魔銃使いは迷宮を駆ける   作:魔法少女()

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第二〇九話

 19階層。

 天井や壁面、地面が木皮を思わせる材質の代物で形成された階層域。通路中に繁茂する苔が青や緑に発光し、神秘的な雰囲気を彷彿させる光景を生み出していた。

 様々な形の葉が遠く轟くモンスターの咆哮に揺れ、銀の雫を垂らす幻想的な花が咲き乱れている。

 上層とは様変わりした大樹の迷宮の光景に、思わず感嘆の息が零れた。

 

「モンスターが居なければ、とても幻想的で素晴らしい所ね」

 

 つくづく思う。このダンジョン、という場所は美しい。

 上層、それも入り口付近はそうでもないが、18階層や未調査領域の地底の温泉なんかは、モンスターの存在さえなければ本当に美しく、心ひかれる光景が広がっている。

 

「ああ、我々を襲う存在が居なければ、の話だがな」

 

 先頭を進む黒衣に身を包んだフェルズが俺の呟きに応えた。

 異端児(ゼノス)達が隠れ住む安全地帯、隠れ里に向かうべく足を進める彼の後ろ。荷物が入った木箱を背負ったヴァンの背に乗りながら眺める景色はそう悪くない。

 隊列後方に居るのは両手に爪を思わせる刃を取り付けた手甲を身に着けたキューイだ。ダンジョンの中という事で特に翼や尾を隠す事なく軽装姿の彼女は欠伸混じりについてきていた。

 幾度かのモンスターとの遭遇(エンカウント)はあったものの、キューイの索敵による早期発見からの迎撃準備万全で迎え撃つ事で特に問題も無く進めてきてはいる。ただ、精神力回復特効薬の消費が少し大目には感じるが。

 

「キュイ、キュイキュイ」

「ん、フェルズ。熊獣(バグベアー)二匹、大甲虫(マッドビートル)四匹が接近中。三時の方向から接近中。こっちには気付いてないみたい」

「……つくづく思うが、その赤飛竜(レッドワイバーン)は随分と優れた感知能力を持っている様だな」

 

 一言二言、未だに人語を話そうともしないキューイの言葉を聞いてフェルズに警戒を促すと、黒衣の人物は呆れた様な、感心した様な声を上げると、接近中のモンスターを避ける様に進路を僅かに変更した。

 

「この飛竜、キューイは少し生い立ちが特殊なんですよ」

「それについてはウラノスからも聞いている。魂を割いた片割れなのだろう?」

「そうよ。だから、私を裏切らないし、私を守ろうとしてくれる」

 

 キューイについて語っていると、どうしても思ってしまう事がある。

 まあ、無意識にやっていた事で俺の自覚は全くなかった訳ではあるんだが。キューイが俺の片割れというのなら、キューイとの会話は自分同士で話している様な状態になっているのではないだろうか。

 ともすればそれは、空想上の友人(イマジナリーフレンド)に話しかけている様なものだろうか。いや、擬人化された存在であるならばそれは人格を与えられたもの(ペルソニファイドオブジェクト)に分類できるだろうか。

 そうやって自己分析していけば、(おの)ずと答えが見えてくる。

 本当に、あの頃の自身は精神的に危険な状態であり、キューイに救って貰ったのだということがわかる。

 わかる、のだが。

 

「キュイ?」

 

 ヴァンに騎乗したまま後ろを歩くキューイを見やると、彼女はちらりと俺に視線を投げかけて肩を竦めた。

 俺が何を考えているのか理解しているのかいないのか。いや、どちらかというと俺の考えを読み取った上で、俺の行動に変な口出しはしない様にしているのだろうか。

 自身の魂の片割れ、と言われても既に別人と言っていい程に変貌した彼女の思考回路は残念な事に今の俺では読み取る事は出来ない。

 

「はぁ、それで目的地まで後どれぐらいかかるのかしら?」

「まだ暫くかかるな。20階層までは下りる」

「そう」

 

