魔銃使いは迷宮を駆ける   作:魔法少女()

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第二〇一話

 『小遠征』二日目。

 ヴァンは街中の広い所を専用の寝床として用意され、俺達人間組とキューイは曰く付きとなってしまった『ヴィリーの宿』を格安で利用させてもらった。

 ただ、格安というのは『リヴィラの街』の相場からしたらの格安であり、地上の宿ならば品質相応の値段、という評価だろう。説明するまでもないだろうが、ヴィリーの宿はリヴィラでもかなり上質な宿である。

 要するに、安価で上質な宿には泊まれたが、実質的な出費は割と洒落になっていないのだ。

 とはいえ、リヴィラの街での想定外の出費は【ヘスティア・ファミリア】からすると、実はそこまで痛くはない。

 しかし、【タケミカヅチ・ファミリア】の方はそうはいかない。そして、流石に俺達から金銭的支援を行うのは違う。違う、というかそれをしてしまうと関係が拗れるし、余計な嫉妬を生むだろう。

 相場通り、もしくは少し色を付けて正規の冒険者依頼(クエスト)の報酬としてヴァリスを受け渡すならまだしも、ただ恵んでしまえば関係が対等とは言えなくなってしまう。

 ともすれば【ヘスティア・ファミリア】と懇意になれば資金援助が受けれる、と勘違いする派閥も出て来て面倒事に発展しかねない。それに、そもそも神タケミカヅチは無心する様な真似はしない。加えて、団長の桜花も派閥同士の関係や自分達の矜持(プライド)もある為、金銭の受け取りはしないだろう。

 その状態で高級宿に泊まって失った損失を埋めるべく、俺達は『小遠征』の行動の中に『中層』の探索を追加して探索を行った。

 本来の予定であれば昼過ぎ頃には帰還予定であったが、リヴィラで提供された食糧もあったおかげ、地上に帰還したのは予定から半日ほど遅れての事となった。

 地上に帰還した俺達を出迎えたのは真昼の明るい陽射しではなく、沈みゆく赤い夕陽。

 

「では、各々やる事があるでしょうから此処でいったん解散という事で。今日はしっかりと休んで、明日に報酬の振り分けと反省会をするという事で」

「えっと、皆、お疲れ様。桜花さん達もありがとうございました」

「いや、良い経験になった。それと、俺達の為にわざわざ探索の時間を作ってくれて助かった」

 

 頭を下げて感謝を示す桜花達に苦笑しつつも、背後で項垂れるサイアを見やった。

 

「それで、サイアさんは()()だそうですが」

「うぅ、わ、私の……地久我(ちくわ)がぁ……」

 

 しょんぼりと項垂れて涙を零すサイアの手にはほんの少しひしゃげて曲がった大剣が抱えられていた。

 中層探索中、転がってきた『ハードアーマード』を真正面から力任せに叩き潰す、なんて滅茶苦茶な使い方を繰り返していた影響か、彼女が新調した得物は当然の様に破損した。どうもサイアには調子(テンション)が上がると暴走気味になる悪癖があるらしい。その代わり、その『力』は凄まじい。凄まじいのだが、武器を壊されてヴェルフが酷く凹んでいるからやめて欲しいんだがな。

 

「鍛冶師、このバカゾネスにはちゃんと言い聞かせとく。本当に悪かったな」

「……いや、俺が鍛冶師として未熟だっただけだ」

 

 普段、というか今までのヴェルフならば『武器をもっと大事に扱え!』とサイアに吠えたてるぐらいはする印象があったのだが、今のヴェルフは自身を卑下する言い方をするのだ。何かあったとしか思えないんだが。

 

「じゃあ、換金は任せるぞ。タケミカヅチ様に帰還報告しなくてはな」

「ああ、任せろ。それじゃあアタシらはギルドに行ってくる」

 

 ヴァンの背負った木箱を数人で分けて担いだフィア達が戦利品を換金する為にギルドの方へ歩き出す。

 いつまでも中央広場(セントラルパーク)で飛竜のヴァンをうろうろさせていくのは邪魔だろうし、ディンケにヴァン達を竜舎に返してもらうか。

 この後の事を考えていると、リリに声をかけられる。

 

