魔銃使いは迷宮を駆ける   作:魔法少女()

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第一九二話

 木々の分厚い天蓋に阻まれ十分な光量を得られない湿った森林地帯。

 光が届かぬがゆえに足元の草は成長しきれずにしおれている。そんな草花を踏み分けながら駆けていた猫人の青年とエルフの少女は警戒心を解かぬままに足を止め、周囲を伺った。

 

「クソ、副団長達と逸れちまった!」

「……さきのキノコの怪物はこの辺りには居ないみたい、ですが」

 

 ディンケとメルヴィスの二人は薄暗い森の中、突然襲撃してきた正体不明のキノコの怪物によって【ロキ・ファミリア】の第二級冒険者を殿として撤退した。

 しかし、その後も幾度かの襲撃を受ける内に殆どか散開してしまったのだ。

 

「……ふぅ、少し休むか。駆けずり回り過ぎて足が痛ぇぞ」

「ですね……」

 

 ディンケがほとほと疲れたと木の根に腰を下ろした横でメルヴィスは眉を顰めて周囲を伺っていた。

 

「おかしいですね」

「何がだ?」

「いえ、あれだけ走り回ったのに森の外に出ていないのは不自然です」

 

 幾度かの逃走劇を繰り広げた彼らだったが、森の深い所から脱出出来てはいない。

 この場所が広大な土地に広がる大森林ならまだしも、たかが島程度の大きさの森ならば何処かの浜辺か海岸線に出てもおかしくはない。

 

「ましてや、私はエルフ。森歩きならばそれなりに慣れているのですが……」

「森の出方がわからん、と?」

「はい」

 

 エルフという種族柄、森に対しては強みを発揮できるはずが、今のメルヴィスは道に迷ったまま方向がわからなくなっている。

 加えて、五感に優れているはずの獣人のディンケの鼻もうまく利かない。

 

「駄目だな。潮風も感じられねぇ、方位磁石の類は持ってねぇからなぁ」

「とりあえず、森の外に出るのを優先しましょう」

 

 少なくとも海岸線にまで出る事が出来れば島の外周を回って野営地にまで戻れる。と方針を定めた二人が歩き出そうとした、その時、ディンケが違和感に気付いた。

 

「待て、なんか……灯りが見えないか?」

「はい? ……いえ、光源らしきものは見えませんが」

 

 目を凝らした先、森の奥に僅かながらの灯りを確認したディンケの言葉にメルヴィスは首を傾げる。

 

「獣人、だからでしょうか。私には確認できませんね」

「そうか? それなりに明るい灯りだと思うんだが」

 

 互いに首を傾げつつ、ディンケが示した方向へ歩き出す。

 鉈を振るって先導する猫人の背をちらりと見やりつつ、メルヴィスは周囲を、特に頭上を厳重に警戒し続けていた。

 

「ほら、やっぱり灯りだ」

「……? いえ、何も見えませんよ?」

 

 徐々に近づく光源にディンケが反応してその方向を指し示すも、メルヴィスには薄暗いただの森にしか見えない。

 流石におかしい、とメルヴィスがディンケの様子を伺おうとした所で、彼は足を止めた。

 

「ディンケさん、どうしましたか?」

「…………はぁ?」

「ディンケさん?」

「……酒場だ」

「はぁ……?」

 

 呆然と眼前に広がる光景を見やったディンケの呟きに、メルヴィスはおかしなモノを見る目を向ける。

 

「何でこんな森の深くに酒場なんか……」

「あの、酒場なんかありませんよ。ただの森の……あれ?」

 

 ディンケが呆然と見やる方向に視線を向けたメルヴィス。

 彼女の言葉が聞こえないのか、彼は一歩、また一歩と歩み出していく。

 

「ディンケさん? ディンケさん、止まってくだ────」

 

 彼を止めんと肩を掴もうとしたメルヴィスの肩を、誰かが掴んだ。

 