 密猟者(ハンター)に対する警戒の為か、今回の探索に於いて、俺は目的地を示される事無く、ただフェルズの案内に任せての行動となっていた。

 都市外部ではラキア王国との戦争ごっこで忙しい中、この時期にこそ闇派閥(イヴィルズ)の残党である密猟者(ハンター)が活発に動くだろう、というフェルズの予測は間違っていないとは思う。

 だが、結局のところは彼らの隠れ家(アジト)を突き留めなくては意味が無い。

 

「ノースリス、一応聞くが、追跡等は無いか?」

「キューイ、クリス、どう?」

「キュイ」

《人は居ないよ》

 

 居ない、と一言告げるキューイと、何処か上の空のクリスの声を聞き、フェルズにも同様に伝える。

 

「居ないみたいよ」

「……なら良い」

 

 何処か警戒した様子のフェルズの姿に、軽く溜息を零してしまう。

 ある意味で仕方なくはある。というのも、俺は既に都市内ではかなりの有名人であり、神々の注目を集めている。加えて、俺の生み出す利益を狙う者も多く……言い方はアレだが、ほぼ監視が付いている状態を言っていい。

 俺だって、傍から俺の姿を見ていたとすれば間違いなく監視と警戒、情報収集は欠かさないであろう立ち位置であるから自覚はしている。

 そんな奴がこっそりダンジョンに潜り、正体不明の人物と大樹の迷宮に探索に赴く、となれば、密猟者(ハンター)以外に俺を追跡する者が出てもおかしくはない。警戒し過ぎ、等という積りは微塵もない。が、だったらもう少し考えて強制任務(ミッション)を課して欲しかった。

 いや、考えた末にこの時期に強制任務(ミッション)を発令したのか。

 ほとんどの大派閥がラキア王国の対応に動いている間、俺の動向をつぶさに観察するのは、この隙に俺と交流を持とうと考える中小派閥や勢力の弱い商会なんか……もしくは、闇派閥(イヴィルス)の様に表に出られない裏の住民ぐらい。

 大派閥の監視が緩くなり、動きやすいのはこの時期ぐらいか。密猟者(ハンター)と接触した場合は問答無用で殺害すれば証拠も残らないし。

 

「キュイキュイ」

「フェルズ、先方に敵集団が居るみたいよ。動きは見えないみたい。隠れて奇襲を狙ってるみたいね」

「ふむ、それは困ったな」

 

 キューイからの報せによれば、隠れて自分達を狙っている集団が今まさに進んでいる通路の先で待ち構えているらしい。

 といっても、距離はそれなりに遠いみたいだが。と、フェルズに伝えると困った様な声を上げて進行を遅めた。

 

「困った? どういう事?」

 

 巨大な樹木の内側を進んでいると錯覚してしまいそうになるこの階層は、一様に天井が高い。壁面には小さな樹洞(うろ)が点在し、モンスターが身を潜める場所はいくらでもある。通路の幅も広く、辺りに群生する階層特有の植物が数多見える。

 赤と青の色をした斑模様の茸。金色の綿毛を四散させる多年草らしき植物。樹皮の皮から多量に滴り落ちる樹液。すぐ左手の通路の奥にある行き止まりの空間(ルーム)には一面銀色の花畑が広がっている。

 どこもかしこも目を奪う様な色彩に溢れ、そしてそこら中にモンスターの潜める樹洞(うろ)が点在する────通常のパーティならば警戒を微塵も解けない状況ではあるが、俺の場合はキューイの索敵能力がある。後、クリスも索敵に関しては負けていない。

 総じて、フェルズの言う『困った』等という事にはなりえないはずである。

 

「索敵出来てる訳だし、回避して進むのは?」

「いや、ここは進むしかないな。何処に潜んでいるかだけしっかりと指示してくれ」

「ん? まあ、了解よ」

 

 他の回り道を選ぶと流石に遅れすぎる、とここの直進路だけは避けて通れないと言い切って進み始める。

 遠回りはそれなりに許容できるが、ここの通路の遠回りをすると大幅に、それこそ数十分どころか数時間遅れてしまう、と言われたために地図を開いてみると、フェルズの言う通りだった。

