大半が儀式場の警戒に当たっており、本拠内部も含め殆どがLv.2の戦闘娼婦(バーベラ)か、Lv.1の獣人を中心とした戦闘員を配置していた。

 【フレイヤ・ファミリア】が誇る戦闘員、更に幹部である第一級冒険者等の足止め等出来る筈もない。それに気付いてレーネに警戒態勢の変更を行う命令を儀式場に居る主力面子に伝える様に命じて数分。

 

「間に合わなかったか……!!」

 

 警戒態勢の変更もままならぬままに始まった襲撃に、女神は表情を歪めた。

 爆炎が弾け火の粉の混じる爆風が熱気を伴って高階にいるイシュタルの褐色肌を撫でる。

 歓楽街第三区画に侵入する人影────足止めとして飛び出したイシュタル派の眷属達の妨害をものともせずに速度を落とす事なく街路を直進し女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)を目指す冒険者の集団。

 それも一か所ではなく全方位から。

 都市屈指の大派閥に、宣告も無しに、暴虐的に、理不尽に襲撃を仕掛ける事の出来る派閥。

 体面など些事だと切って捨てる事の出来る派閥。

 もし、仮に、そんな派閥が居たのなら、イシュタルはその派閥を『馬鹿な相手』と断じるだろう。

 しかし、そんな派閥が存在する。ありとあらゆる派閥の対面を些事だと切って捨てて、宣告もせずに襲撃を仕掛けるそんな集団────美の女神を知っている。

 

「フレイヤァァァァッ!?」

 

 月が見下ろす『夜の街』。

 至る所で発生する爆発、閃光、悲鳴、怒号にかき消され、淫都の王の絶叫が響いた。

 

 

 

 

 

「しゅ、襲撃だ────ッ!?」

「きゃああああああああああ!?」

 

 絶叫と悲鳴が錯綜する歓楽街。

 月の光の元、魔石灯の明かりとそれを掻き消す爆炎に照らされる派閥の徽章。

 黄金の首飾りで縁取られた戦乙女の側面像(プロフィール)

 【ファミリア】のエンブレムが刻まれた鎧に身を包み、武具を振るう者達が進行を妨害せんと立ち塞がる戦闘員を次々に切り伏せていく。

 銀閃、刺突、殴打、爆発。

 ヒューマンの剣が、エルフの槍が、ドワーフの戦槌が、獣人の魔法が、その道を阻まんとした戦闘娼婦(バーベラ)を再起不能にし、地に沈めていく。

 一斉に巻き起こった一方的な蹂躙に、非戦闘員の娼婦達が金切り声を響かせ逃げ惑う。

 娼館から飛び出して我先にと逃げようとする彼女達を、彼らは見向きもしない。

 魔法の爆炎に煽られて怪我をして呻く娼婦の助けを求める声すらも無視し、目の前に飛び出してきた娼婦を反射的に切り伏せて地に沈めようとも、彼等は止まる事は無い。

 武装した彼らは、非戦闘員が巻き込まれようとも微塵も気をかける事無く羽虫を払う感覚でそれらを排し、抵抗する邪魔者は確実に駆除していく。

 

「此処を通して貰おう」

 

 歓楽街外周部。

 【フレイヤ・ファミリア】が敷いた包囲網。

 その包囲を指揮していた幹部に一人の小人族(パルゥム)が話しかけていた。

 

「…………【勇者(ブレイバー)】、更に神ロキまで、何の用だ」

「同盟派閥である【ヘスティア・ファミリア】が襲撃を受けて【イシュタル・ファミリア】に囚われているという()()()()()。今からそれの調査を行う」

 

