魔銃使いは迷宮を駆ける   作:魔法少女()

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第一九七話

「しっかり土産まで渡されたが……これで何とかなりそうか?」

「はい。ありがとうございました。ヴェルフ殿、ベル殿、ミリア殿」

「力に成れてよかったです」

「別に気にしなくて良いわ」

 

 無事ケーキの調理法(レシピ)を手にしたミコトと共に本拠(ホーム)に帰る道すがら。

 彼女の手に抱えられた容器に納められたホールケーキは土産としてミアさんに買わされたものだ。序に俺もヘスティア様にケーキを買って帰ろうか迷ったがやめておいた。

 

「というか、ケーキを作りたいのであれば声をかけて貰えれば調理法(レシピ)ぐらいは知ってましたけど」

 

 端から俺に声をかけてくれれば割と早急に解決したと思うんだがね。

 ヴェルフとベルを連れ回している理由が男性視点で欲しい物を教えてほしい。だった訳だし。俺も……あ、今は女か。

 

「……つくづく思うが、ミリア、お前って何でもできるんだな」

「いえ、ミリア殿は今日は忙しそうでしたので……」

 

 忙しくとも、家族の為ならば時間を作るのはやぶさかではない。

 そんな事を口にすると三人とも溜息を零してくれた。

 

「無茶すんなよ?」

「無理しないでくださいね?」

「ミリア、ちゃんと休んでね?」

 

 何、そこまで言われなきゃ駄目なん?

 家族が困ってたら全力で手助けするのは普通の事でしょ。たとえどれだけ忙しくても、家族が助けを必要としていたら手を貸す。皆だってそうでしょうに、なんで俺となると無茶しちゃダメとか言われるんだか。

 

「いやぁ、ミリアのはちょっと度が過ぎるからな」

「僕もそうおも……あっ」

 

 ベルまで肯定するのか、と肩を落とした所でベルが何かに気付いたのか声を上げた。

 

「どうしました?」

「あれって、タケミカヅチ様?」

 

 どうしたのかと問いかけるとベルが其方を指差した。

 前方の道で見慣れた角髪の男神の姿があった。ミコトが喜色満面になって一歩踏み出し、手元のケーキの容器を思い出して足を止めた。

 タケミカヅチ様に声をかけたい。けどこのケーキを持ったまま駆け寄ると中身が危うい。とミコトが葛藤するのをベルやヴェルフと微笑まし気に見ていると、遠くに居たタケミカヅチ様が誰かを呼び止めていた。

 蜂蜜色の長髪の女神だ。

 

「おい、デメテル。顔色が悪いぞ」

「……あら、体調が悪いのかしら。気が付かなかったわ」

「何呑気な事を言っている。ほら、顔をかせ」

 

 ────神タケミカヅチは前触れもなく女神の体を引き寄せ、自身と相手の額をくっつけた。

 よく子供相手に熱を測る時にやるあれだ。だが……いくらなんでも唐突過ぎやしないか。

 

「熱は……無いな」

「あ、あらあらっ……だ、駄目よ、タケミカヅチ? こんなこと誰かれ構わずやっては」

「馬鹿、お前だからやっているんだ」

 

 ひぇっ……タケミカヅチ様のあの言動、狙ってやってる訳じゃないんだよね。俺も女性を相手に虜にする為に同じ様な事をやっていた時期もあるが……無意識には無理だろうなぁ。

 天然ジゴロの名は伊達ではない、と言う事だ。

 

「飢えていたところに野菜を恵んでもらった恩を、俺は忘れてないぞ」

「……もうっ、貴方とミアハは女の子に声をかけちゃ駄目っ」

 

 この距離でも彼の二人のやり取りが聞こえるのは冒険者の聴力様々なのだが……甘酸っぱいラブコメの様なやり取りを聞かされるのはあんまりなぁ。

 頬を赤らめた女神と数言やり取りをし、女神の方はまんざらでもなさそうな表情で離れていった。

 なんともまぁ、と甘酸っぱいやり取りに苦笑いしながらミコトの方を伺うと、口を真一文字に引き締め、表情を消したミコトが容器を手にしたまま固まっていた。

 

