八月三日。
九校戦が遂に始まった。第一日目は本選のスピード・シューティングを男女決勝まで行い、バトル・ボードは男女予選まで終える。
これには出場した真由美がスピード・シューティングで見事な優勝を飾り、バトル・ボードでも摩利が圧倒的なタイムで決勝まで駒を進めた。順調な滑り出しに第一高校の陣営も盛り上がる。
八月四日。
二日目の競技は本選クラウド・ボールを男女決勝まで行い、アイス・ピラーズ・ブレイクは男女ともに予選まで決める。またしても真由美がクラウド・ボールで活躍し、無事に優勝した。しかし、男子部門のクラウド・ボールは結果が思わしくなかったので、快進撃に陰りが見え始めた。
なお、当然のようにアイス・ピラーズ・ブレイクへと出場した克人は決勝進出を決め、同じくアイス・ピラーズ・ブレイクに出場した千代田花音も決勝まで進むことが出来た。
予定外の敗退は悔しいが、概ね計画通り。
だが、本当の予定外は三日目に起こった。
「クソがっ!」
九校戦の様子を映しているデバイスを見ながら紫音は珍しく声を荒げた。
現在、紫音は全く試合を観戦せずに一人で行動している。理由は、捕らえた
(結局原作通りじゃないかよ!)
しかし、現実は甘くない。
第三者による工作によって、競技中の渡辺摩利が負傷したのだ。
(七校選手へのCAD細工、水面への精霊魔法行使……思い出せば全部原作通りだ。あの情報は正しかったってことか……)
三日目に行われたバトル・ボード決勝。
そこで事件は起きたのだ。
試合開始後は難なくトップを走っていた摩利だが、ここで後ろから追随していた七校選手に異変が起こる。速度を落とすべきカーブで、無茶な急加速を始めたのだ。勿論、これはCADに細工されたことで起こった事件である。七校の選手が故意に加速した訳ではなかった。
急加速によって摩利に衝突しかけたので、とっさの判断で摩利は七校選手を受け止める。水面をボードで走っている状態でありながら、ブレることなくターンを決めて受け止め体勢に入れた部分は流石と言えた。これで大丈夫だろうと安堵したところで再び異変は起こる。
突如として水面がへこみ、そのせいで摩利はバランスを崩してしまったのだ。
結果として摩利も七校選手もコースアウトしてしまい、その際の衝撃で摩利は骨に罅が入る。間違いなく九校戦は棄権しなければならないだろう。
これが第一高校にとって一番の予想外だった。
(反魔法師団体イザクト……
黒羽の部隊による尋問が明らかにしたのは、実は
九校戦を利用した裏の賭博で、第一高校は非常に人気となった。優勝確実と言われるのは覆しようもない事実であり、このような分かり切った賭博では胴元である
そこで始めは
しかし、
それは第一高校に四葉紫音がいるということ。
香港系犯罪シンジケートというだけあって、嘗て大漢で起こった滅亡の恐怖は身に染みている。四葉一族による報復で滅びた国の話は、
そこで、
これで九校戦が中止となり、賭博自体も無くなることを願って。
仮に四葉の報復を受けるとしても、イザクトへと怒りが流れるようにと願って。
「下手な原作知識が仇となったか……軍の基地じゃ黒羽の部隊も動かしにくいし、イザクトの動向が全く掴めない。どうする……」
九校戦一日目にこれらの追加報告を受けた紫音は、観戦を止めてイザクトの調査に奔走した。怪しい人物を見つけては思念リンクで表層意識を読み取っていくのだが、全て外れである。紫音一人しか動けない以上、これが限界だった。
そして遂に三日目。
未だにイザクトのアジトもメンバーも見つけることは出来ていなかった。
「明日の四日目からは新人戦が始まる。俺は五日目と六日目だから、動けるのは明日までだ。本気で拙い状況だぞ……」
恐らく、軍はある程度のことを認知しているのだろう。
なにせ、ここは軍事演習場なのだ。寧ろ把握できていないならば、とんだザルである。
