魔銃使いは迷宮を駆ける   作:魔法少女()

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第七十九話

 暗闇に包まれたダンジョンの中を進みゆく捜索隊。照明具型の魔石灯の明りがゆらゆらと揺れる。

 神々を中心とした陣形を組み進む面々の中。ヘスティアの追及にのらりくらりと回避しようとしていたヘルメスは観念してベルの祖父の話をヘスティアに伝えていた。

 

「頼まれてもいるけど、俺自身、ベル君には興味がある。もちろん、ミリアちゃんの方にもね」

「ミリア君の方にも?」

 

 ヘルメスの言葉に眉を顰めながらも、『世界最速兎(レコードホルダー)』に続いて【剣姫】の最短記録をぶっちぎる記録を叩きだしたもう一人の眷属。ミリア・ノースリスを脳裏に浮かべる。

 

「うん、凄く気になってる。ミリアちゃんって何者? ベル君の方はそれなりに自称育て親から聞いてるけど、ミリアちゃんについては調べても調べても何も出てきやしない」

「調べたの、私ですけどね」

 

 後ろを警戒していたアスフィの皮肉げな言葉にヘルメスがあははと笑えば、ヘスティアは難しい表情を浮かべて口を開いた。

 

「気が付いたらダンジョンの中にいた。それ以前は何処かの街で人を騙して稼いでたみたいだね」

「……詐欺師だったって事かい?」

「自分自身が誰なのかすらわからなくなってたんだよ」

 

 人を騙す中で、自分自身を見失った人の子。ネームレスと言う状態に陥っていたと聞いたヘルメスが深い吐息を零した。

 

「あー、そりゃ経歴なんて出てきやしないか。とはいえ類似する容姿の子の情報もそこそこ集めてたはずなんだけどねぇ」

「そうですね。類似する特徴。パルゥムの中でも特別小柄な金髪碧眼、と言う特徴で一通り調べましたが……」

「わからなかったのかい?」

 

 質問した側のヘルメスに対し、逆に質問し返すヘスティア。これではミリア・ノースリスの正体を突き止められないとヘルメスは肩を竦めた。

 

「ありゃりゃ不思議な子だねぇ。気が付いたらダンジョンの中だなんて、もしかしてモンスターだったり?」

「それはない。もしそうなら気付くだろう?」

「まあ確かに」

 

 ではミリア・ノースリスとは何者なのか。考えるだけ無駄かとヘルメスは追及をやめて呟いた。

 

「直接会って確かめるしかないか」

 

 

 

 

 

 より暗くなった迷宮の通路の奥を見据えながらヴェルフ・クロッゾは前を歩く黒焦げの物体を運ぶキューイの背を追う。後ろに続くリリルカ・アーデの小さな足音と、前を歩くキューイの足音。そしてそれぞれが放つ荒い吐息のみが広い通路に木霊している。

 背負った重みを意識してしまい。その重さがとある考えをヴェルフの脳裏に描かせる。

 

──魔剣さえ、あれば

 

 忌み嫌い、決して打たぬと決めた。後悔も悔いも無いはずのその誓い。

 そのはずなのに、先程から脳裏に木霊するのは『魔剣さえあれば』と言う囁き。木霊する足音と吐息の音が、まるで自身を責めている様にすら感じられる中、ヴェルフは軽く後ろを振り返った。

 

「リリ、大丈夫か」

「ええ、大丈夫ですよ」

 

 荒い息を吐きながらも背負った人物を揺らさぬ様に歩くリリルカ。本来なら、大型バックパックを背負っていたはずのその背中には、焦げ付いた火精霊の護布(サラマンダー・ウール)を纏ったミリアの姿があった。

 右手には未だに握りしめられた()()()()()()()()()。左手から滴る血がリリルカの腹の辺りをべっとりと湿らせている。意識は無い、無いがその口元は微かに動き、言葉を伝えようとしていた。

 『みぎ』『たてあな』、聞き取り辛いその言葉。けれどもリリが咄嗟に獣人に変化して聞き届けた言葉。

 それがなければ十六階層で全滅していただろう。

 

 大量のモンスター。正面の二十を超えるミノタウロスの群れ。後方の匂いを嗅ぎつけてやってきた恐ろしい量のモンスター。あの場においてヴェルフとリリルカはただの足手まといだった。

