一月二一日。
今日は土曜日であり、魔法科高校は午前授業となる。午後からは部活動に励んだり、自習室で勉強したり、実習室で魔法の練習をしたりと、魔法師の卵たちは非常に勤勉だ。
ただ、授業が始まるまでの朝の時間は、やはり友人たちとお喋りする時間となる。これはいつの時代も変わらなかった。
「おはようございます達也さん」
「ああ、おはよう美月」
E組教室は賑わっているというほどではないが、各所に固まってお喋りに励んでいる。中には、幹比古のように机に突っ伏して眠っている生徒もいるが、そこは自由なので咎める者はいない。
美月はカバンを置いてから達也の机まで寄り、話しかける。
「達也さん。レオ君はまだ体調がすぐれないんでしょうか?」
「幹比古が前に言っていたんだが、時間が解決してくれるのを待つ他ないらしい。安静にしていれば回復できるそうだ。時間はかかるかもしれないが、大丈夫だと思うぞ」
「そうだといいんですけど……」
パラサイトによって生命力を奪われたレオは長期入院を強いられていた。以前に達也も見舞いに行ったところ、見た目には元気そうだった。しかし、幹比古いわく、かなり危険な状態だったらしい。
また、レオに最後の記憶を聞いたところ、吸血鬼に襲われて気を失ったところまでしか覚えていなかった。次に意識が戻った時は既に病院のベッドであり、誰に助けて貰ったのかも分からないという。
尤も、達也だけは四葉家が助けたことを知っていたが。
「レオの心配をするのもいいが、美月も気を付けろ。例の吸血鬼は、魔法の素質がある人物を優先的に狙っているそうだからな」
「そうなんですか? ニュースでは報道されていない情報ですよね?」
「あの報道は人間主義者の思惑が絡んでいる。吸血鬼事件も、魔法師が非魔法師に被害を与えたという印象で塗り潰したいんだよ。だから、魔法師またはその素質がある人物が狙われているなんて情報は表に出したくないというわけだ」
「そんな……」
美月は困惑した表情を浮かべる。
事実を捻じ曲げてまで魔法師を目の敵にしたいという意識が滲み出ていたからだ。性根が純粋な美月からすれば、理解できないことだろう。
そんなとき、雑に扉を開いてエリカが入ってきた。
疲れているのか、エリカらしからぬ重心のブレを伴いつつ机に向かう。達也や美月に挨拶することすらなく机に突っ伏した。その様子は、どことなく幹比古に似ていた。
「……エリカも疲れているようだな」
「大丈夫でしょうか?」
「さぁな。無理だけはしない様に後で言っておこう。最近は連日あの様子だ」
「そうですね」
美月がそう言ったところで、机のモニターに授業開始のメッセージ画面が立ち上がる。そこで会話を切り上げ、今日の課題に移り始めたのだった。
◆◆◆
昼になり、本日の授業は終わった。B組の紫音は立ち上がり、早々にクラスを出た。理由は七草真由美と十文字克人に呼び出されていたからである。
かつて克人が部長をしていたクロスフィールド部の部室を借り、ちょっとした情報交換をすることになっている。ただし、これは真由美と克人が一方的に呼びつけたのであって、そうでなければ紫音がわざわざ情報交換をするはずなどない。四葉家は今、圧倒的なアドバンテージを持っているのだから。
(呼び出された理由はっと……まぁ、USNAの動きが鎮火方向に向かっていることについてかな? それとも別の案件かな?)
