魔銃使いは迷宮を駆ける   作:魔法少女()

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第二一五話

 ラキア王国。

 大陸西部に位置する君主国家。被治者の人口は六十万を超えるとも言われ、王都には壮大な王城と城下町が存在する。緑豊かで肥沃な大地を有するこの国は、『軍事国家』という野蛮な面を持っていた。

 その一面は、君主であるはずの王の上に君臨する、一柱の神の神意(しんい)によるものだ。

 『軍神アレス』。

 事実上の頂点に君臨しているのは男神だ。

 ようするに、『ラキア王国』とは多岐に渡る派閥の属性の中でも、最大の規模と最大の煩雑さを持つ『国家系』【ファミリア】である。

 そんな国家が戦火の矛先として選んだのは大陸西部から更に西に進んだ先、大陸の片隅。

 三万という軍勢を率いて狙うは、世界で一つしか存在しない壮大なダンジョンを有し、今日では『世界の中心』と言われる程に発展した迷宮都市、オラリオだ。

 遠方からも目立つ、天突く白亜の塔と、それを囲む巨大な市壁。

 重厚な甲冑を纏う兵士、専用の鎧を装着された数百数千の軍馬。更に鈍い輝きを放つ何万もの長槍。万全を期して挑んだ侵略戦争は────これまで通りに呆気なく蹴散らされ、撤退を余儀なくされていた。

 オラリオから真東に三〇キロル程進んだ大平原にて迷宮都市が誇る冒険者と、王国が誇る兵団がぶつかり合い、呆気なく蹴散らされては幾度も突撃を繰り返す。馬鹿の一つ覚えの様な作戦は、けれども主神が定める神意(しんい)故に末端の兵達に拒否権等ありはしない。

 愚直な突撃を繰り返し、撃退される事数度。ようやく伝令による全軍撤退の指示が出された事に安堵し、ボロボロになった鎧と、折れた騎乗槍(ランス)を担いだ騎馬隊が反転した。

 重厚な鎧に身を包んだ豪傑の徽章(エンブレム)が描かれた深紅の旗をはためかせ、歩兵隊、騎馬隊共に一目散に逃げ出していく。

 元々敵う筈もないオラリオの冒険者に、幾度も突撃を繰り返してはその度に軽々と撃退される。その苦行から解き放たれるのだという安堵と、帰還後に主神になんと申し上げれば良いのかという葛藤を抱きつつも、帰路につく騎兵隊。その後ろには数が半分ほどに減ってしまった歩兵隊が付き従っていた。

 兵の大半がLv.1、中にはLv.2も混じってはいるものの、相対する都市の冒険者はLv.3は当たり前、Lv.4やLv.5────第一級冒険者まで混じっているのだ。そんな強大な敵に突撃しては捕虜としてとらえられ、戦争後に莫大な費用の支払いによって捕虜の解放を行って、といつもの対応が行われるのだろう、騎兵を率いる隊長が思っていると、撤退の指示を伝えてきた伝令の兵は続ける。

 

「アレス様は既に撤退済み。なんと、オラリオを出し抜き、女神を神質(ひとじち)に取る事に成功したとの事。追撃される恐れがある為注意しつつ、部隊を分散させ敵の目を欺く様に、との事です」

「……負傷兵が多い中で部隊を散開させる、か」

 

 半数近くがオラリオの捕虜として捕らえられており、残る半数は命からがら負傷した状態で撤退してきた者達ばかり。戦闘とも呼べない蹂躙に巻き込まれた彼等を一早く撤退させたい気持ちはあるが、主神が成した功績────それも憎きオラリオを出し抜いたのだ────それを無駄にしない為にも、負傷兵達にも頑張ってもらわねばならぬ、と隊長は大きく頷く。

 

「聞けっ、我らがアレス様が憎きオラリオを出し抜き、見事単身オラリオの女神の一柱を神質(ひとじち)とし捕らえる事に成功した!」

 

 声高らかに彼が主神の功績を叫ぶ。それを聞いた兵達がどよめき、そして歓声を上げた。

 オラリオに居る神々、どころか大半の神々が口を揃えて『脳筋だ』等と言われる事の多いアレスだが、彼は自らが自治する王国(ラキア)内では絶大的な人気を誇っている。

 自ら兵役に志願する者の大半は、闘神アレスに対する忠誠を誓い、彼の神の為に戦場に赴こうとする者が数多い。そんな彼らが主神の功績────それも長年にわたって苦渋を飲まされ続けていた因縁の迷宮都市(オラリオ)相手の────を自らが立てたと聞けば、歓喜するのも当然だった。

