青の祓魔師《紫眼が見つめるモノ》   作:蛇騎 珀磨

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入塾編 -2-

 僕の起床時間は早い。

 朝の5時には目を覚まして、適当に見繕った服に身を包んで、そのまま散歩に出掛ける。冬の寒い日なんかは、防寒対策を完璧にしてでも出掛ける。一頻り散歩したら、日の出を確認してから住居へと戻るのだ。

 外はまだ暗く、気温も低い。冬ほどではないけど、吐き出す息が白くなる。そんな中でも起きている人が何人かいた。大抵が大人で、犬の散歩だったり庭の手入れなんかをしている。

 

 正十字学園付近には、お店もあれば普通の住居もある。街の中に学園があるのではなくて、学園の周りにそれらが集まって出来たように思える。近くを通れば声を掛けられた。

 今まで、散歩中に他人から声を掛けられる事が少なかったからかな。初対面の相手に「おはよう」と声を掛けられるのは、なんだか胸の辺りがくすぐったいような感じがする。

 

「五十嵐、さん......?」

 

 ふと、後から声を掛けられる。

 僕の名前を呼んだということは、初対面ではないはずだ。くるりと振り返ると、まだ少し肌寒いのにTシャツに短パン姿のモヒカン男がいた。昨日見た、怖そうな子の1人だ。

 

「おはよう」

「え、ああ、おはよう」

「走ってたの? 邪魔しちゃったかな」

「いや......大丈夫や」

 

 京都訛りの言葉からは荒々しさを感じられず、彼が見た目通りの怖そうな子だとは思えない。汗を拭いながら僕を不思議そうに眺めてくる彼に「どうしたの?」と問いかければ、あからさまに視線を外された。解せない。──ああ、そういえば......。

 

「君の事はなんて呼べはいいのかな?」

「勝呂竜士や。好きに呼んだらええんと違うか」

「──うん。分かったよ。勝呂くん」

 

 モヒカン男──勝呂くんは、学校の仕度があるという理由で先に帰って行った。今から走って戻れば、余裕を持って朝ご飯にありつけるだろう。

 それにしても、学校かぁ...。勉強なんて面倒臭いモノを、なんで習いに行くんだろう。──ああ、勉強で思い出した。僕も勉強しなくちゃいけないんだった。今日の受講までに配布されたプリントの穴埋めをしなくちゃ...。

 

 

 

 

 

 

 僕の祓魔塾初登校は、それぞれの自己紹介から始まった。

 担任の奥村弟。これからは奥村先生と呼ぶことになる。その兄の奥村くん。目を合わせてくれないのは何でだろう?それに朝会った勝呂くん。彼の近くによくいるのは三輪くんと志摩くん。3人とも京都から来たのだと言う。女子は、着物の子が杜山さん。制服の子が神木さんと朴さん。杜山さんと神木さんの僕を見る目が対象的で面白かった。

 残りの2人は、彼らから2、3歩離れて様子を窺っているような気がする。因みに、彼らの名前は宝くんと山田くんと言うらしい。

 

 空いた席に着いたところで、教壇に立った奥村先生に名前を呼ばれた。その手には2種類のプリントが握られており、その内の1つは見覚えがあった。僕がさっき提出しておいた宿題のプリントだ。もう採点が終わったのか...。

 

「基礎的なことはほぼ満点でした。応用問題は苦手なようなので、これから頑張っていきましょう。あと、これは1週間後に行われる強化合宿の参加の合否と、取得を希望する《称号(マイスター)》を記入するものです。月曜日までに提出してくださいね」

 

 プリントを受け取ると、そこに記された《称号》に目を通す。騎士(ナイト)竜騎士(ドラグーン)詠唱騎士(アリア)手騎士(テイマー)医工騎士(ドクター)の5種類か。やっぱり、僕が求める《称号》は書いてなかった。面倒臭いなぁ...。

