翌日、一月二五日。
紫音は九島邸へと訪れていたが、本来今日は平日。魔法科高校も通常授業となっている。達也も深雪も普段通りに登校していた。
デバイスに表示される課題をこなし、実習では魔法の練習をする。
何も変わらない日常だった。
(紫音は今頃、リニアでこっちに向かっているだろうな)
昼休みとなり、達也はいつものメンバーと昼食の時を過ごしていた。いつものメンバーとは、勿論のこと深雪、ほのかである。ちなみにエリカや幹比古、美月といったEクラスのメンバーは別だ。
寒くなり、人気が少ない屋上での昼食は三人きりであった。こうして屋上を快適に過ごせるのは、深雪が寒気を遮断する魔法を使っているお陰である。
(九島家に行くと言っていたが……何事もなく帰ってこれたのか?)
達也は九校戦で九島烈の姿を見ている。その老獪さと卓越した魔法技術はしかと見届け感じ取った。紫音は優秀であり、四葉家で随一の精神干渉魔法を扱う。裏の仕事も多く任されていることから、最も当主に近いとまで噂――四葉家の使用人の話である――まである。
九島家に行った本当の理由までは達也も知らないが、何か大きな意味があってのことだ。
(パラサイトの件も進展していると良いんだが)
幹比古や九重八雲といった古式魔法の使い手から情報を手にいれ、達也もパラサイトについては多少の知識を持っている。今回の吸血鬼事件は友人であるレオも襲われたのだ。事件そのものは紫音に任せているが、情報収集は怠っていない。
深雪に害が及ぶ可能性を僅かでも残す達也ではないのだ。
「お兄様? どうかされたのですか?」
「いや、何でもないよ」
考え事をしていたのがバレたのだろう。深雪からすれば、敬愛する達也と過ごせる至福の時なのだ。出来ることならば、自分を見て欲しい。もっと自分のことを考えて欲しい。そのように考えるのは当然のことである。
さり気なく達也との距離を縮め、深雪は体を密着させるほどになった。
「あ……」
そして負けじとほのかも達也に密着する。
両手に花、という言葉が何よりも的確だろう。達也は少しばかり困った表情を浮かべたが。
そんなとき、深雪が不意に身じろぎした。
「深雪、どうした?」
達也にはそれが不快感から来るものであると悟った。ほのかも達也から離れ、心配そうに深雪を見つめる。不快感から、思わず寒気を遮断する魔法まで消えてしまった。
そして深雪はもう一度ブルリと体を震わせ、それから口を開いた。
「申し訳ありません、お兄様」
慌てた様子で深雪はCADを操作し、再び魔法を発動する。寒気は消えたが、深雪の顔色は悪いままだ。
「それよりもどうしたんだ?」
「……酷く不快なものが肌を掠めた気がして。気のせいだと思うのですが」
達也はそのような悪寒を感じなかった。
しかし、魔法師にとってそのような感覚は決して気のせいだと言いきれない。特に精神干渉の魔法を操る深雪は、悪意のような感情にも敏感だ。
「不快な何か……それはサイオンか? それともプシオンか?」
「お兄様が感じ取れないのでしたらプシオンではないかと思います」
まだよく分からない、と言った様子だ。しかし、達也も少し納得する。
確かに達也ならばサイオンの波動を逃すはずもない。そしてこの魔法科高校は国家的重要施設であり、魔法的な防御が敷地に組み込まれている。深雪が感じ取った波動は、なにかしらの魔法的な影響を対抗術式が感知して漏れ出たものだろう。
そのように予測した。
そしてプシオンに関係するとなれば、ただの敵国魔法師テロリストではない。世間を騒がせている吸血鬼である可能性が高かった。