 

「我々は敵の目を欺く為に部隊を分けるっ、我々騎兵隊は五つに分かれて王国へと帰還を急げ! 残る負傷兵も可能な限り少数となって移動せよ! 我らがアレス様の為に!!」

『────アレス様の為に!!』

 

 オラリオにて化物派閥────最強派閥(フレイヤ・ファミリア)最大派閥(ロキ・ファミリア)────に蹂躙され、弄した策も全て看破された上での潰走(かいそう)

 本来ならば士気を保つ事なんて出来る筈の無い撤退状況ながら、この一軍はその気配がない。

 戦場の華である騎馬隊を任せられるだけの精鋭中の精鋭。並みの兵士ならば士気が下がるのもやむなしのこの状況においても、彼等は変わらぬ士気を保っているのだ。

 高い士気を持つ彼らの動きは非常に早かった。

 騎馬隊の中で数組の隊を作り上げると、オラリオの冒険者に発見された際、女神を攫った隊だと誤認させるための小細工として各隊の一人の騎馬に袋詰めの大荷物を運ばせる。

 もし見つかった場合には、可能な限り敵を引き付けて主神が率いる隊が確実に逃走出来る様にする為の行動だった。

 伝令による報告を受けてから一〇分も掛からずに仕掛けを施した隊が各々バラバラな方角へと駆け出していく。女神が攫われてから、まだ半刻程しか経っていない。いくらオラリオの冒険者の足が軍馬に勝るとはいえ、これだけ距離もあって行動開始したのであれば陽動は上手くいくだろう。

 本来ならば、それなりに陽動は上手くいくはずだった。

 そんな彼らの動きを、どんよりとした曇天の中から鋭く睨み付ける紅蒼の瞳が見つめていなければ。

 

 

 

「────なるほど、つまりアレは全部陽動な訳か」

 

 徐々に天候が崩れていっていたおかげか、曇天の雲間に隠れて飛行するキューイの存在に彼等は気付く気配は無い。

 迷宮都市(オラリオ)を離れてすぐ、行動開始した俺は一五分程度で負傷兵を多く抱えた撤退中の前線部隊をキューイが感知し、高高度より彼らの様子をうかがっていた。

 キューイ曰く、あの場所にヘスティア様は居ないらしいが、念には念をと高高度から様子を伺っていると、彼等の下に早馬が駆け込み、部隊を小分けにして負傷兵をおいて撤退していく部隊が出始めたじゃないか。確かに、上空から一方的な情報収集が出来る今みたいな状況でなければ、あの別れた部隊を一つ一つ丁寧に潰していかなければいけなかったところだろうが────悪いな、全部見てたんだ。

 高高度、肌寒く湿り気を帯びた雲間の間を飛行するキューイに手を引かれ、地上を見ていた俺は、負傷者を抱えて撤退速度の遅い大隊を無視し、別行動を開始した五つの部隊をつぶさに観察する。

 

「──────」

 

 ヘスティア様が『ラキア王国』に誘拐された。

 せっかく決意を決め、自らが秘匿した事を話そうと心に決めて地上へと帰還してみれば、なんというタイミングの事件か。まるで狙い済まされたかのようなこの時期の悪さには、作為的なものを感じざるを得ない。とはいえ、天運の悪さには自覚もある為、文句ばかり言っていても仕方が無いが。

 今やるべき事はただ一つ、ヘスティア様の救助。当然────邪魔する奴らは全員叩きのめす。

 もしヘスティア様の身に何かあれば……いや、そんな想像すらしたくない。何が何でも、ヘスティア様を助け出す。

 失敗なんて絶対にしない。その為にも、躊躇はしない。

 

「キュイ?」

「高度このまま、微速追従」

 