 強化合宿には面倒臭いけど参加するとして、とりあえず手騎士でいいや。ついでに騎士と竜騎士にも丸を付けておこう。

 

「はい。提出は今でもいいですよね?」

「え、ええ。でも、ゆっくり考えなくてもいいんですか? 月曜日までまだ時間はありますよ?」

「いや、面倒臭いんで今でいいです」

 

 どうせ、考えても一緒だし。

 僕の思考を感じ取ってか、奥村先生は苦笑しつつも教壇を降りて教室から退出して行った。

 

 事前に貰った曜日別の時間割りを確認すれば、次は魔法円・印章術の授業だ。移動の必要は無いらしく、各々自由に時間を潰している。

 10分くらいか............寝よ。

 後の方で「寝んの!?」と声が聞こえたけど、気にせず目を閉じた。

 10分なんてあっという間で、始業の鐘が鳴るのと同時に目を開ける。寝起き一番の匂いが臭くて不快な気分になるけど、ここはとりあえず我慢する。

 

 

 

 教室内の机を端に寄せ、巨大なコンパスを器用に扱って床に正確な魔法円を描き出す。それに血を垂らし、召喚呪文を唱えれば、温泉玉子が腐ったような臭いを撒き散らしながら屍番犬(ナベリウス)が這い上がって来た。

 この人──ネイガウス先生の使役する悪魔のほとんどが腐の王の眷属だから、昔から苦手なんだよなぁ...。現場で見なくなったと思ったら、祓魔塾の教師になってたんだ。知らなかった。

 

 ネイガウス先生は魔法円を略図を書いた紙を配り、悪魔の召喚を促した。奥村くん、勝呂くん、三輪くん、志摩くん、朴さんは言葉すら思い付かないらしく、早々と諦めていた。そんな中、予め知っていたかのように言葉を発して、白狐を2体同時に召喚を成し遂げて見せたのは神木さんだった。

 それに続くように杜山さんが緑男(グリーンマン)の幼生を召喚してみせる。

 

「五十嵐要。お前も何か召喚してみせろ」

「えー。面倒臭いんですけど......」

「中級悪魔くらい幾つか候補があるだろう。教師命令だ」

 

 ええー、召喚するの?

 まあ、そりゃあ、幾つかあるけどさぁ......。

 

「わかりましたよ...。──“我が名に応じ姿を現せ。我、汝と共に戦う者なり”」

 

 旋風が巻き起こり、その中から1体の悪魔がつぶらな瞳をこちらに向けている。うーん...略図じゃ1体が限界だったか。残念。

 

「でっけえネズミ!」

「鎌鼬だよ。悪魔というより妖怪と言った方が馴染みがあるかもね」

「流石だな、五十嵐要。最年少手騎士なだけのことはある」

「申請してないので無効ですよ」

 

 だからこそ、祓魔塾に通う事になったんだし。

 僕がそう付け加えると、ネイガウス先生は鼻で笑いながら「それもそうか」と呟いた。

 それにしても、手騎士の素質がある人が多いな。山田くんと宝くんは試していないようだけど、出来ない訳ではなさそうだし、神木さんは血統からして出来て当たり前だし、杜山さんは素人すぎて底が知れないし......。うん。もしこのメンバーで戦闘になっても楽が出来そうだ。

 

「悪魔を召喚出来たとしても油断はするな。そもそも、悪魔は自分より弱い者には決して従わない。自信を失くした者には襲いかかる事もある。危険を感じた場合は......五十嵐要、どうするか説明してみろ」

 

 そう言われて紙を破くと、つぶらな瞳をより一層潤ませた僕の鎌鼬が霧状になって消えて行った。

 

「うむ。このように、魔法円を破綻させれば任を解かれ、使い魔は消失する」

 

 そこまで説明した後すぐ終業の鐘が鳴る。

 

 今日はあと悪魔薬学と聖書・教典暗唱術の授業があったはずだ。それを考えると、既に面倒臭くなっている気持ちをどうしようかと思ってしまう。

 また一眠りしようかな......なんて考えは、あっという間に意味を成さなくなった。

 