「────ッ!」

 

 瞬く間に肩を掴んできた手を叩きながら腰の短剣を引き抜いて構えたメルヴィスだったが、直ぐに言葉を失って立ち尽くす。

 

「おおう、いきなり触ったのは悪い。だが武器を向ける事はないだろ」

 

 どうどう、と動物をいなす様に両手で示しながら二歩、三歩と後ずさるドワーフの姿が其処にあった。

 見覚えのある顎髭、節くれだった指に深く思慮深い色をした鳶色の瞳。両腕に頑丈な手甲を着け、背中に大盾を背負ったドワーフの男だ。

 

「グ、グランさん?」

「おう、グランだが……どうした? いきなり、他の者も驚くだろうに」

 

 両手を上げて降参の姿勢をとって小首を傾げるグランの姿に、メルヴィスは一歩後ずさった。

 第二級冒険者【不動城塞】グラン・ラムランガ。【イシュタル・ファミリア】によって引き起こされた強襲の際、仲間を守る為に【男殺し(アンドロクトノス)】の注意を引いた事によって命を落としたはずの故人。

 この場に居る筈の無い人物が唐突に現れたことにメルヴィスが混乱するさ中、背後から驚愕の声が響く。

 

「────はぁ!? なんで、おま……死んだんじゃ!」

「はぁあああ? 死んだ? 誰が? 俺がか!?」

 

 メルヴィスが慌てて振り返った先、ディンケが真ん丸に目を見開いて眼前の人物の両肩を掴んでいる。

 灰色の野暮ったい頭巾(フード)に身を包んだ、何処か懐かしさを覚えるヒューマンの青年。

 

「ル、ルシアンさんまで……何が、どうなって……」

 

 【濡鼠】ルシアン・ティリス。グラン同様に【イシュタル・ファミリア】の襲撃時に【男殺し(アンドロクトノス)】の手によって命を落としたはずのヒューマンの青年。

 混乱する猫人とエルフを置き去りに、気が付けば二人の周囲には見慣れた仲間の姿までぞろぞろと近づいてくる。

 

「ようグラン、今日は飲み比べすんのか?」

「おう、フィアか。サイアにイリスもご苦労さん。飲み比べならどんとこい。負けんぞ」

「おい、エリウッド、聞いてくれよ。この猫人が『お前死んだんじゃ!?』なんて言うんだぜ?」

「はぁ、ディンケ。奢る約束を反故にしたいからと相手を故人扱いにするのは感心しないな」

 

 故人であるはずの二人に気安く話しかけていく皆の姿にディンケとメルヴィスは言葉を失う。

 

「エリウッド! ルシアンは死んだんだぞ!? 今は『ユージン島』って島に来てて……副団長は何処に行ったんだよ! 何が起きてんだ!」

「……ユージン島? なんだその島は、聞いた事ないが」

「なあ、こいつもう飲んでんじゃね?」

 

 眉を顰めるエリウッドと、訝し気にディンケを伺うルシアン。まるで今まで通りの様な振る舞いに息を詰まらせるディンケの横で、メルヴィスが半口を開けたまま周囲を見回して彼の袖を引いた。

 

「ディンケ、さん……ここ、ここは……」

「あ……あぁ、なんだこれ」

 

 袖を引かれて注意が目の前の仲間からそれた二人が周囲を見やれば、深く薄暗い森から一変していた。

 何処からともなく響く吟遊詩人の詩。囃し立てる観客の声に、客引きの女達の姿まである。石畳で整えられた大通り(メインストリート)の左右に立ち並ぶ幾種類もの酒場。見覚えのあるその光景は、間違いなく迷宮都市の西のメインストリートその場所だった。

 

「あ……なんで、森に居たはずじゃ」

「森ィ? おいおい、数日間『大樹の迷宮』に籠った所為で記憶がおかしくなってネェか?」

 