 どうする、というキューイの問いかけ。

 迷う事無く、あの大隊を指揮していた指揮官、それもかなり高階級であろう騎士を狙う。ご丁寧に、他の騎兵に比べて装飾が多く、一目で判別できる。

 その部隊が進んでいる方向に追従する様に指示を出し、銃口を向ける。距離からして魔力感知される心配はないし、視認される可能性も低い。これがミリカンならレーダーに引っかかって一瞬で蜂の巣にされる所だが、今回はその心配は無くていい。

 雲間であるためかローブは露に濡れ、髪も湿り気を帯びている。そこに突き刺さる高高度の冷え切った空気。吐く息は白く、指先がかじかみそうな程だが、攫われたヘスティア様の事を思えば何のことはない。

 キューイに片手で吊り下げられながら、照準を地上を駆ける騎馬隊に定める。

 距離一四〇〇、風向き北北西、風速三。目標、騎兵隊指揮官────。

 

「【ファイア】」

 

 囁く様に、撃鉄を振り下ろす文言を告げる。

 指先から放たれた魔弾は、全力で駆け抜ける騎馬の進行上、交差予測位置へと寸分の狂いなく飛翔し────綺麗に隊列を組んで駆けていた騎馬隊の内、指揮官らしき騎士がいきなり()()()()

 

 

 

「────ッ!?」

 

 整然と隊列を組み、全力で撤退していた騎馬隊の中心部。

 指揮官であった騎士団長が駆る馬が突然足をもつらせ転倒────高速で駆ける馬から投げ出された騎士団長は、それでもLv.3である身体能力を活かして軍馬から飛び降り、負傷なく着地。

 他の騎馬はいきなり落伍した彼を綺麗に避けつつ、少し先で反転して合流を計ろうとする。

 

「大丈夫ですか!?」

「ああ、いきなり馬が……オラリオの冒険者による攻撃?」

 

 全力で駆けているさ中にいきなり全身を弛緩させ、勢いのままに地面に倒れ込み、転がった軍馬の姿に指揮官は大いに警戒して周囲を見回す。

 軍馬の方は鎧を纏っていたとはいえ、走行中にいきなり意識を失ったかのようになげだされ、馬の脚はあらぬ方向に折れ曲がっているのが見えるし、なにより首が折れているのが容易に判断がつく。

 周囲を見回した指揮官の視界に映るのは壮大な大草原の風景。

 遮蔽物の無い大草原を駆けるさ中、オラリオの冒険者による()()を受けたのかと警戒する彼だが、馬には『矢』が見当たらない上、弓の射程から考えうる範囲には冒険者どころか野生動物の姿すらない。

 

「警戒しろ!」

「ど、どこから……」

「いくらなんでも早すぎる!」

 

 突然の出来事にうろたえた様な騎士の言葉に、指揮官は表情を険しくした。

 周囲には遮蔽物のない大草原が広がっており、人が隠れられそうな場所は殆ど見当たらない。なにより、いくらなんでもオラリオの冒険者とは言え追い付いてくるのが早すぎる。

 違和感を感じた彼が必死に()()()()()()()()()()()()()()

 周囲の騎士たちも同様に警戒し、どんな小さな動きも見逃さないと言わんばかりに目を皿にして見回す。けれども、大草原に異常は見当たらない。

 

「どうなって────っぁ!?」

 

 突然。

 一人の騎士が駆る軍馬がその場に崩れ落ちる。

 

「どうした!?」

「大丈夫か!?」

 

 片足が馬と地面の間に挟まれてもがく彼を助けようと、二人の騎士が馬から下りようとして────その内の片方の馬が同様に突然、何の前触れもなく崩れ落ちた。

 

「うわぁっ!?」

「何だ、何が起きてる!?」

「こ、攻撃されてるっ!」

 

 攻撃を受けた、そう叫んだ騎士が指差す先。

 倒れ伏した馬の頭部から血が滴っているのに指揮官は気付いた。

 よくよく見れば倒れ伏した馬が被った馬用の鉄兜に人差し指程度の大きさの穴が空いているのが確認できる。そして、そこから血がとくとくと滴り草原を赤く染めていた。

 原因不明の攻撃。

 

「魔法かっ!?」

「だが魔力は感じられないぞ」

「じゃあオラリオは何か新しい兵器を開発したのか!?」

 

 精鋭中の精鋭である彼らとて、正体不明の攻撃に晒されれば混乱の一つぐらいはする。

 それでも、冷静さを保っていた指揮官は即座に状況から相手の狙いを鑑みた。

 