「ミリア様、わかっているとは思いますが」

「わかってるって、帰ったらすぐに休むわ」

「本当ですかぁ?」

「疑り深いわね。そう何度も怒られるような事しないわよ」

「まあ、別に良いですが」

「そんなに信用無い?」

「その件に関しては、これっぽっちもありませんね」

 

 まるで俺が学習しない奴みたいな言い方は止めて貰おう。流石に此処まで怒られておいて懲りる事なくやらかす真似はしないよ。

 

「ま、良いです」

 

 俺は一刻も早く後、ヘスティア様にも会いたい。とはいえ、ヴェルフの事情も気になるし。

 各々が換金や主神への報告等で解散し別行動をとり始める中、ベルに声をかけた。

 

「……ベル、ちょっといい?」

「何?」

「ヴェルフに何かあった? ……それと、短剣、どうしたの?」

 

 探索前にヴェルフにヘファイストス様が作成したナイフよりも射程(リーチ)が長い短剣を作って貰っていた。『リヴィラ』に行くまではそれも駆使して戦っていたはずなのだが、帰りには無くなっていた。

 もしかして、あの街で盗まれたか?

 

「あー、えっと……実は────」

 

 18階層でベルがヴェルフを追って行った後、【ヘファイストス・ファミリア】の団長である椿・コルブランドがヴェルフを訪ねてきたらしい。

 その際、ベルが手にしていたヴェルフの作品であった短剣を破壊────折ったのだという。

 ヴェルフの事をこき下ろしたそうだ。それを気にしているのだろう、との事。

 都市処か世界最高峰の最上級鍛冶師(マスタースミス)に自分の信念を貶された。その想いは応援したいが、何より椿・コルブランドの言っている事は正しい、と思えてしまうのがな。

 

「……そういう事、ですか」

「うん」

 

 困ったな。励ましの言葉が何一つ思い付かない。何を言ったとしても慰めにもならないだろうし。

 どうしようか、とベルと悩んでいると、ふとベルが顔を上げた。

 

「あれ、ヴェルフは?」

「ん? 誰かと帰ったのかしら……?」

 

 周囲を見回すと、いつの間にやらヴェルフの姿が消えていた。

 

「まあ良いわ。とりあえず帰りましょう」

 

 変に干渉するより、ヴェルフの中で折り合いをつけるのを待つ方が良い。

 

 

 

 

 

「ヴェルフ、どういうつもりなの?」

「ミ、ミリア、落ち着いて」

 

 ホームに戻った所で、思わずヴェルフに詰め寄ってしまった。

 中央広場(セントラルパーク)で解散した後、ディンケ、エリウッドの二人はヴァンを連れてホームに戻り。

 フィア、サイア、メルヴィス、イリスの四人は換金の為にギルドへ。春姫はリリに連れられて探索後に行う道具の点検の為に引き連れられ、ミコトがそれに同行。

 桜花達はタケミカヅチ様への報告の為に自分達のホームへ帰還。

 残る俺、ベル、キューイの三人でホームに向かった訳だが。

 あろうことか、ヴェルフが単独で行動していたのだ。といっても帰ってきたし大事には至らなかったが、それでも何かあったら困る。

 

「注意して欲しいってお願いした積りなんだけど」

「……ああ、悪い。気が付かなかった」

 

 言い辛そうに頭を掻いたヴェルフの様子を見るに、最上級鍛冶師(マスタースミス)からの言葉はかなり堪えているらしい。それでも、怪しい動きが多いこの時期に単独行動は避けてほしい。

 

「…………すまん、少し『工房』に籠らせてくれ」

「うん、行って良いよヴェルフ」

「悪いな」

 

 どう見ても平静とは言い難い様子のヴェルフが裏庭の『工房』に籠ると、直ぐに炉に火を入れたのか煙突から煙が立ち上るのが確認できた。

 