 ばしばし、と灰色フードに背中を叩かれたディンケが唖然とした表情を浮かべる中、エリウッドが彼を覗き込んで心配そうに問いかける。

 

「どうした、体調が優れないのか?」

「あぁ、エリウッド、おかしいだろ。だって、俺達は【イシュタル・ファミリア】に襲われたんだぞ……」

 

 自身の抱いた違和感を吐露すると、エリウッドとルシアンが顔を見合わせて肩を竦めた。

 

「おいおい、俺らは昨日遠征終わらせて帰ってきたとこだろ。なんだ、変な夢でも見たんじゃないのか?」

「十分に休めてないなら宴は明日に持ち越すか? 副団長から数日間は何もしなくて良いと言われているしな」

「いや……」

 

 気を使った二人の態度にディンケは懐かしさが込み上げる。そして、【イシュタル・ファミリア】との抗争を終えた後、幾度も夢想していた光景に涙腺が僅かに緩み始めた。

 襲撃さえなければ、【イシュタル・ファミリア】が事に及ばなければ、自分達は予定通りに遠征を終えてその次の日にでも皆で酒場へと繰り出していた事だろう。

 副団長の事だ、きっと報酬の何割かをたっぷり渡してくれるはずだ。

 彼が胸に抱いていたはずの違和感が気泡に消えていく。脳裏を過る惨劇が薄れて消えゆく中、ディンケはふとメルヴィスに視線を向ける。

 二人して首を傾げた。先まで抱いていたはずの違和感が消え去り、周囲の喧騒に混じり仲間達が騒いでいる。

 

「おい、本当に大丈夫か?」

 

 ぽん、と肩を叩かれたディンケは、ほんの少しの間、過去を回想した。

 無事遠征を終えたのは昨日の事。主神と団長からねぎらいの言葉を受け、副団長がぱっぱと報酬を手渡して数日間の休暇を言い渡した事。その後、泥の様に眠り疲れがとれたからと、皆して酒場に集まって宴を開く事にしたこと。

 少し、違和感があったような気のする記憶を辿り終えたディンケは、頭を振ってフードを被った親友に応えた。

 

「────あー、悪い。少しぼーっとしてただけだ」

「本当に大丈夫かディンケ? 無理してないだろうな?」

「してねぇよ。約束したろ?」

 

 ────約束したはずだ。

 迷宮の中で、日の光の届かぬあの場所で。

 

「帰ったら、俺が好きなだけ奢ってやるって」

 

 

 

 

 

 薄暗い森の中、木の根に幾度も足をとられながら駆け抜けた先、変わらぬ暗さと湿り気を帯びた空気の気持ち悪さに大粒の汗を零し、俺は木に凭れながら荒い息を吐いていた。

 

「ぜぇ、ぜぇ……み、皆さん、無事ですか……」

「な、なんとか……ディンケとメルヴィス、イリスにサイアが居ねえけどな……」

 

 キノコの怪物の奇襲に対し、ラウルさんが道を切り開いてくれたのはいいのだが、その後も幾度も奇襲を受けた。

 そのさ中、エリウッドが落伍してイリスが救援に向かったのは確認できた。しかしディンケとメルヴィスの二人は途中で逸れてしまったのだ。

 今残っているのは俺とフィアさんの二人のみ。途中、首根っこ掴んで駆けてくれた彼女には感謝しかないが……

 

「はぁ、二人きり、ですか」

「……はぁ、だなぁ」

 

 顔を上げて汗を拭ったフィアが周囲を見回して鼻をならし、舌打ちを零す。

 

「この湿気じゃ鼻が利かねぇ。つか、この森、こんな密林みたいにジメジメしてたか?」

「ああ、言われてみれば……行きよりも湿度が高く感じますね」

 