「狼狽えるな! 相手は我々を殺傷する気は無い!」

 

 馬用とはいえ、その鎧兜は騎士達が装備しているものと同様の金属が使われている。

 その金属兜を易々と貫き、恩恵を与えられていない馬の頭蓋を一撃で穿ち抜き殺害する威力の攻撃。それが魔法なのか弓矢による狙撃なのか判別も付かない状況ではあるが、もしこの攻撃が自分達の命を脅かすためのものであるなら、真っ先に指揮官が狙撃されているだろう。だがそれが無い以上、攻撃をしてきている側は命を奪う目的ではないと判断が出来る。

 故に、慌てる必要は無い、と皆を落ち着かせようとして────軍馬に跨っていた騎士の一人がよろめき、落馬した。

 ガシャンッ、と騎士鎧に身を包んだ大柄な男が軍馬から落馬し、草原に倒れ伏す。

 うつ伏せに倒れた彼に、彼が跨っていた馬がすり寄り、悲し気な嘶きを上げる。

 突然の出来事に硬直していた指揮官は、傍に居た騎士に確認する様に促した。戸惑った様子ながらも指示を受けた騎士が倒れた男の傍に近づき、様子を伺い、悲鳴を上げた。

 

「なっ────あぁ────っ!?」

「どうした」

「し、死んでる!? 殺されてる!!」

 

 倒れた騎士が被った兜の側頭部。馬のものと同様の指先程度の小さな穴が空き、そこからとくとくと真っ赤な血を滴らせているのが確認できた。その姿に、指揮官は言葉を失い、冷静さを欠いた騎士が口を開くより前に────パスッ、と軽い音色と共に、今まさに騒いでいた騎士の眉間に穴が空いた。

 驚愕する騎士達を他所に、その男は仰向けに倒れ────絶命した。

 

「────ッ!?」

「こ、殺されるっ?!」

「な、ど、どこからっ!?」

 

 余りにあっさりとした仲間の死に動揺が広がる。彼らは戦場の華である騎馬隊に選び抜かれる程の精鋭中の精鋭。神への忠誠心は十二分であり、ちょっとやそっとの事では動揺などはしない。

 たとえ自身が逆立ちしても敵わないであろう相手に正面から突撃していくだけの気概も持ち合わせている────だが、これらにはしっかりとした訳がある。

 昨今の時代に於いて、人と人が争う戦争は数を圧倒する時代は過去のものとなっている。

 『神時代(しんじだい)』と俗に言われる現代においては、『量より質』の時代だ。

 たった一人の豪傑が────神に与えられた『恩恵(ファルナ)』を昇華させた戦士が────いとも容易く戦況をひっくり返す。現に昇格(ランクアップ)した十名の小隊であるならば、百の敵軍、あるいは千の敵軍すらも真っ向から抑え込むと言われているのだ。

 そんな状況を理解しながらも、潤沢な経験値(エクセリア)によって幾度も器を昇華させた冒険者に蹴散らされるのは必然。御伽噺の展開をなぞるかの如く蹴散らされるのも致し方が無し。

 それでありながら彼らが無謀極まりない突撃を繰り返せたわけはたった一つ────オラリオの冒険者は決して自分達の命までとらないと知っているからだ。

 幾度も繰り返された戦争の中で、ラキア王国の騎士達の中で常識ともなっている事実。

 迷宮都市(オラリオ)を相手にした戦争では、決して殺される事はない。それは過去幾度も侵略戦争を起こし、その中で命を奪われた騎士が居ない事が起因となっている常識だ。

 故に、彼等はどれほど無茶で無謀な突撃をする事も厭わない────なぜなら()()()()()()()()()()()()

 だが、そんな彼らが唐突に訪れた死に、冷静でいられるかといえば。

 

「ぁ、ぁあああああああああああああ────ッッ!?」

「お、置いていかないでくれえ!?」

「やめろ、放せ!?」

 