 咆哮(ハウル)によって強制停止(リストレイト)に陥って動けなくなった二人。けれども効果は十秒ほどで切れていた。切れていたにも拘わらず、動けなかった。

 正面も、後方も、どちらも激しく戦っていた。其処に加わるべく大刀を抜いたヴェルフは大声で叫んだ。

 

『俺を置いていけ』

 

 あのままだと二人が死ぬ。足手纏いの自覚があった。だから自身を置いて三人で進めと叫んだ。

 ベルは叫び返してきた『諦めちゃダメだ』と、次の瞬間には光の粒子を零した一撃にて正面左の通路を崩落させて振り返って言い切った。

 

『僕がなんとかする』

 

 そう言い切るとベル・クラネルは後方、ミリアの援護に入った。ミリアの姿はとっくの昔に見えなくなっていて、魔法の音(銃声)と自らを鼓舞する叫びのみがモンスターの群れの中から聞こえるのみ。

 戦闘音のみがモンスターの群れから聞こえるさ中、ヴェルフは歯を食いしばって大刀を構えるのみ。自分があの中に突撃したとして生き残れるか。

 間を置かずに答えは出る。

 確実に、死ぬ。どれだけ抗おうと二人の様にはいかない。それがわかってしまい動けなかった。それでも、ベルとミリアの二人は足手まといの鍛冶師を守るためにモンスターの群れを止めんと戦い続けている。

 ミリアの仕掛けた障壁が音を立てて罅割れるさ中、群れの中から飛び出してきたのは体の殆どが焼け焦げたヴァンの姿。かろうじて片足の辺りの鱗が灰色であると判別できる程度の飛竜の姿。

 そのまま障壁を攻撃していたモンスターを黒焦げになった尻尾で叩き潰して障壁の前に陣取ってモンスターを迎撃しはじめる。まもなくして目を覚ましたキューイが援護に入るも、何度もヘルハウンドの火炎を浴びては焼け焦げるを通り越して黒焦げになったヴァンが倒れ、口から炎を吐く程度の抵抗しか出来なくなる。

 ヴェルフも魔法での援護を行うも、焼け石に水で全く意味も無い。

 そんな折にリリが青褪めて呟いた言葉。『ミリア様の戦闘音が聞こえません』と言う言葉。

 

 ヴェルフはようやくモンスターの群れに突っ込んだ。あの数に突撃して生き残れるとは思えなかった。同時に、二人が生きて帰ってくるとも思えなかった。

 戦える鍛冶師を自称していたにも拘わらず、サポーターと共に安全地帯に居た事を恥じた。そして脳裏に浮かぶ言葉を否定せんと突撃を慣行した。

 

 モンスターの群れの中。ベルが俊敏に移動し、擦れ違いざまにモンスターを斬り刻む。そんなベルの様を見つつも目の前に立ち塞がった瀕死のミノタウロスに大刀を突き刺してとどめを刺し、倒れそうになっていたミリアを担ぎ上げた。左手に折れた剣、右手に柄だけになった手斧。半ば意識が無いのか呟かれる言葉は聞き取れない彼女を担ぎ、群れの中を切り分けんと大刀を振るってリリルカが居る場所まで辿り着かんとした。

 途中、ベルがモンスターの群れを切り崩してくれなければ、ヴェルフは死んでいただろう。そう確信できる程の量のモンスター。障壁の内側に転がり込んだ所でミリアの手から折れた剣が零れ落ちた。ミリアが頻りに呟く言葉、リリが聞き取ろうと獣人に変身して──右奥の通路の先に縦穴があると知った。

 

 その後、倒れたヴァンをキューイが背負い。ミリアをヴェルフが担いだ状態で、戦い続けるベルに声をかけて逃げ出したのだ。

 最後、ベルが縦穴を飛び降りた瞬間に入り口部分を吹き飛ばして崩落させる事で追っ手を振り切る事には成功するも、ベルとミリア、そしてヴァンの二人と一匹が意識不明となったのだ。

 十七階層にまで辿り着いたパーティは、既に戦闘を行える状態ではなくなっていた。

 