「ヴェルフ、大丈夫かな?」

「どうかしら」

 

 誰よりも固い意志は持っていると思うが、一度圧し折れると立ち直るのには非常に長い時間がかかるだろう。もしかしたら、二度と立ち直る事が出来ない可能性も無くはない。

 それでも、ヴェルフなら多分、大丈夫だ。と思いたい。

 

「それもそうだけど、【ヘファイストス・ファミリア】に文句言っとかなきゃ」

「え?」

「いくら懇意派閥でも、他派閥の団長相手に武器を向け、あまつさえ武装破壊したとかちょっと問題過ぎるわ」

 

 たとえ元自派閥の団員が作成した武具だったとしても、現在ヴェルフ・クロッゾという鍛冶師は【ヘスティア・ファミリア】所属なのだ。加えて団長であるベル・クラネルに対し武器を向けた。なんてちょっと洒落にならない派閥間のいざこざの原因にしかならないだろ。

 壊した武器の代金は後日払おう、じゃねえよ。いくら大派閥だからってそんな横暴はやり過ぎだ。何か思惑があっての事だとは思うが、それじゃあ済まないし、済まさせない。

 

「ま、流石に抗争にはならないと思うわ」

「そう、なら良いんだけど」

 

 心配そうなベルの言葉に肩を竦めていると、エントランスにヘスティア様が顔を出した。

 

「あ、二人ともおかえり」

「ただいま、神様」

「ただいま帰りました。ヘスティア様の方はお変わりなく」

「うん、ミアハが一緒に居てくれたからね。でも、二人が居なくて寂しかったよ」

 

 嬉しそうに駆け寄ってきたヘスティア様に抱き締められ、ベルが恥ずかしそうに頬を掻く。

 俺もヘスティア様にギュッと抱き締めて貰ってから、ヘスティア様が口を開いた。

 

「それで、怪我とかは無かったんだね?」

「ええ、大きなものは特に。ただ、ヴェルフが思い悩む事があるみたいなので工房に籠ってるみたいですね」

「思うところかい? 手助けはいるかな」

「いえ、ヴェルフの事はそっとしておいてほしいんです」

 

 珍しくベルがはっきりと告げた。同じ様な想いをした経験があるからか、ヴェルフの事を見守って欲しい、と頼むベルのお願いにヘスティア様は頷いた。

 

「わかった。じゃあ暫くそっとしておこうか。それより、ミリア君とベル君、二人はしっかり休むんだぜ?」

「はい、部屋に戻りますね」

「私はちょっと書き物があるので執務室の方に……」

「それはどうしても今日やらないといけない事かい?」

「あー……可能ならば、直ぐにでも、って感じですね」

 

 早ければ早い方が良い。少なくともこういうのは時間が経ってからだと拗れる可能性があるし、相手に言い訳を考える時間を与える前に畳み掛けておく方が楽できるし。

 

「うーん……でも、ミリア君は頑張り過ぎるからなぁ」

「ちゃんと休みますって」

「だったらその書状だけ認めるだけで、他の事は駄目って事にするのは?」

 

 ベルの示した妥協点を聞いたヘスティア様がうーん、と唸り。片目でちらりと俺を見た。

 

「じゃあ、その直ぐやらなきゃいけない書状を認めるだけだよ。それが終わったらすぐに休む事、良いね?」

「わかりました」

 

 ヘスティア様の許可を得てから執務室に向かう。

 執務卓の横に置かれた郵送物が箱に纏められて置かれており、重要度の高そうなものがいくつか執務卓の専用空間に置かれていた。

 ……正直、今すぐにでも手を付けたい所ではあるんだが、今日は直ぐ休む様にリリに口を酸っぱくして言われているので、最低限、書状を認めたらすぐに執務室を離れなくてはいけない。

 【ヘファイストス・ファミリア】宛てに、当方に所属する団員に対する先方の派閥団長による暴力行為について。とベルから聞いた状況を詳細に書きつつ、此方の所見を記載し、賠償と謝罪の要求を正式に行う旨を記す。