「ミ、ミコトさん?」

「お、おい?」

「……あ~、なんかこの流れ知ってますねぇ」

 

 大丈夫だろうか。漫画とかでありがちな行動をとったりしないだろうか。

 

「タ、タケミカヅチ様-っ! 先日は変態(かみさま)達から助けて頂いてありがとうございました!」「これっ、お礼です!」

「おいおい、あんなことくらいで大袈裟だぞ」

 

 デメテルと別れてほぼ間を置かず、二人のヒューマンの少女が武神に駆け寄っていった。

 無所属(フリー)らしき一般人の少女二人は、頬を赤らめながら焼き菓子を渡し、タケミカヅチ様が笑顔を向けるともじもじとわかりやすく体を揺する。誰が見てもほの字ですわ。

 止めにタケミカヅチ様は二人の少女の頭を撫で、顔を真っ赤にさせた。

 狙ってやってる訳じゃないのに、行動一つ一つが的確過ぎて本当にもう。天然って本当に怖いわぁ。

 ミシリッ、と音が響く。何の音かと出処の方に視線をやると、ミコトが手にしていたケーキの容器がミシミシッと悲鳴を上げていた。

 

「ひっ!?」

「お、おいっ!?」

「……あー、これは、ヤバいですね」

 

 指がめり込んで変形している容器を見たベルとヴェルフが怯え始めるが、ミコトはそれに気付いていない様子だ。

 爆発しそうだなぁ、と身構える此方の気も知らないで、タケミカヅチ様は女性達との触れ合いを繰り返していく。

 時には相手からもあるが、大半は自分からいっている。老若種族女神関係無く声を交わしては、ほぼ確実に過剰な接触(スキンシップ)を行う。赤くさせられている女性達は初々しい表情を浮かべているが、始末に悪いのはタケミカヅチ様本人がその好意もとい行為に気付く事が無い事だった。

 声をかけようにもかけられずに影から見守るミコトに見せつける様に、次々と女性達との接触を続けていく武神。

 

「………………」

「ミコトさんっ、ミコトさぁんっ!」

「何とか言え!」

 

 たたずんだまま俯き、前髪で目元を覆うミコトに、ベルとヴェルフが懸命に声をかけるが、届かない。

 肩に黒い瘴気すら纏い始めた彼女に、ベルとヴェルフが悲鳴を零した。

 まるで重力結界の様な不穏な威圧感(オーラ)が撒き散らされていく。

 

「タケミカヅチ様っ」

「おお、春姫」

 

 自分を陰から見守る不穏な気配に──ついでに女性からの好意にも──気づきもしない鈍感系主人公さながらのタケミカヅチ様に駆け寄っていったのは春姫だった。

 

(わたくし)上手くできましたっ! 召し上がってみてください!」

「餡団子か、どれどれ……ん?」

 

 喜色満面の春姫から差し出された餡団子を受け取ろうとしたタケミカヅチ様は何かに気付いた。無駄に良い視力のおかげでわかったが春姫の口元に付いている餡に気付いたんだと思う。

 もうこの黄金パターンは幾種類ものラブコメ系で見た事がある。この後の展開は割と簡単に予測できた。

 戸惑うことなくタケミカヅチ様は春姫の顔に手を伸ばす。

 

「春姫、お前、つまみ食いしただろ?」

「は、はぇっ!?」

「口元に餡が付いているぞ、まったく……ほら、動くな」

 

 少女の唇に付いた餡をとり、あろうことか神タケミカヅチは────そのまま食べた。

 正直、本気で背筋が凍った。あそこまで完璧にこなすなんて思わなかったんだ。

 

「うむ、甘い」

「タ、タケミカヅチ様ぁ~……そ、そのようなことをされてはぁ~」

 

