真夜と別れた後、紫音は父親こと黒羽貢に電話で文句を言った。貢はひたすら謝り、これには理由があると述べていたが、その理由自体は語られることもなかった。
藁にも縋る必死さがあったので、仕方なく赦したが。
そして真夜と面会するために着ていたスーツを脱ぎ、制服に着替えて懇親会の会場へと向かう。九校戦開催の前々日に行われる懇親会には、一校から九校までの選手団、技術スタッフ、作戦スタッフが全員参加するので、合計すると四百名を超える。
広い会場とは言え、紫音が入った時にはかなり混雑していた。
「取りあえず会長は……」
紫音は真由美を探すが、この広さでは見つからない。
とりあえず一校生徒が固まっている場所を見つけたので、その辺りへと行くことにした。紫音が近寄ると目を逸らされたりするので、やはりまだ怖がられているのだと実感する。既に入学して三か月以上経つにもかかわらず、この扱いなのだ。
勿論、中には慣れてきた者もいるが。
「あ、四葉君」
「四葉さん! 来てたんですね!」
「北山に光井か」
北山雫と光井ほのか。
この二人は深雪経由で仲良くしている。度胸があるのか、魔法についてコツを教わりに来たこともあるほどだ。それ以来、ちょくちょく話す程度の仲にはなっている。
「七草会長を知らないか? 来たことを報告したくてな」
「それならあっち」
雫が指差した方を見ると、大きな人だかりがある。
どうやら人気者の真由美はあの中のようだ。
「助かった……が、あれでは行けそうにないな」
「今は他校の人とも挨拶しているみたい」
「さっきも六高の生徒会長さんが宣戦布告しに来てましたよ」
紫音は近くのウェイトレスを呼び止め、飲み物を受け取った。暫くは真由美も忙しいと思われるので、待つことにしたのである。
「そういえば達也と深雪はどうした? いつも一緒にいるイメージだけど」
「二人はあっち」
雫がまた指を差したので、その方向を見ると達也と深雪がいた。だが、達也は深雪に何かを言って離れていく。そして深雪は一科生の集まるところに向かって行った。
どうやら同じ選手と交友を深めるように、達也が諭したらしい。
「さっきまで深雪と一緒だったからほのかがヘタレてた。私はその付き添い」
「ちょっと雫!?」
「でも深雪が離れた。今がチャンス」
雫はほのかの手をグイグイ引っ張って達也の方へと向かって行く。紫音も呆れつつ、二人の後ろを歩いて達也の方へと歩いていった。
「達也さん」
「雫にほのか……それに紫音か。いつの間に来ていたんだ?」
「俺が来たのはさっきだ。会長に挨拶しようと思ったんだけど、あの様子ではね」
紫音が真由美を囲む人だかりへと目を向けると、達也も納得したように頷く。
「達也は一人なのか?」
「ああ、さっきまで深雪と……あとはウェイトレスのバイトで参加しているエリカとも一緒に居たんだが、今は一人だ。どうも俺が二科生だから敬遠されているみたいでな」
「そんな! 達也さんだってメンバーなのに!」
「下らない」
ほのかは悲しそうに、雫は淡々とそんなことを口にする。
そんな二人に同調して、二人の先輩が入ってきた。
「ホント馬鹿馬鹿しいわね」
「それが人の性というものだよ花音」
二年生の
とりあえず紫音は二人に挨拶する。
「こんにちは千代田先輩、五十里先輩」
「あんたも来てたのね四葉。バスにいなかったから驚いたわ」
「家の用事があったんだってね。そちらは終わったのかい?」
「ええ、つつがなく」
花音と啓も紫音を四葉という色眼鏡で見ない希少な人物だ。故に紫音も相応の態度で接している。四葉という立場を笠に着た傲慢な奴だと思われていることもある紫音だが、実は物腰は丁寧で礼儀正しい。それを知る人物からは紫音も高評価を受けていたりする。