 【ロキ・ファミリア】団長、第一級冒険者【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナ。

 彼の背後には完全武装した派閥の戦闘員、更に幹部までもが勢揃いしているた。

 【重傑(エルガルム)】【九魔姫(ナインヘル)】【剣姫】【大切断(アマゾン)】【怒蛇(ヨルムガンド)】【凶狼(ヴァナルガンド)】。

 彼らの目的は『【イシュタル・ファミリア】の襲撃を受け攫われた【ヘスティア・ファミリア】眷属の奪還』。

 突然、傷を癒していたフィン達の元へ現れた藍色の女神が伝えてきた情報。それを聞き即座に動ける戦闘員を纏め、『青の閃光弾』の合図を待ち続けていた。

 彼等はその光弾が宮殿より上がったのを確認した瞬間、本拠を飛び出して監視していた戦闘娼婦を潰して即座に歓楽街外周部にまで辿り着き────【フレイヤ・ファミリア】の包囲網によって足止めされている。

 

「フレイヤの奴、よっぽど今回の件でブチギレとるらしぃ~なぁ~」

 

 武装した集団からゆったりとした仕草で歩み出てきたロキは、ほんのりと口元に笑みを浮かべながら【フレイヤ・ファミリア】幹部の青年を見上げた。

 美の女神のお眼鏡に適う程の美貌と才能を持つその青年は、他派閥の主神を前にしても毅然とした態度を崩さずに告げる。

 

「女神の命により、此処は通せない」

 

 此処を通さない。

 女神フレイヤが他の神の手が入る事を嫌い、完全封鎖して他派閥の介入を妨害するような真似をしている。

 イシュタルが起こした行動がフレイヤの逆鱗に触れたのだろう。だからこそ、派閥としての体裁も何もなく、非戦闘員すらも盛大に巻き込んでの殲滅戦を行っている。

 今まさに歓楽街にて立ち昇る黒煙と、未だに続く爆発音からもそれは察する事が出来た。

 

「はぁ~、フレイヤの気分もわかるで? めっちゃわかるわぁ~」

「……帰れ。女神の命により此処は通さない。何度頼まれようが知った事ではない」

 

 暖簾に腕押し。一切聞く耳を持たないその青年に、ロキはにんまりと笑みを浮かべ────表情を一変させる。

 

「フレイヤァ……ようやってくれおったなぁ……」

 

 つい三日ほど前、『人造迷宮(クノッソス)攻略作戦』の失敗によって痛手を負い、眷属を幾人も失った。

 それに加えて、此度の【イシュタル・ファミリア】の襲撃でヘスティアの元へ送り出した眷属の命が失われた。

 フレイヤがどれほどの怒りを覚えたのか、どんな逆鱗に触れられたのか等、ロキには関係無い。

 ────ロキもまた、愛した眷属を殺害されるという、他に無い逆鱗を逆なでされているのだ。

 

「ロキ、どうする?」

「……ここでフレイヤと抗争は避けたいんやけどな」

 

 立ち塞がる【フレイヤ・ファミリア】の眷属達。

 外周部を固めているのは第三級冒険者や第二級冒険者。内部に対し殲滅戦を行っている主戦力と比べれば劣る者達だ。

 【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者をぶつければ、文字通り蹴散らす事が出来るだろう。しかし、それを行えば都市最大派閥である【フレイヤ・ファミリア】と、【ロキ・ファミリア】の抗争の火蓋が切られる事となる。

 しかし、それを踏まえた上で、イシュタルには()()が出来た。何が何としてでも取り押さえ、闇派閥(イヴィルス)の情報、人造迷宮(クノッソス)の情報、そして命を落とした眷属の雪辱を晴らさなければと考える。

 

「……抗争か」

 

 【ロキ・ファミリア】からすれば、【フレイヤ・ファミリア】が勝手に横槍を入れてきたも同然。しかし、断然行動が早かったのはフレイヤの方だった。

 ロキの方は眷属を人質に取られ、内部に侵入した【ヘスティア・ファミリア】が人質の救出を行い『青の閃光弾』にて合図を送ってくるのを待つしか無かったのに対し、フレイヤの方はそんなもの些事である。

 

「ガネーシャも来とるようやな」

 

 歓楽街から響く爆音にすら勝りそうな程の大声。

 別の場所から聞こえる『俺がガネーシャだっ!』と言う叫びを聞いたロキは頭を掻いた。

 