 顔を真っ赤にした春姫が、あわあわ、としているのを他所に、タケミカヅチ様は満足げに頷く。

 

「美味いぞ、春姫。あいつも喜ぶはずだ。……しかし、何だ、お前は良い嫁になれるな」

「えっ……ほ、本当でございますか!?」

 

 いや、最後の一言完全に余計なんですけど。というか、『あいつも喜ぶはずだ』っていう事は、誰かの為に練習でもしているのだろうか。春姫の行動、ミコトの対応……千草や桜花の……あぁ、【タケミカヅチ・ファミリア】でなんか画策してんのかね。

 ま、悪い事じゃなさそうだし放置かな。変に介入しても良くないだろうし。

 それはそれとして、横から漂う不穏な威圧感(オーラ)がそろそろ許容限界を超えそうだからこれ以上余計な事言わないで欲しいんだけどなぁ。

 

「ああ、気立ては良いし、何より健気だ。神なんてものじゃなければ、俺がもらってやりたいくらいだ。はっはっはっ」

 

 爽やかな笑みを浮かべたタケミカヅチ様の放ったドストレートに春姫が頬を真っ赤に染めて照れる。

 いやぁ~、良い風景ですなぁ……横からぶちりっ、とかなんかキレる音がしてなければいつまでも眺めてられる微笑ましい光景だよ、ほんと。

 うつむいたままのミコトの足が踏み出された。そのまま止まる事なくザッザッザッと勢いよくタケミカヅチ様と春姫の二人に近づいていく。

 

「ま、待ってくださいミコトさぁんっ!」

「お、おい待て! 何する気だ!?」

「あ~……こうなりますかぁ」

 

 二人が叫んで止めようとするも時すでに遅し。もっと早くに彼女を連れて撤退しているべきだったか。

 半ば諦めながらも彼女の歩みを見守る。

 

「ミコト?」

「ミコト様?」

 

 不穏な威圧感(オーラ)を纏いながら接近するミコトに気付いた二人が声を上げ、ミコトが二人の前で停止した。

 声を返さないミコトに首を傾げるタケミカヅチ様と、不穏な威圧感(オーラ)に気付いた春姫が尻尾を丸めて、ぴぃっ、と鳴くのが聞こえる。

 どうしたんだと武神が声をかけると、ミコトは無言のままに変形してしまった容器の蓋をぱかりっ、と開けた。

 

「ん、それは……?」

 

 ミコトの放つ威圧感(オーラ)が感じ取れないのか、不穏な気配に気づく事のないタケミカヅチ様がミコトの持つ容器の中を覗き込んだ。横に居た春姫があわ、あわあわあわあわ、と声を上げられずに涙目で縮こまっている。

 すぅ、とミコトが息を吸って、口を開いた。

 

「────タケミカヅチ様の」

 

 次の瞬間。ミコトは顔を振り上げ、手にした容器も振り上げ、咆哮を上げた。

 

「タケミカヅチ様のっ、天然ジゴロォーッ!?」

「ブボァッ!?」

 

 ミコトが手にしていたホールケーキがタケミカヅチ様の顔面に叩き付けられる。

 予測も出来ていなかったであろう武神はそれをもろに受け大きく仰け反り、春姫が悲鳴を上げた。

 

「タ、タケミカヅチ様ぁーっ!?」

 

 悲鳴に気付いた周囲の者達が一斉に春姫とタケミカヅチの方へ振り返る頃には、ミコトは全力疾走で離脱していた。

 一瞬だけ仰け反って耐えていたタケミカヅチ様も、ついにはどしゃりっ、と無残な音を立てて崩れ落ちる。

 何が起きたのかわからない一般市民達は困惑する中、何処からともなく歓声が響く。

 

『ミコトちゃん、良くやった!!』『でかしたァ!』『オレ【(ぜつ)(えい)】ちゃんの応援者(ファン)になる!!』

 