 前方を歩くキューイが時折振り返ってはヴェルフ達が付いてきているか確認している。

 十八階層へ続く階段は、もうすぐだがキューイが何か言いたげに鳴き声を上げるもヴェルフもリリも言葉がわからない為首を横に振るのみ。キューイもそれがわかるのか足取り重くもすぐに進み始める。

 

「ベル、もうすぐだからな……」

「ミリア様……」

 

 意識のない二人。足手纏いとなった鍛冶師とサポーターを守るべく絶望的な数のモンスターに突撃をした冒険者。

 先程から聞こえる己の囁きを頭を振って振り払う。

 

 ──魔剣さえあれば、あのモンスターの群れを薙ぎ払ってやれたのに。

 

「ふざけろ」

 

 なんの為に魔剣を打たぬと決めたのか。脳裏を過る魔剣を頼る自分を殴り付け、足を進める。

 二人がモンスターの群れに消えて行く様が、何度も脳裏にフラッシュバックしてヴェルフを責め立てる。

 魔剣が一本でもあれば、あの無謀ともいえる突撃をさせずに済んだ。

 それ処か十三階層での防衛線においても軽くモンスターを返り討ちに出来ただろう。

 安易に魔剣に頼ってしまう。それが嫌で仕方がなかったのに、今この場に魔剣が無い事を悔やんでしまう。それが何よりも不愉快で、ヴェルフは何度も同じ言葉を呟く。

 

「ふざけろっ」

 

 意地ばかり張って。足手纏いなんかになって、二人に庇われた。

 どうにかする力があるのに振るわず。肝心な時にその力を発揮できない。

 悔しさが込み上げてくる。だからこそ、口にしない。

 

 ──魔剣さえあれば。

 

「ふざけろっ!」

 

 前を見据え、黒焦げのヴァンを背負ったキューイを見て、足を進める。あと少し、あと少しで十八階層。ベルとミリア、二人だけでいい。どうにかして十八階層にまで運び込まなくては────後方で、誰かが倒れた音がした。

 

 

 

 

 

 ドシャリと頭から地面に倒れた。瞬間、体中を襲う疼痛。幾つもの裂傷を負った腕から滴る血の感触に匂い。薄れていた意識が一気に覚醒し、今まさに誰かにのしかかる体勢で倒れているのに気が付いた。

 

「うぅ……ここ、は?」

 

 ぼやけた視界に映し出されたのは、今まさに此方を振り返った赤髪の長身の男。鍛冶師のヴェルフ。そしてそのヴェルフに背負われている白髪の少年。ベル・クラネル。

 体中の疼痛が収まるより前に、今下敷きにしている人物がリリルカ・アーデだと気が付いた。

 

「リリ?」

「ミリア、目が覚めたのか? リリ、大丈夫か」

 

 青褪めた表情のヴェルフがふらふらと頼りない足取りで近づいてくるのを見つつも、身を起こそうとして右手に何かを握り込んでいるのに気が付いた。なんかの柄。

 石製の柄。鹵獲した天然武装(ネイチャーウェポン)の石の手斧、それの柄だけが右手に握りしめられていた。

 自分の手のはずなのに、全く言う事をきかない手は握り締めたまま固まっている。左手でそれを引きはがそうとするも左手が冷たく動きが鈍っていてうまく動かない。

 左手の手甲、無数の傷。肩の当たりの大きな裂傷の所為で血の循環が上手くいっていないのだろう。簡易な包帯を巻いただけの応急処置。その包帯も何処か色合いがおかしい、良く見ればリリルカの服の一部を帯状にして包帯代わりに使っているらしい事がわかった。

 それよりも、モンスターは? あの数の群れはどうなった? ベルは生きているのか? キューイは? 違う、まずはリリの上からどかなくては。

 

「リリ、大丈夫?」

 

 体を横に転がしてリリの上から退いてリリに声をかけるが反応が無い。微かな呼吸が死んでいない事を伝えてくるも意識が無いのは確実だ。

 ベルも意識はあるのか呼吸はしているみたいで、ヴェルフは青褪めてふらついており今すぐにでも気絶しそうな有様。もう限界に近かったリリルカが振り絞り切って気絶したのだろう。

 それより、とりあえず此処が何処なのか知りたい。

 

「ヴェルフ、此処は何処ですか。モンスターは」

 

 喉がカラカラに乾いているのか声がガラガラだ。それでも何とか意味は通じたのかヴェルフが答えを返してきた。

 

「十七階層だ、モンスターは追ってきてない」

「キューイとヴァンは」

「そこに居る」

 

 ヴェルフが顎で示した先。黒焦げの塊を背負ったキューイがジーっと此方を見ていた。どうした?