軍に情報を貰いたいところだが、そんなものを貰えるはずがないのは紫音も理解している。十師族の四葉家とはいえ、軍とは別組織なのだ。当然である。
「一日目と二日目に大人しかったのは、様子を見るためだったんだろうな。大会委員に成りすました工作員がバレていないかの確認ってところか。それで、渡辺先輩の件でどれぐらい使えるのか確認したってところだな。
だとすれば、これから被害は増えていく一方だぞ……
イザクトは反魔法師団体の中でも過激派で有名だ。
下手をすれば、本当に人が死ぬレベルの事件を起こしかねない。
イザクト自体は犯罪組織ではないので、過激なデモはしてもテロ行為に近いことは行ってこなかった。しかし、
自分という存在のせいで原作よりはるかに危険な状況となっているのだから、なんともいたたまれない気持ちになる。
「ホテルに侵入してきた賊から情報を抜き取らなかったのは痛いな……」
今のところはなす術がない。
『調律』を使って地道に探すほかないだろう。
逆に一人でもイザクトのメンバーが見つかれば、後は芋づる式であっという間なのだが。
とりあえず、摩利のことも心配だったので一校の陣営へと戻ることにするのだった。
◆◆◆
その日の夜、紫音が泊る部屋には深雪が訪れていた。ちなみに、紫音が泊る部屋は達也の泊る部屋でもある。ホテルは二人部屋なのだが、四葉の名を恐れた同級生たちが非常に嫌がったので、技術スタッフとして参加している達也が同じ部屋になったのだ。
「今日も成果は無しか紫音?」
「ダメだな。まるで見つからない」
「では、渡辺先輩の事故も?」
「ああ、奴らのせいだ」
摩利に起こった悲劇は、一見すると七校選手のミス。
しかし、達也は水面で発動した精霊魔法に気付き、念のために解析を行った。五十里啓も手伝い、精霊魔法ということで古式魔法使いである吉田幹比古にも意見を聞いた結果、やはりあれは第三者の手によって故意に引き起こされたものだったと断定。
達也も深雪も紫音からイザクトのことは聞いていたので、今はその報告会をしているのである。
「CADへの細工は大会スタッフに紛れた工作員の仕業だ」
「なるほど。お兄様の予想通りですね」
「一番嫌な予想だったがな」
「明日からの新人戦は達也も注意してくれ。俺の予想では、イザクトが仕掛けてくるのはモノリス・コードやミラージ・バットだと思っているけど……一応な」
「紫音さん、何故その二つなのですか?」
「CADに細工したとき、最もダメージを与えられるのがそれだからな。モノリス・コードはCADの細工でレギュレーション違反の魔法を仕込めば、甚大なダメージを期待できる。そしてミラージ・バットでは、重力軽減の魔法を空中で停止するように細工すれば、自由落下で大怪我をさせられる。他の競技は安全性が極端に確保されているから難しいだろうな。渡辺先輩の件で大会委員会もバトル・ボードには細心の注意を払うようになったと思うし」
「卑劣な……!」
CADの誤作動は選手に身体的ダメージを与えるだけではない。魔法が上手く発動しなかったことによる不信感から、魔法を使えなくなってしまう可能性もある。
魔法師にとってイメージというのは意外と大切で、魔法が怖いと思うようになると、無意識化にある魔法演算領域は機能しなくなってしまうのだ。
他にも、出来ないことを出来ると思い込むと魔法事故に発展することもあり得る。これは吉田幹比古が実体験したことだ。
出来ることと出来ないことを把握し、地道に力を伸ばしていくことが魔法師として成功する秘訣なのである。
今回、イザクトがやろうとしていることは、その事故を煽るもの。
深雪が卑劣と称したのは間違いではない。
「落ち着け深雪。紫音、前回のブランシュのように、直接的なテロが起こる可能性はあるのか?」
「いや、イザクトは反魔法師団体ではあるけど、反社会組織じゃない。過激なデモはあってもテロはないと思っている。だからこそ、今回のように