 悲鳴を上げ、馬が無事な騎士が必死に手綱を引いて馬を走らせる。馬を失った騎士は最も近くに居た騎兵に縋りついて助けを求めだす。

 ほんの一瞬で、舞台は蜂の巣を突いたかのような騒ぎに発展する。

 冷静であろうとした指揮官ですら、この事態は想定外であったのか完全に思考停止に陥り、動きを止めていた。

 馬が無事な騎士の悉くが散り散り、思い思いの方向に逃げ惑い、馬を失った数人が重たい鎧を脱ぎ捨てて駆け出していく。その後姿を見送り、遅れて逃げなくてはと足を踏み出そうとした指揮官は────頭上から響く羽搏きの音を聞いて、その場に釘付けにされた。

 聞こえる羽搏きの音。

 羽毛に包まれた鳥の羽が奏でる羽搏きよりも固く、力強く、空気を掴みひれ伏させるかのような威圧感の伴った羽搏きの音色。そこらの野生動物が巻き起こす可愛らしいものとは比べ物にならないソレ。

 顔を上げる事すら出来ない彼は、頭上で羽搏くソレが何なのか、気付いてしまっていた。

 此度のラキア王国による迷宮都市(オラリオ)侵略の前に行われた騎士団長級の者達による会議。そのさ中に注意すべき点として挙げられた、オラリオの隠し玉。

 派閥と派閥が争い合う戦争遊戯(ウォーゲーム)にて登場し、その猛威を振るったとある冒険者と、その冒険者が従えるとある()()()()()

 堅牢であったはずの城塞を容易く陥落させ、桁違いの規模を誇る派閥を壊滅させるに至った恐ろしいその人物。

 ────とある小人族(パルゥム)と、それが駆る竜種(ドラゴン)

 戦争開始直後、厳重な警戒をしていたその存在は、けれども想定外な事に戦場に出てくる事は無かった。アレス曰く、オラリオは戦力の逐次投入が云々で愚かしい戦術をとっているに違いない、との事らしかったが、結局戦場に現れずに存在そのものを忘れていた。

 それが、今になって出現した。

 その事実に指揮官の彼は、自分以外の全員が逃げ去り、残された大草原──身を隠す遮蔽物の無い場所──で、遭遇(エンカウント)してしまったのだ。

 古今東西、ありとあらゆる『英雄譚』、ひいては御伽噺に於いて、『ドラゴン』を討ち果たせるのはごく僅か、限られた『英雄』のみだ。

 そして、今まさにドラゴンの前に放り出された彼は、血の滲む努力の末、迷宮都市(オラリオ)外では傑物とまで謳われる事もあるLv.3にまで上り詰め、ラキア王国では数千人の騎士を────それも、戦場の華である騎馬隊を────任される程に至った男だ。

 だが、彼は、『英雄』ではない。

 彼は、『英雄』ではないのだ。

 

「一つ、お聞きしたい事があります」

「────」

 

 古今東西、ありとあらゆる御伽噺において、『英雄』ではないただの騎士がドラゴンにするとどうなるのか。その答えは、あえて語る必要もない。

 

「ヘスティア様を攫った部隊は、今、何処に居ますか?」

「────」

 

 言葉自体は優しく、柔らかなものではあった。しかし、彼は全身の穴という穴から大量の脂汗が噴き出すのを感じていた。

 つい先ほどまで全く、微塵も気が付かなかった魔力の矛先。それが、自身に向けられていると知覚してしまっていたから。

 

「答えていただけませんか?」

「────」

 

 優しく問いかけてくるのは、年端も行かない少女の声。

 しかし、羽搏きの音色と、差し向けられる魔力の矛先が、彼の体を酷く硬直させる。

 答えなければ殺される。

 神アレスによって栄誉ある騎士団長に選ばれる以前から、騎兵として選抜されたその日からずっと苦楽を共にした愛馬の様に。ともにオラリオの第一級冒険者、古のドラゴンの様に恐ろしい第一級冒険者のドワーフに突撃した騎士達の様に。

 ほんの一瞬で、自身が死んだのだと自覚できないままに殺される。

 余りの恐怖に、彼は──────意識を手放した。

 

 

 

「……はぁ?」

 

 思わず、眼の前で地面に倒れ伏した男を見下ろしたまま唖然としてしまった。

 飾り付けられた鎧の隙間から地面に染み渡る液体。それが僅かな傾斜に流れており────指揮官であったはずの男が、自らが作り出した小川に顔面から倒れ伏したのだ。

 

「キュイ?」

「……はぁ、マジで?」

 