「【ガネーシャ・ファミリア】と連携して事に当たる方が良いかな────イシュタルが天界に送還される前に」

 

 周囲の目を一切気にしない、ド派手な行動で【イシュタル・ファミリア】と事を構えたフレイヤ。

 ロキは彼女が確実にイシュタルを天界に送還すると考えていた。

 故に、此処で最大派閥同士の抗争を引き起こしてでも突入するか、それとも目の前で情報を握った復讐対象が殺されるのを眺めているか。

 

「……ガネーシャん所に伝令を出してや。五分後、仕掛けるで」

「良いのかい?」

「責任はウチがとったる」

 

 

 

 

 

 途切れぬ悲鳴と爆音の中、優雅な足取りを崩す事なく歩む異質な女神が居た。

 歓楽街の街道。誰に阻まれるでも無く進む足取りは軽く、微笑を携えたその顔は爆炎に照らされ妖艶な彩りを映し出す。

 彼女を守る戦士達が彼女に訪れる危険の全てを捻じ伏せ、障害を一つ残らず取り除いていく。

 

「オッタル様は既に敵本拠に」

「【ロキ・ファミリア】と【ガネーシャ・ファミリア】が動き始めました」

 

 男女二名の眷属を連れて街路を北上する女神、フレイヤは短く「そう」とだけ返した。

 周囲にて巻き起こる蹂躙、非戦闘員すら巻き込む惨劇の引金を引いた彼女は微塵も悪びれた様子も無く、不遜に、一切を試みもしない絶対の神意を掲げ、蹂躙劇のさ中を優雅に歩んでいく。

 

「貴方達も向かいなさい。あの子達は、あそこにいる」

 

 前方、金に輝く外装の大宮殿を銀の瞳が見据える。

 空中庭園にて行われた儀式。その様子は図らずとも彼女の瞳に映っていた。その儀式の結果、興味を持っていた魂が引き裂かれる様を捉えていた。

 

「邪魔する子は全て蹴散らしなさい」

 

 そして何としてでも少年を見つけ、少女を止めろと命じる。

 

「あの子を戦わせてはいけない。オッタルにも伝えてちょうだい」

 

 一礼した団員達が散っていく中、フレイヤはただ歩みを重ねていった。

 戦場の風がふわりと銀の長髪をあおる、絶える事のない剣戟の音、充満していく血と炎の匂い、それらに包まれながら女神は悠然と大通りの真ん中を進み行き、やがて女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)の正面に辿り付く。

 開けた前庭の中で、『魔法』で爆破された痕跡が残る正面玄関を認めた彼女は、確信を持って頭上を仰ぐ。

 その銀の双眸と、高階のバルコニーから見下ろす紫の双眸と絡み合う。

 標的を見つけた鷹の目を思わせるフレイヤの瞳が艶然と細められ────絶対零度の微笑みを浮かべた。

 対し、高階から見下ろす同じ美神は顔を真っ青にして震える。

 

 

 

 失われていく魔石灯の明かりに変わる様に、赤々とした炎が歓楽街を照らしていく。

 包囲網によって退路が塞がれ逃げ場の無い娼婦達が奏でる甲高い金切り声と、時折響く剣戟の音、未だに響く爆音が奏でる異彩な交響楽団(オーケストラ)が、未だに終わらぬ戦闘を物語る。

 広大な迷宮都市(オラリオ)の中で、欲望と姦淫の街が月夜の光を掻き消す程の紅に染まっていた。

 

「こんなことになってしまうなんて……」

 

 都市を囲む巨大市壁。その南東部から歓楽街を見下ろしていた優男の神が悲鳴めいた声を零す。

 背後に従者(アスフィ)を連れ、羽根付き帽子を被ったヘルメスは、市壁の上から血と炎に彩られる歓楽街を眺望していた。

 

「ベル君の存在をイシュタルに知らせてしまったのは他でもない、オレだ……」

 

 刻一刻と変化を続けていく歓楽街に向かって、ヘルメスは呟く。

 