 

「キュイキュイ」

 

 ……。あと少しで下の階層。そっか、もうひと踏ん張りか。

 疼痛を堪えてリリルカの体の下に腕を回し、そのまま背負う形で持ち上げる。重いな……いや、リリには本当に悪いんだが滅茶苦茶重たい。潰れそうな重みに呻き声が零れた。

 

「ミリア、リリスケは置いてって良いぞ」

 

 ヴェルフの言葉。聞き間違いか? 置いてって良い? 何言ってんだお前は、寝惚けてんのかよ。

 

「────リリがそう言ってた。もしミリアが目を覚ましてリリスケが気を失ったら。その時は自分は置いてってくれってな。これ以上、足は引っ張りたくないんだと」

 

 は? いや、何を言ってるんだ。馬鹿じゃないのか?

 

「此処まで来て、見捨てる? 馬鹿じゃないの。無理でしょそんなの」

 

 阿呆か、馬鹿か、お前の頭にゃ鉄材でも詰まってるのかよ。此処まで死に物狂いで足掻いたんだぞ? 見捨てるなんて阿呆な真似できるか。

 

「それと、俺が気を失ったら俺も捨ててってくれ。ベルと二人で先に進め」

「冗談、ベルがそれを許すとでも?」

 

 うるせえ黙れ。黙って進もう。無視だ、後ろ向きな発言する馬鹿な鍛冶師を無視して足を進める。リリが重すぎる。少し痩せた方が良いんじゃない? 胸とか胸とか、余計な脂肪つけてるから重いんだよ。俺みたいにコンパクトになったら良いと思うよ。

 

「なあミリア」

「うるさい、黙ってついてきてください」

 

 やめろこれ以上余計な事言うな。本気で捨てていきたくなるだろ。

 キューイ、あとどれぐらいの距離だ? モンスターは? ヴァンは、生きてるのかそれ? 黒焦げの塊じゃねぇか。あ、足の裏の辺りはまだ灰色だわ。血も滴ってるし、俺も同じだけど。頭クラクラするしブラックアウトしそうになる。出血酷過ぎて貧血気味じゃん。

 痛そうな裂傷も、痣の出来た足も、本来なら泣き叫びそうな痛みがありそうなもんだが。疼痛を感じる程度で済んでいるのは、冒険者だからか、それとも死にかけているからか。

 

「いいからベルを運んで。貴方も一緒に来るの、何の為にあの群れに突っ込んだと思ってるの」

 

 息を呑むヴェルフ。ギリギリと歯を食いしばっているらしい音を聞きながらもヴェルフを追い越してキューイの前に立った。

 

「キューイ、十八階層に続く道は?」

「キュイキュイ、キュイ」

 

 見つけてる、なるほど。後はこの道を直進? 滅茶苦茶運が良いじゃないですか。真っすぐ進めばゴール一直線。迷う必要はないな。モンスターも()()()()()らしく、襲ってこないそうな。

 

「このまま真っすぐ進めば十八階層だそうです。行きましょう」

「……おう」

 

 さぁ軽やかに駆け抜けよう。ゴールテープは目の前だ。

 足がガクガクする? 気のせいだろ。

 視界が霞む? ちょっと嬉し過ぎて涙が出てるだけだって。

 頭がクラクラする? 喜びのあまり貧血になってるだけだ。

 

 で? キューイ、一つ聞きたいんだけど、()()()()()()()()()()()()()()

 

「キュイ、キュイキュイ」

 

 ……………………。あぁ、そう。ゴライアス、もう嘆きの大壁前で仁王立ち(待機中)なのね。

 

 

 

 

 

 大部屋の入り口が見える。入り口の大きさは凡そ9Mか10M程。天井までの高さは確か20M程だっただろうか。今まで見てきた大部屋が小部屋に見えるレベルで規模が馬鹿でかい。ド級の大きさの大部屋、バカみたいな表現だがまさにそう表現するしかない大部屋の入り口が先に見える。