 フィアに指摘されて気付く。

 行きに比べて湿度が異常に高く感じる。相も変わらない森の天蓋からは不十分な光量しか得られず、足首の辺りにまでしか雑草が繁茂していない。

 そして空気は濃密な湿り気を帯びた土の香りと、樹木の匂いが交じり合っており不快指数は非常に高かった。その湿度故にかフィアさんも鼻が利かないと仕切りに鼻をこすっている。

 

「とりあえず、森を出ようぜ。一人でも浜辺に出て情報を伝えるべきだろ」

 

 森に侵入するのは非常に危険性が高い。故に『ナンニデーモ菊』の捜索隊も撤退させるべきだし、何より野営地に残した皆が心配だ。

 

「現在位置はわからなくなってますが、方角さえわかれば密林と言う訳でもないし海岸線に出られるでしょう。そうすれば……」

 

 ポーチを漁って方位磁針(コンパス)を取り出して覗き込んだ所で、思わず悲鳴が零れかけた。

 くるくるくるー、と脳内でクリスが楽し気に回っている姿が一瞬だけ浮かんでしまった。それぐらいに信じられない光景だった。

 

「おい、副団長、どうしたんだ?」

「……方位磁針(コンパス)が壊れました」

「は?」

 

 俺の手の中にある手に余る大きさのそれは、赤く塗られた針の先が安定する事なくぐるんぐるんと回転し続けており、方角を指し示してくれる事はなかった。

 俺の手元を覗き込んだフィアさんが渋い表情を浮かべて、呟いた。

 

「…………なぁ、副団長って『人間コンパス』だったりしないのか?」

「しませんよ。私を何だと思ってるんですか」

「いや、何でもできるし、コンパス代わりにもなるかな、って……」

 

 なんと失礼な。そんな『人間コンパス』なんて特技何ぞ持ってる訳がない。最低限、太陽の位置から時刻と方角を読み取れるぐらいだ。それも、分厚い天蓋に覆われた鬱蒼と生い茂る森林の中では役に立たん。

 日差しの向きすらもわからんのだから。

 

「……キューイとの連絡は、つかないですね」

 

 遠距離に居ても声が届くはずのキューイだが、何故か反応が無い。

 もしやキューイまで駄目になってる可能性が……? いずれにせよ早く合流しなくては。

 

「……とりあえず、真っ直ぐ進めばいずれ海岸線に出られるんじゃないか?」

「まあ、そうですね。警戒しつつ、進みましょうか」

 

 くるくるくるー、と回り続ける方位磁針をポーチに捻じ込んで顔を上げる。

 島の広さ的に其処まで深い森ではない。故に、進み続ければ何処かには出られるはずだ。

 フィアさんと手を伸ばし合えばすぐに触れられる距離を保ちつつ、二人で森を進み始めた。時折、フィアが木に切れ込みを入れて目印にしている。

 一つ目の木に横線を一本、二つ目の木に横線一本に縦線一本、三つ目の木には横線一本に縦線二本……とこれを縦線四本までで一組とする遭難した人が日付を記録する為に付ける記号に似ているモノを刻んでいた。

 

「………………」

「………………」

 

 暫くの間、互いに無言で警戒しながら進み、立ち止まって木に目印を刻んでいる時の事だった。

 フィアの耳がぴくりと反応して震え、直ぐに耳を澄まし始める。

 

「待て、なんか……聞こえるぞ」

「どんな音ですか?」

 

 同じように耳を澄ましてみるが、聞こえるのは木々の擦れ合うざわめきの音ぐらいだ。生命を感じさせる虫の音も無い薄暗く湿った森に不気味さを改めて感じていると、フィアは僅かに眉間に皺を寄せながら呟く。

 

「なんていうか、魔石製品の拡声器の音? みたいな?」

「……?」

 

 その音が何なのか特定できないのか濁した言い方をするフィア。とはいえ、俺には全く聞こえないので拡声器の音、と言われてもピンとこない。

 何か怪しさは感じるが、丁度進行方向から聞こえるらしいので確認がてら進んでみる事にする。とはいえ、怪しさに満ちているので暫く進んで俺にも聞こえてこない状態の場合は避ける方針だ。