達也が視野を広げようとした時、デバイスのコール音が鳴り響く。
画面を見ると七草真由美であった。
『大変よ達也君!』
電話に出た達也の耳に、そんな大声が入ってくる。思わずデバイスを耳から離してしまった。だが、真由美の慌て方は尋常ではなく、軽いパニックになっているのではないかと思ってしまう。
しかし、達也もそれで状況は察した。
間違いなく侵入者だろう。
「七草先輩、それで位置は?」
『侵入者が―――って分かっているならいいわ! 感知できたのは十二人よ。二方面から侵入しているみたい。達也君には数が少ない実験棟方面に行ってくれるかしら』
「了解です。細かい位置は随時教えてください。先輩がマルチスコープで感知していますよね?」
『ええ、任せて! もう一方は十文字君が向かっているわ』
達也はデバイスを繋げたまま、耳から離す。
「そういうわけだ。深雪」
「はい、お兄様」
達也はベルトに仕込んだ飛行デバイスを使い、屋上から飛び降りる。深雪もすぐに飛行デバイスを使って達也を追いかけた。
残念ながら、空を飛べないほのかは一人、屋上に残された。
◆◆◆
侵入者を知覚した者は他にもいた。
それは古式魔法の使い手である幹比古である。自然と、一緒にいたエリカや美月もついてくることになった。残念ながら、この三人は校内でCADの携帯を許されていない。故に預けたCADを返却して貰う必要があった。
「規定時間ではありませんので……」
「だーかーら! 侵入者だって言っているでしょ!」
職員とエリカが言い争い、幹比古と美月はエリカを抑える。
春の事件では明らかな侵入者がいたので即時返却をされたのだが、今回はまだ職員にまで侵入者の情報が伝わっていない。故に返却許可が下りなかった。
しかし、そこへ助け船が現れる。
「吉田に千葉か? よく分かったな」
感心したような声を出しつつ近づいてきたのは十文字克人。
そして揉めている職員の前まで歩き、少し威圧的な態度で告げた。
「緊急時につき、返却を願います」
「し、しかし」
「緊急事態です。このままでは取り返しのつかないことになるでしょう。そこの二人……吉田と千葉は自分の補佐です。返却を」
克人は体格が良い。
そして家柄も良い。
折れてしまった職員を責めることは出来ないだろう。
「少々お待ちください」
彼の背中には哀愁が漂っている気がした。
◆◆◆
リーナはA組のクラスメイトと共に昼食を取っていた。
四葉家とパラサイト捕獲に関する契約を結んで以降、殆どの夜に外を捜索している。しかし一向に見つからず、疲れだけが溜まっていた。
昼食も五分あれば食べきれるだろう。
残る昼休みは休憩に使いたいところだった。
(っ! これは!)
不意に感じ取った波動。
それは間違えるはずもないパラサイトの波動である。幾度となくパラサイトと交戦したリーナは、それを知覚することが出来た。
思わず立ち上がりそうになったが、何とか踏みとどまる。
どうやら、一緒に食べていたクラスメイトは座り直した程度にしか思わなかったらしい。
丁度そこへ、メールも送られてきた。
(送り主は……ベン!)
チラリとメールを見たリーナは立ちあがる。
ベン……すなわちベンジャミン・カノープスから送られてきたメールがただのメールであるとは考えにくいからである。基本は機密であるため、席を離れることにしたのだ。
「ごめんなさい。ちょっと用事を思い出しましたので先に失礼しますね」
丁寧な断りを入れて、リーナはその場から去って行った。
そして人気のないところでメールをチェックする。
(パラサイトが!? 何でこんな場所に……いえ、これはチャンスよ!)