 かすかに見える空間を見据えつつも、横たえたリリルカのほっぺをムニムニと捏ねて気を紛らわす。若干不愉快そうに口元が歪むリリルカのほっぺを突いたり摘まんだり。

 壁に凭れ掛かって気絶しているヴェルフとベルを見て、溜息。

 

 死んだわこれ。

 

 途中、モンスターに一度襲撃された。襲撃、と言うか何かから逃げる最中に偶然出会ったと言った感じ。襲ってくると言った気配よりは何かに怯えて逃げるさ中に障害物を見つけて邪魔だから殴ってどかしたとかそんな感じで奇襲を受けた。

 ヴェルフが壁に激突。投げ出されたベルが吹き飛んで、キューイが受け止めて足の骨を折る大怪我。俺は視界に入らなかったのかそのまま止めを刺さずに走り抜けていったミノタウロス。まるでトラック事故の現場に出くわしたかのような不可思議な場面であった。

 おい、おいおいおい、冗談だろ? 動けるの、俺しかいないんだけど?

 

 もう一度、大岩の影から遠くに見える最後の難関を見据える。

 入り口の大きさが9Mから10M程。その大部屋の天井までの高さは20M程。大円形の入り口から最奥まで200M、横幅は100M程。壁も岩もごつごつした岩で形成されているにも拘わらず、左手側だけは人工的な物と誤認するほどに美しく磨き上げられた壁面になっていた、であろう場所。

 今は大穴がぽっかりと空いており、つい先ほどモンスターを生みましたーとでも言いたげである。

 その産まれたモンスター。部屋の中央で俯きがちの姿勢で立つ人型。縮尺を間違えた人型であった。

 

 総身7Mに達する巨人。人の縮尺を間違えた様なモンスター。其処に居るだけで他のモンスター、ミノタウロスですら縮み上がって尻尾撒いて逃げ出す()を振りまく化け物。

 他のモンスターが子供に見えるレベルで、格が違う。

 時折、思い出したかのように顔を上げて広間の中を見回し、俯くという動作を繰り返す巨人。

 名前は確か『ゴライアス』だっただろうか? 勝つとか負けるとか以前に、アレに見つかったら逃げられないであろう事は確実。

 

「どうしろってんですか」

「キュイ?」

 

 足を引きずるキューイと、背負われた黒焦げの塊。顔らしき部分に罅が入り炭化した肉片が零れ落ち、その下の黄土色の瞳が此方を見据えてきた。

 

《主、どうした?》

「どうしたもこうしたも、詰みです」

 

 あの数のモンスターを突破した。偉業に等しい行為だろう。と言うかアレを偉業と言わず、何を偉業と言うのかと言うレベルだった気がするんだが。其の上で前に立ち塞がるあの巨人。無理無理、死ぬ死ぬ。

 

「あの巨人をやり過ごす方法、全く思い浮かばないんですけど……」

 

 体中痛いし、血が渇き始めてキモチワルイし、それ以上に出るはずもない脂汗がだらだら垂れる。涙が出てこないのは体中の水分が足りないからか。泣きたい気分だが泣けない。

 どうする? ヴェルフは負傷し気絶。リリは疲労困憊からの意識不明。ベルはかすり傷が多いが意識が無い。キューイは片足をひしゃげられて這いずって進む事しか出来ない。ヴァンは立ち上がれるかも怪しい。

 俺は視界も霞むし耳鳴りが響いて仕方ない。足はガックガクで笑えるぐらい千鳥足。左腕が痺れて動かず、全身を襲う疼痛を堪えてる。其の上でマインドはちっとも回復しちゃいない。

 回復アイテムは全部使い切った。治療用の道具も無いので服を包帯代わりに裂いて使うしかないが、左手が動かずに治療もできない。

 このまま此処で待つ? モンスターがうごめくこの場で? 他の冒険者が通るのを待つ? 在り得んな。冒険者の前にモンスターが来るだろう。けれども、動けない。

 

 俺が今運べるのは一人が限界。キューイに運ばせるのも不可能。どのみち鈍足過ぎて追いつかれて捻り殺されてお終いだろう。

 この場にキューイ達を残してベル、ヴェルフ、リリを守らせる。んで俺一人でどうにかゴライアスを突破して下の階層で助けを求める。無理だな、絶対死ぬ。あの巨人をやり過ごす方法が無い。