 ここで回避して通ろうとすると時間がかかり過ぎる。

 地上に帰還するまでの帰還に制限(リミット)が設けられている以上、遅れすぎると異端児(ゼノス)と会って交流する時間が削れてしまう。俺としては別にそれでもいいし、安全を優先して欲しいのだが。

 

「安心しろ。私がついている」

 

 軽く胸を叩いて言葉を紡ぐフェルズの姿に、肩を竦めておいた。

 信用していない訳ではないが、安全よりも時間を優先するのは流石にどうかと思う。

 そう言いつつも、あくまでも俺は『ギルドに指定された冒険者の指示に従って動く』のが仕事なので文句は言わずに従うが。

 どうやってか異質な存在を感知しているキューイと異なり、自身の目と、ちょっとした勘でしかモンスターの索敵を行えない俺は、頭上の樹洞(うろ)や枝分かれする横道、植物が作り出す陰影等に視線を巡らせて警戒を続ける。のだが、はるか前にキューイがそこに、あそこに、とモンスターの存在を知らせてくれるのであまり意味はないのかもしれない。とはいえ、何もせずに頼りきりというのも不味いので続けるが。

 進行速度を僅かに早めてずんずんと進んでいると、フェルズが足を止めて「ふむ」と呟きを漏らした。

 俺もモンスターの存在を知らされていた為に前方を警戒はしていたが、目の前に広がったのは随分と不思議な光景だった。

 

「道が無いわね」

 

 手元の地図に視線を落として幾度も確認する。

 脳内に描いた地図と、今まで通った道から推測するにこの先には道が続いているはずなのだが、それが無い。

 道幅や高さが他と比べて極端に狭まった道の先は、巨大茸の群生地(コロニー)と化している。

 

「『ダーク・ファンガス』だろうな」

「……ああ、なるほど、擬態して冒険者を襲うってそういう事」

 

 隠れて奇襲する積りだ、とキューイに言われていた為に頭上の樹洞(うろ)や、植物が生み出す陰影、枝分かれする横道なんかを警戒していたが、よもやここまで堂々と道を塞ぐ様な形で擬態して襲撃を企むとは。

 モンスターの知恵、とでも言えばいいのか。

 

「どうします。撃ちます?」

「ああ、近づくと毒胞子を撒き散らす。遠距離から仕留めるのが良いだろう。動きも鈍いからな」

 

 『ダーク・ファンガス』。

 大樹の迷宮に出現する巨大茸のモンスター。

 主な特徴は、周囲に生える巨大茸に擬態して迂闊に近づいた冒険者を奇襲する事。加えて、フェルズの言う通りに『毒胞子』を撒き散らす事。

 この『毒胞子』は上層に出現する『紫蛾(パープルモス)』の毒とは比べ物にならない猛毒であり、その異常攻撃は直撃すれば大型モンスターですら一撃で行動不能に陥る代物だ。特に、この『猛毒』の異常攻撃は上級冒険者でも一溜りもなく、運が悪ければ即死する事もある程。発展アビリティの対異常があっても、評価が低ければそれを貫いて猛毒は体力を蝕む。厄介極まりない性質のモンスターである。

 ただ、生憎と動きは鈍く、先に擬態に気付ければ遠距離から弓や矢、投擲武器や魔法で一方的に仕留める事が出来るモンスターであるため、注意していればそこまで脅威ではない。ましてや、擬態に気付く程の感知能力を持つキューイの前では形無しだろう。

 

「キューイは後ろに居て、フェルズと私で仕留めるわ」

「ふむ、どれが擬態でどれがモンスターでないのかわからないな」

「わからないなら、私一人でやるわ」

 

 全て撃てばいいか、とフェルズが手甲を構えたのを止め、ヴァンから下りた。

 

「【ライフル・マジック】【リロード】、キューイ、観測手(スポッター)お願い」

「キュイ」

 

 わかった、と軽く返事をしたキューイが俺の横に立って目を凝らす中、俺は狙いを定める。

 フェルズとヴァンは周囲の警戒に回ったのを尻目に、照準を茸の内の一つに合わせた。

 

「キュイ」

「【ファイア】」

 