 幻聴の可能性も捨てきれないからな。

 

「あ、これ……」

「副団長にも聞こえるだろ?」

「ええ、雑音(ノイズ)が聞こえますね」

 

 暫く進むと、微かにだがジーザザザー、と雑音(ノイズ)混じりの音が俺の耳にも届いた。フィアさんと視線を交わして頷き合い、慎重に薄暗い森の中を進んで行く。

 聞いてフィアの言う『拡声器みたいな音』という表現に納得がいった。確かに、そんな音なんだが……。

 森の中で拡声器の雑音(ノイズ)? 不自然極まりないな。

 警戒を解かずに静かに身を潜めながら進んでいると、その雑音(ノイズ)に誰かの声らしきモノが混じりだす。

 

 ────ジーザザッ────だ──ザッ──攻撃────ジーッ──

 

「……フィアさん、今の聞こえました?」

「人の声、だよな? 誰か居るのか?」

 

 攻撃、という単語だけははっきりと聞こえた。しかし他の音は木々の音と雑音(ノイズ)にかき消されて聞こえなかった。もう少し近づいてみない事には始まらないか。

 注意しながら進んでいると、少しずつその雑音(ノイズ)調整(チューニング)音が混じりだす。まるで通信機で電波帯(チャンネル)を合わせている様な感じだ。

 

 ──チュィィッ──ジーッ──ザザザッ────こちらαチーム、HQ、HQ、応答願う────

 

「はっきり聞こえたな。アルファーチームがどうとか……エイチキューってなんだ?」

「『司令部』って意味ですね。何処かの部隊が落とし……? 森の中に?」

 

 一瞬で違和感が膨れ上がる。

 この世界に通信機の様な技術はあっただろうか? 魔石製品には『拡声器』や『照明器具』、『冷蔵庫』等はあるのだが、『映像機器』や『通信機器』の類は未だに見た事が無い。いや、発明しようといくつもの魔石製品製造を行ってる工場が研究に励んでいるのは知っているが、実用化まではされていなかったはずだ。

 それに、この無人島に通信機を持ち込む? 正直信じられんのだが。

 

「あ、おいあの切株の上。なんかでかい機械が置いてあるぞ」

「……いや、不自然過ぎるでしょうに」

 

 フィアさんが木々の間から指差して示した先、天蓋がぽっかりと空いて光が照明(スポットライト)の様に当たっている猫の額ほどの大きさの広間。その中央に大きな切株があり、その切株の上に不自然な通信機器がどかん、とのっていた。

 ……あのさ、通信局にでもありそうな大型装置が鬱蒼と生い茂る森林の中に突然現れたら不自然だろ。

 しかも、送受信機(アンテナ)発電機(でんげん)も無いのに各種計器(ランプ)が点滅しているのだ。正直、近づきたくない。

 

 ────こちらαチーム、HQ、HQ、応答願う。現在、我が部隊は攻撃を受けている。応答願う、HQ、HQ────

 

 繰り返し流れる通信機の音には微かに爆発音や発砲音が入り混じっており、通信手の焦った様な声が確かに響いてきていた。

 

「……なぁ、アレなんだ? 声が聞こえるが。人が入ってんのか?」

「いえ、遠く離れた人と会話する道具ですが……電源も無しに動いてますし不自然ですから近づかないでおきましょう」

 

 ────繰り返す、我が部隊は攻撃を受けている! 至急、救援部隊を要求する! HQ、HQ、応答せよ!────

 

「……なあ、なんか爆発音とかも聞こえるが、大丈夫なのかアレ」

 

 通信機から響く切羽詰まった声に引かれる様に、フィアさんが踏み出そうとするのを腕を掴んで止めた。

 明らかにおかしい。少なくとも俺にはそれがわかるし、フィアさんも違和感を抱いても良さそうだが……彼女は何度もその通信装置の方に視線を向けている。

 