 もしクーシー:スナイパーであったらステルス迷彩で通り抜けられたが──此処に来る以前に全滅してただろうなぁ。クーシー:ファクトリーだったからこそここまでこれた訳で。

 たとえスナイパーで辿り着けても、マインド切れで何もできんだろう。

 

 詰み。どうしようもなく詰みだ。

 

 壁に凭れ掛かって天井を見上げる。薄暗く、ぼやけた視界で天井は見えない。此処まで良くやってきたと思う。むしろどっかで一人二人欠けててもおかしくない状況なのに、周りを見回せば死にかけとはいえ全員、一人も欠けずにこの場に居る。

 

 気絶しているヴェルフ。

 疲労で意識不明のリリルカ。

 大群を退けて意識の無いベル。

 片足と片翼がへしゃげ折れたキューイ。

 全身黒こげで死にかけのヴァン。

 マインド切れて負傷塗れの俺。

 

 4人と2匹。此処まで良く辿り着いたよ。マジでさ、死んでなきゃおかしい場面がいくつもあった。

 

 十三階層でタケミカヅチファミリアと共闘した際に一人も負傷者が出なかった事。

 十三階層から縦二階層分を転落した際に、無防備に崩落に巻き込まれた俺が死ななかった事。

 十六階層で数えきれないモンスターに前後を挟まれた際に誰一人欠けなかった事。

 

 三回も、奇跡的な幸運に恵まれた。四回目は、無いだろうなぁ。

 

 頭の中で作戦を立てては破り捨てる。どうあがいても人手が足りない。せめてヴェルフが気絶しなかったら。手はあったのになぁ。────誰か目を覚ましてくれれば。

 そう、都合良くいかない。そう思いつつも寝かせてあるベルに近づく。あの『アルゴノゥト』って技は、消費が大きいらしい。威力を跳ね上げられる代わりに、消費が大きい。納得の理由だ。

 だから、目覚めるのは難しいだろう。あの大技を、十六階層で三度も使ったのだから。此処で目を覚ましてくれる、なんて都合の良い事は起きない。はずなんだけどなぁ……。

 

「……ミリア?」

「おはよ、ベル。目覚めの気分はどう?」

「背中、痛いかも」

 

 ベル、きみは本当にさぁ、なんてタイミングで目覚めるんだよ。ほんと、凄いなぁ。

 

「うっ……此処は、何処? ヴェルフは? リリは?」

「二人はそこで寝てる。此処は十七階層。嘆きの大壁のある部屋の前よ」

「そっか、うん。ヴェルフは僕が運ぶよ」

 

 目覚めて、頭を振って。すぐにヴェルフを担ごうとする。その目に映る色に『諦め』は微塵も無い。あと少しだという希望の光が宿っている。

 

「ベル、聞いて。()()()()()()()()()()()()

「────」

 

 その希望の光が、薄れて薄れて────消えない。

 

「そっか、じゃあなんとか頑張って突破しないといけないね」

 

 ああ、そう言うのは分かってた。諦めたりなんてしないよな。もし、もし此処で諦めてしまうような性格なら、もっと前に死んでたんだろうし。

 目が覚めた。ベルの目が覚めた、ならばやる事は一つか。

 

「リリは私が運ぶ。それと、キューイとヴァン、最期のお願いがあるんだけど」

「キュイ?」《なんだ?》

 

 何って? そりゃ一つしかないだろ。 ちょっと、死んできてくれない?

 

 

 

 

 

 大広間に続く一本道。真っすぐに走るベルの後ろを走りながら、キューイとヴァンに手を翳す。

 中央に立つ巨人が侵入者に気付いた様で、顔を上げ──咆哮した。

 

「ベル、走って」

「わかってる」

「キューイ、ヴァン、先に謝るわ。ごめん」

 

 ベルに並走する様に、壊れた足をものともせず片足と片翼で上手くバランスをとって走るキューイ。そしてその背に爪を立てて引っ付いているヴァン。手を翳し、魔法を詠唱する。

 魔力の消費は殆どない。けれども俺の中に残っていた搾りかすすらも抜け落ちる様な感覚に意識が落ちそうになりガクンと視界がズレるも、なんとか踏みとどまって一歩を踏み出す。