 モンスター、とキューイが呟くのと同時に発砲。

 青と赤の斑模様の茸に命中すると、その茸はびくりと痙攣して身を捩り、黒い色へと変色しはじめ────瞬く間に灰になって消滅した。

 次の獲物はどれかと照準を合わせると、キューイは狙いを定めた対象がモンスターか否かを即座に知らせてくれる。阿吽の呼吸での連携にフェルズが感心した様な声を上げるのを尻目に、二匹、三匹と次々に毒茸(ダーク・ファンガス)を仕留めていく。

 八匹目を仕留めた所で、他のダーク・ファンガスはしびれを切らしたのか、それともこのままでは全滅すると判断したのか擬態を解いてのしのしと鈍重な動きで俺達の方へと進撃しようとし始めた。

 

「遅いわよ」

「これなら私でも撃てそうだ」

 

 だが、彼等の動きは余りにも遅すぎる。

 奇襲作戦そのものは良かったが、それを察知されている事に気付かないのは落第点だ。

 鈍重な動きでしかない彼の茸の怪物達は次々に仕留められ、通路を埋め尽くしていた巨大茸の群生地(コロニー)は瞬く間に殲滅された。

 

「流石だな、今後も是非同行してもらいたいものだ」

「それは御免よ」

 

 存外疲れるのだから、とフェルズの言葉に肩を竦めつつも殲滅したモンスターの魔石とドロップアイテムを回収してヴァンの背負う荷袋に放り込んでいく。

 茸の怪物がドロップした魔石を手に取り、灰の小山に視線を落とす。何かを、忘れている様な感じがして、思わず眉間を揉んだ。

 

「……フェルズ、一つ聞いて良いかしら」

「どうした?」

「茸のモンスターって、ここより上で出たかしら?」

「いや、茸型のモンスターはこの階層から出現し始めるはずだが。何か気になる事でもあったのか?」

 

 訝し気な声を上げるフェルズに何でもない、と誤魔化しつつ、脳髄の片隅に僅かに感じるズキズキとした痛みの原因を探る。

 本来なら違和感を感じたのならすぐに知らせるべきだとは思う。思うのだが、この疼痛は、まるで『教えるな』『思い出すな』とでも言う様に、違和感を口にしようとしたり、何か忘れている事を思い出そうとすると強い痛みになっていく。

 何なんだ、とは思うが、なんとなく勘ではあるが、この頭痛は無視した方が良いものだと感じる。

 俺の勘を信じて良いものなのかはわからないが、ともかくこの頭痛は無視する事にしよう。

 無人島……キノコ……うっ……頭が……。

 

 

 

 

 

 20階層。

 迷宮の構造は19階層と変わらない様子ながら、出現するモンスターは一段より強くなっているのを感じさせる。

 キューイの索敵回避がより難しくなったのか、交戦回数が増え、道具の消耗が一気に増えて負担も大きくなってきていた。

 フェルズの道案内の元、21階層への最短路を外れた道を行くさ中、つい数時間前に感じた頭痛の原因をほんのりと思考の端にひっかける形で考えつつも警戒は解かない。

 キノコ、無人島……キノコ、無人島。なぜかこの二つの言葉について考えようとすると頭痛が酷くなる。理由がさっぱりわからない。というか、本能が告げてくる、考えるな、と。

 狙撃蜻蛉(ガン・リベルラ)が放ってきた金属質の射撃弾を真向から撃ち抜き、返す射撃でそのまま頭部を撃ち抜き撃墜。

 

「はぁ、ちょっと戦闘回避が難しくなってきたわね。もう少しかかるの?」

「もう少しだけ我慢して欲しい」

 

 一般的なパーティと比較しても非常に優れた索敵能力を誇る飛竜が居るおかげで楽ではあるだろうが、それでも疲労が溜まらない訳ではない。

 異端児(ゼノス)の隠れ里はもう少しかかる、とは言うが先に限界が来ないかを心配し始めた矢先の出来事だった。

 

《ミリア》

「どうしたの?」

 

 クリスに名を呼ばれて警戒を引き上げる。モンスターが何処かから接近中だろう、と。

 

《────》

「クリス?」

 