リーナが向かう先は実験棟。
達也と深雪が向かっている場所だった。
◆◆◆
そして第一高校の外部からパラサイトを観察する者たちもいた。
「敷地内に逃げられてしまいましたわね」
「これは厄介ですね。どうしますかアヤコ嬢」
「まずは様子を窺いましょう。パラサイトの数は十二体。シリウス少佐にはメールで知らせましたわね?」
「ええ」
「では任せましょう。隙あらば……で問題ないと思いますわ」
読めない笑顔を浮かべた亜夜子は動かない。
彼女の役目は当主である四葉真夜の命令に従い、USNAと協力することだ。ちなみに、紫音が捕らえたパラサイトのお蔭で既に研究は終わっている。あとはUSNAに全力で貸しを作ることが目的だ。
フォーマルハウトを含む元USNA軍人を始末することがスターズの最優先任務なのである。
一方でカノープスも裏では別のことを探っている。それは四葉家が所有していると思われる。魔法師を無力化する技術についてだ。横浜事変では大亜連合の魔法師が次々と魔法の力を失い、大打撃を受けた。その力を四葉が保有しているとUSNAは予測している。
カノープスとリーナはその調査も任されている。
(まさかパラサイトが昼間に動き出すとは……)
これまで、パラサイトの活動時間は夜だった。
また、吸血鬼という固定観念から夜しか動けないという勘違いもあった。それゆえ、初動が遅れてしまったという面がある。
陽も真上に昇った昼間から一斉に動き出すなど、予想できない。
更には狙いが魔法科高校というのも理解不能だ。
まさかパラサイトの素体をより良いものとするために狙ったなどと、思いつくはずもない。特にUSNAはまだパラサイトについて詳しい生態を理解していないのだから。
(紫音お兄様に連絡しなければなりませんわね。それにしても、まさかお兄様がいらっしゃらないときを狙ってくるなんて……偶然? それとも……)
亜夜子は紫音にメールを送った。
◆◆◆
実験棟付近に侵入しているパラサイトの元へと向かった達也と深雪は、真由美からの補佐もあって無事にパラサイトを見つけることが出来た。
……というのは建前で、達也が『眼』を使って見つけたのである。
「深雪」
「はい。目視ではっきりと」
密かに移動しているパラサイトが四体。
偽装の術式を展開しているのか、注意しなければ見つけにくい。しかし、達也と深雪の目を欺くのは不可能だったようだ。一応は隠れながら移動しているらしいが、バレバレである。
(まずは一体)
専用CADトライデントを構えた達也は、容赦なく引き金を引く。セットされていた『分解』が局所的に発動し、パラサイトの一体を穿つ。足の付け根を巧妙に狙われていたせいか、パラサイトは崩れ落ちた。
強靭な体を持つパラサイトも、今は人の器に収まっている。
どうしても人体という物理的構造からは逃れられない。
「っ!」
呻きを上げて倒れた仲間を見たからか、他の三体にも動揺が走る。
流石に空から襲ってくるとは思わなかったらしい。まだ飛行デバイスは珍しいものだ。故に、魔法師が空を飛ぶという概念がない。
不意打ちを出来たのはそのお蔭だった。
(流石はお兄様!)
深雪が心の中で称賛している間に、他の三体も仕留めてしまう。いずれも人体の関節部を狙った分解攻撃であり、パラサイトの動きは止まった。
達也が唯一と言って良いほど扱えるのがこの『分解』である。もう一つの特異魔法『再成』を含め、達也はパラサイトの数体に後れを取らないほど強い。
深雪は自分の出番がなかったことを嘆くより、兄の凄まじさを直接見ることが出来たことに喜びを感じていた。
「深雪、両足を凍結させることはできるか?」
「はい。お兄様」
達也は『眼』で見て、この四体がパラサイトであることを確認している。そして四葉の実験からパラサイトの再生能力についても認知しているのだ。
殺害しても、パラサイト本体のプシオン体は自由となってしまう。
そこで、人の器に留めたまま、拘束しようと考えたのである。
深雪はCADを操作し、見事な腕前で減衰振動の魔法を使う。そして同時に四人の足を凍らせてしまった。これで物理的に動けない。
「よくやった深雪」
すり寄る深雪を撫でながら、達也は鋭い視線を周囲に向ける。
まだ達也の戦闘モードは解除されていない。そして達也の気配察知能力が、イデアを見る『眼』がもう一人の存在を捉えた。
「……そこにいるのは分かっているぞ。リーナ」
「リーナ……?」
実験棟の壁の陰で気配が揺れた。
そして諦めたのか、隠れて見ていたリーナが姿を現す。
「よく分かったわねタツヤ」
「こちらに視線を向け過ぎだ。すぐに分かったぞ」
「べ、別に隠れていたわけじゃないわ。侵入者に気が付いて来てみたけど、タツヤとミユキがあっという間に処理してしまったのよ」
「出る幕がなくて、どうするか迷っていたというわけか」
「ちょっ……う、煩いわよタツヤ!」
どちらにせよ、今のリーナはCADを学校に預けている。
なのでまともな魔法を扱うのは難しかっただろう。ある意味、出る幕がなくて良かった。