 

「『解き放て(枷を壊せ)』」

 

 詠唱と共にキューイの体が発光し、膨れ上がる。

 負傷の状態こそそのままに、欠けた片翼を大きく広げるその姿。背中に引っかかる黒焦げの塊を乗せたまま、ベルと俺を追い抜いて一気に加速する。体長5M程の巨大な飛竜。

 本来のキューイの姿は、美しいはずだった。広げた両翼の幅は10Mに届かん巨翼のはずであるのに、今は片翼が失われている。鱗の所々が剥げ、焦げ臭い匂いと黒ずんだ血の色を滴らせる顎は、牙が幾つも欠けており、顔に走る傷が美しかったはずのその飛竜を凄惨に染め上げている。

 

 もう一度、その背中に引っかかっている黒焦げの塊、ヴァンに魔法をかける。

 搾りかすすら失われ、もう絞るなんて動作も出来ない程だが、それでも何か出ないかと振り絞る。

 

「『解き(枷を)──放て(壊せ)』っ!!」

 

 今度は先程の比ではない。抜け落ちてはいけないモノまでごっそりと抜け落ちた様な錯覚に陥る。一瞬で足の力が抜けて倒れそうになり、ベルに受け止められた。

 

「ミリアっ!」

「────ッッ!! 大丈夫っ!」

 

 ヴェルフを担ぎ、荒い息を吐きながらも片腕で受け止められ、転倒は避けた。

 足を止めた俺とベルの前。黒焦げの塊が巨大な黒焦げの塊に変化していくソレを、キューイが大きく放り投げた。

 体長4Mの小竜。だったモノ、死ぬ寸前の消える間際だったその塊がゴライアスに直撃し、その姿勢を微塵も揺らがせる事無く地面に落ちた。

 ドスンと言う大きな音が響く中、巨大な顎から繰り出されるキューイの焔がゴライアスに直撃する。

 凄まじい熱波を伴うキューイのブレスにゴライアスが大きくのけぞった。

 

 そんな怪獣対戦染みた光景を横目に俺とベルが走る。走る、走れ走れっ!

 遅い。ベルも、俺も、まるで競歩の様な速度でちんたらと走っている。

 その横で繰り広げられる光景を目に入れない様にしながらも、走る。

 

 キューイの本気の一撃を受けたゴライアスは、腕を大きく振るった。轟音と共に振るわれた腕によってキューイの焔が消し飛ばされる。怒りの表情に染まる灰色の巨人。

 その巨人が負った傷は、せいぜいが肌が火照る程度の軽度の火傷だったのだろう。ダメージを与えられたとはとても言い難い、が注意を引く事には成功している。

 

 余りにも遅い足取り。俺もベルも限界を振り切った状態で走ろうとしているからか、遅すぎる。

 キューイとヴァンの命を賭した時間稼ぎによって稼がれる時間が凄まじい勢いで消費されていくにもかかわらず、距離はまだ半分を切っていない。

 

 二度目の咆哮。広間全体が大きく振動するほどの大きさの咆哮。そしてゴライアスが動いた。たった一歩、一歩分でキューイの目の前に跳躍し────キューイを踏み潰さんとした。

 咄嗟に残った右翼を振るって緊急回避を試みるキューイ。轟音と共に地面が揺れ、ベルと俺がよろめく。

 回避行動を終えたキューイが即座に焔を吐きかけ、その剛腕によってゴムボールの様にキューイの体が吹き飛んだ。

 俺とベルの頭の上を飛び越え、そのまま壁に叩きつけられたキューイ。残っていた片翼もぐちゃぐちゃにへしゃげて動けなくなった姿のまま、キューイが甲高く吼える。

 

キュイッ(早く行け)

 

 吼えると同時に、二度目の焔がキューイの顎から放たれ、ゴライアスの肩にぶち当たり炎をまき散らす。

 鬱陶しげに腕が振るわれ、炎が散らされて────キューイとゴライアスの間に居た俺とベルをその瞳が捕えた。

 残り100M。二、三歩で追いつかれる距離で感付かれた。死んだ、そんな言葉が脳裏を過るさ中。

 死にかけの──もう死んでいなければおかしい傷を負ったヴァンが焦げ付いた顎から業火の様な炎を吹きだしてゴライアスに浴びせかける。

 ベルと共に未だに奮闘するキューイとヴァンに背を向けた。

 