 周辺の物陰に潜んでいた神々が喝采を上げるが、ミコトは気にも留めずに走り去ってしまう。

 瀕死と化したタケミカヅチ様を背に、ミコトは逃げ出した。

 ……いやぁ、現実で見ると酷いなぁ。いや、まあ……刃物でブスリよりははるかにマシなんだけど。

 ベルとヴェルフがミコトを追うのを他所に、瀕死となったタケミカヅチ様に寄り添ってすすり泣く春姫の下へ向かう。

 

「ううっ、(わたくし)が、(わたくし)がもっとしっかりしていれば……」

「春姫、しっかりしなさい。それと、タケミカヅチ様、大丈夫ですか?」

「うっ……ミ、ミリア・ノースリスか……な、何が、起きた……?」

 

 顔面クリーム塗れのタケミカヅチ様が弱々しく声を上げる。その様子を見た神々が『ざまぁ』と笑うが、数人の女性達が駆け寄ってきて手拭やハンカチ等で甲斐甲斐しく顔のクリームを拭き取っていく。

 

「ああ、ありがとう。その手拭は洗って返そう」

「い、いえ……」

 

 甘い匂いを漂わせながらお礼を言う武神の手を掴み、その場を離れる。

 一番近いのは、【ミアハ・ファミリア】の所か。

 

 

 

 

 

 西日が山脈の奥で霞む夕暮れ時。

 都市中央ではダンジョンから続々と冒険者が帰還してくる頃、俺は【ミアハ・ファミリア】の本拠(ホーム)でお茶を飲んでいた。

 この店の目玉商品である『二属性回復薬(デュアルポーション)』や道具類を買っていったパーティをナァーザさんの横で見送っていると、入れ替わる様に二人の冒険者が店内に入ってくるのが見えた。

 

「ただいま。帰ったわよ」

「か、帰りました……」

 

 短髪に長髪、吊り目に垂れ目。二人並ぶと非常に対照的な人物達。

 元【アポロン・ファミリア】第三級冒険者のダフネ・ラウロスにカサンドラ・イリオンだった。

 

「おかえり」

「こんばんは。お邪魔してます」

 

 ナァーザさんに気を取られていて俺の存在に気付いていなかったのか、声をかけた途端に二人が驚愕の表情を浮かべた。

 

「うわ、ミリアだ。居たんだ」

「あ、こんばんは……」

 

 はっきりと喋るダフネと、ぼそぼそと喋るカサンドラ。何から何まで対照的な二人は、かつて【ヘスティア・ファミリア】の入団試験に足を運び、ヘスティア様とリリに理不尽な理由で拒否された二人組だ。

 ただ、ヘスティア様は追い払うのではなく別の派閥、【ミアハ・ファミリア】の方に入団する事を勧めたらしい。

 そのおかげかは不明だが、二人はミアハ様の人柄も認め、ナァーザさんの義手の為の借金についても納得してこの派閥へと入団したのだ。

 

「はい、これ今日のダンジョンの稼ぎ。整備代とかはもう抜いてあるから」

「いつも悪いね。ありがとう……」

「い、いえ、もう同じ【ファミリア】ですし……」

 

 ダフネからお金(ヴァリス)の詰まった袋を受け取ったナァーザさんがお礼を口にすると、カサンドラが控えめに告げた。

 

「【ディアンケヒト・ファミリア】に『再生薬』の件でお客を奪われかけたけど、なんとか『二属性回復薬(デュアルポーション)』のおかげで客足は増えてるけど、二人が居てくれてすごーく助かる」

 

 ニヤリと笑みを浮かべたナァーザさんは空き容器(フラスコ)に入れられた果汁(ジュース)をねぎらう様に二人に差し出す。

 

「ミリアにも感謝しないと、二人をこっちに紹介してくれたし」

「あー……入団試験は、まぁ、私はね?」

 

 あの時の事を思い出して気まずくなり、視線を泳がせる。

 その様子にダフネが苦笑し、カサンドラはアレは仕方ないですよ、と呟いた。

 