 必要最低限、最速で敵の有無を告げるだけだった彼女が俺の懐から顔を出して俺を真っ直ぐ見つめてきた。先までと違う様子に思わず彼女と見つめ合っていると、彼女は絞り出す様に呟く。

 

《助けて、って泣いてる子が居る》

「────え?」

 

 思わず妙な声が零れ落ちた。

 必要最低限の情報を呟く様に告げてきていた彼女が初めて、他の事を口にしたのだ。

 彼女の告げた内容を吟味しようとして、直ぐにフェルズの方を見やった。

 

「どうした、モンスターか?」

「……詳細はわからないけど、助けを求めている子が居るみたい」

「助け、か」

 

 話を聞いたフェルズの方はふむ、と困った様に呟くと視線を前に向けた。

 

「すまないが、それの対応をさせる訳にはいかない」

「でしょうね」

 

 今は極秘任務の真っ最中。そんなさ中に助けを求める冒険者が居たとしても、対応は難しいし出来ない。その為、今回の任務について周囲に知られれば面倒な事になりかねないし。その()()()には申し訳ないが、見捨てる他あるまい。

 フェルズがそう言うのなら、仕方のない事だ。

 

《助けて、くれないの……?》

「その冒険者には悪いけどね。ダンジョンに潜る以上、自己責任って奴よ」

 

 ダンジョンに挑む以上、死ぬ可能性はゼロじゃない。むしろ普通に生きるよりはるかに死ぬ確率は高い。それでも自ら挑むと決めたのだから、仕方が無いと思う。

 クリスを落ち着かせようとそう告げると、彼女はフルフルと震えながら、掠れるような呟きを零した。

 

《────同胞が、また死ぬんだ》

「……待って」

 

 同胞、同胞と言ったのか彼女は。

 思わず、服の中に潜り込もうとするクリスを掴んで引っ張り出す。

 

「クリス、助けを求めているのは()()()()

《わかんない、でも同胞(なかま)。痛いって、苦しいって、助けてって……》

 

 今にも泣き出しそうなぐらいに落ち込んだクリスの言葉を聞き、俺は声を上げた。

 

「フェルズ、ストップ!」

「何だ。まさか助けに行くとでも? 極秘任務のさ中だと自覚して欲しいのだが」

「相手が異端児(ゼノス)だったとしても、助けに行かないって?」

「────何?」

 

 踏み出そうとしていた足を止めたフェルズが一瞬で振り返り、俺をまじまじと見つめた。

 

「何処だ」

「クリス、キューイ、場所は何処?」

「キュイ? キュ……キュイキュイ」

 

 クリスの方はだんまりで動きを止めており反応無し。キューイの方は少し集中しているのか姿勢をやや落して通路先を睨む様に見つめると、直ぐに場所を特定したらしい。

 距離は相当先、死に掛けの何かが居る、と告げられた。

 

「キューイ、直ぐに案内して。フェルズ」

「ああ、構わない。案内を頼む」

 

 キューイに指示を出し、彼女が駆け出すのと同時にヴァンを走らせようとして、遅れて確認をとるとフェルズは影の様に俺の後ろに追走しながら頷いた。

 道中、すれ違いかけたモンスターを魔石を穿って射殺しつつヴァンの背にしがみ付いていると、クリスが声を上げた。

 

《助けてくれるの?》

「ええ、助けるわ。可能な限りね」

 

 前回、隠し通路に迷い込んでいた異端児(ゼノス)と出会った時とは訳が違う。

 事情を知るフェルズと同行している以上、見捨てる選択をあえてとる必要がないからだ。

 あの時、俺が彼を救う選択をしなかった事で傷付いてしまったクリスの為にも、今回は必ず救わなくてはいけない。安心させるようにクリスに告げると、彼女は俺の懐から飛び出して淡い青い炎を灯して先導する様に前に出た。

 

《こっち、こっちから聞こえる!》

「キューイ、先導をクリスに。ヴァン、クリスに続いて。フェルズ」

「言われずとも!」

 