「殺生石を二つも運び込んでしまったのも、オレだ……」

 

 胸壁の前に立ち、橙黄色(とうこうしょく)の髪と瞳を炎で赤く照らされながらその胸を震わせた。

 

「オレが原因の一端を担ってしまうなんて……あぁ、なんてことだ、胸が痛む……」

 

 演劇を思わせる様な大仰な身振り手振りをした後、ヘルメスは胸を押さえて蹲った。

 そんな主神の奇行をアスフィは冷めきった瞳で見つめている。

 一際大きな爆発音によって空気が震えるさ中、彼女はおもむろに口を開く。

 

「で、どこまで()()()()なのですか?」

 

 眷属の問いかけに、顔を伏せていた男神は唇を吊り上げる。

 雰囲気を豹変させてそれまでの芝居がかった仕草を止めると、くるりと振り返りアスフィと向き合う。

 

「断っておくと、最初からこんなことを望んでいた訳じゃない。ただ、面白そうな事が起こりそうだから、俺は火種を持ち込み、各所に放った……それだけさ」

 

 いけしゃあしゃあと言い放たれた言葉に、アスフィは眼鏡の奥の瞳を鋭くする。

 ヘルメスは種を持ち込み、蒔いた。

 あくまで、中身を知らない荷物を依頼通りにイシュタルに届けた()()

 あくまで、不本意なイシュタルの尋問に口を滑らせた()()

 あくまで、身の保身の為にフレイヤにお気に入りの子供が狙われている情報を流した()()

 あくまでそれだけだ。その中でヘルメスが責められるべき所は無い処か、依頼主を裏切り中身の情報をベルやミコトに提供してあげる()()があった。

 ヘルメスは悪びれる事もなく正面を向き直り、抗争という炎に紅く染まる歓楽街を見下ろした。

 

(オレ)の掌の上で踊れ、なんて言うつもりはないぜ。そうさ、全てが予想外だ。ただイシュタルの嫉妬がオレの予想を裏切って遥かに大きく、凄まじく。フレイヤの愛がオレの予想を裏切って遥かに少年(かれ)少女(かのじょ)に向けられていた」

 

 全て自身の予想を上回っていた結果、早くにことが起きてしまった。

 言葉と裏腹に嬉しそうに笑みを浮かべ、ヘルメスは続ける。

 

「いやぁ、ままならない。女神(おんな)の嫉妬は怖いなぁ、アスフィ?」

「………………ミリア・ノースリスに殺されますよ」

 

 心底おかしそうなその声に、アスフィは振り向きもしない男神の背中を見つめて警鐘を告げた。

 

「ああ、可哀想に。女神の嫉妬に巻き込まれて不幸に陥る彼女を想うと、オレの胸が痛む……だが、これも必要な事だったんだ。どうかわかって欲しい」

「……本当に、殺されますよ」

 

 本当に、本気で【ヘスティア・ファミリア】を助ける積りだったのなら。

 情報屋を脅してミリアに届く()()()()()()()()()必要は無かった。

 

「『殺生石』の情報、そこから付随する『儀式』の情報。それを制限していたのは────」

「────アスフィ」

 

 不意に放たれた真面目な声色。

 固く決意に満ちたその音に、アスフィは口を閉ざし、続きを待った。

 

「彼女は、ミリア・ノースリスは()()()()()()希少(レア)な魂、そんな言葉ですら陳腐な言葉に成り果ててしまう」

 

 だからこそ、今回の儀式は必要な事だった。とヘルメスは一切アスフィの方を振り向く事無く言い切った。

 

「彼女には自覚が足りない、意思が足りない、覚悟が足りない」

「恩恵にすら刻まれる家族(ファミリア)への愛では足りぬ、と?」

「ああ、足りない」

 