「行きますよ。不自然過ぎますし、直ぐにこの場を離れましょう、一度戻るべきです」

「あ、ああ……」

 

 後ろ髪を引かれるかのようにフィアが幾度も振り返り通信機器を見やる中、後方に刻まれた目印を頼りに少しずつ距離をとろうとして、気付いた。

 真っ直ぐ進んでいたはずなのに木々にある目印が滅茶苦茶なところに刻まれている。

 

「フィアさん、目印、真っ直ぐ付けてきましたよね」

「あ? ああ、その積りだが……って、なんだこれ?」

 

 すぐ右手に刻んだ記憶の無い目印が刻まれていた。横線一本に縦線二本の三番目の記号のすぐ横に同じ三番目の記号が刻まれている。

 迷ってる? 幻覚か、方向を狂わせる何かが俺達を完全に遭難させている。

 

「ああ、駄目だこりゃ……アタシ等、方向感覚も五感も狂わされてんじゃねぇのかコレ」

「……真っ直ぐ進む事も出来ない、ですか。不味いですね」

 

 先から響く通信の音が近い。というか、近すぎる。

 

 ────HQ! HQ! こちらαチーム、攻撃を──グァッ!?────通信手がやられ──本部は何を────隊長が死んだ──手榴弾だっ!?────

 

 振り返ると、離れようとしていた通信機器の乗った切株との距離は先よりも近づいていた。

 

「フィアさん、ちょっとアレ」

「……なあ、アタシらそんなに動いてないよな?」

 

 遠くに見えた通信機の置かれた広間は今や木々を一本挟んだぐらいの距離しかない。

 頭を振って幻覚を振り払おうとするが、覚める気配は無い上、通信機の向こう側は阿鼻叫喚なのは変わりない。爆発音を最後に雑音(ノイズ)が全てを覆い尽くした当たり、全滅したか……?

 

 ────こち──ザザッ──生存者────支援を────

 

 あ、一応生存者はいるのか。撤退の支援を要求しているみたいだ。だが、俺は何もしてやれんのだがなぁ。

 思わず半眼で距離が近くなって細部まで見えるようになった通信機器を眺めてしまう。何処かで、というかあの通信機器の規格は連合国側のモノじゃないか?

 ……ミリカンにおける連合国の通信装置じゃねぇか。実際に軍用で使われていたモノを模倣してあるが、完全に模倣すると利権がどうの騒ぐので一部改変された並びもあるので間違いない。ミリカンに登場した機器だ。

 って事は、通信機の向こう側はミリカンプレイヤーの悲鳴か? いや、汎用台詞ばっかだしNPCの部隊っぽいな。

 

「なあ」

「なんですか」

「いっそ、アレに触ってみるってのどうだ?」

「あー……」

 

 フィアの言う通りか。既にあのキノコの術中に嵌っている状態の俺達がこれ以上何かをしても意味はない。

 もしや、フィン達も俺達と同じ様にこんな幻覚に囚われてしまったのだろうか? それとも、俺達は既にあのキノコに寄生されて『デース』『マース』とハイテンションに駆けずり回っているのだろうか……?

 ヤバい、死にたくなってきた。

 

「願わくば、既に現実の私達がアイズさん達みたいになってない事を祈りますよ」

「……やめろ。もしアタシがあんなことしてたら喉掻っ切って死ぬ」

 

 半ば諦め気味にその通信装置に二人で近づいていく。

 相変わらず、通信機の向こう側では銃声と爆発音が響いてる────あ、また誰か死んだっぽい。悲鳴と呻き声が聞こえてきてるから相当酷そう。

 切株の傍に不自然なぐらい丁度良く置かれた通信手用の椅子に腰掛け、装置に掛けられたヘッドセットを装着する。若干大きく不格好になりながらも、いくつかの計器(ランプ)とスイッチを確認して、回線を開通(オープン)状態にしようとする。