尤も、怖がられている人数の方が圧倒的に多いが。
そして紫音、達也、雫、ほのか、花音、啓で軽く談笑していると、摩利がやってきた。
「お、四葉も来ていたのか」
「どうも渡辺先輩。先程到着したばかりです」
「いや、間に合って何よりだ。今は真由美も忙しそうだから、後で報告にだけ行ってくれ」
「そのつもりです」
「あとは五十里、中条が探していたぞ」
「本当ですか?」
「ああ、一号車だ。ついでに会場まで来るように言ってくれ。そろそろお偉い方の挨拶も始まるからな。最低でも老師のお言葉に欠席者がいるのでは外聞に障る」
「了解しました」
啓はすぐに駆け足で会場を出ていき、当然のように花音もついていく。
すると摩利は達也の方へと向き直り、上から下まで眺めて何度も頷いた。
「なんだ。紋付きの制服も似合ってるじゃないか」
「少々脇の辺りがきついですがね」
「まぁ、予備だからな。仕方あるまい」
懇親会のドレスコードは制服だ。そして、このために達也は一科生の制服を着用している。流石にこれだけのために用意するのは憚られるので、予備のものを借りたのだ。
故に少しサイズが合ってなくても仕方ない。
「仕立てても良かったんじゃないか? 深雪が喜ぶだろうに」
「いや、たかが制服で何を言ってるんだ紫音……」
「そうでもないぞ司波。女というものは、案外そんなことで喜ぶものだ。その対象が愛する人物なら余計にな」
「ということは渡辺先輩も?」
「当たり前だ! シュウの立てた功績は自分のことのように嬉し――って何を言わせる!」
「毎度引っかかる先輩もどうかと思いますがね……」
紫音が呆れると、摩利は顔を赤くして黙り込んだ。
だが、数秒で落ち着いたのか、元に戻る。
「くっ! 四葉も司波に劣らず性格が悪いな」
「四葉ですから」
「なるほど理解した……お、どうやら真由美の方も空いたみたいだぞ」
「そのようですね。では行ってきます」
「ついでだ。あたしも行こう。司波はどうする?」
「いえ、止めておきます。エリカが探してくるでしょうから」
エリカの名前を聞いた瞬間、摩利の視線が少し揺れた。どうかしたのかと紫音が首を傾げていると、摩利はそのまま真由美の方へと行ってしまう。
どうやら並みならぬ因縁でもあるらしい。
(…………あ、そう言えばエリカの兄が渡辺先輩の恋人なんだっけ?)
言われてみれば思い出す人物である。その関係でエリカと摩利は仲悪そうにしているシーンもあった。千葉修次は『イリュージョンブレード』として知られる人物なので、紫音もある程度は把握している。
(ま、俺が口出しすることじゃないし、そっとしておこう)
弄りネタにしても良かったが、デリケートな問題なので控えることにする。
そして達也を置いて、真由美の元へと向かった。
「真由美、四葉を連れてきたぞ」
「あら、四葉君。来ていたのね?」
「ご迷惑をおかけしました。先程到着した次第です」
「間に合って良かったわ。用事の方は終わったの?」
「ええ、なんとか」
その後は、暫く真由美を含めた先輩たちと歓談するのだった。
◆◆◆
いよいよ懇親会が始まり、来賓の挨拶が繰り返される。眠くなってしまうような長い話も、九校戦への緊張からか、無駄に真面目な様子で耳を傾ける生徒ばかりだった。
そして遂に最後の挨拶となる。
かつては『世界最巧』と呼ばれた魔法師であり、今でも『老師』と呼ばれて軍にも大きな影響力を持っている。今の十師族という序列を提唱した人物でもあり、日本の魔法界において重鎮といって差し支えない老人だ。
そろそろ九十歳にもなるということだが、その威光は衰えることがない。
そのような人物が挨拶するというのだから、高校生たちは息を飲んで登壇を待った。
(ん?)