 明確な助言すら与えず、『殺生石』の情報を伝えたのみ。以降は全て少年の意思に委ねた。

 ベルが逃走しロキの元へ助けを求めにいっていれば、ミリアが上手く逃げおおせていれば、フレイヤは動く事は無かった。

 ベルとミリアの行動次第で────本人達の知らぬ所で、状況は二転、三転した。

 少年は一度決めた事をやり遂げんと行動し続けた。一人の狐人(ルナール)を救う為に。

 少女は動きを鈍らせ、覚悟が揺れ、思考が乱れ、行動は精彩を欠いた。ほんの少し、揺らしただけでソレだ。

 足りない。足りない。足りない。

 少年の傍を歩み行くには、少女には足りないモノが多すぎる。

 ヘルメスの語りに耳を傾けていたアスフィは、ほんの少し間をおいて問いかけた。

 

不穏分子(イシュタル・ファミリア)の壊滅が目的でしたか? それとも娯楽? あるいは……()()ですか?」

 

 投じた石の目的を問うたアスフィは、主神の考えを全ては理解できない。しかし、それでも此度の一件によって複数の目的を同時に達成しようとしたのではないかと、おぼろげながらに読み取る。

 その眷属の問いかけに答える事無く、ヘルメスは一笑した。

 

「人も、神々も……あんな一人の女の子だって求めてる。みんなそうさ」

 

 市壁の眼下。

 歓楽街で巻き起こる抗争の気配につられて繁華街から通りに出てくるヒューマン、亜人(デミヒューマン)

 随所で歓楽街の動向を見守る神々。

 そして、空中庭園で気を失っている狐人の少女。

 それらの光景を目に焼き付けた後────最後に宮殿屋上に戦場を映して巨女と凄まじい戦闘を続けている少年と少女、それらと肩を並べる仲間や元敵を見据えながら、ヘルメスは核心に迫った。

 

「世界は『英雄』を欲している」

 

 『三大冒険者依頼(クエスト)』の最後の一つ、隻眼の黒竜。

 都市に蠢く闇派閥(イヴィルス)を筆頭とした闇。

 そして、全ての元凶────迷宮(ダンジョン)

 平和な日々の裏側、誰もが目を逸らし見ようとしない、災厄と破滅への爆弾。

 世界が切望し続けている『英雄』の誕生は急務である、とヘルメスは断言した。

 

「世界が望む悲願のため……オレはベル君を選ぶ」

「【フレイヤ・ファミリア】でも【ロキ・ファミリア】でもなく?」

「そうさ」

「……ミリア・ノースリスは何のために」

「『英雄』を更に昇華させるための増幅装置(ブースター)かな」

 

 月夜の闇を身に纏いながら、ヘルメスは眷属の問いに即答していく。

 問いかけが止まり、しばらくしてヘルメスは独白する様に言葉を紡ぎ出した。

 

大神(ゼウス)、貴方が成し遂げられなかった使命はこのヘルメスが、いやこの(オラリオ)が成し遂げよう」

 

 口角に笑みを刻み込み、男神は高らかに告げる。

 

「オレ達が、彼を最後の英雄へと押し上げてみせる」

 

 ふいに、ヘルメスは帽子の鍔を片手で上げ、眼下に広がる血と炎に彩られる歓楽街の光景を見下ろしながら、目を細める。

 

「そのために……女神(イシュタル)とその眷属達よ、(いしずえ)となってくれ。なぁに、キミ達の死は無駄にはならないさ」

 

 英雄の為ならば。多少の犠牲は容認しよう。

 世界の為ならば。ほんの少し人間(こども)の命が散る事も致し方なし。

 『英雄』の誕生を為さなければ、『災厄』を止めなければ、世界は破滅する。

 今この場で失われた命は無価値ではない。礎を築くためのものだ。 

 世界を救った後に、本当の平和を成したその時代に生まれ直してくれれば良い。

 ヘルメスは、美の神の嫉妬と確執さえ利用してみせよう。その過程で失われる命に弔いを。そして、その過程で生まれおちた憎悪と悲嘆は最後に受け止めよう。

 少年と少女の魂を巡り、争乱の場となっている歓楽街を見つめながら、彼は酷薄な笑みを宿した。

 