 モミアゲと青髭が特徴的な椿先生に呼び出されたからだ。因みに、この人は体育と実技の先生だ。有無を言わさず運動着に着替えるように言われ、仕方なく任務中に着用していた着物に袖を通した。

 黒を基調とした紋付袴(戦闘用)で、腰紐には白・赤・青・黄・黒の五色の紐を編んだ物を使っている。

 他の塾生の皆は学園のジャージを着ているらしいけれど、学園に通っていない僕には無縁の代物だし、こっちの方が動き易い。

 

 椿先生の呼び出しは身体能力のテストだった。

 どうやら、途中編入の中で僕だけデータが採れていないんだとか。まあ、受講1日目なんだから当たり前なんだけど、来週からの強化合宿に合わせたカリキュラムに対応出来るかどうかのテストらしい。

 

 握力測定、柔軟測定、跳躍力測定などの一般の人が行うテストから、腹筋運動100回のタイム測定、持久力測定などの実戦や維持運動のテストが淡々と行われた。

 最初は簡単なものだと言っていたのに、結局、全てテストを終えるのに2時間も掛かった。原因は僕にもあるんだけど(握力測定機を3つほど壊した)、テストと言う割には中々の運動量だったのが腑に落ちない。

 椿先生は、チェック項目に一通り目を通して、ようやくテスト終了を宣言してくれた。

 

 入塾初日から凄く体力を消耗させられた。

 服を着替えて廊下に戻る頃には眠気に襲われていた。

 

 ──だめだ。眠い。

 

 

 

 

 

 

 

 ぐらぐらと身体を揺らされてる気がする。ついでに頬も軽く叩かれてる気がする。

 まだ重たい瞼を上げると、焦った様子の勝呂くんの顔が至近距離にあった。......ん? なんで、勝呂くんが僕を揺り起こしているんだ?

 

「おい、大丈夫か!?」

「──ん......おはようございます...」

「寝とっただけかい!!」

 

 ペシッと頭を叩かれた。傍で三輪くんと志摩くんが笑いを堪えてるけど、目の前の勝呂くんは本気で焦っていたようだ。

 

「呼び出されてからさっきまで、身体能力テスト受けてたら眠くなっちゃって...。我慢出来ずに眠ってたんだけど、なんで勝呂くんがそんなに焦ってるの?」

「アホか! 廊下に人が倒れてたら誰だって心配するやろ!」

 

 そういうものかな...。僕にはちょっとわからない。首を傾げると、盛大な溜め息を吐かれた。解せない。

 「五十嵐、さん...も帰るで」なんて勝呂くんが言うものだから、僕は違和感を払拭する為に1つ提案を出す。

 

「ねえ、勝呂くん。“五十嵐”か“要”って呼んでも大丈夫だよ? 僕もそっちの方が慣れてるし」

「なぁなぁ、“要ちゃん”ゆーてもええ?」

「いいよ、志摩くん」

「い、五十嵐......」

「何、勝呂くん?」

 

 ──うん。その方がいい。志摩くんの呼び方も、まあ、そんなに気にならないし大丈夫だ。

 三輪くんは性格的に無理、との事だったので仕方なく妥協して慣れてきたら“要くん”と呼んでもらう事にした。しばらくは“五十嵐さん”のままだ。

 

「か、帰るで!」

「うん」

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 1週間後。

 勝呂くん達は、僕の名前を呼ぶのに慣れてきていた。

 

 ──眠い......。

 最も眠くなる暗唱術の授業を乗り越え、残るはグリモア学だけとなった。最近、勝呂くんや三輪くんが居眠りを邪魔して来るから起きてなきゃいけなくなるし...。ただただ眠い。よし!寝よう!