現在、パラサイトを追っている勢力は三つだ。
一つは四葉家とUSNA、もう一つは七草家と十文字家、そして最後は警察である。ただし、警察は千葉家と吉田家がバックについて捜査を行っている。いや、警察をバックに千葉家と吉田家が動いていると言った方が正確かもしれない。
この三つの中で、最も情報を持っているのは四葉家とUSNAだ。
紫音のお蔭でパラサイトの性質は殆ど探れており、USNA軍との協力によってパラサイトに憑依された人物の情報も手に入れた。以前に周公瑾の記憶を奪った成果から、黒幕である
有利なのは当然だった。
(七草や十文字と情報を共有したところで、損をするのはこちらだ。協力することなどないって突っぱねるか、それとも渡して良い情報を手札に何かを引き出すか……)
考え事をしながら廊下を歩いていると、正面から数人の生徒を伴ったリーナが歩いてきた。リーナは紫音に気付くとギョッとした表情に変わるが、一瞬で元に戻してそのまま擦れ違った。
協力体制にあるとは言え、学校で無理に仲良くする必要はない。これまで通り、面識はあるがその程度という関係を続けていくまでだ。
(ま、USNAとの関係は禁則事項だな。調査されてバレるのはまだしも、こちらからバラす訳にはいかない)
それだけは心に留め、紫音は部活棟にあるクロスフィールド部の部屋の前に立つ。ノックすると、すぐに電子錠が開いた。入れということだろう。
紫音は扉をスライドさせて中に入る。既に克人と真由美は揃っており、ご丁寧にお茶まで用意されていた。
(ゆっくり話すつもりなのかね……)
お茶に注目しながらそんなことを考え、空いていた席に座る。
すると、まずは克人が口を開いた。
「良く来たな四葉」
「先輩方こそ、受験勉強は宜しいのですか?」
「無論だ。十師族に恥じないよう、努力している」
間もなく魔法大学の受験ということもあり、三年生は勉強に余念がないはずだ。しかし、真由美も克人も余裕の表情を浮かべている。その程度、問題ないということだろう。
その辺りは流石である。
「そうですか」
「無駄話は必要ないだろう。本題に入らせて貰う」
克人はそう言って真由美に目で合図する。すると、真由美は手に持っていたデバイスを操作し、部室にあるモニターへとデータを転送した。
映されたのは八王子を中心とした近辺の地図である。幾つかの場所は青く塗られており、他にも赤い点が三十近く記されていた。
その中で、赤い点の方は紫音も見覚えのあるものだった。
「赤い点は吸血鬼事件が発生した場所、ですね」
「その通りだ。そして青く塗り潰されている場所が、七草家と十文字家で常時カバーしている場所になる」
「残念ながら警察の動きまでは完全に把握していないわ。ある程度の予想ならマップに記せるけど、今は省いてあるの」
望むなら映すけど、と問いかける真由美に対し、紫音は首を横に振ることで答える。まずは、この地図を見せた意図を聞くことが先だからだ。
「それで……まさか四葉がカバーしている場所を言えってことですか?」
「その通りだ。単刀直入に言えばな」
克人は各勢力がカバーしている場所を把握することで、パラサイトの居場所を炙り出せると考えたのだ。カバー範囲で見つかればそれで良いし、見つからなければカバーできていない場所に潜伏しているということになる。
いわゆるローラー作戦でパラサイトを追い詰めようというのだ。
ただ、それをするには七草と十文字だけでは足りない。
そこで、各勢力のカバーしている範囲を知ろうとしているのである。
「勿論、タダで教えろとは言わない。納得できる情報料を支払おう」
「それは金銭に留まらないと考えても?」
「無論だ」
そう言われて紫音は考える。
七草家と十文字家に何を望むべきか。そして、その望みと渡す情報は釣り合うのか。思考を巡らせ、また克人の思考を予想する。
(いや、今回ばかりは純粋な要請かな?)