「それより、なんでミリアがここに? 買い物?」

「あー……一応、知り合いの神様を助けてここに連れてきたんですよ」

 

 後ろを指し示す。

 長台(カウンター)の奥、俺とナァーザさんの背後の開けっ放しの扉の向こうには、客間でテーブルを挟んで座る二柱の男神の姿があった。

 片方は群青色の長髪を束ねた美青年、この派閥の主神であるミアハ様。くたびれた灰色のローブを身に纏う身形こそ貧相なものの、端正な顔立ちは貴公子と称されても通じる。

 そしてもう片方は黒髪を角髪にした凛然とした男神、顔面ホールケーキ事件の被害者タケミカヅチ様である。

 

「……何やってるの?」

「実はですね」

 

 掻い摘んで状況を説明すると、二人は呆れた様に眉を顰めた。

 そんな二人の様子に苦笑していると、背後では相談事としてミアハ様にタケミカヅチ様が昼間のヤマト・ミコトによる顔面ホールケーキ事件について相談していた。

 

「────という事があったんだ」

 

 タケミカヅチ様なりの言葉と、理解し得た状況を説明して知り合いの男神に相談を持ち掛けている。

 曰く、どうしてミコトが怒っているのかわからない、と。

 簡単な嫉妬なんだがなぁ。と答えを教えるのは簡単なのだが、それはするべきではない、とナァーザさんに止められたのだ。

 

「………………」

 

 黙って話に耳を傾けていたミアハ様が白湯で唇を湿らせると、ふぅ、と息を吐いた。

 瞳を見開いた男神は、少女の怒りの理由を問うた親友を見つめ、言い放つ。

 

「────さっぱりわからん」

「だろ?」

 

 ゴンッ!! と盗み聞きしていたダフネとカサンドラが柱に頭を打ち付けた。

 鈍い物音に首を傾げる男神二人を他所に、余りにも鈍感過ぎる男神に頭を痛めるダフネとカサンドラ。付け加えると常日頃から頭を痛めてるナァーザさんも合わさって割と気まずい。

 

「はぁ……まあ、タケミカヅチ様も怪我が無かった様子ですし。私はこの辺で退散しましょうかね」

 

 決して、超鈍感系主人公並の鈍感さを持つ男神二人に呆れたとかそういうモノではない。

 

「ああ、ダフネさん、カサンドラさん、また機会があれば探索に同行してもらえると助かりますね」

「え? ああ、それは別に構わないよ。むしろこっちから頼みたいぐらいだわ」

 

 気の良い返事を返すダフネさんに礼を言いつつ、ナァーザさんにお茶代として少しヴァリスを渡して、俺はその場を後にした。

 

 

 

 

 

 タケミカヅチ様の祝事会当日。

 館の調理場には朝早くからミコトが立て籠もっていた。

 昨日の撃砕事件から試作を繰り返していたらしいのだが、らしくもない失敗を繰り返し発生させ、試食を担当していたベルとヴェルフの胃に絶大なダメージを与えていたらしい。

 残飯処理として最終的にキューイに貪らせたが、途中でキューイも泣くぐらい酷いモノに当たってミコトが何度も頭を下げていたのは記憶に新しい。

 両手で頬を叩いたミコトが調理に集中せんとくわと目を見開いていた。

 そんな彼女の下へとことこと春姫が駆け寄っていく。

 

「あの、ミコト様……昨日のタケミカヅチ様との密会は、その……」

「大丈夫です、春姫殿。自分は気にしていません」

「そうではなくて……ミコトちゃん、あれは」

「気にしていませんっ」

 

 調理場に訪れて彼女に何事かを告げようとしていた春姫にもおざなりな対応をするほどに調理に集中するミコトを見やり、お腹を押さえたベルとヴェルフに視線を向ける。

 

「で、どんな失敗を?」

「……塩辛かった」

「……黒い炭になってたな」

 