 興奮気味の声色を上げたクリスは一気に加速し、俺達の視界から消えてしまうが、彼女が残した青白い炎の残滓と、通った道に残された結晶が生え茂ったモンスターの亡骸を追えば見失う事はない。

 枝分かれする横道へと入り、右へ左へ、意識していないと一瞬で迷いそうになるほどに複雑な道を行き、最短路から外れた道から更に外れ、ギルドが記録していた地図にすら記されていない一角へと足を踏み入れ────そこに、その異端児(ゼノス)は居た。

 

「────これ、は……」

「────すぐに、応急処置だ!」

 

 大樹の迷宮の中に一本の木が生えていた。

 樹齢百年はくだらなそうな、立派な木だ。種類は、わからない。俺の知る植物の特徴と一致しない、この迷宮独自の樹木なのだろうとしか言えない。

 そんな樹木の根本の所に、そのモンスターは居た。居た、というのは間違いかもしれない。

 あった、というべきだろうか。

 慌てた様子で駆け寄るフェルズに続いて、ヴァンの背を飛び下りてポーチから高位回復薬(ハイポーション)を引っ張り出してそのモンスターの傍に寄った。

 

《ミリア、死んじゃう。死んじゃう!》

「大丈夫よクリス、約束する。必ず助けるわ。ヴァン、キューイ、周辺警戒お願い」

 

 頭上に錯綜する枝葉の隙間から、舞台照明(スポットライト)の様に淡い光が差し込む空間(ルーム)の中心。

 樹齢百年はくだらなそうな立派な木の根元。無数の羽と、夥しい量の赤がぶちまけられていた。

 モンスターの種類は、ハーピーだろうか。

 酷い有様だ。

 まるで拷問された、というか拷問そのものだろう。

 両翼と両足は太い杭の様なもので地面に縫い留められており、一見すると標本にされた昆虫の様だ。それだけならまだいい、酷いのは胸から腹にかけての傷────いや、切り開かれ、中身が外にぶちまけられている。傷じゃない、拷問の跡だ。

 恐ろしい事に、未だに脈動する心臓が外気に晒されているのが見えた。

 

「まだ生きてる、だがこれでは……」

《ダメだよ、助けられない……》

「つべこべ言わずに治療を、出来る限りはするわよ!」

 

 恐ろしい事に、ぶちまけられた赤の量や、腸を引き摺りだされて尚、このハーピーは生きていた。

 生命活動に致命的な異常を発生させる傷をとことん避け、激痛と苦痛による責め苦をする為に考え抜かれた様なやり方。それでも、普通の人間なら疾うの昔に死んでいてもおかしくない状態でありながら、この異端児(ゼノス)が生きているのは、モンスター故の生命力からか。だが、どちらにせよこのまま放置すれば十割死ぬ。

 フェルズの方は慎重にモンスターの容態を確認しつつ、傷口を観察している。

 

「駄目だ、これは……この場での治療は不可能だ……」

 

 致命傷に至る傷は無い、だが飛び出た腸を中に戻すのは難しい。それに出血量が多すぎて治療が間に合わない。丁重に綺麗な水で洗い、泥汚れを落として詰め込むのも、モンスターの生命力ならばそこから回復できやしないだろうか。

 地面に深々と食い込んだ杭は、翼を貫通しており易々と抜く事が出来ない。時間との勝負ではあるが────無理だな。

 現代医学について詳細はわからないが、いくらモンスターの生命力があったとて、心臓が外気に晒される程に胸を切り開かれ、腸をぶちまけられた状態で両翼両足を貫通する杭。どんなフィクションでもここからの回復は難しそうだ。

 

「貴女、聞こえる?」

 

 ガクガクと震える彼女の顔を覗き込み────思わず舌打ちを零しかけた。

 瞼の隙間から血が零れ落ちている。血涙が出る程、なんて考えは直ぐに否定した。何せ、跪いていた直ぐそばの地面に、美しい空色をした眼球が二つほど、転がっているのを見ればおのずと答えが見えてくる。

 眼球だけではない。半開きで異常な呼吸音が零れ落ちる口内も血が溢れ返っている。咽込む力も無いのか、ゴポゴポと血泡を吹いている。舌を引っこ抜かれたのか、喉までやられているのか。耳も駄目なのか、心臓が動いてるだけでとっくの昔に死んでいるのか。判断が付かない。