紫音は精神に作用する魔法を感じ取る。
『調律』という魔法を使う以上、自身の精神を乱す力に対して敏感だ。ほぼ自動で『調律』が発動し、精神干渉を打ち消してしまう。どうやら認識を逸らすタイプの魔法だったようだが、魔法強度が弱すぎて紫音には効かなかった。
すぐに紫音は周囲を見渡し、魔法の発生源を探した。
だが、次の瞬間には壇上へと目を奪われることになる。
「………………………え?」
フォーマルなワインレッドのワンピースを纏った美女。
紫音もよく知る人物が壇上に立っていたのである。
「なんで真夜様が……」
九島老人が登るはずだった壇上にいたのは四葉真夜。
まさかの人物である。
そして紫音は、真夜のすぐ背後に年老いたもう一人が立っているのを見た。薄暗いので見えにくいが、電磁波を知覚できる紫音にはハッキリと分かる。発動中の精神干渉系魔法のせいで、殆どの生徒が認識できていないようだが。
パーティの会場全体がどよめく中、真夜はスッと横に避けた。
すると精神干渉系の魔法が解除され、九島烈を誰もが知覚できるようになる。
「まずは悪ふざけに付き合わせたことを謝罪する」
思ったよりも若々しい声。
それが第一印象だった。
「今のはちょっとした余興だ。魔法というよりも手品に近い。だが、見たところ手品の種に気付けたのは六人だけだった」
思ったよりも少ない。
紫音はそう思う。
『
紫音を抜けば後は三人。
誰が気付けたのかは謎だが、それはどうでも良いことだ。
全国から集められた優秀といわれる魔法師の卵に対し、これだけの魔法を仕掛けた。その事実だけで老師の力が窺える。
「もし私がテロを起こしたとするなら……それを阻止するべく動けるのは六人だけということ。ところで、四葉家当主、四葉真夜としての意見はどうかね」
「期待外れ……ね。魔法とは発動するものではなく、使うものよ。それを理解できているのが僅かに六人というのは嘆かわしいわね」
「……少々毒が強いようだが、これこそ十師族の長が考える事実だ」
烈の言葉を聞いて会場に衝撃が走る。
『極東の魔王』『夜の女王』と呼ばれる最恐魔法師、四葉真夜が目の前にいるのだ。そのインパクトは強い。
紫音が達也と深雪の方に目を向けてみると、面白いぐらいに目を剥いていた。真夜がここに現れるのは、それほど衝撃的だったということである。観戦に来ると知っていた紫音ですら驚いたのだから、二人の驚きはそれに勝るものだろう。
「魔法を学ぶ諸君。魔法とは手段であって、目的ではない。そのことを思い出して欲しくて今回の悪戯を仕掛けた。
私が今用いた魔法は、規模こそ大きいものの、強度は極めて低い。だが、君たちはその弱い魔法に惑わされ、見事に出し抜かれたのだ。私がこの場に現れると知っていながら、目の前にいる私を認識できなかった。
魔法を磨き、魔法力を上げる努力をすることは大切だ。しかし、それだけでは不十分だということを認識して欲しい。使い方を誤った大魔法は、使い方を工夫した小魔法に劣る。
この九校戦はまさに魔法を使う場だ。
私は諸君らの工夫を期待している。
最後になるが、真夜にも協力を感謝しよう。折角だから、君も何か言いたまえ」
「十師族当主をそのように扱えるなんて老師ぐらいなものね。
まぁいいでしょう。
言うべきことは九島老師が言ってくださいましたから、私からは一つ激励を送ります。
この九校戦には
四葉真夜の息子。
その言葉を聞いた第一高校のメンバーは一斉に紫音へと注目する。
(真夜様……このために来やがったな……)
真夜はかつて、九島烈の教え子だったと聞く。
その伝手を使い、今回のことを仕掛けたのだろう。紫音はそう確信した。
元から養子になった事実を公表する予定だったとはいえ、こうも早く、大々的なものになるとは予想もしていなかった。
とりあえず紫音は最も混乱しているであろう、達也と深雪へとリンクする。
(あー、達也に深雪)
(紫音か)
(どういうことですか紫音さん!)
(待て、落ち着け! ちゃんと説明するから!)
二人には真夜と話した簡単な内容を説明する。
重要な所だけを掻い摘んだ内容だったが、達也も深雪も理解できたようだった。
(俺に続いて二人目の戦略級魔法師を四葉から……叔母上は何を考えている?)
(そもそも、達也が『
三年前、沖縄戦で『
結果として達也は軍籍を得ることになり、真夜も仕方なくそれを認めた。
そして四葉家では、昔から紫音の戦略級魔法『リベリオン』が研究されていたことを加味すると、達也の件は予定外だったと推定できる。
(どうやら、俺のことは深雪が当主になったときの最終兵器という位置づけらしいぞ。達也が深雪の盾となるように、俺が剣として君臨するのを理想としているみたいだ)
(そんな……)
(落ち着け深雪。今はそれを考えても仕方ない。それで紫音、お前はそれで納得しているのか? 黒羽を継ぐと言っていただろう?)
(そう……だな―――)
紫音は数秒ほど言葉を途切れさせる。
そして壇上の真夜に目を向けてから、再び思念を送った。
(いずれは黒羽に戻れることを期待しよう。例えば、深雪が当主になった時にでもな――)
(……)
(……)
九校戦前の懇親会は大きな波乱を感じさせるものとなったのだった。
まさかの真夜様
達也と深雪も唖然ですねぇ