如何に反魔法師団体といっても、そんな反社会的行為に準ずる細工なんて出来ないし」
「つまり、イザクトは表に出ない……あるとしても高みの見物か?」
「だから俺も『調律』で表層意識を読みながら観客席を回っている。成果はないけどな」
達也は少し黙って考える。
その優秀な頭脳で対応を模索しているのだろう。
下手をすれば深雪の安全にも関わることであり、達也としては決して見逃せないことだ。深雪のガーディアンとして、兄として、確実に深雪を守るべく思考を巡らせる。
その間に、紫音は自身の考えた案を述べた。
「正直、俺一人では手詰まりだ。あまり使いたくないが、九島老師の力を借りたいと思っている……」
「だが紫音。それは……」
「間違いなく借りを作ることになるだろう。真夜様もいらっしゃっている以上、余計にな。最悪の場合は俺の異能を一部だけ披露することになるかもしれない。
だが、老師の一声で大会スタッフを全員集め、脳波リンクで思考を一斉に読み取れば一発で工作員を把握できる。上手くいけば、『シンクロダイヴ』でイザクトの連中まで繋がれるはずだ。例え無理だったとしても、九校戦への工作は阻止できる」
しかし九島烈への借りは本当に大きい。
十師族の始まりを作り、今も尚、軍に影響力を持つ人物に借りを作るとなると、相応の返礼が必要になってくる。
そして九島烈は四葉の強すぎる力を危惧している。十師族からでさえ突出しかけている、その大きな力を削ぎ落せる機会を狙っているのだ。間違いなく宜しい事態にはならないだろう。
「……理想は工作員を現行犯で捕まえることだな」
「それが出来れば苦労はしないぞ達也」
「いや、そうでもないかもしれん。大会スタッフの中に工作員が紛れ込んでいるならば、CADに細工できるとすればレギュレーションチェックの検査機にかけている時だ。不正プログラムを挿入できる唯一のチャンスだからな」
「ああ、正確には電子的改竄によって電子機器に不具合を発生させる遅延式精霊魔法、
いや、確かに達也なら見破れるだろうけど、まさかレギュレーションチェックの場でずっと待機するつもりか?」
紫音も明後日から試合だし、達也も明日出場するメンバーの担当技術スタッフをしている。レギュレーションチェックの場で待機し続けるなど出来るはずがない。
そこで深雪がふと意見を発した。
「お兄様。それなら美月や吉田君に頼んでは如何ですか? SB魔法ということなら、
「残念だけど、深雪、それは無理だよ」
「どうしてですか?」
「美月も幹比古も一校のスタッフじゃない。名目上は観客の一人なんだ。レギュレーションチェックを行う大会委員のテントに入れるはずがない」
「あ……」
最も効率的なのは間違いないが、ルール上、不可能だ。
故に取ることの出来る選択肢は限られてくる。
「……取りあえず、明日の内は俺がチェックしよう。出場する明後日からは無理だけど、明日なら波動感知で
「ならば明日は頼む。俺も自分の受け持つメンバーの分は特に気を付けよう。幸いにも深雪の担当は俺だからな」
「はい。お兄様ならば安心です」
後手に回ることしかできないとは言え、今はこれが最善だ。
とりあえずは妥協することにする。
「今日はここまでにしよう。深雪も明日は試合がないとは言え、寝不足になるのは拙い」
「そうですね。わかりました」
「部屋まで送っていこう」
既に時間は夜の十時。
高校生ということを考えれば、寝るには早いかもしれない。しかし、九校戦とは体力勝負だ。夜更かしは天敵である。
「おやすみ深雪」
「はい、紫音さんもおやすみなさい。ではお兄様」
「ああ、行こうか」
こうして大会三日目の夜も更けていったのだった。
たぶん、四葉がいたら無頭竜さんは手出ししないと思うんだ……
そう思って、今回も反魔法師団体にお越しいただきました。