 何人か仕留めて恐怖を植え付け、反抗の意思を潰してから情報を聞き出そうとしたのだが、結果として────勝手に気絶しやがった。

 思った以上に精神面(メンタル)が打たれ弱かった事に思わず天を仰ぐ。

 

「キューイ、直ぐに行きましょう。まともな情報は聞けそうにないし……クリス側はどうなったかしら?」

 

 目の前で気絶して失禁の小川に倒れ伏した指揮官は放置したまま、クリスの向かった方角に意識を向ける。

 今回、ヘスティア様が誘拐された後に敵軍がいくつかの部隊に分かれたと報告があったため、それぞれの方向に俺&キューイ、クリス、アスフィ・アンドロメダの三チームでそれぞれを追う事になった。

 アスフィと連絡を取り合う手段はないが、クリスの方はなんとか離れていても言葉を交わせる。

 現在わかっているのは、俺の追っていった側にヘスティア様が居ない事。不明なのはクリスが追っていった側と、アスフィが追っていった側。

 クリスの方に意識を向けつつ、キューイに再度高高度へと上がってもらう。

 徐々に天候が崩れ、荒れ始める空模様の中、冷え切った空気を感じながらも聞こえたクリスの声に耳を傾ける。

 

《────見つけてない!》

「……そっか、捜索を続けて頂戴。私は、アスフィが追っていった方に向かうわ」

《人が一杯! どうする?》

「足を止めさせて、後ろから【ガネーシャ・ファミリア】が戦力を送るらしいから。方法は任せるわ」

《わかった!》

 

 言葉少なめではあるが、クリスはヘスティア様は見つけられていない様子だが、敵部隊を見つけた様子だった。

 ヘスティア様を確認し次第最優先での保護。そうでなければ敵部隊は適当に足止めして急いで進軍してきている【ガネーシャ・ファミリア】に残党は任せればいい。足止めの方法はクリスに任せる。

 

 

 

 

 

 迷宮都市(オラリオ)からみて西部の森林地帯。

 数少なくなってしまった軍馬に跨った騎士は伝令の指示通りに部隊をいくつもの少数に別けて撤退しているさ中であった。

 徐々に天候が崩れてきているのか、日差しが途絶え、ただでさえ木々の天蓋によって陽射しが遮られて薄暗い森林は、より暗く、眼を凝らさなければ禄に見通せない程の状態に陥っていた。

 

「急げ、オラリオの冒険者に追い付かれてしまうぞ!」

 

 後ろを歩く仲間を激励しつつも、自身は鍛え上げられた軍馬に跨る。

 そんな彼の後ろにはオラリオの冒険者による奇襲で馬を失った騎兵たちがぞろぞろと歩いている。

 疲労感を漂わせる彼らを見て、指揮官は表情を歪ませた。

 本来ならば彼らの役目は都市東の大草原で主戦力が足止めするオラリオの冒険者の背後から強襲を仕掛け、蹴散らす事であった。しかし、オラリオ側は有ろうことかまるで予知していたかのように背後に回り込もうとしていた彼らの部隊を蹴散らした。

 辛くも逃げ出した彼らが態勢を整えようとしている間に、伝令から伝えられたのは撤退命令。

 それも、殆どの兵を失った彼らに対して、少数に分かれて撤退せよとの命令付き。

 ただでさえ負傷した者や馬を失った者の多いこの部隊にその命令は酷と言えた。しかし、上からの命令は絶対。

 彼は余裕のある者を先に撤退させ、馬を失った者達と共に撤退する事を選んだのだ。

 都市からの追手は居ないかと警戒しつつも、後ろについてく騎士たちの様子を伺うのを忘れない。そんな真面目な指揮官は、馬の手綱を引いて一度足を止めた。

 手酷くオラリオの冒険者に蹴散らされて負傷した者が多い彼等の撤退速度は、お世辞にも早いとは言えない。けれども指揮官の彼は急かし過ぎず、激励を飛ばしつつも更に進軍速度自体は落としていた。