克人は十文字家代表代理として、十師族がひとまとまりになることを望んでいる。四葉と七草の諍いにも思うところがあるのは雰囲気から察しているし、今回も対立するように吸血鬼事件を追っていることを苦々しく思っているのだろう。
(だからと言って、こちらも同情するつもりはないけど)
正直、四葉とUSNA軍でカバーしている分を言う必要はない。何かの対価を貰ったとしても、リスクの方が高くなる。スターズと協力関係にあるということが露呈すると、色々面倒だからだ。
それに、パラサイトが七草や十文字、警察及び千葉家や吉田家に渡ると拙い。USNAとの契約関係もあるため、特に元USNA兵のパラサイトは確実にこちらで捕える必要がある。
これは今現在のためではない。
直近に迫る未来のために、USNAの軍部とは親しい関係――正確には貸しを与えている関係――を作っておかなければならない。
故に答えは決まっていた。
「お断りします」
「ちょっと四葉君!?」
「待て七草……どうしてもか?」
慌てて立ち上がる真由美を克人は制する。
紫音が断ることは予想していたのか、意外と落ち着いている。
「今は十師族が争っている場合ではない。吸血鬼は日本の魔法師を脅かす敵だ。我ら十師族が一丸となり、対処すべき事案だと俺は思っている。これは十文字家代表代理としての意見だ。この意味が分かるな?」
「意味は分かりますよ」
「ならば俺が求めることも分かるはずだ」
「その上で言っています。断らせて頂くと」
紫音は譲歩するつもりすらない。
交渉にすらならないものに応じるつもりはない。そもそも、四葉の想定する勝利条件は、七草や十文字の想定している条件と異なる。
四葉は
一方、七草、十文字、千葉、吉田の各家はパラサイト殲滅を目的としている。
相容れないのは当たり前だった。
紫音はそのまま立ち上がり、部屋の扉に向かって歩き出した。勿論、克人は止める。
「待て四葉!」
「交渉は決裂です。四葉は独自に吸血鬼に対処します」
それでも紫音は止まらず、扉に手をかける。
だが、ここで真由美が口を開いた。
「待って四葉君。以前、貴方はこう言ったわよね? 『相手が国家であるならば、俺も十師族四葉家として動くべきではありませんか?』って。吸血鬼がUSNAから来ていることは私たちも既に知っているわ。仮に吸血鬼がUSNAからの攻撃だとすれば、私たちは協力するべきじゃないかしら?」
その言葉は、以前に七草の双子をパラサイトから守った翌日に言った。あの時は、流石にUSNAと協力体制を築くことになるとは思っておらず、そういった建前を言った記憶がある。しかし、状況が変わった今は、それを持ちだされると痛かった。
(いや、そうでもないか。USNAは同盟関係だし、パラサイトは国家がバックにある敵じゃない。嘘はついていないな嘘は)
段々と考え方がずるくなってきたな、と思いながら紫音は口を開く。振り返ることはなく、扉に手をかけたまま真由美の言葉を斬り払った。
「吸血鬼はUSNAを含め、どこかの国家が送り込んできた魔法兵器ではありません。あれはどちらかと言えば自然災害に近いですね。なので協力する義理はありません」
「ちょっと!? それはどういうこと?」
そう、自然災害である。
USNAから手に入れたパラサイトの詳しい発生原因の情報から、パラサイトはテキサス州ダラスで行われた『余剰次元理論に基づくマイクロブラックホールの生成・消滅実験』がキーだと分かっている。少し苦しいが、自然災害と言っても過言ではない。
そして、自然災害に対し、同盟国であるUSNAと協力して対処していると言い張れば、四葉とスターズの関係がバレても言い訳は出来る。
勿論、繋がりは露呈しないことが最善だが。
「それと、吸血鬼の正式名称はパラサイト。古来の日本では妖魔なんて呼ばれてきた存在ですね。パラサイトに憑依された人物を殺しても、パラサイト本体は消滅しません。新しい肉体に憑依し、復活します。なので注意してください」
それだけ言って、紫音は部屋から退出しかけた。
しかし、克人は強い視線を止めることなく、寧ろ山のような大きい気配を紫音に向けた。そして紫音が部室から完全に出てしまう前に、口を開く。
「四葉紫音、俺は師族会議十文字家代表代理として決闘を申し込む」
紫音はピタリと足を止めた。
入学編で紫音と克人が模擬戦をしたことを覚えていますか?
アレは今回(次回)のための伏線でした。