 先方からの遺憾の訴えがあるのであれば正式な話し合いの場を設けていきたい。と……。

 

「はぁ……なんか、怠いわ」

 

 第一級冒険者である程度自由に振る舞えるとはいえ、団長として派閥を率いる責任感を以て活動してる冒険者なんてほぼいないだろうなぁ。

 派閥同士のいざこざなんてしょっちゅうで、おおよそは高位の冒険者を有する派閥の横暴が罷り通っているのが迷宮都市オラリオの常識、みたいな所はある。

 ある、が……抗議文だけは送り付けておかないと、黙って被害を受けるだけの場合は足元を見られ後から後から変な要求ぶつけてくる頭のおかしい奴が湧き出てくるだろうし、組織運営において抗議しない、なんて選択肢はない。

 

「ああ、それと……うん?」

 

 【ヘファイストス・ファミリア】への謝罪と賠償を要求する手紙を認め、インク壺の蓋を閉じようとした所で、重要そうな郵送物の中に【ディアンケヒト・ファミリア】からのものが混じっているのに気が付いた。……正直、今すぐ封を切って中身を検めたい。

 しかし、もし今それを行うとリリが激怒するだろう。いや、リリだけではない。ディンケやフィアなんかもキレるだろうし、ヘスティア様も怒る。今日一日は休むべきだってのは理解している。

 理解しているのと、実行するのはまた別の事ではないだろうか?

 そもそも重要そうな手紙を今日送ってきたのが悪い。

 でも、見つかると洒落にならないんだよなぁ。

 

「………………」

 

 室内をきょろきょろと見回し、耳を立てて廊下の音を聞く。序に、キューイに皆が何処に居るのか尋ねるのも忘れない。

 キューイの居場所は……食糧庫。うん、お前後でシバく。

 ベルとリリはミアハ様と一緒にヘスティア様の所で、春姫とミコトは自室。ディンケとエリウッドは竜舎でヴァンと一緒。フィア、イリス、メルヴィス、サイアは丁度今帰ってきたらしく、玄関(エントランス)広間(ホール)に居る。ヴェルフは工房に籠り切り、と。

 つまり執務室周辺には誰も居ない。

 そう、悪人共は言いました。『どんな罪も露呈し(バレ)なければ犯罪とはならない』と。

 

「まぁ、こんな手紙が置きっぱなしじゃあ気になっておちおち休めないしね?」

 

 誰にともなく言い訳がましい事を口にしつつ、執務卓の引き出しからペーパーナイフを取り出して重要度の高そうなものから開封していく。

 まず【ディアンケヒト・ファミリア】から。

 キューイの血液から『再生薬』の作成に成功。量を増やしたいがキューイの現在の状態から採取可能な量の再制定を行いたいとの事。加えて、試作型の効果確認の為に幾人かの欠損冒険者に使用し、効果がみられた模様。

 今回の試作四号に至って、半年ではなくおおよそ一年以内の欠損ならば再生可能なまでに期間を延ばす事に成功。今後は更に過去の欠損に至るまでの再生を目指す。と……。

 是非とも彼の派閥には更なる改良品の作成を頑張って欲しいものだ。

 

「次は、商会からの書状かしら」

 

 商会からの手紙に、いくつかの珍しい品が手に入ったので興味があれば是非見て欲しい。と……。

 都市外、それも遠方から仕入れた珍しい品々を取り揃えている。なんて言われてもなぁ。調度品の類にはあんまり興味無いんだが……いや、でもある程度ヘスティア様の評価にも関わってくるだろうし、調度品を用意しておくべきだろうか? 今の派閥の内装で満足しているんだが、やはり絵画等の調度品で飾り付けておくべきか。

 流石に【アポロン・ファミリア】時代の様な地獄めいた本拠にする気はさらさらないのだが。

 

「次は、げっ……最大賭博場(グラン・カジノ)から」

 

 内容としては過去に迷惑をかけた謝罪について。もしよければお使いください、とVIPルームへの入場券としても使える会員証(カード)の発行通知と、同封された会員証(カード)