 

「……なんか、手慣れてんな」

「え? ああ、何度か触った事がありますんで」

 

 基本的にNPCの通信手任せにしていたが、時折必要に応じて指揮官が直接通信手として動いた方がやりやすかったしなぁ。各種部隊に命令出して敵軍の基地攻略とかはよくやった。

 まあ、前線の兵士(プレイヤー)からは『人使いが荒過ぎる』と文句は言われたが。

 成人男性用のヘッドセットは大きすぎてズレる為、片耳だけ当ててマイクの位置を調整し、回線を開通(オン)させる。

 

「あー……αチーム、αチーム、こちらHQ。状況を報告せよ。オーバー」

 

 ────HQ! こちらαチーム! 作戦地域22-3σにて敵機甲旅団と接敵(エンゲージ)! 戦死者一五名! 負傷者多数! 支援部隊を要求する! オーバー!────

 

「……何て言ってるんだよ。きこー、しだん? 支援部隊ってのは、パーティを送れってことか? つか……作戦地域にーにーのさん、シグマ? って何処だよ。ダンジョン、じゃないよな? 何と戦ってんだ?」

 

 早口で通信機の向こう側から告げられた情報の羅列にフィアが首を傾げる。まあ、通信手は慣れてる奴がやる技能職だしなぁ。

 いかに素早く、正確に情報をやり取りするかが肝心だから、通信手は凄まじい早口で情報をぶん投げてくる。それをいかに正確に理解して関係部署に送るかが通信手のお仕事だ。

 それに、そもそも対人戦闘で重火器や兵器使って戦う戦場の話なんか冒険者にわかるわきゃない。

 まあ、今回、俺は何をすればいいのかさっぱりわからんのでアレなんだが。

 

「……えっと、そうだなぁ~」

 

 これ、幻覚? 意味わからな過ぎて頭おかしくなりそうデース……。

 まあいいや、適当に定石(テンプレ)通りの行動で良いか。

 

「αチーム、こちらHQ。支援部隊了解。詳細な敵味方双方の部隊の情報を報告せよ。オーバー」

 

 ────敵機甲旅団、戦車(タンク)、二四! 砲兵(カノン)、一二! 対空砲、六! 歩兵二〇〇〇! 味方砲兵中隊、歩兵、八三! 砲兵(カノン)八! 塹壕にて応戦中! オーバーッ! ────

 

 荒い男の返答を聞く限りじゃぁ……これ、全滅確定じゃな?

 というか、支援部隊送っても意味なさそうなんだが。そもそも作戦地域の地図も無しに判断できんぞこれぇ。

 と考えた所でばさりっ、と通信機器の装置の傍、何故か半分残っているコーヒーのカップと、それを重しとして地図やら作戦情報の書かれた紙やらが落ちてきた。

 …………無視だな。

 

「何か降ってきたぞ!?」

「……気にしなくて良いです。もうこれ以上考えると頭が破裂しそうですし」

 

 そもそもこれも全部幻覚な訳でしょ? なんでこんな意味のわからん幻覚見せられてんのか知らんが、もう知るか。

 地図の上にコーヒーぶちまけて黒く染めつつ、回線を切り替えて別の部隊に繋ぐ。なんか『出撃待機中』の計器(ランプ)に灯り付いてるしその部隊でいいやぁ。

 テキトーに支援部隊としてしゅちゅげきさせちゃえ~。もう知らんし。

 

「第101空挺師団、こちらHQ。オーバー」

 

 ────HQ、こちら第101空挺師団通信手。オーバー。────

 

 応答はっや。絶対にこの通信手NPCだろ。

 もう、なんかすごく怠くなってきたわ。フィアさんは何がなんだかわからずに首を傾げるだけになってきてるし。もう、俺なにやってんだっけ……?