 このモンスターに何のうらみがあればここまで出来るのか。

 クリスと約束した手前、なんとしても救わなくては。

 

「……仕方ないわね」

「どうした……待て、その薬は何だ?」

「『再生薬』よ、一応持ってきてた奴ね。眼球すら再生する優れものよ」

 

 モンスターにこの再生薬が効くかは不明だが、このまま手の打ちようが無いまま放置よりはるかにマシだろう。

 

「フェルズ、彼女の体を抑えて頂戴」

「……無駄だと思うが」

「やってみなきゃわかんないわ」

 

 蓋を開けた瞬間に鼻に突き刺さる激臭。ともすればその臭気は痛みを訴えかねない程の酷い匂いだ。

 液薬にしてはやけに粘度の高いそれを、痙攣し今にも絶命しそうなハーピーの胴に垂らす。ビクンッ、と大きく痙攣する体をフェルズが抑えつつ、大きな傷に少しずつ、少しずつ『再生薬』を垂らしていくと、効果は余りにも劇的だった。

 大きく切り開かれていた腹の傷がじゅくじゅくと巻き戻す様に修復されていき、飛び出ていた腸もずるずると啜られる様に納まっていく。

 ぽっかり穴の開いていた眼孔の奥からゼリー状の物質が溢れて来て眼球を再生していく。喉の奥に詰まっていた血塊が、ゴボリッ、と大きく痙攣して咽たハーピーの口からあふれ出て、幾度も咽ている。

 ────この薬の使用者を始めてこの目で見たが、劇的どころかむしろ怖いぐらいに治っていく様子に正直ドン引きである。

 

「す、凄まじい効果だな……」

「これは、想定外だけど……後は体力が持つかどう……か……?」

 

 傷が治り、治り、治って────治り、きらない。

 

「なお、らない?」

「……ノースリス、彼女はもうだめだ」

《────死んじゃう》

 

 抉り取られたらしい眼球も、引き千切られたらしき舌も、切り開かれた腹も元通り。多少色素異常を起こして色白だったり赤眼だったりはするだろうが、治り切る、はずだった。

 だが、何故か胸の傷の部分だけはまったく変化がない。

 相変わらず、赤黒い心臓が弱々しく脈動しているのが肉眼で確認できてしまう。

 

「……モンスターには、効かないのかしら。他の万能薬(エリクサー)なら!」

「ノースリス、無駄だ」

 

 フェルズが止めようとするが、無視だ。

 『再生薬』は試作品の何号目かの代物であり、不完全だった。万能薬(エリクサー)なら傷も治るだろう。

 

「キューイ、杭を抜いてあげて」

 

 指示を出しつつ、万能薬(エリクサー)を大きく開かれた傷に垂らすが、変化がない。効果が、無い?

 キューイが杭を抜き、穴の開いたままの翼や足に万能薬(エリクサー)を振りかければ、瞬く間に治っていくというのに、胸の傷だけは元に戻らない。

 

呪詛(カース)?」

《────違う。この子はもう死んじゃう》

 

 呪詛(カース)によって回復が阻害されている、という訳ではないとクリスが悲し気な声を上げた。

 どういう意味かと問うより先に、フェルズが俺の肩を掴んだ。

 

「ノースリス、彼女の傷をよく見てみろ」

「傷、って……」

 

 弱々しい脈動を続ける心臓、剥き出しにされたその臓器の、すぐ傍。そこに、紫紺の石があるのが視認できた。モンスターにとっての、核であり、第二の心臓ともいえる重要器官。

 魔石だ。

 それに、罅が入っている。

 

「魔石に、罅……?」

「モンスターにとって、魔石は重要なものだ。身体がどれほど傷付こうと、ある程度は回復してしまうすさまじい生命力を持つモンスターだが……魔石が傷付けば、もうどうにもならない」

 