 正直、頭を挿げ替えただけで中身があんまり変わって無さそうな最大賭博場(グラン・カジノ)に足を運ぶ気になんぞなれん。

 それに、今更過ぎるんだよなぁ。なんか狙いでもあんのかよ、気色悪いな。

 

「んで、次のは──────」

 

 書状等の郵送物をその日の内に処理しないのはやはり落ち着かない。

 重要度の高そうなものをテキパキと処理し、返信が必要なものや、謝礼状をしたためる必要がありそうなものは片っ端から処理していく。

 こんな事をしている所をリリに見られたら今度こそヤバい、というのはわかる。わかるが、一日二日置いておくのは嫌だ。それで過去に痛い目見た事あるし。

 書状で連絡事項は伝えてやったのに、それを見てないお前が悪い。で殺されかけるってのは中々に味わえない経験だろう。いや、まあ俺もあの時は不用心が過ぎたんだが。

 ともかく、その日に届いた書状はその日の内に処理しないと落ち着かないんだ。だって死んでからじゃ遅いし。

 

「後は~……ん? あれ、もうこんな時間?」

 

 ふと顔を上げ、窓の外に視線を向けると星空が瞬いているのが見えた。気が付けばそこそこ山になっていた郵送物の山が切り崩され、送付用の書状が小山になっており、それなりの時間が経過しているのを実感する。

 ほんの少し、の積りが結構な時間が経っているのに気付いて思わず手を止め、慌てて耳を立てた。

 書状を認めるのに少し集中し過ぎた。リリやヘスティア様が違和感を抱いて俺の事を探していないと良いのだが。

 

「誰も、居ないわね」

 

 ふぅ、と一息ついて最後に残る三通の書状に視線を送った。

 もうここまで片付いているのなら、三通なんて誤差みたいなものだろう。ぶっちゃけ、三通なんて半端な数を残す理由もない訳だし、サクッと片付けて何食わぬ顔で夕食の席に顔出せば良いや。

 まず一つ目は、っと……冒険者依頼(クエスト)について。階層は中層域で……まあ、難度や採取物、報酬なんかに違和感は無い。加えて依頼者の信用度もそれなりにある。

 引き受けても問題はない、とは思うが一応皆と確認してからだな。借金の事もあるし皆積極的に動くだろうからほぼ受託一択ではあるんだが。

 さて、次の書状は、っと。

 

「ほれ、これが欲しいんだろ?」

「ああ、ありがとうございますフィアさ────」

 

 差し出された書状を受け取ろうとし、掴んだ所で聞こえるはずの無い声が聞こえている事に気付いて思わず顔が引き攣った。

 執務卓に腰掛け、椅子に座る俺を見下ろす不機嫌そうに吊り上がった目。ゆらゆらと揺れる尻尾の先端が俺の鼻先を撫で、獰猛に吊り上がった口元からは鋭い犬歯が覗いていた。

 もはやこれ以上の説明が不要な程にご機嫌斜めのフィア・クーガの姿がそこにあった。

 

「あの、これは、ですね……」

 

 咄嗟に言い訳を口にしようとして閉じる。

 どんな言い訳をしようが既に手遅れなのを察してしまったからだ。

 いつの間にか開け放たれたドアの向こうから、リリが此方を見ていた。目尻は吊り上がり、肩がわなわなと震えている。その後ろでは呆れ顔で肩を竦めるミコトと、ミコトの後ろに隠れて震えている春姫の姿もあった。

 そして、林檎を頬張ったキューイの姿まであった。

 

「……う、あの、リリ」

「何ですかミリア様?」

 

 思わず声をかけると、肩がわなわなと震え、額に青筋を浮かべながらもにこやかな笑顔でリリが返事を返してきた。

 もはや腸が煮えくり返る程の怒りを抱いている事は疑う余地はない。

 