「おっと……やはり彼女にはお見通しのようだ。本格的な怒りを買う前に、おさらばしよう」

 

 遥か遠方、宮殿正面に立っていた銀髪の女神が振り返る。

 普通ならば気付かれないであろうはずの距離すら無視して、確実に男神の姿を捉えた美神の銀の瞳に、ヘルメスは帽子を深く被る事で視線を切った。

 怖い怖いと呟きながら笑みを浮かべ、一歩、その場から退いた。

 

「……ゼウス、オレはあの白い光に全てを賭けるぞ」

 

 階層主を倒して見せた純白の極光。少年の魂の輝き。

 それを更に昇華させる寄り添う竜。少女の魂の歪み。

 ヘルメスに予兆を感じさせた、二人の【眷属の物語】。

 去り際に一言呟き、男神は戦場に背を向けた。

 都市の空を焦がす戦の炎は、未だ高く燃え盛る。

 

 

 

 

 

「ま、まさか……ありえん」

 

 しばしの間バルコニーで自失呆然していた女神(イシュタル)は、焦った足取りで宮殿に戻る。

 動揺する周囲の団員達に向かって叫び声を響かせた。

 

「フリュネ達はまだなのか!? 『殺生石』はどうなった!?」

「そ、それが裏切り者の対処に手を焼いていて、レーネが伝令として向かったはずですが……」

 

 側の団員の声に舌打ちを零し、イシュタルは苛立ちと動揺に犯されながらも思考を働かせる。

 そもそもフレイヤは何故、今攻めてきた?

 運び屋(ヘルメス)が『殺生石』の存在をフレイヤに漏らしたとしても、春姫の『妖術』────階位昇華(レベルブースト)の効果と正体は露呈していない。身の危険を察知して先手を打って攻め入る理由には足りない。

 では、ミリア・ノースリスか? そちらの可能性は十分にあるだろう。

 

「ミリア・ノースリス……」

 

 否、それにしたとしても宣戦布告も無しでの強襲という常識を逸した行動には繋がるとは考えにくい。

 では、ベル・クラネルだとでも言うのだろうか。もしや、その二つが合わさった結果なのかもしれない。

 少年をイシュタルに奪われる事を、少女の魂を砕かれる事を、絶対に許さない戦争を仕掛けてくるほどに。

 

「たかが地上の子供(ガキ)如きの為に、あの女は……!?」

 

 ────()()()()()()()()。冗談じゃない。

 激しい動悸を抱えながら、イシュタルは心の中で叫んだ。いつの間にか増えている人間(こども)の一人や二人を壊した所で、()()()()()()怒りなど抱くまい。次の子が何処からともなくやってくる。

 だというのに、ちょっとお気に入りになった程度の()()()()()()()()()青臭い少年と、少し凄い魔法を使う程度の少女を、一人は奪い、一人は壊す。

 そんな()()()()()()意趣返しでしかなかった自身の行為が、女神の逆鱗に触れたのだと、イシュタルは遅まきながらに気付く。

 これからどうするのか、ミリアの『儀式』は終わっている筈だからその『殺生石』の確保をして人質代わりにするのか。更に春姫を回収する為に儀式場に向かうべきか。あるいは攻め込まれている本拠(ホーム)から、いやこの都市(オラリオ)からもはや脱出してしまうのか────とその場で立ち尽くし判断に迷っていたイシュタルは。

 いつの間にか自分の周囲から喧騒が途絶えている事に気付いた。

 

「お、おいっ、どうした!?」

 

 この状況に浮足立っていた団員達の声が、階下で今まさに防衛線を築こうと怒号を張り上げていた戦闘娼婦(バーベラ)の声すらも聞こえない。

 三一階、大階段前。奇しくもベルと二度目の邂逅を果たした三十階広間を眼下に置くイシュタルは、手摺から身を乗り出して階下に呼びかける。

 イシュタルの叫びが反響し、消え去る。薄気味悪い程の沈黙が満ちる鉢型装飾の大柱が並ぶ広間に。

 やがて、こつ、こつ、と。

 通路の奥から細い靴音が響く。イシュタルが表情を強張らせて通路の奥を睨み付けていると、一柱の女神が通路より姿を現した。

 