 背後から迫る都市の冒険者に対する怯えが無いとは言わないが、仲間を置いていくのも憚られる。故に、遅れる仲間に合わせた進軍速度を維持し、撤退速度は遅い。

 それでも彼らは確実にオラリオの冒険者から距離を離す事に成功していた。

 オラリオの冒険者は滅多な事では都市の外に出られず、更には都市外の地形情報等を全く知りもしない。対して、ラキア側は幾度も侵略戦争を繰り返す内に集めた情報がある。

 彼が数多の負傷兵を抱えながら、遅々とした撤退をしていながらも追い付かれないのは、彼等が知らない抜け道を利用しているからに他ならない。

 

「もうすぐだ、この森を抜ければ────」

 

 ゆっくりと、けれども確実に都市の冒険者を引き離して撤退していた彼は、次の瞬間、自らが跨る馬が足を止めた事で表情を険しくした。

 

「おい、どうしたんだ?」

 

 突然、馬が足を止めた。

 止まる指示も出していないのに足を止めた事を不審に感じた彼が走る様に指示を出すが、馬は一向に進もうとしない。それどころか、怯えた様子で体を震わせながら落ち着きなく嘶きを零していた。

 

「何だ……? 怯えてる? 一体、何に……?」

 

 彼が駆る馬も、それ以外の馬もそうだが、軍馬は特殊な調教を受けている。

 普通の馬ならば槍衾を前に怯んでしまうだろう所を、軍馬は怯まずに突撃する事ができる。それ以外にも、オラリオの冒険者に威圧されても怯まない様に、念入りに調教されている上、モンスター討伐にも同行する事もある為、生半可なモンスター相手にも怯んだりしない。そのはずだが────馬は、酷く怯え、狼狽えた様子で足を止めていた。

 

「一体、どうなって……」

「あ、た、隊長!」

「どうした」

 

 騎乗槍(ランス)を担いだ騎士の一人が薄暗い森の木々の奥を指差す。それにつられて視線を向けた彼は、不思議な光景を目にした。

 

「────蒼白い、炎?」

 

 森の中を、風に漂うように蒼白い炎が舞っている。

 あれは何だ、と首を傾げていると────蒼白い炎が徐々に近づいてきているのに気が付いた。

 

「オラリオの冒険者の攻撃か? ……いや、違うな、魔力は感じられない」

 

 蒼白い炎の正体がわからないまま、足を止めた彼等の下に、徐々にそれらが近づいてくる。

 不意に、馬が酷く狼狽えた様に嘶きを上げ────背に跨っていた指揮官の男を振り落として駆け出した。

 

「ぬぁっ!?」

 

 並大抵の事では怯えない軍馬が、いきなり錯乱した事に驚いた指揮官の男は、見事に馬上から投げ出され、柔らかな土に背中から叩き落される。

 騎士の一人が慌てて駆け寄り、助け起こすさ中────鈍い音と共に、馬の悲鳴が轟いた。

 誰しもが目を見開いてその光景を目にする。

 

 馬は酷く怯えた様子で男を振り下ろして駆け出して行った。まるで蒼白い炎から逃げる様に。しかし、青白い炎は急速に動きを変化させ、逃げようとした馬に纏わりついたのだ。

 次の瞬間だった。

 幽鬼の如く蒼白い炎に照らされた軍馬の纏う鎧の隙間から、赤黒い血に濡れた何かが飛び出した。

 一つ、二つ、三つ────数え切れないほどの何かが、馬の体の内側から、皮膚を突き破り、肉を引き裂き、骨を砕いて飛び出していく。

 

 驚愕に目を見開く彼らの眼前で、屈強な体躯の軍馬は瞬く間に奇怪な芸術作品(オブジェクト)へと姿を変えたのだ。

 突然の出来事に彼等は身を強張らせる。

 何よりも察してしまった。あの蒼白い炎に触れたらどうなるのかを。

 

「────ぁああ……」

「お、おい……囲まれて……」

 

 慌ててその物理法則を無視したかのように漂う蒼白い炎から逃げようとした彼らは、けれども逃げる事は出来ない。

 気が付けば、彼等を囲う様に、森の中には夥しい量の蒼白い炎が漂っていたのだから。

 

「──────」




 先週は更新できずに申し訳ない。
 久々に『日曜日なのに時間がねぇ!?』という状況に陥りました。油断していた訳ではないのですが、色々と後回しにしていたら執筆時間が無くなっていました。



 ラキア王国側の正気度ロールの時間です。
 1D3/1D10、正気度を一度に5以上失った場合、アイディアロールもどうぞ。

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