「ミリア様? リリは何と言いましたっけ?」

「いや、ですね。覚えているに決まっているじゃないですか」

「ほほう、それは意外ですね。リリはてっきり忘れていたのかと思いましたよ」

 

 部屋の入口を潜り、リリが執務室に足を踏み入れた。

 瞬間、ぞっとするほどの圧を感じた。思わず頭を下げて平伏したくなる様な、ミコトがいつのまにか重力魔法でも使ったのかとでも言いたくなるほどに頭が重くなる。

 なんとか抜けかけた腰を上げ、執務卓を回り込んで部屋の中央で腕組をして立つリリの前に立った。

 

「リリは言いましたよね。帰ったらすぐに休んでください、と」

「はい」

 

 思わず膝を突き、正座の姿勢をとった。

 

「ミリア様は言いましたね? そう何度も怒られるような事はしない、って」

「はい。確かに言いました、私が、この口で」

 

 全身から冷や汗を流しつつも背筋を伸ばしてリリを見上げた。

 

「後、ヘスティア様から聞いたのですが最低限だけ執務室でやる事をやったらすぐに休む、と言ったそうですね?」

「はい。仰る通りです」

 

 言い訳なんか口から出てこなかった。

 

「あれあれ、おかしいですね。此処に処理が終わった書状がありますね。『小遠征』の間は手を付けずに置いてあったはずの書状が処理されています。これは一体どういう事なんでしょうかね?」

「……わ、私が処理しました」

「それは、()()()()()()()()()()()()()()()書状でしたか?」

「いいえ、違います」

 

 遂にはリリの顔を見る事ができなくなり、視線をリリの足元に落とした。

 淡々と、確認をとる様に一つ一つ質問を投げかけてくるリリ。本音を言ってしまうと、フリュネにやられた拷問なんかよりはるかに効く。

 膝の上に乗せた握り締めた手は手汗でべっとべと、背中も冷や汗でぐっしょり濡れている。そんな不快感ですら、目の前のリリから放たれる圧に比べたらはるかにマシだった。

 

「それで? ミリア様は執務室で何をしていらしたんでしたっけ?」

「さ、最低限、ダンジョン内で問題行動を起こした【ヘファイストス・ファミリア】への抗議文の作成を……」

「それだけ、ですか?」

「…………あの、重要度が高そうな書状の、処理も」

「それだけですか?」

 

 頭の中がぐるぐるし始める。気持ち悪さが込み上げてきて色々とゲロってしまいそうになるのを堪えながら、必死に答える。悪いのは俺だ、ちょっと気が緩んで、約束すっぽかして色々とやらかしたんだから。

 

「その、気になっちゃったんで、届いた書状全部に目を通そうかなぁ~、なんて……あはっ」

「ふふっ、そうですか。気になっちゃったんですか」

「え、ええそう、気になっちゃったのよ」

「そうですかぁ~、気になっちゃいましたかぁ~」

 

 くすくすと鈴の鳴る様な軽やかな笑声が聞こえたため、勇気をもって顔を上げて酷く後悔した。

 養豚場の豚を見る目より更に冷ややかな瞳が俺を見下ろしていた。リリの背後、ミコトは呆れた様に肩を竦めるのみで、フィアに至ってはリリと同じ様な冷ややかな視線を向けてきている。唯一、執務室の入口から怯えた様に顔を出す春姫が呆れながらも僅かに同情的な視線を向けてきているのが救いだろうか。

 針の筵に座らされている気分のまま、愛想笑いを零す。

 

「あ、あははっ、ね? 仕方ないでしょう?」

「ふふふっ、そうですね。ミリア様────」

 

 軽やかな笑声がリリの小さな口から転がり落ちるが、目が笑ってない。微塵も、笑っていない。

 

「────だなんて、言うと思いましたか?」

「知ってた」

 

 思っていた事が思わず口に出てしまった。慌てて両手で口を塞ぐも後の祭り。

 ブチィッ、と何かがブチギレる音が執務室内に響き渡り、ミコトが額に手を当てて天井を仰ぎ、春姫が両手を合わせて無事を祈り始め、フィアが地獄のどん底にも響き渡りそうな深い溜息を零し────リリの目が酷く吊り上がった。