 ────残り80M。

 

 苛立ち咆哮と共にゴライアスが足元の床を抉り取り、投擲した。投擲された巨大な岩盤がまるで玩具みたいに空を飛ぶ。

 黒焦げの塊に岩盤が直撃し、その体をへしゃげさせ中身をまき散らして即死させる。死の間際までただひたすらに炎を吐いて注意を逸らしていたヴァンが絶命した。

 繋がりの途切れる感覚。召喚していた個体が消え去り、再度召喚するその時まで身を癒す為に消えうせていく。

 

 ────残り60M

 

 残ったキューイが咆哮し、焔を浴びせかける。ゴライアスが咆哮し、キューイに歩み寄っていく。

 

 ────残り50M

 

 悲鳴が響き渡る。ぐりゃりともばきりとも、どちらともとれる音が響き渡り、キューイが絶叫を上げた。

 思わず肩越しに振り返った其処にある光景に、背筋が凍った。

 キューイが喰われている

 

 ────残り40M

 

 生きたまま、腹に齧りつかれ(はらわた)を引き摺りだされている。

 早く逃げろと叫び、捕食されるキューイ。

 

 ────残り30M

 

 悲鳴が次第に途絶えていく。

 

 ────残り20M

 

 悲鳴が途絶える間際。顎から最期の足掻きに近い焔が溢れだし、ゴライアスの顔面を焼き払った。

 

 ────残り10M

 

 喰い終わったキューイの残骸を投げ捨て、ゴライアスが此方を振り返った。彼我の距離は凡そ80M。

 

 ────残り8M

 

 一歩で5M以上の距離を詰めてくる。歩幅の圧倒的違い、後ろに迫ってくる巨大な威圧感。

 

 ────残り6M

 

 既に彼我の距離が半分を切った。速過ぎる。違う、俺達が遅すぎるっ!

 

 ────残り4M

 

 ゴライアスの振るう剛腕の風圧を背中に感じた。すぐ真後ろを振り抜かれた剛腕によってよろめく。止まる訳にはいかない。

 

 ────残り2M

 

 真後ろに居る。今まさに拳を握り締める音すら聞こえる。心臓が爆発しそうな程に跳ねる中、ベルが叫ぶ。走れ走れと叫び声が響く。

 

 ────残り1M

 

 迫る風圧。すぐ真後ろに拳、衝撃波すら伴う一撃。直撃すれば全身バラバラになって即死するのは確実の一撃。

 背筋が泡立つ。鳥肌が立ち、冷や汗が溢れだす。

 此処で死ぬ? 此処まで来て? キューイとヴァンに時間を稼げ(死ね)と命じておきながら?

 

 冗談。笑える冗談だ。在り得ない。

 

 力強く一歩を踏み込む。足をばねの様にして跳躍した。足裏に感じた衝撃、足のへしゃげ折れる感触。前に押し出される。

 前を走るベル、その背に背負われたヴェルフめがけて頭から突っ込む。首を折らぬ様に首を竦めてヴェルフの背中に突っ込んだ。

 突如として与えられた衝撃にベルが大きくよろめきながらも一歩前に踏み込み────間一髪の所で穴に飛び込んだ。

 

 瞬間、響く破砕音。冗談の様な衝撃波によって吹き飛ばされる。

 

 背負っていた筈のリリも、突撃してぶつかったはずのヴェルフの背中も離れていき、爆風に体が吹き飛んだ。

 まるでボールの様に壁や床に激突を繰り返す体。咄嗟に頭を庇う事しか出来ない。

 過去に、こんな風に吹き飛んだ記憶は無い。けれども近しい記憶があった。

 

 ──崖から転げ落ちる記憶

 

 最後に脳裏にぱっと浮かんだのは満点の星空と真ん丸な満月だった。

 




 十八階層まで長すぎじゃね? 七十三話から七十九話まで、六話もかけるとかワロス。

 やっぱ全部カットして良かったんじゃないかな……。

 このイベントの後にアレやコレややって、ようやく水浴びイベントですね。早くそのシーンまでいきたい。

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