 

「はぁ……第101空挺師団、こちらHQ。作戦地域22-3σにて味方砲兵中隊が敵機甲旅団より攻撃を受けている。直ちに出撃して支援せよ。オーバー」

 

 ────こちら第101空挺師団、支援作戦了解! オーバー! ────

 

 えっと、これで……ああ、αチーム、とやらに通信を戻すのか。だっる。

 まあ、現実の通信手とかだったらこんな風にはならんやろ。通常なら指揮官に指示を仰いで、作戦投入する部隊の選択を話し合って……下手すると数日かかるだろうしなぁ。

 前線からすりゃ『話し合ってねぇでさっさと支援よこせ鉛玉ぶち込むぞ』なんだが。まあ現実的とはいえミリカンはあくまで実銃や兵器の取り回し面の話であって、指揮系統の複雑さとは無縁やし。

 カチカチ、と計器をいじって回線を戻して────ガシィッ、と首根っこを掴まれた。

 

「ぐぇっ────」

 

 瞬間、凄まじい速度で後ろに引っ張られ、潰れたカエルの様な悲鳴を零しながら通信手席から引っぺがされる。

 ほんの一瞬だけ視界が暗くなったと思うと、凄まじい速度で森の景色が流れていく。首根っこを掴まれて息が詰まった状態のまま十数秒間、視界の端が闇に包まれ出した所で、ぽいっ、と投げ出された。

 

「ぐぶぁっ……」

「がふっ!?」

 

 ごろごろー、と砂地に放り出された俺とフィアの二人が砂まみれになりながら転がり、止まる。

 照りつける太陽の日差しを浴びながら、顔を上げると其処には青い海が広がっていた。

 というか、【ヘスティア・ファミリア】が上陸し野営地にした地点の直ぐ近くの砂浜だった。

 

「ここ、は……海?」

「アタシ等、なんか変な装置いじって……?」

「はぁ~……ミリアにフィア、危ない所を助けた私にお礼は?」

 

 背後から聞こえた声に振り返ると、不機嫌そうなレーネが腰に手を当ててふんぞり返っていた。

 ふと、自分の行動を振り返ってサーッと頭から血の気が引いていく。

 怪しい機器に触れてる内になんかすべてがどうでも良くなっていっていた。あのままだったら、多分……というか確実にあの【ロキ・ファミリア】の二の舞になっていた事だろう。

 

「あ、ありがとうございます……」

「助かった」

 

 フィアと二人で胸をなでおろしながらレーネを見上げると、彼女は肩を竦めて浜辺を指差した。

 

「ちなみに、無事なのは私と、あの岩陰で震えてる飛竜モドキ、それと団長と副団長、フィアの四人と一匹だけだから」

 

 指し示された浜辺、ごうごうと燃える炉に並べられた串に刺した肉を焼いて楽し気に騒ぎ合う皆の姿と、それを前に魂が抜けた様に呆然と膝を抱えているベルの姿があった。

 ヘスティア様、リリ、ヴェルフ、春姫、ミコト、ディンケ、エリウッド、メルヴィス、イリス、サイア、リューさん……ほぼ、全滅だった。

 

「……嘘でしょ」

「残念ながら、とりあえずあそこで魂が抜けてる団長君も引っ張ってきて話し合ってどうするか決めようよ」

 

 ────ああ、ああ……。

 というか、いっそ俺もヘスティア様達に混じっていた方が頭を痛めずに済んだのではないだろうか?




 無事(?)森から脱出したミリアとフィアを待ち受けていたのは、ほぼ全滅した【ヘスティア・ファミリア】一行の姿だった。
 残されているのは団長(ベル)副団長(ミリア)、フィア、レーネ、そしておまけのキューイ。
 キノコに寄生された皆を助ける事は出来るのか────ここから、オチに持っていくんやで。

 ……地獄かな?

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