 その5分後に、始業の鐘で目が覚めたのは言うまでもない。

 

「今から豆テストを配る。制限時間は10分。──全員に渡ったか? では、始め!!」

 

 合図と共にプリントを裏返し、問題に目を通していく。

 “豆”と称していることもあって出題数は少ないし、内容も復習のようなものだ。この問3の「グリモアの書から有名なタイトルを一つあげよ」とか、基礎中の基礎だ。

 まあ、面倒臭いからそれ以上の予習はしてないんだけど......。

 

「──時間だ」

 

 よし。終わった。おやすみなさい...。

 

「五十嵐! 堂々と居眠りをするな!」

「.........」

 

 まだ寝てない。寝ようとはしたけど。

 それに、豆テストの最中から居眠りしている奥村くんは注意の対象外ってどういうこと? 彼が“あの人”の子供だから? 恐いのは“あの人”だけで、奥村くんは大丈夫だと思うんだけど......祓魔師達はそう思っていないんだろう。──面倒臭いなぁ...。

 

 それからなんとか眠気に耐えて、ようやく授業から解放された。

 

 だけど今日はこれで終わりじゃない。

 今日から強化合宿が始まるのだ。しかも、強化合宿中の合宿先は、僕らが普段生活している旧男子寮。普通の人間には見えない悪魔を勉強する場としては、周りに民家も無いし妥当と言える。

 ただ、僕の憩いの場が勉強の巣窟になるのは嫌だなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──はい、終了」

 

 強化合宿の初日からの筆記テストが終わった。

 合宿中の引率教師は奥村先生だった。先生と言っても、僕らと年齢が変わらないのだから引率と言えるのかは疑問だけど、理事長が決めた事なら仕方が無い。

 それにしても、初日から筆記テストはしんどい。

 明日は6時起床で、1時間かけて答案の質疑応答を行うらしい。まあ、散歩の時間は確保出来ている。最悪、遅刻する覚悟だ。

 

 ふと気付けば、他の女子達がいない。どこに行ったんだろう?と首を傾げていると「女子風呂か〜、ええな〜」と志摩くんの締まりの無い声がした。なるほど。僕は誘いの声さえかけてもらえないらしい。

 

「こら覗いとかなあかんのやない?」

「......一応ここに教師がいるのをお忘れなく」

 

 奥村先生は、引率の教師らしい台詞を言ってはいるけど表情が全く読めない。変な沈黙の後、更に志摩くんが煽り立てる。うーん......。

 

「一応、ここに女子もいるんだけど......」

 

 僕の声がようやく届いたようで、その場にいた全員の首が錆び付いたカラクリ人形のようにゆっくりとこちらを向いた。全員の顔色が悪いのはなんでだろう?

 しばらく志摩くんが焦った様子で弁明しようとしていたけど、僕の意識は他に向かっていた。

 さっきから、普段とは違う匂いがする。いつもの木材の匂いじゃなくて......埃っぽいような......汗っぽいような.....んんっ!?

 

「臭っ!!」

 

 突然の腐敗臭に思わず叫ぶ。

 この匂いは、最近嗅いだ事がある!!

 

「要ちゃん、ヒドイッ!」

「え、違うよ。志摩くんが臭いんじゃないよ。奥村先生! (グール)系の悪魔がいます!」

「えっ!?」

 

 それとほぼ同時に、甲高い悲鳴が木霊した。

 そんなに遠い場所じゃない。声は人間の若い女性のものだと思う。それに当てはまるのは、さっきお風呂に向かった他三人の女子くらいだ。

 

「出雲ちゃん達の救出に行かな!」

「こら、志摩くん!勝手な行動は控えて!」

「ちょっ、志摩! お前、女子風呂覗きたいだけやろ!」

 

 男子達がドタバタと出て行くのを見届けて、僕は指を折りながら数を数える。

 

 ──1......2......3......4......5......6。

 

「内緒にしておいた方がいいですかね」

 

 ──返答があるはずもなく、僕は男子達を追いかけるように女子風呂へと向かった。


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