入学編1
桜が舞い、花弁で道が染まる季節。
東京都八王子に存在する国立魔法大学付属第一高等学校は入学式を迎えていた。新入生が意気揚々と校門を潜る中、二人の男女が何かを言い合っていた。
「納得できません」
「まだ言っているのか……?」
不満そうな表情を浮かべるのは恐ろしさすら感じる美少女。左右対称の整った体つきに加え、黄金比を思わせる顔のパーツ。十人が見れば十人が絶賛する美しさだった。
対する男は少女の兄。
困ったような、呆れたような目で妹を見返している。二人は四月生まれと三月生まれの兄妹であり、今年の第一高校入学者だった。
「なぜお兄様が補欠なのですか? 入試の成績は二番手だったではありませんか!」
「お前がどこから入試結果を手に入れたのかは横に置いておくとして……魔法科高校なんだからペーパーテストより魔法実技が優先されるのは当然じゃないか。そもそも、一番手は紫音だ。魔法もペーパーテストも出来る奴がいるんだから、ペーパーテストだけの俺は受かっただけでも奇跡と言っていい」
「う……それはそうですが……」
「それにしても紫音だって運がない。まさかサイオン量の点数でお前に負けるとはな……」
「そういうお兄様も入試成績を知っているじゃありませんか……」
この兄妹こそ、司波達也と司波深雪である。
現当主である四葉真夜の姉にあたる四葉深夜の子だった。四葉において重要なポジションである二人は、紫音を隠れ蓑に魔法科高校へと在籍することになったのである。既にこのことは二人も知っており、紫音と達也で協力して独自の連絡回線を作っていた。
そして四葉紫音。
入学成績は二位である。魔法技能は深雪とほぼ同点であり、ペーパーテストはギリギリ達也より上。しかしサイオン量が致命的に少ない紫音はその点数で総合一位を逃した。結果として深雪が入試成績一位となり、新入生総代を務めることになっている。
劣等生の兄と優等生の妹。
その二人と共に入学した混沌なる調律師。
ここから物語は捻じ曲がっていく―――
◆◆◆
入学式が始まるギリギリで式場へと入った紫音は空いている席を探した。既に席の殆どが埋まっているので、かなり探さないと見つからないだろう。
ちなみに、席は前方が
キョロキョロと周囲を見渡していると、紫音は少し下から声をかけられた。
「あの、新入生ですよね?」
「はい。そうですよ」
紫音が視線を下ろすと、そこには背の低い女子生徒がいた。同じ新入生かと思ったが、それよりも先に彼女が答えを口にする。
「私は生徒会書記の中条あずさといいます。空いている席に案内しますよ!」
「ではお願いしますね」
「任せてください」
先輩だったのは予想外だが、念のために敬語で話して正解だった。紫音としてもこの中から空いている席を探すのは面倒なので、素直に案内を受けることにする。
すると、席に向かう途中であずさが話しかけた。
「入学おめでとうございます。ギリギリで入ってきたみたいですけど、寝坊でもしたんですか?」
「いえ、少し親戚と電話をしていまして」
「なるほど。それは入学祝いですか?」
「そうですよ」
嘘ではない。
紫音は今朝から真夜と電話していたのだ。その内容は入学祝いという建前のもと、学校生活における注意点の再確認などである。紫音は達也との秘匿回線を形成したことを連絡した程度だった。
だが、そんなことは知らないあずさは素直に納得する。
「それにしても生徒会の方は入学式の案内もしているのですか?」
「はい! 私は会場の案内のほかに、名簿のチェックもしています。それと今は席に困っている新入生がいたら案内もしていますよ」
「それはそれは。どうもありがとうございます」
「これも仕事ですから!」
あずさは確かに先輩だ。
だが、少し誇らしげに話している姿を見ると、幼児が背伸びしているように感じる。口が裂けてもそんなことは言えないが。
そしてすぐに空席へと辿り着き、紫音はお礼を述べる。
「どうもありがとうございました中条先輩」
「いえいえ。あ、そう言えば名前を聞いていませんでした。良ければ教えてください」