「なっ……!?」

 

 紫水晶(アメジスト)の瞳を限界まで見開いたイシュタルの視線の先、女神フレイヤは微笑んだ。

 階上より見下ろすイシュタルを真っ直ぐ見上げながら、フレイヤは艶やかに銀の長髪を耳にかけ、気さくそうに声をかけた。

 

神会(デナトゥス)以来ね、イシュタル? 元気にしていた?」

「フ、フレッ…………!?」

 

 今まさに歓楽街を踏み躙り、血と炎で彩る凄惨な戦場へと塗り替え、あさつまえ本拠(ホーム)に殴り込みにきたとは思えぬほどに、気さくそうに声をかけるフレイヤ。しかしその目は絶対零度の色を宿している。

 その双眸に射止められたイシュタルが喉につかえるさ中も、フレイヤは続ける。

 

「早速だけれど、話があるの。いえ────お別れの挨拶かしら?」

 

 凄然と笑みのままのフレイヤに告げられた言葉の意味を理解し、イシュタルの血の気が引いていく。

 しかし、その場に居るのがフレイヤ一人で────護衛を付けずに単身で乗り込んできたことに気付くと同時に、イシュタルは髪を振り乱して叫んだ。

 

「そ、その女神(おんな)を取り押さえろおッ、お前達!?」

 

 側に居た男女の団員に命令を下す。

 それまでただうろたえる事しかできなかった彼らは、反射的に命令に従って大階段を飛び下りた。

 広間の中央でイシュタルを見上げるフレイヤに突撃し────近づく寸前に急激に減速した。

 

「!?」

 

 銀の瞳に見つめられただけで、男の団員が痙攣し、膝を突いた。

 薄く浮かべられた微笑みを向けられた女性団員が、まるで酩酊感に襲われた様にふらつく。歩み寄ってくる女神から後退ろうとしてよろめき、無防備に接近された彼女は、耳元で何かを囁かれたと思うとその場にへたり込む。

 必死に立ち上がろうとしていた男性団員は、通り過ぎざまに頬を撫でられただけで、崩れ落ちる。

 

「わ、私の子を……!!」

 

 ────『魅了』しやがった。とイシュタルが呻く。

 今までの喧騒が嘘の様に沈黙に包まれた理由がイシュタルにもおおよそ理解できた。此処に来るまで、全く同じ方法で立ち塞がる団員全てを『魅了』してきたであろう光景が、彼女の脳裏にありありと浮かんだ。

 あまりにも鮮やかな手並みで、フレイヤは男女関係無く団員達の心を溶かした。

 

「可愛い子達ね、イシュタル?」

「ひっ……!?」

 

 再起不能に陥った二人の団員をその場に残し、階段を上がってくる銀髪の美神。

 もはや隠す事の出来ない恐れを抱いた女神(イシュタル)は、細い悲鳴を上げ、一人宮殿の上階へと逃げ出した。




 感想で勘違いしてる人もいたっぽいのでちょいと原作時空列を説明します。

 【ロキ・ファミリア】の人造迷宮(クノッソス)攻略作戦は、【イシュタル・ファミリア】壊滅の三日前です。
 ロキ派閥の迎撃に当たる際、天の牛(グガランナ)の解放したらと唆したのが出資者(イシュタル)ですね。
 ちなみに、ベートさんが本拠から一時的に追い出されたのは壊滅後なので、まだ居ます。



 フリュネが誤って上げた『青の閃光弾』に導かれてロキ派閥、ガネーシャ派閥急行……しかしキレたフレイヤの封鎖で立ち入り出来ず。
 【イシュタル・ファミリア】の領域で【フレイヤ・ファミリア】【ロキ・ファミリア】【ガネーシャ・ファミリア】の三大派閥の抗争勃発まであと……(グルグル目)


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