 砂糖と塩を間違えたり、黒焦げにしたりか。まあ、ありがち、と言っていいのだろうか。

 

「ふぅん……まあ、次は上手くいくでしょう」

 

 調理場を覗き込み、彼女の動きを目で追ってみるが、工程に不自然な点は見当たらないし、分量は適切。混ぜ方にも問題は無いし、焼き加減にも気を使っている様子。

 既に昼を回って結構時間が経っているが、祝事にはしっかりと間に合うだろう。

 

「あれ、ベル君にミリア君、ヴェルフ君じゃないか。どうしたんだい? お腹でも減ったのかい? ボクが何か作ってあげようか」

「ヘスティア様を調理場に立たせる訳にはいきません。どれだけ無駄遣いされるか……」

「いや、流石にその物言いは失礼では……?」

 

 廊下から調理場を覗いて居ると、ヘスティア様とリリ、そしてメルヴィスさんが歩いてくる姿があった。

 ヘスティア様の手料理? 是非お願いしたい所ではあるが。今は調理場はミコトが独占しているので、もし何か食べたいのならば外食になるだろう。ベルとヴェルフはお腹一杯みたいだが。

 それにしてもヘスティア様とリリはわかるが、そこにメルヴィスさんが加わるとは珍しい組み合わせだな、と思っていると、お腹を抑えていたヴェルフとベルが事情を説明しだす。

 

「実は昨日、タケミカヅチ様が────」

 

 タケミカヅチ様の祝事を開く事。

 その為にミコトが西洋風のケーキを作ろうとした事。

 その帰り、タケミカヅチ様がいつもの過剰な接触(スキンシップ)をしていたのをミコトが目撃してしまった事。

 それに嫉妬したのか、ミコトはその場で持っていたホールケーキをタケミカヅチ様の顔面に叩き付けてしまった事。

 それを気にしているのか、上の空の状態で調理を続け、いくつもの試作を作るも失敗を繰り返している事。

 言葉にしてみると割と酷い状況ではあるな。

 

「あ~、なるほど。タケがね」

「それは、ミコト様に同情しますね」

「……タケミカヅチ様ってそういう神様だったのですね」

 

 良い神様ではあると思うんですが、とメルヴィスが頬に手を添えて苦笑を浮かべた。

 

「あれ、メルヴィス君はタケの事知ってるのかい?」

「ええ、覚えていらっしゃるかはわかりませんが。腕が無くて困ってた時にお世話になりましたね」

 

 片腕を欠損して直ぐの頃、自暴自棄気味に街中でふらふら歩いていたメルヴィスに声をかけて相談に乗ってくれたのが件のタケミカヅチ様だったらしい。

 

「惚れたかい?」

「いえ、惚れてはいませんよ。勿論、励まして頂いたことについては非常に感謝していますけどね」

 

 メルヴィス以外にも、サイアもタケミカヅチ様に声をかけられて励まされた事があるらしい。

 本当に色んな女性に声かけてるなぁ。しかも下心が完全にゼロの善意で声をかけるんだからタケミカヅチ様は凄い。モテるのも理解は出来るんだが……。

 

「はぁ、タケは鈍感だからなぁ~」

「た、確かに……なんで気付かないんでしょうか?」

「ミアハもそうだけど、あの二人は真っ直ぐな言葉(ドストレート)で言わないとわからないんだよ」

 

 ただ、そのド直球な言葉を告げるのが難しい訳なんだがね。

 

「はぁ……あっ、こんにちは、ヘスティア様に皆さま」

 

 溜息交じりで調理場から出てきた春姫がちょこんと頭を下げる。

 

「春姫君かい、どうしたんだい?」

「それが……実はですね」

 

 困った様に耳を垂らす彼女曰く。

 今回開く主神への祝事は、実は表向きの理由であり、本当は一年間だけとはいえ【ヘスティア・ファミリア】へと移籍するミコトへの歓送会をかねてから計画していたらしい。

 昨日の『あいつも喜ぶはずだ』というのはミコトの事であり────ミコトに内緒で驚かせようと皆で画策していたというのに、肝心のミコトがあんな調子になってしまって、春姫は不安になっている様子だ。