「そうでした。これは失礼しましたね。四葉紫音と申します。これからよろしくお願いしますね中条先輩?」
「はい、よろしくお願いしますね。四葉君……って四葉ですかぁっ!?」
「ええ、中条先輩の想像している四葉ですね」
面白いほど反応しているあずさを無視して紫音は席に着く。一方、
また、あずさの叫びを聞いた周囲の新入生たちも恐る恐ると言った様子で紫音を見る。
流石は恐怖の代名詞、四葉である。
(ま、それより深雪の答辞だな。どんな面白いことを言ってくれるのやら……)
数分後に控えた入学式。
紫音はボーッとしながらその時を待つのだった。
◆◆◆
入学式が終わったので紫音は会場の外に出ていた。
少し楽しみにしていた深雪の答辞は「皆等しく」「一丸となって」「魔法以外にも」「総合的に」と際どいフレーズを盛り込みつつ構成されていた。魔法の実力や血統がものを言う魔法科高校において、平等など有り得ない理想だ。
生まれ持った才能こそが全てであり、努力で埋められる隙間など少ない。魔法とは、才能ある者が努力することで身につく技能だからだ。皆努力している以上、才能こそがものを言う。
だから深雪の答辞はかなり危ないものではあった。
尤も、その美貌に見惚れて誰も気に留めなかったが。
(ブラコン姫も達也のためにやったんだろうな……まぁ、気持ちは分からんでもないけど)
紫音とて亜夜子と文弥の双子は可愛がっている。それはもう、この上なく可愛がっている。だからこそ、兄を思いやる深雪の気持ちは理解できた。
さらに司波兄妹は達也の方もシスコンである。妹以外に興味がないのではないかと疑うほどのレベルで妹だけを愛している。勿論、妹として。
「しかしやらかしたな……まさか深雪に負けるとは思わなかった」
四葉の名を背負う以上、総合成績一位で入学するつもりだった。類稀なる演算力と記憶力のお陰でペーパーテストは余裕。そして干渉力と魔法演算力があれば魔法技能テストも問題なかった。
問題だったのはサイオン量が点数にされる部分である。
魔法師はサイオンを使って魔法を発動させるので、サイオン量が多いほど良いとされている。今ではその風習も廃れつつあるが、そういうイメージが残っているのは確かだ。魔法科高校の入試でもサイオン量は点数化されるので、その分だけ深雪に負けてしまったのである。
紫音のサイオン量は一般平均よりも下だ。十師族という日本を代表する魔法師名家を基準にすれば、かなり下となる。ここだけは運の要素なので仕方ないが。
ともあれ、司波兄妹のカモフラージュになるつもりが、四葉に勝った一般人として深雪を目立たせる結果となってしまった。いきなり失敗である。
ちなみに、今朝の電話はこれに関する小言も含まれていた。
「まぁ、なんとか挽回してみるか……」
溜息を吐きながら、紫音はIDカードの発行に向かう。新入生が一斉に並んでいるので、かなり時間がかかるだろう。それでも並ばないわけにはいかない。
仕方なく紫音は最後尾から並んで三十分後にカードを手に入れることが出来た。
「B組……ね。組分けは適当か」
こういうのは成績順にA、B、C……と分けられているのかと思えば、実はランダムだ。ただし、一科生がAからD、二科生がEからHというクラス分けになっている。
一科生と二科生の違いは魔法実技における教員の有無だ。期待されている一科生は魔法を教えることの出来る希少な人員によって丁寧に教えてもらえる。だが、二科生は与えられた課題を自主的にこなすことで単位を貰える仕組みだ。
また、座学については一科生と二科生で差はなく、与えられた課題を時間内にこなせば良い。時代の流れと共に教員不足が加速し、現在のような効率化されたシステムが採用されるようになった。
「取りあえず帰りますかね」
すでに担任というシステムがない以上、入学式が終われば帰っても文句は言われない。ただ、与えられたホームルームへと行くことで新しい友人を作ることは出来るだろう。
しかし、紫音は学校生活を四葉として生きることになっている。