 魔石が失われればモンスターは灰になる。

 先ほどまでの傷はこのモンスターの命を奪うのに十二分な重傷だった。それを治療する事は出来た。だが、魔石にまで届いた傷は、もはや手の打ちようが無い。そして、クリスは最初からそれに気付いていた様子だった。

 

「ぅ、ぁ……」

 

 ほんの僅かに響いた呻き声を聞き、フェルズ、俺、クリスは彼女の顔を覗き込んだ。

 ふるりと瞼が震え、僅かに瞳が開かれる。元は美しい青玉(サファイア)だったであろう瞳は赤くなってしまっているが、確かに俺とフェルズの姿を映した。

 そして、その瞳に怯えの色を宿し、弱々しい力で振り解こうとした。

 再生したてでまともに動かない手足をばたつかせようとするのを抑え、胸に空いたままの傷からの出血を少しでも抑えようとするが、彼女は錯乱(パニック)状態なのか止まる気配がない。

 

「落ち着いてくれ、頼むから」

「動かないで、血が、傷が」

 

 小さな鼓動を刻む心臓が今にも止まりそうで、余りにも儚い姿に血の気が引く。

 

《大丈夫、大丈夫だから……傷付けない。大丈夫だよ》

「──────」

 

 瞬間、ハーピーは動きを止めた。

 ふわりと彼女の眼前に顔を出したクリスは、鼻先を近づけて優しく、言い聞かせる様に囁く。

 

《大丈夫。この人達はキミを傷付けたりなんかしない》

 

 強張っていた体が弛緩し、身を預けてくる。

 それはクリスの言葉を信じたのか、それとも暴れるだけの力を失ったのか。

 彼女の体をゆっくりと地面に寝かせると、ハーピーの少女は俺とフェルズの姿を交互に見て、若干聞き取り辛い声を上げた。

 

「……ダれ?」

「私はフェルズという。君の様な存在を探している者だ」

「……ミリア・ノースリスよ」

「────にン、ゲン?」

「そうね。私は人間だわ。そっちは骨だけど」

 

 聞き取り辛い上に、か細すぎて、ともすれば聞き逃してしまいそうな程だ。それでも、一言たりとも聞き逃さない様に耳を傾ける。

 

「誰にやられたか、わかる?」

「ワかラナい」

 

 犯人を特定できれば、仇討ちぐらいはしてあげれたが、彼女自身もよくわからないのか、反応は芳しくない。加えて、最初はしっかりと俺とフェルズの姿を捉えていたはずの瞳は、徐々にだがズレた所に視線を向ける様になっていっている。

 どうすれば良い、と視線でフェルズに訪ねるが、首を横に振るのみ。手立てがないのか、と視線を巡らせようとして、気付いた。

 

「嘘……足が」

 

 地面に投げ出されていたハーピーの足先が、色を失っていた。それどころか、爪の先からはらはらと灰になって崩れていく。その症状は爪先からじょじょに広がっている。瞬く間に、下半身の鳥の部分は色を失い、上半身の人の部分にまで到達していっている。

 ぞっとする光景に言葉を失っていると、か細く呟く声が聞こえた。

 

「にンゲンと、おシャべり、してる?」

「……え、えぇ、そうね」

「ユめ」

「ゆめ? 夢じゃないわ」

 

 彼女の眼はとっくの昔に俺を見ていない。どこかズレた所に投げ出された視線の先には何も居らず、ただぼんやりと口の隙間から、夢現の様な声が零れ落ちるのみ。

 

「ワたし、に……ゲン、と……シャべ、るの……ユめ、だった」

「…………そう、夢が叶って良かったわね」

 

 両翼も先の方から一気に色が失われ、灰となってさらさらと崩れていっている。

 

「ヒと、り、……シぬ、コわ……て……」

「大丈夫。傍に居るわ。私で良ければ、最期まで」

 

 首元から頬、淡い緋色の髪からも色が失われていく。

 

「…………ガ、ト」

 

 最期、罅割れ始めた唇から、微かに感謝の気持ちが籠った吐息が零れ落ち、俺やフェルズが看取る中で名も知らぬ異端児(ゼノス)のハーピーは灰の山となった。




 無人島……キノコ……うっ……頭が……。

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