 今のリリを形容するならば、鬼の形相、という言う程適切な言葉はないだろう。

 

「ミリア様、リリからミリア様への信頼は今この瞬間、ゼロになりました」

「まって、違うのよ、これは、出来心だったのよ……」

 

 ちょっとならバレへんやろ、なんて軽く考えてしまったのだ。

 なんとか絞り出す様にひりだされた俺の無様な言葉に対し、リリは鬼の形相の笑顔を浮かべたまま呟いた。

 

「ヘスティア様、ミリア様に相応しい罰は何が良いでしょうかね?」

「へ、ヘスティア様……」

 

 開けっ放しの扉の向こう側、ひょっこりと顔を出したヘスティア様は呆れた様な視線を俺に向け、溜息を零して執務室に入ってきた。

 

「う~ん、ミリア君の悪癖はもう死んでも直らない気はするけどね」

「ヘスティア様、だからといって放置はできません! ミリア様が過労死してからでは遅いんですよ!」

 

 あ、この世界にも『過労死』って概念はあるんだ。

 

「うぅん、それはボクも困る……はぁ、ミリア君」

 

 ヘスティア様がリリに代わり俺の前に立った。

 

「ちょっと、というかかなり、というか……うん、キミは頑張り過ぎだ。とっても、滅茶苦茶、すっごく頑張り過ぎてる。少しは休んで欲しい」

「えっと……その、つい、興が乗ったといいますか、そんな積りは無くてですね……」

 

 仕事ややらなければならない事を前にするとどうしても片付けなくては、という思考が働いてしまう。

 置いておいたとしても仕事が減る訳でも無いし、やらなければならない事が無くなる訳でもない。そう考えると、今の内に片付けて置けば後から楽できるんじゃないか、ってなってしまうんだ。

 随分と毒された思考ではあると思う。

 

「……あんまり、これはやりたくなかったんだけど、仕方が無い」

 

 余り気乗りしなさそうなヘスティア様の言葉に嫌な予感を感じた。ぞくっ、と背筋が震える様な悪寒だ。

 ヘスティア様の事だから余り厳しい事はしないとは思うが、俺のやらかした事から鑑みるにそれなりに重い罰が下ると思う。

 一体どんな罰になるのか、と戦々恐々としていると、ヘスティア様は意を決した様に口を開いた。

 

「ミリア君、これから一週間、【ステイタス】の更新を除いてボクとの接触を禁ずる!」

「は?」

「接触厳禁だ!」

 

 接触を禁ずる? 接触厳禁?

 

「あの、それは、どういう意味で……?」

「おかえりの抱擁(ハグ)は無しだ」

「……マジで?」

 

 え? 無し?

 

「一緒に、お風呂」

「禁止だ」

「そ、添い寝は」

「当然禁止!」

「あ……」

 

 おかえりの抱擁(ハグ)も、添い寝も、一緒にお風呂も、全て禁止。それも、一週間も?

 

 

 

 

 

「あの、ミリア様、大丈夫でございましょうか……動かなくなってしまいましたが……」

「さ、さぁ……ですが、効いている事には効いているのではないでしょうか?」

「副団長には良い薬だろ」

「ヘファイストスに相談したら、暫く無視するのが良いとは言われたけれど……ちょっと、可哀想な気が……」

「ヘスティア様、甘やかしてはいけません! ミリア様があんな風に頑張り過ぎるのは半分はヘスティア様が不甲斐なくも甘やかし続けているからですよ!」

「ぐう……た、確かに言い返せない」

「わかったら一週間はミリア様には事務的に対応してください」

「うぅ…………」

「……ミ、ミリア様が一週間経つ前に倒れそうな気がいたしますが」

「……春姫殿もそう思いますか。奇遇ですね、自分も同じ事を想いました」




 苦ぁい薬。とっても良く効く、苦い薬です。

 とっても、すっごく、良く効くんじゃないでしょうか。

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