予想するまでもなく友達など出来ない。名前を聞いただけで避けられることだろう。先ほどの中条あずさが良い例だ。
紫音はそのまま四葉家が用意した家へと帰るのだった。
◆◆◆
夜、ホーム・オートメーション・ロボット(HAR/ハル)に夕食を作らせた紫音は、食後タイミングを見てリビングの巨大モニターの前に立ち、テレビ電話をかけた。
専用秘匿回線を利用して、司波家に連絡を取ることにしたのである。
案の定、電話に出たのは司波兄こと達也だった。
「こんばんは達也、それに深雪」
「ああ、こちらこそ紫音」
「こんばんは紫音さん」
どうやら向こうも夕食を食べたところらしく、食後のコーヒーが用意されている。どうやら兄妹団欒の時を邪魔してしまったらしいと察した紫音は手短に用件を済ませることにした。
「取りあえずは簡単な情報交換といこう。俺はB組になった」
「そうだな。俺はEだ」
「私はAです」
「全員バラバラだな。まぁ、達也が別なのは仕方ないとして、俺と深雪も離れたか」
「クラス分けはランダムらしいからな。それも仕方ないさ」
「ま、支障はないから良いだろ。それで……初日から聞くのもアレだけど、トラブルはなかったか? 俺はさっさと帰ったから特に把握してないんだけど」
紫音がそれを聞くと、少しだけ達也は困ったような表情を浮かべた。元から達也がトラブル体質なのは知っていたが、初日からかと紫音も呆れる。
「……で、何があった?」
「特に何かがあったわけじゃない。ただ、生徒会長に目を付けられたかもしれない」
「
「どうやら俺のペーパーテストに対する魔法技能成績を見て目を付けたみたいだ」
「それなら実家関連じゃなさそうか?」
「今のところはそう見える」
かつて、四葉真夜と十師族七草家の当主である
「俺も入試成績一位を逃してしまったからな。こっちの責任もあるか……」
「サイオン量の点数で僅かに深雪に負けただけだろう? 紫音の責任にはなるまい」
「いやー、当主様に今朝から小言を頂いちゃってね。まぁ、誤魔化せるように動くつもりだよ」
「すみません紫音さん……」
「深雪が謝ることじゃない。俺の力が足りなかっただけの話だ」
紫音の本来の力を使えば、サイオン量はそれほど関係ない。だが、その力は公表するつもりはないし、あくまでも紫音は『夜』を継ぐ者として四葉を名乗るのだ。
『
「達也たちは何かほかにあったか?」
「いや、主にこれぐらいだ。問題はなかったよ。強いて言うなら、ブルームとウィードぐらいか」
「あの不愉快な差別ですね」
深雪が本当に不愉快そうにしていることから、達也が蔑まれる場面でもあったのだろうと予想できる。確かに、達也の持つ本当の実力からすれば
紫音もこれについては察している。
「一科生も二科生を見下しているようだけど、俺の調べでは二科生も過剰に差別を意識しているらしい。それに二科生の一部は、不満から魔法排斥団体にも所属しているみたいだ。ブランシュって言ったら分かるか?」
「把握している。有名どころの一つだな。まさか魔法科高校に入り込んでいたとは……」
「テレビでもたまに出るテロ組織だ。流石に知ってたか。で、その下部組織エガリテがどうやら絡んでいるらしいぞ。取りあえず近いうちにアジトごと潰す予定だ」
「流石だな。もう調べがついているのか?」
「当たり前だ。もしも深雪が通う高校にテロ襲撃でもあってみろ。達也は深雪のために派手な行動を起こすだろう? それを事前に防ぐのも俺の仕事だ」
「ああ、済まないな」
深雪の兄でありながらガーディアンとしての側面を持つ達也。深雪が危険に晒されるならば、徹底的に潰す自信がある。それこそ、『分解』や『再成』を使うことも厭わないだろう。
それでは困るので四葉という派手に動ける名を持った紫音が対処するのだ。
「気を付けてくれよ二人とも。あ、もしも亜夜子と文弥が来たらよろしく言っておいてくれ」
「ありがとう。勿論だ」
「情報提供ありがとうございます。紫音さんもお気をつけて」
秘匿回線も長く使う訳にはいかないので、今日はこの程度で切ることにする。
画面が消え、そのあと紫音もすぐに休んだのだった。