 

「うーん、大丈夫だと思うけどなぁ」

「ま、見守ってやろうぜ」

 

 ヘスティア様とヴェルフが肩を竦めるのを他所に、もう一度調理場の様子を覗き込むと────キューイがミコトが作った試作品の前で机に倒れ伏し、か細くキュイキュイ鳴いていた。

 甘い、きつい、つらい、とボソボソと呟かれる言葉から……試食し過ぎで限界を迎えたらしい。

 いくらキューイでも甘いケーキの試食を何度も繰り返せばグロッキーになるのか。知らなかった。

 

「あの、誰かいるのでしょうか」

「はぇ?」

 

 パタンッ、と大きく開かれた調理場の向こうから甘い匂いを漂わせたミコトが姿を現す。

 

「申し訳ないのですが、試食の方をお願いしたいのですが」

「え? ああ、うん。ボクに任せてくれよ!」

「リリもご一緒しますね。ミリア様はどうです?」

 

 リリに誘われたが、遠慮しておこう。

 というか、館内がケーキの甘い匂いで包まれていて胸焼けしそうだ。甘いモノは嫌いではないんだが、匂いに包まれ続けるのはきつい。

 コーヒーだけ貰って行こう。

 序に、レーネに頼んでおいた情報もそろそろ集まるだろうし。俺は執務室で待機かなぁ。

 

「じゃあ、私は執務室に居るんで。何かあれば声をかけてください」

「あ、うん。僕は……ちょっと体を動かしてくるよ」

「ベル、俺も付き合うぜ」

 

 中庭で軽く鍛錬をするらしいベルとヴェルフと別れる。

 春姫は早めに【タケミカヅチ・ファミリア】の元へと行くらしい。

 

 

 

 

 

 次の日。

 どうやら一応ミコトへの歓送会は上手くいったらしい。

 中庭にはニヤけた顔付きで新品の剣で素振りをするミコトの姿があった。

 

「雌雄一対の剣で、片方をミコトに、片方がタケミカヅチ様に、ねぇ」

 

 幸せそう、というかかなり張り切って素振りをするミコトの姿を二階の窓からヘスティア様と並んで見下ろす。

 

「雌雄一対の剣を眷属と神である自分に別ける」

 

 雌の剣を女性の手に、雄の剣を男性の手に。

 それじゃあまるで……

 

婚約指輪(エンゲージリング)ですね。まるでプロポーズですよ」

「良いじゃないか。ミコト君が幸せそうで」

 

 良い事、なのだろうか。

 それはそれとして、だ。

 

「ヘスティア様、これ良ければどうぞ」

「ん? お、ミリア君からボクに贈り物かい?」

「ええ、まあただの懐中時計ですけど、良ければ使ってください」

 

 別にアレを見て買った訳ではないが、ヘスティア様にそれなりの値段の懐中時計を贈る事にした。

 身に着ける、というよりは持ち運びできる代物として。

 

「へぇ~……おぉ、この懐中時計、【ファミリア】のエンブレムが刻んであるじゃないか」

 

 鐘と竜を結ぶ炎のエンブレム。【ヘスティア・ファミリア】の徽章の刻まれたそれを見て頬を綻ばせる女神を見やり、良かったと胸をなでおろした。

 

「……ちなみにだけど、これいくらしたんだい?」

「ざっと、こんなもんですかね?」

 

 指を立てて金額を示すと、ヘスティア様の表情が凍り付いた。

 

「…………ミリア君」

「何ですか?」

「次は、もっと安いモノで良いからね?」




 ミリアちゃんが贈った懐中時計のお値段は想像にお任せしますん。

 当然、手抜きの無いしっかりとした造りのモノを、特注でエンブレムまで刻んであるので良いお値段する事でしょう。その辺に抜かりはない。

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